黒く粘つく、拳に絡みつく。
泥、タール、ヘドロ。色々と巡り巡って、最終的に、髪の詰まった排水口にたどり着く。
不愉快だが、取り除かなければならない。それができる誰かが、やらなければならないこと。目下、それが叶う能力と暇を持ち合わせているのは、僕くらいのものだった。
ずる、と拳を引き抜くと、それの体組織が糸を引いて、未練がましくついてくる。無言のまま引き抜くと、ほどなくして、それは風前の塵のように霧散する。
不快な臭い。不愉快な感触。それで……それが、いい。不愉快であればあるほど。なんだかとても、許されたような気分になる。
こんなことを繰り返して、もうニ年も経つ。高校に入っても、僕は何も変わることなく、こんなことを続けている。
先生は、無理はするなと言ってくれるが、なんのことはない。できることを、できるやつがやっているだけだ。そうでなければ、僕の居場所がなくなってしまう。
僕の生存が許容されるのは、こうしている間だけなのだから。
「──────────」
視線を感じる。
すぐにその元を確かめるようなことはしない。
少しばかり、時間をかけすぎてしまった。人払いは済ませていたはずだが、三流の魔術では、こういうこともあるだろう。
何事もなかったように、その場を後にする。
明日も学校だ。早く帰って、シャワーを浴びて寝よう。
◇
学校というのはとかく、人が多い。廊下と言わず、教室と言わず、HR前のこの時間はどこも人でごった返している。
煩わしいとは思わない。寧ろ、僕のぶんのスペースを埋めてしまって、申し訳ないと思う。僕がいなければ、彼らは人ひとりぶん、快適に過ごすことができるのだから。
いつものように小さくなって、文庫本を開いて、HRまでの時間を潰す。
こうしていると、人が寄ってこない。ありがたいことだ。一月もこの態度を崩さずにいれば、周りは僕を“そういうやつ”と認識して、ちょっかいをかけてくることもなくなった。
僕なんかに関わっても、ろくなことはないのだ。動物的な危険信号が備わっているなら、もう踏み込んではこまい。
ただどうしても、会話というのは聞きたくもないのに耳に入ってくるもので。
「見たか、昨日の」
「フードの?AIだろ。どう見ても」
「ねえ友梨ー?昼休みのあとー体操着貸してー?」
「数学の?え、提出今日だっけ?」
「美緒、また軽音やんない?ギターの子やめちゃってさあ」
「ごめん。バイト始めちゃってえ……」
実に取り留めのないやり取りだ。そして同時に、羨ましくもある。妬ましいと思わないといえば、それはきっと嘘なのだろう。
彼らのような生き方は、僕には許されないから。
ほどなくして予鈴が鳴り、担任が教室に入ってくる。
あとは同じだ。いつもと同じ、判で押したような一日が始まって、終わる。
それは素晴らしいことだ。大きな揉め事もなく、事件も事故もなく、平穏無事に一日が終わる。称揚すべき退屈を、そうとも知らずに過ごす。
そういうものの礎になれることは、救いですらある。
僕の一日はこれから始まる。
夜が来れば、またそれがやって来る。
それを潰し、殺して回るのが、僕が僕を許容できる唯一の時間だ。