この素晴らしい世界に滅却師の王を! 作:sk20100626
王都エルロードの上空。そこはもはや、この世の理が通用しない「神域」と化していた。 白銀の霊圧を纏う佐藤継嗣と、漆黒の墨を湛える兵主部一兵衛。 二人の転生者が放つ重圧は、地上の冒険者たちが息をすることさえ拒絶するほどに膨れ上がっていた。
「ほっほ! まだ粘るか、小僧!」
和尚が巨大な筆を振り回す。一振りごとに、空間そのものが墨で塗り潰され、重力を無視した漆黒の飛沫が継嗣の全方位から襲いかかる。 継嗣は『全知全能(ジ・オールマイティ)』を封じたまま、滅却師の基礎能力のみでこれに応戦していた。
「『神聖滅矢(ハイリッヒ・プファイル)』!」
継嗣の背後に展開された無数の霊子の矢が、降り注ぐ墨の飛沫を空中で迎撃する。爆散する白と黒。 継嗣は『飛廉脚(ひれんきゃく)』を極限まで加速させ、和尚の懐へ肉薄した。手元に形成された霊子の刃が、和尚の喉元を正確に狙う。
「無駄やと言うとるんや」
和尚が筆の柄で刃を受け流す。その瞬間、筆から溢れ出した黒い液体が継嗣の腕を伝った。 「……っ!」 継嗣が飛び退く。だが、すでに遅かった。彼の左腕から、輝く霊子の色が失われ、どす黒い無機質な色に染まっていた。
「わしの筆に触れるもんは、すべてその半分をわしに捧げなあかん。……左腕の力、半分もろたで」
「……ならば、その半分で貴様を貫くまでだ」
継嗣は屈しない。残された右手に全霊圧を集中させ、巨大な光の剣を形成する。 だが、和尚はそれを見て、慈悲深い仏のような、しかし底知れぬ悪意に満ちた笑みを浮かべた。
「まだ分からんか。……ならば、すべてを奪ってやろう。『黒(くろ)』や。この世界のすべての『黒』は、わしのもの。お前さんの血も、骨も、未来も……すべてわしの墨に染めて、書き換えてやる」
和尚が筆を掲げ、空に巨大な円を描く。 「『しら筆一文字(しらふでいちもんじ)』」
王都を覆う影、夜の闇、人々の瞳の黒。そのすべてが和尚の筆に吸い込まれ、一筋の濃密な墨となって継嗣へと放たれた。 継嗣は防護壁を展開したが、その「白」は墨に触れた瞬間、意味を失った。
墨が継嗣の全身を覆い尽くす。 白銀の装束も、皇帝の威厳も、すべてが漆黒の中に沈んだ。
「名前を書き換えてやろう。……お前さんはもう王やない。這い蹲り、踏み潰される運命の虫。……今日からお前さんは、『黒蟻(くろあり)』や」
和尚の言葉が言霊となり、継嗣の魂を縛り上げる。 空に浮かんでいた白銀の皇帝は、今や言葉も持たぬ、ただの黒い塊へと成り下がった。
地上では、カズマたちが絶望に染まっていた。 「継嗣が……負けた……? 真っ黒になって、あんな……」
だが、その戦場の中央で、ハッシュヴァルトだけは静かに、畏怖に満ちた眼差しで空を見上げていた。
「……愚かな。貴様たちは、何も理解していない」
ハッシュヴァルトの声が、震える冒険者たちの耳に届く。
「陛下は平時、眼を閉じて戦っておられたのだ。……敵を軽んじてそうなされていたわけではない。力の九日が終わらぬうちに眼を開けば、陛下の力の制御を失ってしまう。ゆえに、陛下は自らその強大すぎる力を封じておられた」
ハッシュヴァルトは、黄金の天秤を掲げることすら忘れ、空の「黒い塊」を凝視する。
「だが……陛下は今、眼を開かれた。……力の九日は、終わったのだ」
その瞬間。 空を覆っていた漆黒の墨が、内側から弾け飛んだ。 「黒蟻」と名付けられたはずの存在から、世界のすべての光を吸い寄せるような、圧倒的な「白」が溢れ出す。
「……なっ!? 墨を……弾いたいうんか!?」 和尚が驚愕に目を見開く。
和尚は即座に筆を振るい、追い打ちの墨を放った。空間を断絶するほどの一撃。 だが、継嗣は動かない。 飛来する墨の奔流が、継嗣に触れる直前、まるで最初からそこに道がなかったかのように、彼の体を逸れて霧散した。
ハッシュヴァルトが、恍惚とした表情で呟く。
「陛下は真の力を取り戻されたのだ。……陛下の眼は、これから起こることを全て見通し、知ることができる」
和尚は咆哮し、再び巨大な筆を叩きつけた。一撃で山を砕くほどの質量を持った黒の重圧。 しかし、継嗣は一瞬の動きでそれを回避した。避けたというよりは、攻撃が当たるはずの場所から、すでに彼という存在が「当たらない未来」へ移動していた。
「……そして――」
ハッシュヴァルトの言葉が、王都全体に響き渡る。
「陛下が知られた力で、陛下を倒すことはできない。」
継嗣が、ゆっくりと眼を見開いた。 その瞳の中には、かつての青い光はない。 幾重にも重なり合い、蠢き、万物の因果を視通す、無数の瞳孔。
ハッシュヴァルトがその場に跪く。
「
空の覇者が、静かに唇を動かした。
「――『