春。
今日から、晴れて高校生活の幕が上がる。
まだ冷たい朝の空気を肺に入れながら、俺は舗装路を蹴った。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ!」
呼吸は荒く聞こえるが、心拍は安定している。
家から雄英まで、走って四十分。距離にしておよそ二十キロ。
軽い朝練だ。
校門が視界に入る頃には、体もすっかり温まっていた。
「朝の運動にしてはちょうどいいか」
額の汗を手の甲で拭う。息はすぐに整った。
ヴィジランテをしていた頃は、何時間も街を駆け回り、地方まで足を伸ばすこともあった。
あの頃に比べれば、通学路など散歩みたいなものだ。
広大な雄英の敷地内に足を踏み入れる。
スマホで構内アプリを開き、1-Aの教室を確認する。
時間には余裕がある。
焦る理由はない。
指定された棟の階段を上り、廊下を進むと1-Aのプレートを見つけた。
軽くノックしてから扉を開ける。
「おっと、てっきり一番乗りかと思ったが、先客がいるとは」
教室には、すでに一人。
眼鏡の少年が、姿勢正しく立っていた。
「むっ、おはよう! ボ……俺は私立聡明中学出身、飯田天哉だ 」
律儀に一歩前へ出て名乗る。
声も動きも無駄がない。
「俺は
軽く手を上げると、彼は満足げにうなずいた。
「
指差されたのは、右から二列目三番目。
「あぁ、助かる。そういうあんたは、俺よりも早いじゃねぇか」
席に鞄を置き、椅子を引く。
「雄英という学び舎を前に、つい身が引き締まってね。だが、こうして早く顔を合わせられたことは嬉しく思う」
飯田天哉という男は律儀で、真面目。
規律と礼節を体現したような男のようだ。
そうして、二人で話をしていると、続々とクラスメイトが入ってくる。
飯田がきっちりと名乗りを上げるのに続き、俺も簡潔に自己紹介を返していく。
そろそろ朝礼の時間だろうかと考えていると、鈍い音でチャイムが時を刻む。
直後、廊下から声が聞こえた。
「お友達ごっこしたいなら他所へ行け。ここは……ヒーロー科だそ」
廊下には寝袋にくるまった男性。
言葉を紡ぎながらも、彼はゼリー飲料を寝たまま飲み込んだ。
随分とキャラの濃い人だ。
「ハイ、静かになるまで8秒かかりました。時間は有限。君たちは合理性に欠くね」
男は寝袋から出て立ち上がり、そう口にした。
言葉から察するに雄英の先生だろうか。
「担任の相澤消太だ。よろしくね」
まさかの担任らしい。
ということはヒーローなのだろう。
少々だらしないが、俺とは違う正真正銘のプロヒーロー。
そう認識すると、こころなしか威厳があるように……はあまり見えなかった。
「早速だが、
相澤先生は寝袋から取り出した体操服を提示する。
「それじゃあ、先行ってるよ」
必要なことだけを話す。先の言葉通り、なんとも合理的だ。
立ち去った相澤先生を少し呆然と見つめた一同は、数秒後平静を取り戻したのか一斉に動き始めたのだった。
※ ※ ※
「個性把握テストォ!?」
入学初日。式も説明も無し。
グラウンド集合、即テスト。
さすが雄英。自由の意味が違う。
種目は体力測定八種目。個性使用可。
相澤先生指示で爆豪が、ボール投げのデモンストレーションを行う。
爆破の個性で七百メートル超を叩き出し、周囲は一気に浮き立った。
だが「総合最下位は除籍」その一言で空気は一変。
自然災害、事故、ヴィラン。
理不尽を覆すのがヒーローだと、相澤先生は冷たく言い放つ。
三年間、苦難を与え続ける。
なるほど。
最高峰は、ちゃんと牙を剥いてくるらしい。
面白い。
強くなるためなら、これくらい歓迎だ。
こうして個性把握テストが、始まった。
※ ※ ※
第1種目・50m走。
第一種目、50メートル走。
「教室でも話したよな! 俺は切島鋭児郎! よろしくな!」
赤髪の少年が屈託なく笑う。
竹を割ったような性格で、ムードメーカーのような気質を感じる。
「玩具漂白だ。こちらこそよろしく」
軽く準備運動をしながら言葉に応じる。
そうしていると、順番が回ってきた。
「よし、俺達の番だな!」
切島は活発そうに声を高らかに、言葉を発する。
スタート位置に立つ。
そして、亜空間から斬魄刀を引き抜いた。
他の斬魄刀とは長さが異なるそれは、脇差と見紛うほどの小さい刀。
「うぉっ!? 刀!?」
「驚かせたなら悪いな。俺の個性だ」
俺はスタートラインを背に、脇差しを構える。
『イチニツイテ、ヨーイ』
計測ロボがスタートの合図を行う。
そして、パンッ! という破裂音で計測が開始された。
「
解号の後、刀身が爆発的に伸びた。
次の刹那、反動で身体が弾丸のように加速する。
「ぐっ……!」
内臓が浮く感覚。骨が軋む。
『1.8秒!』
しかし、それは一瞬で解放された。
慣性によって地面を擦るように止まる。
「痛ってぇ……」
吹っ飛ぶが正解だな、これは。
背中から砂煙を引きずるように減速し、ようやく止まる。
靴底が熱い。内臓の位置が一瞬ずれた気がした。
「すっげぇ!」
「あんな記録出るのかよ!?」
誰かが素直に叫ぶ。
視線が一斉にこちらへ集まるのがわかる。
好奇と興奮、ほんの少しの警戒。
「剣の射出速度を利用したか。合理的だ」
抑揚のない声が落ちてくる。相澤先生だ。
寝癖のままのような髪。気だるげな目。だが観察は正確だ。
「こういう使い方は本意じゃないんだがな」
痛みを誤魔化すように、腕を回す。
肩関節が鈍く鳴った。筋肉の奥に、重たい余韻が残っている。
「おいおい、派手にぶっ飛んでたけど、大丈夫かよ?」
金髪に黒いメッシュ、上鳴電気が駆け寄ってきた。
軽薄そうに見えて、目はちゃんと心配している。
「無茶するなぁ……」
「お前、無茶するなぁ……」
続けて瀬呂範太も頭の後ろで腕を組み、苦笑混じりに言った。
「鍛えてるから平気だ」
肩をすくめてみせる。
二人の心配の声に対して、上半身の筋肉を伸ばしながら、言葉を返す
第2種目・握力。
「……百二キロ」
機械の表示が淡々と数字を出す。
悪くない。
「五百六十キロ!」
「うおおおおお!?」
横では、腕を何本も増やして、もはや工事現場のクレーンみたいな握力を叩き出しているやつがいる。
さらに別のやつは、万力みたいなものを個性で生成していた。
おい待て。ここは体力測定だろ。
重機品評会じゃない。
俺の記録は、瞬く間に霞んだ。
とはいえ、俺の記録を見て反応するものもいた。
「素でそれはえぐいだろ……」
「鍛えてるタイプか」
そんな声も聞こえる。
個性なし、素の身体能力でここまで出せるやつはそう多くない。
順位としては、十分上位圏。
まあ、悪くない。
文明の利器と多腕生物に挟まれながらも、人間やってる自負はある。
第3種目・立ち幅跳び。
「測定不能」
結果は、それだった。
やり方は単純だ。
50メートル走と同じ容量。
神鎗を地面に射出し、反動で自分を吹き飛ばす。
砂場を軽々と越え、着地はコース外。
相澤先生の目が、わずかに細まる。
「立ち幅跳びの概念が危ぶまれるな……」
「飛ぶというか、吹っ飛んでるよね☆」
「立ち幅吹っ跳びだね!」
外野は楽しそうだ。
対して、俺はというと痛みに体を震わせていた。
「……っぐ」
重力とは、かくも偉大なものだ。
その暴力を受けた身体への反動は強烈だった。
筋肉と関節がきしむ。
肩と腰を回し、身体をほぐして呼吸を整えていく。
次の種目があるため、準備時間を活用してストレッチを続ける。
クエストじゃないが、こういうのも全クリしたい性分なんだ。
どうせなら、1位を取る。
そのため、時間いっぱい身体の調子をもとに戻していく。
第4種目・反復横跳び。
これは純粋な身体能力で勝負。
リズム。重心移動。
踏み込みの角度。
地味だが、身体の使い方が出る種目。
やがて、カウントが止まる。
握力と同様、素の能力で上位に食い込むことができた。
派手さはない。
だが、こうした積み上げで総合記録が伸びるんだ。
残り種目も全力で取り組もう。
第5種目・ボール投げ。
円の中に入り、腕の筋肉を解す。
準備運動は丁寧に。これが地味に重要だ。
「次、玩具」
投げ渡されたボールを受け取る。
質感を確かめるように、指で軽く回す。
「ふぅぅぅッ……」
深く深呼吸。そして投球フォームに入った。
「うっし……」
短くつぶやき、気合を入れる。
左手に神鎗。右手にはボール。
全身の連動を意識して、踏み込む。
「っ……!」
勢いよくボールを投げた。
風を切って、ボールが上空を走る。
ここからが本番だ。
「射殺せ――『神鎗』」
既に斬魄刀は解放している。
気合を入れるため、意味のない解号を口にした。
神鎗を構えて一息に突き出す。
上空のボールめがけて、瞬間的に刀身が伸びていく。
正確にボールを捉え、弾き飛ばした。
そこから、ボールは一気に加速。
軌道が伸びていく。
「……1025メートル」
一瞬の静寂。
「おおっ!? 1000超え!」
「まじかよ……」
「さっきの無限出たばかりなのに」
「次、俺かよ。プレッシャーきついなぁ」
「神鎗といったか……惹かれる響きだ」
俺の記録に対して、周囲がざわめく。
しかし、無限という記録の後では、どうしてもインパクトが薄れる。
肩を回しながら、一人苦笑をこぼした。
残る競技は持久走と上体起こし。長座体前屈。
持久走と上体起こしは握力や反復横跳びと同じだ。
素の身体能力で上位に食い込んだ。
個性『創造』でバイク生み出した女子と、個性で足にエンジンの付いた飯田には負けたものの、なんとか三位につくことができた。
というか、アイツらは競技のカテゴリが違うだろう。
最後、長座体前屈は神鎗を伸ばして、余裕の一位だ。
持久走のバイクの女子。八百万百も似たようなことをしていたが、神鎗には叶わない。
神鎗は別名百本差し。刀身の長さは刀百本分とも言われているのだから、当然の勝利である。
そうして、全種目が終了した。
全員の名前と順位が公開され、俺の結果は総合二位。
「くっそ、2位かぁ……流石に文明の利器には叶わんな」
俺は腕を組んで呟く。
一位を目指していたが、惜しくもこの結果だ。
因みに最下位の除籍はウソだったらしい。
俺らの最大限を引き出す合理的虚偽だとか。
そんな衝撃の事実に周りでは咆哮が上がっていた。
そうして一同が呆然している間に、相澤先生は1人帰っていった。
個性把握テストを終え、グラウンドから校舎へ戻る列に混ざりながら、俺は肩を軽く回していた。
思ったよりも身体に負担が来ている。
無茶はしていないつもりだが、神鎗を反動利用で使えば、どうしても関節と筋肉に細かい軋みが残る。
鍛え方が足りなかったか。もっと筋トレを増やすべきだろうか。
そんなことをぼんやり考えながら歩いていると、背後から静かな声がかかった。
「玩具。少し、いいだろうか」
振り向けば、黒い鳥の顔をした少年――常闇踏陰が、厳かな佇まいで立っていた。
「常闇だっけ? どうかしたか」
そう問い返すと、彼はゆっくりと一歩近づき、わずかに視線を落とした。
「いやなに、お前の使っていた刀について聞きたくてな」
「ああ、斬魄刀のことか」
何気なく口にした単語に、彼の肩がぴくりと震える。
「斬・魄・刀……!」
常闇は両手をわなわなを震わせて、全身で歓喜を表現するように天を見上げた。
「……なんで溜めた?」
思わず素でツッコむと、常闇は咳払いひとつで体勢を整えた。
「その斬魄刀――神鎗、といったか。実に素晴らしい業物だった。伸縮の速度、間合いの取り方、そして名に宿る響き……いずれも見事」
常闇はそれだけ告げて、帰っていった。
告げることは告げたみたいな、満足した雰囲気だった。
「それを伝えたかっただけだ」
常闇は満足したと言わんばかりに頷く。
彼はそれ以上何も求めず、すっと踵を返した。
引き止める間もなく、黒い背中はクラスの流れの中へ溶けていく。
取り残された俺は、数秒その場に立ち尽くしたまま、今のやり取りを反芻した。
「何だったんだ?」
問いは自然と口をついて出た。
だが、少し考えれば答えは見えてくる。
あの独特の間。
言葉の選び方。
妙にスカしている仕草。
「ああ、あいつ、厨二病か」
そう結論づけた瞬間、妙な納得と同時に、じわりとした親近感が湧いた。
神鎗の名に反応し、斬魄刀という単語に目を輝かせる。
その感性は、正直よくわかる。
斬魄刀好きなやつに悪いやつはいない。
そんな根拠の薄い確信を胸の内で勝手に固めながら、俺は再び歩き出す。
校舎の入口が近づき、これから始まるヒーロー科の授業という現実が、じわりと実感を伴って迫ってきた。
雄英ヒーロー科。
まだ初日だが、悪くない滑り出しだ。