宿儺が去った後のスクランブル交差点は、もはや「無」だった。
建物は分子レベルで解体され、アスファルトは熱でガラス状に固まっている。五条悟という太陽が消え、宿儺という嵐が通り過ぎた後の、冷え切った月面のような静寂。
俺は、ボロボロになった特注の羽織を脱ぎ捨て、血混じりの唾を吐いた。
「……あーあ。セットを壊しすぎやろ、あの王様。……これじゃあ、背景の書き込みが全部やり直しやんけ」
俺は右手に**「領域展延」**の膜を薄く、しかし超高密度に纏わせた。
それは単なる防御ではない。破壊された空間の「フレーム」を、俺の呪力で無理やり繋ぎ止め、レンダリングを修復するためのパッチ(修正プログラム)だ。
俺が歩くたびに、地面の亀裂が「逆再生」のようにわずかに閉じ、舞い上がっていた灰が静止画のように空中に固定される。
「……さて。……そろそろ『プロデューサー』のお出ましやな」
俺の言葉に応えるように、影の中から一人の男が歩み寄ってきた。
夏油傑の皮を被った怪法師――羂索だ。彼は手にした獄門疆を愛おしそうに眺めながら、俺の惨状を見て、愉快そうに肩を揺らした。
「……見事だったよ、直哉くん。まさか宿儺を相手に、あそこまで『場』を持たせるとは。……君のおかげで、彼も予定より早く満足してくれたようだ」
「……満足? あは、あんなんただの暴走や。……羂索。お前、僕に感謝せなあかんで。……僕が魔虚羅のロジックをバグらせんかったら、今頃渋谷は更地どころか、日本全土のサーバーが落ちてたわ」
俺は羂索の目の前で立ち止まった。
互いに領域展延を意識の隅に置き、いつでも相手の術式を中和できる距離。……一触即発の、それでいて冷徹に利益を計算し合う、ドクズ同士の対峙。
「……それで? 五条悟を箱に詰めて、宿儺に暴れさせて。……お前の『趣味の悪い同人誌(死滅回游)』、いつから始めるつもりや?」
俺の問いに、羂索は目を細めた。
「……話が早いね。……まもなく、この渋谷を起点に、日本全国で『呪いのゲーム』を開始する。……私は千年前から、この瞬間のために種を撒いてきたんだ」
「……お前のやり方は、相変わらず『プレイヤー参加型』に寄りすぎやねん。……もっと『視聴者(俺)』の視点を取り入れろ。……死滅回游のルールの中に、一つ、僕の望む『仕様』を追加してもらう」
俺は羂索に向かって、三本の指を立てた。
1. 「禪院家」の人間がゲームに参加する際、その初期ポイントを俺が任意で分配できる権限。
2. 「真希」と「真依」が滞在する結界(コロニー)を、俺が監視カメラ(式神)越しに常時モニタリングできる特権。
3. そして、ゲームの最終段階において、俺が「監督」として介入し、特定のプレイヤーの『退場シーン』を演出する権利。
羂索は、顎に手を当てて考え込んだ。
「……君は本当に、その『双子』に執着するね。……いいだろう。君の協力があれば、ゲームの進行は格段にスムーズになる。……君の提示した条件、すべて死滅回游の『総則(ルール)』に裏ルートとして組み込んでおこう」
「……あは。話が分かるなぁ、偽物君。……お前の目的が『人類と天元の同化』なら、僕の目的は『その過程で最高の映像を撮ること』や。……利害は一致してるな」
俺たちは、瓦礫の上で固い(そして裏切りに満ちた)握手を交わした。
羂索と別れた後、俺は単身、真希と真依が避難しているはずの地下エリアへと向かった。
そこには、呪霊の残党に襲われ、満身創痍になった禪院家の術師たちと、その中心で震える真依を庇う真希の姿があった。
「……あーあ。相変わらず、情けない絵面やなぁ」
俺の声に、真希が鋭く反応する。
「……直哉……! あんた、生きてたのか」
「……当たり前や。……僕を誰やと思ってるん? ……真希。お前、今の戦いを見てたか? ……宿儺の『絶技』、魔虚羅の『適応』。……あそこに、お前の居場所はあったか?」
真希は唇を噛み締め、何も答えなかった。
彼女の持つ「不完全な天与」では、あの神域の戦場ではただの『背景』に過ぎなかった。
「……真依。……お前もや。……いつまでその『出来損ないのラフ画』にしがみついてるん? ……お前らが二人でいる限り、お前らは一生、僕のフレームには収まらん」
俺は真依の喉元に、鋭い殺気を向けた。
真希が割って入ろうとするが、俺の「投射呪法」による一瞬のコマ飛ばしで、彼女の視界から消える。
「……今は殺さへん。……お前らが、自分たちの『価値』に気づいて、絶望の果てに一つになる……。その瞬間を、俺は一番ええ特等席で待ってるからな」
俺は彼女たちを置き去りにして、崩壊した渋谷の街を歩き出す。
背後から飛んでくる真希の罵声を、俺は最高の「称賛(ファンレター)」として受け取った。
夜が明ける。
渋谷事変という名の、壮大な序章(プロローグ)が幕を閉じた。
五条悟は消え、日本は呪霊が跋扈する混沌へと突き落とされる。
だが、俺にとってはすべてが予定通り。
いや、予定以上に「面白い画」が撮れ始めている。
「……さて。……死滅回游。……次はどんな『新進気鋭の役者(受肉体)』が、僕を楽しませてくれるんかな」
俺は朝日を浴びながら、手にしたスマホ(現代の知識でハックした特級呪具としての通信機)の画面をフリックした。
そこには、これから始まる地獄のトーナメント表が、俺専用の「コンテ」として映し出されていた。
「……さぁ、第2幕や。……人類の進化とか、呪いの時代の到来とか、そんな安いテーマはどうでもええ。……僕が見せたいのは、ただ一つ。……『俺』という監督が作った、世界一美しい地獄や」
禪院直哉。
歴史上最も傲慢で、最も執拗で、そして最も「世界を愛していない」ディレクター。
彼のメガホンが振り下ろされるたび、世界は一秒ごとに24回、絶望の色に塗り替えられていく。