この素晴らしい世界に滅却師の王を!   作:sk20100626

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第10話 魂の対話

「九日間で、世界を取り戻す」

 

皇帝、佐藤継嗣が放ったその宣言は、アクセルの街の影から染み出し、音もなく世界全土へと伝播していった。 奪還の二日目。 『氷の宮殿(ジルバーン)』の広間には、白銀の外套を纏った数千の聖兵(ゾルダート)、そしてその先頭に立つ星十字騎士団(シュテルンリッター)が集結していた。

 

「我が子らよ。夜は明けた。……これより九日間、貴様たちの忠義を、この世界の歴史という名の紙に刻み込め」

 

継嗣は玉座に座したまま、穏やかに、しかし抗いがたい威厳をもって命じた。 その口調は、かつての焦燥に満ちた転生者のものではない。九年の眠りを経て、万物の父としての慈愛と冷徹さを併せ持った、真なる王のそれであった。

 

「ハッシュヴァルト。貴様は騎士団の半数を率い、王都へ向かえ。……かの地には、腐敗した秩序の残滓と、未だ輝きを失わぬ『正義』の火が燻っている。それらを我が影の秩序へと塗り替えよ」

 

「御意、陛下。このハッシュヴァルト、陛下の進む道に立ち塞がる不均衡を、ことごとく調和させて参ります」

 

ハッシュヴァルトが剣を掲げると、騎士たちが次々と影の中へと沈んでいく。 バズビー、リルトット、アスキナらも、それぞれの攻略目標へ向けて進軍を開始した。 かつて泥を啜っていた孤児たちが、今や一国の軍隊を凌駕する死神の軍勢として、地上へと放たれた。

 

王都エルロード。 魔王亡き後、平和を謳歌していたこの美しき都は、突如として出現した「影」の侵食に震えていた。 王城の正門前。黄金の鎧を纏い、伝説の聖剣を携えた少女――アイリス王女が、王国最強の騎士団を率いて立ちはだかっていた。

 

「正体不明の軍勢よ! 止まりなさい! 貴方たちがどこの何者であろうとも、この国の民の安寧を脅かすことは許しません!」

 

凛としたアイリスの声が響く。だが、その前に現れたのは、感情の機微を一切排除したかのような、美しい白髪の青年であった。

 

「……勇ましき王女よ。貴様の視ている『安寧』は、影の犠牲の上に成り立つ砂上の楼閣に過ぎない」

 

ハッシュヴァルトは静かに剣を抜く。 「私の名はユーグラム・ハッシュヴァルト。陛下の代行者にして、不均衡を裁く者。……貴様たちの掲げる『正義』が、どれほどの重みを持つか、我が天秤で計らせてもらおう」

 

「不遜な……! 全軍、突撃!」

 

アイリスの号令と共に、王国の騎士たちが一斉に斬りかかる。 だが、ハッシュヴァルトは動かない。 彼の頭上に、黄金の天秤が浮かび上がる。

 

「『世界調和(ザ・バランス)』」

 

王国の騎士たちが放つ「幸運な一撃」は、天秤の傾きによって即座に相殺され、彼ら自身への「不運」として跳ね返った。 剣は折れ、馬は躓き、放たれた魔法は術者の手元で爆発する。 戦場に響くのは、王国の正義が瓦解していく悲鳴であった。

 

「な……!? 何が起きているのですか……!?」 アイリスが驚愕に目を見開く。 彼女の聖剣が放つ神聖な光すらも、ハッシュヴァルトの放つ静かな霊圧に、吸い込まれるように消えていった。

 

一方、静まり返った『氷の宮殿』の玉座の間。 継嗣は独り、自らの指先を見つめていた。

 

「……全知全能(ジ・オールマイティ)を、未だ視ることは叶わぬか」

 

彼は静かに意識を集中させる。 かつての自分であれば、指先一つで王都の未来を書き換え、ハッシュヴァルトが剣を抜く必要すらなく、アイリスを跪かせることができた。 だが、今の彼にできるのは、強大な霊子の放出と、空間の極小的な操作、そして滅却師としての基本能力のみであった。

 

「今の私にできて、九年前の私にできなかったこと……。それは『魂の対話』だ」

 

継嗣は自嘲気味に微笑んだ。 九年前、彼は全能の力に酔いしれ、すべてを「駒」として扱っていた。 だが、力が封じられた今、彼は初めて、ハッシュヴァルトたちが自分に寄せる「愛」に近い忠誠を、肌で感じていた。

 

「未来を書き換えることはできぬ。……だが、『今、この瞬間の重み』を私は知っている。九日間の猶予。それは世界が私を試しているのか、あるいは私が世界を慈しむための刻なのか」

 

彼は玉座から立ち上がり、壁に映る己の影に手を触れた。 「力が戻るまで、あと七日。……その間、私は一人の王として、この世界が流す血の味を覚えておかねばならぬ」

 

王都では、アイリスが絶望的な戦いを続けていた。 彼女が放つ聖剣の閃光を、ハッシュヴァルトはただの「盾」で受け流す。

 

「なぜ……なぜこれほどまでの力を持ちながら、平和を乱すのですか! 魔王がいなくなり、ようやく皆が手を取り合える時代が来たというのに!」

 

アイリスの叫びに、ハッシュヴァルトは初めて、僅かに眉を動かした。

 

「王女よ。貴様が救えなかった孤児たちが、今、私の背後で剣を振るっている。貴様が無視した影の底で、彼らがどれほどの血を流したか、その聖剣は一度でも考えたことがあるのか?」

 

「それは……」

 

「陛下は、貴様たちが視ようとしなかった『世界の裏側』に秩序を与えた。……九日後、世界は一つになる。貴様の正義も、我が陛下の慈悲に飲み込まれる運命にある」

 

ハッシュヴァルトが剣を振り下ろす。 衝撃波が王都の石畳を砕き、アイリスの鎧に深い傷を刻んだ。 だが、彼は止めを刺さなかった。

 

「陛下は貴様を『視る価値がある』と仰った。……今日はここまでだ。明日、再び絶望を抱いて私の前に立て」

 

影の中に消えていく白銀の軍勢。 アイリスは、折れかけた聖剣を杖代わりに立ち尽くしていた。 夕闇に染まる王都。 その影は、昼間よりもはるかに濃く、深く、エルロードの街を飲み込もうとしていた。

 

『氷の宮殿』に戻ったハッシュヴァルトを、継嗣は玉座で出迎えた。

 

「ハッシュヴァルトよ。王女の瞳に、何が映っていた」

 

「……陛下。彼女は、未だ己の正義を疑っておりませぬ。しかし、その芯には、陛下が仰った『影』への戸惑いが生じております」

 

「よろしい。……正義とは、揺らぎの中にこそ真実が宿る。彼女を折るのではなく、彼女の正義を我が影の一部として迎え入れるのだ」

 

継嗣は、暗い広間の向こうを見据えた。 自らの魂の奥底で、何かが脈打っている。 全能の力が、少しずつ、しかし確実に、開花の時を待っていた。

 

「あと、七日。……世界が私を呼ぶ声が、より鮮明に聞こえてくる」

 

皇帝の言葉と共に、宮殿を覆う霊圧が、より一層の重みを増していった。

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