かわいいホームズの親友ちゃんは、相棒の座を奪われて焦心苦慮 作:くぁwせdrftgyふじこlp
【みのるSide】
1999年。
世紀が変わろうとしていたその年はノストラダムスの大予言が話題になり、街では携帯電話が少しずつ見かけられるようになったどこか落ち着かない時代だった。
そんな年の、四月。
抜けるような青空が広がるあまりにも平和な朝。
けれど――私たちの日常は、この日を境に大きく動き出そうとしていた。
住宅街の一角にひっそりと佇む建物。
そこには小さな看板が掲げられている。
――「キュアット探偵事務所」
今日は私の親友にとって特別な日だ。
もしかしたら、今日――彼女は“名探偵”になれるかもしれない。
「とうとう来たね……みくるちゃん!」
胸の高鳴りを抑えきれず、私は声をかけた。
「うん……キュアット探偵事務所。ついにこの日が来た……!」
そう答えた小林みくるは、ぎゅっと拳を握りしめて前を見据える。
ピンク色の探偵服に、鹿撃ち帽。
少し背伸びしたその姿はどこか頼りなくもあり、それ以上に可愛らしかった。
「絶対、テストに受かる!」
探偵事務所に入るために必要な知識と推理力を試される――“探偵テスト”。
みくるはその試験に挑むため、ここまで必死に努力してきたのだ。
「みのるちゃんもありがとう!ここまでずっと支えてくれて!」
「気にしないで。大事な親友のためなら、喜んで引き受けるよ」
私は花崎みのる。
みくるとは小さい頃から一緒の幼馴染で、そして親友だ。
ある出来事をきっかけに探偵を目指すようになったみくるを私は“助手”という立場で支えてきた。
長かったようで、振り返ると一瞬だったような不思議な時間。
少し緊張しながら私たちは事務所の玄関へと手を伸ばす。
――その瞬間だった。
「よし……すみま……うえぇ!?」
「え!?空が光って――」
突然、世界が白く染まった。
空を覆う激しい閃光。
思わず顔を上げた私の頭に最悪の想像がよぎる。
――隕石!?
だが、次の瞬間、空から落ちてきたのは隕石ではなかった。
「うわああああぁぁぁぁぁ!!」
「うえええええぇぇぇぇぇ!?」
「ああああああっ!!?」
閃光の中から一人の少女が落下してきたのだ。
あまりにも意味不明な光景に、私たちは揃って叫ぶことしかできなかった。
それどころじゃない――あんな高さから落ちたら、無事で済むはずがない!
病院?
そんなレベルじゃない。
「みくるちゃん!私が受け止める!!」
「えっ、みのるちゃん!?無茶だよ!」
自分でも無茶だとは思った。
でも、何もしないよりは――。
そう覚悟を決めかけた、そのとき。
「ポチ~!」
「……ポチ?」
落下してくる少女が抱きしめていた、ぬいぐるみのような生き物。
それが――突然、喋った。
次の瞬間、その体がふわりと膨らみ、まるで巨大なクッションのようになる。
「よ、良かった……安全に着地できる手段が……」
ほっとしたのも束の間、私は重大な事実に気づく。
――私とみくる、ちょうどその真下じゃない?
「あぁっ!?ダメ――」
「……ぐぇっ……」
次の瞬間、私たちは巨大化したぬいぐるみの下敷きになり、見事につぶされたのだった。
「…………生きてる?」
「……生きて……る」
お互いに声を掛け合い、なんとか意識があることを確認する。
全身に走る鈍い痛みと衝撃のせいで頭がぐらぐらする感覚。変なところを打っていないか不安が一気に押し寄せてきた。
「……な……なんなの……これのせい…?」
頭上にある“原因”を見上げ、落ちてきた少女が叫ぶ。
「もう~!何がどうなってるの~!?わけわからないんだけど~!」
「ポチ~!」
少女の腕の中でぬいぐるみのような生き物が間の抜けた声を上げた。
幸い落ちてきた少女自身は無事なようだったが状況を把握できていない様子で完全に混乱している。
さっきまで巨大なクッションのようだったその生き物はいつの間にか元のサイズに戻っていた。けれど私の視界はまだぐるぐる回っている。
喋るぬいぐるみはというと――少女に激しく揺さぶられているにもかかわらず、まったく気にしていない様子で相変わらず無邪気だった。
「……はっ!」
その存在に、先に気づいたのはみくる。
勢いよく起き上がり、目を輝かせながら少女へと迫る。
「妖精だ!」
「……ん?」
「妖精と一緒ということは、キュアット探偵事務所の名探偵ですね!」
「…………え?」
確かに、よく見ればぬいぐるみは可愛らしい見た目をしている。
けれどどの動物とも一致しない、不思議な特徴の集合体だ。
――妖精?
待って。
妖精って、今時の女の子は魔法まで使えるの……?
「探偵って魔法も使えるの!?トリックだよね!!」
「ええっ!?」
みくるに続いて私まで詰め寄ってしまい、少女は明らかに引いた表情を見せた。
でも仕方がない。現実離れした出来事が立て続けに起きているのだ。興奮しないほうが無理というものだろう。
「私、小林みくるです!こっちは友達で、助手を務める花崎みのるちゃん!」
「花崎みのるです。よろしくね!」
「私、明智あんな……って、そうじゃない!!」
自己紹介を終えたかと思った瞬間の鮮やかなノリツッコミ。
最近の探偵はお笑いの流れも理解できないといけないのだろうか。これはなかなか厳しいテストになりそうだ。
「妖精って何!?部屋にいたのに、どうしてここに!?」
あんなは、切実な表情で問いかけてくる。
どうして突然、部屋から外に出たのか。
あの眩しい光は何だったのか。
――まさか。
「もしかして……探偵テスト、もう始まってる?」
「多分、始まってると思う。恐らく私たちの推理力を試してるんだよ。もしかしたらさっきの混乱しているのは演技かもしれないし…」
「なるほど……それなら話は早い」
得意げな笑みを浮かべるみくる。
その余裕も無理はない。
彼女が探偵になると決めてからどれだけ努力してきたかを私はずっとそばで見てきた。
テストで満点を取ったり、推理小説を何冊も読んだり。
できることは片っ端からやってきた。
推理小説を買うたびの出費は正直痛かったけれど――
自分でも読んでみたら意外と面白かったので結果オーライということにしておこう。
「移動距離を予測する必要がありそうですね、探偵さん!」
助手らしく胸を張って告げると、みくるは待ってましたとばかりに一歩前へ出た。
「お答えしましょう!かの有名な探偵、シャーロック・ホームズは、靴の汚れや傷から相手がどこから来たのかを言い当てます!」
そう言ってどこから取り出したのか――
探偵アイテムの定番、ルーペを掲げる。
「あなたはズバリ――!」
みくるは勢いよくあんなの足元へとルーペを向けた。
「靴……」
一瞬の沈黙。
「――履いてなああああああい!!」
「くっ……いきなり証拠を隠滅するタイプと来たか……これは厄介ですね」
「えっ、えっ?」
あんなは慌てた様子で自分の足元を見下ろす。
そこにあったのは靴ではなく靴下だけの素足。
当然といえば当然だが、これでは足跡も土汚れも移動経路の手掛かりも期待できない。
――探偵を続けていれば証拠が揃わない状況なんて山ほどある。
それを見越してあんなはあえてこの難題を突きつけているのだろう。
……それでも。
「まだ慌てる心配はないよ、みくるちゃん!」
私はすぐに気を取り直し、みくるの肩に手を置いた。
「事件というものは、必ずどこかに手掛かりがあるはず!諦めるのはまだ早い!」
「うん……そうだね、みのるちゃん」
みくるは深く頷き、拳を握りしめる。
「私は絶対に探偵になるんだ!この探偵テスト、絶対に合格してみせる!!」
「……あ、あの!!」
熱くなっている私たちに、あんなが遠慮がちに声をかけてきた。
もしかして――
ヒント?
それとも追加情報?
期待に胸を膨らませ、私たちはあんなの言葉を待つ。
そして、返ってきたのは――
「ごめん……勘違いしてるかもしれないけど、私……探偵じゃなくて」
「…………」
「本当に、気づいたら部屋から、こんなところに来て……」
「………………」
言葉が、空中で止まった。
私とみくるの間に、重たい沈黙が落ちる。
さっきまでの勢いが嘘のように、時間がゆっくりと流れた。
――え?
――今、なんて?
しばらくの間、誰も言葉を発することができなかった。
_______________
「ぴったりだ……!」
店内に設置されたテレビから天気予報の穏やかな音声が流れてくる。
私たちは靴を履いていないあんなのために靴屋へ来ていたのだが――。
試し履きした靴を見下ろし、あんなは心から嬉しそうだった。
その一方で、みくるの表情にはどうにも納得がいかない様子が浮かんでいる。
「どっちのがいい?」
「こっち!……じゃなああああい!!」
(……みくるちゃんもノリツッコミできるんだ)
あんなの問いに一瞬素直に答えてからの完璧なセルフ否定。
私は思わず心の中で微笑んだ。そういう素直なところ、結構好きだ。
でも――。
さっきは興奮していたけど突然空から人が降ってくるなんてどう考えてもおかしい。
探偵ものとしては無理難題にもほどがある。
「部屋から落ちてきたなんてあり得ませんよ!」
「それにあの謎の光も気になるし……本当に手品とかじゃないの?」
「本当だって」
「ポチポチ!」
あんなの言葉に合わせて妖精らしき存在も声を上げる。
改めて見ても、電池で動いている様子はないし、ちゃんと意思を持って反応しているように見える。
さっきは「魔法を使える探偵ってすごいな」なんて思ったけど――
それだと何でもアリになってしまう。
証拠も推理も成立しなくなる。
「ポチポチじゃわからないよ……」
「この子、おしゃぶりをしてますし……赤ちゃんなんでしょうね。だから喋れないのかと」
「意思を持ってる理由は、さっぱりですけどね……」
「本当に不思議だね……」
「え、でも……さっき……部屋にいる時は話せてたのに…」
妖精の存在を考えれば考えるほど謎は増える一方だ。
推理の世界で非現実的な仮定は御法度。
それなのに思考はどんどん袋小路に追い込まれていく。
――いや。
ある。
妖精が意思を持っているように“見せかける”方法が。
「……腹話術、だよね」
「……!!」
私の言葉にみくるが衝撃を受けたように固まった。
「……どういうこと?」
「知らないとは言わせないよ」
私は一歩前に出てあんなを見据える。
「腹話術。本人がほとんど口を動かさずに喋ることで、まるで別の存在が話しているように見せる話術」
あんなの腕の中にいる妖精を見る。
「あなたは腹話術を使って妖精が意思を持っているかのように演じた。そして、落ちてきたときに膨らんだのはエアバッグに似た技術を使ったから!」
一息つき、さらに続ける。
「空が光って見えたのは、窓から飛び降りた瞬間を見られないようにほんの一瞬だけ強いライトで照らしたんだ!」
「なるほど……!」
みくるが目を輝かせ、言葉を継ぐ。
「意思を持っているのは妖精じゃなくて、あなたの腹話術!そして靴を履いていなかった理由も、部屋から直接外に飛び出したからだった!」
ぐっと拳を握り、あんなに向き直る。
「やっぱり、さっきの“知らないふり”は全部演技だったんですよね!今の私たちの推理でどうでしょう――探偵テスト、合格ですか!?」
――我ながら、完璧な推理だった。
いろいろな推理小説を読み、みくるの助手を務めてきた成果がようやく形になった気がする。
確かに難しい内容だった。
でも、知識を駆使すれば必ず解決の糸口は見えてくる。
あんなは私たちの推理が正解かどうかを告げることはなかった。
代わりに首を傾げながら次の問いを投げかけてくる。
「……何?その“探偵テスト”って」
その質問に、みくるは一切迷うことなく胸を張った。
「その質問なら簡単です!!」
勢いよく息を吸い、堂々と言い切る。
「名探偵は、いろいろな事件を調べて、解決して、人々を助ける――みんなの憧れ、希望!!」
まっすぐな目で、あんなを見つめる。
「私は、そんな名探偵になるために探偵テストを受けに来たんです!!」
「……名探偵ってすごいんだね!」
「よしっ!」
その言葉を聞いた瞬間、みくるは私のほうを振り向き、ドヤ顔でガッツポーズを決めた。
やってやりましたと言わんばかりの無邪気な表情。
――かわいいなあ。
この先、きっと大変なこともたくさんあるだろう。
でもみくると二人なら、きっと乗り越えられる。
そんな根拠のない確信が胸に浮かんだ――そのとき。
「ポチ……ポチぃ!」
「え……うわああああ!?」
突然、妖精が眩しく光り出した。
妖精の背中からロープのようなものが伸び、あんなの身体をぐるりと一周する。
まるでバッグの取っ手のような形に固定されると、そのまま妖精はふわりと浮かび上がった。
「ちょっ、ちょっと!?」
抗議の声も虚しく、妖精はあんなをぶら下げたまま勢いよく店の外へと飛び出していく。
――靴を履いたままで。
「ま、待って!!」
「まだお金払ってないのに!!」
必死に呼び止めたが完全に手遅れだった。
すぐにでも追いかけたい。
でも私たちまで何も言わずに店を出てしまったら、ただの万引き犯だ。
仕方なく、私たちはレジの前に立つ。
「……私が払うよ」
「いやいや、私が……」
「…………半分ずつにしようか」
「…………うん」
どちらが払うかで言い合っても埒が明かない。
そう判断して割り勘を提案すると、みくるは即座に頷いた。
――靴の代金は探偵テストの受験料、ということなのだろうか。
軽くなりかけた財布を取り出しながら私たちは同時にため息をつく。
またひとつ増えた出費に、静かに心を痛める――。
(……さっきの妖精……普通に動いてたし……なんなら、飛んでたよね……?
……気にしたら負け、かな)
そんなことを思いながら割り勘で支払いは済ませたものの、二人の財布は空っぽ寸前。
これではしばらく欲しいものは我慢する生活になりそうだ。
_______________
「はぁ……はぁ……やっと、追いついた……」
息を切らしながら私たちはようやく妖精に引きずられていったあんなに追いついた。
だが本人は追いつかれた瞬間、別の意味で青ざめる。
「あ……お金、払ってない!!」
どうやら今になって、店の靴を履いたままだったことに気づいたらしい。
「靴の代金……立て替えておきました……」
「えっ、ありがとう!」
「全く……」
私は腕を組み、少しだけ厳しい表情になる。
「私たちが一緒にいたからよかったけど、もし一人で勝手に店を出てたら、万引き。窃盗罪っていう、立派な犯罪だからね!」
「はい……ごめんなさい……」
私の真剣な声と、みくるの無言の圧に、あんなはしょんぼりと肩を落とす。
ちゃんと事の重大さを理解して、反省している様子だった。
もちろん、犯罪は絶対にダメ。
けれど、そもそもの原因は、勝手に外へ連れ出した妖精だ。
そう考えると、あんなも被害者と言えなくはない。
……もし私たちがいなかったらどうなっていたかは、想像したくないけど。
「ポチポチ!」
すると妖精が急に声を上げ、前方を指差した。
「これって……」
「結婚式場?」
目の前に建っていたのは、白く整えられた外観の結婚式場だった。
新郎新婦が多くの人々に見守られながら、人生を共に歩むことを誓い合う場所――挙式を行う、特別な施設。
(……私たちもいつか……?)
将来、恋をして、大切な人ができて。
そしてここで、誰かと愛を誓う日が来るのかもしれない。
まだまだ先の話のはずなのになぜか少しだけ胸が緊張する。
それほどまでに目の前の結婚式場は、神聖な空気を纏っていた。
「この妖精……中に入りたがってるよ?」
「え?でも、勝手に入っていいのかな……?」
「入り口くらいなら、大丈夫なんじゃない?」
妖精はじっと結婚式場を見つめ、まるで呼ばれているかのように落ち着かない様子だ。
赤ちゃん妖精だから、単なる好奇心なのか。
それとも――また別の理由があるのか。
けれど、ここで放っておくわけにもいかない。
注意されたらすぐに謝って出てくればいい。
そう自分に言い聞かせて私たちはそっと結婚式場へと足を踏み入れた。
結婚式場のエントランスの様子を見ると、どうやら今日はちょうど挙式の予定があるらしい。
周囲では数人のスタッフが打ち合わせをしたり、会場の設営を進めたりと落ち着きのない様子で動き回っていた。
(やっぱり……勝手に入ったら怒られるよね……?)
そう身構えていたけれど私たちに注意を向ける人はいない。
どうやら親戚の子どもか何かだと思われているらしく、誰も深く関わろうとしなかった。
その中で、ひとりだけ――明らかに様子の違う女性がいた。
中央の花壇の前で必死な様子で何かを探している。
「ない……ない!どこにいったの!?」
切羽詰まった声。
相当焦っている様子から、失くしたものはきっと無くてはならない大切な物なのだろう。
「幸野さん」
そのとき、階段の方から別の女性が声をかけた。
「あ……」
その先にいたのは――
「花嫁さんだ……!」
純白のウェディングドレスに身を包んだその姿。
まさに“花嫁”という言葉そのものだった。
多くの女性が憧れる衣装。
近くで見るその姿は思わず息をのむほどに美しく、圧倒される。
「ありがとうございます……もう、諦めます」
「え……?」
けれど、耳に届いた言葉はあまりにも不穏だった。
花嫁の表情はどこか沈み、不満そうにも見える。
「でも……!」
「……式に、間に合いませんから」
失くしたものは結婚式にとって欠かせない物なのだろうか。
勝手に入り込み、人の会話を盗み聞きするのは良くないと分かっている。
それでも――この状況は、どうしても気になってしまう。
とはいえ、見ず知らずの私たちがいきなり話に割り込むわけにもいかない。
そう思っていると――
「たちゅけて……!」
小さな声が聞こえた。
妖精の声だった。
――助けてあげて。
きっと、そう言いたいのだろう。
助けたい気持ちがないわけじゃない。
でも、勝手に首を突っ込んでいいのか……。
一人で葛藤している、その瞬間。
「あの!」
気づいた時には、あんなが一歩前に出ていた。
「困っていることがあるなら……お手伝いします!」
「えっ!?」
「ちょっと、何勝手に!?」
思わず小声で止めに入る。
さすがに踏み込みすぎだ。これ以上の散策は逆に迷惑になる――。
そう言いたかったけれど、厳粛な雰囲気の中、大声を出すわけにもいかなかった。
(……どうしよう?)
(……ここまで来ちゃったら……やるしかないね)
私とみくるは、無言で目を合わせる。
そして、小さく頷き合った。
とりあえず――
この流れに乗るしかなさそうだ。
_______________
「どうしたの?呼び出したりして?」
控え室に集められた三人は、きょとんとした表情でみくるを見つめていた。
「まりさんが最後にティアラを見てから、この部屋に出入りしたのは――あなた方三人です」
みくるは一歩前に出て、勢いよく指を突きつける。
「この中に……ティアラを盗った犯人がいます!」
自信満々な宣言。しかし、返ってきたのは困惑した沈黙だった。
三人は互いに顔を見合わせ、「何の話だ?」と言いたげに首をかしげている。
……まあ、そうなるよね。
ただ事情を説明される前に「犯人がいます!」と言われても、理解できるはずがない。
沈黙が続き、みくるの動きがぴたりと止まる。
「ま、まさか……あり得ないですよ!」
「え……で、ですよねー!ちょっと話を聞こうかなーなんて……」
「……あはは」
探偵らしさ、どこ行った。
思わず私は苦笑してしまう。
その視線に気づいたみくるは、途端に顔を赤くした。
――まずは落ち着いて話を聞くところから。
推理はそれからでも遅くない。
「僕は、花嫁さんの写真を撮りに来たんだ」
最初に口を開いたのは、カメラを首から下げた中年の男性だった。
名前は宇都見将太。今回の結婚式を担当するカメラマンだという。
「私は、まりにお願いがあって来たの」
続いて名乗ったのは、柔らかな雰囲気の女性。
花嫁の友人、藤井ともかだった。
「お願い……って?」
あんなが不思議そうに首をかしげる。
「ブーケをともかの方に投げてほしいって」
「あっ、ブーケトス!」
あんなの声が少し弾む。
「そう!花嫁さんが投げたブーケをキャッチすると、幸せをお裾分けしてもらえるの。ずっと憧れだったんだー!」
ブーケトス。
ヨーロッパ発祥という説がある、結婚式の伝統的な演目。
最近では参加者全員向けにアレンジされることも多いが、本来は未婚の女性へ向けたものだ。
控え室の壁際には白い薔薇で作られたウェディングブーケが静かに置かれ、出番を待っている。
「お願いってありなんだ」
「うん!オーケーって言ってくれたよね!」
「ともかが珍しく遅刻しないで来てくれたから……つい」
「なるほど……」
探偵らしく、みくるは真剣な表情で手帳にメモを取る。
今のところ、二人の話に大きな違和感はない。
藤井さんが「珍しく遅刻しなかった」という点は少し引っかかるけれど、たまたま早起きできた可能性もある。
――この点は、ひとまず保留。
そして、残る一人。
「私は、式の準備でこの部屋を出入りしていました」
ウェディングプランナーの幸野さちよさんは、落ち着いた声でそう答えた。
挙式や披露宴の進行管理、衣装や演出の手配、当日の段取りまでを担う重要な役割。
控え室を何度も行き来していても何ら不自然ではない。
三人ともここに来た理由は明確だ。
――少なくとも、表向きは。
みくるはペンを止め、じっと手帳を見つめる。
ここから先は、
“ただ話を聞くだけ”じゃ足りない。
「みんなこの部屋に来たときも……今と同じ服装でしたか?」
みくるの問いかけに、三人は顔を見合わせてから頷いた。
「ええ。ティアラを隠せるような服装ではありませんし……」
「そう、ですか……」
あんなの質問も、今のところ問題点は見当たらない。
三人ともポケットが多いわけでもなく、ティアラが収まりそうな服ではない。
持っているものといえば、
帽子と小さなポーチ――それくらい。
「……服だけに限らず……」
私が小さく呟くと、みくるの表情がぱっと変わった。
「身に付いているもの……帽子!帽子の中に入れたとか!?」
視線が一斉に、宇都見さんの被っている帽子へ向く。
「確かこのティアラ……まりさんのものと、ほとんど同じ大きさですよね」
あんなはそう言って、予備のティアラを手に取った。
「帽子……ちょっと、いいですか?」
「あ、ああ……」
宇都見さんから帽子を受け取り、あんなが中にティアラを入れようとする。
しかし――
「……うーん」
どう角度を変えても、ティアラの方が明らかに大きい。
「入らない……これじゃ運べないよ」
「じゃあ、ともかさんのポーチは?」
「うーん……これも無理ね」
藤井さんのバッグに試してみるが、結果は同じ。
幸野さんが腰につけているポーチも見ただけで可能性は低かった。
「幸野さんのポーチも……無理そうだね……」
となると、身に付けたまま持ち出した線は消える。
――じゃあ、どこに?
そう考え込んだとき、想田さんが静かに、でも重たい声で口を開いた。
「……ありがとう。でも……もう本当に、いいんです」
「え……?」
「やっぱり……ティアラは、諦めます……」
その言葉に、みくるとあんなの表情が凍りつく。
必死に考えたのに答えが出ない。
推理は序盤にして、大きな壁にぶつかってしまった。
……何か、見落としている。
私は頭の中で、これまでの会話を一つずつ辿っていく。
服には隠せない。
身に付けている物にも入らない。
外に持ち出した形跡もない。
――だったら。
この部屋のどこかに一時的に隠し、
時間を置いてから、こっそり持ち出す。
そんな手口の可能性は……?
そして、どうしても引っかかるやり取りが一つ。
「ともかが珍しく遅刻しないで来てくれたから……」
――珍しく。
それは、
意図的に早く来たのか、
それともたまたま早起きできただけなのか。
意味はまるで違う。
藤井さんの目的は、ブーケトス。
私は無意識に、控え室の壁際へ視線を向けた。
白い薔薇のウェディングブーケが、
静かに、そこに置かれている。
……でも、まだ確証がない。
今は焦るべきじゃない。
一度、考えを整理する必要がありそうだ。
_______________
「……ティアラを持ち出した方法がわかれば、犯人がわかるはずなのに……」
結婚式場を一度離れ、私たちは庭の噴水の前にいた。
みくるは噴水の縁に腰を下ろし、膝の上に広げた手帳を睨みつけるように見つめている。ページの端は、何度もめくられたせいで少しよれていた。
私はというとあまり焦っても仕方がないと思い、噴水の水音を聞きながら背伸びをする。
けれど真剣すぎるみくるの背中が気になって、結局その隣に腰を下ろした。
「……大丈夫?」
声をかけると、みくるはゆっくりとこちらを向いた。
「みのるちゃん……」
その表情は、見ているだけで胸が痛くなるほどしょんぼりしていた。
みくるはいつも頑張りすぎる。優しいからこそ、抱えなくていいものまで抱えてしまう。
「私って……いつもこうだ……」
ぽつりと零れ落ちる声。
「助けるって言いながら、何度もつまづいて……結局、何もできない……」
被害者の前で、彼女は必死に背筋を伸ばしていた。
名探偵を名乗るに足る人間であるかのように。
でも、その視線は揺れていて、頭の中で組み立てたはずの推理はどれ一つとして形にならなかった。
私自身も決定的とは言えないけれど、気づいたことはあった。
それでも、それを口にする気にはなれなかった。
――これは、彼女の初めての事件だから。
「……どうしてこうなんだろう」
独り言のようでいて、独り言じゃない。
私は知っている。これは、「聞いてほしい」声だ。
私はすぐに否定しなかった。
否定は、タイミングを間違えると刃になる。
「……何もできない、は言いすぎじゃない?」
そう言うと案の定、みくるは自分を責める言葉を次々と並べ始めた。
期待、失望、初めての事件、真っ白になった頭。
……全部、分かる。
彼女は必死に努力してきた。あの頃から、誰よりも。
膝の上に広げられたメモは、どれも中途半端なまま。
証言は噛み合わず、決定的な証拠もない。
みくるは何度もメモを読み返し、そのたびに小さなため息を落とした。
「……みのるちゃんは、すごいよ……」
「……え?」
ぽつりと、みくるが言った。
「だって、みのるちゃんの方がいつも冷静で、ちゃんと考えてて……私は感情が先に出て頭が追いつかない。先走って、犯人がいるって伝えることしかできなかった……」
握りしめたペンがかすかに震えている。
「私じゃ、まりさんを笑顔にできない……名探偵にだって……」
私は何も言わず、彼女の横顔を見る。
目の下にうっすらと浮かんだ涙。
それだけ悩み続けている証拠だった。
それでも彼女は、投げ出していない。
「無理だ」とも言っていない。
もし本当にそう思っていたら、今日ここにはいない。
探偵事務所を訪れたときの緊張した声。それでも隠しきれなかった、あの喜び。
――あの表情を見てしまったら、誰が言えるだろう。
「この人は本気じゃない」なんて。
彼女は探偵になりたい。
ただ憧れているだけじゃない。
困っている人を、絶対に助けたい。
それができる存在になりたい。
その気持ちが誰よりも強い。
だから現場で感情が先に出る。
だから人の言葉に引きずられて、混乱してしまう。
でも、それは欠点なんかじゃない。
――それは優しさだ。
みくるはまだメモとにらめっこをしている。
ペン先は止まったまま。
それでも、目を逸らさない。
私は少しだけ迷ってから、口を開いた。
「ねえ」
呼びかけると、みくるはゆっくりと顔を向けた。
「今……何も思いつかなくて、苦しいでしょ」
一瞬、視線が逸れる。
それから、ほんの小さく頷いた。
「……うん」
「でも、諦めるなんて言ってない」
みくるの目が、わずかに見開かれる。
「無理だ、とも言ってない」
言葉を選びながら、ちゃんと彼女を見る。
「じゃなきゃ今日まで来れないよ」
噴水の水音が、急に遠く感じられた。
周囲が静まり返り、彼女の少し乱れた呼吸だけが聞こえる。
私はほんの少しだけ笑う。
「さっき、キュアット探偵事務所に初めて一緒に来た時のみくるちゃん、すごい顔してた」
「……どんな?」
「眩しい顔」
冗談みたいに言ったけれど、それは本心だった。
「探偵テストとか、事務所に入れるか不安そうだったのに。それでも、すごく嬉しそうだった」
みくるは何も言わない。
でも、否定もしなかった。
「探偵になりたいって気持ちがあれだけ顔に出る人、初めて見た」
少し間を置いて、続ける。
「それにね」
声を、ほんの少しだけ落とす。
「困ってる人を助けたいって思う強さ、君が一番だよ」
みくるの指が、ペンを強く握りしめた。
「だから、今つまずいてるのも……当然なんだと思う」
「……どうして?」
「本気だから」
即答だ。
ここまで悩み続けている理由なんて、ひとつしかない。
みくるは、はっとしたように私を見る。
「どうでもよかったら悩まない。ここまで考えない。みくるちゃんは今、ちゃんと探偵してる」
みくるの喉が、こくりと動いた。
「私はね……冷静で、考えるのができるだけ」
少し照れくさくて視線を逸らす。
それから、もう一度彼女を見る。
「でも、君みたいに『誰かを救いたい』って気持ちだけで前に進むことはできない」
しばらくの沈黙。
みくるは目を伏せたまま、小さく息を吸った。
「……そんなふうに、思われてたんだ」
「うん。ずっと」
私は微笑んだ。
「だからね。今は、思いつかなくてもいい」
「……」
「考えるのをやめなければ、必ず辿り着く」
みくるはゆっくりと頷いた。
そのとき、様子を見ていたあんなが心配そうに前へ出て、少しかがむ。
「みくるちゃんは……どうして名探偵になりたいの?」
みくるは一瞬だけ目を伏せる。
それから立ち上がり、はっきりと顔を上げた。
「私も……助けられたから」
小さいけれど、確かな声。
「今度は、私が名探偵になって……みんなを助けたい!」
私は、その言葉を静かに聞いていた。
詳しいことは知らない。
私が一緒にいなかった、彼女の過去。
でも、その出来事があったからこそ、
みくるの中に「誰かを救いたい」という想いが芽生えた。
――それは揺らいだりしない。
この瞬間、彼女の中で何かがもう一度確かに灯った気がした。
「……やっぱり、すごいんだね」
ぽつりと零れたあんなの言葉に、みくるは戸惑ったように瞬きをした。
「えっ……?」
「名探偵なら、ティアラを見つけて、まりさんを笑顔にできるんでしょ!」
少し無邪気で、でもまっすぐな問いかけ。
「……ええ、きっと!」
返ってきた答えには、迷いがなかった。
絶対に見つけたい。助けたい。
その気持ちが嘘じゃないことは、声を聞けば分かる。
私は思わず口元を緩めていた。
「だったらなろうよ。名探偵に!」
みくるの肩が、ぴくりと揺れる。
「でも……」
その言葉が出た瞬間、私は静かに首を振った。
「……みくるちゃん」
そして、二人の会話にそっと割り込む。
「今は分からなくても、それでも“助けたい”って思ってるでしょ?」
みくるは、はっとしたようにこちらを見る。
「それだけ本気だから、悩んでるんだよ」
「みのるちゃん……」
少し泣きそうな表情。
努力は裏切らない、なんて簡単に言う人もいる。
でも実際は、努力しても報われないことの方が多い。
それでも――今まで頑張ってきたことが無駄になるわけじゃない。
私はそう信じている。
「でもね」
あんなが、ぐっと一歩前に出た。
「悩んでるだけじゃ、始まらないよ!」
みくるは唇を噛みしめ、黙ったまま俯く。
「一歩踏み出せば、答えはついてくる!」
あんなは、はっきりと声を張る。
「『一歩の勇気が、答えになる』だよ!」
そう言って、あんなはみくるの手を取った。
ぎゅっと、力強く握る。
その光景を見て、私ははっきりと告げる。
「みくるちゃんは、もうここまで来た」
逃げなかった。
考えることをやめなかった。
向き合い続けている。
それは、紛れもない事実だ。
「だから、大丈夫」
あんながにっこりと笑う。
「みくるちゃん、行こう!もう一度全部調べよう!」
「……!」
みくるの目が大きく見開かれ、そして――
小さく、けれど確かに頷いた。
「はい!」
その声は、さっきよりもずっと強かった。
私は、その背中を見つめながら思う。
この子は、きっと名探偵になる。
答えが出ない夜を越えても。
何度つまずいても。
それでも人を助けたいと願い続ける限り。
だから私は、隣にいる。
一瞬、空気がざわりと揺れた。
予兆もなく吹き抜けた強い風に、みくるの髪を結んでいたリボンがふわりとほどけ、片方だけが宙を舞う。そのまま花壇の方へと流され、花の間に吸い込まれるように落ちていった。
リボンは花壇の中、咲き誇る花々の影に引っかかるようにして留まっている。
「……今日二回目だ……」
小さく呟いたあんなの声に、みくるが振り向く。
「二回目?」
「うん。さっきもね、みくるちゃんたちに会う前に、植え込みの中に落ちた女の子のリボンを探すの、手伝ってたんだ」
そう言いながらあんなは花が咲き乱れる植え込みの中へと手を伸ばす。外から見ればすぐそこにあるはずなのに、葉や花に遮られて、なかなか目当てのものが見えない。
その様子を見ながら、私はふと口を開いた。
「……茂みとか植物って、中に物が落ちちゃうとそこにあるって分かってても外からじゃ見つけにくいよね」
一瞬言葉を探し、続ける。
「……まるで隠し物を探してるみたいだよね。花が咲いてたら、なおさら」
その呟きに、空気が変わった。
みくるとあんなが、同時に動きを止める。次の瞬間、二人ともが真剣な表情で考え込み始めた。
「……植え込みの……中……」
「……花……?」
言葉を噛みしめるように繰り返した直後、みくるがはっとした顔で私の方へ詰め寄ってくる。その目は、何かを掴みかけた人のそれだった。
「みのるちゃん、今、何て言ったの!?」
「え……?植物の中に物があると外からじゃ分からないよね、って……隠し物を探してるみたいで……花が咲いてたら、なおさら……」
自分の言葉をなぞるうちに、私の胸にも同じ感覚が走る。
「……あっ」
点と点が、音を立てて繋がった。
「見えた……!これが……答えだ!!犯人は、あの人だ!!」
みくるとあんなの声は、確信に満ちていた。
「……やっぱり。私が感じてた違和感、間違ってなかったんだ……」
あんなも嬉しそうに笑い、二人は顔を見合わせる。その表情は長い霧の中から抜け出したように晴れやかだった。
それは私も同じだった。
結婚式までもう時間はあまり残されていない。私たちは一瞬だけ頷き合うとすぐさま花壇を離れ、答えを胸に抱いたまま控え室へと駆け戻っていった。