四辻にて   作:薔薇結石

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二話

「美緒ー!遅刻するよー!」

 

「もう行くから!大丈夫だって!」

 

 前髪がぜんぜん決まらない……。

 

 鏡の前で、もう10分くらい前髪と格闘してる気がする。いつもはもっと、バシッとすぐに決まるのに。

 

 ママが急かすのもあるけど、一番はやっぱり。

 

「昨日のアレ、なんだったんだろ……」

 

 バイトの帰りに見かけた、フードを被ったみたいな黒い人影。何をしてるかよくわからなかったけど、足元の黒い塊が煙みたいに消えてなくなったところで、怖くなって逃げた。

 

 通報した方がよかったのかな。

 

 でも暗くてよく見えなかったしなあ。見間違いだったら、私すごい迷惑な人になっちゃうし。

 

「お。きた!」

 

 やっと理想の前髪ができあがった。

 

 急いでリュックを背負って、洗面所を出る。

 

「お弁当持った?」

 

「持った」

 

「鍵は?」

 

「持った!」

 

「行ってきますは?」

 

「行ってきまーす!」

 

 ダッシュで駅まで、いつもの時間になんとか間に合ってホッとする。

 

「う」

 

 ただし、朝の用意に遅れた私への天罰か、今朝は座れなさそうだ。

 

 学校まで20分くらいだけど、それでも座れるものなら座りたい。チビだから吊り革を掴むのも大変なんだ、こちとら。

 

 仕方なく棒を掴んで揺られていくことにする。

 

 どんどん変わっていく景色を見るのも飽きて、視線を下にすると、私の前に座っている人が、同じ学校の制服を着てる男子なことに気がついた。

 

 なんか難しそうな小説を読んでる。揺れる車内で、微動だにしないで、本からまったく視線をそらさずにいる。すごい体幹だ。

 

 本からはみ出す顔を見て、その男子が誰かわかった。

 

 クラスメイトの頸木くんだ。武曽、武曽……啓一郎!武曽(むそう)啓一郎(けいいちろう)くんだ。目立つ顔をしてるから、すぐにわかった。

 

 もう入学から1ヶ月経つのに、同じ時間の電車を使ってることに初めて気がついた。違う車両に乗ってて、今まで会わなかったのかもしれない。

 

 頸木くんとはあんまり話したことはないけど、なんか静かで、大人っぽい印象だった。運動部の連中と違いすぎて、本当に同い年なのか疑問に思ったほどだ。

 

 学校ではずっと本読んでるけど、電車でも読んでるんだ。すげー。本なんて漫画しか読めないや、私。

 

『間もなく芽野、芽野。お出口は右側です』

 

 ぼーっと頸木くんを見てたら、もう学校の最寄り駅に着いていた。

 

 ぞろぞろ降りる人の波に混ざって、私も降りる。当然、頸木くんも降りる。

 

 こうして見るとよくわかる。くっそー、綺麗な顔しやがって……。お化粧なんてしてないだろうに、なんだその肌の白さ、髪の艶。くっそー。勝負の前から負けた気がする。

 

 あ。でも、履いてるローファー、普通のよりヒールが高い。身長、気にしてるのか?

 

 仕方ないな。弱点を見つけてしまったが、目をつぶっておいてやろう。チビは辛いもんね。わかるわかる。

 

 お嬢ちゃん小学生?ざっけんな花の女子高生だわ。今年16歳なんですけど。制服着てるんですけど。あーやだやだ。

 

 武曽くんは言うほどチビじゃないと思うけど、男子だもんなあ。私なんかより深刻なんだろう。

 

 同じ悩みを持つ者どうし、勝手にシンパシーを感じてしまう。前から気にはなってたし、今日くらい話しかけてみようかな。武曽くん、友達とか少なそうだし。

 

 話題は……なにがいいだろう。小説はよくわかんないしな。音楽とか聴くなら、そっちから攻めていけるけど。まあ、今どき音楽聴かない高校生もいないか。

 

「美緒ー」

 

 アイドルは知らなそうだなー。流行りとかも気にしてなさそう。洋楽とか?私が知らん。邦ロックしか聴かんし、私。

 

 やば。引き出しなさすぎ。

 

「美緒!」

 

「おっ、ぶ。え、なに」

 

 びっっくりした。和佳奈だ。不審者かと思った。

 

「さっきから呼んでんのに無視すんだもん。心配するわ」

 

「ごめんて。無視してたんじゃないから」

 

 ……和佳奈も美人系なんだけど、武曽くんを見た後だからか、なんかパッとしないな。

 

「? なに、なんかついてる?」

 

「青のり」

 

「えっ、嘘」

 

「嘘」

 

「てめっ、んなろっ」

 

 羽交い締めにされて、ズルズルと引きずられていく。チビに為す術はない。

 

 そのまま、駅前から教室まで引きずられていった。抵抗しない私も私だけど、こいつもよくやるわ。

 

 肩で息をする和佳奈を尻目に、私はしれっと自分の席に腰かける。

 

「大丈夫?」

 

「……いい、運動になった」

 

「そんな重くないよ」

 

 HRまでは時間があるので、いつものように集まってくる友達と、雑談でもして時間を潰す。

 

「美緒、また軽音やんない?ギターの子やめちゃってさあ」

 

「ゴメン。バイト始めちゃってえ……」

 

 なんか、いつもこんな感じだ。学校行って、友達と話して、バイトして、ちょっとだけ勉強して、気づいたら週末。

 

 こんなんでいいのかなあとは思うけど、別に何かを変えようとは思わない。焦りというよりは、たぶん、ただの平和ボケだから。

 

「それよりさ、動画見た?」

 

「なに、なんの?」

 

「なんか、不審者のやつ。フードの。あと、変なのが写ってる」

 

「なにそれ」

 

 フードの不審者なら知ってるけど、動画は知らない。そういえば、さっき男子がそんな話してたな。

 

「黒い変な……とにかく変なのと、フード被った人が出てるやつだよ。たまたま回ってきたんだけど、あれこの辺で撮られたやつっぽくてさ。なんか気持ち悪いじゃん」

 

「えー、流行りのAIなんじゃないの?」

 

「美緒もそう思う?ま、やっぱそうだよね」

 

「遊び半分で作ったんでしょ。住んでる方の気持ちも考えてほしいもんだね」

 

「本当にねー」

 

 ちら、と隣の席を見ると、相変わらず、難しそうな本をずっと読んでいる彼がいる。

 

 話しかけるなオーラ満載。この守りを崩すのは、かなり厳しそう。でも、1日中こうってわけじゃないでしょ。どっかのタイミングで、隙を見せるときがくるはず。話しかけるのは、その時でいいか。

 

 

 

 

 1日が終わった。終わってしまった。

 

 結局、武曽くんはまったく隙を見せることなく下校していった。

 

 なんだその鉄の意志。どんだけ話しかけられたくないんだ。どんだけ面白いんだ、その本。

 

 私は本以下か!……本以下か。

 

 頭のいい人が心血注いで書いたものに、ただの女子高生が叶うはずないか。悔しい。

 

 悔しすぎてバイトも集中できなかったし。時間経つの遅かったー今日。なんでこんなモヤモヤしなきゃいけないんだ。

 

 あー思春期。思春期だ。ぜんぶ思春期のせいだ。私は悪くない。思春期と名著と鈍感が悪い。

 

「…………なんだろ」

 

 ぼーっと歩いてたせいか、夜は使わない近道に来てしまっていた。別に治安が悪いなんてことはないけど、暗いし、狭いしで、危ないからバイトの帰りは通らないことにしている小路。

 

 昼間はなんてことないのに、夜になると急に不気味になるから、もともと人通りは少ない。

 

 けど、今日は、いつもとなんか違う気がする。

 

 空気がネバネバしてるというか、気持ち悪い感じだ。長くいたいとは思わない。

 

 でも、もう半分くらいのところまで来てしまっている。引き返すのも面倒だし、このまま行っちゃうか。

 

 早足で歩いていくと、なんだか体の動きに心の方まで引っ張られるみたいで、自然と焦るような気持ちになってくる。

 

 なんでこんなにドキドキしてるんだろう。だいたい、こういうのって何もないのに。

 

 私がビビりなだけかと納得して、再び踏み出しかけた足を止めた。

 

 先の方に、見覚えのない何かがいた。

 

 暗くてよく見えないけど、黒い塊のような何かがいる。それは、どことなく四足歩行っぽくて、赤い光が2つ、車のライトみたいに光ってる。

 

 でも、どう考えても車なわけがない。車が通れるほど、この道は広くない。

 

 だったら、なんだろ、アレ。

 

 見間違いかと思って、バカみたいに目をこすって、もう一回、確かめてみる。

 

 いる。確かにあれはそこにいる。

 

 しかも、さっきより大きくなってる、そんな気がして。

 

「こっちきてんじゃん……!」

 

 大きくなってるんじゃない!近づいてきてるんだ!

 

 ヤバいと思って反対に向かって走り出す。

 

 でもダメな気がする。どんどん近づいてくるのが音で分かる。どたどた足音がしてる。それに、犬みたいな、ハアハア荒い息が後ろから聞こえる。

 

 反射的に振り返って、後悔した。

 

 それは、今まで見たどんな生き物より気持ち悪かった。

 

 全身が真っ黒で、毛はなくてツルっとしている。

 

 4本の足だと思っていたものは、人の腕だった。

 

 2つの光は、無数の小さい赤い光の粒が集まってできた目みたいだった。虫の目と同じだ。

 

「なにこれ、なにこれなにこれ……!」

 

 どうして私がこんな目に遭っているんだろう。

 

 普通に学校に行って、普通にバイトして、普通に生活してただけなのに。

 

 なんでこんな、心臓バクバクいわせて必死に走らなきゃいけないんだろう。

 

 なんでこんな、死ぬみたいな────────。

 

 死ぬ?

 

 私、死ぬの?

 

「あ」

 

 一瞬でもそんなことを思ってしまって、心が折れた。走れなくなった。

 

 嫌だ。逃げなきゃ。よくわかんないけど、こいつに捕まったらダメだ。

 

 わかってるのに、足が動いてくれない。

 

 棒立ちのまま、焦る心だけが心臓をどんどん動かしている。こんなに大きな心臓の音を聞いたのは、生まれて初めてだった。

 

「ゔっ、ぁ」

 

 背中のリュックを掴まれて、地面に引き倒される。

 

 黒い塊が私の顔を覗き込む。

 

 そいつには、鼻も、口も、耳もない。虫みたいな、寄り集まった無数の赤い目が、私を見てる。

 

 ああ、私、今日ここで死ぬんだ。

 

 理由なんてよくわからないし、こいつがなんなのかもわからないけど、とにかくここで、こいつに理不尽に殺されるんだ。

 

 もう、心臓は落ち着いて、いつもと同じように脈打っている。心だけじゃなくて、体の方も諦めてしまったんだ。

 

 こういう時、意外と何も浮かばない。そんな余裕なんてない。まだ死にたくない、としか思わない。

 

 化け物の無数の赤い目が、笑ったように見えた。

 

 次の瞬間、私は死ぬんだ。そう思った。

 

 

 

 でも、そうはならなかった。

 

 不思議に思っていると、化け物はもう、私を見てはいなかった。

 

 まっすぐ前の方を向いて、別の何かを見ている。

 

 その方向にいたのは。

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