ぼんやりとした意識の中で、俺は時間を過ごしていた。
幼い頃に見た夕焼けの校舎、夜更けに一人で走った誰もいない河川敷、机に突っ伏して眠った試験前夜。
取り留めもない、けれど確かに見覚えのある情景が、次々と頭の中を巡っていく。
ああ、走馬灯か。
そんなことを、まどろみの中で一人ごちる。
どれくらい、そんな曖昧な時間を漂っていただろうか。
やがて、意識が少しずつ浮上していく。
まるで、海の底に沈んだ砂を両手ですくい上げるみたいに。
俺という存在が、水中からゆっくりと引き上げられていく感覚。
そして、理解した。
――ああ、俺は生まれ変わったんだ。
どうやら二度目の人生の舞台は、俺の知っている地球とは少しだけ、いや、かなり違うらしい。
『個性』と呼ばれる超常の力が社会に溶け込み、法と常識の中で管理されている世界。
正直、刺激的なんて言葉じゃ足りない。
そして、俺もまた、その『個性』を持って生まれてきた。
それが判明したのは、四歳の個性診断の時だった。
個性名は『斬魄刀ガチャ』。
ちなみに命名は俺自身だ。
能力は至ってシンプル。
ガチャ石――正式には魂石を消費して、ランダムに斬魄刀を取得できる。
斬魄刀とは、『BLEACH』という作品に登場する刀のこと。
能力を宿した特殊な刀で、それぞれに始解と卍解という解放段階を持つ。
それを使って、この世界を生き抜いていく……ってことらしい。
魂石の入手方法は、デイリークエストをこなすこと。
俺の脳内に唐突に浮かぶ、よく分からない指令だ。
内容は運動、勉強、善行、挑戦。
本当に雑多で、だけど日常に溶け込んだものばかり。
基本的に手に入るのは、NからRまでの魂石。
そう、魂石にもレアリティが存在する。
そして当然、斬魄刀ガチャにもレアリティがある。
対応する魂石を消費することで、相応のガチャが引ける仕組みだ。
なお、N魂石であっても、数を揃えれば上位ガチャを引くことは可能。
無課金仕様にしては、なかなか良心的だと思う。
以上が、俺の個性『斬魄刀ガチャ』の概要だ。
斬魄刀ガチャのレアリティは、N、R、SR、URの四段階。
ガチャのラインナップは事前に確認できるのだが、そこで一つ分かったことがある。
どうやら、すべての斬魄刀が存在しているわけではない。
アニオリ斬魄刀、解号が不明なもの、能力が曖昧なもの。
そういった斬魄刀は、ガチャに含まれていなかった。
さらに特殊な例として、三歩剣獣も存在しない。
草鹿やちるの斬魄刀だが、ラインナップには表示されない。
これらから考えるに、俺自身の“斬魄刀への解釈”が個性に影響しているらしい。
三歩剣獣を斬魄刀だと認識していないから、存在しない――そんな感じだ。
まあ、やちる自体が特殊な存在だからな。
結果として、存在しない斬魄刀はいくつもある、というわけだ。
※ ※ ※
時は流れ、十二歳。小学六年生。
今日のデイリークエストの一つは『10キロ走ろう』。
それを達成するため、俺は街を走っていた。
時刻は十六時頃。日差しはまだ強いが、少しずつ影が伸び始めている。
「おっ、クエスト達成したか」
――『10キロ走ろう』を達成。
――報酬として『N魂石』が一つ届きました。
脳内に、クエスト達成の感覚が走る。
帰宅してすぐ家を出て、走り始めてから三十分ほど。
小六でこのペースは、前世基準だと完全に化け物だ。
「ガチャ引いとくか」
意識の中でガチャ画面を開き、魂石を投入する。
単発で一回。今日手に入れた分も合わせて、N魂石を五個消費。
魂石や斬魄刀は、個性由来の亜空間に収納されている。
かさばらないのはありがたい。
まあ、少し前に鍛錬でほとんど使い切ったから、すっからかんだがな。
長期保管できない仕様、本当にどうにかならないもんかね。
そんな愚痴を内心でこぼしながら、ガチャを回す。
脳内に映像が流れる。
暗闇の中を、地獄蝶が一頭、ひらひらと飛んでいく。
荒廃した大地。その中央に突き刺さる一本の槍。
――Nレア『鬼灯丸』
まあ、外れだな。使いやすくはある。
だが、レアリティ的にはどうしても見劣りする。
血止め薬が仕込まれてるくらいで、能力らしい能力もない。
槍と三節棍を使い分けられるのが売り、か。
Nレアなのは、いつも通りだ。
「もうちょい走ってから帰るか」
クエストは達成したが、体力にはまだ余裕がある。
もはやデイリーは、日課のついでみたいなものだ。
運動、勉強、善行、挑戦。
クエスト関係なく、機会があれば手を出すようになっていた。
それを四歳から八年間。
続けていれば、そりゃ習慣にもなる。
おかげで体力はつき、成績も常にトップだ。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ!」
一定のリズムで走り続け、しばらくしてから休憩。
喉の渇きを覚え、スーパーへ入った。
レジに並んで会計を待っていた。
その瞬間だった。
「おらぁ! お前ら動くんじゃねぇぞ!」
怒声と同時に、床へ叩きつけられる両手。
次の瞬間、足元の床がぐにゃりと波打ち、液体みたいに歪んだかと思うと、天井へ向かって鋭く突き上がった。
「ひっ……!」
悲鳴が上がる。
天井を貫いた床材が、槍のように突き刺さったまま、滴を落としていた。
「お前らの身体も、こうなりたくなけりゃ大人しくしろぉ!」
俺はその場で手を上げて、無抵抗を示した。
脳裏で先程の個性を思い浮かべる。
――個性は物体の液状化か?
というか、なんでいきなりスーパーなんかに来た?
様子を見るに、かなり焦燥している。
「どうするどうするどうするどうする!?」
視線を落ち着きなく走らせるその様子から、追い詰められているのが一目で分かった。
「そ、そこのお前! 来い!」
「えっ、きゃあっ!?」
腕を掴まれた女性が、短い悲鳴を上げる。
そして、ヴィランは俺に背を向けると入口側へ怒声を上げた。
「おい、クソヒーロー! 入ってきたら人質殺すぞ!」
外か。
ってことは、逃走中のヴィランが飛び込んできたパターンだな。
入口付近の床はすでに液状化しており、踏み込めば沈むのが一目で分かる。
しかも、個性を解いた液体は個体に戻るらしい。
そのせいで、入口が塞がれていた。
これではヒーローも、簡単には入ってこれない。
その瞬間だった。
――クエスト『人質の解放』が発行されました。
――報酬『SR魂石』
……は?
こんな状況でクエスト?
しかも報酬がSR?
冗談きついだろ。
だが、考えている暇はなかった。
『人質を解放しろ! これ以上罪を重ねる気か!』
外から、ヒーローの張り上げた声が響く。
「人質が見えねぇのか!? 近づいたら殺すぞ!」
叫び声は、完全に裏返っていた。
もう余裕はない。
野次馬のざわめきが外から漏れ聞こえる。
塞がれていた入口の隙間から、外の様子が見える。
「くそっ、ヒーローどもが集まってきやがった!」
どうやら、ヒーローがスーパーの入口を固めているようだ。
それが、逆にこいつを追い詰める。
「ど、どうすれば……どう、すれば……!?」
ヴィランの両手は塞がれている。
片手にはナイフ。もう片方では人質の首を抑えている。
「あぁ……もう……いいか」
低く、掠れた声。
「こうなりゃ道連れだぁ!!」
ナイフが、震える手で持ち上げられた。
刃先が、人質の頭へ向かう。
――クソッ。
考える前に、身体が動いた。
床を蹴り、一直線に突っ込む。
「うぐおっ!」
肩から全体重をぶつける。
衝撃で体勢が崩れ、腕が緩む。
落ちたナイフを、反射的に蹴り飛ばした。
「早く逃げろ!」
背中を押し、女性を後方へ。
「ガキィ! 何しやがる!」
怒号が背中に叩きつけられる。
だが、もう引けない。
「てめぇこそ、何してやがんだ!?」
自分でも驚くくらい、声が荒れていた。
興奮で語気が荒くなる。
そんな俺に対し、ヴィラン側も声を張り上げて返してきた。
「うっるせぇ! 何しようと俺の勝手だろうが!」
完全に逆上している。
……このままだと、本当に誰か死ぬ。
「あー! クソクソクソクソ! ヒーローが来ちまう!」
棚を殴りつけ、商品が床に散乱する。
理性が、限界まで削れている。
「チクショウがぁ!」
ヴィランがポケットから取り出したのは、注射器だった。
――まさか。
「アアアアアアあああッ!! ひゃ、ひゃひゃひゃあああ!!」
首元に突き刺し、無理やり中身を押し込む。
目が血走り、口元が歪んだ。
「おいおい……ありゃあ、明らかにヤバい薬だろ。だが、なんで今……?」
なんのために薬を使った?
身体が膨張するわけじゃない。
だが、纏う雰囲気が一変したように感じた。
しかし、今のうちだ。
ヴィランが発狂している間に、俺は他の人達に指示を出して別の場所からの脱出を指示する。
確かバックヤードが近くにあったはずだ。
あそこからなら、外へ出れる。
「急げ!」
咄嗟に叫ぶ。
人質たちを、別のバックヤードのドアへ誘導する。
だが――遅かった。
「こうなりゃ、全員殺してやるよぉ!?」
ヴィランが両手を床につく。
液状化が、一気に広がった。明らかにさっきの比じゃない。
出力が劇的に上昇していた。
液体がもう一つのバックヤードのドアへなだれかかった。
そして、ヴィランが個性を解除したことで液体が固体に戻り、バックヤードへのドアが塞がれた。
――やられた!
だが、よく見ると塞がれたように見えたドアだが、隙間が目立つ。
出力が上がったが、制御はさほどなのか?
これなら壊せば、どうにかなりそうだ。
――そのための時間稼ぎは、俺がやるしかねぇ。
内心で歯噛みする。
今、手元にあるのはNレアだけ。
3種類。
だが、文句は後だ。
亜空間から、刀を引き抜く。
「伸びろ! 鬼灯丸!」
解号を口にしたことで、斬魄刀が槍へと変わった。
重量が手に馴染む。
来る。
床が波打ち、液体が槍の形を取って突き出される。
直線的。雑だ。
横へ跳び、棚を蹴る。
地面の瓦礫を鬼灯丸で弾き飛ばした。
「うおっ!」
避けられたが、問題ない。
十分気を引けている。
再び、槍状の液体が数本、突き出てくる。
やつの個性からして、触れるべきではない。
足を止めずに、なおかつバックヤードの反対側だけで動き回る。
「ちょこまか逃げ回りやがって!」
両手を離せば、操作は途切れる。
――発動条件は両手が触れること。
なら、近づくまで。
液体を避けながら距離を詰め、鬼灯丸を振るう。
槍の一撃で、レジカウンターが砕け散る。
「くそっ!」
破片が飛び、ヴィランの視界を一瞬遮る。
その隙に、一気に踏み込む。
「おらぁ!」
突き。
ヴィランは咄嗟に腕で守ろうとする。
しかし、その腕を弾き、相手の体勢を崩した。
そこへ、横蹴りを突き出し、吹っ飛ばす。
「ぐおっ……!」
個性は派手だが、身体能力は大した事ない。
ヴィランは素早く立ち上がると、近くの商品棚に両手で触れる。
液状になった棚が、まっすぐ俺へ突き出る。
「直線的なんだよ!」
軌道がわかっていれば問題ない。
液状の槍を飛び越え、ヴィランとの距離を詰める。
着地と同時に鬼灯丸を横薙ぎ。
続けて、振り上げで顎をカチ上げる。
更に鬼灯丸を床に固定し、軸した飛び蹴りを放った。
「ごはあっ……!」
後方の商品や棚を伴って、転がっていく。
「な、何なんだよお前はぁ!?」
床に倒れたまま、顔だけ起こしたヴィランから情けない声が漏れる。
「ハハッ……面白れぇなぁ!」
心臓が、やたらとうるさい。
怖い? 違う。
楽しい。
戦いがこんな面白いものとは知らなかった!
なんだこれは!
この良いしれない高揚感。
溢れるアドレナリン。
――楽しすぎる!
床に叩きつけられたヴィランの両手。
床材が液状化し、槍が突き出される。
「それくらい、気づいてんよぉ!」
不意打ちだろうが、残念ながら見えている。
後退じゃない。
前へ。
二本の液体槍の間をすり抜け、柄で顔面に薙ぎ払い。
「ぶべっ!?」
更に吹き飛ぶヴィラン。
「実戦は初めてだが……悪くねぇ! いや、むしろ最高だねぇ!?」
興奮冷めやらず。戦いのスイッチが完全に入りきっている。
追撃をしようと倒れたヴィランへ歩み寄った、その瞬間。
――クエスト『人質の解放』を達成。
――報酬としてSR魂石が届きました。
バックヤード側へ視線を向けると、ドアを塞ぐ壁が破壊されていた。
「ハハハハッ!」
笑いが、自然と漏れる。
「感謝の印だ。最後にこれをくれてやる!」
SRガチャを引く。
そのまま、手に入れた斬魄刀を中空から引き抜いた。
「SRの中でもトップTierじゃねぇか!」
思わず、声を張り上げて驚きの声を漏らした。
――その斬魄刀の名は。
「霜天に坐せ――『
瞬間、冷気が爆発する。
空気が凍り、氷の龍が形を成した。
「ふぅ……」
吐いた息が白い。
背中に、氷の翼。
「な、なんだ……これは……!」
突然の変化に、ヴィランが震えた声で呟いた。
床も、棚も、すべて凍りつく。
「悪いが、制御が甘ぇんだ」
一歩、踏み出す。
「だから、全力で避けてくれよ!」
刀を振り下ろす。
氷の龍が、咆哮と共に解き放たれた。
一撃。
それだけで、勝負は終わった。
「ふぅ……」
疲労を吐き出すように、口から白の吐息が漏れ出る。
「やりすぎたか?」
ヴィランは顔以外が氷で覆われ、完全に身動きが封じられていた。
完全に気を失っている。
戦闘が終わったと判断したと同時に、氷輪丸が空気中にほどけて消えていった。
「ああ、勿体ねぇ……」
思わず、口からこぼれた。
たったこれだけのことに、SRの斬魄刀を消費するとか。
勢いって怖いわ。
その後、遅れてヒーローが突入してくる。
俺はと言えば事情聴取を受けた後、個性の無断使用を怒られることとなった。
個性の無断使用、建造物の損壊。
そりゃそうだ。
まあ、ヴィランのせいということで、お咎めは無しだった。
外に出た時、助けた人たちが泣きながら頭を下げてきた。
俺の心配までしてくれた。
正直なところ後半、人質のことは頭から抜けていたが、彼らも無事で良かった。
……悪くない。
いや、非常に楽しい一日だった。