数日が経過し、ようやく日常と呼べるものを取り戻すことができた。
陰陽エコーという、これまでとは明らかに異質な存在との戦闘を経た影響なのか、気づけば俺たちは以前よりも三人で行動する時間が増えていた。
それが変化と呼べるほどのものなのかは分からないが、少なくとも“誰かといること”を選ぶ頻度は確実に上がっている。
そんな中で、昼食を取っていた時のことだった。
「新入生の歓迎会!行こうぜ!」
三枝の声はいつも通り無駄に元気で、周囲の空気を無視する勢いがある。
「……いきなり何を言っているんだ」
俺は白飯と唐揚げという、財布に優しすぎる構成の昼食を口に運びながら、呆れ半分で返す。
「いいか、大学生活に入ってから既に数ヶ月が経っている。このままでは何も始まらない。つまり俺は、そろそろ彼女を作るべき時期に来ているというわけだ」
「……その理屈はよく分からないが、少なくとも俺は遠慮しておく」
軽く肩をすくめて答えると、三枝は露骨に不満そうな顔をした。
「お前、こいつが少し前に面倒なタイプのライダーに絡まれた件を忘れたのか」
横から朔也が静かに言う。
「あっ……いや、覚えてる覚えてる!でもさ、それを引きずってても仕方ないだろ?だからこそリセットだよ、リセット!」
「いや、まぁ……言いたいことは分かるけどな」
苦笑する。
実際、ああいう出来事に慣れてしまっている自分がいるのも事実だった。
異世界を渡り歩く中で、普通の人間なら一度で嫌になるようなことも、それなりに経験してきた。
だからこそ、“普通の関係”というものに対して、どう距離を取ればいいのか分からなくなる。
「……なるほどな」
三枝が妙に納得した顔で頷く。
多分、半分も理解していない。
そして、その日の夜。
俺たちは大学近くの居酒屋の前に立っていた。
暖簾の向こうから漏れ出る喧騒と光は、いかにも“大学生らしい時間”を象徴している。
「……思ったより普通だな」
「何を期待していた」
「いや、もうちょいこう……事件の匂いとか?」
「それを期待している時点でおかしい」
三枝が笑いながら背中を押してくる。
「ほらほら、今日は何も考えずに楽しむ日だって!」
「はいはい」
半ば流される形で店の中へ入る。
中は予想通り、雑多で騒がしく、誰かの声と誰かの笑いが重なり合っていた。
グラスの触れ合う音と油の匂いが混ざり、どこか落ち着かないが、それでも“平和”と呼べる空気がそこにはある。
――普通だ。
そう思った、その瞬間。
ほんの一瞬だけ、音が途切れたような感覚があった。
気のせいかと思うほどの僅かな違和感。
だが、確かに“何かがズレた”。
「……」
無意識に箸が止まる。
「どうした?」
「いや……ちょっとな」
周囲を見回す。
特に異常はない。
誰も気づいていない。
だが、感覚だけが残る。
――陰陽の時に似ている。
だが、もっと薄い。
「はい、こっち空いてるよ」
柔らかな声に呼ばれて、視線を向ける。
そこにいたのは、白を基調とした落ち着いた雰囲気の女性だった。
「新入生?……じゃないよね」
「二年です」
「そっか。じゃあ先輩だね」
自然な距離感で笑う。
押しつけがましさがないのに、不思議と場の空気が整う。
「ちゃんと食べてる?」
不意に、俺へと向けられた言葉。
「え?」
「なんとなく、そういうの疎かにしそうだなって思って」
「初対面でそこまで見抜くの、なかなか鋭いですね」
軽く返すが、その実、少しだけ警戒していた。
この人は、ただ見ているわけじゃない。
“馴染んでいる”。
その瞬間、再び。
空気がわずかに揺れた。
グラスの水面が、ほんの少しだけ波打つ。
今度は確信できる。
これは偶然ではない。
顔を上げる。
そして、目が合う。
言葉は交わさない。
だが、それで十分だった。
互いに理解する。
――ああ、この人も“こちら側”だ。
帰り際。
店の外で、夜風に当たりながら別れを告げる。
「気をつけて帰ってね」
「どうも」
そのまま離れようとした時、声がかかる。
「ね」
振り返る。
「無理、してない?」
「……何の話です?」
「なんでもない」
それ以上は踏み込まない。
ただ、優しく笑うだけだった。
帰り道。
「いやー、楽しかったな!」
三枝は上機嫌で歩いている。
朔也は何も言わないが、考え込んでいるのは分かる。
俺は少しだけ空を見上げてから、口を開いた。
「……あの人、多分“同じ側”だな」
「だろうな」
短い返答。
それだけで十分だった。