かわいいホームズの親友ちゃんは、相棒の座を奪われて焦心苦慮 作:くぁwせdrftgyふじこlp
【みのるSide】
息が、できない。
そう錯覚するほどの圧が、この空間を支配していた。
怪盗団ファントム。
その名を取り囲む屈強な警備員たちの壁。
数だけを見れば、完全な制圧態勢のはずだった。
なのに――なぜだ。
なぜこんなに、息苦しい。
安全であるはずの側にいる自分が、心臓を鷲掴みにされたまま、一歩も動けずにいる。
隣で宝生さんの肩が震えているのが、視界の端に映った。
係員はさっきから声すら出ていない。
それが正しい反応だと、今なら分かる。
この場にいる全員が、本能のどこかで悟っているのだ。
――数の問題じゃない、と。
最初に動いたのは、ジャックだ。
床を蹴る音が、ほとんど聞こえなかった。
気づいたときにはもう、その体は最前列の警備員の懐に潜り込んでいた。
速い、という言葉すら追いつかない。
思考が現実に置いていかれる感覚。
次の瞬間――鈍い、重い衝撃音。
警備員の巨体が、横へと弾き飛ばされた。
まるで布でも払うように。
その体が背後の数人を巻き込んで、床に叩きつけられる。
「弱いね」
淡々とした声。
感情の揺らぎがほとんどない。
ただ、事実を確認するように、その一撃があまりにも正確で、あまりにも容赦がなくて、そのくせ声だけが恐ろしいほど静かだった。
「お、抑えろ!!」
誰かが叫ぶ、だが。
「遅いよ、ベイビー」
軽やかな声と同時に、視界が白く染まった。
煙だ。
一瞬で広がった煙幕が、空間を塗りつぶす。
指示の声は煙に飲まれて、最後まで届くことはなかった。
次の瞬間、見えない場所から次々と鈍い音が響く。
「ぐっ!?」
「な、どこから――!」
ニジーの姿は、どこにもない。
見えないから対応できない。
煙の死角から、正確に、急所だけを、まるで狙い撃つように打ち抜いていく。
煙が薄れ始めたとき、すでに何人もの警備員が床に崩れ落ちていた。
「もー、多すぎるのよ!」
文句を言う声は、笑っていた。
アゲセーヌがひらりと身を翻すたびに、振り下ろされた警備員の腕が空を切る。
紙一重でかわして、しなやかな足が鋭く振り抜かれる。
「がはっ!」
一人、また一人。
まるで踊るように。
その動きは優雅ですらあるのに、結果だけを見れば――完全な制圧だ。
「ほら、もっと来なさいよ!」
挑発するように笑う声が、場違いなほど明るく響く。
「ははっ、いいなぁ!!」
低く響くゴウエモンの笑い声と同時に、正面から拳が突き込まれた。
受け止めた、と思った。
だが違った。
掴んだのだ。
そのまま腕を引き寄せ、体勢を崩した一瞬の隙へ――容赦のない一撃。
床が、文字通り、震えた。
「まだまだ!!」
力任せに見えて、その実、一切の無駄がない。
圧倒的なパワーで、正面から、ただ真正面から、ねじ伏せていく。
――どれくらいの時間が経ったのか。
数十秒。
そう、数十秒のはずだった。
なのにそれだけの時間で、状況は完全に覆っていた。
さっきまで四人を包囲していたはずの警備員たちが、ほとんど床に倒れ伏している。
息を呑むしかない静寂が落ちた。
その沈黙の中心で、四人は――何事もなかったかのように、立っていた。
乱れた息もない。
傷もない。
ただ、そこにいる。
「……こんなもの?」
ジャックが、つまらなさそうに呟いた。
その一言が、この場の現実を、何よりも雄弁に物語っている。
まだ倒れていない警備員たちが、一斉に体勢を立て直す。
歯を食いしばって。怒りで目を血走らせて。
「囲め!!一気に取り押さえる!!」
怒号とともに、大勢の足音が床を打ち鳴らす。
波のように、人の群れが押し寄せてくる。
標的は、ただ四人。
数の暴力で、押し潰すように。
けれど。
ジャックも、ニジーも、アゲセーヌも、ゴウエモンも――誰一人として、動かなかった。
迎え撃つわけでもなく、逃げるわけでもなく。
ただ静かに、その場に立っている。
その静けさが、数の多さよりもずっとずっと恐ろしい。
(……え?)
逃げない。
構えない。
(なんで……あんなに余裕なの……?)
胸の奥がざわつく。
嫌な予感が、じわじわと、じわじわと、腹の底から這い上がってくる。
その瞬間だった。
ゴウエモンが、すっと懐に手を入れた。
取り出したのは――扇子。
場違いなほど静かな動作で、それをゆっくりと広げる。
「どら焼きの力を溜め込んだ桜吹雪だ。存分に味わうが良い!」
(……は?)
理解が、完全に止まった。
どら焼き、桜吹雪。
何を言って――。
ヒュン、と。
ただそれだけ。
軽く、一振り。
次の瞬間――轟音。
視界が白く染まる。
まるで光そのものが爆発したかのように、淡い奔流が一気に広がった。
空気が、壁のように押し返してくる。
「「うわあああああっ!?」」
前線にいた警備員たちが、一斉に宙へと吹き飛ばされた。
人が舞っている。
文字通り、舞っている。
風に攫われた花びらみたいに。
あれほど屈強だった体が、軽々と、まとめて。
(嘘……でしょ……)
衝撃が遅れて伝わってくる。
床が震える。
空気が歪む。
後方に控えていた警備員たちも巻き込まれ、次々と崩れ落ちていく。
たった一振りで。
たった、それだけで。
包囲していたはずの隊列が、完全に、跡形もなく崩壊した。
(ありえない……)
言葉が出ない。
喉が凍りついたみたいに動かない。
ただ目の前の光景を、瞬きも忘れて見つめることしかできない。
ひらひらと舞い落ちる、光の残滓。
それが本当に桜の花びらに見えてしまうのが、余計に現実感を根こそぎ奪っていく。
「ふむ、こんなものか」
扇子が、静かに閉じられた。
その音が、やけに大きく響いた。
まるで幕が下りるように。
それだけで、全てが終わったかのように。
(……絶対におかしい)
心の中で呟く。
でも否定できない。
だって、目の前にある。
床に倒れ伏す警備員たち。
うめき声すらまばらで、立ち上がれる者はもういない。
そしてその惨状の中心に、何事もなかったかのように立つ四人。
――怪盗団ファントム。
(……強い)
そんな一言で、片付けていい話じゃない。
さっきまで「囲んでいた」はずの側が、今は完全に「制圧されている」側に回っている。
その事実が、じわじわと、じわじわと、胸に重くのしかかってくる。
私はゆっくりと、息を飲んだ。
――今まで、どこかで線を引いていたのかもしれない。
プリキュアがいる世界。
敵であるファントム。
どちらも「戦う者たち」だと、頭ではわかっていたはず。
でも……
(私はずっと、プリキュアの側にいたから)
あんなとみくる。
二人が戦う姿を何度も見てきた。
どんな強敵にも立ち向かって、最後には必ず守り抜く。
その背中を、すぐ近くで見続けてきた。
だから、きっと。
(無意識に、過小評価してたんだ)
ファントムの力を。
プリキュアが相手にしている「敵」だから、どこかで「対抗できる存在」だと、勝手に思い込んでいた。
プリキュアの強さを知っているがゆえに、ファントムもその枠の中に収まるものだと。
でも、違う。
今、ここで証明された。
その前提が、完全に崩れ去った。
視線を動かす。
倒れた警備員たち。
動けない人たち。
肩を震わせたままの宝生さんと、壁に張り付くように立ち尽くす係員。
そして――何もできずに、ただ見ていることしかできない、私。
胸の奥が冷える。
プリキュアがいない今、人間は、妖精には……
――無力に等しい。
否定したい、でもできない。
だって、目の前で証明されたから。
たった四人で、一方的に、圧倒的に。
この場のすべてを、ねじ伏せた。
……こんなの、勝てるわけがない。
そう思ってしまった瞬間、自分の中で何かが音を立てて崩れた気がした。
それでも、目だけは逸らさなかった。
逸らしたら、きっと本当に終わる。
根拠なんてない。
でもそれだけは、わかった。
だから私はただ、震える足で、その場に立ち続けた。
_______________
【あんなSide】
音が、消えた。
風が止まる。
時間が歪む。
まるで世界そのものが息を呑んだように、この空間から全ての音が抜け落ちた。
違う。
否定が、頭の中で弾けた。
違う、違う、違う。
それはありえない。
あっていいはずがない。
あっては――
なのに、光は迷いなくその存在を包み込んでいた。
目を逸らそうとした。
拒絶するように、視線を断ち切ろうとした。
なのに縫い止められる。
心臓が嫌な音を立て、鼓動が速くなる。
呼吸が浅くなり、胸の奥がじりじりとひりつく。
目の前の現実が、容赦なく形を持ち始める。
闇に染まっていた輪郭が、ゆっくりとほどけていく。
重く沈んでいた色が剥がれ落ち、その下から現れたのは――あまりにも、眩しい姿だった。
純粋な光。
澄みきった力。
その象徴とも言える輝きに、喉が詰まる。
知っている。
この光が何なのかを。
何度も体験している。
何度も背中を預けてきた。
それがどれほど尊く、どれほど強いものなのか、嫌というほど知っている。
だからこそ、理解してしまう。
あれは――プリキュアだ。
「キュアアルカナ・シャドウ!?」
「……プリキュアなの!?」
今まで積み上げてきた前提が、音を立てて瓦解する。
敵と味方。
その境界線が、あまりにもあっけなく踏み越えられたことに、思考が追いつかない。
どうして、なぜ。
問いが浮かんでは消え、答えを見つける前に、現実がさらに突きつけられる。
安堵ではない。
歓喜でもない。
ましてや希望など、こんなにも簡単に抱けるはずがない。
これはもっと別の感情だ。
裏切られたような。
足場を奪われたような。
不安定で、どうしようもなく落ち着かない、ざらついた感覚。
けれど同時に、どうしても否定しきれない何かが、確かにそこにある。
――綺麗だ。
そんな言葉が、意図せず浮かんでしまったことに、私は愕然とする。
認めたくない。なのに目の前の光は、あまりにも強く、あまりにも正直で。
目を、逸らせなかった。
「さあ、来なさい」
静かな声。
戦場に似つかわしくないほど落ち着いていて、まるで全てを見透かしているような響き。
二人まとめて来い――言葉にはしていない。
なのに、そう言われた気がした。
一瞬だけ、足が止まりかける。
だが、その迷いは刹那で押し潰した。
相手が誰であろうと、関係ない。
たとえプリキュアであっても。
今この瞬間、私はプリキュアとしてここに立っている。
退くわけにはいかない。
退いてはいけない。
隣でミスティックが、静かに息を詰めるのが分かった。
同じ気持ちのはずだ。
それだけで、少しだけ、足に力が戻る。
私は正面を見据えた。
その輝きから、目を逸らさずに。
「……っ」
同時に、拳を構える。
空気が張り詰める。
心臓の音がやけに大きく、耳の奥に響く。
次の一瞬で全てが決まる――そんな予感が、全身を内側から締めつけた。
地面を蹴る。
視界が加速する。
他の何も映らない。
キュアアルカナ・シャドウの姿だけを、一直線に捉えて。
「「はああああぁぁぁっ!!!」」
叫びとともに、全力で拳を突き出した。
――手応えが、ない。
拳は空を切った。
虚しく、あまりにも空虚に、その先には何も存在しない。
「「……!?」」
目の前にいたはずの姿が、消えている。
どこだ。
視線を走らせる。
左、右、上、背後。
気配が、ない。
完全に、消えている。
確かにそこにいたはずの存在が、まるで最初から存在しなかったかのように、どこにも見当たらない。
その異常さが、思考を鈍らせていく。
――その瞬間。
「え?……むぎゅ!?」
隣で、ミスティックの間の抜けた声が上がった。
反射的に振り向く。
いた。
いつの間に。
何の気配もなく、アルカナ・シャドウはまるで最初からそこにいたかのようにミスティックの背後に静かに佇んでいた。
軽く肩を叩かれ、振り返ったミスティックの頬に――その指が、柔らかく押し当てられている。
無造作な動作だった。
余裕に満ちた、ただそれだけの動作。
なのに、その距離の近さと状況の異様さが、ぞっとするほどの緊迫感を生み出している。
迷う暇はない。
「はああああぁっ!!」
地面を蹴る。
そのまま全力で拳を突き出した。
届く、そう確信した。
だが。
わずかに、身体が揺れただけだった。
ほんの数センチ、ほんの紙一重。
それだけの動きで、私の拳は何も捉えられないまま、また空を裂いた。
「動きが単純すぎ。次の一手、答えが透けて見える」
静かな声が、すぐ近くで落ちた。
「くっ……!」
歯を食いしばる。
今の一撃は、決して甘いものじゃなかった。
それでも通じないどころか、見切られている。
全部、読まれている。
――違う。
直感が告げていた。
レベルが、違う。
けれど、それで退く理由にはならない。
退いてはいけない。
ミスティックと視線を交わす。
言葉は要らなかった。
次の動きは、同時で。
地面を強く蹴り、二人で一気に跳び上がる。
重力が切り離される感覚。
空気が一瞬だけ軽くなる。
その頂点で、狙いを定める。
下に、アルカナ・シャドウがいる。
今度こそ――届かせる。
「「はあああああぁぁぁ!!」」
叫びとともに、急降下。
全体重を乗せた蹴りを、一直線に叩き込む。
――激突。
轟音が屋上を揺らし、コンクリートがひび割れる。
砕けた破片が四方へと跳ね飛び、砂埃が一気に視界を覆い尽くした。
「あ……!?」
確かな手応えを、期待した。
しかし違和感が胸を貫く。
軽すぎる、何も当たっていない。
「……っ!」
煙の向こうにいない。
あの場所には、最初から何もなかったかのように――
アルカナ・シャドウは、宙を舞っていた。
重力すら味方につけているかのように、無駄のない軌道で身体を翻す。
そのまま軽やかに宙返りを決め、塔屋の上へと、音もなく着地した。
優雅であまりにも余裕に満ちている。
私たちの連携をまるで遊びのように避けきった。
その現実が、じわじわと、体の奥を冷やしていく。
完全に、見下ろされている。
「動きが大きくてワンパターン」
短い一言。
それだけなのに、言葉が妙に重く、胸の奥に沈んでいく。
アルカナ・シャドウはティアアルカナロッドのカードを、くるりと回した。
――嫌な予感が走る。
理屈じゃない。
本能が、強く警鐘を鳴らしていた。
来る、何か決定的な一撃が。
「アルカナスターレイン」
静かな詠唱とともに、ロッドが回る。
瞬間、彼女の周囲に紫色の光が弾けた。
星だ。
一つや二つじゃない。
内側に7つ、外側にさらに12。
19の星が円を描くように展開され、その一つ一つが不気味なほどに輝いている。
しかも、その規模が異常だった。
展開された陣は彼女の身体の3倍以上、屋上の大半を覆い尽くすほどの広さで、逃げ場を削り取るように広がっている。
まずい、直感が強く叫ぶ。
あの一つ一つにエネルギーが集まっているのが見える。
圧縮され、収束し、今にも弾けそうなほど膨れ上がっていく。
「アンサー!!離れてっ!!」
ミスティックの叫びが、空気を切り裂いた。
「……!!」
考えるより先に、身体が動いていた。
全力で地面を蹴り、大きく後方へ跳ぶ。
とにかくこの範囲から離れなければ――そう思った、その瞬間。
放たれた。
19の星全てから、一斉に光が迸る。
無数のレーザーが、空間を貫いた。
轟音、閃光、そして遅れて殴りつけてくる爆風。
「「ぎゃあっ!?」」
直撃はしていない。
それでも、衝撃波だけで身体が吹き飛ばされた。
空気そのものが壁になって押し返してくるような圧力に、呼吸が根こそぎ奪われる。
地面に足を叩きつけ、必死に踏ん張る。
それでも後退は止まらない。
靴底がコンクリートを削り、耳鳴りが頭の中で反響。
やがて、ようやく勢いが収まった。
心臓が暴れるように脈打っていた。
……なんて火力だ、鳥肌が立つ。
もしあれを正面から受けていたら――想像しただけで、冷や汗が止まらない。
視線を上げる。
煙の向こう、中心に立つその姿は、微動だにしていなかった。
「随分と一生懸命なのね、偽物なのに……」
ぽつりと落ちた言葉。
その意味が、すぐには理解できなかった。
「「え?」」
思わず、声が重なる。
偽物――?
その一言が、頭の中で不気味に反響した。
意味を追おうとして、思考が止まる。
理解しようとすればするほど、その言葉が奇妙な形をして跳ね返ってくる。
_______________
【みのるSide】
「さて……あとは……」
その一言で、空気が変わった。
ゆっくりと、ジャックがこちらを向く。
――目が、合った。
背筋に氷を流し込まれたみたいに、全身が硬直する。
足が動かない。
声も出ない。
まるで見えない何かに縛り付けられたように、身体の自由が根こそぎ奪われる。
(なに……これ……)
「ここにいる三人……か。ただの一般人みたいだけど、変なことをされたらめんどくさいからね。ちょっと眠ってもらうよ」
相変わらず淡々とした口調だった。
感情の起伏もない。
なのに、その一言一言が刃物みたいに鋭く突き刺さる。
("眠ってもらう"……って、それ……)
ただの気絶で済む保証なんて、どこにもない。
ジャックが一歩、こちらへ近づく。
たったそれだけで、心臓が強く跳ねた。
「オーナー!警察を呼びましょう!!」
張り詰めた空気を破るように、係員さんが叫んだ。
――けれど。
(無理だ)
頭の中で即座に否定する。
警察が来たところで、この状況をどうにかできるとは思えない。
それどころか、混乱が広がるだけだ。
「絶対にダメ!」
宝生さんの声が、はっきりと空気を切った。
「え!?」
係員さんが目を丸くする。
やっぱり……同じ考えなのかと、一瞬そう思った。
けれど――違った。
「『星明かりのプリンセスは、すりかえられた偽物』……ある意味当たっているわ。美術館の展示品はね……」
一拍、間が空く。
「ぜーんぶ偽物なの!!」
「は!?」
「ええっ!?」
思考が、止まった。
今、なんて言った?
「やっぱりボクの見込んだ通りだね」
ニジーの軽い声が、やけに遠く聞こえる。
「ぜぜぜ全部っていつから!?」
「展示された時からず~っと!!みんなに見せて自慢したいけど、盗られたら嫌だから……ほんと、コレクター魂って複雑よね……」
(いやいやいやいやいや……!!)
内心で、思いきり叫んだ。
そんなこと言ってる場合じゃないでしょ!?
今この状況で!?
このタイミングで!?
頭の中で別の警報が鳴り始めていた。
パンフレットには、ちゃんと書いてあった。
「展示品はすべて本物です」と。
入館料を取って、「本物」と偽って展示していた。
それは普通に詐欺だ。
しかも宝生さん自身がそれを把握していたとなれば、故意の欺罔として立件される可能性が高い。
運営者として関わっている以上、業務上の責任問題にも発展しかねない。
横領、背任……いや、そこまでいく可能性も――。
来館者だって「本物を見る」という前提でお金を払っている。
それを裏切られたなら、契約の取消しや損害賠償だって。
頭の中で、現実的すぎる問題が一気に膨れ上がっていく。
「それって結構ヤバくなーい?嘘ついて偽物を展示してるんでしょ?」
「警察を呼びたくない理由がわかったぜ……」
軽い調子の言葉のはずなのに、その内容は重すぎた。
……やっぱり、そう思うよね。
敵であるはずの彼女たちですら、一瞬で理解している。
この美術館がやってきたことの"重さ"を。
こんな形で、こんなタイミングで……不正が暴かれるなんて。
「とんだ極悪人だね……。本物だと騙して期待していた人たちからお金を巻き上げ、自由に生活して……人間もとことん腐ってる」
冷たく吐き捨てるような声。
その言葉に、何も言い返せなかった。
やっていることだけを見れば、完全に"悪"だ。
事実として、そうだ。
でも、それでも……!
「キュアアルカナ・シャドウはこの美術館の不正を暴くために首飾りを盗んだ。マコトジュエル目的じゃないのが不満だけど、面白くなってきたじゃん」
「キュアアルカナ・シャドウって……?」
初めて聞く名前だった。
キュア、アルカナ・シャドウ。
誰……?
「今キュアアンサーとキュアミスティックが戦ってる相手。首飾りを盗んだプリキュアだよ」
「え??」
思考が、一瞬止まった。
プリキュアが――盗む?
「皮肉だよね、真実の力であるプリキュアが私たちと同じ立場だなんて」
「怪盗団ファントムにも……プリキュアが……」
理解が追いつかない。
初めて聞く名前。
首飾りを盗んだプリキュア。
正義と悪の境界が、音もなく曖昧になっていく。
(そんなの……おかしい……)
「さて、話は終わり。まずは大勢の人間を騙したこの人から少し眠ってもらおうか」
一歩、また一歩。
ジャックが近づくたびに、宝生さんと係員さんの顔が青ざめていく。
このままだと――。
考えるより先に、体が動いていた。
「や、やめて!!」
二人の前に飛び出して、両手を広げる。
自分でも驚くくらい、無意識だった。
「別に殺すわけじゃないのに……そこ退いてよ。じゃないとあなたから眠ってもらうけど?」
「殺す殺さないの問題じゃないよ!!平気な顔で人を傷つけたりするなんて全然良くない!!」
言葉が、うまくまとまらない。
頭の中で言いたいことが溢れて、形になってくれない。
それでも、引くわけにはいかなかった。
足を踏ん張って、その場に立ち続ける。
「邪魔」
――その一言。
「っ………!!?」
視界が弾けた。
何が起きたのか理解できない。
ただ、体が宙に浮いている感覚だけがあって――次の瞬間、凄まじい衝撃。
「がっ………は……」
壁に叩きつけられ、床に崩れ落ちる。
息が、できない。
肺が潰れたみたいに、空気が入ってこない。
全身に痛みが走るり、骨が軋む。
指一本、動かせない。
視界がぐらぐらと揺れて、暗闇が滲み始める。
(なに……今の……)
「骨は大丈夫みたいだけど、この程度で意識を失うようじゃ、いつまで経っても名探偵プリキュアの助手になんてなれないよ。自分がどれだけ足を引っ張る無能で弱いのか理解したら?ウソノワール様はあなたに興味があるみたいだけど」
遠くから、声が聞こえる。
はっきりと、全部、聞こえる。
(……無能で、弱い)
その言葉だけが、やけに鮮明に残った。
(……知ってる)
そんなこと、言われなくてもわかってる。
できることは少ないく、守られるだけの存在。
プリキュアがいなければ、人間は無力に等しい。
その現実を、さっき目の前で突きつけられたばかりで。
それでも――
意識が、沈んでいく。
抗えない暗闇が、じわじわと視界を塗りつぶしていく。
最後に浮かんだのは、あの二人の顔だった。
(……お願い)
声にならない願いが、胸の奥で溶けていく。
私の意識は、完全に途切れた。
_______________
【みくるSide】
「偽物の、嘘の首飾りが人を惹き付け、マコトジュエルも宿るなんて……嘘も満更悪いものじゃない。そう思わない?名探偵さん」
衝撃的な事実が、頭の中で静かに広がっていた。
美術館の展示品は全て偽物。
アルカナ・シャドウは最初から全てわかった上でこの計画を立てていた。
しかも偽物のはずの首飾りに、マコトジュエルが宿っているという。
「……でも」
偽物でも、想いが込められればマコトジュエルが宿る。
嘘は悪いこと。
でも、誰も傷つけない嘘なら――アルカナ・シャドウはそう言いたいのだろうか。
――嘘も、全てが悪いわけじゃない。
その言葉は、静かに、けれど確実に、私の心の奥へと沈み込んできた。
夜の冷たい空気の中で、その声だけが妙に鮮明に響く。
確かに、と一瞬思ってしまった自分がいた。
誰かを守るための嘘。
誰かを傷つけないための嘘。
そういうものが存在することを、私は知っている。
だからこそ――否定しきれなかった。
もし嘘が全部悪じゃないのなら。
この人のやっていることも、どこかで正当化されてしまうんじゃないか。
そんな考えが、じわじわと内側に広がっていく。
――本当に、私は正しいの?
自分の足元が、ぐらりと揺れた気がした。
その瞬間。
「違う!!」
「っ!?」
鋭く、迷いのない声が空気を切り裂いた。
「嘘をついて人の物を盗るなんて、許されることじゃない!!」
隣から響いたその言葉は、強くて――何より、揺らいでいなかった。
はっとして、顔を上げる。
アンサーは一歩も引かず、真っ直ぐアルカナ・シャドウを睨みつけていた。
その姿が、あまりにも頼もしい。
アンサーはジュエルキュアウォッチを手に取り、一人で踏み込む。
「アンサーアタアアァァァック!!!」
完璧な威力、完璧な角度。
だが、アルカナロッドに弾かれる。
着地したアンサーは、それでも笑みを浮かべていた。
胸の奥に溜まっていた霧が、すっと晴れていく。
そうだ。
私は何を迷っていたんだろう。
嘘が全部悪じゃないとしても、それを理由に人を傷つけていいわけがない。
奪っていい理由には、ならない。
アンサーの言葉が、ぐらついていた私の軸を、しっかりと掴み直してくれた。
足が、地面をしっかりと踏みしめた。
「……そう、だね」
小さく呟くと、不思議と笑みがこぼれる。
さっきまでの不安が嘘みたいに、心が軽い。
隣にいるだけで、こんなにも強くなれる。
アルカナ・シャドウは直立したまま動かない。
だけど隙がない。
どう攻めるのが正解なのか、必死に考えていたときだった。
「あーあ、予告状なんて出すから……」
「あ!?」
背後から突然、聞き覚えのある声が降ってきた。
「チョー面倒なことになってるし」
「ちょっと!!」
「「アゲセーヌ!?」」
まさかの乱入。
状況が一気に悪化するのがわかった。
アゲセーヌはマシュタンが保管していた首飾りをひったくり、自分のものにしようとする。
マシュタンは怒っていた――アゲセーヌが来ることは知らなかったようで、それが一番よくわからなかった。
「アゲが決めてあげる!」
アゲセーヌは横取りした星明かりのプリンセスを掲げ、口上を始める。
「ウソよ覆え!チョベリグにしちゃって~!ハンニンダー!」
「ハン、ニンダー!!」
ハイビスカスに添えられた首飾りに宿るマコトジュエルが、黒く染まっていく。
次の瞬間、星明かりのプリンセスの胴体を持ち、長い鞭のような紐を手にした怪物が姿を現した。
「ハンニンダー!!」
召喚されたハンニンダーは即座に鞭を振り下ろし、叩きつけてくる。
飛び退いて回避したものの――状況は、さらに最悪になっていた。
「アタシの占いに出てた本当のおじゃま虫、アゲセーヌのことだったのね!?」
マシュタンの言葉も気になる。
でも今はそれどころじゃない。
アルカナ・シャドウとハンニンダーに、完全に挟まれている。
いつ攻撃が来てもいいように備えてはいるけれど、自信がない。
正直に言えば、足元が少し、震えていた。
「ハン……ニン……!」
ハンニンダーが、何かを発射しようと力を溜め始めた。
その禍々しい気配が、空気ごと震わせていく。
――まずい。
そう思った瞬間だった。
視界の端で、黒い影が弾けた。
アルカナ・シャドウが、一瞬で距離を詰めてくる。
(ヤバっ……!!)
反応が遅れたわけじゃない。
むしろ早かったはずなのに、身体がついてこない。
防御の構えすら間に合わない。
迫ってくるその動きが、妙にスローモーションに見えた。
背後にはハンニンダー。
目の前にはアルカナ・シャドウ。
逃げ場なんて、どこにもない。
間に合わない――やられる!!
「っ………??」
――そのはずだった。
けれど、予想はあっさりと裏切られた。
アルカナ・シャドウは、アンサーと私をかすめるように通り過ぎ、そのままハンニンダーの方へと向かっていく。
「え……!?」
アルカナ・シャドウはそのまま高く跳び上がり、躊躇もなく、強烈な回し蹴りをハンニンダーへと振り抜いた。
まだ当たってもいないのに衝撃が空気を裂く。
その余波だけで、肌がひりついた。
(どういうこと……なんでハンニンダーを……?)
同じ怪盗団ファントムのはずだ。
仲間のはずだ。
なのに、味方に攻撃?
思考がぐちゃぐちゃになり、ただ見つめることしかできない。
そして次の瞬間に飛び込んできた光景が、その混乱をさらに上回った。
「え………」
「うそ…………!!」
確かに、蹴りはハンニンダーへ向かっていた。
それは間違いない。
けれど――当たっていない。
止められている。
「……何のつもり?……キュアアルカナ・シャドウ」
「……………邪魔しないで」
その声で、ようやく理解した。
そこに――割り込んできた存在がいることに。
ジャックが、いた。
「「……ジャック!!?」」
信じられない光景だった。
あれだけの衝撃を伴った蹴りを、ジャックは片手で受け止めていた。
ただの片手で。
しかもその表情は――まるで何事もなかったかのように、涼しい。
重さも、痛みも、衝撃も、すべてが存在しないかのように。
「……今の行動、明らかに見過ごせないよ。味方であるはずのハンニンダーに攻撃を仕掛けるなんて、離反行為もいいところだね……」
普通の声だ。
けれどその奥に潜む冷たい圧が、空気を一気に張り詰めさせる。
心臓の音がやけにうるさい。
「ハ……ハンニンダー!?」
「あ、ありえないんだけど??」
ハンニンダーもアゲセーヌも、目まぐるしく変わる状況に完全に困惑していた。
(最悪だ……)
ただでさえ理解できない状況なのに、よりによって一番来てほしくないタイミングで、ジャックまで来てしまった。
四方を囲む敵意と混乱の中、私たちは一体どうすれば……?