夢過ぎ去りし跡の世界で転生者が生き抜くクトゥルフ神話 作:カーキtrpg
――リベール王国 ティルヴォ村――
旅籠の一等個室へ戻ったオクタヴィウスは、同行していたアルフレッドを「邪魔だ、あのクソ代官の評判でも聞いてこい」と追い出すと、内側から頑丈に鍵を閉めた。
部屋の明かりを消し、古びた机の上のろうそくに小さな火を灯す。
揺らめく火を目標に、オクタヴィウスの口から詠唱の言葉が紡がれるとろうそくの炎の動きがピタリと止まった。
炎は固形物のように硬直すると、縦方向へとぐにゃりと引き伸ばされ、平らな面を形成し始める。
現れたのは、炎で縁取られた一枚の鏡であった。
炎の鏡面は滑らかに光を反射し、やがてその奥深くに影が落ちる。
煤のような黒い霧が鏡の中で渦を巻き、やがて一人の老人の輪郭を形作り始めた。
オクタヴィウスの古くからの友人であり、ノルトマルク州と国境を接する領主、アンドレ ナイト卿であった。
「……オクタヴィウスか?」
鏡の向こうからアンドレがいぶかしげで掠れた声を返してきた。
オクタヴィウスからの呪文通信であることはアンドレも理解はしていた。
だが相手の極度の非社交的な性格を知るアンドレにとっては、俄かには信じがたい出来事だったのだ。
オクタヴィウスは意地の悪い笑みを浮かべると、あえて芝居がかった大袈裟な声を張り上げた。
「おおアンドレ! なんてことだアンドレ! いつの間に俺の顔を忘れるほどに耄碌しおったか! 老化を止めるために小細工を弄していたのは俺の耳にも届いていたが、なんの効果もなかったようだな!」
「ええい幇間のような白々しい真似をするな! ワシのことをいいたてる暇があるなら、自分の偏屈さを顧みたらどうなんだ、んん? ワシはおぬしと出会ってから五十年の間に一度としておぬしから連絡がきたためしがないのだぞ!」
「必要もないのに連絡をする意味などない」
オクタヴィウスがキッパリと言い切った。
「なんて奴だ! ワシは幾度となくおぬしの内気を変えようとしてきた。そのたびにおぬしの頑固さに打ち砕かれてきたのだ!」
アンドレは大仰に身振りした。
「いまさっき、おぬしから呪文での接触がきたのが解ってどれだけワシが驚いたのか理解できないのだろうな。ワシは今夢でも見ているのかと何度も疑ってしまった」
「貴様は今七十だったか、夢と現実の区別もつかぬほど耄碌したか」
「オクタヴィウス!」
老友の容赦ない、そしてあまりの言いざまにアンドレは天を仰いだ。
「もういい、一体なぜワシを呼んだのだ? おぬしがなんの用もなく連絡してくるはずがないのはわかっている」
「俺はティルヴォ村を取る。あのくそ代官について何か知っていないかアンドレ」
「……いきなりだな」
アンドレは眉をひそめ、呆れたように首を振った。
「そもそもなぜティルヴォを? ダンジョンが近くにあるくらいしかみるところのないところだぞ」
「ふん、代官が俺は気に食わん。それで十分だろ」
「は~相変わらずのわがままぶりだな」
アンドレは手元のワイングラス(オクタヴィウスはアンドレが禁酒すると本人から聞いた覚えがあったのだが……案の定、我慢がきかなかったようだ)を傾け、溜め息をついた。
「まあ、ワシにとってティルヴォに知った相手が封されるなら文句はないが……ティルヴォが今は売りに出されていた記憶はないが、何か伝手でもあるのか?」
「どいつもこいつも阿呆ばかりだな」
オクタヴィウスは冷ややかに鼻を鳴らし、肘掛けに腕を置いた。
「俺はこの件で一ペニーたりとも金を払う気はない。……というわけでだ、あの代官の弱みでもつかんでいないのかアンドレ」
「何をする気かは知らんが、あの木っ端をどうこうしたところでティルヴォは手に入らんぞ」
「いいから吐け」
オクタヴィウスのわがままにため息をつき、アンドレは記憶の引き出しをひっくり返す。
「そうだな……ロジャーの奴の弱みか。一個だけでかいのがあるが……これはなあ」
「なんだ」
「いやなに、あやつはな、ここ三年のあいだ集めた税を勘定奉行に送らず、
オクタヴィウスの眉がぴくりと跳ね上がった。
「……懐に入れたというのか、ほぼ謀反も同然ではないか。底抜けの阿呆なのかあいつ? そんな真似をしておいて、なぜ未だに代官など続けていられる」
「それには明確な理由があるんだが……三年前に王都で宰相が変わったであろう?」
「知らん」
「……変わったのだが、それのごたごたなんだ」
アンドレは声を潜め、鏡に顔を近づけて続けた。
「王がいきなりローワン グリーンウッドなる二十二歳の若造を宰相に抜擢したんだが、旧宰相のレッドヒル卿が大反対でな。まあ結局、レッドヒル卿は宰相の座を追われるように放り出されたんだが……」
「で?」
「グリーンウッド宰相に、いまだにレッドヒル卿は抵抗しているのだよ。卿が兼任していた大蔵大臣からは解任されなかったからな。卿の派閥は未だに宮廷で強力に生き残って活動中であるのだから宰相からすれば目の上のたん瘤といっていい」
オクタヴィウスは指先でトントンと机を叩きながら、続きを促した。
「それがあのバカ代官のバカ行動にどう繋がるというのだ」
「ロジャー リーヴはレッドヒル派なのさ、正確には寄り親の寄り親がレッドヒル派なんだが、奴自身も派閥の一員として行動していた」
「話が見えん」
「つまりだな、ロジャーが税を送らないのは汚職ではなく、レッドヒル派の一員としてグリーンウッド宰相の新政権に対する
「ハハッ!」
オクタヴィウスの薄い唇から、皮肉に満ちた笑いが漏れた。
「アレが挑戦だと? アレがそのようなタマか。……まあいい、とにかくあの小役人の不服従に対する懲罰がないのは、中央の派閥争いが盾になってあのタンカスをかばっているというわけなんだな」
「そうだ。だから新宰相側も迂闊に手が出せず、三年間も野放しにされてきたのであろうな。ロジャーが税を送らなかった名分は『民が負担に耐えかねたため』だが、まあ嘘っぱちだ。そもそもそんなことは代官が独断で決められることでもないし本来なら認められる名分でもないが、調査中ってことにしてうやむやに先送りにしているのだよ中央は……本人が本当に派閥のためにやっているのか、ただの機会を見ての強欲なのかは実に怪しいものであるがな」
アンドレはワインで一息つくと続ける。
「ただ宰相からしてみればこの就任直後の事態、よほど困り果ててると見える。うやむやのまま三年も放置するとは」
「くだらん政争なぞ興味ない」
「まあ、おぬしはそうだろうな」
「だが、使い勝手の良い話を聞かせてもらったぞ、アンドレ」
「……まて、何を考えている」
「バカなことはするな、オクタヴィウス――」というアンドレの制止を無視し、オクタヴィウスが杖を振ると、炎の鏡は瞬時に縮んでただの小さなろうそくの火へと戻った。
「……
静寂を取り戻した暗い部屋で、オクタヴィウスはあきれたように吐き捨てた。
オクタヴィウスからすればアンドレの宮中をいたわる態度は全く理解できないものだった。
そもそも、大多数の領主魔導師というものはその領分を先祖から幾世にもわたって受け継いだ存在なのだ。
モンスターが蔓延る無人の荒野や山野をその魔法で開拓して今に至るのだ。
その過程に今の王国は何の関係もない。
王家に、そして宮廷で認められて領地を与えられた、鉢植えの封建貴族ではないのだ。
別に王国とわざわざ矛を構える意味がないから名目上は頭を下げてはいるが、我らは王の臣ではなく同盟者であると公言してはばからないものすらいるのだ。
このように、本質的には王の権威すらも必要としていない彼らが、彼ら見れば王の陪臣に過ぎない宮廷の貴族なんてまともに扱うわけもなかった。
アンドレみたいに王国に一定の配慮を見せる者が少数派なのだ。
ただでさえ軽い扱いをされる王国の権威である、オクタヴィウスみたいな偏屈なものからすればそれこそ弊履のごとく扱うのに何のためらいもなかった。
「新宰相の若造め、敵対派閥の嫌がらせだと知りながら、手が出せずに指をくわえて三年間も放置していたか……」
オクタヴィウスの口元が、冷酷な笑みで歪む。
中央のルールや政治的思惑に縛られている新宰相には、代官を処罰する実行力すらもないのがわかった。
だが、宮廷の政治ごっこなど知ったことではないオクタヴィウスにとって重要なのは、あの代官は中央の政権から事実上見放されているという事実のみであった。
「さて、後はどうことをはこぶかだが……」
オクタヴィウスが考え込んでいる時だった。
「ただいまー! じいさん、鍵開けてくれよ! あの代官、村人からめちゃくちゃ嫌われてるぞ!」
廊下から、アルフレッドの騒々しい声と扉を叩く音が響いた。
「……決まったな」
オクタヴィウスは面倒そうに鼻を鳴らすと、静かに鍵を開けに向かうのだった。
育成タンク(GROWTH TANKS)
人工子宮や体外子宮とも呼ばれる育成タンクは、ultra-tech分野におけるバイオエンジニアリングの基本機能です。
人工子宮の開発計画はTL8で進行しており、TL9までに実用化されます。
この技術を押し進める最大の動機は、子宮の代替というよりも超未熟児のための保育器を必要とする点にあります。
現状(TL8初期など)では、妊娠6ヶ月未満で生まれた乳児は肺が空気呼吸に適応していないため生存率が低いです。
パーフルオロカーボン(「パーフルブロン血液」p.131で用いられる化学物質と同種)などの含酸素液体を使用する人工子宮により、より若い胎児の生存が可能となり、実用的な育成タンクへと発展していきます。
人工子宮は多細胞動物を配偶子から健康な出生まで育成するために必要な設備を備えており、代理母を必要としなくなります。
育成タンクはクローン、遺伝子構築物、あるいは改変されていない人間の胚の育成に用いられます。
成長速度は自然な成長と変わりません。
胚から赤ん坊へと成長させるのには9ヶ月、成人には18年かかります。
育成タンクは密閉されていますが、観察者が内部の発育状態を確認できるよう窓やカメラが設置されている場合があります。
大半は通常の出生サイズまで成長させられる大きさですが、成人するまで育成できる大型のものもあります。
タンク内で成長している生物の意識レベルは、母親の子宮内にいる赤ん坊と同等です。
胎児期を過ぎて小児期までタンク内で維持される個体は意識を持ちますが、刺激がないため精神的には発達しません。
筋肉群に取り付けられた電極によって刺激を与えることで、意識のないトレーニングプログラムのように体を常時痙攣させ、筋肉の緊張状態を維持することができます。
胎児期を過ぎていれば、予定された出生日より前に生物をタンクから取り出しても安全です。
成長期間がそれ未満の場合、医療ケア(および別の育成タンクや代理母への迅速な移送)がなければタンクの外で生存することはできません。
育成タンクを破壊して人工臍帯を切断すれば、内部の生物を解放できます。
十分な発育に達していない場合は死亡しますが、条件を満たしていれば通常の出生以上のトラウマを生じることはありません。