この素晴らしい世界に滅却師の王を!   作:sk20100626

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第9話 九日の聖戦

影の底、霊子の繭が霧散した中心に、その男は立っていた。

 

佐藤継嗣。かつては一介の社畜であり、異世界に転生してからは『見えざる帝国』の皇帝となった男。九年前、魂の変質を抑えるために玉座で眠りについた彼は、今、再びこの世界の空気を肺に満たしていた。

 

「……陛下」

 

ハッシュヴァルトが、震える声で膝をつく。九年という歳月は、彼の面立ちをより精悍に、その忠誠心をより強固な鋼へと変えていた。背後に控える星十字騎士団(シュテルンリッター)たちも、主の帰還に魂を震わせ、静寂の中に狂熱を秘めている。

 

継嗣はゆっくりと、自らの掌を見つめた。 かつて、すべてを視通し、すべてを書き換えたあの万能感。未来という名の砂浜に、己の足跡を自由に刻み込めたあの『全知全能(ジ・オールマイティ)』の感覚が――今は、ない。

 

「……案ずるな、ハッシュヴァルト。私は、力を失ったわけではない」

 

継嗣の口から漏れた声は、九年前のそれとは明らかに異なっていた。 落ち着きを払い、深い慈悲と、抗いようのない威厳を湛えた重低音。それはかつての佐藤継嗣としての焦りや傲慢を削ぎ落とし、ただ純然たる「王」としての器に満ちた、ユーハバッハそのものの口調であった。そう、継嗣は憧れの存在(ユーハバッハ)に成ったのだ。

 

「我が魂に刻まれた理法は、今、この世界の理(ルール)と融合の最終段階にある。……九年を経て、私は鼓動を取り戻し、理知を取り戻した。だが、真なる『力』がこの指先に宿るまでには、あと僅かな刻を要する」

 

継嗣は静かに瞳を閉じる。 分裂していた瞳孔は一つに纏まり、今はただ、深淵のような黒がそこにある。未来はまだ、霧の向こう側だ。だが、彼は焦らない。その「確信」さえも、王の器の一部となっていた。

 

「九日間だ。九日間を以て、私は力を取り戻し、世界を取り戻す」

 

皇帝の帰還と、穏やかなる覇道

 

九年の歳月は、継嗣の性格にも変容をもたらしていた。 かつての彼は、どこか「原作の能力を使いこなす」ことに執着し、敵を蹂躙することに悦びを感じる、転生者特有の浮ついた残虐性があった。しかし、長い眠りの中で数多の魂の断面を視続け、世界の構成に触れた今の彼は、より「丸く」なっていた。

 

それは弱体化ではない。 敵対する者すらも、自らの一部として飲み込み、秩序の欠片として再構築しようとする、絶対的な「肯定」の精神。

 

「バズビーよ。貴様の炎、九年前よりも温かいな。……よく、仲間を守り抜いた」

 

「へ、陛下……っ!」

 

最前列で首を垂れていたバズビーの肩が、激しく震える。かつての陛下であれば、訓練の不備を指摘し、冷徹に突き放したかもしれない。だが、今の陛下から掛けられたのは、父が子を労うような、温かな慈愛の言葉だった。

 

「リルトット。アスキナ。……貴様たちの忠義、眠りの中でも絶えず届いていたぞ。九年という長い夜を、よくぞ耐え忍んだ」

 

「……光栄の至りに存じます。陛下」 リルトットが珍しく声を詰まらせる。

 

継嗣は、玉座の間を見渡した。 そこには、彼が九年前に拾い上げた「棄てられた子供たち」が、今や立派な騎士として成長した姿があった。彼らにとって、継嗣はもはや単なる能力の供与者ではない。存在そのものが世界の中心であり、帰るべき家なのだ。

 

「ハッシュヴァルト。現在の地上の状況を報告せよ。……今の私に『全知』はない。貴様の言葉こそが、私の瞳だ」

 

ハッシュヴァルトは居住まいを正し、淀みなく現状を述べた。 カズマたちが「魔王を倒した英雄」として王都で贅沢を極めていること。王国の貴族たちが、平和を隠れ蓑に腐敗を深めていること。そして、魔王軍の残党が力を失い、野盗に成り果てて民を苦しめていること。

 

「……なるほど。光が強すぎれば、人は影を忘れ、己の醜さすらも見失うということか」

 

継嗣は、九年前にカズマたちを「好きにさせておけ」と命じた自分の判断を振り返る。それは彼らへの最後の手向けであったが、結果として世界は停滞し、腐敗という名の泥に沈みつつあった。

 

「彼らにとって、私は『魔王を奪った死神』に見えるかもしれぬな。……だが、それもまた一興。救済とは、時に残酷な貌をして訪れるものだ」

 

奪還の第一日:静かなる胎動

 

「陛下、地上のアクセルの街周辺、および王都の重要拠点には、すでに我が帝国の『影』が根を張っております。陛下が御命じになれば、即座にこれらを制圧可能ですが……」

 

「焦るな、ハッシュヴァルト」

 

継嗣は立ち上がり、ゆっくりと宮殿の窓際へ歩んだ。 影の領域から視る地上は、相変わらず明るい。だが、その光の下には、九年前よりも多くの絶望が隠されているのを、彼は「視る」までもなく感じ取っていた。

 

「力のない今の私には、未来を書き換えることはできぬ。だが、『過去を肯定する』ことはできる。……ハッシュヴァルト。アクセルの街にある、あの騒がしいギルドへ、使いを出せ」

 

「使い、でございますか? 騎士団の誰を……」

 

「いや。……私が行く」

 

その場にいた全員が息を呑んだ。 力が完全に戻っていない今、万が一のことがあれば。その懸念を遮るように、継嗣は穏やかに笑った。

 

「案ずるな。九日間で力を取り戻すという言葉に、偽りはない。……今の私に必要なのは、九年間の空白を埋めるための『対話』だ。カズマ。そしてアクア。彼らがこの九年、何を成し、何を失ったのか。それをこの眼で確かめねば、真に世界を取り戻すことはできぬ」

 

継嗣の姿が、白銀の霊子に包まれる。 それはかつての威圧的な影ではなく、夜道を照らす月明かりのような、静かな光だった。

 

アクセルの街、再訪

 

九年後のアクセル。 街は以前よりも大きく、豪華になっていた。魔王の脅威が消えたことで交易が盛んになり、あちこちに不自然なほど贅沢な装飾が施された建物が並んでいる。

 

ギルド『冒険者組合』。 昼間から酒を酌み交わす者たちの中に、かつての熱気はない。あるのは、過去の武勇伝を語るだけの老いた冒険者と、魔王亡き後の「ぬるい仕事」に慣れきった若い世代の弛緩した空気だ。

 

その入り口の扉が、静かに開いた。

 

白銀の外套を纏い、威厳に満ちた髭を蓄えた男が、一歩足を踏み入れる。 彼の背後には、同じく白銀の装束に身を包んだ、天秤を掲げる美しい騎士が一人。

 

「……何だ、あの連中。見かけない装備だが……」 「新手の貴族か? それにしても、あの雰囲気……」

 

ざわめくギルド。その最奥、特等席に陣取っていたのは、今や「伝説のパーティ」と呼ばれ、王都からも一目置かれる存在となったカズマたちだった。

 

「おいアクア、だから言っただろ。今日のクエストは適当に流して……って、おい」

 

カズマの言葉が止まる。 彼が手にしたジョッキが、ガタガタと震え始めた。 隣にいたアクアも、酒に酔っていた目が一瞬で覚め、その場に固まっていた。

 

「……カズマ。久しぶりだな」

 

継嗣の声が、ギルド全体に染み渡るように響いた。 かつての佐藤継嗣のような、どこか卑屈さや焦りの混じった声ではない。 すべてを許し、すべてを受け入れる、圧倒的な支配者の声。

 

「……け、継嗣……? お前、継嗣なのか!?」

 

カズマが椅子を倒しながら立ち上がる。 九年の歳月を経て、カズマもまた大人びていたが、その瞳には当時と同じ――いや、当時以上の「本能的な恐怖」が宿っていた。

 

「左様。……九年、眠りについていた。知性を取り戻すために。そして今、私は世界を取り戻すために戻ってきた」

 

継嗣は穏やかに、カズマの正面の席に座った。 ハッシュヴァルトがその背後に、彫像のように控える。

 

「……全知全能(ジ・オールマイティ)は、今は使えぬ。カズマよ、安心せよ。今の私は、ただの『王』に過ぎない」

 

継嗣は微笑んだ。その丸くなった性格と、ユーハバッハとしての絶対的な口調の融合。 それは、九年前の力による支配よりも、はるかに深くカズマの精神を揺さぶっていた。

 

「九日間だ、カズマ。九日間の後、私はこの世界のすべてを、我が影の秩序へと塗り替える。……そして、これは世界への宣戦布告でもある。私は9日間の間に世界を取り戻す」

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