「ついに……ついに完成した……!」
秘密裏に進めた計画の集大成を前に私はひとり頷く。
「後は計画を実行に移すだけ……」
明日からは三連休、決行は今晩だ。
◯
「ただいまー。…………?」
研究所を定時で上がった私は自宅の玄関で首を傾げた。
いつもなら私の帰宅を察知したかぐやが出迎えてくれるのだが、今日はそれがない。リビングの電気は付いているので出かけているというわけでもなさそうだ。
「かぐやー? …………!?」
自室か配信部屋にでもいるのかと思いつつ、リビングに足を踏み入れた私は目の前の光景にピタリと硬直した。
「……ゲーミング、トーテムポール……?」
トーテムポールが七色に光っていた。
疲れているのだろうか。スマコンは……装着してない。私はそっと目を閉じてこめかみを数回揉み、もう一度目の前の状況を確認する。うん光ってるな。それはもう派手に、おめでたく。
「えー……?」
形自体は見慣れたもので、かぐやが購入したわけの分からないオブジェのひとつで間違いないのだが、それが何故か七色に光っている。何だかんだでこいつとも十年の付き合いになるのだが、こんな機能が付いてるとは聞いてないし、見たこともない。
多少の異常事態ならどうせかぐやの仕業だろうでスルーできるのだが、ちょっと見覚えのある光景過ぎてそれでは済ませられない。いやまさかそんな……。
私が強烈な
「うわ……!?」
それを察知したかのように、トーテムポールが煙を吹き出し、真ん中が観音開きのように開いて――
「ふぇっ……ふえ!」
「………………えーっと」
これまたいつか見た光景と同じく、そこには見覚えのある赤ちゃんが居た。
「……か、かぐや……?」
「たう?」
私の問いかけに、きょとんとした表情でこちらを見つめる赤ちゃん。超可愛い。じゃなくて!
「いやいやいや! え、何これ、夢? か、かぐや!? 居ないの!?」
私は叫びながら階段を駆け上がり、まずかぐやの部屋をノックしてから開ける……居ない。配信部屋……居ない。
その後家中の部屋という部屋、ついでにキッチンの戸棚も確認するが、かぐやは見つからない。
携帯で通話をかけてみるが出ない。ヤチヨのアカウントにメッセージを送ってみる。……反応なし。
え、じゃあ……ほんとにそういうこと? いやいやそんな馬鹿な……。
トーテムポールの前に戻っても状況は変わらず、目の前にはかつてのかぐやとそっくりな赤ちゃんが居る。
「たい! あーう!」
「……あーもう、訳わかんない……」
無邪気に笑いながらこちらに手を伸ばす赤ちゃんを、優しく抱きかかえてトーテムポールから取り出す。するとこれまた、いつぞやと同じように観音開きは勝手に閉じて、光も消えてしまった。
「きゃっ! きゃっ!」
「…………マジでかぐやなの?」
「あうー?」
やはり問いかけには答えてくれない赤ちゃんを抱きながら、私は途方に暮れた。
◯
何が何やらさっぱりだが、現状から推測するにかぐやは赤ちゃんになってしまったらしい。人が聞いたら正気を疑うだろう推論だが、かぐやは月人。ゲーミング電柱から産まれるような奴に常識は通用しない。
ちょっとどうすればいいのか分からない事態だが、前回は三日ほどで成長した事を鑑みてひとまず様子見。そのためにも私は赤ちゃんかぐやのお世話をしなければならない。
定時上がりのおかげで時刻はまだ午後七時前。子供用品専門店の閉店までまだ余裕がある。私は赤ちゃんかぐやを即席の抱っこ紐で包み、お馴染み『子育ての味方』西竹屋に向かった。
あらかじめ目星をつけていた赤ちゃん用品をさっさとカゴに入れていく。前回はせっかく買ったのに三日で役目を終えちゃったんだよなぁ……。今回もそうなってしまうかもしれないが、その時はその時だ。
「お会計、一万六千八百円になります」
「ふじゅ~ペイで」
十年前はお前のどこが味方などと思ったりもしたものだが、社会人として経済状況に余裕が出た今なら割と味方なんだなと実感する。
「あう、だうー!」
「はいはい、ミルクはおうち帰ってからね」
粉ミルクの缶に手を伸ばす赤ちゃんかぐや。手をにぎにぎしてやりつつ、購入した商品を袋に詰めていく。
家に着いたら早速ミルクを準備。
「はーいミルクですよー」
「んちゅ……んっんぐっ……ぷはっ」
「お腹いっぱいになった?」
「だぅ!」
「そしたら寝る前にオムツしましょうねー」
「……! ふや! ふやー!」
「こらこら大人しくしてってば……」
ジタバタと暴れ出した赤ちゃんかぐやに悪戦苦闘しつつも何とかオムツを履かせた私は、彼女を抱いて寝室へ。
「ふあ……おやすみなさい、かぐや……」
「んゅ……」
そうして私にとって十年ぶりにして二度目の子育て生活が幕を開けた。
「ん………。夢じゃ……ないよね、やっぱ」
早朝、目が覚めた私の傍らにはやはり赤ちゃんかぐやの姿が。まだ気持ちよさそうに眠っている彼女を起こさないよう、優しく抱き上げる。
天使みたいな寝顔。
こうして赤ちゃんを抱き上げるのは、真実の双子ちゃんを抱っこさせて貰った時以来か。あの時も可愛いなあと思ったものだが、自分でお世話する子となるとまた別種の愛おしさが込み上げてくる。
「んん……ぁぅ」
「あ、起きちゃった……」
「うー……ふひひ」
目を覚ました赤ちゃんかぐやはぐずることもなく、私を見ると嬉しそうに笑った。ダメだ可愛すぎる。
「よしよし……」
「きゃっきゃっ!」
ミルクを飲ませ、オムツを替えて、一緒に遊んだり、抱っこして散歩して、またミルクを飲ませて……。そうこうしてるとあっという間に時間が溶ける。
赤ちゃんかぐやはとにかく良く笑った。目が笑うとニコニコするし、撫でてやるとキャッキャとはしゃぐ。マジで可愛い。でも……。
「あんまり泣かないなぁ……」
そう、赤ちゃんかぐやはほとんど泣かなかった。お腹が空いてもぐずらないから、ミルクも完全にこっちのタイミングで飲ませている。
十年前の赤ちゃんかぐやもよく笑う子だったが、それなりによく泣いてもいた。まぁ、泣かない方が楽ではあるのだが……。
そう思いながらミルクを飲ませようとした時だった。
「……や!」
「あれ、まだお腹空いてなかった?」
「うやー! うやー!」
「えぇ……なになに、どうしたの……?」
まだミルクはいらないのかと思って哺乳瓶を離すと、それでもいやいやとぐずり続ける。かといってミルクを飲ませようとしても拒否するし、なんだっていうんだ。
「だう!」
「ん?」
そんなかぐやが何かを訴えかけるように、一点を見つめて両手を伸ばす。見ているのは私の顔……ではなく、それより少し下。つられるように視線を落とした先は――。
「は!? い、いや出ないし!」
手を伸ばす先にあるのは私の胸。母乳をご所望らしかったが、当然出るはずもない。だがそんな事実を説いたところで赤ちゃんには通用しない。てかさっきまで哺乳瓶で飲んでくれてたのに、なんで急に……!
「ふえええええええええ!!」
「ちょ!?」
出来ることの少ない赤ちゃんにとってほぼ唯一にして最強の武器。ギャン泣きだった。かつてのワンルームと違って、防音はしっかりした物件だから、隣人から壁ドンされる心配こそない。かといって泣いたまま放っておくなどできるはずもなく……。
「こ、こういうときは……! 大切なメロディは――流れてるよ――」
子守歌に口ずさむのはヤチヨの曲。いつかのように助けてヤチヨパワー!
「ふやああぁ……ぁう……」
お、ちょっと勢いが弱まってきたぞ。このままいけるかと思ったのも束の間。
「……ふ、ふやああああああああ!」
く、ダメか……!
「えーっと、えーっと……べ、べろべろばぁ~……?」
「びええええええええええええええ!!」
「で、ですよねぇ……」
苦し紛れにあやしてみるが、もちろん泣き止んではくれない。ヤチヨパワーに縋ってもダメだった以上、もう私に残された手段はひとつ。赤ちゃんかぐやの要求を呑むことだ。
相手は赤ちゃん。かぐやだけど赤ちゃん、かぐやだけど赤ちゃん……!
……よし。
あやしたって、歌ったって、赤ちゃんが泣き止んでくれないなら。
受け入れて覚悟するしか、ない。
私は意を決してシャツを捲った。
〇
数分後、私の前にはすっかり静かになり、何なら悟りでも開いたかのような神妙な表情の赤ちゃんかぐやがいた。対する私は精神的に疲労困憊だ。
赤ちゃんの授乳ってあんなに激しいのか……いや、出ないのに無理に吸おうとした結果ああなっただけか……?
とにかく、おとなしくなったかぐやに今度こそ哺乳瓶でミルクを飲ませてやる。私の胸をいくら吸おうがお腹は膨れないと分かってもらえたのか、抵抗なく素直に飲んでくれた。
「あふ……」
「満足そうで何よりですよ、ええ……」
お腹がいっぱいになったことで眠くなったらしいかぐやがあくびをする。つられて私もあくびが出る。
普段ならまだ起きている時間だが、かぐやのお世話で疲れたし今日はもう一緒に寝てしまおう。
〇
――歌が聞こえる。かぐやの歌だ。
天守閣の上で、全力で歌い踊るかぐや。
おびただしい数の月人に阻まれて私はかぐやに届かない。ぬくもりはすぐそばに感じるのに、絶望的なほど遠い。
歌が終わる。
『彩葉』
やめて。
『大好き』
ぬくもりが離れていく感覚。
待って。行かないで。
手からすり抜けていく温度に追いすがるように、私は手を伸ばして――。
「……かぐやっ!」
「はいぃっ!」
目を開けるとそこはまだ暗い寝室で、私はかぐやの腕を掴んでいた。月明かりに照らされたかぐやの顔は何故かひどく焦った様子だった。
夢、か……よかった……。あれ、待てよ? かぐやは今赤ちゃんになってしまっていた筈で……そもそもそれも夢だったのか? あ、それとももう成長した?
まだ寝ぼけた頭で一瞬そう考えるが、かぐやの腕に抱かれている赤ちゃんかぐやの姿を見つけて私はより混乱する。
「え、か、かぐやが二人……? 何これ、どういうこと?」
「えーっと、これはそのぉ……」
私の疑問に答えず、悪戯がバレた子どものようにしどろもどろになるかぐや。段々と脳が思考力を取り戻してきた私はなんとなく事態を察してきた。
「ぶ、分身の術ー!……なんつってぇ……?」
「……かぐやさーん? ちゃんと説明してもらおうか?」
「…………ウィッス」
かぐやは観念したように項垂れた。
〇
「つまり赤ちゃんプレイをしたくて赤ちゃんのアバターボディまで作成した、と?」
「あの、彩葉、プレイってのはちょっとこう、語弊というかさ……」
「どう語弊があるわけ?」
「えと、その……」
反論できず、しょぼしょぼした顔で萎れるかぐや。
私は深いため息を吐いた。
ことの次第はこうだ。何をとち狂ったか赤ちゃんになって私にお世話されたくなったかぐやは研究所のデータをちゃっかり拝借。各種パーツの製造を外注している企業との伝手も使って秘密裏に赤ちゃんかぐやボディを作り上げてしまったらしい。
アバターボディは最先端技術の結晶、かかる資金も生半可なものではないのだが、かぐやは超巨大仮想空間プラットフォームであるツクヨミの管理人でもあるから、その程度はツクヨミマネーでちょちょいのちょい。
そんなわけでかぐやは計画を実行に移し、赤ちゃんとしての生活を堪能。あとは私が寝ている間に本体のボディと入れ替わり、このことに関しては自分もよく分からないとしらばっくれて有耶無耶にする算段だったが、私が起きてしまってあえなく失敗と。ちなみに本体はクローゼットに潜伏していたらしい。
「大体何で急にそんなこと思いついたのさ」
「それは……前にさ、真実のところの双子ちゃん抱かせて貰ったじゃん?」
「え、うん。それが?」
「そん時の彩葉見てたらこう、いいなぁ、かぐやもあやされたいなぁって」
「えぇ……」
「こう、溢れんばかりの母性っていうか……そんでかぐやは気づいたんだよね。私自身が赤ちゃんになることだって」
「何言ってんの?」
しかし、あれがアバターボディであると見抜けなかったのは一生の不覚、研究者失格だ。いや、でもそれだけ私の研究成果が精巧であるという証左でもあるか? ともあれかぐやの演技力もあって完全に騙されてしまった。
「彩葉すっかり騙されてたよね。これぞ八千年の経験がなせる演技力! どやぁ!」
何か自慢げだけど普通に生き恥だと思う。八千歳の姿か? これが……。
というか待てよ? あれが全部演技ということは……。
「ねえかぐや」
「ん?」
「授乳の時のってさ」
「あっ……っスー……」
かぐやの目が泳いだ。しばしあーとかうーとか言葉にならない声を漏らしていたかぐやだったが、やがて、私のじとーっとした視線に耐えかねたのか口を開き、
「…………その、ごちそうさま、でした……?」
「こん……のエロ
「うひゃあ! ごめんなさいぃー!」
〇
【
『ヨヨヨ~……』
『ヤチヨ、皆に謝らなきゃいけないことあるよね?』
『えっと……配信、急にお休みしちゃってごめんね~……?』
『何で休んだかまでちゃんと説明しないと不誠実だよね?』
『それは、その……用事っていうか、むしろ幼児っていうかぁ……』
『私にセクハラするのが用事なんだ?』
『も、もう許してぇ~!』