この素晴らしい世界に滅却師の王を! 作:sk20100626
王都エルロードの上空は、もはや佐藤継嗣の独壇場と化していた。 ハッシュヴァルトの宣告と共に開かれたその「眼」――。 幾重にも重なり、蠢く無数の瞳孔。それは単に「視る」ための器官ではない。これから起こり得る無限の可能性の枝をすべて把握し、己にとって不都合な果実を摘み取るための、神の権能そのものだった。
「……何をした」
和尚、兵主部一兵衛の声が、初めて困惑に震えた。 彼は今、最大級の霊力を筆に込め、継嗣の喉元を正確に貫いたはずだった。しかし、筆の先が触れる直前、継嗣という存在は陽炎のように揺らぎ、次の瞬間には和尚の背後に立っていた。
「言ったはずだ。……視えていると」
継嗣の声は、感情の起伏を失い、透き通った静寂を湛えている。
「貴様が放つ攻撃、貴様が練り上げる策、貴様がこの世界で振るう『理』。そのすべてを私は今、知った。そして知った力で、私を倒すことはできぬ」
「ほっほ……。舐められたもんやなぁ、小僧!」
和尚が咆哮し、巨大な筆を薙ぎ払う。 漆黒の墨が、空間を断絶するような鋭利な刃となって放たれた。かつて継嗣の「名前」を半分奪ったあの黒い飛沫。しかし、継嗣は避けることすらせず、その墨の奔流の中に身を投じた。
カズマたちは息を呑んだ。 「バカか、あいつ! 自殺志願かよ!」
だが、奇跡――あるいは悪夢が起きた。 継嗣に触れた墨は、彼を染めるどころか、彼の皮膚に触れた瞬間に霧散し、ただの無害な水となって消え去ったのである。
「な……!? わしの墨を、無効化したいうんか……っ!」
「無効化したのではない。……その力が私を害さぬ『未来』を選び取ったに過ぎない」
継嗣は一歩、また一歩と、空中に固定された不可視の階段を降りるように和尚へと近づく。 和尚は焦燥に駆られ、百歩欄、千手皎天汰砲といったあらゆる奥義を矢継ぎ早に放った。だが、そのすべてが継嗣の数歩手前で瓦解し、無力化される。
継嗣の瞳が、和尚の絶望を克明に映し出していた。
「……よかろう。お前さんは、もう生かしておけん存在や」
和尚の顔から笑みが消えた。その瞳に、数千年の歴史を支えてきた冷徹な守護者の覚悟が宿る。 彼は筆を捨て、両手を合わせた。
「不転太殺陵(ふてんたいさつりょう)」
その瞬間、世界から光が奪われた。 王都周辺の百夜、そしてこれから訪れるはずの百夜。その「黒」を根こそぎ奪い去り、巨大な墓標を築く。この術に捉えられた者は、輪廻の輪から外れ、転生することすら許されず、永遠の虚無へと葬られる。
「これこそが、わしの最後の審判や。お前さんの血も、肉も、その生意気な眼も……一滴も残さず、この世の『無』に帰してやるわ!」
漆黒の墓標が、継嗣を包み込むように収縮していく。 地上にいたハッシュヴァルトですら、その圧倒的な死の気配に僅かに身を震わせた。カズマたちは、あまりの重圧にその場に膝をつき、祈るように空を見上げるしかなかった。
だが、漆黒の檻の中から、静かな声が響いた。
「……惜しいな、兵主部一兵衛」
バリィィィィン!!
空間が、硝子が割れるような音を立てて砕け散った。 不転太殺陵。その概念的な死の牢獄が、内側から「白銀の霊圧」によって力任せに引き裂かれたのである。
「何やと……!? わしの不転太殺陵を、内側から壊した……!?」
和尚が驚愕に目を見開いたときには、すでに継嗣は目の前にいた。 全知全能の眼。 その無数の瞳孔が、和尚の魂の核をロックオンしている。
「貴様の術は確かに強力だった。……だが、それも『今の私』にとっては、すでに一度視た使い古しの手品に過ぎない」
継嗣が、ゆっくりと右手を伸ばした。 和尚の胸元。かつてそこには、世界の名前を司る「和尚」としての矜持が詰まっていた。
「……さらばだ。この世界の理の外より来たりし断罪者よ」
継嗣の手が、和尚の胸元にそっと、優しく添えられた。
パキッ。
乾いた音が響いた。 次の瞬間、和尚の強靭な肉体に、亀裂が走った。 それは傷ではない。存在そのものが、パズルのように、あるいは砂の城が崩れるように、バラバラに解体されていく。
「あ……あぁ……っ……」
声すら出せない。 和尚の視界がバラバラになり、空中に彼の「名前」を構成していた霊子が散乱する。
継嗣はその剥き出しになった霊子の奔流――和尚が数千年の時をかけて積み上げてきた、そして転生に際して与えられた「黒」の力を、深く吸い込んだ。
「……貴様の魂の力。……私が、この世界の新たな秩序のために使わせてもらおう」
継嗣の掌から黒い霧が吸い込まれ、彼の白銀の霊圧と混ざり合う。 和尚の存在は、光の粒子となって王都の空に消えていった。
王都エルロードの上空で、一つの「理(ことわり)」が消滅した。
漆黒の墓標を内側から引き裂き、和尚の胸元に触れた継嗣。その掌を通じて、兵主部一兵衛という存在が積み上げてきた数千年の「黒」と、転生によって与えられた「名前を司る力」が、濁流となって継嗣の内に流れ込んだ。
「……あ……あぁ……っ……」
声にならぬ断末魔と共に、和尚の肉体はパズルのように解体され、光の粒子となって霧散した。 王都を支配していた絶望的な闇が晴れ、再び白銀の皇帝の姿が露わになる。だが、その姿にはかつてない異変が生じていた。
「……っ!」
継嗣が、自らの胸を押さえて激しく咳き込んだ。 掌から吸い込んだ和尚の魂。それはあまりにも濃密で、あまりにも異質だった。 『全知全能(ジ・オールマイティ)』によって視通した未来と、和尚の「名前を書き換える力」が、継嗣の魂の中で激しく衝突し、彼の霊圧が白と黒に明滅し始める。
「陛下!?」
地上で跪いていたハッシュヴァルトが、異変を察知して即座に宙へ跳ね上がった。 主の傍らに降り立った彼は、継嗣の全身から制御を失った霊子が火花のように散っているのを見て、戦慄した。
「……案ずるな、ハッシュヴァルト。……和尚という器、少々……詰め込みすぎたようだ」
継嗣の声は低く、しかし自身の内側で荒れ狂う暴風を抑え込むような、危うい緊張感を湛えていた。 彼の瞳の中で、無数の瞳孔が激しく回転し、焦点が定まらない。 全知全能の力によって「確定」させるべき未来が、和尚の黒い力によって混濁し、書き換えの連鎖を引き起こしているのだ。
地上では、カズマたちがその光景を呆然と見上げていた。 「和尚さんが……消えた……? だけど、継嗣の様子もおかしいぞ!」
「お兄様、今です! 今こそ追撃を……!」アイリスが聖剣を握り直すが、バニルがその肩を強く掴んで止めた。
「よせ、王女よ。今のあやつに触れてみろ、汝の魂ごと概念の渦に飲み込まれて消えるぞ。あやつは今、己という存在を繋ぎ止めるだけで精一杯なのだ。……もっとも、その『精一杯』の余波だけで、この街を消し飛ばしかねんがな」
バニルの言葉通り、継嗣から漏れ出る霊圧の余波が、周囲の空間を物理的に削り取っていた。 白銀の結晶体が黒い墨に侵食され、再び白く塗り替えられる。その「色」の衝突が、王都の空を極彩色に歪ませていく。
「ハッシュヴァルトよ……。全軍を、引かせろ」
継嗣は震える手で自身の顔を覆い、苦渋に満ちた決断を下した。 九日目のこの日。本来ならば、このまま王都を、そして世界を完全に掌握するはずだった。だが、和尚の魂という「毒」は、全能の力を真に安定させるための最後の試練として、彼の内側に居座っていた。
「……一度、影へ戻る。この力を完全に我が血肉とし……定着させるための『休息』が必要だ」
「承知いたしました。……全軍、影の深淵へ戻るぞ! 陛下をお守りせよ!」
ハッシュヴァルトの号令が響き渡る。 星十字騎士団の面々も、主の異変を悟り、即座に戦闘を中断した。 バズビーも、リルトットも、ジェラルドも。彼らは悔しさを滲ませながらも、主の「安定」を最優先とし、各々の影へと沈み込んでいく。
「……カズマよ。九日目の終わりは、わずかに先送りとなった」
継嗣の瞳が、歪む視界の向こう側でカズマを捉えた。 その瞳孔は、混濁しながらも、まだ「勝利」という終着点を見失ってはいなかった。
「……精々、その『命の残り時間』を噛み締めておくがいい。次に私が眼を開く時、世界から『抵抗』という言葉を消し去ってやろう」
継嗣の姿が、渦巻く霊圧と共に巨大な影の中へと消えた。 王都の上空に浮かんでいた『氷の宮殿』も、霧が晴れるようにその姿を隠していく。
王都に残されたのは、壊滅的な被害を受けた街並みと、九死に一生を得た冒険者たちだった。
「……助かったの?」 アクアがへなへなと座り込む。
「……いや。執行猶予をもらっただけだ」 カズマは、継嗣が消えた空を、いつまでも睨みつけていた。
和尚という最強の盾を失った今、次に継嗣が現れた時、それを止める術はもうこの世界には存在しない。 継嗣の内側で、白と黒の力が混ざり合い、真なる「唯一神」としての器が完成しようとしている。
カズマは震える手で、和尚が最後に残した数珠の欠片を拾い上げた。 「……休みが欲しいのは、こっちも同じだっての。……行くぞ、アイリス。あいつが寝てる間に、俺たちにできる『最悪の悪あがき』を考えなきゃなんねえ」
影の領域にて、玉座で深い眠り……あるいは「安定」のための瞑想に入る継嗣。 九日目の太陽は、まだ沈んではいない。 本当の終焉に向けた、最後の静寂が世界を包み込んだ。
今回和尚の力を取り込んだことで、全知全能の力が完全解放されました
全知全能(あらゆる未来を見通し、見知った未来では主人公を倒すどころか傷つけることも不可能)→全知全能(あらゆる未来を見通し、見知った未来では主人公を倒すどころか傷つけることも不可能。さらに、見知った未来を改変する)
全知全能の能力についてはカズマ達は未来を見る能力としか知らない