蒼花が拳を鳴らした瞬間、屋上の空気が獣じみた熱を帯びた。
オレンジと黒の装甲が低く沈み込み、次の踏み込みに備えて全身の筋肉をばねみたいに縮めているのが、距離を取っていても嫌というほど伝わってくる。
「いいじゃないか、二人目まで出てきたんだ。だったら今度は、まとめて殴り倒すだけだろ」
笑っているのに、目は鋭い。
あいつの視線はもう俺だけじゃなく、ヴァイザードへも向いている。
戦いたい相手が増えたことを、純粋に喜んでいる顔だった。
俺は一度だけ息を整え、手元のないシジルゲッターの位置を探る。
床に突き刺さったままの武器は、蒼花の背後寄りにあって、この距離を強引に詰めれば確実に拳かワイヤーをもらう。
サイバーフォームのままでは防御に徹するしかなく、この盤面は正直かなり悪い。
そのとき、ヴァイザードが静かに右手を上げた。
余計な動作は一つもなく、ただ標的を定めるみたいに指先が蒼花へ向く。
「透、半歩だけ右へ下がれ」
短い指示だった。
だが、考えるより先に身体が動く。
俺が横へずれた直後、見えない圧力が蒼花の胴を正面から殴りつけた。
空気そのものが拳になったみたいな衝撃で、グラップの身体がわずかに宙へ浮き、そのまま数歩ぶん後ろへ弾き飛ばされる。
「っ、ははっ、今のは好きだ!」
吹き飛ばされながら蒼花は笑っていたが、その一瞬で十分だった。
ヴァイザードの左手が次に動く。
地面へ突き刺さったままだったシジルゲッターが、まるで見えない糸で引かれるみたいに床を滑り、火花を散らしながら一直線に俺の足元へ戻ってくる。
「気が利くな、朔也!」
「感謝は後だ。今は前を見ろ」
言われるまでもなく、武器が掌に収まった瞬間に気持ちが切り替わる。
サイバーの走査線が視界に残る中で、俺はシールスロットへ別の一枚を叩き込んだ。
『シジル・コンパイル! ファンタジーフォーム!』
青の情報表示がほどけ、赤い装甲が再び熱を帯びる。
手の中のシジルゲッターはソードモードへ変形し、馴染んだ重さが腕へ戻ってくる。
考えるよりも先に斬れる、あの感覚だ。
「行くぞ!」
叫ぶと同時に踏み込む。
蒼花がワイヤーを放つが、今度はその軌道がよく見える。
右へ流し、懐へ入る。
刃を横へ走らせる。
ナックルガードが火花を散らし、蒼花の拳が俺の剣を弾き返す。
だが、その押し合いの最中にも、背後ではもう一人の観測者が盤面を作り替えていた。
乾いた発射音が三発、短く続く。
ヴァイザードのシジルゲッターはガンモードへ変形していて、そこから放たれた光弾がまっすぐではなく、夜の屋上に曲線を描いて走る。
蒼花が俺の正面しか見ていないのを利用して、弾丸は一度大きく外へ逃げ、それから死角へ回り込むみたいに背中側から迫った。
「ちっ!」
蒼花が身をひねる。
一発は避ける。
だが二発目は左肩に、三発目は膝の外側に食い込んだ。
その位置取りがいやらしい。
倒し切るためじゃなく、重心だけを崩すための撃ち方だ。
「右足が遅れる、透」
ヴァイザードの声が飛ぶ。
「分かってる!」
俺はその遅れに合わせて、一気に間合いを詰めた。
上段から見せて、途中で刃を返す。
蒼花がトンファーで受けた瞬間、その受け流しに逆らわず身体ごと回り込み、脇腹へ蹴りを叩き込む。
息が詰まる音がした。
けれど、蒼花はそこで止まらない。
むしろ、痛みを喜ぶみたいに歯を剥いた。
「そうだ、それだよ!」
ワイヤーが走る。
俺の剣の柄へ絡みつき、そのまま強引に引かれる。
腕が持っていかれそうになるのを踏ん張った瞬間、蒼花のトンファーが腹へ潜り込んだ。
「ぐっ……!」
まともに食らう前に剣を盾代わりに差し込んだが、衝撃は殺し切れない。
身体が後ろへ吹き飛び、視界が一度だけ大きく揺れる。
背中から床へ落ちる、その直前だった。
目の前に、青白い光弾が三つ、ぴたりと止まった。
ヴァイザードが固定した弾丸だと理解するより先に、俺の足がそこへ乗る。
踏み台にした瞬間、硬質な反発が返ってくる。
空中に固定された足場。
こんな使い方、普通は思いつかない。
「借りるぞ!」
弾丸を一段、二段と蹴って跳び上がる。
蒼花の真上へ抜けた俺を見て、さすがのグラップも一瞬だけ目を見開いた。
「はっ、今のは――」
「経験の差だ!」
上から振り下ろした斬撃を、蒼花は辛うじてトンファー二本で受けた。
だが受けた時点で、次の盤面はもう出来ている。
ヴァイザードの弾丸が今度は四方へ散り、曲線を描きながら蒼花の退路を潰す。
俺が前へ出るたび、あいつは後ろへは逃げられない。
横へ逃げれば、曲がる弾丸が待っている。
「おいおい、息ぴったりじゃないかよ!」
蒼花が笑いながらも、明らかに苛立っているのが分かった。
見えている。
ヴァイザードは次の手を観察し、俺は前に出ながらそのズレを拾う。
分析と経験。
理屈と場数。
噛み合った瞬間、相手にとっては最悪の圧になる。
「透、次は左へ流せ」
「了解」
剣を右から振ると見せて、あえて浅く打つ。
蒼花が受ける。
受けた力を利用して体勢を左へ流した、その先へ、ヴァイザードの光弾が曲がって差し込む。
蒼花はワイヤーで一本を弾いたが、残り二発が太腿と肩口を掠めた。
それでもなお、グラップは立つ。
いや、立つどころか前へ出てくる。
「だったら、こっちも終わらせるだけだ!」
蒼花が腰のマズルを叩いた瞬間、装甲の隙間から熱を帯びた空気が噴き上がり、拳の周囲でぶるりと空間が揺れた。
さっきまでワイヤーとトンファーで組み立てていた戦い方を、最後の最後で全部捨てるつもりだと、その構えを見ただけで分かる。
『マズル・チャージ!』
両拳を前へ突き出した姿勢は、獣というより、純粋な拳闘家のものだった。
重心が落ち、左右へ振っていた身体が徐々に一本の芯へ集まっていく。
荒れていた呼吸さえ、その一撃のためだけに整えられていくのが見える。
『フィッシュラウンド!!』
デンプシー・ロールのように揺れていた上体が、次の瞬間には鋭く真っ直ぐこちらへ向き直る。
拳に乗った衝撃が空気を押し潰し、一直線の突破力となって屋上の床を抉る勢いで迫ってきた。
「来るぞ、朔也!」
叫びながら、俺はドラゴンマズルへ手を伸ばす。
横ではヴァイザードが静かに右足を引き、真正面からその必殺に向き合う姿勢を取っていた。
蒼花の突進は、ただの勢いじゃない。食らえば押し潰される。なら、真正面からへし折るしかない。
『ラピットラッシュ!!!』
蒼花が吠える。
拳が、意志そのものみたいな速度で迫る。
俺とヴァイザードは、ほとんど同時に腰のマズルを叩いた。
『マズル・チャージ! ドラゴン・ブースト! レリック・ライダーキック!』
赤い熱が脚へ駆け上がり、俺は一気に跳ぶ。
ファンタジーフォームの装甲がきしみ、加速した一撃が蒼花の直進と正面からぶつかろうとする。
その真横で、ヴァイザードの足元に青白い光が静かに広がった。
『マズル・チャージ!』
ヴァイザードの声は、俺より低く、落ち着いていた。
それでも、その一言には迷いがなかった。
『フェニックス・アブソーブ!』
青と白の装甲を伝って、蒼花の突進がまとっていた圧そのものが、ヴァイザードの脚部へ吸い込まれていく。
拳の先に集中していた衝撃が、真っ向から受け止められた瞬間にわずかに削がれ、その勢いの輪郭だけが青白い光となって収束していく。
吸われた。
蒼花の突破力が、一瞬だけ鈍る。
「透!」
ヴァイザードの声が飛ぶ。
その一拍だけで十分だった。
『コンバージェンス・ライダーキック!』
収束した光がヴァイザードの脚に一気に集まり、青白い尾を引きながら蹴りが解き放たれる。
俺の赤い蹴りと、ヴァイザードの青白い蹴りが、ほとんど同じ角度で蒼花へ叩き込まれた。
真正面から激突した衝撃で、視界が一度白く弾ける。
蒼花のラピットラッシュはなおも押し込もうとするが、ヴァイザードが吸収したぶんだけ勢いを失い、俺の蹴りがその残った軸を真正面から割り砕く。
「おおおおっ!」
声を押し出し、脚へ残った力を全部叩き込む。
その横で、ヴァイザードもさらに一段深く踏み込み、収束させたエネルギーを押し切るようにキックへ変えている。
二つの蹴りが、蒼花の一直線を完全にねじ切った。
光が弾ける。
衝撃が遅れて屋上を揺らし、グラップの身体が大きくのけぞる。
オレンジと黒の装甲が火花を散らしながら床を滑り、フェンス際まで吹き飛ばされてようやく止まった。
静けさが戻るまで、ほんの数秒かかった。
俺は着地し、足裏に残る痺れを噛み殺しながら剣を構え直す。
ヴァイザードも一歩遅れて着地し、バイザー越しに倒れた蒼花をじっと見据えていた。
青白い残光が、まだその脚の周囲で細く揺れている。
やがて、グラップの変身が解ける。
仰向けになった蒼花は大きく息を吐き、それから悔しそうに顔をしかめたかと思うと、次の瞬間にはたまらないという顔で笑っていた。
「……っは、そう来るかよ」
負けた悔しさと、それでも楽しかったという実感が、その笑い方の中にそのまま混じっている。
俺は肩の力を抜き、隣のヴァイザードを見る。
「今のは、かなり気持ち良かったな」
朔也は少しだけ間を置いてから答えた。
「君が前で削ったから、収束が間に合った」
相変わらず、言い方だけは理屈っぽい。
けれど、そのバイザーの向こうに、確かな手応えがあるのは分かった。
俺は口の端を上げる。
「なら、やっぱ相性いいな。俺たち」
夜風が吹き抜ける。
戦いの熱の中で、ようやく呼吸が一つに揃った気がした。