「――あれ? 野生のポケモンがいないね」*1
「ふふん、遊撃士エステルさんに恐れをなしたか」
「まだなってないでしょ。大体、恐れをなすならハルトたちにだよ」
「……え、僕?」
出発してすぐ、突然矛先を向けられたハルトはぎょっとする。それも当然だろう。野生のポケモンが出てこない理由が自分にあるなどと言われれば、驚かないはずがない。尤も、ヨシュアはその反応に呆れたようなため息をついたが。
「ワカモの力は、この辺りのポケモンとは比べものにならないからね。そんなワカモが戦っていたら、本能的に避けようとするさ」
「あー⋯⋯それは、まあ⋯⋯」
気まずそうに納得するハルト。このエリーズ街道には多数の野生ポケモンが生息しており、普段であればそこそこの頻度で遭遇する。しかし、彼らのLvは決して高いとは言えず、ワカモ相手では全く勝負にならない。誰だってアーボ……いやさ、アーボックやジャローダの潜む藪を突きたくはないだろう。言い訳のしようもなく、正真正銘、自分たちが事の原因だった。
「もうすぐ到着ね⋯⋯試験かぁ」
ロレント市の門が近づくにつれ、エステルの歩みは少しずつ鈍り、さっきまでの勢いもどこかへ消えていく。どうしたんだろう、と事情を知っていそうなヨシュアの方を見れば、彼はやれやれとばかりに肩を竦めた。
「エステル、試験のことを完全に忘れてたんだよ」
「⋯⋯あれだけシェラさんが言ってたのに?」
「うん」
「⋯⋯⋯⋯えっと、その⋯⋯エステル? 補習、頑張ってね?」
「大丈夫よ、何とかなるって♪ ……たぶん」
言葉尻に自信のなさが滲んでいる。試験の内容は、研修が身に付いているかどうかを確かめるためのテストだと知らされている。別に難しい数学問題や文章読解を課されるわけではないが――そもそもエステルは座学の類が大の苦手だ。本人曰く、「全身を使わない作業って何だか眠くなってくるのよね~」とのこと。
微妙に暗雲が立ち込めるのを感じつつ、ほどなくしてハルトたちはロレント市に辿り着いた。
――ロレント市*2
「ちょうどいい時間だね。早すぎもせず、遅すぎもしないってとこかな」
門を潜り抜け、まず目に入るのは市の中央に位置する時計塔。ロレント市のランドマークであるこの時計塔の足元には、背中に一対の翼を生やしたアブソルの像が佇んでいる。
現在は午前8時45分を少し過ぎたところ。集合時間は午前9時なので、ヨシュアの言う通り、ちょうどいい時間だ。5分前行動は基本中の基本。一流の人間は不測の事態に備え、30分前行動で十分な余裕を持つらしいが、そこまでしなくても問題はないだろう。
「うう、教会の日曜学校を卒業したばっかりなのに……
「ポケモンと関わる以上は一生勉強の連続だよ。日々新しい技や特性、技術、戦術⋯⋯いろんなものが生み出されているんだから。置いていかれないように、僕たちも必死に付いていかないと」
「そういうこと。……それに、研修だって今日が最後じゃないか。好きで志望したんだから、このくらい苦労して当然だよ」
肩を落とすエステルに、ハルトは容赦なく現実を突きつける。ポケモントレーナーの道に終わりはない。自分を信じて戦ってくれるポケモンたちのため、常に研鑽を続け、可能な限り最善を尽くす。それこそが、ポケモントレーナーとして在るべき姿だと、ハルトはそう考えている。
一方、ヨシュアは厳しさの中にも励ましを含ませた言葉をかけた。研修――つまり座学は今日の試験で終わりなのだ。もうひと踏ん張りだと、尻込みするエステルに檄を飛ばす。
「それもそっか。⋯⋯よし! 最後くらい気合いを入れてシェラ姉のシゴキに耐えるぞっ!」
「気合い、入ったみたいだね。それじゃあ、すぐそこにある
「うーん……まだ時間もあるしさ、ちょっと寄り道して町のみんなに挨拶するのはどうかな?」
「ハルト、ナイスアイデア! いい感じにリラックスできそう♪」
気が抜けているのは問題だが、入りすぎて空回りするのもまた良くない。ここは真っ直ぐ向かうよりも、日常という小さな間を挟むほうが、エステルも――自分たちも、きっと最大限の力を発揮できるはずだ。
「やあ、三人とも。今日もギルドの研修かい?」
「おはよっ、おじさんたち! そーそー、ついに今日で最後なの!」
「ちゃんと受かれば、ね」
「合格できなかったら、みっちり補習だってシェラさんが言ってたしねぇ⋯⋯」
歩いていると、町の人たちが気さくに声をかけてくる。いくつか言葉を交わしながら数分ほど散策し、気持ちが落ち着いたところで、ハルトたちは改めて遊撃士協会の建物へと足を向けた。
――遊撃士協会・ロレント支部
「あら、おはよう」
「アイナさん、おはよう!」
「おはようございます」
「おはよう、アイナさん」
ロレント支部の受付――アイナ・ホールデン。金のミディアムヘアに、ブルーサファイアのように澄み切った深い青色の瞳。三人とも顔馴染みの彼女は、普段通りの笑顔で迎えてくれた。
「ツボ!」
「ツボツボもおはよう!」
あちこちに穴が空いた赤い甲羅と、甲羅の穴から伸びる頭部と四本足が特徴の亀に似た体型のポケモン。大人しく臆病な性質で、野生の個体は外敵から身を守るため、足先から分泌する体液で岩をくり抜き、その下に身を潜めている。甲羅の中に蓄えた木の実を食べながらひっそりと暮らしているが、それらの木の実とツボツボの体液が混ざり発酵することで、ドロドロとした美味しいきのみジュースになる。
リベール王国には本来生息していないポケモンなのだが――外面の良さとは裏腹に、アイナには相当な酒豪の一面がある。おそらくは旅行先かどこかで捕まえてきたのだろう。
「アイナさん。シェラさんはもう来てますか?」
「ええ、二階で待ってるわ。今日の研修が終われば、晴れて遊撃士の仲間入りね。三人とも頑張って」
「うん、ありがとう!」
「頑張ります」
「行ってきます!」
階段を上り、二階へ。広々とした部屋で一人、机の上にタロットカードを並べる銀髪の女性――シェラザード・ハーヴェイ。その髪色から《銀閃のシェラザード》の異名で知られる、若手遊撃士の中でも一、二を争う実力者だ。エステル経由で知り合った彼女とは、ハルトもかれこれ十年以上の付き合いで、先達として指導教官を務めてくれている。
「『星』と『吊し人』⋯⋯『隠者』と『魔術師』⋯⋯そして逆位置の『運命の輪』⋯⋯これは難しいわね。どう読み解いたらいいのか⋯⋯」
タロット占いは、タロットの解釈次第で様々な結果を示す。カードの位置関係、上下左右の配置、他のカードとの絡み方など、数々の要素をもとに、占い師は直感と知識、洞察力を駆使して未来を読み解く。悩みながらカードを眺めていたシェラザードは、足音に気づいて顔を上げた。
「シェラ姉、おっはよー!」
「あら、エステル。珍しいわね。こんな早くに来るなんて」
「えへへ、最後の研修くらいはね」
ほか二人――主に
「とっとと終わらせて、遊撃士になってやるんだから!」
「はあ⋯⋯いつも意気込みはいいんだけど。⋯⋯ま、その心意気に応えて、今日のまとめは厳しく行くからね。覚悟しときなさい」
「え~っ、そんなぁ⋯⋯」
「お・だ・ま・り」
目を瞑り、腕を組むシェラザード。彼女の眉間には、深い――本当に深いシワがくっきりと刻まれる。
「毎回毎回、教えたことを次々と忘れてくれちゃって⋯⋯そのザルみたいな脳味噌からこぼれ落ちないようにするためよ」
「え~ん、ヨシュアぁ! シェラ姉がいぢめるよ~!」
そういうところよ、とでも言いたげなジト目でエステルを睨むシェラザード。ハルトも幼馴染として助け舟を出そうとしたが、物覚えの悪さをすぐ側で見てきた身としては、何も言えない。
「大丈夫ですよ、シェラさん。エステルって、勉強が嫌いで予習復習も滅多にやらないけど⋯⋯ついでにむやみにお人好しで余計なお節介が大好きだけど⋯⋯勘の良さはピカイチだから、オーブメントもポケモンの指揮も実戦で覚えます」
「はぁ。こうなったら、それに期待するしかないわね⋯⋯」
若干諦め気味にうなだれるシェラザード。ヨシュアのフォローも、果たしてフォローになっているのかいないのか、かなり怪しい。精一杯フォローしようとしているのは分かるのだが……。
「ちょっとヨシュア⋯⋯なんか全然フォローしてるように聞こえないんですけどっ?」
「心外だな。君の美点を正直に言ったのに⋯⋯」
「あ、あははは⋯⋯まあまあ。エステルは理論より感覚派ってことで、ね?」
「ハルトまで⋯⋯まったくもう⋯⋯」
エステルもフォローされたとは感じなかったようで、頬をぷくりと膨らませ、不満そうにこちらを見つめるが⋯⋯それも数秒。切り替えの早さもエステルの長所の一つ。机に視線を落とし、シェラザードへ問いかける。
「あ、ところでシェラ姉。タロットで何を占ってたの? なんだか難しい顔してたけど⋯⋯」
「ああ、これね。近い将来、身の回りで起こることを漠然と占ってみたんだけど⋯⋯ちょっと調子が悪いみたい。読み解くことができなかったわ」
「読み解くことができない?」
「正位置の『星』は⋯⋯たしか希望で。才能の開花を意味する『魔術師』⋯⋯軽く見た限りだと、悪くない結果に見えますけど⋯⋯」
「⋯⋯そうね。でも、あまりに意味深な形になると、逆に解釈に困ることがあるのよ」
門前の小僧、習わぬ経を読む――とはよく言ったもので、タロット占いに触れているうちに、おおよそ意味は把握している。『吊し人』は修行と忍耐、『隠者』は理想の追求。素人目線では「希望を抱き、修行の果てに開花する」くらいに見えるのだが……。或いは、裏向きに伏せられた五枚目のタロットに、なにかあるのかもしれない。
「まあ、それはいいわ。最後の研修を始めるわよ」
ハルトの手持ち
・ワカモ (アブソル)