かわいいホームズの親友ちゃんは、相棒の座を奪われて焦心苦慮   作:くぁwせdrftgyふじこlp

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嵐の前の静けさ

[演目『堕天使の降臨』]

 

光がまだ、この世界を優しく包み込んでいた頃の物語。

 

天から舞い降りた天使たちは、音もなく人々のそばに寄り添っていた。

 

彼女たちの翼は白く、朝もやの中で淡く輝き、その存在を人の目が捉えることはない。

 

それでも確かに、彼女たちはそこにいた。

 

祈りの声が届くたびに耳を傾け、折れそうな心の傍らで静かに膝をつき、消えかけた希望の灯を両手でそっと包み込む。

 

干渉はしない。

 

ただ、見守る。

ただ、導く。

 

それだけが、彼女たちに許された役目であった。

 

希望という炎は、目には見えない。

 

けれどもそれは確かに、人々の胸の奥で息づいていた。

 

冬の朝に吐く白い息のように、密やかに、しかし確実に、存在していた。

 

その均衡が、崩れ始めたのはいつのことだったろう。

 

空の果てに、最初の異変を察知したのは、一人の天使であった。

 

彼女は翼を広げて風の流れに耳を澄ませたとき、何か奇妙なものを感じ取った。

 

希望の気配ではない。

その逆だ。

 

祈りの声が、一つ、また一つと、糸を断ち切られるように途絶えていく。

 

やがて地上を見下ろした天使は、息を呑んだ。

 

人々の顔から、笑みが消えていた。

 

その翼を、かつて知っていた者は多くない。

 

純白であったはずのそれは、今や一枚の羽根に至るまで深い黒に染まり、静寂の空を裂くようにして広げられていた。

 

夜よりも昏い色。

光を吸い込み、影すら生まない暗さ。

 

その翼が風を打つたびに、どこか遠くで小さな炎が一つ、音もなく消える。

 

堕天使は、何も語らなかった。

 

ただ静かに、人々の間を漂いながら、その細い指先をそっと伸ばす。

 

胸に宿る光へと。

 

誰かを愛する気持ち、明日を信じる力、もう少しだけ頑張れると思わせる小さな確信。

 

それらを、まるで熟れた果実を摘み取るように、一つひとつ、丁寧に、奪っていく。

 

触れられた希望は、悲鳴すら上げなかった。

 

ただ、消えた。

 

跡に残るのは空虚だけだ。

 

何かを失ったという自覚すら持てないまま、人々はただぼんやりと立ち尽くす。

 

祈る言葉を忘れた口が、意味なく開いては閉じる。

 

子どもたちの目から光が薄れ、老いた者たちは重ねてきた年月の意味を問えなくなる。

 

世界はゆっくりと、色を失っていった。

 

それは、破壊ではなかった。

もっとずっと静かな、優しい、終焉であった。

 

堕天使の瞳は、かつて何色だったのだろう。

 

今そこにあるのは、昏い光だけ。

祈りも、慈愛も、とうの昔に燃え尽きた。

 

残っているのはただ一つ——歪んだ、しかしその根においては純粋すぎる願いである。

 

救いたかった。

たった一人の、大切な存在を。

 

手を尽くした。

すべての力を注いだ。

 

天使としての役目も、守るべき掟も、関係なかった。

 

ただ救いたかった。

それだけだった。

 

それでも、間に合わなかった。

 

救えなかった現実は、重すぎた。

 

受け入れることができなかった。

 

ならば世界の側が間違っているのだ、と堕天使は思った。

 

希望があるから人は傷つく。

愛するから喪う。

信じるから裏切られる。

 

ならばいっそ——

 

すべての希望を、奪ってしまえばいい。

 

苦しみの種ごと、根こそぎ。

 

それが救いだと、堕天使は信じていた。

歪んだまま、純粋に、信じ続けていた。

 

天使たちが降りてきたのは、世界の色が半分ほど失われた頃だった。

 

彼女たちの翼は、なお白かった。

 

その光は揺らがず、迷いなく輝いていた。

地に降り立つ足音は静かで、しかしその立ち姿には一点の曇りもない。

 

堕天使は、振り向かなかった。

 

黒い翼が空気を裂き、白い翼がそれを受け止める。

 

目に見えない力が波紋のように広がり、大地が低く震え、空の色が歪む。

 

人の目には何も映らない。

ただ、胸の奥で何かが揺れるような、不思議な感覚だけが残る。

 

黒き翼が振るわれるたびに、光は削がれた。

 

白き翼が羽ばたくたびに、消えかけた灯がかすかに蘇った。

 

一つ消えて、一つ戻る。

その繰り返しの中で、二つの意志がぶつかり続けた。

 

奪うことで守ろうとする闇と、守ることで支えようとする光。

 

どちらも、諦めなかった。

 

どちらも、正しいと信じていた。

 

その戦いに、決着はまだついていない。

 

ただ一つ確かなのは、この世界のどこかで今も、希望の灯が揺れているということだ。

 

消えそうになりながら、それでも消えずに、揺れている。

 

それを守ろうとする翼がある。

それを奪おうとする翼がある。

 

そして人々は、何も知らないまま、その灯の傍らで今日も息をしている。

 

これは、ただの戦いではない。

 

願いと願いの、ぶつかり合いである。

 

 

_______________

 

 

 

〖予告状3時間前〗

 

【ジャックSide】

 

静まり返った劇場の空気が、肌にのしかかってくる。

 

嵐の前の、あの重さだ。

――何かが来る。

 

そう直感したのは、私だけではないはずだった。

 

「……」

 

誰も口を開かない。

 

いつもなら場の空気など気にせず軽口を飛ばす連中が、今日に限って妙に静かだ。

 

それだけで、この召集が並のものではないとわかる。

全員が同じ違和感を共有しながら、息を潜めていた。

 

その沈黙を、低く響く声が切り裂いた。

 

「集まったようだな」

 

たった一言。

それだけで、場の空気が完全に塗り替わる。

 

……やはり、この人は違う。

存在そのものが"命令"だ。

 

ウソノワール様が言葉を発した瞬間、この空間のすべてがその声に従うような気がする。

 

私は内心でそう思いながら、静かに姿勢を正した。

 

「ボクたち全員を集めるとは、一体何があるんですか?」

 

「全員で買い物?」

 

「んなわけないでしょ」

 

……アゲセーヌは本当に緊張感がない。

 

こんな重苦しい空気の中で買い物などと言えるのは、ある意味才能だと思う。

 

そもそも私たちは全員で連れ立って買い物に行くような仲でもない。

 

ニジーとアゲセーヌなどしょっちゅう口喧嘩しているのに、一緒に買い物などしたらどうなるか目に見えている。

 

「お前たちには、これから『宝生美術館』に向かってもらう」

 

――来た。

 

予感が確信に変わった瞬間だった。

 

宝生美術館。

怪盗の世界に足を踏み入れた日から、その名前は何度も頭をかすめてきた。

 

しかし私たち怪盗団ファントムは、今まであの場所には手をつけなかった。

 

理由は単純だ。

マコトジュエルが宿った展示品がなかったから。

 

私たちの目的はマコトジュエルであり、金目のものを奪うことそのものには大して興味がない。

 

変わったこだわりだとは思うが、それも大体はウソノワール様の方針によるものだ。

 

「宝生美術館?」

 

「アタシら全員!?」

 

「そうだ」

 

全員

 

その一言が、やけに重く響いた。

 

今まで全員で出撃したことなど、一度もない。

 

二人出撃でさえかなりレアなケースだというのに。

私は隣に立つ仲間たちの表情をさりげなく確認した。

 

さすがに、全員何かを感じ取っているようだった。

 

「全員出撃とは……それほど重要かつ大規模な任務ということですか?」

 

「未来自由の書が、新たなマコトジュエルの場所を示した」

 

心の奥が、わずかにざわついた。

 

「宝生美術館に本日から特別展示される、『星明かりのプリンセス』という宝石を奪うのだ」

 

映写機が唸りを上げ、暗い空間に白い光が走る。

 

緞帳に映像が広がった瞬間――息が、止まりかけた。

 

金色に縁取られたネックレス。

 

胸元には大きな宝石が据えられており、静謐な輝きを放つその緑色は、見る者の目を吸い込むようだった。

 

触れれば壊れてしまいそうなほど繊細な造りなのに、確かな存在感がある。

 

光の当たり方によって表情を変えるような、不思議な深みを持っていた。

 

「これが、星明かりのプリンセスだ」

 

「ほう……奪いがいのある宝石だな」

 

「美術館に眠るこの宝石を、怪盗であるボクたちが優雅に頂く。最高のショーになりそうだ」

 

……呑気なものだ。

 

確かに美しい宝石だとは思う。

 

だが、それ以上に――何か、"面倒くさい匂い"がする。

 

根拠はない。

ただの直感だ。

 

しかしこの直感は、今まであまり外れたことがなかった。

 

「あれ?そういえばキュアアルカナ・シャドウは?」

 

アゲセーヌが辺りを見回す。

言われてみれば、確かに一人だけ姿が見当たらない。

 

「キュアアルカナ・シャドウは、単独で美術館へ向かった。予告状を送った次の日に、お前たちも潜入するのだ」

 

「予告状まで送るんですか?」

 

思わず表情が歪んだ。

 

名探偵プリキュアとの衝突が確実に起こる。

それだけの話ではあるが――リスクが増えるだけだ。

 

「わざわざ名探偵プリキュアに知らせても大丈夫なのですか?」

 

「予告状がある方が怪盗としての雰囲気が高まって、ボクは好きさ」

 

「名探偵プリキュアがどう動くのか、オレも気になるしな」

 

「ま、どっちみち名探偵プリキュアは来るんだし」

 

……こいつら。

 

緊張感がないのか、それとも覚悟が決まりすぎているのか。

 

私は小さく息を吐いた。

 

合理性だけで考えれば「黙って盗めばいい」という話になる。

 

なのに怪盗はあえて自分の存在を知らせることがある。

 

わざわざ予告するのには、いくつかの意味があるからだ。

 

怪盗はただの泥棒ではない。

私はそう思っている。

 

少なくとも、自分自身はそう定義している。

 

泥棒ならば、誰にも知られずこっそりと盗めばいい。

それで十分なはずだ。

 

なのにわざわざ予告状を送るのは――それが"ショー"だからだ。

 

ニジーが言った通り、「最高のショーを見せる」という開幕宣言。

 

怪盗が価値を置くのは成功そのものではなく、華麗に盗む過程であり、世間を騒がせることそのもの。

 

芸術家がキャンバスの前に立つように、パフォーマーが舞台袖で息を整えるように、予告状はその始まりの一手に過ぎない。

 

次に、知能戦への誘い。

 

予告状を出すことで、警察も探偵も万全の態勢を整えてくる。

 

そこに意味がある。

 

「それでも盗める」という自信の表れであり、相手との頭脳戦そのものを楽しんでいる。

 

罠を張られた場所に踏み込む快感とでも言うのだろうか。

 

私にはその感覚が、少しだけわかる気がした。

 

それから、存在の誇示。

 

「これはただの盗みではない」という主張だ。

 

怪盗によっては腐敗した権力者から奪うとか、価値観への挑戦とか、そういった大義を掲げることもある。

 

私たちの場合は明確だ――ウソノワール様の目指す世界のために、マコトジュエルを集める。

 

世界を覆う嘘のために。

 

予告状は犯行声明であり、「自分は何者で、何のために動くのか」を社会に示す手段でもある。

 

そして最後に、恐怖と期待を煽る効果。

 

予告されることで周囲は緊張し、注目が集まる。

 

その中で鮮やかに盗み出せば――伝説になる。

 

「はぁ……」

 

小さく息を吐いた。

 

まあ、いい。

理屈は理解した。

 

どうせ来るなら、正面から叩き潰すだけのことだ。

 

あちらから来るなら、むしろ願ったり叶ったりである。

 

「それで、私たちの役割は何か決まっているんですか?」

 

「警備は手厚い。今回の任務は、キュアアルカナ・シャドウを筆頭に、全員でマコトジュエルを奪うよう励むこと」

 

淡々とした口調だが、その裏に絶対命令が宿っていることは言うまでもない。

 

警備といってもただの人間だ、雑魚も同然だろう。

 

いざとなれば美術館ごと――いや、今はそこまで考えるのは早計か。

 

「お前たちは、事前に警備員や一般の客になりすまして紛れ込め」

 

私は内心で小さく頷いた。

 

潜入は得意分野だ。

気配を消し、存在を溶け込ませ、誰にも気づかれないまま目標へ近づく。

 

元々そういう動き方が性に合っている。

 

「名探偵プリキュアと衝突した際には、キュアアルカナ・シャドウと、ジャックが足止めをする」

 

これも予想通りの配置だった。

 

だが私の思考は、その言葉の奥にある意図へと滑り込んでいた。

 

キュアアルカナ・シャドウと組ませる理由は、おそらく監視も兼ねているはずだ。

 

あの報告をした日のことが、脳裏に甦る。

 

虹ヶ浜での一件をウソノワール様に報告したのは、そう遠い昔ではない。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

「……キュアアルカナ・シャドウが妨害行為を行ったと」

 

「間違いありません。あの時アルカナ・シャドウの妨害がなければ、ニジーは確実に戦果を上げていたはずです」

 

「……そうか。キュアアルカナ・シャドウ……確かに、離反すれば厄介な存在になる」

 

「どうされますか、ウソノワール様?」

 

「……しばらくは泳がせる。その間はキュアアルカナ・シャドウの監視を任せたい。不自然な行動を発見次第、報告してくれ」

 

「ライライサー」

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

今回の配置の意図は、あの会話の続きだ。

私はそう確信していた。

 

「倒すか倒さないかはお前が決めて構わない」

 

一瞬、空気が凍った。

 

選択権を委ねられる重み。

そして――信頼。

 

このプレッシャーは、嫌いじゃない。

むしろどこか心地よかった。

 

まだキュアアルカナ・シャドウが裏切るタイミングとは思えないが、油断はしない。

 

そういう相手だからこそ、傍に置く意味がある。

 

「……わかりました」

 

短く答えた。

迷いはなかった。

 

どう壊すかを考えるだけだ。

 

まずは奇襲か――それとも、もう少し引きつけてからか…。

 

「ボクたちは?」

 

「キュアアルカナ・シャドウとジャックが交戦している隙を狙い、星明かりのプリンセスを盗み出すのだ」

 

「了解」

 

囮役、か。

悪くない。

 

私としては、プリキュアと戦えるだけで十分。

 

「必ずマコトジュエルを奪うよう、精進せよ。ライライサー!」

 

号令が、劇場の空気を震わせた。

 

「「「「ライライサー!!!」」」」

 

声が重なり合い、天井へと昇っていく。

その中心で私は静かに目を細めた。

 

名探偵プリキュア。

 

あの"正義"の顔が、脳裏に浮かぶ。

まっすぐで、迷いがなくて、眩しいほどに確信に満ちたあの瞳が。

 

……楽しみだ。

 

壊れる音が、今から待ち遠しくてならない。

 

明日、宝生美術館で――何かが動く。

 

 

_______________

 

 

 

〖予告状2時間前〗

 

【みのるSide】

 

1日が経つのは、あっという間だ。

 

今日は特に何事もなく学校が終わり、太陽が完全に沈みきる少し前、私は台所の前に立っていた。

 

エプロンを着けて三角巾を頭に巻き、目の前に並べた材料と静かに向き合う。

 

ひき肉、パン粉、玉ねぎ――これらを使って、今夜はハンバーグを作る。

 

「さて……やるか」

 

みくるたちは宿舎でくつろいでいて、ジェット先輩は店じまいの途中だ。

 

その間に済ませてしまおうと、私は一人で台所に立っている。

 

誰もいない静かなキッチンに、冷蔵庫の低い機械音だけが響いていた。

 

まずはひき肉……ではなく、最初にやることがある。

 

フライパンにバターを落とし、みじん切りにした玉ねぎを入れて強火で炒め始める。

 

じわじわと水分が出てきたところで火を徐々に弱め、控えめくらいの中火に落とす。

 

玉ねぎがところどころ茶色くなってきたら火を止めて、別の容器に移してしばらく冷ます。

冷めたら冷蔵庫へ。

 

次はボウルに牛ひき肉と塩を入れて、ヘラで練り始める。

 

腕に力を込めてひたすら動かし続けると、やがて肉がひとかたまりになって、持ち上げた時の重さがはっきりと変わってくる。

 

そこに豚ひき肉と、さっき冷やしておいた玉ねぎを加えて全体を混ぜ合わせる。

 

さらにナツメグとこしょうを加え、肉と玉ねぎが完全にひとつになるまで練り上げる。

 

「手が痛い……」

 

ひたすらヘラを動かし続けるせいで、手首がじんわりと疲れてくる。

 

じわじわと痛みが滲んでくるが、作ると決めたからにはやる。

それだけだ。

 

別のボウルに生パン粉を入れ、牛乳を加えてしっかり浸してから、練ったひき肉の中に合わせてさらに混ぜ続ける。

 

混ぜながら、ふわりとバターと肉の混ざった匂いが鼻をかすめた。

悪くない匂いだと思う。

 

ここで再度フライパンの出番だ。

 

油を引いて中火で熱し、手のひらにも薄く油を塗る。

 

肉だねを等分して、ひとつずつ手のひらで小判型に整えていく。

 

中央を指でそっと押さえてくぼみを作り、そのままフライパンへ。

 

弱めの中火にして片面を焼くこと約5分、上下を返す。

 

これが一番の難所だった。

 

生パン粉を使ってふわふわに仕上げているぶん、とにかく柔らかくて崩れやすい。

 

へらを慎重に差し込んで、息を止めるような気持ちで返す。

 

崩れるな、崩れるな、と心の中で念じながら。

裏面も同じく約5分、じっくりと火を通す。

 

そして――。

 

「やった……できた!」

 

思わず声に出してしまった。

 

失敗することなく、立派なハンバーグが完成した。

 

我ながら、なかなかうまくできたと思う。

才能があると言われることもたまにあるけれど、別にそんな大したものじゃない。

 

ずっと自炊してきたから慣れているだけだ。

 

皿に盛りつけて、ソースをかける。

湯気が立ち上って、いい匂いが台所に広がった。

 

でも、これだけじゃ少し寂しいか。

 

私はしばらく皿を見つめてから、冷蔵庫を開けた。

 

ハンバーグだから、付け合わせはポテトが合うかもしれない。

 

茹でてバターで和えるだけでも十分だし、少し手を加えてマッシュにしてもいい。

 

どうしようか、と考えながら、私はもう一度エプロンの裾を直した。

 

 

_______________

 

 

 

〖予告状1時間前〗

 

「……ということで、召し上がれ!!」

 

夕陽が射し込むテラスのテーブルに、ハンバーグや付け合わせの皿を並べ終えた。

 

我ながら、よくここまでできたと思う。

湯気が夕暮れの光の中にゆらゆらと立ち上って、なかなかいい眺めだった。

 

「すごい……!美味しそう!!」

 

「まるでレストランに出てくるレベルじゃないか……!?」

 

「恐るべし技術……」

 

「ポ……ポチ……」

 

全員がすごい表情をしている。

 

要望に応えて作っただけだから、そこまで期待されると正直どう反応していいか困る。

 

「こ、これ……本当に作ったの!?レストランから持ち帰ってないよね!?」

 

「な、何言ってるの!?ちゃんと作ったよ、もう!!」

 

想定外なことを言われてショックを受けた。

 

全く……失礼しちゃうな。

 

あんなは嘘をつかないぶん、思ったことがかなりストレートに出てくるんだね。

 

「ごめん!それくらい完成度が高かったから褒めようとしたんだけど、変なこと言っちゃった!」

 

「許す!」

 

「ありがとう!」

 

「何のやり取りだ……」

 

ジェット先輩のツッコミはさておき、このままだと食べるタイミングを完全に見失いそうだ。

 

「早く食べようよ!すごく美味しそうだし、食べないと冷めちゃうから!」

 

「あ、そうだね!もうちょっと眺めていたかったけど、食べようか」

 

「そうだな」

 

三人が席に着くのを確認して、私もポチタンを抱えて座った。

 

片手でミルクを飲ませながら、箸を手に取る。

 

「「「「いただきま~す!!」」」」

 

元気な声が部屋中に響いた。

 

それぞれ箸を手に持ち、真っ先にハンバーグへと向かう。

口に含んだ瞬間、全員の目が一斉に開かれた。

 

「「「「美味し~い!!」」」」

 

「ふわふわじゃん!!こんなの食べたことないよ!」

 

「すごい……まるでレストランみたい……」

 

また部屋中に声が広がる。

 

そんなに好評なのか。

私は毎日自分で作ったものを食べてきたから、これが普通だと思っていた。

 

「これね、店出せる」

 

「どんな立場だよ」

 

ジェット先輩のツッコミが止まらない。

 

「前に食べた時よりもレベルが上がってない!?どんな修行してきたの!?」

 

「修行というか、ずっと自炊してたから自然とスキルが身についただけ。スイーツ以外なら基本的な料理は作れるようになったかな?」

 

「これは素直に言ってすごいことだと思うぞ。生活のためとはいえ、ずっと同じことを続けるのはキツいからな」

 

「そ、そうなのかな?」

 

私のどこがすごいのか、正直よくわからない。

 

それが嫌だった。

 

普通の人と何かが違う気がする。

勉強に関しては特に、そう感じることが多い。

 

「そうだよ!!すごいことだよ!!」

 

「もっと誇らしげにしても良いんだよ、みのる」

 

「………」

 

誇らしい。

 

その言葉が、胸の中でうまく着地しなかった。

私にとって、一番ありえない感覚だ。

 

「未来のことはわからないけど、少なくとも、将来にとって役に立つスキルをみのるは既に持ってる。自分はダメだって言ってきたみのるも、ちゃんとすごいところがあるじゃん」

 

「私は努力してないし、すごいとも思ってないよ?」

 

「え?」

 

あまり隠しておくのも良くないなと思って、口に出した。

 

せっかく楽しい流れだったのに、重い空気にしたくなかったのは本当だ。

 

それでも、黙っていることの方が何か違う気がした。

 

――どうして私は、普通なら楽しいはずの時間に、こんなことを考えているんだろう。

 

夕陽がテーブルの上で長く伸びて、ハンバーグから立ち上る湯気がゆっくりと薄れていくのを、私はぼんやりと眺めていた。

 

「どうして!?こんなにすごいのに!?」

 

「ジェット先輩やしるくさんは努力で実力を掴んだけど、私は努力しなくてもなぜかテストで高得点を取ったりして、そんな自分が気持ち悪く感じる。料理だって生きるために続けていたくらいで特に意味もない。努力しなくても結果を出してしまう私は、努力で結果を掴む人たちに比べて圧倒的に劣っている偽りの実力だから……」

 

「……」

 

「私より努力しているみんなの方がずっとカッコいい……私なんか参考にしない方がいいよ」

 

口にした瞬間、しまったと思った。

 

本音を晒しすぎた。

ここまで言うつもりじゃなかったのに。

 

視線を逸らしながらも、みんながこちらを見ているのがわかる。

 

責めているわけでも、否定しているわけでもない。

それでも、その視線が痛かった。

 

逃げ場を塞がれているような感覚。

沈黙が、やけに長く感じた。

 

自分でもわかるくらい、声が弱々しかった。

 

その時だった。

 

「それ、本気で言ってるの?」

 

ぽつりと落とされたみくるの声は静かだけど、いつもより少しだけ強かった。

 

「……本気だよ」

 

「そっか」

 

短い返事。

でも、その一言のあと、みくるはゆっくりと一歩、私に近づいてきた。

 

「じゃあさ、聞いていい?」

 

「……なに?」

 

「"努力してない"って、どうやって決めたの?」

 

言葉に詰まった。

 

「だって……してないよ。勉強だってそんなにやってないし、特別なこともしてないし……」

 

「でもさ」

 

あんなが私の言葉を遮るように続けた。

 

「みのる、私が学校で依頼を一人で受けた時があったでしょ。その時のみのる、すごくわかりやすく教えてくれたから、事件解決に一歩近づいたんだよ!」

 

「それは……普通でしょ?」

 

「普通じゃないよ」

 

きっぱりと言い切られて、思わず顔を上げた。

あんなの目は、真っ直ぐだった。

 

「それに、わからないところがあったら、ちゃんと考えてるでしょ。しるくさんのことがわからなかった時も、その後放送された番組で私たちと一緒にテレビを見て、しるくさんのことを理解しようとしてたじゃん」

 

「……」

 

「それって、努力じゃないの?」

 

言葉が出なかった。

 

そんな風に考えたこと、一度もなかったから。

 

努力って、もっと苦しくて、もっとわかりやすくて、汗を流して時間をかけて、誰が見ても頑張ってるってわかるものだと思っていた。

 

そうじゃないと、努力とは呼べないと思っていた。

 

でも――。

 

「……でも、それで結果が出るのは、結局才能でしょ?」

 

ようやく絞り出した言葉は、それだった。

喉の奥に引っかかっていたものを、無理やり押し出すみたいに。

 

「努力しても報われない人だっているのに、私は……」

 

「うん、いるよ」

 

みくるがあっさりと頷いた。

 

否定されると思っていた。

 

「そんなことない」とか「みのるだって頑張ってる」とか、そういう言葉が来ると思っていた。

 

だから、その素直な肯定が、予想外に胸に刺さった。

 

「でもね、それと"みのるが偽りかどうか"は別の話だよ」

 

「……え?」

 

「努力してる人がカッコいいのはわかる。でも、結果を出してる人が偽物ってことにはならないでしょ」

 

静かに、でもはっきりとした声だった。

 

「みのるが結果を出せてるのは、何もしてないからじゃない。ちゃんと積み重ねてるものがあるからだよ」

 

「積み重ね……」

 

その言葉を、口の中で繰り返した。

自分のものとして受け取り方がわからないまま。

 

「うん。それにね、私、みのるのこと参考にしたいよ」

 

みくるは少しだけ笑った。

 

「……なんで??」

 

「だって、すごいもん」

 

迷いのない答えだった。

 

「努力の仕方って、人それぞれでしょ?みのるみたいに、ちゃんと考えて、自分のやり方で結果出してるの、すごくカッコいいと思う」

 

「そんなことない」くらいの言葉が来るとは予想していたけれど、返ってきたのは真逆だった。

 

受け取り方がわからなくて、口を開きかける。

 

「……でも、私……」

 

「みのる、ボクからも一言良いか?」

 

黙って聞いていたジェット先輩が、静かに口を開いた。

 

「みのるが自分のことダメって言うなら、あんなとみくるはその"ダメなみのる"をすごいって思ってることになるぞ?」

 

「……」

 

「それって、なんか変じゃないか?」

 

思わず、小さく息が漏れた。

 

――変、かもしれない。

 

こんな私を、すごいなんて言う人がいるなんて。

理解できない、でも。

 

嫌じゃ、なかった。

 

「……ジェット先輩は、変だよ」

 

「は!?なんで!?」

 

空気が軽くなった。

 

さっきまで胸を締めつけていた重さが、少しだけほどけた気がした。

 

全部はまだ受け入れられない。

 

自分が偽物じゃないなんて、すぐには思えない。

 

でも――それでもいいのかもしれない。

今はまだ、そのくらいでいい。

 

「……まあ、そういうことにしておく」

 

ぽつりとそう言うと、みくるがぱっと顔を明るくした。

 

「うん!それでいいよ!」

 

「ポチポチ!」

 

腕の中でポチタンがそっと身を寄せてくる。

 

みんなの笑顔が目に入って、私は視線を逸らした。

 

なんだか、まぶしかったから。

 

でも同時に――そのまぶしさを、心地よく感じている自分がいた。

 

「あーもう!!せっかく良い雰囲気だったのになんでシリアスな空気にしちゃうかなぁ自分は!?」

 

天井を仰いで、ため息をついた。

 

本当にそうだ。

なんでこんな時まで空気を重くしているんだ私は。

 

……だから私はダメなんだ、ってなる思考が私の悪いところだから直さないと。

わかってはいるんだけど。

 

「そういうところも、みのるらしいよ」

 

「何それ、からかってる?」

 

ようやく笑いが戻ってきた。

 

私がどれだけ曇っても、みんながすぐに払ってくれる。

ありがとうと言いたかったけれど、口には出なかった。

 

伝えるのは、まだ早い気がしたから。

 

「ハンバーグ……そろそろ冷めるぞ」

 

「あ!ジェット先輩だけ一人で食べ進めてる!?」

 

「ずるい!私だって食べるもん!」

 

「ちゃんと落ち着いて食べてね……」

 

いつまでも元気だな、と思いながら、私も箸を持ち直した。

 

一口食べる。

変わらない味、変わらない仕上がり。

 

自分で作ったものを食べても、特別美味しいという感情はやっぱりよくわからなかった。

 

でも、みんなが喜んでくれるなら、それで十分だと思った。

 

それで良かった。

 

気づけば窓の外に星が広がり始めていて、月明かりが静かにテーブルを照らしていた。

 

さっきまであんなに重かった胸が、今は少しだけ軽い。

 

全部はまだわからない。

でも今夜だけは、それでいいと思っていた。

 

 

_______________

 

 

 

〖予告状10分前〗

 

【るるかSide】

 

三日月が、夜空に細く浮かんでいた。

 

世界は静かな青に沈んでいる。

 

私とマシュタンはその光に照らされながら、美術館を見下ろすビルの縁に立っていた。

 

眼下に広がる美術館の外壁が月光を受けて鈍く光り、その内側に眠るものたちの気配が、ここまで伝わってくるようだ。

 

――あの二人のことを、思い出す。

 

名探偵プリキュア。

敵であるはずの存在。

 

真っ直ぐで、揺るがなくて、眩しいほどの心を持った二人。

 

正直に言えば、戦うのは胸の奥がわずかに軋む。

 

あの光を壊すことに、ほんの少しだけ躊躇いが生まれてしまう。

 

自分でも困ったものだと思う。

こんな感情、持つべきではないのに。

 

それでも。

 

私は視線を美術館へ戻した。

 

あの場所にある"それ"を暴くために、ここまで来たのだ。

 

迷いを抱えたままでも、足を止める理由にはならない。

 

私には――やるべきことがある。

 

「さあ、始めましょうか」

 

静かに呟いた声は、夜の空気に溶けていった。

 

返事はない。

ただそよ風が頬を優しく撫でるだけ。

 

髪と服の裾がかすかに揺れ、世界がほんの少しだけ動いたような気がした。

 

胸元に手を添える。

指先に触れるのは、冷たい感触。

 

首から下げたペンダント型のティアアルカナロッドが、月明かりを受けて一瞬だけ鋭く光を放った。

 

その輝きは、まるで私の決意を映し出すかのようで――私はゆっくりと息を吸い込んだ。

 

迷いはない。

 

視線を鋭く細め、美術館へと一歩踏み出す。

 

静寂に包まれていた夜が、これから始まる衝突を予感して、わずかにざわめいた気がした。

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