炎鳥宮が最後のエコーを断ち切った直後、交差点に漂っていた張り詰めた空気が、かえって不自然なくらい静まり返った。
砕けた装甲の破片がアスファルトに散り、信号機の赤がその上で鈍く瞬いているのに、誰ひとりとしてそれで終わったとは思えない気配が場に残っている。
透はその違和感を無視せず、息を整える間もなく周囲へ視線を走らせた。
久遠寺朔也は少し後ろに立ちながら、倒れた個体の切断面ではなく、交差点全体の人の流れと、まだ逃げ遅れている数人の位置を静かに見ている。
三枝はその視線の動きに気づきかけながらも、まだ意味までは掴み切れず、ただ胸の奥に引っかかるものだけを抱えたまま周囲を見回した。
「終わってねぇな」
透が低く言ったと同時に、地面へ転がっていたエコーの残骸が、音もなくじわりと膨らんだ。
断たれたはずの装甲の縁から黒い煙のようなものが立ち上り、それが隣の残骸へ絡みついたかと思うと、砕けていたはずの輪郭が二つに割れて動き出す。
人の形を模したものが、さっきより小さく、さっきより数を増やして、交差点のあちこちで同時に立ち上がる。
「増えてやがる……」
三枝の声が思わず裏返る。
宮は振り返りもしないまま、サイズモードの刃先を一度だけ下げ、その増殖の様子を目で追った。
「倒し方が浅いと分裂するタイプか」
その声音に焦りはない。
だが、切断面をもう一度見た宮の目だけは、最初よりもわずかに険しくなっていた。
短い時間で終わらせるはずの仕事が、短く終わらなかった時の不機嫌さが、そのまま横顔に出ている。
「おい、あんたの“最短”ってやつ、ちょっと怪しくなってきたんじゃねぇの」
透が半分だけ挑発するように言うと、宮はようやくそちらへ顔を向けた。
黒と赤のマスク越しでも分かるくらい、その視線は細く、冷えている。
「怪しいのは処理の速さじゃない。厄介なのは構造だ」
言葉を切った直後、増えたエコーの一体が、逃げ遅れた母子の方へ腕を伸ばした。
宮は会話を続けるより早く地面を蹴り、ロッドモードへ変わったシジルゼッターを真横から振り抜く。
腕の付け根ごと断たれたエコーが地面へ倒れ、そのまま熱を帯びた切断面から黒煙を吹き上げて崩れた。
「下がれ。振り返るな」
母親に向けた声だけは、不思議なくらい迷いがない。
強引な言い方なのに、その場で従えば助かると分かる声だった。
礼を言おうとした女を見もしないまま、宮はもう次の個体へ走っている。
その背中を見ながら、三枝は喉の奥に引っかかっていたものをうまく飲み込めなかった。
助ける時は躊躇がない。
それなのに、さっき朔也へ向けた視線だけは、怪人に向ける時よりも冷たかった気がしてならない。
「久遠寺」
三枝が思わず呼ぶと、朔也は視線を外さないまま返した。
「なんだ」
「お前、さっきから何見てるんだよ」
問い返された朔也はすぐには答えず、増殖したエコーの動きではなく、その奥で逃げ場を失いかけている人間の位置と、道路脇へ倒れた配送トラックの角度を見ていた。
それからようやく、淡々と口を開く。
「核の位置より先に、どこで被害が広がるかを見ている」
その答えに、三枝はすぐ反応できなかった。
普通なら敵の弱点を探していると答える場面で、朔也はまず人の配置と逃げ道を見ている。
理屈としては正しいはずなのに、なぜか背筋に冷たいものが走る。
「そういう顔をするだろうな」
宮の声が横から差し込む。
いつの間にか戻ってきていたらしく、熱を帯びた刃先から黒い煙を払うように一度だけ振っていた。
透が眉をひそめる。
「まだその話するのかよ」
「する。むしろ今の方が分かりやすい」
宮はそう言って、ロッドの先端を朔也の方へ向けた。
敵意を向けているわけではない。
それでも、人を指す行為としては明確すぎるほど明確だった。
「盤面を先に見る人間は、必要と判断したら切り捨てまで出来る」
交差点のざわめきが、そこで一段低く聞こえた。
三枝は思わず朔也を見る。
朔也は反射的に怒るでもなく、否定を返すでもなく、ただわずかに目を細めただけだった。
「ずいぶんな飛躍だな」
声は静かだった。
だが、その静けさの奥で、ほんの一拍だけ息が乱れたのを、透も三枝も聞き逃さない。
「飛躍じゃない」
宮の返答は短い。
短いくせに、引く気配がまるでない。
「敵の核より先に、被害を計算する。誰を先に逃がせば全体が助かるかを、最初に考える。そういう人間は、必要なら一人を切る」
「おい」
透が一歩前へ出る。
軽口の調子はもう消えていた。
「そこまで言うのは違うだろ」
三枝も口を開きかける。
けれど、言葉は喉の途中で止まる。
違うと断じたいのに、さっき朔也が見ていたものを思い出すと、その違いを即座には言い切れなかった。
宮は透の制止を受けても、視線を外さない。
「違わない。正義感のある人間より、見えている人間の方が危険な時がある」
「……それは」
朔也がようやく言葉を返す。
だが、その出だしはいつもよりわずかに遅かった。
「結果を読むことと、切り捨てを選ぶことは別だ」
「別にしたいだけだろ」
宮の言葉は鋭く短い。
刃みたいにまっすぐで、逃げ道を作らない。
透が舌打ちし、増殖したエコーの一体へ飛び込む。
シジルドライバーへシールを装填し、ファンタジーフォームへ変わる音声が交差点に響いた。
赤い装甲が立ち上がると同時に、シジルゲッターの剣先が弧を描き、分裂した個体をまとめて薙ぎ払う。
「だったらまずは、目の前の増えてる奴らを何とかしろ!」
言っていることはその通りだが、透がわざと大きな声を出したのは、それだけじゃない。
これ以上、朔也と宮の会話が深く刺さる前に、戦場の熱で割り込ませたのだと三枝には分かった。
けれど、その間にも朔也は動かない。
いや、動いてはいる。
ただし前へ出るのではなく、増え続けるエコーの位置、一般人の逃げ道、透の踏み込み、宮の処理順、その全部を同時に追っている。
そして三枝は、宮の言葉を思い出さずにはいられなかった。
必要と判断したら、切り捨てまで出来る。
その言葉を、朔也は真正面から否定しなかった。
理屈で返した。
だが、その返し方の中にわずかな揺れが混じっていた。
「久遠寺!」
三枝が思わず呼ぶ。
朔也がそちらを見た瞬間、その目の底に疲れとも迷いともつかないものが沈んでいるのが分かった。
「お前……」
その先が続かない。
庇うにはまだ足りない。
黙るには引っかかりが強すぎる。
「そこまで言うのは違うだろ」
ようやく出たのは、その程度の言葉だった。
けれど宮はそれで十分だと言わんばかりに、三枝の方を一度だけ見た。
「違うと思うなら、見ておけ」
その一言を残して、宮はまた戦場へ戻っていく。
刃が走り、焼けた切断面から煙が上がり、増殖しかけた個体が今度こそ崩れ落ちる。
最短で終わらせるための手順だけを通す戦い方は、正しさというより執念に近かった。
透がエコーを叩き伏せながら、ちらりと朔也を見る。
その視線は責めるものではなく、問うものだった。
朔也は何も言わない。
ただ、増えていくエコーよりも先に、どこへ被害が流れ込むかをまだ見ていた。
三枝はそこでようやく理解する。
分からないのではない。
分かり始めてしまっているから、気持ち悪いのだ。
交差点の上では、まだ戦いが続いていた。
だが三枝の中では、それとは別の何かが静かに始まっていた。
朔也は、本当に危険なのか。
それとも、危険に見えるほど多くを見てしまうだけなのか。
その答えを、次は自分で見なければならない気がした。