ノイズが視界の端を掠めた。
最初は気のせいかと思った。窓硝子の反射、蛍光灯のちらつき——そう解釈しようとした。だが身体が先に反応している。背筋が硬直し、肺が浅い呼吸に切り替わる。これは訓練ではない。あの世界で幾度も死線を越えた身体が、現代日本の空気の中で「異物」を感知している。
「透……?」
三枝の声が震えている。彼は階段踊り場の手すりに縋りつき、下の階層を見下ろしている。俺も視線を向ける。
——いた。
人型の輪郭が、吹き抜けの暗がりに並んでいる。皮膚の代わりに素材パネルの継ぎ目が露出し、関節部は生体感のない機械構造。全身の発光ラインが、個体同士で同期するように点滅している。足音はない。呼吸もない。ただ、複数の視線が——いや、視線ですらない。獲物を「人」として認識していない、ただのセンサーの焦点が、こちらを捉えている。
ミニオン・サイバー。エコー現象の端末。数日前に遭遇したものと同じ。
「下がれ」
言葉は自然と低くなり、三枝の腕を掴んで引っ張り上げた。階段の上の方へ。足元が震えているのがわかる。当然だ。こんなのを目の当たりにしたら平常でいられる方がおかしい。けれど俺の仕事は怯えさせないことだ。
「大丈夫だ。すぐ終わらせる」
背中のホルスターからシジルドライバーを取り出したとき——背後から静かな靴音が聞こえた。
「……やはり来たか」
朔也だ。観測者の顔で踊り場の壁際に佇んでいる。彼は眼鏡の弦に触れて微かに溜め息をつく。
「あの群れのコアは胴体中央にある刻印核だ。通常は保護され露出していない。だがリンク・フォーメーションが解除されると隙ができる。狙うならそこ」
説明は完璧だ。余計な感情も飾りもない。それで十分だ。
「サンキュ」
左手でベルトバックルを展開する。軽快な電子音が鳴った。右スロットには既に『ファンタジーワールドシール』が収まっている。
「変身!」
それと共に、俺は変身を完了すると共に手に持ったシジルゼッターで迫るミニオン達を切り裂いていく。
眼前のミニオンは前回の奴らとは異なり、明らかに組織的に動いている。扇状に散らばり、互いを援護するような配置——リンク・フォーメーション。
単体なら脆いはずのそれらが一つの大きな生き物のように滑らかに戦闘域を掌握していく様は不気味だった。
俺は咄嗟に判断した。
「まず分散させて数減らせないと」
シジルゼッターをソードモードから変形させつつ間合いを取ろうとしたところで——階段の上で三枝が叫んだ。
「おい透! あいつら、上まで来ちゃうぞ!」
「任せとけって!」
答えながら跳躍。踊り場の手摺を蹴り飛ばすようにして宙に舞う。
「——っ!」
空中でシジルゼッターを高速回転させ、風圧を利用して下方へ加速落下。落下地点にいた一体目を地面へ串刺しにする。続いて着地と同時に斬り払えば二体目が爆ぜるように消えた。
「お前は下がらずに俺の後ろにいろよ!」
指示を飛ばすも三枝の表情には焦燥が浮かぶばかりだ。
(当然だけどな。こんな光景見るなんて誰も想像できないんだから)
朔也が言った通りリンク解除寸前までは警戒すべきだと思っていた矢先——前方数十メートル先から閃光が走ったと思った時には遅かった!
瞬時に後退しようとした刹那、「パリンッ!!」という甲高い破砕音と共に全身を覆う電磁波的衝撃を受けてしまう!
「ぐあぁっ!?」
痛みとともに脳髄に直接流れ込んでくる大量データ信号群。
電磁パルスが視神経を焼く。
脳内に直接流れ込んだデータ信号が——無数の0と1の羅列が——意識を塗り潰そうとしてくる。痛みというよりは『侵食』だ。自分の思考が、何か別の法則に書き換えられていく恐怖。
「くっ……!」
膝をつく。シジルゼッターの柄を握る手に力が入らない。装甲表面でエラーメッセージのような赤い走査線が乱れ、内部システムが一時的に不安定になっている。
ミニオン・サイバーの群れが動いた。リンク・フォーメーションを維持したまま、扇状の包囲網を狭めてくる。先ほどの一閃が——あれは『ノイズ・フラッシュ』とでも呼ぶべきか——彼らの同期信号を強化させたらしい。数は減らせたが、残った個体の連携精度が跳ね上がっている。
(まずい……このまま近接戦闘を続けたら、三枝まで巻き込まれる)
視界の端で、三枝が階段の踊り場に縮こまっているのが見える。彼の位置は包囲網の外れ——だがこのまま後退すれば、俺が盾になれなくなる。前に出れば、電磁攻撃の再来を食らう。万事休すだ。
——いや、待て。
脳裏の奥底で何かが弾けた。異世界での記憶。古代神殿の地下で戦った魔導兵団。あの時、対策に使ったのは……
杖だ。
術式構成を簡易化する補助媒体。長物でありながら攻防に応じて自在に振るわれる媒介体。そうだ——このシジルゼッターも杖に変形できたはず。
思い出せ。
構造を。手順を。
ブレイカム式ジョイントの可動範囲を——
俺は右手でシジルゼッターのグリップを握り直し、左手で刀身を掴んだ。指先に痺れがあるが気にしない。逆付け機構のロックピンを解放し——グリップ背面へ逆向きに嵌め直す。
ガシャリ。
連結部から微かな駆動音が漏れ、クリアブレードの内部刻印が淡く脈打つ。レリックブレードユニットが半回転し、刀身が垂直方向へ延びる。重量バランスが変わり——これが杖だ。柄尻で床を支えれば重心が安定する。
『ワンド』
システムアナウンスと共にクリアブレードの表面を走る術式文様が浮かび上がり、穂先が淡い金色に発光した。
「これで——どうだ?」
シジルゼッター杖モードを掲げると、エネルギーが掌を通して体内を循環するのを感じた。ファンタジーワールドシールの魔力と、今の衝撃で過剰供給されていた電磁ノイズが融合し、新しい力になって溢れ出そうとしている。
指向性を持った魔導波を拡散させるだけなら簡単だ。だがそれでは数減らしになるだけ。ここで必要なのは『リンク切断』だ。個々のノイズ同期を遮断するパターンを打ち込む——
呼吸を整え、掌を柄に添え直す。
「……喰らえ」
穂先を床に突き立てた。瞬間、黄金の波紋が放射状に迸った。まるで大地が鐘楼となって共鳴するように——廊下全体が震える。共振の波動はミニオン・サイバーの隊列を貫き、同期パスウェイにノイズを注入していく。
「ヒィ———!?」
背後の三枝が驚愕の呻きをあげる。
見えない衝撃は透明な杭のごとくミニオンの胸腔へ進入し——核が露出した!
リンク・フォーメーションが崩れる。個体識別ナンバーが逸脱し始めた証拠だ。俺は迷うことなくグリップを引き戻した。杖から剣へ——再逆付け。レリックブレードユニットが閃光と共にスイングし、最前列の一体を斜めに斬り裂く。
核が砕ける。次の瞬間には灰と化し霧散した。
「いける……!」
戦場が変わる。剣戟ではなく魔導支援で相手の土俵をひっくり返す——そういう選択肢があると気づいただけで、恐怖が冷静な闘志へと更新されてゆく。
三枝は踊り場から這うように階段を下りてこようとしている。
「三枝! 安全な場所で伏せてろ! 後ろは絶対に出るなよ!」
怒号に近い声で言うと彼は頷いた。震えつつも必死に手すりを伝っていく。良かった。怯えきっていない。
再び視線を敵に戻す。リンクを失ったサイバーミニオンは統率を乱しながらも、各個体が生存本能らしきものを暴走させ襲いかかってくる。
だがもう怖くない。杖が与えてくれた突破口は、確実に勝利への道筋を照らしてくれている。