かわいいホームズの親友ちゃんは、相棒の座を奪われて焦心苦慮   作:くぁwせdrftgyふじこlp

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名探偵VS怪盗

【みのるSide】

 

息が、できない。

 

正確には、できているはずなのに、できていない気がする。

肺が縮み上がって、空気の取り込み方を忘れてしまったみたいに。

 

ウソノワールが、黙っている。

それが一番怖かった。

 

怒鳴るわけでも、嘲笑うわけでも、わかりやすく脅すわけでもなく、ただ仮面の奥からアンサーとミスティックの二人を静かに見ている。

 

何を考えているのか、何を測っているのか、あの仮面が邪魔をして何ひとつ読み取れない。

 

睨み合う時間が伸びるほど、胸の奥で何かが軋んでいく。

 

ウソノワールの背後で、緑色の炎が二本、地面から立ち昇った。

 

揺らめく炎の中から現れたのはゴウエモン、そしてアゲセーヌ。

 

「「「「ライライサー!!」」」」

 

横一列に並んだニジーとジャックも声を揃える。

四人の声が重なり、空気そのものが震えたような気がした。

 

怪盗団ファントムの全員が、揃っている。

 

ニジー、アゲセーヌ、ゴウエモン、ジャック、キュアアルカナ・シャドウ、そしてウソノワール。

 

六人。

たった二人を相手に、六人全員で。

 

絶望、という言葉は前から知っていた。

 

でも今この瞬間、その言葉の重さが骨の髄まで染み込んでくる。

 

絶望の上に絶望を積み上げて、それでも足りないとでも言うような光景。

 

今まで経験してきた全ての恐ろしい出来事が、この場面の前座に過ぎなかったと思い知らされるような、戦慄した空間。

 

絶望すら感じることすら許されない。

 

そんな空気が、アンサーとミスティックの二人に、真正面から向けられていた。

 

「ど……どうなるの……二人は……?」

 

声が震えていた。

自分の声とは思えないくらい、細くて頼りなかった。

 

「本気で二人を潰しに来たのか……!?」

 

「ポ……ポチ………」

 

足がすくんで動かない。

今まで何度も怖い思いをしてきた。

 

それでも今感じているこの恐怖は、今までの全部を足しても追いつかないくらい、危険の匂いがした。

 

「何故だ?何故未来自由の書に載らない?」

 

「「え?」」

 

ウソノワールが口を開く。

持っていた本をめくって、すぐに閉じる。

 

未来自由の書。

 

またわからない言葉が出てきた。

「載らない」というのも、妙に引っかかる。

 

確かにウソノワールはあの本を何度か眺めながら、二人を確認するような仕草をしていた。

 

一体何が書いてある本なんだろう。

何が「載らない」というのか。

 

「待てども待てども、何故載らぬのだ?」

 

呟くように言ったかと思うと、ウソノワールはいきなり人差し指を立てた。

 

その指先に、禍々しい紫色の光が凝縮されていく。

 

――強い。

 

それだけで、わかってしまった。

 

(うっ!?)

 

小さい。

見た目は、ただの小さな光弾だ。

 

なのにそこから伝わってくる熱気がここまで届いてくる。

 

極限まで圧縮されたエネルギーが、距離を超えて肌を焼くみたいに光弾が放たれた。

 

凄まじい速さだ。

思考が追いつく前にもう着弾している、そんな速さで。

 

爆発。

でも、二人は躱していた。

 

そしてそのまま怯むことなく、ウソノワールへと突撃していく。

 

「ほぅ……」

 

ウソノワールが僅かに声を漏らす。

 

「「はあああああああっ!!!」」

 

二つの光が、完璧な角度で空を裂いた。

 

アンサーとミスティック。

交差する軌道で放たれた蹴りは、寸分の狂いもなく標的へと収束していく。

 

空気が引き裂かれ、衝撃が到達する直前、周囲の空間がわずかに歪んだ。

 

届く。

そう思った。

 

――しかし、一撃は届かなかった。

 

片手が、静かに上がる。

 

左腕がアンサーの脚を、右腕がミスティックの脚を、それぞれ正確に受け止めていた。

衝突の瞬間に生じるはずの衝撃は、どこにも逃げ場を見つけられず、そこで凍りついたように消失する。

 

二人の靴先が、わずかに沈み込む。

 

それだけで、二人の全力が封じられているとわかってしまった。

 

骨が軋む感覚すら伝わらない。

押し返される気配もない。

 

ただ、完全に「止められている」という現実だけが、そこにある。

 

「二人の蹴りを……いとも簡単に……」

 

「嘘だろ……」

 

体幹が微動だにしない。

ウソノワールの衣服すら揺れていない。

 

重心の一点に全てが固定されているような異様な静止。

力と力がぶつかっているはずの場所で、音すら消えていた。

 

次の瞬間、均衡が崩れた。

 

足が持ち上がる。

躊躇いのかけらもなく。そのまま、地面へと叩きつけられた。

 

衝撃は、遅れてやってきた。

 

「「きゃああああ!?」」

 

二人の悲鳴が上がった瞬間、地面が爆ぜる。

 

砕けた舗装が波紋のように跳ね上がり、その中心から圧縮された空気が一気に解放された。

 

視界が白く弾け、爆風が周囲を丸ごと飲み込んだ。

 

空気が刃になる。

 

押し出されるんじゃない。

叩きつけられる。

 

塊になった風が暴力的な質量を持って、アンサーとミスティックの身体をまとめて弾き飛ばした。

受け身を取る余地なんてどこにもなく、視界が反転して、地面と空の境界が消える。

 

風が渦を巻く。

 

一点から噴き上がった乱流が瞬く間に螺旋を描き、巨大な柱へと成長していく。

 

竜巻が、生まれていた。

 

吸い込まれる空気の唸りが低く響いて、周囲のすべてを巻き上げていく。

 

ガラスが悲鳴を上げた。

 

ビルの窓が一斉に砕け散り、無数の破片が光を反射しながら宙を舞う。

 

壁面のパネルが引き剥がされ、金属が軋み、骨組みが剥き出しになる。

 

看板は根元からもぎ取られ、ねじ曲がりながら空中で翻弄される。

 

何もかもが制御を失っていた。

 

街そのものが、ただの素材へと還元されていく。

重さも形も意味を持たず、ただ風の意志に従って引き裂かれ、砕かれ、巻き上げられていく。

 

「……!!!」

 

私とジェット先輩の目の前に看板が飛んできた。

 

反応する時間なんてなかった。

直撃する、と身体が怯んだ瞬間、

 

「ポチ~!!」

 

ポチタンが風船みたいに大きく膨らんで、看板をクッションのように受け止めてくれる。

 

でも、風は収まらない。

 

「うわああっ!?」

 

「ちょ……ちょっとおお!?」

 

今度はそのポチタンが私のところに飛んできて、巻き込まれながらポチタンもろとも上空へと投げ出された。

 

地面が遠ざかっていく。

下を見れば、ニジーたちが必死に踏ん張っているのが見えた。

 

飛ばされまいと地面にしがみつくような姿勢で、全員の表情が硬い。

 

ジャックがあんなに深刻な顔をしているのを見たのは初めてだった。

 

ゴウエモンだけが笑顔なのが、逆に怖い。

 

嵐の中心に立つ影は、動かなかった。

その周囲だけが、まるで嵐の目のように歪んでいる。

 

破壊のすべてが外側へと放たれて、そこだけが異様な静寂を保っていた。

 

圧倒的な力が、空間そのものを支配している。

 

「ふむ……」

 

風が止んだ。

静寂が訪れる。

 

私はといえば、ポチタンにしがみついたまま上空を漂っていた。

 

気づけばジェット先輩も、途中でアンサーとミスティックも回収していて、全員なんとか無事だった。

 

「ポチタン、ありがとう!」

 

「ポ……ポチぃぃ……」

 

アンサーがお礼を言ったけど、ポチタンが苦しそうだったので、すぐにみんなで降りた。

 

そういえば、と思い出す。

 

最初にアンサーが空から降ってきた時も、ポチタンが風船みたいに膨らんでクッションになってくれていたっけ。

 

あの時は私とみくるが潰されたけど。

ポチタンにそんな能力があったことを、すっかり忘れていた。

 

アンサーとミスティックが、改めてウソノワールに向き直る。

 

ウソノワールもまたあの本を開いて、何かを確認するように視線を落とした。

それから、溜め息をついた。

 

「はぁ……。これでも未来自由の書にお前たちのことは載らんか……」

 

「さっきから言ってる、未来自由の書ってなんなんだよ……」

 

「ポチ……」

 

ジェット先輩が声に出したのは、私も同じ気持ちだったからだ。

 

あの本に何が書かれているのか。

何度もアンサーとミスティックのことを確認するように眺めているのは、どういうことなのか。

 

二人が「載らない」とはどういう意味なのか。

 

頭の中でぐるぐると考えを巡らせていると、マシュタンが口を開いた。

 

「未来自由の書は、アタシのご先祖様たちが記した伝説の書。これから起こることが全て書いてあるの」

 

これから起こることが、全て……?

 

もしかして、予言書なの?

 

「誰も読み解くことができなかったものを、ウソノワール様だけが、読むことができたのよ」

 

「「……………」」

 

マシュタンのご先祖様が記したということは、何か不思議な力が宿っているのだと仮定できる。

 

でも、ウソノワールしか読めないのはどうしてだろう。

 

ニジーたちだって妖精のはずなのに、誰一人読めないなんて。

 

「プリキュア、書に記されぬお前たちは異物。消えなければならない」

 

ウソノワールが手を前に出し、攻撃を仕掛けようとする。

 

でも、それをニジーが制止した。

 

「お待ちください、ウソノワール様!彼女たちは今、マコトジュエルを持っています。直ちに手に入れますので、ここはボクにお任せください!」

 

「ほう、マコトジュエルの欠片を……」

 

マコトジュエルは、まだアンサーが持っている。

 

ウソノワールはニジーの言葉を受けて、攻撃の動作を止めた。

 

でも、気になる言葉があった。

 

欠片

 

「欠片?」

 

アンサーが小さく呟くと、ニジーが不機嫌そうに返す。

 

「ふん、そんなことも知らないのか」

 

そこから明かされたマコトジュエルの真実は、私の想像を遥かに超えるものだった。

 

「マコトジュエルは、一つの巨大なジュエルだった。かつて人間たちの心から現れた、真実の想いが寄り添い、形を成したものだ」

 

巨大なジュエル……だから、欠片と呼んでいたのか。

 

今まで見てきたあの輝きは、もっと大きな何かの、ほんの一部だったということ。

 

「キュアット探偵事務所は、我らファントムから、マコトジュエルを奪わせまいと、世界各地を転々と移動させていた」

 

つまりキュアット探偵事務所は最初から、怪盗団ファントムの存在を知っていた。

 

マコトジュエルが悪用されることを警戒して、ずっと守り続けていた。

 

ジェット先輩がファントムのことを知っていたのも、そういうことだったのか。

 

「だがマコトジュエルがこの街に現れることを、我々は突き止めた」

 

ウソノワールが続ける。

 

「手に入れようとしたところ、キュアット探偵事務所の邪魔が入り、マコトジュエルは粉々になり、この街に散っていった」

 

それが、始まりだったのか。

 

私たちがずっと見てきた、マコトジュエルの欠片を巡る争い。

 

あの欠片ひとつひとつが、もともとは一つの巨大なジュエルだったということ。

そこに至るまでに、こんな経緯があったということ。

 

「お前たちのせいで、バラバラになった欠片を、オレたちが集めてるってわけだ」

 

「せっかくウソノワール様が願いを叶えようとしてたのに、邪魔したせいで余計な仕事を増やして。少しは私たちの苦労も味わってほしいものだね」

 

ゴウエモンとジャックの言葉に、思わず眉をひそめた。

 

あまりにも身勝手だ。

マコトジュエルを使って何をしようとしているのかは知らないけど、ろくなことじゃないに決まってる。

 

前にニジーが「嘘で世界を覆う」みたいなことを言っていた。

 

そのためにマコトジュエルが必要なんだとしたら、止めるのは当然だ。

 

でも……ひとつだけ、引っかかることがあった。

 

マコトジュエルを粉々にしたキュアット探偵事務所の人って、誰?

 

「言いがかりだろ!そんなの!!」

 

ジェット先輩の声が響く。

でもウソノワールたちは気にも留めない。

 

「とにかくマコトジュエルを寄越すんだ!さもないと、世界が壊れる」

 

「世界が壊れる?」

 

渡さないと、世界が壊れる。

 

どういう関係があるのかと思っていると、ウソノワールがニジーに未来自由の書を渡した。

 

「預かっておけ」

 

低く落とされたその一言が、重く耳に残る。

 

言葉そのものよりも、その奥に潜む圧力の方が、遥かに現実味を帯びていた。

 

ウソノワールが、歩き出す。

 

ただ一歩。

けれどそれだけで、空気が変わるのがわかった。

 

さっきまで張り詰めていた緊張とは、質が違う。

 

もっと深く、もっと逃げ場のない圧迫感。

 

肺の奥に重たいものが沈み込むようで、気づいたら呼吸が浅くなっていた。

 

彼が一歩進むたびに、世界が押し潰されていくようだった。

 

距離はまだあるはずなのに、近づかれているという実感だけが異様に強い。

 

視界が狭まる。

音が遠のく。

 

意識の中心が、あの男にじわじわと引き寄せられていく。

 

今まで戦ってきた幹部たちとは、明らかに違う。

 

比べること自体が間違っていると、本能が告げていた。

 

「おおおお!!ウソノワール様が本気で行かれるぞ!」

 

場違いなほど高揚した声が響いた。

その温度差に、一瞬だけ現実に引き戻される。

 

「喜んでる場合じゃないし!?マジチョベリバ~!!」

 

「興奮する気持ちはわかるけど、流石に嫌な予感がする。まさか本当に……」

 

声は聞こえているのに、どこか遠い。

 

ゴウエモンの無邪気な歓喜と、アゲセーヌとジャックの焦りが混ざり合って、不協和音のように耳に残る。

 

そして、ニジー。

 

その表情が、何よりも全てを物語っていた。

 

冗談も余裕も消え去って、ただ純粋に危機を見据えた顔。

 

これから起こることが、ただの戦いでは済まないと、その目が語っている。

 

ウソノワールの両手に、光が集まり始める。

 

でもそれは、ただの色じゃない。

 

見ているだけで嫌悪感が込み上げてくる、濁りきった光。

 

さっきまでのものとは比べものにならないほど濃く、重く、禍々しい。

 

空間が再び軋む。

 

光弾の周囲で稲妻が走るたびに、空気が裂けるような音がした。

 

空間そのものにノイズが混じって、景色が崩れ、すぐに戻る。

その繰り返し。

 

現実が耐えきれていない。

 

さっきのニジーの言葉が脳裏をよぎった。

 

――世界が壊れる。

 

誇張でも、比喩でもなかったのかもしれない。

 

あの力は、対象を破壊するものじゃない。

 

存在している「場所」ごと、消し飛ばしかねない。

そういうものに見えた。

 

「…な!?」

 

ゴウエモンの声が変わった。

さっきまでの余裕が、完全に消え失せていた。

 

「なんて圧力!?」

 

ジャックの声にも、隠しきれない動揺が滲んでいる。

 

「フィールドが、持つのか?」

 

ニジーの呟きは、やけに静かで、だからこそ重かった。

 

私は咄嗟に、周囲に張られている結界へ意識を向けた。

 

見えないはずのそれが、今ははっきりと「軋んでいる」のがわかる。

 

わずかに震えて、悲鳴を上げる寸前のように歪んでいる。

 

かろうじて閉じているだけで、いつ崩れてもおかしくない。

 

もし、あれが壊れたら。

 

この場だけでは済まない。

ここにいる私たちだけの問題じゃなくなる。

 

周囲一帯が、丸ごと巻き込まれる。

 

そんな予感が、嫌というほどはっきりとした形で胸に沈んでいく。

 

「最悪の展開ね……」

 

アルカナ・シャドウの声だった。

 

あの彼女ですらそう言う。

その事実が、何よりも恐ろしかった。

 

視線をウソノワールへと戻す。

 

両手に収束された光は、もはや制御されているようには見えなかった。

 

ただそこにあるだけで、周囲を侵食していく怪物。

 

視界から、姿が消えた。

 

違う、消えたんじゃない。

消されたみたいに「見えなかった」だけだと、次の瞬間に理解する。

 

ウソノワールがいない。

 

そう思った瞬間にはもう、アンサーとミスティックの背後に立っていた。

 

速すぎる、なんて言葉じゃ足りない。

移動という過程が存在していないみたいに、ただ結果だけがそこにある。

 

瞬間移動――そんな非現実的な言葉の方が、まだ納得できるくらいだった。

 

両手に抱えた禍々しい光が、そのまま振り下ろされる。

 

考える暇なんて、どこにもない。

 

光弾が叩きつけられた瞬間、空気が爆ぜた。

 

衝撃が音よりも先に身体に届いて、胸の奥を強引に押し潰す。

 

遅れて轟音が押し寄せ、視界が白く弾ける。

 

爆風が、すべてを飲み込んだ。

 

思わず目を細める。

その一瞬の隙間から、かろうじて見えた。

 

アンサーとミスティックが、空中へ逃れている。

本当に、紙一重の回避。

 

――でも。

 

安堵する暇はない。

ウソノワールの姿が、また消える。

 

次に見えたときには、もう空中にいた。

 

それも、アンサーの背後に。

どうしてそんな動きができるのか、理解できない。

 

「!?」

 

アンサーの息を呑む気配がした。

振り返る、その刹那。

 

紫の光が、一直線に突き刺さる。

 

「ぐぁぁっ!?」

 

短い悲鳴が、空中で引き裂かれた。

 

あまりにも速すぎる。

一撃が届くまでの時間が、存在していないみたいだった。

 

反応も、防御も、全部置き去りにされる。

 

たった一発。

それだけで、アンサーの身体が壊れる。

 

光が弾け、衝撃が爆ぜ、彼女の身体が無造作に吹き飛ばされた。

 

次の瞬間にはもう、全身が傷に覆われているのが見える。

 

そのまま、重力に引かれて落ちていく。

支えを失った人形みたいに、力なく。

 

手からマコトジュエルが零れ落ち、きらりと光って地面に転がる。

 

その小さな音が、やけに大きく響いた気がした。

 

「アンサー!!」

 

ミスティックの叫びが上がる。

 

でも、その声に応える暇すら与えられない。

 

ウソノワールがもう動いている。

間髪入れず、一直線にミスティックへ。

 

目で追おうとした瞬間には、もう目の前にいた。

 

「っ!!!?」

 

反射的に防御の構えを取るミスティック。

その判断は正しかったはずなのに――

 

意味がなかった。

 

腕が薙ぎ払われる。

それだけで衝撃が伝わる。

 

防御の上から力がそのまま叩き込まれた。

ミスティックの身体が、地面へと叩きつけられる。

 

「ああああっ!!ぐっ……!!」

 

苦痛に歪む声が胸に突き刺さる。

防いだはずなのに、防げていない。

 

そんな理不尽が、目の前で当たり前みたいに起きていた。

 

巨体、重そうな動き。

 

そんな見た目の印象が、完全に裏切られていく。

 

遠距離の光弾だけじゃない。

近距離の体術まで、同じレベルで――いや、それ以上におかしい。

 

「ミスティック!!何なんだよあいつ!?」

 

その問いに、答えなんて出せるはずがない。

 

「強い……ただひたすらに……」

 

それ以外の言葉が、見つからなかった。

強いなんて言葉すら、もう軽く感じる。

 

目の前で起きているのは、戦いじゃない。

ただ一方的な、蹂躙だ。

 

絶望という感情が、こんなにもはっきりと形を持つなんて思わなかった。

 

アンサーも、ミスティックも、たった一撃でここまで。 

 

その苦しそうな表情が、まるで自分のことみたいに胸に刺さり、息が苦しい。

 

見ているだけなのに、心臓を握り潰されているみたいだ。

 

「誰もが嘘だと疑いたくなるほど、圧倒的な力を持つ……。あれが、ウソノワール様……」

 

マシュタンの声が、静かに落ちた。

 

否定できない。

あれは、理屈じゃない。

 

完全無欠。

最恐で、最悪の厄災。

 

純粋な暴力そのものが、形を持って立っている。

 

――まさに鬼神。

 

そんな言葉が頭の中に浮かんで、消えなかった。

 

マコトジュエルが、地面に転がったまま光を放っている。

 

あまりにも無防備で、あまりにも小さくて――それなのに、あの場にある中で一番「重い」存在に見えた。

 

その輝きに、吸い寄せられるように、ウソノワールが歩く。

 

一歩踏み出すたびに、空気が沈んでいく。

足音は大きくないはずなのに、地面そのものが軋んでいるみたいに響く。

 

まずい。

頭ではっきりと理解するより先に、身体がそう叫んでいた。

 

――盗られる。

 

「くっ……!」

 

ジェット先輩の声が、歯噛みするように漏れた。

 

わかってる。

行かなきゃいけない。

 

でも、動けない。

 

あの圧力の前に出ればどうなるか、もう嫌というほど見せつけられている。

 

守ろうとしたところで、簡単に弾き飛ばされるだけだ。

 

それでも足が、前に出ない。

 

その瞬間だった。

 

「ポチ!!」

 

小さな声が、空気を裂いた。

 

「……え?」

 

視界の端を、何かが駆け抜ける。

 

「ポチタン!?」

 

ジェット先輩の驚きが、その正体を教えてくれた。

 

止める間もなかった。

ポチタンが、たった一匹でウソノワールへと向かっていく。

 

迷いなんて、微塵もない動きだった。

 

「ダメ!戻って!!」

 

思わず叫んでいた。

 

届かないとわかっていても、叫ばずにはいられなかった。

 

無謀すぎる。

あんな小さな身体で、あの怪物に立ち向かえるわけがない。

 

ただの自殺行為だ。

 

それなのに、ポチタンは引き返さない。

 

マコトジュエルの前に辿り着くと、小さな手を精一杯広げて、立ち塞がった。

 

たったそれだけの仕草なのに。

どうしてか、目が離せない。

 

「時空の妖精……」

 

ウソノワールの声が低い。

その一言に、わずかな感情が混じった気がした。

 

驚きとも、別の何かとも取れる、微妙な揺らぎ。

 

「「ポチタン!!」」

 

アンサーとミスティックの叫びが重なった。

 

二人とも、満身創痍のはずなのに、それでも声を張り上げている。

でも、ポチタンは動かない。

 

震えていない。

怯えていない。

ただ、そこに立っている。

 

あの圧倒的な暴力の前に、小さな身体一つで。

 

「どこまでも邪魔を……」

 

ウソノワールの機嫌が、はっきりと悪くなったのがわかった。

見えない圧力が、押し潰すように周囲へ広がっていく。

 

「ポチ!」

 

それでも、ポチタンは引かない。

 

その小さな声が強く響いた。

 

何かある。

ウソノワールとポチタンの間に、ただの敵味方じゃない、もっと別の何かが。

 

因縁、とでも呼ぶべき何かが、確かにそこにある気がした。

 

――でも、今はそんなことを考えている場合じゃない。

 

「ウソノワール!あなたはどうしてマコトジュエルを盗ろうとするの!?」

 

アンサーの声が、痛みを押し殺しながらもまっすぐに届いた。

 

その問いに、ウソノワールは一切の間を置かずに答える。

 

「世界を私の嘘で覆う。私の思うがままの世界にするために」

 

その言葉が、頭の中で反響した。

 

嘘で、世界を覆う。

ニジーが言っていた目的と、完全に一致する。

 

冗談じゃない。

そんなもの、世界じゃない。

ただの歪みだ。

 

聞いているだけでまともな理屈じゃないことくらい、誰にだってわかる。

 

「嘘で覆う……!?」

 

「思うがままの世界……!」

 

二人が言葉を失う。

特にアンサーは、嘘を何より嫌っている。

 

その彼女にとっては、存在そのものを否定されるような話だ。

ウソノワールは、そんな反応すら興味なさそうに見下ろしていた。

 

「消え去るお前たちに……特別に私の力、見せてやろう」

 

ぞくり、と背筋が凍る。

 

――まだ、あるの?

 

心の中で、思わず呟いていた。

あれだけの力を見せつけておいて、まだ終わりじゃない。

 

次に何が来るのか想像もつかない。

本気で、命の危険を感じている。

 

それなのに――ほんの少しだけ、その「先」を見てしまうことに抗えない自分がいる。

 

理解できないものの正体を、知ってしまいたいという衝動。

その矛盾が、余計に恐怖を増幅させていた。

 

――バチン。

 

乾いた音が、空気を切り裂いた。

 

ウソノワールが、指を鳴らす。

 

そして――

 

「……ん?」

 

「……あれ?」

 

場違いな声が、すぐ近くで上がった。

 

そこにいたのは。

 

仲睦まじくアイスを分け合っていた、見慣れた二人組。

 

一瞬、理解が追いつかない。

でも、すぐに思い出す。

 

「……あのバカップルだ!」

 

思わず口から出ていた。

 

「瞬間移動させたのか!?」

 

そうとしか考えられない。

ついさっきまで、まことみらい市のどこかで、いつも通りイチャイチャしていたはずの二人が、いきなりここにいる。

 

結界の中に、本来なら無関係の一般人には認識できないはずの場所に人を、空間ごと引き寄せる。

 

そんなことまでできるのか。

 

「「わああああああ!!?」」

 

二人が同時に絶叫。

 

いきなり知らない場所に放り込まれて、目の前にはあの異様な存在。

 

恐怖で叫ぶその声が、場の異常さをさらに際立たせる。

 

ウソノワールは一体、何をするつもりなのか。

 

「ちょっと何ここ!?ダーリン怖い~!!」

 

「大丈夫だよハニー!僕がついてるから!」

 

甲高い声が、場違いなくらい明るく響く。

 

その返答も、いつも通りで――こんな状況じゃなければ、思わずため息でもついていたかもしれない。

 

でも今は、そのやり取りすら現実味がなかった。

 

ついさっきまで普通の場所にいたはずの二人が、いきなりこの結界の中に放り込まれている。

 

その異常さに対して、あまりにも普段通りすぎる反応が逆に不気味だ。

 

――どうして、この二人なんだろう。

 

考えがそこに引っかかった。

 

無関係の一般人。

しかも、特別な力を持っているわけでもない。

 

ただの、どこにでもいるカップル。

 

そんな二人を、わざわざここに連れてくる理由が、わからない。

 

「この空間に引き込んで、何をするつもりだ!?」

 

ジェット先輩の鋭い問いが飛ぶ。

でも、ウソノワールは答えない。

 

視線すら向けないまま、ゆっくりと手を持ち上げる。

その動きだけで、空気が張り詰めた。

 

「嘘よ覆え。お前たちは嫌い合い罵り合う」

 

命令でも、宣言でもない。

ただ事実を置くみたいに、軽く。

 

――その瞬間、

 

二人の動きが止まった。

 

ぴたりと。

さっきまで騒いでいたのが嘘みたいに、大人しくなる。

 

そして、瞳が赤く染まる。

 

それを見た瞬間――胸の奥を、何かに掴まれた。

 

ぐっと、強く。

息が一瞬止まる。

 

「……っ」

 

声にならない。

 

ただ、不快感だけが身体の奥から込み上げてくる。

 

気持ち悪い。

見ているだけなのに、何かが内側に入り込んでくるような感覚。

 

心の輪郭を、無理やり歪められるような――そんな嫌悪感。

 

(何……この違和感……?)

 

周りを見る。

アンサーも、ミスティックも、ジャックたちも、誰もこんな反応をしていない。

 

普通に状況を見ている。

この異様な感覚を感じているのは――私だけ?

 

「ちょっと離れてよ暑苦しい!」

 

思考が途切れた。

さっきまで抱き合っていたはずの二人が、急に距離を取る。

 

「それ僕のセリフだよ!」

 

「はぁ?マジありえないんだけど!」

 

声の温度がまるで違う。

さっきまでの甘ったるさが、完全に消えている。

 

代わりにあるのは、露骨な嫌悪と苛立ち。

あれだけ愛し合っていたはずの二人が、まるで最初からそうだったかのように、互いを拒絶している。

 

これは――

 

「急に喧嘩を?」

 

「どうして?」

 

二人の戸惑いが、そのまま言葉になっていた。

 

「心を操られているのか!?」

 

洗脳。

確かに、それが一番しっくりくる。

 

でも――

 

「いいえ、ウソノワールの嘘に覆われたの」

 

アルカナ・シャドウの声が、静かに割り込んだ。

その一言が、背筋を冷たくなぞる。

 

「な!?」

 

「嘘で覆われた!?」

 

さらに驚きが重なる。

 

私の中でも、その言葉が引っかかった。

 

嘘で、覆う。

さっきから何度も出てきている言葉。

 

でも、今目の前で起きているのは、単なる思考の誘導なんかじゃない。

 

もっと根本的な何かが書き換えられているような――。

 

その時、ウソノワールが両手を打ち鳴らした。

 

乾いた音が場に響き、二人の瞳の赤が消えた。

同時に――姿が、消える。

 

そこに「いた」という事実ごと、切り取られたみたいに。

 

いや違う、消えたんじゃない。

元の場所に、戻された。

 

そう理解するまでに、少し時間がかかった。

 

「ウソノワールが言った嘘が、本当になるってこと!?」

 

ミスティックの声に、ウソノワールは淡々と答えた。

 

「今は僅かな時間のみ。だがマコトジュエルの力があれば、私の嘘は永遠に続く。私の嘘が真実となる!」

 

理解したくないのに、理解できてしまう。

洗脳なんかじゃない。

 

「嘘」を現実にする。

起きている出来事そのものを書き換える――現実改変。

 

そんな言葉が、頭に浮かんだ。

 

もし、あれが完全になったら。

 

この世界の全部が「嘘」で塗り替えられる。

 

正しいとか間違っているとか、そういう次元じゃない。

 

存在そのものが、好き勝手に上書きされる。

あまりにも規模が大きすぎて、逆に実感が湧かない。

 

恐怖すら通り越して、思考が一瞬空白になった。

 

「ポチポチ!!」

 

小さな声が、その空白を引き裂く。

 

ポチタンが、必死にマコトジュエルの前で踏ん張っている。

あの力を見せられた後で、なお守ろうとしている。

 

「そこを退け。マコトジュエルを移動させる、忌々しき時空の妖精よ」

 

ウソノワールの声が、さらに低くなった。

 

明確な敵意。

まだポチタンは動かない、逃げない。

 

小さな身体で、立ち続けている。

 

――すごい。

 

心の底から、そう思った。

 

私だったらきっと無理だ。

 

あの圧力の前に立っただけで、足がすくんで動けなくなる。

怖くて、逃げ出したくなる。

 

なのにポチタンは、あんなにも小さいのに、絶対に退かない。

 

「マコトジュエルの欠片をお前が移動させ、何処の地で、元の巨大なマコトジュエルに戻しているのだろう?」

 

「「「え!?」」」

 

誰かの声と、自分の中の驚きが重なった気がした。

 

ポチタンが吸収していたマコトジュエル。

ずっと、力として蓄積しているんだと思っていた。

 

そうやって、何かしらの形で使うために抱え込んでいるのだと。

 

しかし、吸収されたそれは――どこかへ送られている。

そして、本来あるべき「マコトジュエル」に戻っている。

 

頭の中で、点と点が繋がる。

 

『ジュエルを在るべき場所へ戻す力』

 

アルカナ・シャドウが言っていたあの言葉の意味が、今になってようやく理解できた。

 

「ポチタンが、マコトジュエルを!?」

 

「ホント、何も知らされてないのな。相変わらずロンドンのお仲間は、秘密が好きだぜ」

 

ゴウエモンの軽い口調が、逆に現実味を帯びていた。

 

これはジェット先輩ですら知らない。

つまり、意図的に隠されていた情報。

 

ロンドンのキュアット探偵事務所――そこがどれだけ秘密主義なのか、今さらながら思い知らされる。

 

そういえば、手紙もまだ届いていない。

本来ならそこに書かれていたはずの「真実」を、私たちは何も知らないままここに立っている。

 

ポチタンは動かない。

真実を暴かれても、何も言い返さず、ただそこに立ち続けている。

 

その小さな背中が、やけに大きく見えた。

 

そして、ウソノワールの気配が変わる。

 

「邪魔をするなら、消す」

 

短い一言。

 

かざされた手に、力が集まっていくのがわかった。

 

禍々しい光が圧縮されていくのが、はっきりと見える。

空間そのものが歪み、その周囲の空気が悲鳴を上げているみたいだった。

 

――あれを受けたら。

 

考えるまでもない。

跡形もなく消える。

ポチタンの小さな身体なんて、一瞬で。

 

そう理解した瞬間、身体が動いていた。

 

「っ……!!」

 

身体が震える。

本能が、全力で警鐘を鳴らしている。

 

「おい、みのる!!?」

 

ジェット先輩の声が背中から飛んでくる。

 

足が、勝手に動いていた。

 

考えたわけじゃない。

ただ、頭の奥に引っかかっていた言葉が、強く浮かび上がった。

 

――ウソノワール様は、私に興味を持っている。

 

あれが、本当なら。

 

これは賭けだ、外れれば終わる。

ポチタンと一緒に消える。

 

「む……」

 

ウソノワールの声が、わずかに変わる。

 

「ポ……ポチ!?」

 

ポチタンの驚きが、すぐ後ろから聞こえた。

 

私は、その前に立っていた。

ウソノワールとポチタンの間に。

 

庇うように、逃げ道を塞ぐように。

 

「花崎みのる……」

 

名前を呼ばれる。

それだけで、鳥肌が立った。

 

「みのる!?」

 

「ダメ!!みのる!!戻って!!」

 

アンサーとミスティックの叫びが響く。

でも、足は動かない。

 

目の前の存在から、視線を逸らすこともできない。

 

ウソノワールの手に集まっていた光が、消えた。

ゆっくりと、手が下ろされる。

 

――攻撃が止まった。

私の賭けは、当たった。

 

「やっぱり……そうなんだね。ウソノワールは、私を殺せない」

 

自分でも驚くくらい、声は震えていなかった。

 

「「え!?」」

 

「どういうことだ!?」

 

私は、ゆっくりと息を吸う。

 

今でも足は震えそうだ。

それでも、言葉を繋ぐ。

 

「ずっとおかしいって思ったんだよ。なんでプリキュアでもない、妖精でもない私に、ウソノワールが興味を持っているなんて……」

 

自分でも曖昧だった違和感。

でも、今ならわかる気がした。

 

「それが、どうした?」

 

低い声が返ってくる。

揺さぶりも、否定もない。

 

ただ、続きを促すだけ。

 

「日常でも違和感を感じることはあった。私は人間だけど、普通の人間とは違うところがあるし、気になることはある」

 

言葉にしながら、確信が強くなっていく。

 

「だから今確認してわかった。私を殺せないほどの理由がある。そうなんでしょ?」

 

静寂。

 

一瞬の、重たい間。

 

「それについては、何も知らんな」

 

あっさりとした否定だった。

 

でも――

 

(嘘だ)

 

なぜか、そう思った。

 

確証はない。

でもあの反応は、完全な無関心じゃない。

 

何かを、隠している。

 

「……………」

 

言葉が続かない。

睨み合いのような沈黙が流れた。

 

「退かぬか。ならば、止むを得ん」

 

その一言で、空気が一変する。

 

「!!!」

 

再び手が上がる。

 

さっきよりも濃い、禍々しい光。

 

圧縮されていく力が、さっきよりも「殺意」を帯びていた。

 

――ダメだ、今度は本気で殺される。

 

「ポチタン!!みのる!!」

 

アンサーとミスティックの声が重なり、二人が走り出すのがわかる。

 

傷だらけの身体で、それでも迷いなく。

私たちを助けるために。

 

「アンサー……ミスティック……」

 

名前を呼んだはずなのに、声は自分でも驚くくらいかすれていた。

 

喉の奥で引っかかって、ちゃんと届いているのかもわからない。

 

「ポチ……!」

 

すぐ後ろで、ポチタンの小さな声が震える。

手にマコトジュエルを握りながら。

 

二人が来る。

 

傷を押して、それでも来てくれる。

 

その事実が、胸の奥に沈んでいく。

 

温かくて、痛くて、情けなくて、ごめんと思う。

ありがとう、とも思う。

 

どちらが先なのか、自分でもよくわからなかった。

 

「まだ来るか……」

 

ウソノワールの視線が私たちから外れた。

 

狙いがプリキュアに向き、光が放たれる。

 

赤色の光弾が一直線に走る。

軌道なんて読む余地もない。

 

ただ「当たる」と確信できる速さで迫ってくる。

 

当たれば、終わる。

見ているだけで、そう断言できる威力だ。

 

でも――

 

「ミスティックリフレクション!!」

 

声と同時に、宝石のように輝く障壁が展開。

 

光弾がぶつかった瞬間、爆ぜた衝撃が空気を押し広げ、遅れて轟音が耳を打つ。

 

バリアは割れない。

きしむように軋みながらも、確かに攻撃を受け止めていた。

 

その隙に、煙が立ち込める。

白い煙が視界を覆い、何も見えなくなる。

 

――そこから影が飛び出した。

 

「はあああ!!」

 

アンサーだ。

煙を利用して視界を奪う。

 

あの一瞬でそこまで考えて動いている。

 

距離はほぼゼロ、拳が振りかぶられる。

そこに、全てを込めるみたいに。

 

「アンサーアタアアアアアック!!!」

 

叫びと同時に拳が叩き込まれた。

 

確かに直撃した。

手応えがあったはずだ。

 

でも――

 

「ふん……」

 

あまりにも軽い声。

ウソノワールは、片腕だけでそれを受け止めていた。

 

衝撃はそこで止まる。

まるで、壁にぶつかったみたいに。

 

アンサーの全力ですら、完全に遮断されている。

 

「ポチぃぃ……!」

 

ポチタンの声が、痛いほど胸に刺さった。

 

「………」

 

言葉が出ない。

目の前で起きている現実を、どう受け止めればいいのかわからない。

 

何度も、何度も、みんなは戦ってる。

 

傷だらけになっても、立ち上がって、挑み続けてる。

なのに――私は。

 

(本当に私は……どうしてみんなを助けられないんだろう……)

 

何度も言われてきた。

「そんなことない」って。

 

励まされて、そのたびに頷いてきた。

でも、現実は変わらない。

 

何もできないし、ただ見ているだけ。

その事実が、何度も、何度も胸に突き刺さる。

 

(弱いな……私)

 

視線を落としそうになる。

 

でも――

 

「ポチタンを守る!!みのるを守る!!マコトジュエルを守る!!あなたが望む嘘の世界になんてさせないっ!!!」

 

アンサーの声が強く響く。

その言葉に迷いは一切ない。

 

どれだけ押し返されても、どれだけ傷ついても、あんなにボロボロなのにまだ前に出ようとしている。

 

明智あんなは、立ち止まらない。

 

ただの一人の少女が、圧倒的な存在に何度でも挑む。

その姿が眩しい。

 

「それはどうかな?」

 

しかし、ウソノワールの声が静かに差し込まれ、その僅かな希望すら打ち砕く。

 

「はっ!?」

 

アンサーの息が詰まる。

ウソノワールの目が赤く光る。

 

それと同時に、アンサーの瞳も赤く染まった。

 

プリキュアでも関係ない。

 

あの力は――それほどまでに強大だ。

 

「嘘よ覆え。お前は私に跪く」

 

低い言葉が、現実に食い込む。

 

「うっ……うぅぅ……くっ……!!」

 

アンサーの身体が揺れる。

明らかに何かに抗っている。

 

見えない力に押し潰されているみたいに。

 

膝が震えていた。

落ちそうで、それでも落ちまいとしているのが遠目にでもわかる。

 

「アンサー!!」

 

ミスティックの叫びが上がった。

 

アンサーの膝がわずかに沈む。

身体は言うことを聞かない。

 

ゆっくりとウソノワールの前へと、屈していく。

 

跪こうとしている。

違う、無理矢理跪かされている。

 

それでも完全には崩れない。

震えながらも、必死に抵抗している。

 

理性が、ぎりぎりで繋ぎ止めている。

その姿が、あまりにも痛々しい。

 

「ゔっ゙!!?」

 

息が、止まった。

 

胸の奥を、何かに握り潰されたみたいに急激に締めつけられる。

 

肺に空気が入らない。

鼓動だけがやけに大きく響いて、身体の内側から叩きつけてきた。

 

病気じゃないのはわかる。

でもさっき感じた不快感なんて比べ物にならない。

 

もっと直接的で、もっと暴力的に、内側を侵されている感覚。

 

(なに……これ……っ)

 

視界が揺れる。

足元が消えたみたいに、身体の感覚が曖昧になる。

 

アンサーは、確かに影響を受けている。

 

でも――どうして、私まで?

 

他のみんなは、普通に立っているのに。

 

(どうして……私だけ……!?)

 

理由がわからない。

ただひとつ確かなのは――これも、ウソノワールの力だということ。

 

「ポチ!?」

 

「どうしたみのる!?」

 

声が遠い。

返事をしようとしても、うまく声にならない。

 

ぐらり、と身体が傾く。

倒れる――そう思った瞬間、腕を掴まれた。

 

「しっかりしろ!」

 

ジェット先輩の声と一緒に、身体を支えられる。

そのままゆっくりと地面に座らされた。

 

助かったはずなのに、苦しさは消えない。

むしろ、内側で何かが蠢いているみたいで余計に気持ち悪い。

 

(やっぱり……何かある……)

 

頭の中で嫌な確信が形になっていく。

 

ウソノワールが、私に興味を持っている理由。

それと、これは絶対に繋がってる。

 

「みのるも……何で!?どうなってるの!?」

 

ミスティックの声に、焦りが滲んでいた。

 

「とにかく深呼吸しろ。ウソノワールの目を見るな」

 

ジェット先輩の指示がはっきりと届く。

 

私は言われた通りに視線を落とした。

 

地面を見て、ウソノワールの存在を視界から外す。

そして、ゆっくりと息を吸う。

 

吐いて、もう一度吸って、吐いて――少しずつ、胸の締めつけが緩んでいく。

 

完全じゃないが、さっきよりは楽になった。

 

(本当に……何なの……)

 

理解できないまま、不安だけが残る。

 

その間にも――

 

「ひれ伏せ、プリキュア。お前の行く末は私が決める」

 

ウソノワールの声が、場を支配しようとしていた。

 

「あなたの言うことなんか……聞かない!!」

 

アンサーの叫び。

あの状態でまだ抗っている。

 

身体を無理やり支配されかけながら、それでも意志を手放していない。

 

でも――

 

(時間の問題だ……)

 

そう思ってしまう。

あの力に、一人で対抗できるはずがない。

 

現実がそれを突きつけてくる。

 

「全ては私の手の内だ」

 

冷たい断言。

それに対して、

 

「嫌だ!!私は、自分の足で進むんだ!!」

 

アンサーの声が、ぶつかった。

震えていても、折れていない。

 

「………」

 

ウソノワールが、わずかに沈黙する。

アンサーの強い意志は、ウソノワールの嘘すら退ける。

 

「私の答えは………私が出すんだあああああっ!!!」

 

叫びが空間を裂いた。

その瞬間、何かが弾けた気がした。

 

アンサーの瞳の赤が消える。

縛りつけていた何かが、砕け散る。

 

――嘘が、壊れた。

 

「ウソノワール様の嘘を自力で解いた!?」

 

ジャックの驚愕が、その異常さを物語っていた。

 

ありえない。

あの力を正面から打ち破るなんて。

 

でも目の前で起きている。

アンサーが自分の意志で、あの支配をねじ伏せた。

 

隣にミスティックが並ぶ。

息は荒いし傷だらけ。

 

それでも、二人とも立っている。

 

「嘘の世界になんてさせない!」

 

「それが私たち……」

 

言葉が重なり、身体が光を帯びる。

そのまま、一直線にウソノワールへと突撃。

 

「「名探偵プリキュアだああああああああ!!!!」」

 

叫びが響いた。

揺るがない意志。

 

そのすべてを乗せた突進。

 

――でも。

 

「分からぬ奴らだ」

 

ウソノワールは動かない。

ただ腕を上げる。

 

それだけで――二人の突撃が、また止まる。

 

片腕ずつで受け止められる。

力の流れが完全に断ち切られ、弾き返される。

 

「「きゃあああっ!?」」

 

二人の身体が、宙に弾き飛ばされた。

 

さっきまでの決意も、覚悟も、すべて関係ないみたいに。

 

――まだ届かない。

 

「いつまでも理解に苦しむ連中だ。ならば教えてやる」

 

怒鳴っているわけでもないのに、胸の奥に直接押し込まれるみたいに響いてくる。

 

また空間そのものが歪んだ。

 

アンサーが何かを叫びながら前に出ようとした、その足元がぐにゃりと沈み込む。

 

まるで見えない泥に捕まったみたいに、動きが鈍る。

 

「っ……な、に……これ……!?」

 

その隙を、ウソノワールは見逃さなかった。

 

手を軽く振っただけで、アンサーの身体が吹き飛ばされる。

 

音が遅れて届く。

壁に叩きつけられる鈍い衝撃音。

 

息が詰まるような、苦しげな声。

 

(……うそ……でしょ……)

 

あまりにも、簡単すぎた。

ミスティックがすぐにアンサーの前に立つ。

 

「ウソノワール様……これ以上は!!」

 

ニジーの声も、ウソノワールには届かない。

 

「ウソノワール!!!」

 

ウソノワールは、ほんの少しだけ首を傾げた。

まるで、理解できないものを見るように。

 

ミスティックの周囲の空間が捻じ曲がる。

見えない何かに押し潰されるように、彼女の身体がぎしりと歪んだ。

 

「あ、ああああっ……!!」

 

悲鳴が耳を裂く。

 

私は動けなかった。

足が、地面に縫い付けられたみたいに動かない。

 

助けなきゃ、って思ってるのに。

身体が、言うことを聞かない。

 

こんなの……無理だ。

 

「……やめて……っ……ミスティック……!!」

 

壁に倒れたまま、それでも必死に手を伸ばすアンサー。

 

でも、その手は届かない。

ウソノワールは一歩も動いていないのに、距離なんて関係ないみたいに支配している。

 

ミスティックの身体が地面に叩きつけられた。

息をする音すら苦しそうで、これ以上は持たない。

 

アンサーも動かない。

さっきまであんなに必死に戦っていたのに。

 

「理解したか。力の差というものを」

 

静かに告げられる言葉。

勝ち誇るでもなく、ただ事実を述べるだけの声。

 

それが余計に残酷だ。

 

(……いやだ……)

 

胸の奥がぐちゃぐちゃになる。

 

恐い、悔しい、信じたくない。

 

でも、目の前の現実は変わらない。

あんなに強かった二人が、まるで何もできずに倒れている。

 

ウソノワールの視線が、ゆっくりと私たちを見下ろしていた。

 

まるで勝敗なんて、とっくに決まっているとでも言いたげに。

 

だけど――

 

「……まだ……終わってない……!」

 

かすれた声と共に、倒れていたアンサーが無理やり身体を起こした。

 

腕は震え、呼吸も乱れている。

それでも、その瞳だけはまだ消えていなかった。

 

(アンサー……!)

 

ミスティックも苦しそうに息を吐きながら、ゆっくりと立ち上がる。

 

「こんなところで……諦めるわけには……いかない……っ」

 

二人は互いに視線を交わすと同時に駆け出した。

 

地面を蹴る音が響く。

さっきまでのダメージを感じさせないほどに、全力だ。

 

左右から挟み込むように攻め込む。

アンサーの拳が一直線にウソノワールの顔面を狙い、ミスティックが下から蹴りを放つ。

 

だけど、ウソノワールは避けなかった。

その場から一歩も動かず、空間がまた歪む。

 

「っ……!?」

 

拳が届く寸前で止まった。

 

見えない壁に阻まれたみたいに、それ以上進めない。

 

ミスティックの蹴りも同じだった。

足先が空中で固定され、身体ごと制止される。

 

(また……!?)

 

そして二人まとめて吹き飛ばされた。

 

轟音。

床を転がる音が、痛々しく響く。

 

「がっ……は……っ!」

 

「う……あ……っ」

 

息すらまともにできていない。

それでも二人は立ち上がる。

 

「はああああっ!!」

 

叫びながら再び突撃する。

今度はフェイントを混ぜながら距離を詰める。

 

右、左、低く滑り込んでの蹴り。

 

ウソノワールの表情は変わらない。

つまらなそうですらあった。

 

そしてアンサーの身体が、不自然に浮いた。

 

「え――」

 

言葉を最後まで言う暇もない。

見えない力に持ち上げられ、そのまま地面へ突き落とされる。

 

鈍い衝撃音に、思わず肩が跳ねた。

 

「アンサー!!」

 

ミスティックがすぐに飛び出す。光を纏わせた掌で攻撃を放つ。

 

一直線に伸びる光。

けれど、それすらウソノワールの前で霧散した。

 

何事もなかったかのように、跡形もなく消える。

 

「そんな……っ」

 

動揺したミスティックのわずかな隙に、ウソノワールが腕を振った。

 

それだけで、ミスティックの身体が横殴りに吹き飛ぶ。

 

壁に激突する嫌な音。

ずるずると崩れ落ちる姿。

 

「どうやって勝つんだよ……こんな化け物……!?」

 

「ポチ………」

 

絶望、それしか言葉がない。

 

「やめて……!!」

 

気づけば叫んでいた。

でも届かないし、何も変わらない。

 

二人は満身創痍だ。

立ち上がるたびに、確実に動きは鈍くなっている。

 

それなのに。

 

「まだ……!」

 

膝をつきながらも、また立つ。

ミスティックも壁に手をついて身体を起こす。

 

「負け……ない……っ」

 

声は震えていた。

強がりじゃない。

 

本気で、最後まで戦うつもりなんだ。

 

だからこそ、見ていて苦しかった。

 

立ち上がる度に、もっと深く傷つくことがわかっている。

 

なのに止まらないそのひたむきさが、眩しくて、痛くて。

 

私は、何もできないまま、その場に立ち続けていた。

 

(もうやめてよ……)

 

でも勝てない。

どう見ても勝てない。

 

攻撃は一発も届かないし、近づくことすら許されない。

 

それでも二人は何度倒されても、何度吹き飛ばされても、立って、走って、攻撃して、そしてまた叩き潰される。

 

その繰り返し。

まるで終わりのない悪夢だ。

 

「……愚かだな」

 

初めて、ほんの少しだけ呆れたような声色が混じった。

彼にとってこれは戦闘ですらないのかもしれない。

 

ただ、抵抗する弱者を処理しているだけ。

その事実が、何より酷い。

 

必死に立ち上がった瞬間、ウソノワールの光弾が二人に向かって容赦なく直撃し、爆炎が広がる。

 

「「っ……………」」

 

もう悲鳴すら聞こえない。

煙の中から二人が勇敢に飛び出す姿は、もうなかった。

 

ついにアンサーが膝から崩れ落ちる。

ミスティックもその場に倒れ込んだ。

 

もう、立ち上がれない。

 

肩が上下しているだけで精一杯に見える。

 

(終わった……)

 

頭の中が真っ白になる。

二人は本当に、何もできなかった。

 

一撃すら……たったの一撃すら、ウソノワールに与えられないまま、圧倒的な力の差だけが無慈悲にそこに残っている。

 

「消えろ」

 

ウソノワールの拳に、あの禍々しい力が収束していく。

 

紫の光が凝縮され、空気が軋む。

 

踏み込んだ足元の地面が砕け、破片が跳ね上がる。

 

次の一撃で終わる。

 

理屈じゃなく、そう確信してしまうほどの圧だ。

 

アンサーとミスティックが、息を呑む。

 

「「!!」」

 

でも、動けない。

もう避けるだけの体力が残っていないのが、遠目でもはっきりとわかった。

 

振り下ろされる拳を、ただ見ているしかない。

 

「――っ」

 

時間が、やけにゆっくり流れた。

 

迫ってくる拳が鮮明に見える。

空気を引き裂きながら落ちてくる軌道、そのすべてが、逃げ場のなさを突きつけてくる。

 

「な……!!?」

 

ジャックの声が裏返る。

 

「ポチ!!?」

 

ポチタンの悲鳴。

 

(もう見てられない!!)

 

本能が、視線を逸らせと叫んでいた。

 

目を閉じろ、と。

見れば、壊れる、と。

 

それでも歯を食いしばる。

 

視線を、逸らさない。

 

二人があれだけの痛みを背負って、立ち向かっていたのに、私だけが逃げるなんて……そんなこと、できるわけがない。

 

(でも……もう!!)

 

――ガチン!!

 

甲高い音が、空間を叩き割った。

 

同時に、爆風が弾ける。

衝撃が遅れて押し寄せ、髪が乱れ、視界が揺れる。

 

でも――違う。

 

聞こえるはずの音じゃない。

何かを叩き潰す音じゃない。

 

「……え?」

 

目の前の光景に、思考が止まった。

 

ウソノワールの拳は――止まっている。

 

アンサーにも、ミスティックにも、届いていない。

 

その間に一人、割って入っていた。

 

「「!!?」」

 

二人の衝撃が重なる。

 

「貴様……」

 

ウソノワールの低い声。

 

その拳を受け止めているのは――アルカナ・シャドウ。

 

ティアアルカナロッドが鈍く光を放ちながら、あの一撃を受け止めているた。

 

(なんで……アルカナ・シャドウが!?)

 

敵のはずだ。

怪盗団ファントムの一員で、さっきまで対峙していた相手。

 

その彼女が今、アンサーとミスティックを庇っている。

 

意味がわからない。

でも確かなのは、その一撃が届かなかったということ。

 

頭が処理を拒否する。

ただ、目の前の事実だけが突きつけられる。

 

アルカナ・シャドウの表情が歪んでいる。

これまで見せてきた余裕なんて、どこにもない。

 

食いしばった歯、震える腕、額から流れる冷や汗。

 

あの一撃を受け止めている。

それだけで限界に近いのが伝わってくる。

 

アンサーとミスティックを軽くあしらっていたあの彼女が、今は明らかに押されている。

 

ウソノワールの力が、それだけ異常だという証明みたいに。

 

それでも退かない。

敵であるはずの二人の前に、立ち続けている。

 

それが何を意味するのか、考えるまでもない。

 

裏切り。

ウソノワールの目の前で、それをやる。

 

その先に何があるかなんて、想像するまでもない。

 

「っ………未来自由の書が……」

 

アルカナ・シャドウの声がかすれた。

その言葉に反応するように、ニジーが動く。

 

未来自由の書を開き、そのままウソノワールへと向ける。

 

本が淡い光を放つ。

ページが揺れ、そこに何かが――書かれていた。

 

光の中に浮かび上がる文字が現実に干渉しようとしているみたいに、じわじわと存在感を増していく。

 

「ほう……」

 

ウソノワールが、僅かに興味を示した。

 

未来自由の書に目を落としたウソノワールは、ほんの一瞬だけ沈黙。

 

あれほどの圧を放っていた存在が、紙の上の文字を読むだけで静かになる。

 

その違和感に、呼吸を忘れそうになる。

 

やがて、ぱたりと本が閉じられた。

 

「『今はこのまま去れ』と記されている」

 

その内容を理解した瞬間、頭が追いつかなかった。

 

「え!?」

 

ニジーの驚きが、そのまま場の空気を代弁している。

 

去れ?

今、この状況で?

 

あれだけ追い詰めて、あと一撃で終わるところまで来ていたのに。

 

ウソノワールは、迷いなく踵を返した。

本当に、それだけ。

 

まるで最初から戦う理由なんてなかったかのように、あっさりと。

 

「……は?」

 

声にならない声が、喉の奥で引っかかる。

 

さっきまでの殺意は何だったのか。

あの圧倒的な力は何だったのか。

 

アンサーもミスティックも、呆然と立ち尽くしている。

 

当然だと思う。

 

勝ったわけじゃない。

逃げ切ったわけでもない。

 

ただ――終わっただけ。

 

「全ては未来自由の書の為に」

 

背を向けたまま、ウソノワールが言う。

その言葉で少しだけ見えてきた。

 

未来自由の書、あの本に書かれたことをウソノワールは実行しているのであれば、あれだけの戦闘を途中で放棄してでも、従うのはわかる。

 

(この人……)

 

自分の意思よりも、あの本の内容を優先している?

 

そう考えないと、辻褄が合わない。

 

あれだけの優位を捨てて、たった一行の「去れ」で撤退するなんて、普通じゃない。

 

緊張がゆっくりとほどけていく。

でも同時に、別の不気味さが広がっていく。

 

勝ったんじゃない。

ただ、去られただけ。

 

それだけなのに、全身から力が抜けていくのが自分でもわかった。

 

「プリキュア、近いうちにまた会うことになるだろう。未来自由の書に、予言にある」

 

「予言?」

 

アンサーが聞き返す。

その問いに、ウソノワールは応じた。

 

まるで、それを伝えることも「決められている」かのように。

 

低くゆっくりと、その予言を読み上げる。

 

――

1999年、七の月。

真の地で、真実の石を抱くもの大王となる。

そして、世界が嘘の影で覆われる。

――

 

言葉が空気に沈んでいく。

 

どこかで聞いたことがある。

というか――

 

「ノストラダムスの大予言……」

 

今まさに話題になっているあの予言。

世界の終わりを示唆する有名な言葉。

 

それとほとんど同じ内容。

 

背筋が冷たくなる。

もしこれが本当に現実になるなら。この街どころじゃない。

 

世界そのものが終わるのではないか?

 

さっきの襲撃でさえ前座?

本番はその先?

 

想像したくないのに、頭が勝手に広げてしまう。

 

「私は大王となり、世界を嘘で覆う。次に会う時が、世界とお前たちの終わりとなるだろう」

 

迷いのない声。

それが、余計に現実味を帯びていた。

 

そして――緑色の炎が揺らめく。

ウソノワールの身体を包み込み、そのまま掻き消すように、姿を消した。

 

残されたのは、静寂だけ。

 

「やれやれ……」

 

ニジーの気の抜けた声が、ようやく現実に引き戻してくれる。

 

他の幹部たちも、同じように炎に包まれて消えていく。

一人、また一人と。

 

全てが消えたとき、ようやく理解した。

 

――終わった。

地獄みたいな時間が。

 

ポチタンの手には、マコトジュエルがしっかりと残っている。

 

奪われてはいない。

それでも胸に残るのは、安堵じゃなかった。

 

敗北感、美術館のときと同じ。

何もできずに、ただ叩きのめされて去られた。

そんな感覚だけが、重く沈んでいる。

 

「……あの!ありがとう、助けてくれて!」

 

アンサーの声に視線を向けると、アルカナ・シャドウが立っていた。

 

敵のはずの存在。

でも、さっきは確かに二人を救った。

 

「勘違いしないで。ただ、予言が出たから……」

 

素っ気ない返答。

けれど、その言い方が逆に現実的だった。

 

未来自由の書が何かを示したから戦いを中断させた。

そう言えば、裏切り行為には見えにくい。

 

そういう判断ができる時点で、やっぱりただ者じゃない。

 

「それに、私にはやることがある。邪魔をしないで」

 

それだけ言い残して、彼女もまた、炎に包まれて消えた。

 

完全に気配が消える。

 

そして結界が解けた。

 

壊れていたはずの建物も、元の姿を取り戻していく。

 

鮮やかな日常が、何事もなかったかのように戻ってきた。

 

――でも。

 

私の中には、何も戻ってこなかった。

 

あの圧倒的な存在を前にして、何もできなかった。

 

声を上げることしかできなかった。

 

二人が傷だらけになっていく様を、ただ見ていることしかできなかった。

 

その事実だけが、日常の色を取り戻した街の中で、ひとつだけ消えずに残っていた。

 

 

_______________

 

 

 

マコトジュエルは無事に回収できた。

ロボットのぬいぐるみも、傷ひとつなく返すことができた。

 

それだけ見れば、事件はちゃんと解決したはずだった。

 

なのに、胸の奥に残っているのは達成感じゃない。

重たい何かが、ずっと沈んでいる。

 

ウソノワールの襲撃。

あれで、終わったわけじゃない。

 

むしろ――始まってしまった。

 

「1999年七の月の大王……つまり、今年の7月にウソノワールが大王になって、嘘で世界を覆うってこと!?」

 

あんなの声が、中庭に響く。

 

夕日が差し込むこの場所は、いつもなら穏やかな空気が流れているのに、今日はどこか張り詰めていた。

 

「うーん……」

 

誰も、はっきりとした答えなんて持っていない。

ただ、あの予言の言葉だけが、頭の中で繰り返されている。

 

ポチタンが、あんなに何かアピールしていた。

 

「ポチポチ!」

 

「あ、そうだね。マコトジュエル」

 

そういえば、まだ回収していなかった。

彼女はそっと、マコトジュエルをポチタンの胸元に当てる。

 

「ポチポチ!キュアキュア!」

 

淡い光がふわりと広がり、マコトジュエルが、ゆっくりとポチタンに吸い込まれていく。

そのまま、跡形もなく消えた。

 

これで、回収された。

 

でも――

 

(どこに行ってるんだろう……)

 

ふと、そんな疑問が浮かぶ。

吸収されたマコトジュエルは、世界のどこかで元の大きなジュエルに戻る。

 

じゃあ、その「元」はどこにあるのか。

どこかに存在しているはずなのは確かだが……。

 

「ポチタンはマコトジュエルを元に戻していたんだね」

 

「ポチ?」

 

あんなの言葉に、ポチタンは首を傾げる。

 

「まあポチタンもよくわかってないみたいだけど」

 

みくるが苦笑した。

その反応を見る限り、自覚はなさそうだ。

 

人間で言えば、まだまだ幼い。

自分が何をしているのか、どういう存在なのか、完全には理解していない。

 

そのすぐ裏に、あの光景が蘇る。

 

ウソノワール。

あの圧倒的な力。

 

「とにかく、マコトジュエルをウソノワールに渡すわけにはいかない。嘘で覆われた世界だなんて……」

 

あんなの声が強くなる。

その言葉に、誰も反論しない。

 

嘘で覆われた世界。

具体的にどんなものかはわからない。

 

でも、名前だけでわかる。

まともじゃない。

 

そんな力を、あの存在が自由に使えるようになったら。

 

――どうなるのかなんて、考えたくもない。

 

「っ………」

 

無意識に胸に手を当てていた。

さっきの感覚が蘇る。

 

アンサーが嘘に覆われかけたとき、どうしてか私まで影響を受けた。

 

あの締めつけられるような感覚。

息ができなくなるほどの圧迫。

 

(なんで……私まで……?)

 

未だ理由がわからない。

 

ただの人間だから耐性がなかった?

それだけじゃない気がする。

 

(私の身体に……何があるの?)

 

考えれば考えるほど、嫌な予感が強くなる。

 

もともと自分はどこか普通じゃない。

そう感じることは、今までも何度かあった。

 

だからこそ――無関係だとは思えない。

 

夕日がじりじりと傾いていく。

みんなの声が、どこか遠くなる。

 

その中で私だけが、答えの出ない問いを抱えたまま、立ち尽くしていた。

 

「ポチ~!」

 

ポチタンの明るい声が、思考を引き戻す。

 

あんなの表情はまだ少し硬い。

それを見て、ポチタンはぴょんと跳ねて、そのまま胸元へ飛び込んだ。

 

甘えるみたいに、くっつく。

 

そのまま――

 

「……あんな!」

 

一瞬、何が起きたのかわからなかった。

 

「「えっ!?」」

 

あんなとみくるの声が重なる。

 

当然だと思う。

だって、今ポチタンが、はっきりと――名前を呼んだ。

 

「今あんなって……!」

 

ついさっきまで「ポチ」くらいしか話せなかったポチタンが、はっきりと名前を呼んだ。

 

「あんな!あんな!」

 

嬉しそうに何度も繰り返す声。

それを聞いた瞬間、あんなの表情がぱっと明るく弾けた。

 

「きゃああああ!ポチタン!」

 

勢いよく抱き上げる。

ポチタンも負けじと抱きついて、満面の笑みを浮かべた。

 

「ポチ!」

 

その光景は、さっきまでの戦いが嘘みたいに穏やかで温かかった。

 

傷だらけだった二人の心を、ゆっくりとほぐしていくみたいに。

 

(……よかった)

 

素直にそう思えた。

 

「マコトジュエルで成長して、おしゃべりができるようになったのか!?」

 

「マコトジュエルをいくつか回収し続けて成長できたってことだね」

 

自分で言いながら、少しだけ納得する。

 

ただ回収するだけじゃない。

その度に、ポチタン自身も変わっていく。

 

「そうみたい!はなまる嬉しい!」

 

あんなが満面の笑みで頷いた。

その様子を見ていると、自然と頬が緩みそうになる。

 

マコトジュエルはただの鍵じゃない。

集めることで、確実に力が積み重なっていく。

 

それはポチタン自身の成長でもあるし、きっとこれからの戦いに必要なものでもある。

 

「ジェット!」

 

「あ!ボクの名前も!」

 

ポチタンが次にジェット先輩を指さして呼ぶ。

一気に場が賑やかになった。

 

「みのる!」

 

「私の名前まで……!」

 

思わず驚きが声に出た。

 

ちゃんと、覚えてくれている。

 

それが、こんなにも嬉しいなんて思わなかった。

 

正直、私は一番目立たない側だと思っていたから。

それでも、ちゃんと見てくれていたんだって――胸が温かくなる。

 

「私は?ポチタン!」

 

みくるが身を乗り出す。

期待に満ちた顔。

 

でも――

 

「みるく!」

 

「げ!!!?」

 

一瞬でひっくり返った。

みくるの顔が、見事なくらいに固まる。

 

「みるくじゃなくてみくるね!」

 

必死に訂正するみくる。

だけど、ポチタンはそんなことお構いなしに、

 

「ごばやし!」

 

「……………」

 

完全に方向がズレていく。

 

「ごばやしみるく!みるく!」

 

「ああ……そっちで覚えちゃったんだ……」

 

名前じゃなくて、名字で記憶されているタイプ。

これはこれで、ある意味すごい。

 

「だ~か~らみるくじゃないってばああああ!!!」

 

みくるの絶叫が中庭に響き渡る。

その必死さが、逆に面白い。

 

「良かったな、小林!」

 

「ちゃんと名字で呼んでくれたじゃん、小林!」

 

わざと重ねて言うと、

 

「名字でいじらないでえええええ!!!」

 

頭を抱えて崩れ落ちるみくる。

その様子に、あんなたちの笑い声が弾けた。

 

さっきまでの重たい空気が嘘みたいに消えていく。

 

(……やっぱり)

 

どんなにつらいことがあっても、どんなに大きな問題が目の前にあっても、この子たちはこうやっていつも通り笑える。

それが、どれだけすごいことか。

 

ウソノワールは、本格的に動き始めた。

 

怪盗団ファントムとの戦いは、これからもっと激しくなる。

 

今日みたいな戦いが、何度も続くかもしれない。

 

私はどこまでついていけるのか、正直わからない。

あの力の中で、自分が何をできるのかも。

 

それでも、二人を悲しませるようなことだけは――それだけは、絶対に嫌だ。

 

夕日がゆっくりと沈んでいく。

みくるの叫び声と、あんなの笑い声と、ポチタンの「みるく!みるく!」という無邪気な声が、混ざり合いながら夕空に溶けていく。

 

その光の中で、私の中にひとつの決意が、静かに降りてきた。

 

まだ、何もわからない。

自分の身体のことも、これから何が待っているのかも。

 

答えは、何ひとつ持っていない。

 

それでも――ここにいる。

この人たちの隣に。

 

 

_______________

 

 

 

【ジャックSide】

 

劇場に戻ったとき、ようやく呼吸が整った気がした。

 

さっきまでの戦場の空気とは違う。

 

静まり返った空間。

重厚な内装。

 

けれど、落ち着くはずのその静けさが、逆に耳に残る。

頭の中には、あの光景がこびりついて離れない。

 

花崎みのる。

ただの人間にしか見えない、あの少女。

 

それなのに――

 

「ウソノワール様……先程、花崎みのるを殺そうとしたのは、演技ですよね?」

 

気づけば、口に出していた。

問いかけながら、自分でも半分は答えをわかっている気がしていた。

 

周囲からはみのるを殺そうとしているように見えたかもしれない。

だけど、あれが本気だったとはどうしても思えない。

 

「……好きに捉えると良い」

 

返ってきたのは、曖昧な言葉。

否定も肯定もしない。

 

けれど、それが逆に答えを濁しているように感じる。

 

「ただの人間にしか見えないのですが……あの時キュアアンサーと同時に花崎みのるの様子もおかしかったのは……」

 

言葉を選びながら思い出す。

ウソノワール様が力を使った瞬間、影響を受けたのはキュアアンサーだけじゃなかった。

 

後ろにいたみのるも、苦しそうに、明らかに異常な反応を見せていた。

 

あれは偶然じゃない。

そう思えるだけの「何か」が、確実にあった。

 

ウソノワール様は、あの子に興味を持っている。

それも、ただの気まぐれとは思えないほどに。

 

「お前にだけは、話しておこう。花崎みのるの真実を」

 

その一言で、背筋が伸びる。

 

「……真実」

 

あの少女に、そんな言葉が似合うとは思っていなかった。

 

でも――次の言葉を聞いた瞬間、思考が止まった。

 

「花崎みのるは、______________________________」

 

理解が追いつかない。

いや、理解したくないのかもしれない。

 

「な……!?それは本当ですか!!?」

 

声が勝手に大きくなる。

抑えきれなかった。

 

そんなことが、あり得るのか!?

 

「本当だ。何故なら、私が______________________________」

 

その続きが、さらに現実を歪める。

否定したいのに、できない。

 

それを語っているのが、ウソノワール様だから。

 

「……………」

 

何も言えない。

頭の中で整理しようとしても、うまくまとまらない。

 

ただ、ひとつだけ確かなのは、花崎みのるという存在が、私たちの認識していたものとは全く違うということ。

 

「世界を嘘で覆う為に彼女のマコトジュエルを___、___________________________。全て未来自由の書が示した通りだ」

 

語られる計画。

そこに、一切の迷いはない。

 

未来自由の書、全てはそれに従っている。

 

「花崎みのるは、最初からウソノワール様の掌で転がされているんですね。そしてその正体が_______________」

 

言葉にしながらぞっとする。

最初から全部仕組まれていた。

 

あの少女の行動も、存在も、何もかも。

 

「運命の時はしばし先。しかし、名探偵プリキュア、キュアット探偵事務所の終焉は近い」

 

静かに告げられる終わり。

その言葉が、劇場の静寂に深く沈んでいく。

 

逃げ場はどこにもない。

未来はすでに決まっている。

 

そう言われているようだった。

 

私は、返す言葉を持たなかった。

 

ただ、あの少女の顔が頭の中に浮かんで、消えなかった。

 

戦いは、さらに混沌に包まれていく。

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