この素晴らしい世界に滅却師の王を! 作:sk20100626
その男――名は「黒田」といった――の人生は、何の色味もない、ひたすら平坦なものだった。 だが、死の瞬間に訪れた光景は、あまりにも鮮烈で、そして「理不尽」に満ちていた。
真っ白な空間。そこで黒田は、自らを「管理職」と称する高次の存在と対峙していた。
「……君のいた世界とは別の、ある異世界が危機に瀕している」
その存在は、淡々と告げた。 「ある一人の転生者が、過剰な力を持ち込み、世界の『名前』と『秩序』を自分勝手に書き換えようとしている。このままでは、その世界の本来の物語が消え、一人の男の妄想に塗り潰されてしまう」
「俺に、それを止めろって言うんか?」 黒田は冷めた声で言った。自分はヒーローになれるような器ではない。
「君には適性がある。無色透明な君の魂なら、最強の『色』を宿せる。……恩賞として、君が望む『一つの能力』を与えよう。あちらの世界の侵略者を阻むための、絶対的な力を」
黒田の脳裏に、かつて読んだ物語の断片が浮かんだ。 未来を視る眼。万物を切り裂く剣。そんなものは、あの侵略者と同じだ。 ならば、それらすべてを「無」に帰し、名前を奪い、己の色で上書きする圧倒的な概念が必要だ。
「……『兵主部一兵衛』の力を。すべてを黒く染め、名前を司る、あの和尚の力をくれや」
管理者は満足そうに頷いた。 「よろしい。……名は、命だ。君がその筆を振るうとき、傲慢な王の未来は、ただの墨溜まりへと沈むだろう」
魂が黒く染まり、膨大な知識と霊圧が脳内に流れ込む。 黒田の意識は遠のき、次に目を開けたとき――彼は、王都エルロードの瓦礫の上に、巨大な筆を携えた「和尚」として立っていた。
「……ってなわけで、わしは『あいつ』を止めに来たわけや」
和尚――かつての黒田は、豪快に笑いながら、カズマに向かって語り終えた。 王都の喧騒が遠のいた深夜。カズマたちは、壊れかけた宿屋の一室で、この「黒い来訪者」と向かい合っていた。
カズマの脳内は、処理しきれない情報の濁流でパンク寸前だった。 継嗣だけでも手に負えないのに、今度は「継嗣を倒すために送り込まれた」という、これまた規格外の能力を持った転生者。
「……えっと、つまりアンタは、あの継嗣……見えざる帝国を、その筆で塗り潰しに来たってことか?」
「せや。あいつの『白』は、世界の調和を乱しとる。未来を視て書き換えるなんて、神さんの仕事や。人間……いや、転生者がやってええことの範疇を超えとるんよ」
和尚は首から下げた巨大な数珠を弄りながら、カズマを鋭く見つめた。 「カズマ言うたんか。お前さん、あいつと長い付き合いなんやろ? 今のあいつが何をしようとしとるんか、教えてくれや。……わしが『黒』を置く場所を決めなあかんからな」
カズマは、ジョッキの中のぬるいエールを一口飲み、この九年間の、そしてこの数日間の「侵略」の内容を話し始めた。
「あいつ……継嗣は、九年眠って、性格が丸くなった。前みたいに無意味に人を殺したりはしねえ。だが、あいつの言う『秩序』ってのは、俺たちの自由を奪うもんだ。……九日後には、世界がすべてあいつの思い通りの未来に固定される」
カズマは、バニルやウィズすらも退けられた、あの圧倒的な力の差を伝えた。 ハッシュヴァルトの『天秤』、バズビーの『炎』。そして、今は使えないと言いつつも、存在そのものが天災である継嗣本人のこと。
「……バニルさんも言ってた。あの継嗣って男の魂は、もうこの世界の理の一部になってるって。……アンタ、本当に勝てるのか?」
「フハハハ! 未来を視る眼か、確かに厄介や。……だが、名前を奪われた男に、未来は視えるんかなぁ?」
和尚は筆を軽々と振り回した。 その一振りで、部屋の隅の闇が、より一層濃くなったような気がした。
「協力してくれ、和尚さん」 カズマは、椅子から立ち上がり、深く頭を下げた。 「俺は、あいつを殺したいわけじゃない。……だけど、あいつの作る『完璧な世界』で、一生飼い殺されるのは真っ平御免だ。……俺たちの『名前』を取り戻したいんだ」
「……ええ目や。お前さん、ただのクズやないな」
和尚はニヤリと笑い、カズマの肩を叩いた。その手は温かいが、底知れない圧力が伝わってくる。
「決まりや。わしが筆を振るい、あいつの『全知全能』を墨で埋める。その隙に、お前さんらが『今』を掴み取れ。……白銀の帝国を、わしの真っ黒な夜で包んでやろうやないか」
ー開戦前夜ー
カズマは窓から、遠くに見える「影の領域」の気配を感じ取った。 そこには、三日目の休息を終え、四日目の『奪還』を待つ継嗣がいるはずだ。
「……継嗣、悪いな。お前が世界を救おうとしてるのは分かってる」
カズマは小さく呟いた。 「だけど、俺は俺のやり方で、お前の『完璧な未来』をぶち壊してやる」
隣では、アクアが和尚の数珠を珍しそうに触ろうとして、その霊圧に弾かれて「あだっ!」と叫んでいる。バニルは仮面の下で、新たな「カオス」の到来を歓迎するように、低く笑っていた。
白銀の皇帝、佐藤継嗣。 そして、黒の断罪者、和尚。 二人の転生者による、世界の「名前」を賭けた戦いの幕が、今まさに上がろうとしていた。
カズマは、もう震えていなかった。 自分にできることは少ない。だが、この二つの巨大な力の衝突が生む「隙間」こそが、自分たち凡人が生き残る唯一の道だと確信していたからだ。
「……あいつらがどこで何をしているのかは見当がつかない。だから、待つんだ。それまで準備を整えてな」
カズマの号令に、宿屋の静寂が、戦意という名の熱を帯びて消えていった。