かわいいホームズの親友ちゃんは、相棒の座を奪われて焦心苦慮 作:くぁwせdrftgyふじこlp
【みのる Side】
結局、教室の空気には最後まで馴染めなかった。
あちこちで弾ける笑い声。椅子を引く音。机に肘をついて雑談する声。
どれもが同じ空間にあるはずなのに、まるで遠くの出来事みたいに聞こえる。
黒板に書かれた文字は理解できる。授業の内容だって頭には入る。
けれど――この空間だけは、どうしても飲み込めない。
胸の奥に、薄い膜が一枚張ってあるみたいだった。
そこから向こうに、私は行けない。
チャイムが鳴る少し前、私はそっと席を立った。
誰かに呼び止められることもない。
そもそも、誰も気づいていない。
……気づかれないのは楽だ。
そう思いながら、私は静かに教室を出た。
廊下を抜ける。
階段を降りる。
そのまま校舎の外へ。
扉を開けた瞬間、春の風が頬を撫でた。
少しだけ冷たい空気が、肺の奥まで流れ込む。
「……やっぱり、こっちの方が息ができる」
誰に聞かせるでもなく、小さく呟く。
特に行き先があるわけじゃない。
ただ足の向くまま、校門の方へ歩く。
そのときだった。
ふと、足が止まる。
校門の外に、人影が見えた。
「あんな……?」
制服じゃない。
この時代の生徒じゃないんだから、当たり前だけど。
どうしてここに――
そう思いながら、私は視線を追う。
あんなの目線の先。
渡り廊下の方向。
そこにいるのは――みくるだった。
クラスメイトに囲まれて、楽しそうに笑っている。
肩を叩かれ、何かを言い返して、また笑って。
その光景を、あんなはじっと見つめていた。
表情はほとんど動いていない。
無表情。
でも、私にはわかる。
あれは――“何も感じていない顔”じゃない。
むしろ逆だ。
胸の奥で渦巻く何かを、必死に押し込めている顔。
私は少し距離を保ったまま、立ち止まった。
あんなは動かない。
ただ、みくるを見ている。
笑い声が風に乗って届くたびに、
あんなの指先が、ほんのわずかに握られる。
……ああ。
気づいてしまう。
あんなはきっと、この感情の名前を知らない。
でも、私は知っている。
それは――嫉妬だ。
自分だけのものだと思っていた場所に、
他の誰かがいるときの、あのざわつき。
「みくるしかいない」のに、
みくるには“他にも誰かがいる”という現実。
胸の奥が、少しだけ痛んだ。
不思議だ。
羨ましいのは、みくるじゃない。
あんなの方だ。
ちゃんと苦しそうな顔をしている。
ちゃんと寂しそうにしている。
私はどうだろう。
みくるが誰と笑っていても、
本当は寂しいはずなのに。
もう、慣れた顔でいられる。
それが正しいと思っているから。
……でも、本当は。
校門の外に立つあんなの背中が、
ほんの少しだけ、小さく見えた。
私はゆっくりと息を吐く。
そのとき、あんながふっと視線を落とした。
そして、そのまま踵を返す。
……帰るつもりだ。
私は少しだけ歩幅を速めた。
「あんな!」
背中に声をかけると、
あんなはびくっと肩を揺らし、振り向いた。
「あ、みのる……」
ほんの一瞬だけ、顔が強張る。
その手には、傘が一本握られていた。
私はそれを見て、なんとなく察する。
「もしかして、みくるに傘を……届けようとしてたの?」
あんなは少しだけ視線を泳がせた。
それから、傘を持ち直す。
「本当は……みのるの分も持ってくるつもりだったの」
ぽつりと、そう言う。
そして、申し訳なさそうに眉を下げる。
「でも……その……」
あんなの言葉がそこでふっと途切れた。
少しだけ俯き、小さく息を吸う。
何かを決めるみたいに、ほんのわずかに肩が動いた。
そして、続ける。
「みのるの分、忘れちゃって」
そう言って、差し出すように持っていた傘を少し持ち上げた。
そこにあるのは――一本だけ。
「ごめんね!」
あんなは、まっすぐに謝った。
変に取り繕うこともない。
言い訳もしない。
ただ、「忘れた」という事実をそのまま口にする。
私は少しだけ肩をすくめた。
「別にいいよ」
本当に、怒るほどのことじゃない。
「予備で折り畳み傘は持ってきてるし」
そう言いながら、私は鞄を軽く叩いてみせた。
その音を聞き、あんなの肩から力が抜ける。
「……よかった」
ほっとしたように、小さく息を吐く。
その様子を見ながら、私は心の中でそっと思う。
(……あの空気の中、話しかけづらい気持ち……わかるよ)
誰かが楽しそうにしている輪の中へすっと入っていく。
それって、思っているより難しい。
タイミングも。
距離も。
かける言葉も。
ほんの少しずつずれる。
だから――忘れたんじゃない。
きっと、近づけなかっただけだ。
でもあんなはそれを言わない。
ただ「忘れた」と言う。
その不器用さが、私は少しだけ好きだった。
「それより」
私は一歩近づいて、フェンス越しにあんなと向き合う。
「帰るなら、一緒に帰る?」
あんなは一瞬、目をぱちりと瞬かせた。
それから、こくりと頷く。
その小さな仕草を見ながら、胸の奥が静かにざわついた。
――あんなは今、きっと。
私がずっと感じている感情を、味わっている。
私はみくるとクラスが違う。
だから学校での交流はほとんどない。
同じ校舎にいても、
同じ時間を過ごしていても、
みくるは別の教室で、
別の人たちと青春を過ごしている。
そして――
名探偵プリキュアとして、みくるの隣に立つ人。
それが、明智あんな。
……あなたに対しても、私はずっと嫉妬してる。
堂々とみくるの隣に立つ姿。
それを見て、何も思わなかったわけじゃない。
胸が、ちくりと痛むことなんて――
何度もあった。
でも。
それは、仕方のないことだ。
みくるに向かって、
「私だけ見て」
「私以外に友達を作るのは許さない」
そんな、重たい感情をぶつけることなんて。
……一度もない。
いや。
抱かなかった、じゃない。
抱かないようにしてきた。
その方が、正しいと思っていたから。
みくるには、みくるの世界がある。
クラスメイトがいて。
友達がいて。
笑い合う時間がある。
それを奪う権利なんて、私にはない。
あんなだって同じだ。
過去に来たくて来たわけじゃない。
家族も。
友達も。
全部、置いてきた。
この時代で頼れるのは、みくるだけ。
そんな状況で。
隣にいる人が、他の誰かと楽しそうに笑っていたら…
胸がざわつくのは――当たり前だ。
被害者なんだよ。
あんなは。
私は静かに息を吐いた。
嫉妬は、悪い感情じゃない。
ただ――どう扱うかの問題だ。
大丈夫。
嫉妬してもいい。
でも、私はあなたを責めない。
だってそれは――
私がずっと、飲み込んできた感情だから。
「校門が開くまでまだ少しかかるから、ちょっと待っててね」
「うん」
あんなは軽く頷く。
校門の前は、まだ朝の静かな空気に包まれていた。
遠くから聞こえる車の音と、時折吹く春の風だけが、周囲をゆっくりと流れている。
そのときだった。
「あっ!?」
「ごめんなさい!」
突然、短い悲鳴と謝罪の声が重なった。
あんなが、通りがかった女性とぶつかったのだ。
女性の手から1枚の写真がふわりと宙を舞い、そのまま地面に落ちた。
「いえ!こちらこそ、ボーっとしてて……」
女性も慌てた様子で手を振る。
拾い上げた写真を返そうと、あんなが手を伸ばした――そのとき。
「ポチ……」
小さな声が聞こえた。
「ポチ?」
女性が首を傾げる。
「あ!!」
あんなの腰にぶら下がっているポチタンが、思わず声を出してしまったのだ。
女性の表情が、わずかに不思議そうに変わる。
当然だ。
妖精なんて存在が知られたら、確実に騒ぎになる。
あんなは一瞬固まり、慌てて写真を差し出した。
「そ、その……私もこんな写真……ぽ、ぽちぃ、欲しいなぁ……なんて……は、ははは」
ぎこちない笑い。
言葉もめちゃくちゃだ。
「誤魔化しが苦しすぎるよ……あんな……」
私は思わず小さく呟いた。
意味不明な言葉を並べながら、あんなは明らかに動揺している。
ここまで見苦しい誤魔化し方は、逆に珍しい。
「ありがとう……」
女性は写真を受け取りながら、ふと視線を上げた。
「その……隣の子は……?」
フェンス越しに立っている私の存在に気づいたらしい。
えっと……。
なんて説明すればいいんだろう。
私が言葉を探していると、
「私の友達です!」
あんなが即座に言った。
「え……」
思わず、間の抜けた声が出る。
「そうだったの」
女性は特に疑う様子もなく、穏やかに微笑んだ。
けれど、私の頭の中では言葉が何度も反響していた。
――友達。
私が……あんなの友達?
さっきみたいな苦しい誤魔化しとは違う。
あんなは、迷いなく言った。
私はてっきり、あんなはみくるにしか興味がないと思っていた。
なのに。
どうして――
私のことを、友達だなんて。
胸の奥がざわつく。
その空気を変えるように、あんなが女性の持つ写真に目を向けた。
「ところで、この写真の人物は?」
「妹なんです」
女性は写真を見つめながら答える。
その視線には、どこか不安が混じっていた。
あんなが写真を覗き込む。
「仲良さそうですね!」
写真の中には、二人の女性が写っていた。
片方は今目の前にいる女性。
もう一人は赤色のショートヘアで、明るい雰囲気の少女。
二人ともピースサインをして、楽しそうに笑っている。
仲の良い姉妹だと、一目でわかる一枚だった。
「はい。恵子はこの学校の高等部の二年生で……交換留学でロンドンに行ってるんですけど……」
女性はそこで言葉を濁す。
「どうかされたんですか?」
あんなが首を傾げる。
普通なら、留学している妹は自慢の存在のはずだ。
けれど女性の表情は、少しも明るくない。
むしろ、不安そうに曇っていた。
「最近、おかしなことがあって……」
女性は写真をぎゅっと握る。
「『街で恵子を見た』って……よく言われるんです」
「ロンドンに居るのに?似た人じゃないんですか?」
あんなが素直に尋ねる。
ロンドンにいるはずの妹が、ここにいる。
可能性として考えられるのは……。
急な用事で日本に戻ってきた、とか。
でも、それなら連絡くらいはするはずだ。
そもそも――
東京からロンドンまでの距離は、直線でもおよそ9600km。
直行便でも、ヒースロー空港から羽田空港まで約15時間のフライトになる。
ちょっとした理由で、行き来できる距離じゃない。
「私もそう思ってました」
女性はゆっくりと首を振った。
「でも、見たんです」
その声は、わずかに震えていた。
「今朝、大学に行く途中……駅前で。私、びっくりしちゃって……」
女性の視線が、校門の方へ向く。
「それで、追いかけたら……ここに……」
「…………」
私は黙り込んだ。
本人が実際に見たというなら、話の信憑性は一気に増す。
でも――
本当に、そんなことがありえるのか?
瞬間移動でもできない限り。
あまりにも、無理がある話だった。
「学校に聞いても恵子はいないって言うし、ロンドンの恵子にも電話したんですが、出ないし……」
女性は手の中の写真を見つめながら不安そうに続けた。
「なんだか心配で……」
私は心の中で、少しだけ考える。
電話が繋がらない理由は、おそらく単純だ。
東京とロンドンには、基本的に9時間の時差がある。
ちなみに日本の方が9時間早い。
例えば、女性が朝8時に電話したとする。
そのときロンドンは――夜の11時。
さらに今は四月。
サマータイムの影響で時差は8時間になる。
つまり、東京が朝8時ならロンドンは深夜0時。
普通の人ならとっくに夢の中だ。
電話に出られないのも無理はない。
それに、この学校でも恵子という生徒がいるという話は聞かない。
なら――恵子さんは、ロンドンから動いていない可能性が高い。
じゃあ。
ここにいる“恵子さん”は、一体誰なんだろう。
誰かが……変装でもしている?
(ん……変装?)
頭の中で、ふとその言葉が引っかかる。
まさかね……。
そう思ったときだった。
「私に任せてもらえませんか!」
「え?」
あんなが、ぐっと一歩前に出た。
女性に向かってまっすぐな目を向けている。
みくるがいない状況でも、探偵としてのやる気は消えないらしい。
むしろ――
いつも以上に燃えているようにも見える。
「オープン、プリキットブック!」
あんなが腰につけていたキーホルダー型のプリキットブックを手に取る。
次の瞬間、それはふわりと光り、元の大きさへと変わった。
「ええ??」
真理子さんの目が、完全に混乱で見開かれる。
無理もない。
いきなり小さなキーホルダーが大きな本になるなんて、普通の世界ではありえない。
あんなはそんな反応など気にする様子もなく、本を胸の前で掲げた。
「キュアット探偵事務所の、明智あんなです!」
堂々と名乗る。
そして、こちらを振り向いた。
「こっちは……」
「一応助手の、花崎みのるです」
私は軽く頭を下げた。
フェンス越しという、なんとも奇妙な立ち位置のまま。
「き……北村真理子です……」
真理子さんはまだ少し戸惑いながらも、名乗り返す。
あんなは満面の笑みを浮かべた。
「真理子さん、名探偵に任せて!」
胸を張り、元気よく宣言する。
「この事件、はなまる解決してみせます!」
やる気満々のあんな。
一方で真理子さんは、ちょっと引き気味の苦笑い。
二人の温度差があまりにも激しくて、見ているこっちが風邪をひきそうだ。
「じゃあ……お願いしてみようかな?」
真理子さんが少し迷った後、そう言った。
「写真、お借りしても良いですか?」
あんなが尋ねる。
「ええ」
「ありがとうございます」
真理子さんが写真を差し出し、あんなはそれを丁寧に受け取って改めて写真を見つめる。
みくるがいない状態で、勝手に依頼を引き受けて大丈夫なのか――
一瞬そんな考えが頭をよぎる。
でも。
(……まあ、あんななら大丈夫か)
不思議とそんな気がした。
そのとき。
「あ、雨降りそうなんでどうぞ!使ってください!」
あんなが突然、傘を差し出した。
「え……?」
真理子さんが目を丸くする。
その傘は、本来――
みくるに渡す傘では?
あんなは何の迷いもなく、それを差し出していた。
「ありがとうございます……」
真理子さんは深く頭を下げる。
そして傘を受け取ると、もう一度ぺこりと礼をして、その場を後にした。
遠ざかっていく背中。
私はそれを、しばらく黙って眺めていた。
「困ってる真理子さんがほっとけなくて、思わず依頼引き受けちゃった」
あんなは少し照れたように笑う。
「ポチ!」
腰のポチタンも、同意するように小さく声を上げる。
あんなが、みくると同じように困っている人を放っておけない性格なのはわかる。
でも――
私の頭の中では、別のことが引っかかっていた。
「……ねえ、今の」
私が口を開くと、あんなが横目でこちらを見る。
一拍置いて、言葉を続ける。
「それ……みくるの傘じゃないの?
勝手に貸して、大丈夫なの?」
責めるつもりじゃない。
ただ、少し心配だった。
だってあれは、あんなが“みくるのために”持ってきた傘だ。
それをあっさりと他人に渡してしまうなんて。
あんなは少しだけ視線を落とした。
「……うん。本当は、みくるに渡すつもりだった。でも、あの子、困ってたから」
小さく、短い言葉。
けれど、その声に迷いはなかった。
「みくるなら、きっと同じことすると思ったし」
その言葉に、私は一瞬黙る。
確かに、みくるはそういう人だ。
自分が濡れるより、誰かを優先する。
「怒られない?」
私はぽつりと聞いた。
「傘を持ってるみくるの友達が一緒に帰るみたいだけど、もしみくるが濡れて帰ることになったら」
あんなは、少しだけ笑った。
「その時は、謝る」
軽い口調。
でも、その目は本気だった。
私は、なんとも言えない気持ちになる。
……この子は。
自分が今どんな感情を抱えているのか。
まだきっと、うまく整理できていないはずなのに。
それでも、迷わず“みくるらしさ”を優先できるんだ。
「……そっか」
それ以上、何も言えなかった。
(本当に……変な人)
でも。
嫌いじゃない。
むしろ――
少しだけ、共感できる部分が増えた気がした。
そのとき。
____キィィィ……
金属が擦れるような音が、夕方の空気に響いた。
「あ、開いた……!」
校門が、ゆっくりと開く。
一人の教員が校門のゲートを開けていた。
これで、あんなも校内に入れる。
「みくるに言っておかないとね……」
校内へ入ったあんなが、ぽつりと呟く。
その一言に、私の指先がわずかに強張った。
――さっき傘を貸したこと。
――みくるが濡れるかもしれないこと。
ちゃんと伝えるつもりなんだ。
当たり前だ。
何も間違っていない。
あんなの指が、プリキットボイスメモのボタンの上で止まる。
ほんの一瞬。
でも、確かに止まった。
その視線が、どこか遠くを見るように揺れる。
……多分。
渡り廊下で。
クラスメイトに囲まれて笑っていた、みくるの姿。
あの、眩しい光景。
あんなは、ゆっくりと息を吐いた。
そして――
ボイスメモを、そっとしまった。
「……やっぱり、いいや」
あんなは、小さく笑った。
「みくるの邪魔しちゃ悪いからね」
軽い口調。
けれど、その笑みはどこかぎこちない。
私は何も言えなかった。
胸の奥に、ずしりと重い感覚が落ちてくる。
(……私と同じだ)
連絡すればいいのに。
話しかければいいのに。
でも――
楽しそうにしている姿を思い出すと、そこに自分が入り込むのは勇気がいる。
自分が割り込んだ瞬間、その空気を壊してしまう気がするから。
だから。
「今はいいや」
そうやって自分に言い聞かせる。
私は何度、それを繰り返してきただろう。
「どうせあとで会えるからね」
あんなは、明るい声でそう言った。
その明るさが、逆に胸に刺さる。
(……同じだ)
たった1人で未来から来て。
ようやく隣に立てた存在が、今は自分以外の誰かと笑っている。
その光景を、外側から見てしまった。
だから――
連絡しない。
邪魔しない。
自分の気持ちより、相手の時間を優先する。
私は隣でうつむくあんなを見つめる。
そして、視線を前へ戻した。
胸の奥には、湿った感情が残っている。
(……仕方ないよね)
誰も悪くない。
みくるも。
あんなも。
私も。
それでも――
この感情だけは、消えてくれない。
「あんな」
私が名前を呼ぶと、彼女は顔を上げた。
「今……嫉妬してるでしょ?」
その言葉に、あんなの目がわずかに見開かれる。
「え……嫉妬?」
聞き慣れない言葉を確かめるように、ゆっくりと繰り返す。
私は小さく頷いた。
「あんなが今、みくるに抱いてる感情だよ」
否定する前に、私は続けた。
「楽しそうにしてるのを見ると、胸がざわつく。
自分だけが置いていかれたみたいで、少し苦しくなる」
言葉を選びながら、静かに続ける。
「でも、嫌いになりたいわけじゃない。
壊したいわけでもない」
そして、私は言った。
「それ、嫉妬だよ」
しばらく沈黙が落ちる。
風が吹いて、濡れたアスファルトの匂いを運んできた。
「……私もね、同じ境遇」
あんなの眉がわずかに動いた。
「みくるにはクラスメイトがいる。
プリキュアの相棒がいる」
私は、ちらりとあんなを見る。
「……つまり、あんなのこと」
そして、少しだけ視線を落とした。
「私にとっては、あんなにも嫉妬してる」
「わ、私……?」
あんなが小さく息を呑む。
その反応に、私は苦笑した。
「でもね、憎しみはない」
それだけは、はっきり言えた。
「だって、みくるが誰かと笑ってるのは悪いことじゃないし、あんなが隣に立てたのもちゃんと理由があることだから」
あんなは黙ったまま、私を見ていた。
そして、ぽつりと聞く。
「みのるは……ずっとこんな気持ちを経験してるの?」
責めるような声じゃない。
ただ、純粋な疑問だった。
私は少しだけ空を見上げる。
灰色の雲が、空いっぱいに広がっていた。
その向こう側を、ぼんやりと見つめながら――私は静かに息を吐く。
「うん」
私は短く答えた。
それから、静かに続ける。
「私、両親いないんだ」
「……!?」
あんなの目がはっきりと揺れた。
驚きがそのまま表情に出ている。
「あのとき……一人暮らししてるって言ってた理由って……」
「うん。物心ついた頃から、ずっと一人」
そして、少しだけ肩をすくめた。
「それに小学生の頃は、頭がいいってだけで目をつけられてさ」
乾いた笑いが、思わずこぼれる。
「“調子に乗ってるから”とか、“ウザい”とか言われて、囲まれて。
……友達なんていなかった」
あの頃の教室が、頭の奥に浮かぶ。
冷たい視線。
遠巻きに笑う声。
机に刻まれた、無数の傷。
「だから、教室って今でも嫌い」
ぽつりと落とすように言う。
「みのる……」
あんなの声が、かすかに震えた。
言葉にすると、胸の奥がやっぱり痛む。
でも、もう慣れている痛みだ。
「そんな時に出会ったのが、みくるだった」
あんなは、何も言わずに聞いている。
ただ、真剣な目で。
「初めてだった。私の話を、最後まで聞いてくれた人」
私はゆっくりと言葉を紡いだ。
「私がどんな顔してても、普通に隣にいてくれた人」
あの時の光景は、今でも鮮明に覚えている。
何も特別なことはしていない。
ただ、当たり前みたいに隣に座って、笑ってくれただけ。
でも、それだけで――
「みくるだけが、心を開けた相手だった」
だからこそ。
私は静かに続ける。
「だから、みくるが誰かと笑ってると、ちょっとだけ苦しい」
言葉を選びながら、ゆっくりと。
「でも、それは私の問題。みくるの自由を縛る理由にはならない」
あんなは、しばらく何も言わなかった。
ただ黙って、私の言葉を受け止めている。
そして、ぽつりと呟く。
「……みのる、強いね」
私は首を横に振った。
「全然。本当は、何度も飲み込んできただけ」
それだけだ。
あんなは少し俯き、それから静かに言った。
「私、今までこの気持ちの名前、知らなかった」
その声は、どこか安心したようにも聞こえた。
「でも……みのるも同じなんだね」
私は小さく頷く。
「同じだよ」
嫉妬する。
でも、壊したくない。
奪いたくない。
ただ――隣にいたいだけ。
あんなの口元が、わずかに震えていた。
「私こそ、ごめんね……」
消え入りそうな声。
「みのるがこんなに苦しい感情だったの、知らなくて……ずっとみくると一緒に……」
言葉の端が、少しずつ弱くなっていく。
私は首を振った。
「気にしなくていい。それはあんなのせいじゃない」
でも、あんなは唇をぎゅっと噛む。
「でも……みのるの方が、ずっとつらい思いをしてきたのに!」
声が少し強くなる。
「あんなは突然来ただけなのに、何も知らなくて……」
そして、震える声で続けた。
「それなのに私、奪っちゃって……」
その言葉に、私は少しだけ目を細めた。
未来から来たあんな。
家族も、友達もいない世界。
たくさんのものを失って、それでも前を向いている人。
そのあんなが、今は自分を責めている。
目の端が赤い。
今にも涙がこぼれそうだった。
だから私は、静かに言った。
「奪われてないよ」
あんなが、はっと顔を上げる。
「みくるは物じゃない。誰かの所有物じゃないし、人数制限もない」」
はっきりと、言葉を区切る。
「それにね、あんな。私がつらかったのはあんなが来る前からだよ。だから、あんなが悪いわけじゃない」
静かな声だった。
その言葉は強く責めるわけでも、慰めるわけでもない。ただ、事実をそっと置くような響きだった。
あんなは何も言えなかった。
言葉が出ないまま、ただ立ち尽くしている。
私は一歩だけ、あんなに近づいた。
「むしろ、私……あんなが来てくれてよかったって思ってる」
その瞬間、あんなの瞳が大きく揺れた。
驚きと、戸惑いと、信じていいのか分からない感情が混ざり合ったような目だ。
「みくるの隣に立てる人が増えたのは、悔しいけど」
言いながら、自分でも少し苦笑する。
悔しくないと言えば嘘になる。
胸の奥がきゅっと締まる感覚は、今も確かにある。
「でも、あんながみくるを大事にしてるのは、ちゃんとわかるから」
ぽたり、と。
小さな音を立てて、涙が地面に落ちた。
あんなの頬を伝って流れた涙だった。
「でも……それでも……」
声が震える。
抑えきれない感情が、喉の奥でつかえているみたいだった。
「みのるの方が先なのに……」
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
先とか、後とか。
本当はそんな簡単な話じゃない。
私は小さく息を吐いた。
「順番で決まるなら、私とみくるはとっくに壊れてるよ」
「……!」
あんなが、はっとしたように顔を上げる。
「人の気持ちは、席取りゲームじゃない」
そう言いながら私はほんの少しだけ視線を逸らした。
言葉にすると、どこか照れくさい。
「私は嫉妬してる。でも、それは私の問題」
そして、もう一度あんなを見る。
まっすぐに。
「だから、あんなが泣く必要はないよ」
あんなの肩が、小さく震えた。
抑えていたものが、また溢れそうになっているのが分かった。
「……みのるはなんでそんなに強いの?」
かすれた声だった。
私は思わず苦笑する。
「全然」
首を軽く振る。
「ただ、慣れてるだけ」
その言葉を聞いたあんなは、また泣きそうな顔をした。
まるでその言葉の意味を、全部分かってしまったみたいに。
私は思わず、そっとあんなの袖を引いた。
「奪ってないよ。一緒にいるだけ」
言葉が落ちたあと、しばらく沈黙が続いた。
風がゆっくりと通り過ぎる。
やがて、あんなは目元を手で拭いながら、かすかに笑った。
「……ほんとに、ずるい」
「何が」
「そんなこと言われたら、みのるのことも大事にしたくなるじゃん」
その言葉に、私は少しだけ驚いた。
そして、ふっと笑う。
「どうぞ。空いてるから」
冗談めかして言うと、あんながくしゃっと笑った。
さっきまで胸を押しつぶしていた重たい空気が、ほんの少しだけ軽くなる。
見上げると、空の雲がゆっくりと流れていた。
奪い合うんじゃなくて。
並んで立てたらいい。
そんなふうに思えたのは――
たぶん、今が初めてだった。
しばらくして、あんながぽつりと呟いた。
「……私とみのるって、もしかしたら似てるのかもしれないね」
私は瞬きをする。
「似てる?」
あんなは小さく頷いた。
「大事な人が一人で、その人の世界が自分以外にも広がってるのを見ると、少し苦しくなるところ」
自嘲気味に笑う。
「でも、その人の幸せを壊したいわけじゃないところも」
その言葉を聞いて、胸の奥が静かに揺れた。
確かに。
それは、否定できない。
「それに、強がるところも」
思わず、私は目を逸らした。
「強がってない」
「強がってるよ」
即答された。
迷いもなく、あんなは言い切る。
「“慣れてるだけ”なんて、そんなの強がりの言い換えでしょ?」
「うっ………」
図星だ。
何も言い返せなくなる。
あんなは、少しだけ肩をすくめてみせた。
「私も同じだからわかる」
あんなはぽつりとそう言った。
未来から来て、ひとりぼっちで。それでも、何事もないような顔をしている。
寝ているときのあの寝言…。
きっとそうしてきたのだろう。
「平気なふり、得意なんだ」
その言葉を聞いて、私は思わず小さく笑った。
「……確かに似てるかも」
あんながこちらを見る。
「でしょ?」
その目は、さっきまでよりも少しだけ軽くなっていた。涙の跡は残っているのに、どこか柔らかい。
私はゆっくり息を吐いた。
「でも、あんなは私より素直だよ」
「どこが?」
不思議そうに首を傾げるあんなに、私は指を上げる。
「ちゃんと泣けるところ」
そう言って、あんなの目元を指差した。
あんなは一瞬きょとんとした顔をして、それから慌てて顔を背ける。
「これは……その……」
言い訳を探しているみたいに言葉が止まる。
「良いことだよ」
私は静かに言った。
「泣けるのは、ちゃんと向き合ってる証拠だから」
私は違う。
ずっと、飲み込んできただけ。
あんなは少しだけ考えるように黙り込んで、それからふっと顔を上げた。
「じゃあさ」
声は、少しいたずらっぽい。でもどこか優しい響きだった。
「これからは、半分こにしない?」
「何を?」
あんなはすぐに答えた。
「その苦しいの。嫉妬も、不安も、寂しさも。一人で抱えなくていい」
まっすぐな目だった。
逃げ場のない優しさ。
「似てるなら、分担できるでしょ?」
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
私は小さく息を吐いた。
「……合理的だね」
「でしょ?未来人だから」
少し誇らしげに笑うあんなに、私は思わず吹き出した。
似ている。
孤独を知っているところも。
一人で抱え込む癖も。
でも――
「悪くないね」
私がそう言うと、あんなは目を細めた。
「うん。悪くない」
風が、二人の間をすり抜けていく。
今まで、世界はみくるを中心に回っていると思っていた。
でも、ほんの少しだけ。
その世界が広がった気がした。
私とあんなは、みくるにとって特別な存在。
だけど――みくるから見れば、私たちはただの友達の一人かもしれない。
それは、やっぱり少しつらい。
それでも。
似ているのなら。
きっと理解できる。
そして、もしかしたら――支え合うこともできる。
「みのる。さっき……助手って言ったよね」
あんなの声は、さっきより少しだけ真剣だった。
私は瞬きをした。
「言ったね」
探偵のみくるとあんなにとって、私は助手。
一歩引いた場所。
それがちょうどいいと思っていた。
出しゃばらないように。邪魔しないように。
あんなは指先をぎゅっと握る。
「私、1人で依頼を引き受けちゃったから」
未来から来た探偵。
みくると並ぶ名探偵プリキュアの一人。
本当なら、堂々としているはずの彼女が。
ほんの少しだけ、視線を揺らしている。
「今くらいは……助手じゃなくて」
言葉を選ぶように、ゆっくりと続ける。
「みのるが、私と一緒に推理してほしい」
そして、小さく付け足した。
「その……一人は、寂しいから」
胸が、きゅっと締めつけられる。
私はずっと思っていた。
探偵の推理を邪魔しちゃいけない。
みくるの隣に立てるのは、同じくらい眩しい存在だけ。
私は補助でいい。
影でいい。
そうやって、自分に言い聞かせてきた。
でも――
目の前にいるあんなは、完璧な探偵なんかじゃない。
少しだけ不安そうで。
それでも一歩踏み出そうとしている、1人の女の子だ。
その表情を見てしまったら――断れるはずがなかった。
私はほんの少しだけ息を吸う。
「……うん」
その一言に、あんなの目がわずかに開いた。
「いいよ」
言葉は、思ったよりも自然に口から出ていた。
「今だけは、私がみくるの代わりになる」
少しだけ照れくさくて、私は視線を逸らす。
一瞬、静かな沈黙が落ちる。
それから――
あんなが、くしゃっと笑った。
ついさっきまで泣きそうな顔をしていたとは思えないほど、柔らかい笑顔だった。
「代わりじゃないよ」
あんなは小さく首を振る。
「今日だけは、私の相棒」
その言葉に、胸の奥で心臓が強く跳ねた。
相棒。
助手でも、代わりでもない。対等な響き。
私はその動揺を隠すように、わざと軽い口調で言う。
「なら私についてこれるかな?あんな」
「ふふっ……みのるこそ!」
少しだけ強気な目。
でも、その奥には確かに安心の色が滲んでいた。
あんなが一歩踏み出す。
そして、ほんの一瞬だけ振り返って私を見る。
その視線には、もう迷いはなかった。
私はその隣に並ぶ。
今日だけは助手じゃない。
影でもない。
一緒に推理する存在。
私とあんなは、並んで学校へ向かって歩き出した。
ただ、私の中ではすでにこの依頼の全体像がほとんど繋がっていた。
いや、もう繋がっている。
正体も。
恵子さんの居場所も。
その意図さえも。
頭の中では、答えがほぼ完成していた。
それでも――
私は、すぐには口を開かなかった。
(今は相棒とはいえ)
ふと視線を向けると隣であんなが腕を組んで唸っている。
「うーん……まずは高等部って場所に行った方がいいかな……」
真剣そのものの表情だった。
未来から来た探偵。
だけど、今はまだ模索の途中。
(私がいきなり答えを言って突っ走ったら)
簡単だ。
『犯人はこの人。理由はこれ』
そう言えば、事件は一瞬で終わる。
時間もかからない。
でも――
(それじゃ、あんなを置いていってしまう)
相棒と言ったばかりなのに。
それじゃ意味がない。
胸の奥に、少しだけ懐かしい感覚がよぎる。
――みくると、初めて推理した日。
本当は全部わかっていた。
それでも、私はすぐに言わなかった。
代わりに、ヒントを出した。
ほんの少しだけ視線を誘導して。
気づける位置まで、そっと導いた。
そして。
みくるが自分の力で「わかった!」と笑った、あの瞬間。
あの笑顔は――私が答えを奪わなかったから生まれたものだった。
(ここは……同じ方法でいこう)
私は小さく決める。
そして、あんなの後ろ姿を見ながら歩き出した。