この素晴らしい世界に滅却師の王を!   作:sk20100626

8 / 31
第8話 九年の眠り

アクセルの街から少し離れた荒野の地下。影の領域(シャッテン・ベライヒ)に構築された『氷の宮殿(ジルバーン)』は、かつてないほどの濃密な霊圧に満たされていた。

 

玉座に座る佐藤継嗣の瞳は、分裂した瞳孔が激しく蠢き、周囲の空間を陽炎のように歪ませている。

 

「……陛下、もはや限界でございますか」

 

ハッシュヴァルトが、痛ましさを隠せぬ表情で膝をついた。 継嗣の肉体は今、この異世界の理と『全知全能(ジ・オールマイティ)』の力が激しく衝突し、融合しようとする拒絶反応の渦中にあった。異世界の神から与えられた概念的な力があまりに強大すぎたため、この世界の物質で構成された肉体がその「定着」を拒んでいるのだ。

 

「案ずるな、ハッシュヴァルト。これは、私が真の意味でこの世界の『理』そのものになるための儀式に過ぎない」

 

継嗣は震える手で自身の顔を覆った。指の隙間から、銀色に輝く涙のような霊子が溢れ出す。

 

「私の力は、あまりに急速に解放されすぎた。今のままでは、この世界そのものを意図せず書き換えてしまう。……私はこれより、力を定着させるための眠りにつく。期間は……九年だ」

 

「九年……。承知いたしました。我ら聖十字騎士団(シュテルンリッター)、その間いかに振る舞うべきか、御指示を」

 

継嗣は薄れゆく意識を繋ぎ止め、最後の命令を下した。

 

「一つ、魔王軍や王国との全面戦争は避けよ。だが、影の中から棄てられた者たちを拾い続け、帝国の血を絶やすな。 二つ、カズマやアクアたちの動向は監視に留めよ。彼らが光の世界でいかに謳歌しようとも、それは私の掌の上の出来事に過ぎない。 ……三つ、九年後。私が目覚めた時、世界が我が影に伏している準備を終えておけ」

 

「……御意。ジーク・ハイル、我が陛下」

 

ハッシュヴァルトの唱和と共に、継嗣の肉体は結晶化した霊子に包まれ、玉座ごと巨大な白銀の繭へと変化した。

 

ー第一年:見守る影ー

 

継嗣が眠りについてから一年。 世界は、何一つ変わらないかのように見えた。魔王軍の散発的な襲撃は続き、冒険者たちは日銭を稼ぐためにクエストに励む。 カズマたちは、継嗣が突然姿を消したことに首を傾げたが、アクアが「あの陰気な男、きっとどっかで野垂れ死んだのよ! 私の神聖なオーラに耐えられなかったのね!」と結論づけると、彼らはすぐに元の騒がしい日常に戻っていった。

 

だが、ハッシュヴァルトは動いていた。 彼はアクセルの街の影に潜み、飢えた孤児、病で棄てられた奴隷、絶望に暮れる亜人たちを、音もなく影へと引き込んでいった。

 

「陛下は眠っておられる。だが、その瞳は常に我らの献身を視ておられる」

 

ハッシュヴァルトの言葉は、帝国の団員たちにとって唯一の福音となった。

 

ー第三年:浸食される日常ー

 

三年が経過した。 カズマたちのパーティは、中堅冒険者として名を馳せていた。 だが、彼らは気づいていない。自分たちが救ったはずの村々で、なぜか「行方不明者」が続出していることに。 消えたのは決まって、社会から疎外され、誰も行方を追わない者たちばかり。

 

彼らは影の宮殿で、新たな『文字(シュリフト)』を授けられ、白銀の騎士へと作り変えられていた。 バズビーは新兵たちの教官となり、リルトットは影の領域内の食糧問題を解決するために、不要な魔物を捕食し続けていた。

 

「ねえ、リルトット。陛下はいつ起きるの? もう飽きちゃったんだけど」 アスキナが欠伸混じりに問う。

 

「……黙りなさい。陛下の鼓動は、日に日に力強くなっている。その時が来れば、貴方の退屈も致死量を越えるわよ」

 

ー第六年:伝説の風化と静かな支配ー

 

六年の歳月は、人々の記憶を薄れさせるには十分だった。 かつてキャベツを浅漬けに変えた男の噂は、今やアクセルの街の「お伽噺」の一つに過ぎない。 カズマたちは、相変わらずトラブルに巻き込まれながらも、贅沢な暮らしを享受していた。

 

しかし、王国の経済や流通の影には、ハッシュヴァルトが育て上げた「影の商人」たちが潜り込んでいた。 王国の有力者が不運に見舞われ、帝国に有益な若者が幸運に恵まれる。ハッシュヴァルトの『世界調和(ザ・バランス)』による精密な操作が、世界のパワーバランスを緩やかに、だが確実に見えざる帝国へと傾けていた。

 

ー第九年:覚醒ー

 

そして、運命の九年目が訪れた。

 

宮殿の奥深く、白銀の繭に亀裂が走る。 その瞬間、アクセルの街のすべての「影」が、物理的な質量を持ったかのように重く沈み込んだ。

 

「……うわっ、何これ!? 影が……影が私の足を掴んでるみたいなんだけど!」 ギルドで酒を飲んでいたアクアが悲鳴を上げる。 カズマも、腰の剣に手をかけ、周囲を警戒した。

 

「おい……なんだ、この寒気は……。何かが来る、とんでもねえ化け物が……!」

 

その時、影の領域の最深部で、継嗣がゆっくりと瞳を開いた。 九年という歳月をかけて、彼の魂は完全にこの世界の根源へと定着した。 分裂していた瞳孔は、今や一つの、銀色に輝く「真理の眼」へと統合されている。

 

「……知性を取り戻す九年は、終わった」

 

継嗣が立ち上がると、白銀の繭は霧散し、彼の背後から圧倒的な霊圧が翼となって広がった。 もはや、以前の彼ではない。 存在そのものが『理』であり、一呼吸で世界の未来を決定づける絶対者。

 

「陛下……!」

 

ハッシュヴァルトを筆頭に、数千、数万にまで膨れ上がった星十字騎士団(シュテルンリッター)が、宮殿を埋め尽くすように跪いた。 かつての孤児たち、奴隷たちは、今やこの世界を蹂躙し得る最強の軍勢へと変貌を遂げている。

 

「ハッシュヴァルト。……世界は、整ったか」

 

「はっ。陛下が指を鳴らせば、この世界の光は一瞬にして絶え、影の支配が完成いたします。準備は全て整っております」

 

継嗣は、宮殿の窓から地上の様子を「視た」。 九年という猶予を与えたカズマたちの未来。 彼らがこれから味わう絶望。 そして、自分がこれから書き換える、唯一絶対の秩序ある未来。

 

「よろしい。……進軍を開始せよ」

 

継嗣が静かに告げると、アクセルの街を、王都を、魔王城を、すべての「影」が同時に爆発した。 九年の沈黙を破り、見えざる帝国がその全貌を現した。

 

「……さあ、カズマ。お前たちの九年間の物語に、私が最後の一行を書き加えてやろう」

 

白銀の皇帝が、影の玉座から一歩を踏み出した。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。