「お前な! いきなり攻撃をするかっこのっ馬鹿!?」
怒鳴りながらも、俺は飛び込んでくるグラップの拳を、肩の線をずらすだけでぎりぎり外へ流した。
オレンジと黒の装甲が目の前を獣みたいにうねり、ナックルガードの縁が頬のすぐ脇を掠めていく。
さっきゲートナイトを貫いた一撃の余韻がまだ腕に残っていて、サイバーフォームの視界だけが妙に冷たく澄み切っていた。
まずい、と思うより早く現実を突きつけてくるのが、こいつみたいな相手の厄介なところだった。
シジルゲッターは、さっきの突撃の反動で屋上の床に深く突き刺さったまま、俺の手を離れた位置で鈍く光っている。
サイバーフォームは判断を早めるには向いていても、こういう泥臭い殴り合いを長く続ける形にはまるで向いていない。
「おいおい! そんな冷たい事を言うなよっと」
軽い調子の声に反して、次の拳は遠慮なく腹へ入ってくる軌道を描いていた。
腕を交差させて受けると、骨の奥まで響く重さが走り、靴底がコンクリートの上を短く滑った。
サイバーの補助がなければ、とっくに一発目で床に転がされている。
「冷たいも何も! こっちの目的は終わったんだよ」
言い返したところで、グラップはまるで聞いていないみたいに肩を揺らした。
拳闘家というより、面白い玩具を見つけて目を輝かせる子どもに近い笑い方だった。
その無邪気さが、余計に質が悪い。
「私は終わってないんだよ!」
踏み込みが一段深い。
ワイヤーで間合いを作るでもなく、今度は本当に正面から殴り合いへ持ち込むつもりらしい。
左の打ち下ろしを肘で受け、返しの右を身体を沈めて外した瞬間、追いかけるように膝が腹へめり込んだ。
息が詰まる。
視界の端が白く弾け、そのまま吹き飛ばされるみたいに背中から床へ転がった。
サイバーフォームの装甲が衝撃をかなり殺してくれたおかげで、致命的な痛みにはなっていない。
けれど、少なく済んだだけだ。
このまま武器なしで付き合えば、じわじわ不利になる未来しか見えない。
今の優先順位ははっきりしている。シジルゲッターの回収、それが最優先だ。
だが、問題はその一本を拾いに行くための数歩を、こいつが大人しく見逃すはずもないってことだった。
グラップは俺とシジルゲッターの位置をもう測っていて、俺がどちらへ体重を移したかだけで、次の一手を変えられる。
真正面から走れば殴られる。飛び込めばワイヤーで引かれる。考えなしに動けば、その時点で詰む。
床に手をついて身を起こしながら、視界だけは止めずに盤面を探る。
俺のシジルゲッター、グラップの立ち位置、屋上の段差、フェンス、風向き、それから――。
掌にあったはずの感触が一つ、どこにもないことにそこで初めて気づいた。
「あれがあればって」
思わず漏れた声が、自分でも情けなく聞こえた。
さっき握り込んだはずのサイキックのワールドシールが、手の中にも腰の周りにも見当たらない。
打ち合いのどこかで弾かれたのか、あるいは吹き飛ばされた瞬間にこぼしたのか、今さら考えても遅い。
視線を走らせる。
コンクリートの床に散った破片の隙間、砕けたエコーの残骸、夜風に転がる小さな金属片。
その先で、青白い光がかすかに瞬いた。
あった。
俺が向いた先には、久遠寺朔也が立っていた。
戦場の縁にいるはずのあいつが、今は一歩だけ中へ踏み込み、足元へ落ちたシールを見下ろしている。
サイキックの紋様が、夜の光を吸うみたいに静かに脈打っていた。
「……俺は」
朔也の声は小さいのに、不思議なくらいはっきり聞こえた。
風に紛れることもなく、グラップの荒い呼吸や俺の鼓動の上を通って、真っ直ぐ耳へ落ちてくる。
その一言だけで、こいつが今まで胸の奥に押し込めてきた迷いの重さが、嫌でも分かってしまう。
朔也はそこで立ち尽くさなかった。
フェンス際で腕を組んで観測していたいつもの姿勢を捨てて、ゆっくり、けれど確かに膝を折る。
白い指先がサイキックのシールへ伸び、その手がためらいと決意の境目で一度だけ止まった。
グラップも、その動きに気づいたらしい。
さっきまで俺しか見ていなかった目が、獲物を変えるみたいに朔也へ向く。
俺は奥歯を噛み、痛む腹を無視して無理やり身体を起こした。
ここで取らせなきゃ終わる。
観測者のままで逃がすのか、それともあいつ自身の手で一線を越えさせるのか。
選ぶのは朔也だとしても、その数秒を稼ぐのは俺の役目だった。
グラップの肩が沈む。
次の踏み込みが来る。
俺は息を吸い、シジルゲッターのない両手を、せめて盾代わりに前へ上げた。