この素晴らしい世界に滅却師の王を! 作:sk20100626
アクセルの街、ギルド『冒険者組合』の残骸。 壁一面が消失した酒場には、陽光が皮肉なほど明るく差し込んでいた。だが、その光の下で繰り広げられているのは、この世界の「物理法則」を根底から否定する異能の激突であった。
「フハハハハ! 良い、実に良いぞ。汝の放つ『理不尽』、これほどまでに食いでのある負の感情は久しぶりだ。陛下とやらのお零れを預かるだけの小僧かと思えば、なかなかに質の良い毒を持っているではないか」
バニルの背後には、漆黒の霊気が渦巻き、数多の「仮面」が幻影のように浮かんでは消える。地獄の公爵としての真の姿を現した彼は、先ほどまでダストが苦しんでいた酸素の変質を、自らの魔力で強引に「中和」していた。
「……へぇ。今の攻撃、無効化するんじゃなくて、周囲の空気の組成を魔力で固定して上書きしたのかい? 悪魔っていうのは、意外と力技なんだね」
アスキナ・ナックルヴァールは、依然として椅子の背もたれに体重を預け、気だるげに前髪をかき上げた。だが、その瞳だけは猛禽類のように鋭く、バニルの魔力の「味」を慎重に吟味している。
「だがね、悪魔さん。俺の『致死量(ザ・デスディリング)』は、そんなに甘いもんじゃない。……あんた、今、自分の魔力で空気を守ったつもりだろうけど。その『魔力』そのものの致死量を、俺が調整したらどうなると思う?」
「……ほう?」
バニルの仮面の奥の瞳が、赤く燃え上がる。 刹那、アスキナが指をパチンと鳴らした。
「ギフト・バッド」
目に見える変化はない。しかし、バニルの周囲に漂う膨大な魔力が、突如として牙を剥いた。主を守るはずの魔力が、主の存在そのものを拒絶し、魂を内側から腐食させる猛毒へと変貌したのだ。バニルの巨躯が、一瞬だけよろめく。
「カズマ、逃げろ……! ここは我輩が食い止める。汝のような弱き者がこの場にいれば、存在そのものが『毒』に変換されて消滅するぞ!」
「バ、バニル! 頼んだぞ、絶対死ぬなよ!」
カズマは、動けないダストを無理やり担ぎ上げ、ギルドの裏口へと走り出した。アスキナはそれを追おうとはしない。彼の興味は今、目の前の「解析しがいのありそうな高次生命体」に完全に注がれていた。
「いいのかい? 飼い主を逃がしちゃって。……さて、悪魔さん。あんたの魔力、なかなかに複雑で面白いね。でも、もう俺の中では解析が終わった。二度目の『ギフト』は、もっと劇的だよ」
アスキナが跳躍した。信じられないほどの軽やかさで、滞留するバニルの魔力の海を泳ぐように肉薄する。その手には、致死の霊子が凝縮された光の玉が握られていた。
「『ギフト・ボール』」
放たれた光の弾丸が、バニルの胸部を直撃する。 バニルの体が、どろりとした漆黒の液体となって霧散した。
「……あ、あれ? 手応えがないな。逃げたか、あるいは……」
「フハハ! 逃げたのは汝の『常識』の方だぞ、人間!」
アスキナの背後、影の中からバニルの声が響く。と同時に、巨大な「バニル式殺人光線」がアスキナの背中を焼き抜いた。
「がはっ……!」
アスキナは吹き飛び、ギルドのカウンターを粉砕して叩きつけられた。背中の装束が焼け焦げ、血が滴る。しかし、彼は倒れなかった。不気味な笑みを浮かべたまま、ゆっくりと立ち上がる。
「……痛いね。今の光線、ただの熱線じゃない。精神を直接削る呪詛が混じってる。……でもね、悪魔さん。言っただろう? 『二度目は効かない』って」
アスキナの背中の傷が、シュウシュウと音を立てて塞がっていく。それだけではない。彼の皮膚が、先ほどの殺人光線の色に近い、禍々しい紫色に変質していった。
「解析完了。……バニル式殺人光線の『致死量』を、俺の体内で無限大に引き上げた。これで俺にとって、あんたの最大の攻撃は『温かいシャワー』と同じだ」
「……ふむ。一度受けた攻撃に『免疫』を得るか。なるほど、それは我が同胞のベルディアあたりなら絶望して首を差し出すレベルの能力だ。……だが、アスキナよ。汝は一つ、致命的な勘違いをしている」
バニルは優雅に会釈し、自らの仮面に手を触れた。
「我輩は悪魔。この世のあらゆる負の感情、絶望、そして『矛盾』を食らう者。汝の能力は美しい。だが、それはあくまで『物質』や『エネルギー』を対象としたものに過ぎぬ」
バニルが仮面を外すと、そこには何もなかった。顔があるべき場所には、ただ無限の虚無と、うねる影だけが存在していた。
「我輩の真の正体は、この『仮面』そのもの。肉体など、汝の毒を味見させるための器に過ぎんのだよ」
「……肉体がない? バカな、魂には必ず組成があるはずだ!」
「では、教えてやろう。地獄の公爵が持つ、もう一つの顔を。……バニル流、魂の等価交換!」
バニルが虚空を掴むと、そこにはアスキナが先ほど放った『致死量』の残滓が、黒い塊となって凝縮されていた。バニルはその「毒」を、まるで菓子でも食べるかのように、仮面の口(があった場所)へと放り込んだ。
「ごっそさん。……うん、これは美味だ。自らの能力に絶対の自信を持つ者が、その理屈を根底から覆された時に発する絶望の味。……これほど濃密なものは、あの魔王以来よ!」
「毒を……食べた……!? 俺の『致死量』を喰らったのか!?」
アスキナの顔に、初めて焦燥の色が浮かんだ。 彼にとって、自らの能力は絶対の真理だった。それを「食糧」として処理されたことは、彼の存在定義を揺るがす重大なエラーだった。
「お返しだ。……汝が『免疫』を持てぬ、唯一の致死量を教えてやろう」
バニルの周囲に、無数の「偽の仮面」が浮遊する。それぞれがアスキナの姿、カズマの姿、あるいは死んだ騎士たちの姿へと変容していく。
「それは、汝自身の『存在の矛盾』だ。……バニル式、因果逆転・致死量返し!」
アスキナの体内で、免疫系が暴走を始めた。 バニルはアスキナの能力そのものをコピーしたのではない。アスキナが持つ「一度受けたものを解析する」という性質を利用し、「アスキナ自身が、自分の血液を『未知の侵入者』として解析し始める」という矛盾を引き起こしたのだ。
「あ……あが……っ……!? 俺の血液が……俺を、殺そうとして……っ」
アスキナの目から、鼻から、鮮血が噴き出す。 自らの免疫が、自らを滅ぼす。彼が世界で最も得意とする術が、今、彼自身を裁く刃となっていた。
「さあ、アスキナよ。汝が解析に費やした時間は、汝の寿命を削るタイマーとなった。……陛下とやらが目覚める前に、ここで汝を『完食』してやろうではないか」
バニルが巨大な影の手を伸ばし、アスキナを飲み込もうとした、その時――。
天空から、一本の「白銀の矢」が降り注いだ。
それはバニルの影の手を正確に射抜き、アスキナを包囲していた魔力の結界を粉砕した。
「……ハッシュ、ヴァルト……か?」
アスキナが、血を吐きながら空を見上げる。 そこには、黄金の天秤を携えた白銀の騎士、ユーグラム・ハッシュヴァルトが滞空していた。
「……アスキナ。貴様の失態は、陛下の眠りを乱す『不均衡』だ。だが、今は貴様を失うわけにはいかない」
ハッシュヴァルトが盾を掲げると、バニルがアスキナに押し付けた「矛盾」の因果が、天秤の傾きによって強制的に相殺された。アスキナの出血が止まり、呼吸が整っていく。
「フム……『世界調和(ザ・バランス)』か。地獄の予見眼をもってしても、その不運の精算は少々厄介よな」
バニルは追撃を止め、再び仮面を顔に装着した。 ハッシュヴァルトの登場。それは、この小競り合いが「前哨戦」に過ぎないことを告げていた。
「悪魔よ。貴様の底知れぬ力、陛下はすでに『知っておられる』。……九日目の太陽が沈むとき、貴様の仮面もまた、陛下の秩序の中に塗り潰されるだろう」
ハッシュヴァルトが手をかざすと、影がアスキナを包み込み、そのまま空間から消え去っていった。
静まり返る酒場。 バニルは一人、残されたアスキナの血の跡を見つめ、低く笑った。
「……フハハハ。面白い。実に面白い。……お客様よ、聞こえているか。奴らの『陛下』とやらが、ようやく我輩を敵として認めたようだぞ」
物陰でガタガタと震えていたカズマが、恐る恐る顔を出す。
「……バニル、お前、無茶しすぎだろ……。でも、助かった。ありがとうな」
「礼などいらぬ。それよりも、次の戦いの準備だ。……和尚の力が陛下と混ざり合い、真なる『全知全能』が完成しようとしている。……奴らの主人やハッシュヴァルトとかいう騎士が相手だったらこうはいかなかっただろうな」
「逆にそれ以外なら問題なく勝てるのかよ」
カズマはポケットの中の、和尚が遺した黒い数珠の欠片を握りしめた。 白銀の王、黒の和尚、地獄の悪魔。 全ての力が収束する「最終決戦」は、もう目と鼻の先に迫っていた。