この素晴らしい世界に滅却師の王を! 作:sk20100626
『氷の宮殿(ジルバーン)』。アクセルの街の「影」の断層に築かれたその場所は、地上の喧騒とは無縁の、静謐と冷徹な魔力が支配する領域だった。
佐藤継嗣――いや、今やこの世界の棄てられた者たちにとって唯一の光である「陛下」は、玉座の間で瞑想に耽っていた。彼の瞳には、常に数万通りの「これから起こる事象」が流れ込んでいる。
「……陛下、各部隊の練兵および、居住区の配給が滞りなく完了いたしました」
傍らに控えるハッシュヴァルトが、羊皮紙を閉じ、深々と頭を下げる。 ハッシュヴァルト。かつて街の路地裏で死を待っていた少年は、今や帝国の最高執行責任者としての威厳を纏っていた。彼の『世界調和(ザ・バランス)』の力は、帝国内の資源配分や、団員たちの精神状態の「均衡」を保つことにも利用されていた。
「そうか。ハッシュヴァルト、団員たちの様子はどうだ。私の血を与え、文字(シュリフト)を刻んだことで、精神に過度な負荷はかかっていないか?」
「ご懸念には及びません。彼らにとって、陛下に血を賜り、力を授かったことは、これまでの地獄のような日々を上書きする『救済』そのものです。むしろ、陛下への忠誠が強すぎて、互いに手柄を競い合う気配すらあります」
継嗣は微かに微笑んだ。それは、かつての社畜時代には決して浮かべられなかった、親が子を想うような、あるいは冷徹な支配者が駒を愛でるような、複雑な笑みだった。
帝国の序列と、新たな「家族」
『見えざる帝国』には、明確な序列が存在する。
皇帝(カイザー):佐藤継嗣 全知全能の唯一神。全ての文字の源。
星十字騎士団長(グランドマスター):ハッシュヴァルト 陛下の代行者。騎士団の統率と均衡の管理。
聖十字騎士団(シュテルンリッター):文字を授かった精鋭たち 陛下から直接血を分け与えられた「上位団員」。
聖兵(ゾルダート):影から拾われた一般団員 陛下に命を救われ、その理念に賛同する歩兵たち。
宮殿の広場では、団員たちの日常が繰り広げられていた。 ここには、この世界の身分制度も、人種による差別もない。あるのは「陛下への貢献」という唯一の価値基準だけだ。
「おい、バズビー! また訓練場で勝手に火を吹き出しやがって。おかげで訓練用の標的が灰になっちまったじゃねえか!」
声を荒らげたのは、片腕が義肢の少年、アスキナ。彼はかつて奴隷市場で「実験体」として売られていたところを継嗣に救われた少年だ。授かった文字は**『D』――『致死量(ザ・デスディーリング)』**。
「うるせえな、アスキナ。火力の調整も修行のうちだろ。陛下は『最強の牙であれ』と仰ったんだ。俺が最強の炎を使わなくてどうする」
赤い髪を逆立てた少年、バズビーが、指先から小さな火花を散らしながら笑う。 かつて餓死寸前だったバズビーにとって、今の生活は夢のようだ。清潔な寝床、腹一杯の食事、そして自分を認めてくれる主。彼は帝国内でも屈指の熱血漢であり、若手団員たちの兄貴分的な存在になりつつあった。
「最強の牙、ねえ……。俺の『毒』に勝てる未来が視えてから言いなよ」 アスキナは気だるげに欠伸をする。彼は知的で皮肉屋だが、その根底には、自分を救い出した継嗣に対する、狂気にも似た恩義を感じていた。
「二人とも、そこまでになさい。陛下の宮殿を騒がせるのは不敬です」
凛とした声が響く。そこには、純白の軍服を完璧に着こなした少女が立っていた。 名を、リルトット。かつて「大食らいの呪い」にかかっているとして、村から怪物扱いされて追放された少女だ。彼女に与えられたのは、聖文字『G』――『暴食(ザ・グラトニー)』。
「陛下は今、世界の理を書き換えるための深い瞑想に入っておられます。……騒ぐなら、影の外へ出て魔王軍の首でも獲ってきなさい」
「へいへい、リーダー格のリルトット様が言うなら従いますよ」 アスキナが肩をすくめる。
リルトットは冷徹で合理的だが、年下の団員たちの面倒見が非常に良い。彼女にとって、この帝国は「自分を怪物として見ない唯一の場所」であり、陛下は「自分を必要としてくれた唯一の大人」だった。
帝国内の葛藤と結束
帝国の団員たちは、一様に壮絶な過去を持つ。それゆえ、彼らの結束は「仲良し」といった生ぬるいものではなく、共依存に近い、絶対的な帰属意識に基づいている。
「ねえ、リルトット。さっき、影の隙間から『地上の連中』が見えたんだけど……」 不安げにリルトットの裾を引いたのは、弱々しい印象の少年、グレミィ。かつて「想像力が豊かすぎて、周囲に災厄をもたらす」と言われ、魔導士たちに監禁されていた少年だ。 彼に与えられたのは、聖文字『V』――『夢想家(ザ・ヴィジョナリー)』。
「……カズマとかいう、あのパーティのこと?」
「うん。……彼らは、笑ってた。お腹を空かせているわけでもないのに、くだらないことで。……僕たちの場所とは、全然違うね」
グレミィの言葉に、周囲の空気が少しだけ沈む。 彼らにとって、アクセルの街で暮らす冒険者たちは、同じ世界の住人とは思えないほど「眩しすぎる」存在だった。自分たちが泥を啜っていた時、彼らは酒を飲み、笑っていた。その事実は、団員たちの心に深い楔として刺さっている。
「……グレミィ、気にするな。あの連中は『選ばれた側』だ」 バズビーが、グレミィの頭を乱暴に撫でる。 「だが、俺たちは違う。陛下が選んでくれたんだ。あいつらが視て見ぬふりをした俺たちを、陛下だけが拾い上げ、武器に変えてくれた。……笑いたきゃ笑わせておけ。最後に立っているのは、陛下の帝国だ」
「……そうだね。僕、陛下のために、もっと強い『現実』を想像するよ」 グレミィの瞳に、静かな決意が宿る。
陛下の巡察
玉座での瞑想を終えた継嗣が、広場へと現れた。 その瞬間、騒がしかった団員たちが、申し合わせたように一斉にその場に膝をつく。 水を打ったような静寂。
「……楽にしろ。ここは戦場ではない」
継嗣の声は穏やかだったが、その背後に漂う霊圧は、団員たちの魂を震わせる。 彼は一人一人の顔を見て回った。かつて死にかけていた時の青白い顔ではなく、今は皆、生気と自信に満ちている。
「バズビー。炎の制御が以前より良くなっているな」 「っ……! ありがとうございます、陛下!」
「アスキナ。毒の配合を研究しているようだが、あまり自身の体に負担をかけすぎるな。貴様の命は、私のものだ」 「……お心遣い、恐縮です」
継嗣は最後に、端に控えていた最年少の少女、ジゼルの前に立った。 彼女は戦場で、敵からも味方からも死体の一部として扱われていたところを救われた。聖文字『Z』――『死者(ザ・ゾンビ)』。
「ジゼル。……仲間たちが傷ついた時、貴様の力が頼りになる。だが、死者に頼るのではなく、生者を生かすために力を使え」
「はい、陛下ぁ♪ 陛下の仰る通りにしますぅ!」
継嗣は満足そうに頷き、ハッシュヴァルトに目配せをした。
「団員諸君。……近日中に、帝国は本格的な『領土拡大』を開始する。まずはこの街の周辺に巣食う魔王軍の拠点を、文字通り地図から消し去る。……これは戦いではない。貴様たちの存在を、世界に知らしめる『示威行進』だ」
団員たちの瞳に、狂熱が宿る。
「我々は影の中に隠れ住むだけの存在ではない。影こそが世界の真実であり、光は幻影に過ぎないことを証明する。……準備をせよ」
「「「ジーク・ハイル(陛下に勝利を)!!!」」」
数千の声が、影の宮殿を震わせる。 彼らにとって、継嗣はもはや単なる「雇用主」でも「恩人」でもない。 自分たちの絶望を食らい、意味を与えてくれた、文字通りの「神」だった。
影の向こう側
一方、地上のアクセルの街。 カズマは、ギルドの酒場で妙な違和感を感じていた。
「なあ……最近、街の空気が変じゃないか? 妙に冷え冷えとするというか、影が濃くなったような気がするんだが」
「カズマ、アンタの気のせいじゃない? それより見てよ、この高級シュワシュワ! 誰かが匿名でギルドに大量の食料を寄付したらしいわよ。おかげで街の孤児院も潤ってるってさ」 アクアが上機嫌でグラスを傾ける。
「……寄付? 匿名で?」 カズマの脳裏に、あの冷徹な瞳をした男――継嗣の顔が浮かぶ。 (……あいつ、まさか……。街を救おうとしてるのか? それとも、もっと別の……)
カズマの直感は、正しかった。 継嗣が行っている寄付や慈善活動は、全て「全知全能」によって計算された、街の支持率操作と霊子の安定化のための策だった。 彼は「光」の手段を使いながら、着実に「影」の支配を広げている。
「……継嗣。お前、今どこで何を見てるんだ」
カズマが窓の外の、やけに濃くなった夕闇を見つめる。 その影の向こうで、数千の白銀の瞳が、自分たちを見下ろしていることなど、今のカズマには知る由もなかった。
帝国は、すでに飽和していた。 あとは、誰かが引き金を引くだけ。 そしてその引き金は、すでに継嗣の指先にかかっている。
「……さあ、始めようか」
影の玉座で、継嗣が独りごちた。 『全知全能』が映し出す次の未来――それは、魔王軍の拠点が一晩で白銀の炎に包まれ、消失する絶景だった。