この素晴らしい世界に滅却師の王を!   作:sk20100626

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第21話 平和のための語らい

その眠りは、深淵の底で揺らめく墨の海に沈み込むような、果てしない静寂であった。

 

佐藤継嗣の意識は、己の魂を侵食する「兵主部一兵衛」という巨大な黒い影を、一滴一滴、白銀の霊子で中和し、己の血肉へと変換する作業に費やされていた。かつて「全知全能(ジ・オールマイティ)」が開眼した瞬間、世界は確定した未来の情報の濁流であったが、今は違う。

 

和尚の「名前を司る力」を魂のエネルギーとして完全に吸収したことで、彼の『眼』は最終段階へと進化を遂げていた。未来を「視る」だけの受動的な力から、視た未来を己の意志で「改変」し、再定義する能動的な神の権能へと。

 

ふと、意識の表層に、騒がしい羽虫の羽音のようなものが届く。 ……否、それは忠実なる「我が子ら」の、喧り(かまびす)しい議論の声であった。

 

「……だから言っているだろう、ジェラルド。王都の再開発にこれ以上の武力は不要だ。恐怖による支配は、陛下の望まれる『真の平和』とは程遠い」 「ハッシュヴァルト殿! 貴公は甘い! 抵抗の芽は、それが芽吹く前に踏み潰してこそ秩序の維持が可能となる。王都の地下に蠢くネズミども……あの冒険者共の残党を根絶やしにするまで、私は盾を置かんぞ!」

 

「ああ、もう……暑苦しいわね。陛下が寝ている間くらい、静かにできないの? せっかく手に入れた穀倉地帯のケーキが、あんたたちの怒鳴り声で不味くなるじゃない」 「リルトットの言う通りだ。……でもさ、陛下が目覚める時に、世界がまだ『ガタガタ』だったら、それこそ僕たちの不手際ってことにならないかい?」

 

声は次第に鮮明になり、継嗣はゆっくりと、数日ぶりに瞼を持ち上げた。

 

視界が晴れる。 玉座の間の頭上、高く聳える氷の天井から、柔らかな白銀の光が差し込んでいた。 そして、眼下に広がる円卓を囲むのは、帝国の最高幹部たち。

 

継嗣が静かに上体を起こすと、その場を支配していた激しい議論が、一瞬にして凍りついた。

 

「……私は、争いを好まんぞ」

 

その声は、かつての佐藤継嗣が持っていた幼さや焦燥を完全に削ぎ落とした、深淵の響きを帯びていた。 広間にいた星十字騎士団(シュテルンリッター)の面々が、弾かれたように円卓から離れ、その場に跪く。

 

「陛下……! お目覚めになられましたか!」 ハッシュヴァルトが最敬礼を捧げ、その瞳には狂信に近い安堵と歓喜が宿っている。

 

継嗣は自らの掌を見つめた。掌をかざすと、空間に無数の「未来の断片」が火花のように散る。彼はその中の一つ、ジェラルドの剣が錆び落ちる未来を選び、指先で弾いた。 現実の空間で、ジェラルドの腰にある神聖な大剣が、音もなく茶褐色の屑となって崩れ落ちる。

 

「……なっ!? 私の剣が……!」 驚愕する配下たちを前に、継嗣は穏やかに微笑んだ。

 

「さあ、平和のための報告を聞こう。我が子らよ、私が眠っている間に、この世界はどれほど『正しく』なったか」

 

継嗣は玉座に深く背を預け、穏やかな、しかし抗いがたい威厳をもって促した。

 

ハッシュヴァルトが代表して一歩前に出る。 「報告いたします。王都エルロードの八割は、すでに陛下の影の秩序下に置かれました。抵抗勢力の主力であったアイリス王女、および冒険者カズマの一行は、現在アクセルの街へと撤退し、潜伏しております」

 

「アクセル……。懐かしい場所だ。あそこにはまだ、私の知る『混沌』が残っているのだな」

 

「はい。先程、アスキナが現地へ向かいました。地獄の公爵を名乗る悪魔の介入がありましたが、奴らの士気は限界に近い。もはや、九日目の終焉を待たずとも、世界は陛下の御手の中にあります」

 

継嗣はふむ、と頷くと、隣で不満げに鼻を鳴らしたバズビーに視線を向けた。 「バズビーよ。貴様は何か、私に伝えたいことがあるようだな」

 

バズビーは一瞬たじろいだが、意を決して顔を上げた。 「……陛下。俺は、ハッシュヴァルトのやり方は生ぬるいと思ってます。カズマやあの女神共、和尚を呼び込んで陛下を陥れようとした大罪人ですよ。生かしておく理由がねえ。俺に行かせてください。あんな街、指一本の炎で更地にしてきます」

 

「更地か。……それでは、そこにある『歴史』も『名』も消えてしまう。それは私の望む平和ではない」 継嗣は静かに、だが冷徹にバズビーの提案を却下した。

 

「今の私には、未来はただの『選択肢』に過ぎない。バズビー、貴様が街を焼く未来も視える。だが、私が望むのは、彼らが自ら膝を屈し、私の秩序の『一部』として再定義される未来だ。改変は、すでに始まっている」

 

継嗣の瞳の中で、三重の瞳孔が蠢く。 「カズマが持っている和尚の数珠……。彼はそれを最後の切り札にするつもりだろう。だが、私は今、その数珠が機能しない未来を『確定』させた。彼がそれを掲げた瞬間、それはただの石ころに変わる」

 

その言葉に、アスキナが肩をすくめた。 「……へぇ、そりゃあ恐ろしい。戦う前から詰んでるわけだ。陛下、それじゃあ僕たちの出番はないんですか? せっかく『致死量』を調整して待ってたのに」

 

「出番はある。……だが、それは虐殺のためではない。新世界の『門番』としての役割だ」 継嗣は立ち上がり、ゆっくりと円卓の側まで歩み寄った。

 

「ジェラルド、貴様は王都の防衛を続けよ。民には恐怖ではなく、食料と安全を与えよ。彼らが自ら、私の秩序を望むように仕向けるのだ」 「御意に、陛下! この巨躯、陛下の慈愛の盾となりましょう!」

 

「リルトット、アスキナ。貴様たちはアクセルへの包囲網を維持せよ。手出しは無用だ。彼らが『自分たちにはもう、特攻以外に道はない』と思い込むまで、じわじわと、だが確実に追い詰めよ。逃げ道という『不確かな未来』をすべて私が潰しておく」

 

「了解。……お腹空かせて待ってるわ」 「最高に面倒で、最高に確実なやり方ですね。承知しました」

 

最後に、継嗣はハッシュヴァルトを見つめた。 「ハッシュヴァルト。貴様は私と共に、九日目の朝を迎える準備をせよ。……カズマたちが、万に一つの可能性を信じてここへ辿り着いたとき。私は彼らに、真の『絶望』ではなく、真の『救済』を見せてやる」

 

ハッシュヴァルトは深く頭を下げ、感極まった声で答えた。 「……陛下。あなたの視る未来こそが、この世界の唯一の真実です」

 

会議が終わり、配下たちがそれぞれの任地へと影の中に沈んでいく。 静まり返った広間で、継嗣は一人、遠くアクセルの方向を見据えた。

 

かつて、転生者としてこの世界に降り立った時の焦燥は、もうどこにもない。 和尚の魂を糧とし、未来を書き換える力を得た今、佐藤継嗣はもはや一人の人間ではなく、世界の因果そのものを編み上げる存在へと昇華していた。

 

「……カズマ。貴様がどのような『クズの意地』を見せてくれるか。楽しみにしているぞ。……もっとも、その意地すらも、私の指先一つで『なかったこと』にできるのだがな」

 

継嗣が静かに手を振ると、宮殿の窓から見える空の色が、彼の意思を反映するかのように、より深い、そして完璧な白銀へと塗り替えられていった。

 

九日目の朝まで、あと僅か。 神として目覚めた佐藤継嗣による、世界の再定義が完結しようとしていた。

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