この素晴らしい世界に滅却師の王を!   作:sk20100626

25 / 31
第25話 世界調和

氷の宮殿の入り口へと続く「昇華の回廊」。 白銀の霊子によって結晶化したその空間は、音さえも吸い込まれるような静寂に満ちていた。だが今、その静寂は激しい金属音と、王女の荒い呼吸によって無惨に切り裂かれている。

 

「……はぁ、はぁ、はぁ……っ!」

 

第一王女アイリスは、肩を大きく上下させ、聖剣アスカロンを支えに辛うじて立っていた。 彼女の黄金の甲冑は無数の亀裂が走り、隙間からは鮮血が滴り落ちている。右の頬を伝う血が、彼女の美しい視界を赤く染めていた。

 

対する男、ユーグラム・ハッシュヴァルトは、抜いた剣を真っ直ぐに下ろしたまま、微動だにせず立ち尽くしていた。その純白の外套には返り血一滴すら付着しておらず、その表情は凪いだ湖面のように静かである。

 

「……無意味なことは止めなさい、王女アイリス。貴女の剣が私に届くことはありません」

 

ハッシュヴァルトが静かに告げると、その傍らに浮かぶ黄金の天秤が、微かに揺れてキィと鳴った。

 

アイリスは再び剣を構え、光り輝く斬撃を放った。それは王国最強の剣士としての意地と、聖剣の加護が凝縮された一撃だった。

 

「『セイクリッド・エクスプロシオン』!」

 

光の奔流がハッシュヴァルトを飲み込もうとした瞬間、彼は剣を振るうことすらせず、ただ左手に携えた盾――「身代わりの盾」を僅かに傾けた。

 

ドォォォォン!!

 

爆発が起きたのは、ハッシュヴァルトの目の前ではない。 アイリスの足元だった。

 

「……っ!? ああぁぁぁっ!」

 

衝撃に吹き飛ばされ、アイリスは結晶の壁に叩きつけられる。自分の放ったはずの光の威力が、そのまま、いや、それ以上の「不運」として彼女自身の身体を焼き、切り刻んでいた。

 

「私の聖文字(シュリフト)は『B』。『世界調和(ザ・バランス)』」

 

ハッシュヴァルトはゆっくりと歩を進める。彼の一歩ごとに、アイリスの周囲の空気が重圧を増していく。

 

「この世界に起こる不運を幸運に、幸運を不運に変える。貴女が放つ『聖なる一撃』が私を害するという『幸運』は、天秤によって相殺され、貴女自身への『不運』として精算されるのです。貴女が輝けば輝くほど、その光は貴女を焼く毒となる」

 

アイリスは口内の血を吐き捨て、震える足で立ち上がった。

 

「……理不尽、ですね。でも、お兄様……カズマ様から教わりました。理不尽なルールを押し付けてくる相手には、ルールごとぶち壊すくらいの『わがまま』で応じるべきだと!」

 

「……カズマ、ですか。陛下を惑わし、この神聖な九日間に泥を塗ったあの男を、貴女はそこまで信じているというのですか」

 

ハッシュヴァルトの瞳に、冷徹な哀れみの色が浮かぶ。

 

「信じています。お兄様は、誰よりも往生際が悪くて、誰よりも勝つことに執着する方です。たとえ相手が神様でも、お兄様なら必ず『一番ムカつく方法』で勝ってくださいます!」

 

アイリスの言葉に、ハッシュヴァルトは短く、鼻で笑った。

 

「それは幻想です。陛下は今や和尚の力を取り込み、因果そのものを編み上げる存在となられた。未来を視る必要すらない。陛下が『こうあるべきだ』と望まれた瞬間、世界はその通りに再構築される。……カズマがどれほど足掻こうと、それは陛下という絶対的な海の表面に立つ、さざ波にすらなれぬ」

 

ハッシュヴァルトは剣を掲げた。

 

「私は陛下が敗北する未来を、万に一つも想定していない。陛下こそが唯一無二の秩序であり、私の主。その勝利は、太陽が昇るよりも確実な既定事項なのです」

 

「……いいえ、騎士様。夜が明けない朝はありませんが、お兄様は『夜を無理やりこじ開けて、太陽を引きずり出す』ような人です」

 

アイリスの聖剣アスカロンが、これまでにない眩い光を放ち始めた。彼女の全身から溢れ出す霊力は、傷口から流れる血を蒸発させ、黄金のオーラとなって回廊を埋め尽くす。

 

「無知とは罪だ。貴女がそれほどの幸運――強大な力を発動させればさせるほど、次に貴女を襲う『不運』は、貴女の命を確実に奪うものになるというのに」

 

「構いません! 私がここで果てたとしても、その不屈の意志は、必ずお兄様へ届きます!」

 

アイリスが光の弾丸と化して突進した。 ハッシュヴァルトの『世界調和』が、再び発動する。 アイリスの右腕の骨が砕ける音が響き、彼女の視界が暗転しかける。しかし、彼女はその砕けた右腕でアスカロンを握り直し、ハッシュヴァルトの懐へ潜り込んだ。

 

「……正気ですか、王女!」

 

初めて、ハッシュヴァルトの眉が動いた。 天秤が激しく揺れる。アイリスに降りかかる不運は、すでに致死量を超えていた。内臓が破れ、全身の血管が悲鳴を上げている。だが、彼女の瞳だけは、濁ることなく黄金の光を宿していた。

 

「お兄様が……私を信じて、ハッシュヴァルト様を任せてくれたのです……! 私がここで止まることは、エルロードの王家が、お兄様を裏切ることと同じです!」

 

「……くっ!」

 

ハッシュヴァルトは盾でアスカロンの切っ先を受け流そうとした。 だが、その瞬間。 アイリスの背後に、カズマの、アクアの、めぐみんの、ダクネスの……そしてこれまで継嗣に抗ってきたすべての人々の「想い」が、巨大な影となって重なった。

 

それは、ハッシュヴァルトが「幸運」として処理できるような、個人的な祈りではなかった。 それは、ままならない日常を取り戻そうとする、人々の執念――すなわち「因果の歪み」そのものだった。

 

ギギ……、ギギギギ……ッ!!

 

ハッシュヴァルトの天秤に、微かな亀裂が入った。

 

「不運が……精算しきれない……!? この少女一人の命に、これほどの『重み』が載っているというのか……!」

 

アイリスの剣が、ハッシュヴァルトの白い外套を僅かに切り裂いた。 僅か数ミリ。だが、それは「無傷の騎士」にとって、初めての、そして決定的な拒絶の証だった。

 

「……言ったはずです。お兄様は、必ず勝ちます。そして私も、あなたをここで止める。それが私たちの、新しい『名前』です!」

 

アイリスは血まみれの笑顔を浮かべ、最後の一歩を踏み出した。 回廊に、黄金と白銀の霊圧が爆発的に衝突し、空間そのものが砕け散る。

 

上空では、カズマたちが継嗣の待つ玉座へと辿り着こうとしていた。 地上のアイリスが示した「不屈」が、カズマの「悪あがき」を繋ぐための、唯一の希望の楔となっていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。