戦場の死神と呼ばれた元傭兵の俺、ハメられて貴族令嬢の護衛になる 作:嵐山田
マクスフーと別れた後で俺が部屋の前に戻ってくると、中で微かに殺気がこちらへ向けられたのが分かった。
ほう……この殺気、ユミアも中々やるな。
ただ死に場所を求めてさまよい歩いていたあの頃には絶対感じられなかった気迫。
今は騎士ではなくメイドだが、それでも衰えたりはしていないようだな。
しかし、そんな殺気もすぐに抑えられ、僅かに扉が開かれる。
「戻ったか」
「ああ、悪いが着替えを頼めるか。血は付いてないが、お前と同じベッドを使う手前、流石に変えておきたい」
「――! あ、ああ、分かった。少しそこで待っていろ」
ボッと音が鳴るように顔を赤くしたユミアが飛ぶようにドレッシングルームへ入ると、顔を背けながらズイっと着替えを手渡してくる。
「お、音を立てるなよ! ベッドへもお嬢様のご就寝を妨げないように静かに入って来い!」
「……お前の声で起きちまいそうだがな」
「――っ! は、早くしろ!」
依然として顔は背けたままに、こちらへ服を押し付けたユミアは足音を殺しながらも素早く寝室の方へ戻って行った。
「……初心って年齢でもないだろうに」
そんな後姿に思わず、そんな言葉が口を吐く。
すると……。
寝室の扉に手を掛けたユミアがこちらを振り返り――
「……誰のせいだ!」
キッと睨みつけながらそう言って、イシス嬢を起こさない範囲かつ、最大限の力で強めに扉を閉めた。
「……?」
俺に学がないせいか言葉の繋がりに妙な違和感を覚えたが、まぁいい。
さっさと着替えて眠るとしよう。
イシス嬢は寝坊には厳しいからな。
いつも通り数十秒の早わざで着替えを終えると、音を立てないように寝室へと入る。
相変わらずイシス嬢はその大きなベッドの大半を持て余す位置に行儀の良い寝相で眠っており、隣りのベッドに眠るユミアもイシス嬢の方を向きながら体を小さくして目を閉じていた。
「入るぞ?」
「……」
雰囲気からユミアがまだ起きていることは明白だったため一言声を掛けるも、返答はない。
ま、良いんだけどよ。
「……そういや、さっきの気配だけどよ。アラゴンの回し者だったぞ」
俺がそう言えばユミアの肩がピクっと跳ねた。
「……捕らえたのか?」
ユミアはさすがにこの話に無反応と言う訳にはいかなかったのか、体勢を反転させる。
「ああ、つっても解放したがな」
「何っ――!?」
一瞬だけ濃密な殺気がこちらに向けて放たれる。
凄まじく鋭利で研ぎ澄まされた殺気。
とてもメイドの出して良い迫力ではないが、残念ながら俺にはその程度何の脅しにもならない。
まあ、それに早とちりだしな。
「まぁ、そうカッカすんな。大丈夫だ、相手が知り合いの情報屋だったから寝返らせただけだ」
「寝返らせる? アラゴンに雇われているような情報屋をか?」
「ああ、あいつは知り合いだったからな。それに貴族家に骨を埋めるようなタチでもねぇ」
「そのような者をアラゴン家が雇うとは思えないが……」
尚もユミアは不審そうな顔をしている。
だが、誰を前にして物を言っているのか。
「そんなこと言ったら、レティシア家だってまさか俺を雇うとは誰も思わねぇよ」
「……。――っ!」
一瞬何のことだ? と言う顔をして見せるユミアだったが、俺の言わんとせんことを理解するや否や何故か下を向いて布団に顔を埋める。
「なんだ? もう俺はここにいるのが当たり前に感じてたってか?」
からかい半分に言ってみれば、顔は布団に埋めたままのユミアの手がこちらへ伸びてきて、俺の服の裾を掴んだ。
「……今更、傭兵に戻りたいとか……言うのではないだろうな?」
「……」
言いながらこちらを向いたユミアの瞳は真剣さと不安、そんな二つの感情に揺り動かされている。
急になんだって言うんだ、コイツは。
ったく、からかい甲斐のない……。
余りに真っすぐな感情に鼻の頭辺りがむず痒くなる。
「言わねぇよ。それに俺は契約でイシス嬢の成人までは逃げられねぇからな。どちらにせよ叶わない話だ」
「……そうか。………………なら、良い」
俺の言葉を聞いて露骨にホッとしたような表情を浮かべるユミアだったが、すぐに恥ずかしいことを言ったと気が付いたのか、二言目はかなり弱々しい言葉になっていた。
しかし、恥ずかしそうにしていても、ユミアの右手は俺の服を放そうとしない。
「……おい、寝にくくねぇのか?」
「……朝になったら……セルセトはどこかに行ってしまうかもしれないからな」
「行かねぇって言ったろ?」
「……あの日は、いなかった」
「――!」
コイツ……。
「……じゃあ、こうしてやる、よっ!」
「――な、は? きゃっ!」
短く軽い悲鳴。
しかし、俺はそんなことには構わずユミアの肩に手を回すとグッとこちらへ抱き込んだ。
「な、な、何をしているセルセト! は、離せっ!」
俺の腕の中へすっぽりと収まったユミアの耳は暗い中でも赤くなっていることが分かるほどだ。
「俺が居なくなるかもしれないって不安なんだろ? じゃあ、朝までこうしておいてやるよ」
「――っ! くっ! このっ!」
「おいおい、あんまり暴れるとイシス嬢が起きるぜ?」
「くっ、外道め」
「ははっ! 何とでも言え」
口では強い言葉を使っているが、腕の中では毛ほども抵抗しなくなったユミア。
ここにイシス嬢がいなかったら……おっと、今そっち方面を考えるのは止めておこう。
………………。
しばしの沈黙。
イシス嬢の穏やかな寝息だけが寝室に聞こえていた。
「……んじゃ、寝るか」
「……ああ。……お休み、セルセト」
俺の腕を解いて離れるかと思ったが、ユミアはそのまま全身の力を抜き、こちらへ身を委ねるようにしてもう一度目を閉じた。
正直に言えば、あまり眠りやすい体勢とは言い難い。
だが、今はこの腕にかかる重みを不思議と邪魔だとは思わなかった。
まあ、なんにせよ、戦場帰りの元傭兵からしてみれば個室にベッドなんて考えられないくらいの天国だから問題はないわけだが……。
なんて、そんなことを考えながら、俺も目を閉じた。
◇◇◇
「……トっ! セルセトっ! 起きてください!」
小さく可憐な手で必死に俺の身体を揺するのはイシス嬢。
……従者としたことが、主に起こされるとは。
「悪いな、イシス嬢……ユミアが起こしてくれると思ったんだが……」
眠い目をこすり起き上がろうとすれば、何やら温かく重たい感触が左手を包んでいることに気が付いた。
……まさか?
「ふふっ、私も眠っているユミアの姿は始めて見ましたわ!」
イシス嬢の視線の先、俺の左側で膨らむ布団からは心地よさそうな顔で眠るユミアの顔が見えていた。
「ベッドが狭いのでは、と、心配していましたが、良く休めたようで良かったですわ」
「悪いな……ほんと」
「良いのですわ! いつもユミアにはお世話になりっぱなしでしたし、特にここに来るまでの道中ではほとんど落ち着いて眠れていなかったはずですから」
少しだけ申し訳なさそうな色がイシス嬢の顔に差す。
そうだよな。
イシス嬢の話は俺にこそ共有されたが、レティシア家内でもトップシークレット扱いだった事柄。
今回の同行者でどれだけの人物がイシス嬢の話を知っているかは分からないが、少なくとも専属として付いてきているユミアの責任感はかなり重たかったはずだ。
「イシス嬢が気にすることじゃないさ。それにユミアだって、頼られることに喜んでるはずだぜ?」
「そうでしょうか?」
「ああ、間違いない。だから、これからも遠慮せずに頼ってやってくれ」
「分かりました。ですが今はもう少し寝かせてあげましょうか」
慈愛なんて言葉がぴったりな表情で微笑むイシス嬢。
だが、申し訳ないがこれ以上ユミアを寝かせて置くわけにはいかない。
もう、十分に大怪我な状況だが、これ以上傷を広げるのはきっと彼女の自尊心に関わる。
「いや、イシス嬢。時に優しさってのは、全てを貫く矢にもなり得るんだ」
「? どういうことでしょう?」
「まあ、見ててくれ」
困惑の表情を浮かべるイシス嬢を傍目に俺はユミアへと向き直り、その肩をガシっと掴む。
そして――
「おい、ユミア! 起きろ! イシス嬢も俺ももう起きてんぞ!」
気持ち強めに揺さぶれば、眠気眼の気の抜けたユミアが焦点の定まらない瞳でこちらを見る。
「せるせと……? いまは……」
その瞳は段々と焦点を捉えていき、すぐに俺の後ろに立つイシス嬢をも捉える。
「何時――っ! お嬢様っ!?」
「おはようございますユミア。私はもう少し寝かせてあげたかったのですが……」
イシス嬢の穏やかな表情とは正反対にどんどんと青くなっていくユミアの表情。
そして、昨晩の様子が考えられないほどの力で両肩に置かれた俺の手を振り払うと、地面に頭が付くんじゃないかと言うほどの勢いでイシス嬢に頭を下げた。
「申し訳ございませんでしたお嬢様! まさか、セルセトではなく、この私が寝坊をしてしまうとは……」
おい、なんで引き合いに俺を出した?
「ふふ、なるほど、こういうことでしたか」
すると、イシス嬢は納得がいったと言う顔でこちらに目配せをしてくる。
「良いんですよユミア。今日まで、あなたには無理をさせてしまいましたから。ゆっくりと休んでもらえた方が私も嬉しいですわ」
「……大変、申し訳ございません。すぐに準備をして参ります」
「はい。お願いしますね」
イシス嬢の言葉にようやく頭を下げるのを辞めたユミアは寝室の扉を出てから、一度こちらを振り返り恨めしそうな目でこちらを睨んできた。
「さて、俺も準備するかな」
「……セルセト、寝る前と服装が違いませんか?」
俺がベッドから起き上がると、その様子を見ていたイシス嬢が不意に呟いた。
……流石はイシス嬢、目ざとい。
だが、本当のことを言う訳にも行かないし……お、そうだ!
「イシス嬢、これはな、男女でベッドに入ると良くあることなんだぜ」
あえて、隣のドレッシングルームにも聞こえるように扉に手を掛けながら言ってみれば、
「……? そうなのですか?」
純粋なイシス嬢は何のことでしょう? とでも言いたげな表情を浮かべ、
「――っ! セルセト、貴様ァ!!!」
隣のドレッシングルームからユミアの怒号が飛んできたのは言うまでもない。