今日の午後の『ヒーロー基礎学』は、校外での演習だ。
種目はレスキュー訓練。バスを使って演習場へ向かうことになった。
USJへ向かうバスの車内は、遠足のような浮ついた空気が漂っていた。
だが、俺は窓の外を流れる景色を眺めながら、どこか落ち着かない感覚を覚えていた。
幼少期から『クエスト』をこなす過程で磨き上げられた直感が、何かが起きる予兆を捉えている。
――嫌な胸騒ぎだ。
やがてバスは目的地へと到着した。
ドーム状の巨大な施設、ウソの災害や事故を想定した演習場、通称『USJ――ウソの災害や事故ルーム』。
そこで待っていたのは、スペースヒーロー・13号だった。
雄英の敷地内にこれほどの施設があるとは。
俺はその広大さに、視線を巡らせていた。
水難、火災、山岳。地形ごとに分かれたゾーン。
本来なら人を救うためのその場所が、今は妙に静まり返って見える。
「——いいかい、君たちの個性は人を傷つけるためのものではなく、救うためにあるのだということを自覚……」
13号先生の訓話が続く。
俺も含め、全員が真剣にその言葉に耳を傾けていた。
それは俺の個性にも、良く当てはまっていた。
以前、オールマイト主導で行われたヒーロー基礎学。
そこで、俺は独りよがりな戦いをしてしまった。
戦闘に熱中するあまり、周りを顧みずに個性を振るう始末。
13号先生の言葉によって、当時のことを思い出す。
俺は、俺じゃなければ救えない人を助けるために、ヒーローを志した。
あの時のままでは、いつか救えたはずの人すらも、俺の個性の巻き添えにしてしまう。
二の舞を演じないように、13号先生の話を心に刻みつけよう。
その思いを抱えて、ヒーロー基礎学を迎えようと意気込んでいたその時。
変化は唐突に訪れた。
「……?」
ピリリ、と肌を刺す感覚。
ドス黒い悪意が、突如として全身に伝わってきた。
広場の中央、噴水の前。
何もない空間に、一点、黒い染みのようなものが現れた。
それは瞬く間に広がり、おぞましい紫の霧となって渦を巻く。
「一塊になって動くな! 13号、生徒を守れ!」
相澤先生の鋭い怒声が響く。
その霧の向こう側から、一人、また一人とヴィラン達が姿を現した。
数にして数十、いや百を超えているだろうか。
中心に立つのは、全身に『手』を纏った異様な男。
そして、その傍らには真っ黒な霧そのもののような男が控えている。
「ヴィラン!? バカだろ!? ヒーローの学校に入り込んでくるなんてアホすぎるぞ!」
「先生、侵入者用センサーは!」
「もちろん、ありますが……!」
「何にせよセンサーが反応してねぇのなら、向こうにそういう事が出来る個性ヤツがいるって事だな。バカだがアホじゃねぇ。これは何らかの目的があって用意周到に画策された奇襲だ」
周囲で緊急事態に対する言葉が上がる。
センサーの有無を問う、八百万の声。
状況を冷静に判断する轟の声。
立派なヒーローとして、危機的状況に対応しようとする気概が感じられる。
だが、俺の反応は違った。
心臓の鼓動が、一気に跳ね上がる。
13号先生の言った『救うための個性』という言葉が、脳内で急速に色褪せていく。
視界が狭まる。
全身が歓喜に震えているのが分かった。
ヒーローとして、この状況を最悪だと思わなければならない。
犠牲者が出る前に、退路を確保しなければならない。
緊急事態の対処を考えなければ。
頭の片隅にいる『優等生』の俺が、必死にそう警告している。
——だが、無理だ。
腹の底から湧き上がる、抑えきれない熱。
――ああ……最高だ!
俺がヒーローを目指した、もう一つの理由がそこにあった。
俺の心から、ヒーロー志望の穏やかさが消える。
唇が、無意識に歪な弧を描いた。
「玩具くん、下がって! 何笑ってるの……!?」
隣にいた蛙吹が、俺の横顔を見て戦慄の声を漏らす。
返事をする余裕はない。
「初めまして。我々はヴィラン連合。僭越ながらこの度ヒーローの巣窟、雄英高校に入らせて頂いたのは平和の象徴、オールマイトに息絶えて頂きたいと思っての事でして」
突如、黒い靄が目の前に現れた。
礼儀正しい、だが底の見えない声。靄
そのもののような男が、俺たちの退路を断つ。
平和の象徴を殺しに来たという不遜な宣言。
その言葉に脳が震えるあまり、足は動かなかった。
「その前に俺たちにやられる事は考えてなかったか!?」
切島と爆豪が、弾かれたように飛び出した。
爆風が霧を散らすが、実体のない敵には通用しない。
「危ない危ない。そう、生徒といえど優秀な金の卵……散らして、嬲り、殺す」
黒い霧が爆発的に膨れ上がり、俺たちの視界を、一気に塗りつぶした。
「——っ!」
抗う間もなく、身体が浮遊感に包まれる。
空間が歪み、平衡感覚が消失する。
視界が晴れた時、そこは切り立った岩場が牙のように突き出す『山岳ゾーン』だった。
着地の衝撃を膝で殺し、周囲を素早く見渡す。
俺と一緒に飛ばされたのは、八百万と上鳴の二人だ。
「きゃっ……! ここは……山岳ゾーンですわね」
「うわわ、マジかよ! 転移ぃ!?!」
二人が不安げな声を上げる中、岩陰からゾロゾロと異形の集団が姿を現した。
その中心に立つ、全身から蒸気を噴き出している男が、部下たちに声を張り上げる。
「てめぇら、やることは分かってるな!? 相手はガキだが雄英生だ、油断すんじゃねぇぞ!」
「分かってますって、兄貴!」
「よし! いいか、間違っても殺すんじゃねぇぞ! 俺らの仕事はあくまで捕縛だ!」
その言葉に、一人の軽薄そうな部下と思しき男が、ニヤニヤしながらツッコミを入れた。
「いやいや兄貴、そもそも俺ら、殺しなんて一度もしたことないじゃないっすか。盗みと壊し専門の『爆煙隊』っすよ?」
「うるっせぇ! てめぇらに発破をかけてやってんだよ! 察しろバカ!」
随分と気の抜けた連中だな、というのが俺の第一印象だった。
俺達をここに飛ばした黒い靄の男が『
こいつらはその連合に雇われた、あるいは協力している別グループということか。
「あんたら。一応確認するが、ヴィランってことでいいんだよな?」
俺の問いかけに、身体をパイプで覆った蒸気の男が、仰々しく胸を張った。
「これはこれは、はじめまして。俺たちは『
「兄貴兄貴、正確には『半ヴィラン団体』っすよ。そこ盛りすぎ」
「おめぇは黙ってろって言ってんだろ!」
漫才のようなやり取り。
既に戦場だってのに、どこかゆるい雰囲気を感じる。
まあ敵連合だろうが、爆煙隊だろうが、半端者だろうが関係ない。
俺の前に立ち塞がり、俺と敵対しているのなら、全てが俺の獲物だ。
「随分と巫山戯ているようだが、ヴィランってことならぶん殴るまでだ!」
俺の口角が、無意識に歪な弧を描いた。
次の瞬間、俺の姿はその場から消えた。
「なっ——速えっ!?」
全身パイプ野郎の驚愕を置き去りにし、俺は一番近くにいた男の懐に潜り込む。
斬魄刀すら使わない。鍛え上げた拳だけで、ヴィランの顎を打ち砕いた。
「ごぇっ……!」
「おらっぁ! 次! また次!」
一人、また一人と沈めていく。
敵連合だが、爆煙隊だが知らないが大したことはない。
そう思ったが、爆煙隊はただの素人集団ではなかった。
「チッ、浮足立つな! マサ、カズサ、個性で動きを妨害しろ! お前ら、近寄らず遠距離から攻めろ!」
全身パイプ男の鋭い指示が飛ぶ。
兄貴と呼ばれていたことから、やつがリーダー格で間違いないだろう。
瞬間、異形系ヴィランのマサと呼ばれた男が、口から粘着性の高い液を放つ。
俺の足元へ飛んでくる粘液を、後ろへ飛ぶことで避ける。
しかし、同時に鳥の翼を持つ女ヴィランのカズサが上空から烈風を叩きつけ、俺の機動力を削ぎにかかった。
粘液が風に乗って、俺へと飛んでくる。
明らかに連携を考えた戦法だ。
そのせいで、地面が粘液で覆われる。
幸い、すべて避けきったが、これでは足が取られるな。
「おらぁッ、ここは通さねえぞ!」
さらに、岩のように巨大な身体を持つ異形系の数人が、肉の壁となって俺の前に立ちはだかる。
俺の拳をまともに受けながらも、彼らは歯を食いしばって後退しない。
遠距離組に攻撃の隙を作るための、命がけの足止めだ。
「ククッ、急に纏まり始めたな……!」
俺は急に楽しくなり始めた状況に、笑みをこぼす。
爆煙隊が統率を取り戻したことで、戦場は単なる蹂躙から戦闘へと変質した。
俺の奥底に眠る欲求が、熱を帯び始める。
「おい、玩具! 落ち着けって!」
「玩具さん! 一人で前に出すぎですわ!」
背後から俺を心配する声が聞こえる。
だが、今の俺の耳には、眼前の肉の壁が軋む音の方が心地よく響いていた。
「そんじゃあ、少し本気を出してやるよ!」
壁役の一人を蹴り飛ばして距離を作ると、亜空間から斬魄刀を引き抜く。
刹那、抜き放たれた刀で続けざまに斬りかかった。
「ハハハッ! 良いサンドバックだなぁ!?」
戦いへの熱が、一段階跳ね上がる。
俺は斬魄刀を振るい、壁役の異形ヴィランを切り刻む。
ヴィランの岩の肌を削り、隙間からは血が飛び散って、俺の服を濡らした。
「守るだけかぁ!?」
俺は守備に徹する奴のガードの隙間を縫い、強引に腕を差し込んだ。
その勢いのまま、顔面を殴り飛ばす。
「ぐがぁっ……!?」
「はい、一人目ぇ!」
「くそっ、これ以上行かせるか!」
「おかわりが早くて、いいねぇ! 全員喰ってやるよ!!?」
すかさず二人目のヴィランが現れ、壁となって俺の行く手を阻む。
最高だ。ヴィジランテ活動をやめて以来、鬱憤が溜まっていた。
あの活動は、俺の戦闘欲を満たす目的がメインだった。
雄英に受かって以降は、ヒーローになるために引退したが、やはり俺は戦うのが好きだ。
俺じゃなきゃ救えない人を助けるためヒーローを志した。
確かに、それは間違いではない。
しかし、胸中を占めるそれ以外の大半は――合法的に戦えるからだ。
だから、久しぶりに本格的に戦闘欲が満たされているのが、たまらなく心地良い。
「距離を保って連携を崩すな!」
爆煙隊の連中は劣勢に立たされながらも、気丈に声を掛け合い、瓦解を食い止めている。
――良い! もっと連携を取ってくれ!
その必死な抵抗が、余計に俺を愉悦へと誘う。
そんな中、俺の振るう刀を凝視していた爆煙隊のリーダー格が、突如として目を見開いた。
「その個性、その戦い方……!」
奴の声が震える。
驚愕がやがて、どろりとした憎悪へと塗り替えられていくように見えた。
「会いたかったぜ、死神ィ!!」
「……その名で呼ぶんじゃねぇよ、カス」
俺は冷淡に言い放った。
――なぜ、その名を知っている?
急に冷水を掛けられた気分だ。
熱が一気に冷めていく。
その名前は俺にふさわしくない。
自分の斬魄刀を持たない俺には、重すぎる名前だ。
『死神』の名を知っている。
そして、この刀で俺を判別したということは、過去に俺が取り逃がした奴か。
「あの時の借り、返させてもらうぜ……! よくも部下たちを、俺たちの居場所をめちゃくちゃにしてくれたな!」
「あぁ? 誰だお前……?」
俺の心底興味なさそうな問いに、奴の顔が怒りで激しく歪んだ。
「腹立たしい野郎だ……! てめぇから逃げ切った男! スチームだ!!」
「悪りぃが、雑魚は覚えてねぇんだ」
「つくづく、ふざけた野郎だ……! てめぇら、援護しろ! 俺が直々にぶっ殺してやる!」
スチームが咆哮し、蒸気を爆発させてこちらへと突撃してくる。
周囲の部下たちも、奴を援護せんと必死の形相で個性を放ってきた。
「裏の人間ってのはよぉ……ケチがついたらお終いなんだよぉ!!」
爆煙を背負い、スチームの拳が俺の顔面に迫る。
俺はそれを笑みで迎えた。
ヒーローとしての理性が、また一歩、遠のいていく。
熱がまた、俺を包み始めた。