かわいいホームズの親友ちゃんは、相棒の座を奪われて焦心苦慮 作:くぁwせdrftgyふじこlp
【ジャックSide】
「行くぞ、怪盗団ファントム……」
その言葉を口にした瞬間、私の全身に奇妙な感覚が走った。
これほどまでの圧力を、私はこれまで感じたことがない。
力を持つ側であるはずの私でさえ、冷や汗が背筋を伝う。
胸の奥では確かにワクワクする気持ちがある。
だが、それに混じるように、うっすらとした恐怖が影を落としていた。
私がここまで恐れを成すのは――ウソノワール様だけだ。
ずっと玉座に腰を落ち着けていたウソノワール様が、ゆっくりと立ち上がる。
その動作ひとつひとつが、まるで時間そのものを引き延ばすかのように重く、静かだった。
「プリキュアの、元へ――!!」
仮面の奥で、両の目が赤く燃え上がるように光る。
強烈な圧力が劇場全体を包み込んだ。
空気が軋むような、目に見えない何かが空間を押しつぶそうとしているような感覚。
「ライライサー!!」
「ま、待つっしょ!今ニジーがマコトジュエルを取って来るし!」
アゲセーヌの声が、その圧を割って飛び込んでくる。
私は内心で少し驚いた。
本来ならば、ウソノワール様に口答えするなどありえない――そう思うところだ。
だが今ばかりは、アゲセーヌの意見を完全には否定できない自分がいた。
(動かれると……何が起きるかわからない)
横目でキュアアルカナ・シャドウを見ると、その表情もまた険しく強張っていた。
私の顔は笑っているはずだ。
いつものように、飄々と。
しかし、きっとその笑みは歪んでいるのだろう。
どれほど取り繕っても、この圧力の前では隠しきれない何かが滲み出てしまう。
――当然だ。
ウソノワール様は、この怪盗団ファントムの首領。
当然、私より強い。
だが、これも運命だと思っている。
名探偵プリキュアがいつまでも私たちの前に立ち塞がり続けたから、この局面が訪れた。
私はウソノワール様が率いるファントムの幹部。
決まった以上は、もう仕方のないことだ。
唯一の問題があるとすれば――
ウソノワール様の力が、空間そのものを歪めてしまうほど強大すぎるということ。
_______________
【みのるSide】
商店街の一角にあるファミリーレストラン。
賑やかな街の喧騒が窓の外に溶けていく中、私たちのいるこの席だけは、妙に張り詰めた空気が漂っていた。
「皆さん、お集まりいただきありがとうございます」
みくるの声が、静かにその空気を切り開く。
テーブルを挟んで並んだ三人の前に立つのは、みくると、あんな。
そして私――みのる。
横では、れいじくんがまだしゃくり上げながら泣いていた。
れいじくんが大切にしていたロボットのおもちゃが、忽然と消えてしまったのだ。
ドリンクバーに席を立った、ほんのわずかな間に。
その時、周囲にいたのがこの三人というわけだった。
「れいじくんが大切にしていたロボットが、ドリンクバーに行っている間になくなっていた。その時、周りにいたのが皆さんですね?」
みくるが静かに、しかしはっきりと問いかける。
その隣で、ジェット先輩がさりげなくポケットから飴を取り出し、れいじくんにそっと差し出した。
れいじくんは驚いたように目を丸くして、それから恐る恐る受け取り、口に含む。
しゃくり上げる声が、ゆっくりと収まっていった。
(ジェット先輩……優しいね~!)
(う、うるさい!!)
視線でそう語りかけると、先輩からびしっと鋭い視線が返ってきた。
「僕は、食器を片付けていました」
「私は漫画を描いていました」
「俺は宅配便のドライバーで、休憩中っす」
レストランの店員、漫画家らしき女性客、そして宅配便のドライバー。
三者三様の答えが返ってくる。
見た目だけでは、どこにも怪しいところはない。
普通に見れば、ただの一般人だ。
だけど、みくるとあんなはもう答えに辿り着いている。
私にはわかる。
「ありがとうございます」
二人が、静かに同時に頷いた。
「ロボットを盗った犯人、怪盗団ファントムはこの中にいます!」
張り詰めた緊迫と、静寂。
この瞬間は、何度立ち会っても、慣れない。
指をさされるという行為が、どうしてもあの頃の記憶を引っ張り出してしまうから。
いじめられていた頃の、あの感覚。
慣れないだけで嫌だというわけじゃないんだけど。
ただ、胸の奥がちくりとする。
「「犯人は、あなたです!!」」
二本の人差し指が、同じ方向へ向いた。
「宅配員のお兄さん!」
宅配便のドライバー。
さっきも言ったように、見た目には何も問題がない。
だけど、問題のない見た目を見抜くのが、名探偵というものだ。
「ま、待ってよ!俺は店に荷物を届けに来ただけですって!写真に写ってる、そんなに大きなロボットの人形が、一体どこにあるんですか!?」
必死に声を荒げる宅配員。
確かにそうだ。
みくるが手にしている写真――れいじくんのお母さんが保管していたものには、どう見てもポケットに収まるサイズじゃないロボットの人形が写っている。
宅配員にはポーチがあるけれど、普通の状態では、絶対に入らない。
普通の状態では、ね。
「あなたが言った写真が、事件を解く鍵です!」
「皆さん!この写真をよく見てください」
みくるが写真を犯人ではない二人のほうへ向ける。
じっくりと、先入観を外して見る。
大切なのは、思い込みに囚われないこと。
「ロボットの右足に、タグが縫い付けてあります」
「本当だ!」
「よく見ると縫い目もある」
タグというものは普通、布や柔らかい素材に縫い付けられるものだ。
硬い素材には縫い付けられない。
でもこのロボットにはタグがあり、言われてみれば確かに、うっすらと縫い目まで確認できる。
つまり――このロボットは、硬い素材で作られていない。
見た目はロボットのおもちゃ。
でもその正体は、ぬいぐるみだ。
「ロボットのおもちゃだから硬いと思いがちですが、これはぬいぐるみ。そうだよね、れいじくん?」
「うん!さいほう戦隊グルミンジャー!」
グルミンジャー……。
日曜の朝に放送してるアニメだったような気がする。
見覚えはあったはずなのに、どうしても名前が出てこなかった。
こういう時に限って記憶というのはするりと逃げていく。
「柔らかいぬいぐるみだったら……」
「なっ!……こら!?」
あんなが配達員の男性に素早く駆け寄り、有無を言わせずポーチを開け放った。
「押し込んでチャックをすれば、ポーチに収まります!」
ポーチの中から、丸まったロボットがぽんと飛び出して、みるみる元の形へと戻っていく。
柔らかいから、小さいポーチの中にも隠せる。
それが今回の事件のトリックだった。
なるほど、と思う。
見た目に引っ張られていたら、絶対に気づけなかった。
「あ!ぼくのロボット!」
れいじくんが顔をぱっと輝かせて、ロボットへ手を伸ばす。
――が。
「ふん!!」
「「あ!?」」
ロボットは、れいじくんの手には届かなかった。
「ふふふふふ………ははははは!!」
配達員が、ロボットをひったくって笑い声を上げる。
間違いなく、こいつが犯人だ。
「ご名答、名探偵の諸君!」
変装が解け、現れた素顔はニジー。
……相変わらず、懲りない人たちだ。
ニジーに至っては虹ケ浜であれだけ派手に敗北したというのに、まるで気にしていない様子。
それにしても、ニジーだけが処分される危機に陥っていたのはなぜだろう。
単純に問題児だったから、ということなのだろうか。
「でもね…勝負はまだついていないよ!」
「あ!!」
「私たちに任せて!」
ロボットを奪ったニジーが、店の外へ飛び出す。
悲しそうな表情のれいじくんを宥めながら、私たちも後を追って店の外へ駆け出した。
「待てー!!」
「逃がさない!!」
だが、ニジーの背中は一向に近づいてこない。
当たり前だ、相手は妖精。
単純な追いかけっこなら、人間が不利に決まっている。
それは、クラスでも体力測定の度に現実を突きつけられてきた自分が誰よりもよくわかっていた。
「はぁ……はぁぁぁ……」
「おい、大丈夫か?」
「大丈夫……元々こうだから」
体力がないから学校の体育もあまり好きじゃない。
球技ならまだマシだ。
あまり走らなくて済む種目なら、なんとかなる。
でもマラソンだけは、考案した人を一生恨み続けたいと本気で思う。
「ポチ~!」
「うわあああああぁぁぁぁぁ!!?」
埒が明かないと判断したのか、ポチタンがあんなを引いて、一気に加速。
ニジーの真上をあっという間に通過していく。
ティアラが盗まれた時と、まったく同じ先回りの手口だ。
「ふっ!」
あんながニジーの前方に着地して、ドヤ顔で振り返る。
後方ではみくるが追いつき、ニジーを完全に挟み撃ちにした。
「観念しなさい!」
「はぁ……全く、しつこいベイビーたちだ」
ニジーは逃げるのをやめる。
けれど、その表情に焦りはない。
追い詰められたファントムがやることなんて、たった一つしかない。
「いいよ、相手をしてあげよう」
ニジーの手から薔薇が投げられ、ロボットのおもちゃに深々と突き刺さった。
宿っていたマコトジュエルが、じわりと黒く染まっていく。
「ウソよ覆え!出でよ、ハンニンダー!」
「ハ、ン、ニ、ン゙ン゙ン゙ン゙ン゙~ダ!」
ロボットの形をしたハンニンダーが、轟音とともに誕生した。
人通りの多い商店街のど真ん中にこんな怪物が現れれば、普通なら大混乱は免れない。
だが、ハンニンダーが呼び出されると同時に自動的に結界が張られるため、外の人たちには気づかれることはない。
その仕組みには何度か助けられてきたけれど、本来は私たちを閉じ込めるための結界なため、安心できるものではない。
「あんな!みくる!」
「はぁ……なんとか追いついた」
ジェット先輩と私も二人に合流する。
ハンニンダーが呼び出されたのなら、名探偵プリキュアの出番だ。
あんなとみくるがそれぞれペンダントを掴む。
「「オープン!ジュエルキュアウォッチ!」」
光が二人を包み込み、衣装が纏わり、そして弾けるように解放される。
名探偵プリキュアの二人が、ハンニンダーへと向き直った。
「どんな謎でも、はなまる解決!名探偵『キュアアンサー』!」
「重ねた推理で、笑顔にジャンプ!名探偵『キュアミスティック』!」
「「名探偵プリキュア!!」」
恒例の名乗りと決め台詞が終わり、アンサーとミスティックが並んで立つ。
変身が完了したのを見届けたニジーは、ハンニンダーへと指示を飛ばした。
「行け!ハンニンダー!」
「ハンニン~ダ!!」
ハンニンダーの両腕が、砲弾のように切り離された。
いわゆるロケットパンチだ。
高速でこちらへ向かってくる。
「「うわっ!?」」
アンサーとミスティックが跳び退く。
私は咄嗟にポチタンを抱きしめ、ジェット先輩も左右に飛び込んで全員がギリギリで回避した。
プリキュアでも妖精でもない私が直撃を食らったら、その時点で終わりだ。
それだけは分かっている。
飛んでいったロケットパンチは、そのまま空へ消えるかと思った。
「戻って来た!?」
急に軌道を変えて、プリキュアの二人へ向けて引き返してくる。
追尾機能付き、という嫌らしい性能。
2発のロケットパンチに翻弄されて、二人の距離がどんどん引き離されていく。
「「うわあああああ!?」」
商店街を逃げ惑う二人の叫び声だけが、遠くから飛んでくる。
姿はもう見えない。
「アンサー!!ミスティック!!」
「ポチ!!」
「ハッハッハッハ!!どう?追われて逃げる気分は?」
ニジーが余裕の笑いを浮かべた。
いつも追われる立場であるファントムと、追う側のプリキュア。
今はその立場が完全に逆転している。
二人がどんな状況にあるのか、遠すぎて確認できない。
ハンニンダー本体は、一歩も動いていなかった。
あくまで両腕を主体とした攻撃しか持ち合わせていないらしい。
それが唯一の救いといえば救いだろうか。
――だが、ニジーの背後に新たな人影が現れた。
妖精のマシュタンを抱えた少女。
キュアアルカナ・シャドウだ。
(あの少女……どうしてまた……!?)
大抵あの少女が顔を見せる時は、ろくなことが起きない。
必ずではないけれど、虹ケ浜のこともそうだったし、自分は直接見ていないけれど、美術館でもプリキュアの二人と実際に衝突していた。
「おや?アルカナ・シャドウ。ボクの華麗な怪盗ぶりを見学しに来たのかな?」
「いいえ。それより面倒なことが」
ニジーの言葉をあっさり切り捨てたアルカナ・シャドウの表情に、わずかに焦りが滲んでいた。
それだけで、私の胸に嫌な予感がどっと押し寄せてくる。
「面倒?」
「ウソノワール様が、こっちに来る!」
マシュタンの言葉が飛んだ瞬間、ニジーの表情が大きく変わった。
ウソノワール……。
その名前は、ニジーたちの口から何度か出ていた。
怪盗団ファントムの頂点に君臨する、首領の名前だ。
「なっ!ど、どういうことだ!!?」
「今はアゲセーヌが止めてるけど、多分無理」
アゲセーヌが止めてる?
自分たちの首領を、幹部が止めようとしている?
それはつまり……幹部ですら、ウソノワールが動き出したら不味い状況になるということなのだろうか。
「ウソノワール……が来るって?なんで……?」
「ボクもわからない。なぜ怪盗団ファントムのボスが動いたんだ?でもあのニジーとアルカナ・シャドウの反応を見る限り、本当のことなんだろうな」
そっとジェット先輩に聞いてみたが、ジェット先輩にもわからないという。
最近は次から次へと状況が変わりすぎていて、理解するだけで精一杯だ。
「目的は、あの子たち」
アルカナ・シャドウの視線が向いた先に、アンサーとミスティックが戻ってくるのが見えた。
後ろからはまだロケットパンチが追いかけてきているというのに、さっきまでの慌てた様子が嘘のように、二人の表情には自信が戻っている。
「くっ……やれ!!ハンニンダー!!」
ニジーの様子も、先ほどとは一変していた。
いつも余裕の笑みを浮かべているはずの彼が、今は必死の形相でハンニンダーに指示を飛ばしている。
どうして、ウソノワールが来るのにそこまで慌てているのだろう。
自分のボスが来るなら、むしろ「これでプリキュアを倒せる!」と喜ぶはずじゃないのか。
そうならないことが、じわじわと不安を膨らませていく。
「ハ、ハンニンダー!」
突然の指示に戸惑いながらも、ハンニンダーの本体がゆっくりと前進を始める。
「ミスティック!」
「うん!」
ロケットパンチとハンニンダー本体に挟まれる形になりながら、二人はギリギリまでロケットパンチをハンニンダーへ引き付けた。
ここまでくれば、二人が何をしようとしているのか、見ているだけの私にも容易に想像できた。
そして、直前で左右に回避。
ロケットパンチの勢いはそのままに、ハンニンダー本体へ一直線に突っ込んでいく。
腕のないハンニンダーに、それを防ぐ手段はない。
完全な無防備だ。
「ハン……ニンダアアアアアア!?」
自分自身の攻撃を受けて、ハンニンダーが吹き飛ばされた。
宙を舞ったロケットパンチは、倒れたハンニンダーの腕にすっぽりと収まる。
「「オープン!プリキットミラールーペ!」」
倒れたハンニンダーへ二人が容赦なく止めを刺しにかかった。
もうハンニンダーでは、成長し続けるプリキュアには太刀打ちできないだろう。
「「ポチタン!」」
「ポチ~!」
ポチタンからマコトジュエルを受け取った二人が、ミラールーペの蓋を開ける。
レンズを掲げ、中央の宝石をゆっくりと回した。
「見て!」
「感じて!」
「「謎を解く!」」
浄化の力が二人の全身に満ちていく。
「「これが!私たちの!答えだ!!」」
眩い光が周囲を照らし出し、ミラールーペを前に突き出してポーズを決めた。
「「プリキュア!フライング・スペクトル!!」」
鮮やかな光の白い鳥が、豪快にハンニンダーを貫いた。
「「キュアット解決!」」
光の柱が立ち上り、勝負は決する。
「ハン!ニン!ダーァァァ………」
プリキュアに一度も攻撃を当てることなく、自分自身の攻撃で自爆しただけで散った、あっけない最期だった。
アンサーがゆっくりと落ちてくるマコトジュエルを受け取る。
いつもの流れなら、ここでファントムが撤退して、マコトジュエルはポチタンが回収し、今回の事件は幕を閉じるはずだ。
「くっ……」
悔しそうに指を噛むニジーの前へ、今度はあの少女が前に進み出た。
「もう時間がない……」
「ウソノワール様が動けば、嘘で世界を覆う前に、世界が壊れてしまうかも!!」
……世界が、壊れる?
ウソノワールという人物が動いただけで、そこまでのことが起きるというのか。
今回の戦い――もしかしたら、ハンニンダーはただの前哨戦に過ぎないのかもしれない。
ジェット先輩は何も言わない。私もポチタンを抱きしめたまま、一歩も動けないでいた。
「ええ。そうなる前に、あの子たちを倒す!」
ティアアルカナロッドを掴んだ瞬間、少女の身体が光に包まれる。
そして、漆黒の天使が舞い降りた。
「神秘と秘密で包み込む――『キュアアルカナ・シャドウ』」
一瞬で変身を終え、アンサーとミスティックの前に立つ。
まさかの連戦に、二人の表情が強張った。
「あなたたちがいなくなれば、ウソノワールが来る理由もなくなる」
……今、ウソノワールを呼び捨てにした?
考える間も与えてくれなかった。
「アルカナスターレイン」
数多の星が展開され、いきなり技を仕掛けてくる。
以前の戦闘とは明らかに違う、本気で潰しにくる雰囲気だ。
「初手から大技かよ!?」
「なんで二人ともあんなに焦って……?」
こんなことは初めてだ。
いつもの戦闘のはずなのに、ニジーだけじゃなくアルカナ・シャドウまで緊迫した表情を浮かべている。
ウソノワールって……そんなに、危険な存在なの?
「「っ!!」」
発射された集中砲火のレーザーを、二人が間一髪で回避する。
躱されたレーザーが地面を深く抉り、爆風が周囲に巻き上がった。
「うう!?」
「きゃあああっ!?」
「ポチー!?」
爆風に飛ばされないように、必死に足を踏ん張る。
それでも風は強すぎて、私は思わず地面に伏せた。
砂が顔に叩きつけられ、目を開けていられない。
「ジェット先輩!ポチタン!みのる!!」
ミスティックの声が、風の中から飛んでくる。
爆風がゆっくりと収まっていく。
だが一つだけ、はっきりとわかることがある。
アルカナ・シャドウが、本気を出しているということだ。
あれだけ二人をあしらっていた彼女がいきなり全力で来たら、アンサーとミスティックは間違いなく負ける。
認めたくない。
でもこれが、現実だ。
緊張感が辺りを包んだ、その瞬間。
――空気が、ひび割れた。
音ではない。
けれど確かに、何かが軋んでいる。
目に見えないはずの空間そのものに、細かい傷が走っていくのがわかる。
視界の端で、景色が一瞬だけ歪んだ。
直線であるはずの建物の輪郭が、波打つ水面みたいに揺らいだ。
次の瞬間、耳の奥で何かが弾ける。
――キィン、と。
「……え!?」
「っ……何!?これ……」
細く鋭い音が、脳の内側を直接なぞる。
鼓膜を震わせるのとは違う。
逃げ場のない感覚だった。
指で耳を塞いでも、意味がない。
音は外から来ていない。
内側に、無理やり流し込まれている。
呼吸のリズムが狂うたびに、世界が一拍ずつ遅れてついてくるみたいに、現実がずれていく。
足元の感覚が頼りない。
地面に立っているはずなのに、どこにも触れていないような浮遊感がまとわりついて離れない。
視界の奥で、砂嵐のようなノイズが滲み始めた。
「ポチ……」
「空間が、歪んでる?」
「明らかに今までと様子がおかしい……これは……?」
黒でも白でもない、説明のつかない色が瞬いている。
チカチカと不規則に明滅しながら、現実を少しずつ削り取っていく。
目を凝らせば凝らすほど、そこに「何か」がいる気がして、けれど輪郭は決して結ばれない。
嫌な予感では、足りない。
これは、もっと原始的なものだ。
身体の奥深くに埋め込まれた本能が、悲鳴を上げている。
近づくな。
関わるな。
理解しようとするな。
「今日は、本気で!!」
アルカナ・シャドウが踏み込んでくる。
一触即発。
そう思った瞬間だった。
「はっ!?アンサー危ない!!」
上空から、恐ろしいほどの勢いで何者かが強襲してきた。
突き出された拳が、二人へ向けて急接近する。
「えっ!?うっ!!」
アンサーが直撃の寸前で躱したものの、激しい衝撃波が地面に叩きつけられた。
強襲した人物の周囲の地面が放射状にひび割れ、粉々に砕け散る。
「今度は誰だ……!?」
「っ……」
アルカナ・シャドウも距離を取り、アンサーとミスティックが警戒の視線を向ける。
砂埃がゆっくりと晴れていき――その中に立つ人物の姿が、浮かび上がった。
「……また会ったね。名探偵プリキュア」
「「「「ジャック!!!?」」」」
ジャックだった。
私を気絶させ、ミスティックをとことん痛めつけた、怪盗団ファントム屈指の危険人物。
その名前が、四方から重なって弾ける。
「一撃で仕留めようと不意討ちを仕掛けたつもりなんだけど、回避されるなんてね……なかなかやるじゃん」
「ジャック……今度は何しに来たの!!」
ミスティックの声に、怒りが滲み出るのがわかった。
感情的にならなければいいけど、それ以上に事態はどんどん深刻になっていく。
一撃で仕留めるつもりだったということは、ジャックまで本気でプリキュアを潰そうとしていると考えた方がいいだろう。
「ジャックまで来たら流石にマズいぞ……今の二人じゃ……」
「戦力不足は否めない」
ジェット先輩が静かに、でもはっきりと言葉にする。
現実を何度も突きつけられる瞬間も、最近は特に増えてきている。
ハンニンダーに善戦できるようになっても、まだ幹部の領域には遠く及ばない。
それが今の二人の限界だ。
「ジャック……ウソノワール様は?」
ニジーがそっとジャックに尋ねた。
ジャックはプリキュアとの戦闘には入らず、ゆっくりと後ろを振り返る。
「……ウソノワール様の準備が整った」
「なっ!!」
「…………くっ」
ジャックの声が低い。
いつもどこか飄々としているはずのジャックが、わずかに緊迫している。
それだけで、ウソノワールがどれほどの存在なのか、まだその姿すら見ていないのに、恐ろしくなってくる。
「キュアアンサー、キュアミスティック。本当はあなたたちが会う資格はないんだけど、特別に教えてあげるよ。本当の地獄を」
「え………」
「な、何を………」
一歩前へ進むジャック。
その不気味な様子に、ミスティックの怒りまでもが薄れていくのがわかった。
「真実の力は虚無の力。その運命を、拒絶せよ」
――パチンッ。
詠唱のような言葉とともに、ジャックが指を鳴らす。
目の前が緑色の閃光で覆われ、怪盗団ファントムの紋様が浮かび上がる。
晴れていたはずの空が、たちまち真っ黒な雲に塗り潰されれ、空気が一気に重くなる。
耳鳴りがさらに高くなる。
音が音でなくなり、ただの圧力になって思考を押し潰してくる。
記憶の断片が浮かんでは消え、関係のないはずの感情が混ざり合い、何が自分なのかさえ曖昧になっていく。
「来る……!ウソノワール様が……!!」
閃光は緑色の炎に変わり、中から人影が浮かび上がった。
空間の歪みが、一点へ集束していく。
まるで世界そのものが、そこへ向かって引きずり込まれていくみたいに。
貴族のような豪奢な服。
騎士のような鎧。
顔は仮面で覆われており、素顔は微塵も見えない。
その異様な姿が、とんでもない威圧感を放ち続けていた。
右手には一冊の本。
内容は、わからない。
「あいつが、怪盗団ファントムのボス……『ウソノワール』!?」
空気が変わる。
アンサーとミスティックに、鋭い警戒が走るのが見えた。
「プリキュア……」
低い声が、空間を揺らした。
聞いただけで、身体の芯から震え上がるような恐怖が這い上がってくる。
手が勝手に震えた。
足が、全く動かない。
動いたら殺されると、本能がそう告げていたからだ。
ウソノワール
怪盗団ファントムの頂点に立つ者が、ついにプリキュアの前にその姿を現した。