この素晴らしい世界に滅却師の王を!   作:sk20100626

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第14話 初の敗走

影の領域、その最深部に鎮座する『氷の宮殿(ジルバーン)』。 四日目の撤退を終えた聖十字騎士団(シュテルンリッター)たちは、重苦しい静寂に包まれていた。かつてない屈辱。陛下が自ら「撤退」を命じたという事実は、団員たちの誇りに深い傷を刻んでいた。

 

「……クソッ! なぜだ、なぜあんな中途半端なところで引かなきゃならなかったんだ!」

 

訓練場の壁を殴りつけ、バズビーが吠える。彼の指先からは、苛立ちを反映するように黒ずんだ炎が漏れ出していた。

 

「落ち着きなさい、バズビー。陛下の御判断は常に正しい。……あの『黒い男』、あれは私たちがどうこうできる器じゃなかった」

 

リルトットが冷淡に言い放つ。彼女の胃袋は、戦場で「名も無き墨」に侵食された感覚を今も覚えており、本能的な拒絶反応で痙攣していた。

 

玉座の間。 佐藤継嗣は、自らの外套に付着した「黒」を、霊子を込めた指先で弾き飛ばしていた。 剥がれ落ちた墨は、地面に触れる前に霧散する。だが、その墨が触れていた部分の「意味」が欠落した感覚は、魂の奥底に不快な余韻を残していた。

 

「……兵主部一兵衛。まさか、あの『怪人』がこの世界に顕現するとはな」

 

継嗣の声は、驚くほど冷静だった。 ハッシュヴァルトが傍らに控え、主の思考が整理されるのを静かに待つ。

 

「ハッシュヴァルト。カズマたちの戦術をどう見る」

 

「……極めて卑劣、かつ効果的です。彼らは我らの個としての強さを認め、それを『浪費』させることに特化しました。聖兵を削り、我らを時間という檻に閉じ込める。そして、あの『和尚』というイレギュラーを唯一の矛として、陛下を直接狙う……。これは、カズマという男の臆病さが生んだ、最強の防御陣です」

 

継嗣は頷いた。 「左様。カズマは九年で『勝つ方法』ではなく、『負けない方法』を学んだ。……だが、それは私が力を取り戻すまでの期間限定の策だ」

 

継嗣の瞳の中で、一つの瞳孔が微かに震え、重なり合おうとする。 『全知全能(ジ・オールマイティ)』の鼓動。 予知の断片が、混濁した泥のように脳内に流れ込んでくる。

 

2. 皇帝の再構築:九日目への布石

 

「作戦を練り直す。……五日間、我らはこの影の領域から一歩も出ぬ」

 

継嗣の宣言に、ハッシュヴァルトは眉を動かした。

 

「それは……カズマたちの『削り』を完全に遮断し、籠城するということでしょうか?」

 

「いや。籠城ではない。『存在の消去』だ」

 

継嗣は立ち上がり、玉座の床に突き立てられた自身の剣を見つめた。 「和尚の力は『名』を司る。ならば、こちらが名を持たぬ影そのものとなれば、奴の墨に染まる道理はない。……ハッシュヴァルト。団員全員に告げよ。これより五日間、各々の聖文字(シュリフト)を魂の奥底まで沈め、私という唯一の影に同化せよ」

 

継嗣の狙いは明確だった。 カズマたちが「のらりくらり」と時間を稼ぐなら、その時間を丸ごと虚無に変えてやる。 五日間の完全なる沈黙。 その間に、継嗣は自身の魂とこの世界の理を、和尚の「墨」すら弾く次元まで昇華させるつもりだった。

 

「そして、九日目だ」

 

継嗣の口調が、より重厚に、断罪の響きを帯びる。

 

「九日間を以て世界を取り戻す。……その最後の日に、私は完全なる眼を開く。 五日目は静寂。 六日目は再編。 七日目は供犠。 八日目は選別。 そして九日目、私は『和尚』の黒を、私の白で塗り潰し、カズマたちの九年間の希望を、一瞬の夢として終わらせる」

 

地上では、カズマたちが勝利の宴……とはいかないまでも、安堵の息をついていた。

 

「追い払った……! 本当に継嗣が引いていったぞ!」

 

アクセルの街。ギルドの酒場で、カズマはバニルと和尚を囲んでいた。 だが、和尚の表情は晴れない。

 

「……カズマよ。喜ぶんは早すぎるで。あの若造、逃げたんやない。……『衣替え』をしに行ったんや」

 

「衣替え?」

 

「せや。わしの墨が効いたんは、あいつがまだ『佐藤継嗣』という名前の未練を肉体に残しとったからや。……次に出てくる時は、名前も形もない、ただの『神』として現れるかもしれん」

 

和尚は巨大な筆を弄りながら、窓の外の影を見つめた。 「五日間、何も起きんやろう。あいつは力を溜めとる。……九日目。そこが、この世界の本当の終わりか、新しい始まりの分かれ目や」

 

カズマは冷や汗を拭った。 九日目。 あいつが言っていた「世界を取り戻す」期限。 もし和尚の予感が正しければ、四日目の勝利(のようなもの)は、死刑執行の猶予に過ぎない。

 

「……九日目までに、俺たちにできることは?」

 

「祈ることやな。……あるいは、わしの筆が乾かんように、この世界の『闇』をわしに献上することや」

 

和尚の笑い声が、不気味に響く。

 

『氷の宮殿』から光が消えた。 騎士団たちは瞑想に入り、自身の存在を希薄化させていく。 継嗣は玉座で、自身の鼓動を世界の脈動に同期させていた。

 

「……視える。視えるぞ」

 

五日目、六日目、七日目。 継嗣の脳内に、断片的な未来がフラッシュバックする。 カズマが絶望する顔。 アイリスの聖剣が砕ける音。 和尚の筆が折れ、墨が白銀の霊圧に蒸発する光景。

 

「……兵主部一兵衛。貴様がこの世界を侵略から守るために来たというなら、私はその『守るべき世界』ごと、私の掌中に収めてやる。 貴様の黒は、私の白を際立たせるための影に過ぎぬ」

 

八日目の夜。 継嗣の瞳の中で、ついに瞳孔が完全に重なり合った。 溢れ出す圧倒的な霊圧が、宮殿の石材を白銀の結晶へと変えていく。

 

「……ハッシュヴァルト。夜明けは近いか」

 

「陛下。……九日目の太陽が、地平線に触れようとしております」

 

「よろしい。……全軍、覚醒せよ」

 

継嗣が立ち上がった瞬間、世界のすべての「影」が、かつてないほど濃密に、そして鋭く、牙を剥いた。

 

九日目。 奪還の最終段階。 佐藤継嗣が、真なる『皇帝』として、世界のすべてを取り戻すための戦いが幕を開けた。

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