かわいいホームズの親友ちゃんは、相棒の座を奪われて焦心苦慮   作:くぁwせdrftgyふじこlp

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プロローグ

長い年月を彷徨っていた気がする。

 

それが何年なのか、何十年なのか、それともほんの一瞬だったのかすら、もう分からない。

 

ただ確かなのは、私は確かにここに「在る」ということだけだ。

 

この世界に産まれて、どれほどの時間が経ったのだろう。

 

記憶は曖昧で、過去は霧の中に沈んでいる。

 

手を伸ばしても掴めず、振り返ろうとすればするほど、輪郭はぼやけていく。

 

名前も、理由も、すべてが遠い。

 

何も感じない。

 

風が頬を撫でても、冷たさは伝わらない。

 

光が差し込んでも、暖かさは届かない。

 

胸の奥にあるはずの何かは、まるで最初から存在しなかったかのように、静まり返っている。

 

それでも――

 

私の周りで何が起きているのかは、はっきりと理解できる。

 

誰かが笑っている。

誰かが泣いている。

誰かが、何かを必死に守ろうとしている。

 

そのすべてが、まるでガラス越しの景色のように遠い。

 

音は聞こえる。

意味も分かる。

状況も把握できる。

 

なのに、それらは私の中に何一つ残らない。

 

ただ、流れていくだけだ。

 

「――どうして」

 

ふと、言葉が零れた。

 

それが疑問なのか、それともただの音なのか、自分でも分からない。

 

ただ、口が勝手に動いたような感覚だけが残る。

 

どうして、私はここにいるのだろう。

どうして、何も感じないのだろう。

どうして――

 

そのとき、視界の端で、小さな光が揺れた。

 

誰かが、こちらを見ている。

 

その瞳は、驚くほど真っ直ぐで――まるで、私の中に「何か」を見つけたかのように、強く、強く射抜いてくる。

 

「お母さん…これって?」

 

少女が私の方を見て不思議そうな表情をしていた。

 

「…私の大切な形見なのよ」

 

近くにいたお母さんという人はそう答えた。

 

「…そっか」

 

少女は一言だけ呟き、どこかへ行ってしまった。

 

少女の小さな背中が、ぱたぱたと遠ざかっていく。

 

その足音はやがて日常の喧騒に紛れて、聞こえなくなった。

 

「……形見、ね」

 

母親の言葉が、静かに空気に溶けていく。

 

私は、その言葉の意味を理解していた。

 

形見――亡くした誰かの、残された証。

 

それが、今の私だということも。

 

「ごめんなさいね」

 

不意に、その少女の母親が小さく呟いた。

 

誰に向けられた言葉なのかは分からない。

けれど、その視線は確かに私へと向けられていた。

 

「本当は……こんな風に残したくなんて、なかったのに」

 

声が、わずかに震えている。

 

その感情の揺れも、私は理解できる。

 

悲しみ、後悔、喪失――言葉にすればいくらでも並べられる。

 

だけど。

 

やはり、何も感じない。

 

胸の奥は、静まり返ったままだ。

 

「でもね」

 

彼女はそっと手を伸ばし、私に触れる。

 

その指先は温かいはずなのに――やはり、何も伝わってこない。

 

「あなたがここにいるから、私はまだ前を向けるの」

 

優しい声だった。

救われている人の声。

 

けれど同時に、それはどこか壊れそうな響きも含んでいた。

 

「ありがとう」

 

その一言が、やけに長く、重く残る。

 

ありがとう――感謝の言葉。

 

本来なら、誰かの心を満たすはずのもの。

 

なのに。

――どうしてだろう。

 

ほんの一瞬だけ。

 

胸の奥で、何かが微かに揺れた気がした。

 

「……今のは」

 

自分でも分からない。

 

錯覚か、それとも――考えようとした、その時。

 

遠くから、さっきの少女の声が聞こえてきた。

 

「お母さーん!」

 

無邪気で、明るい声。

 

母親ははっと顔を上げ、すぐにその声の方へと視線を向ける。

 

「今行くわ」

 

そう返事をしてから彼女はもう一度だけ、私を見つめた。

 

「……また来るね」

 

その言葉を残して、彼女は去っていく。

 

静寂が戻る。

 

人の気配も、声も、すべてが遠ざかっていく。

 

残されたのは、私だけ。

 

――形見。

 

その言葉が、何度も頭の中で反響する。

 

私は、誰かの代わりなのだろうか。

 

それとも――

 

「……違う」

 

気づけば、また言葉が零れていた。

 

今度は、はっきりとした意志を伴って。

 

何も感じないはずの私が、なぜそんな否定をしたのかは分からない。

 

ただ一つだけ、確かなことがある。

 

私は、ここに在る。

 

誰かの記憶としてでも、誰かの慰めとしてでもなく――

 

「……私は、私だ」

 

その言葉は、空虚なはずの内側に、小さな波紋を広げていった。

 

静寂の中、時間だけがゆっくりと流れていく。

 

何も変わらないはずの世界。

 

けれど――そのとき。

 

ふいに、空気が揺らいだ。

 

視界の端で、かすかな輝きが生まれる。

 

それは最初、本当に小さなものだった。

 

見間違いかと思うほどに、細く、頼りない光。

 

だが次の瞬間、その光は確かに「そこに在る」と分かるほどに、輪郭を持っていた。

 

一筋の光が、まっすぐに差し込んでくる。

 

どこからともなく現れたそれは、迷いなく私へと伸びていた。

 

「……光」

 

言葉が、自然と零れる。

 

不思議と、その存在だけははっきりと認識できた。

 

眩しい、はずなのに。

 

目を逸らすという感覚が、私には分からない。

 

ただ、見つめることしかできない。

 

光はゆっくりと広がり、やがて私に触れた。

 

その瞬間――

 

微かな変化が、確かにあった。

 

何も感じないはずの内側に、ほんのわずかな「違和感」が生まれる。

 

それが何なのか、言葉にはできない。

 

温かさでも、痛みでもない。

 

けれど、確かに「無」ではなかった。

 

光はさらに強くなり、私の輪郭をなぞるように包み込んでいく。

 

足元から、指先から、少しずつ。

 

逃げるという選択肢は浮かばない。

 

ただ、その変化を受け入れるしかなかった。

 

「……これは」

 

自分の声が、どこか遠くに聞こえる。

 

まるで、自分自身が自分でなくなっていくような感覚。

 

それでも――

 

不思議と恐怖はなかった。

 

光はやがて全身へと広がり、私は完全にその中に溶け込んでいく。

 

世界の輪郭が曖昧になり、境界が消えていく。

 

それでも、意識だけははっきりとしていた。

 

消えているのか、それとも変わろうとしているのか。

 

その答えは分からない。

 

ただ一つだけ。

胸の奥で、確かに何かが動いた。

 

それはほんの小さな――けれど、確かな変化。

 

「……私、は――」

 

言葉は最後まで続かなかった。

 

次の瞬間、光がすべてを包み込み――

私は、その中へと溶けていった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

 

【みのるSide】

 

その日がいつだったのかははっきり覚えていない。でも、あのときの空の色だけは今でも思い出せる。

 

夕方より少し早い時間。オレンジにもなりきれない、薄い光が公園の砂を照らしていた。ブランコは誰も乗っていなくて、鉄の鎖が風に揺れるたび、きい、と小さな音を立てていた。

 

私は砂場の端にしゃがんで山とも呼べない砂のかたまりを、指で何度も壊しては作っていた。

 

遊び方を教えてくれる人はいなかったけど、困ることもなかった。どうせ、誰かに見せるわけじゃないから。

 

遠くで笑い声がした。

 

最初は風の音と区別がつかなかった。でも次の瞬間、ぱたぱたと軽い足音が近づいてきて、視界の端にやけに明るい色が飛び込んできた。

 

「ねえ!」

 

突然声をかけられて私はびくっと肩を震わせた。

 

顔を上げると、そこには同い年くらいの女の子が立っていた。少し日焼けした頬に、汗で張りついた小豆色の髪。

 

手にはどこで拾ったのかわからない小さな白い花を握っている。

 

「それ、なにつくってるの?」

 

質問の仕方がまっすぐすぎて戸惑った。

 

私は自分の手元を見下ろす。もう形も崩れかけた砂の山。

 

「……べつに」

 

そう答えたつもりだったけど、声は思ったより小さかった。

 

「そっか!」

 

女の子は気にした様子もなく笑った。

 

そして、私の隣にしゃがみこむ。ためらいも距離を測る間もなく、最初からそこが自分の場所だったみたいに。

 

「じゃあ、いっしょにつくろ!」

 

一緒に、という言葉が、少しだけ胸の奥で引っかかった。

 

私は誰かと何かを作ったことがあっただろうか。思い出そうとしても砂のように指の間からすり抜けていく。

 

「……こわれるよ」

 

「え?」

 

「すな、すぐこわれる」

 

「いいじゃん、またつくれば!」

 

即答だった。壊れることを、まるで怖がっていないみたいに。

 

女の子は手にしていた花を、砂山のてっぺんに突き刺した。

 

それだけでさっきまでただの砂だったものが、急に“何か”に見えた。

 

「ほら、おしろ!」

 

「……おしろ?」

 

「うん!ここがいりぐちで、ここがおにわ!」

 

そう言って、勝手に決めていく。

 

私は黙ってその様子を見ていた。誰かが隣で話し続けているのに、逃げなくてもいい状況が少し不思議だった。

 

「きみ、なまえは?」

 

聞かれて言葉に詰まる。

 

名前を呼ばれることがあまりなかったわけじゃない。でも、こうして“知りたい”という顔で聞かれるのは久しぶりな気がした。

 

「……花崎みのる」

 

女の子は私の名前を一度口の中で転がすみたいにしてから、にっこり笑った。

 

「すごい!わたしのなまえににてる!…みのるちゃんだね!わたしはね――」

 

その名前は、やけにあたたかく響いた。

 

後になって何度も、泣きながら、怒りながら呼ぶことになる名前だなんて、このときは知らなかったけど。

 

彼女はずっと喋っていた。今日あったこと、好きなもの、さっき転んだこと。

 

私はほとんど相槌を打つだけだったけど、それでも彼女は楽しそうで、まるで私がちゃんとそこにいるみたいだった。

 

「みのるちゃんは、いつもここにくるの?」

 

「……うん」

 

本当は、“いつも”というほど決まっていない。でも、家にいてもやることは同じだったから、間違いじゃない。

 

「じゃあ、またあえるね!」

 

当然のように言われて胸が少しだけ、きゅっと縮んだ。

 

“また”という言葉は約束みたいで、でも私は約束が守られなかったときのことを、もう知っている気がしたから。

 

それでも。

 

「……うん」

 

そう答えた自分に、少し驚いた。

 

日が傾いて影が長くなったころ、彼女は手を振って帰っていった。

 

振り返らず、迷わず、誰かが待っている場所へ向かう背中。

 

私はしばらく、その背中が見えなくなるまで公園に立ち尽くしていた。

 

砂のお城は、帰り際に踏まれて崩れていた。

 

でも、てっぺんに刺さった白い花だけはまだ残っていた。それを拾い上げてぎゅっと握る。

 

不思議だった。胸の奥にぽつんと空いていた場所に、ほんの小さな光が灯ったみたいで。

 

――この出会いが、私の世界の形を変えてしまうなんて。

 

そのときの私は、まだ知らなかった。

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