夏油傑と邂逅したあの日から、俺は彼を「重要な観測対象」としてマークしていた。
原作通りであれば、彼は「猿(非術師)」への嫌悪を募らせ、やがて大量虐殺を経て呪詛師へと堕ちる。
俺がこの世界の監督(ディレクター)なら、彼を救うことも、あるいはもっと早く殺すこともできただろう。だが、俺はあえて何もしなかった。
「……あは、ええ顔になってきたやん、夏油君」
高専の屋上、俺は「投射呪法」で自らの存在を風景に溶け込ませ(背景への同化)、闇に堕ちていく親友を見つめる五条悟と、独り苦悩する夏油を眺めていた。
俺にとって、夏油の離反は「最高にドラマチックな中盤のプロット」だ。これを下手に書き換えて、物語の解像度が下がるのは我慢ならない。
「……でも、ただ見てるだけじゃ芸がないな。……ちょっとだけ、僕の『エフェクト』を足しといたるわ」
俺は離反直前の夏油に接触し、彼が飲み込む「呪霊」の味を、術式で一時的に「書き換えて(エンコード)」やった。
「雑巾の味」から、「虚無の味」へ。
それは救いではなく、彼がより効率的に、より冷徹に呪詛師へと突き進むための加速剤(ブースト)だ。
「……夏油君。君の絶望、もっと高画質で見せてや。……楽しみにしてるで、十数年後の『百鬼夜行』をな」
俺は笑いながら、影に消えた。
これが、俺が「現代」に至るまでの最初の大きな伏線だった。
夏油が離反し、五条悟が「最強」として独り歩きを始めた頃、俺は禪院家という古い組織を、内側から徹底的に「再構築(リビルド)」し始めていた。
「……直哉、お前。……何をした」
血反吐を吐いて這いつくばる、禪院家の重鎮たち。
十代後半になった俺は、父・直毘人の前で、彼が最も大切にしていた「伝統という名の脚本」を真っ二つに引き裂いた。
「……何って、整理整頓や。……親父。この家の連中、あまりにも『モブ』が多すぎるねん。……画面がうるさいから、僕が適当に間引いといたわ」
俺は「極の番:投影地獄」のプロトタイプを使い、俺に反抗的な態度を取った者たちの「時間(フレーム)」を奪った。
彼らは死んではいない。だが、俺の許可なく動くことも、呪力を練ることもできない「背景(オブジェクト)」へと変えられたのだ。
「……お前、狂っているぞ……。この家を滅ぼすつもりか」
「滅ぼす? 違うわ。……僕がこの家の『メインプロデューサー』になるだけや。……これからは、僕の描く絵コンテ通りに動け。……じゃないと、お前らの人生、全部『カット(削除)』するで?」
直毘人は、俺の瞳の奥にある「現代人の冷徹さ」に戦慄し、ついにその座を(実質的に)俺に譲り渡した。
これが、原作の直哉が持てなかった、禪院家を私物化するほどの圧倒的な権力基盤の確立だ。
そこから、物語が「虎杖悠仁」の世代に合流するまでの約十年。
俺は表舞台には一切出ず、ひたすらに世界の「仕様」をハックし続けた。
• 呪術界の上層部(保守派)への介入:
彼らの弱みを、現代の諜報知識と投射呪法による隠密行動で握り、俺を「特級相当の治外法権」として認めさせた。
• 術式のさらなるアップデート:
「音響効果(SE)」の物理化。投射呪法の移動の際に、空気の振動を特定の周波数に固定し、破壊的な音波を発生させる技術。
さらに、「解像度の変更」。相手に触れることで、相手の神経伝達速度(fps)を強制的に下げ、世界がスローモーションに見える絶望を与える技術。
そして、俺は「真希」を観察し続けていた。
彼女が落ちこぼれとして虐げられ、それでも腐らずに竹刀を振るう姿を。
俺の「死の先延ばし」の縛りは、十年という月日を経て、俺の呪力量を「特級」を遥かに凌駕するレベルにまで膨れ上がらせていた。
「……あは、溜まってきたなぁ。……これだけの『製作費(呪力)』があれば、どんな大作でも撮れるわ」
そして、ついにその時が来た。
特級呪物「両面宿儺」の指が、ある少年によって飲み込まれた。
物語の「本編」が開始された合図だ。
俺は、五条悟が「死刑を保留にした生徒がいる」という報告を受けた際、あえて禪院家から使者を送った。
「……五条君。……久しぶりやなぁ。……君が拾ったその『特級の素材(虎杖)』。……僕も一度、査定させてもらうわ」
京都校の学長、楽巌寺嘉伸に「禪院家の次期当主自ら、交流会の視察に行きたい」と圧力をかけるのは、今の俺にとって造作もないことだった。
交流会当日。
俺は、原作の時系列通りの「現代編」の面々の前に姿を現す。
伏黒恵。釘崎野薔薇。
そして、死んだはずの虎杖悠仁がサプライズで登場する、あの「脚本」の場に。
「……おーお。感動の再会やなぁ。……でも、演出がベタすぎて、見てるこっちが恥ずかしくなるわ」
会場に現れた俺に、東京校・京都校の全員が凍りつく。
五条悟だけが、懐かしそうに、そして最大級の警戒を持って笑った。
「やぁ、直哉。十年ぶり? ……君、本当に『人間』をやめたんだね。……その呪力の密度、もはや呪霊に近いよ」
「……五条君。君こそ、相変わらずその目隠し、ダサいなぁ。……中身のデータが良くても、パッケージがそれじゃあ台無しやで」
俺は五条を無視し、虎杖悠仁の前に立つ。
「……君が宿儺の器か。……ふーん。……『器』としては合格やけど、『役者』としてはまだまだ素人やな。……ちょっと僕の『フレーム』に付いてこれるか、試してみる?」
俺は指先をパチンと鳴らした。
次の瞬間、俺は虎杖の背後に回り込み、彼の肩を軽く叩く。
「――『領域展延・バッファリング』」
「……えっ!? 身体が、動か……」
虎杖の動きが、一瞬だけ「ラグ」が発生したようにカクついた。
俺は彼にダメージを与えるのではなく、ただ「俺の理屈が、お前には通用する」という事実を、指先から流し込んだだけだ。
「……あは。面白いわ、君。……これから始まる『渋谷』の撮影、君がどれだけ僕の脚本を乱してくれるか、楽しみにしてるで」
俺は、唖然とする生徒たちを置き去りにして、会場の奥へと進む。
そこには、俺が十数年かけて育ててきた(放置してきた)、最高の「ラフ画」がいた。
「……久しぶりやなぁ、真希。……お前、まだそんな『低解像度』な顔してんのか?」
真希の瞳に、十年前よりも遥かに深い殺意が宿る。
俺はそれを見て、歓喜に震えた。
彼女の殺意が、俺の「縛り」をさらに強固にし、今この瞬間も、俺の呪力が上昇し続けている。
「……さぁ、始めようか。……五条悟、虎杖悠仁、そして真希。……君ら全員、僕の最高傑作の『エキストラ』に選んであげるわ」
時系列は整った。
空白の十年を糧に、完成された「監督」直哉が、渋谷という名のスタジオへ向けて、ついにメガホンを取る。