この素晴らしい世界に滅却師の王を! 作:sk20100626
カズマは、アクセルの街の片隅にある安酒場の隅っこで、ぬるくなったエールを口にした。 喉を通り抜ける麦の苦味。それは、彼がこの異世界に来てから数え切れないほど味わってきた、唯一と言ってもいい「現実感」だった。
「……おかしいだろ。なぁ、どう考えてもおかしいよな、これ」
誰に聞かせるでもなく、カズマは呟く。 彼の正面では、アクアが「ねえカズマ! この霜降り赤身肉、もう一皿頼んでもいいかしら!? 今日はなんだか、ギルドの景気がいいみたいで報酬にボーナスがついたのよ!」と、能天気に騒いでいる。
カズマは、その「ボーナス」という言葉に、胃のあたりがチリつくような違和感を覚えた。 最近、このアクセルの街は、あまりにも「都合が良すぎる」のだ。
思えば、すべてはあの男――佐藤継嗣(サトウ・ケイジ)が現れたあの日から始まった。 カズマが最初に彼を見た時の印象は、「やたらと威圧感のある、冴えない社畜上がりの同業者」だった。自分と同じ転生者。それも、アクアが適当に送り出した一人だろう。
だが、彼は最初から異質だった。 水晶玉を粉砕し、キャベツを「漬物」に変えて空から降らせたあの瞬間。カズマは「こいつは便利でヤバい奴だ」程度にしか思っていなかった。自分と同じように、チート能力?を悪用して楽をしようとしている仲間だと。
しかし、現実は違った。 継嗣は、カズマたちとつるむことを選ばなかった。 彼は、カズマが喉から手が出るほど欲しがっていた「冒険者としての名声」や「金」にも興味を示さず、ただ静かに、街の「影」の中に消えていった。
「あいつが何を考えてるかなんて、俺にはわからなかった。……いや、今でもわからねえよ」
カズマは回想する。 継嗣が消えてから数週間、アクセルの街の「環境」が劇的に変わり始めた。 まず、街から孤児や浮浪者が消えた。 衛兵たちは「どこかの慈悲深い組織が、彼らを一括して引き取った」と説明していたが、その「組織」の名前も場所も、誰も知らない。
次に、魔王軍の脅威が目に見えて減った。 いや、「減った」なんて生ぬるいものじゃない。 本来ならアクセルを壊滅させるはずだったデュラハン、ベルディアが襲来した際、継嗣は奴を「花」に変えて追い払った。あの時の、絶望すらも思い通りに操るような、底知れない瞳。
「あいつの眼……。あれは、人間が持っちゃいけない眼だったんだ」
そして、カズマが決定的におかしいと感じたのは、あの「見えざる帝国」の建国宣言だった。 ギルドの中央に現れた継嗣と、その傍らに控えるハッシュヴァルト。 かつて路地裏で死にかけていたガキが、まるで一国の騎士団長のような顔をして立っているのを見た時、カズマの背筋には冷たい汗が流れた。
「あいつは、俺たちが『仕方ない』と諦めていた連中を拾い集めたんだ」
カズマは知っている。この世界は残酷だ。 才能のない冒険者はカエルに飲まれ、金のない子供は泥水を啜り、誰にも気づかれずに死んでいく。カズマだって、自分の保身に必死で、そんな連中を救おうなんて大それたことは考えもしなかった。できることなら救いたかったが何せ今は借金もある身なのだ。
だが、継嗣は違った。 彼は彼らを「救った」のではない。「兵器」に変えたのだ。
カズマたちが影の領域に招かれたあの日の光景を、彼は一生忘れないだろう。 白銀の宮殿。整然と並ぶ、かつて「ゴミ」と呼ばれていた少年少女たち。 彼らから放たれる、魔力とは似て非なる、魂を削り取るような重圧。 特にあの、赤い髪のバズビーとかいうガキや、リルトットという少女。彼らの瞳には、カズマたちのような「生」への執着ではなく、陛下という絶対神への「献身」だけが宿っていた。
「『お前たちの道と私の道が交わることは二度とない』……か。皮肉なもんだよな」
継嗣はそう言って、カズマたちを「光」の世界へ追い出した。 それは優しさだったのか、それとも徹底的な拒絶だったのか。 おかげでカズマたちは、今もこうして安全な街で、ぬるいエールを飲みながら、魔王軍の影に怯えることもなく暮らしていられる。
だが、それは本当に「自由」なのだろうか? 最近のカズマには、この平和そのものが、継嗣によって「確定された檻」のように思えてならなかった。
「ねえカズマ。聞いてるの? さっきから変な顔して」 アクアが覗き込んでくる。その顔には、相変わらず悩みの一つも見当たらない。
「アクア。お前、気づいてないのか? 最近、魔王軍の幹部が一人もこの街に来ない理由を。クエストの内容が、やけに簡単なものばかりになってる理由を」
「え? それは私の神聖なオーラが街を満たしてるからに決まってるじゃない! あるいは、あの魔王が私の美しさに恐れをなしたとか……」
「……おめでてーな、お前は」
カズマは溜息をついた。 アクアは女神だ。だが、彼女の「全知」など、継嗣の持つ『全知全能』の前では、子供の計算機のようなものだろう。
カズマは視線を窓の外、暮れなずむ街並みに向けた。 建物の影、路地裏の影、人々の足元に伸びる影。 そのすべてが、どこか深い場所で繋がっているような気がしてならない。
街の孤児院には、毎日正体不明の支援物資が届く。 冒険者たちがピンチになれば、なぜか「偶然」強力な助っ人が現れたり、敵が急に自滅したりする。 街の人々はそれを「幸運」と呼び、エリス教徒たちは「女神の奇跡」と称えて祈りを捧げている。
だが、カズマは知っている。 それは幸運でも奇跡でもない。 ハッシュヴァルトが天秤を揺らし、バズビーが影から炎を放ち、リルトットが敵を喰らい、そして継嗣が玉座で「そうなれ」と指を動かした結果に過ぎないのだ。
「俺たちは……生かされてるんだよ。あの野郎の手のひらでな」
継嗣は、この世界の「不幸」や「理不尽」を、自らの帝国に取り込むことで中和している。 廃棄されるはずだった命を兵士に変え、魔王軍の軍勢を影で処理し、世界を「最適化」している。 それは、ある意味では理想の神だ。
だが、カズマはその完璧な平穏が、何よりも恐ろしかった。 未来が、あいつの視ている通りにしか進まない世界。 自分がどれだけ足掻こうとも、あいつが「カズマはここでエールを飲む未来」を選べば、そこから動けないような、そんな感覚。
「……あいつ、本当に魔王を倒すつもりなのかな」
「え? 継嗣が? 当たり前じゃない。あんなに強力な私兵を持ってるんだし、さっさと倒してくれれば、私だって天界に帰れる……あ、でも、ここでの生活も捨てがたいし……」
アクアの呑気な独り言を無視して、カズマは拳を握りしめた。
もし、継嗣が魔王を倒したら。 その後に来るのは、どんな世界だ? 神々すらも、あいつの『全知全能』には勝てないだろう。 王国も、魔王軍も、すべてが「見えざる帝国」の一部となり、世界は一つの巨大な、完璧な影に覆われる。
「……最悪だ。俺、あいつのことチート仲間だと思ってたけど、とんでもねえ化け物を呼び寄せちまったんだな」
カズマは、ジョッキに残ったエールを一気に飲み干した。
ふと、背後に気配を感じた。 振り返るが、そこには誰もいない。ただ、壁に映る自分の影が、一瞬だけ、不自然に揺れたような気がした。
(……監視されてるのか。あるいは、守られてるのか)
カズマは苦笑いした。 自分がどう足掻いても、今の継嗣には届かない。 あいつはもう、自分と同じ「転生者」というカテゴリーにはいないのだ。
「……全知全能、か。勝てるわけねえだろ、そんなもん」
カズマは席を立ち、フラフラと店の外へ出た。 夜の帳が下りるアクセルの街。 街灯の光の下で、人々の影が長く、深く伸びていく。 その一つ一つが、帝国の入り口であるかのように見えて、カズマは思わず足早に宿へと向かった。
背後で、風が吹いた。 それは、どこか冷たく、しかし静寂を伴った、白銀の風だった。
「……次は俺の番か? それとも、一生このままか」
カズマの独り言は、濃密な夜の影に飲み込まれ、誰に届くこともなく消えていった。
現在