結界は、音を食っていた。
風の流れはある。だが葉擦れの気配がない。
空気は動いているのに、世界が止まっている。
「……嫌な感じだな、これ」
旅坂透は低く呟いた。軽口はあるが、声の奥に余裕はない。
視界の端で、空間が“折れている”。
目に見える歪みではない。
だが、確かにそこに“境界”がある。
「逃げ道、全部潰されてる」
三枝が言う。
震えているが、目は逸らしていない。
「正解だ。閉じられている」
久遠寺朔也は、視線を動かさず答えた。
彼の瞳は、既に戦闘ではなく“盤面”を見ている。
その瞬間。
黒と白が、揺れた。
陰陽エコー。
それは人の形をしていない。だが“意味”としてそこに立っている。
符が空中に浮かび、線ではなく“関係”として結ばれる。
「――行く」
短く、炎鳥宮が踏み込んだ。
バンガルの脚が地面を抉る。
最短距離。最短動作。最短殺意。
だが。
刃が届く直前、空間が反転した。
「……っ」
斬撃は“逸れた”のではない。
“返された”。
熱が、逆流する。
宮が後退する。浅い。だが確実に“通っていない”。
「相克……か」
朔也が呟く。
だが、その言葉は解答ではない。
理解はしている。
だが、触れない。
「透!」
「分かってる!」
トラヴァースが前に出る。
シジルドライバーに手をかける動作は、迷いがない。
『ファンタジー』
剣が展開される。
赤と黒。
旅人のマントが揺れる。
「――いいね。分かりやすい方が助かる」
軽く笑う。
だが、その目は完全に戦場のものだ。
踏み込む。
観る。
受ける。
そして――折る。
斬撃が結界に触れる。
だが。
同じだ。
力は流され、別の位置へ逸らされる。
「……チッ」
透が舌打ちする。
これは“強い”ではない。
“通らない”構造だ。
「……おかしい」
三枝が、ぽつりと呟いた。
誰も反応しない。
だが彼は続ける。
「線じゃない。これ……止まってる場所がある」
朔也の瞳が、僅かに揺れた。
「……何?」
「全部繋がってるわけじゃない。
“ここ”で止まってる」
指差した先。
空間の一点。
何もない。
だが――
「……固定点」
朔也が、理解する。
だが。
理解しただけでは、意味がない。
彼は、それを知っている。
「久遠寺」
宮が言う。
「見えてるなら、使え」
短い言葉。
だが、それは命令ではない。
選択の強制だ。
朔也は、目を閉じる。
見えている。
分かっている。
だが、それを“動かす”ことは――
資格がない。
そう思っていた。
だが。
「……違うな」
静かに、呟く。
それは否定ではない。
更新だ。
「資格じゃない。これは――責任だ」
手が、ドライバーに伸びる。
『オンミョウ』
音声は静かだった。
だが、空気が変わる。
白と黒が重なり、剥がれ、巡る。
紙が舞う。
鳥の形を取る。
式神。
それは“飛ぶ”のではない。
なぞる。
「……そこか」
朔也が言う。
式神が、結界の縁を滑る。
見えていたものが、触れるものに変わる。
「透」
「あいよ」
短い返答。
「通す。三秒」
「十分だ」
透が笑う。
式神が札を運ぶ。
結界の“結び目”に触れる。
相克が、ずれる。
流れが、歪む。
「今だ!」
透が踏み込む。
ドラゴンマズルを叩く。
『マズル・チャージ!』
熱が走る。
『ドラゴン・ブースト!』
出力が跳ね上がる。
「――これで、終わりだ!」
跳ぶ。
一瞬、空中で静止する。
そして――落とす。
『レリック・ライダーキック!』
衝撃。
今度は、返らない。
竜の顎が、空間ごと噛み砕く。
沈黙。
結界が、崩れる。
音が戻る。
風が流れる。
「……終わりか」
宮が言う。
短く、確認だけ。
「終わったな」
透が答える。
軽い声だ。だが、息は荒い。
「久遠寺」
三枝が呼ぶ。
朔也は振り返る。
「止まらなくていいんだな」
その言葉に、朔也は少しだけ考え。
「……ああ」
短く答えた。