仮面ライダートラヴァース   作:ボルメテウスさん

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陰陽の外

 翌日の夕方、大学から駅前へ向かう道は、昼の熱がまだアスファルトの底に残っているくせに、吹き抜ける風だけが妙に冷たかった。

 透は鞄を肩へ引っかけたまま歩き、隣では三枝が何度も口を開きかけては閉じるのを繰り返している。

 久遠寺朔也はいつも通り少し前を歩いていたが、その背中は昨日よりも静かで、静かなくせに何かを待っているようにも見えた。

 

「昨日のあれ、まだ引っかかってるんだよ」

 

 三枝がようやくそう言った時、声は思ったより低かった。

 軽く聞こえるように言おうとして、結局うまく誤魔化しきれなかった響きがそのまま残っている。

 

 朔也は足を止めずに、ほんの少しだけ横目を寄越した。

 

「どれのことだ」

 

「分かってるだろ、お前があの時に見てたやつだよ」

 

 三枝はそこで一度、言葉を探すように眉を寄せた。

 言ってしまえば戻れないと分かっているのに、それでも聞かずにはいられない顔だった。

 

「俺さ、あの時、お前が一瞬だけ……誰かを捨てる方を考えたように見えた」

 

 その言葉のあとに、靴底が舗装を擦る音だけがしばらく続いた。

 俺は横から二人を見るが、口は挟まない。

 たぶん今ここで変に茶化したら、三枝は二度と同じことを聞かなくなる。

 

 朔也はすぐには答えなかった。

 だが、完全に無視するつもりもないらしく、数歩だけ黙ってからようやく口を開いた。

 

「見えてしまう以上、最悪の手順も計算には入る」

 

 その答えは、否定でも肯定でもなかった。

 三枝は顔をしかめる。

 納得していないのに、想像していたよりずっと正直な返事をされたせいで、怒り方すら決めきれない顔だった。

 

「……それ、やっぱ怖ぇよ」

 

「私もそう思う」

 

 朔也の返しがあまりにあっさりしていて、今度は俺の方が少しだけ驚いた。

 三枝もたぶん同じだったのだろう。

 目を見開いたあとで、思わず立ち止まりかける。

 

「怖いと分かっているから、止まる。だが、止まっているだけで間に合うとは限らない」

 

 そこまで言ったところで、朔也の視線が前方へ切り替わった。

 俺も反射で顔を上げる。

 商店街の裏通りへ抜ける細い道の向こうで、空気の張り方が目に見えない膜みたいに変わっていた。

 

「来るぞ」

 

 短い声の直後、紙が擦れるような乾いた音が風に乗る。

 次の瞬間、路地の奥で吊るされていた提灯が一斉に揺れ、その下にいた買い物客たちが悲鳴を上げながら散った。

 

 俺たちは駆け出した。

 細い路地へ飛び込んだ時、最初に見えたのは倒れた自転車でも逃げ惑う人波でもなく、その中央に立つ見慣れた黒と赤の背中だった。

 

 炎鳥宮空――バンガルは、すでに一体のエコーへ飛び込んでいた。

 静かな術師のような姿をした怪物は、長い袖のように垂れた外套を揺らし、胸の中心で札を重ねたような刻印核を青白く光らせている。

 顔にあたる部分は仮面とも面頬ともつかず、人の表情を真似ることを最初から捨てたみたいに無機質だった。

 

「退路を空けろ、そこへ集まるな!」

 

 空の声は短いが、混乱の中では妙に通る。

 逃げ遅れた男が反射的に横へ走り出し、別の女が幼い子を抱えたまま壁際へ押し寄せる。

 だが、その次の瞬間、路地の左右へ貼られていた見えない線が青白く浮かび、逃げようとした人々を弾き返した。

 

「結界かよ……!」

 

 俺が舌打ちした時には、空がもうロッドを振り抜いていた。

 黒と赤の装甲が低く沈み、術師型のエコーへ最短距離で踏み込む。

 ロッドの先端が札の束を弾き飛ばし、返す動きで喉元を切り裂く。

 切断面は熱を持って赤く焼け、普通のエコーならそれで終わるはずだった。

 

 けれど、術師型は崩れない。

 焼けたはずの傷口が黒い紙片になって散り、その紙片が空の足元へ集まって輪を描く。

 次の瞬間、踏み込んだはずの足が、そこを境にぴたりと止まった。

 

「っ、は?」

 

 空が初めて、はっきりと苛立ちを滲ませる。

 前へ出た一歩がそれ以上進まず、引こうとした重心まで遅れて戻される。

 最短で押し切りにいった動きそのものが、結界の縁へ噛まれていた。

 

「その線を越えるな!」

 

 朔也が叫ぶ。

 俺は反射で路地の中央へ飛び込み、ファンタジーのシールをドライバーへ叩き込んだ。

 

『シジル・コンパイル! ファンタジーフォーム!』

 

 赤い装甲が身体を包み、シジルゲッターの剣先が夕方の薄い光を弾く。

 俺は空の横を抜けながら、結界の輪に直接刃をぶつけた。

 手応えはある。

 だが硬いというより、切った場所そのものが横へずれて、斬撃が空振る感覚に近い。

 

「面倒くせぇ!」

 

 力任せに押せばいける相手じゃない。

 そう思った時には、路地の奥で三枝が人を外へ出そうとしていた。

 けれど結界は見えないくせに確かにそこにあって、逃げようとする足を、同じ場所へ何度も戻している。

 

「透、左は駄目だ。結界の縁が重なっている」

 

 朔也の指示が飛ぶ。

 だがその声には、いつもの自信だけでは押し切れない迷いが少しだけ混じっていた。

 サイキックで揺れは見える。

 けれど、陰陽そのものの理屈が掴み切れていないのだと分かる。

 

 空が力任せに結界を踏み抜こうとした。

 カワソリマズルを叩いたのか、ロッドの先端に熱が走り、焼き切るみたいな軌道で境界を裂こうとする。

 一度は押し切りかけた。

 見えない膜が歪み、青白い線が乱れる。

 

「そのまま行けるか――」

 

 俺が言いかけた瞬間、結界の文様が反転する。

 路地の壁に貼られていた見えない線が一斉に向きを変え、空の踏み込みそのものを内側へ折り返した。

 押し切るはずの力が、逆に自分の足場を奪われる形で止まる。

 

 空が苛立ち混じりに舌打ちする。

 強い。

 速い。

 それでも、この相手にはその強さの使い方が噛み合っていない。

 

「ちっ……術式で流れを返してやがるのか」

 

 その言葉を聞いた瞬間、三枝が結界の縁で足を止めたまま、路地の入口からこっちを見た。

 

「久遠寺! さっきから同じ所で戻されてるの、あそこだけじゃねぇ!」

 

 朔也が振り向く。

 三枝は必死に腕を振りながら、結界に押し返された人たちの足元を指した。

 

「右の八百屋の前も、その奥の電柱んとこもだ! 線じゃなくて、点みたいに止まってる!」

 

 その言葉を聞いた瞬間、朔也の目が変わる。

 見えていた揺れに、初めて意味が噛み合った顔だった。

 

「……固定点か」

 

 小さく呟いたあと、朔也は俺へ向けて声を飛ばす。

 

「透、結界そのものじゃない。止めているのは路地の四点だ。右奥の提灯、左の自転車、電柱の根元、それから八百屋の看板だ」

 

「最初からそう言えよ!」

 

 叫び返しながら、俺は剣を横へ払う。

 提灯を切り落とし、自転車を蹴り飛ばす。

 その間に空がロッドを短く持ち直し、電柱の根元へ叩き込んだ。

 最後の看板だけがまだ残る。

 

 術師型のエコーが袖を翻し、札のような紙片を宙へ散らす。

 だが、その札の動きより先に、朔也の声がまた飛んだ。

 

「三枝、そこを動くな。今のお前の位置だけは縁の外だ」

 

 三枝は一瞬だけ固まった。

 けれど次の瞬間には、迷いより先に声を返す。

 

「だったら、お前が見えてる方を信じる!」

 

 その一言は、励ましとしては不器用だった。

 熱い言葉でも、格好いい台詞でもない。

 それでも、朔也の肩がそこでほんのわずかに緩んだのを、俺は確かに見た。

 

「……分かった」

 

 朔也が短く返す。

 その声には、さっきまで混じっていた迷いが少しだけ薄れていた。

 

 俺は最後の看板へ飛び込み、シジルゲッターを振り抜く。

 木片と紙片がまとめて裂け、同時に見えない膜が破れるような感触が路地全体へ広がった。

 押し返されていた人々が、一斉に前へ崩れるように逃げ出す。

 

「今だ、退路が開いた!」

 

 空がその瞬間を逃さない。

 さっき結界に止められた苛立ちを、そのまま一直線の踏み込みへ変えて、術師型エコーの懐へ入る。

 ロッドの先端が胸の刻印核を叩き、返す一撃で首元へ熱を残す。

 エコーはぐらりと揺れたが、完全には崩れない。

 

 黒い紙片が再び集まりかける。

 陰陽の厄介さはまだ終わっていない。

 

「今回はここまでだな」

 

 空が低く吐き捨てるように言う。

 勝ち切れていない声音だった。

 術師型のエコーはそのまま紙片へほどけ、路地の奥の暗がりへ吸い込まれるように消えていく。

 

 あとに残ったのは、焦げた札の切れ端だけだった。

 朔也がそれを拾い上げる。

 紙の表面には、見たことのない紋が細く走っている。

 

「陰陽、か」

 

 その声は小さい。

 だが、夕方の薄暗い路地では妙にはっきり聞こえた。

 

 空が振り返る。

 いつものように礼も感謝も求めない顔のまま、その札を見て目を細めた。

 

「嫌いな手合いだ。速いだけでは終わらせられない」

 

 珍しく、自分の不得手をそのまま認める言い方だった。

 俺はそれを聞きながら、朔也の横顔を見る。

 三枝もたぶん同じ方を見ていた。

 

 さっきの一言だけで全部が変わったわけじゃない。

 けれど、見えてる方を信じる、とあいつは言った。

 それはきっと、朔也にとっては想像以上に重い後押しだったはずだ。

 

 路地の奥から吹いてくる風が、焦げた紙の匂いを運んでくる。

 陰陽の案件は、まだ終わっていない。

 むしろ今ようやく、姿を見せ始めたばかりなのだと、その札の薄さが逆に教えていた。

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