かわいいホームズの親友ちゃんは、相棒の座を奪われて焦心苦慮   作:くぁwせdrftgyふじこlp

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お母さんとの思い出

【あんなSide】

 

街の中心を貫くように延びる広い遊歩道は、今日も多くの人で賑わっていた。

 

買い物袋を提げた主婦、自転車を押しながら歩く老人、早足で通り過ぎるサラリーマン。

 

そのすべての人の顔が、私の視界の中を流れていく。

 

「うーん?」

 

「通ったのはこの道?」

 

今日の依頼は、小さな女の子が大切なうさぎの人形をどこかに落としてしまったので、探してほしいというものだった。

 

優しい誰かが拾って交番に届けてくれていたら話は早いのだけれど、とにかく考えているより体を動かした方がいい。

私はそういう考え方をする。

 

「うん。うさちゃん、見つかる?」

 

不安そうに眉を寄せた女の子に、みくるが視線を合わせながら優しく声をかけていた。

私はその間にも周囲へと目を配る。

 

「大丈夫、任せて。私たち探偵だから」

 

みくるの言葉を背中で聞きながら、遊歩道をゆっくりと見渡す。

 

道の真ん中、ベンチの下、植え込みのそば——そうして視線を流していった先、遊歩道の端に設けられた花壇の隅に、ふわりとした白い物が目に飛び込んできた。

 

「あ!」

 

近づいてみるとそれはうさぎのぬいぐるみだった。

 

真っ白な体で、両手にはにんじんのぬいぐるみを抱えている。

見ているだけで頬が緩んでしまうような、愛らしい雰囲気が漂っていた。

 

「これ?」

 

後ろを振り返りながら女の子に問いかけると、

 

「あっ!うさちゃん!」

 

その瞬間の顔が、答えだった。

 

ぬいぐるみを受け取った女の子は、両腕でぎゅっとそれを抱きしめた。

さっきまで泣き出しそうだった表情が、太陽のような笑顔に変わる。

 

——この瞬間が、探偵として一番やりがいを感じる瞬間だと私は思っている。

 

困っている人を助けて、その人が笑顔になる。

そんな小さなことを積み重ねていけば、いつかこの街全体が笑顔で染まるんじゃないかと、そんな途方もないことを考えてしまう。

 

長い道のりだけど、いつかそうなってほしいと、本気で思っている。

 

「どうしてわかったの?」

 

女の子が首を傾けながら尋ねてきた。

 

「物を落とした時は、下を見て探すよね。でも、かわいいものが道に落ちているのを見つけた人は、踏まれたらかわいそうだって、安全な場所に置いてくれているんじゃないかと思って」

 

本来そこにあるはずのない物が落ちていた時、大抵の人はその違和感に気づく。

そして優しい人なら、踏まれないようにもっと目につきやすい場所へと移してくれる。

 

ずっと足元だけを見て探していても見つからないわけだ。

 

周囲をちゃんと見ることの大切さを、この小さな依頼が教えてくれた気がした。

 

「このお人形、とってもかわいいね!」

 

みくるがぬいぐるみを覗き込みながら言うと、女の子は誇らしそうに胸を張った。

 

「お母さんが作ってくれたの!」

 

——お母さんの手作り。

つまり、どこのお店にも売っていない。

 

もし本当になくしてしまっていたら、二度と同じものは手に入らない。

 

女の子があんなに不安がっていた理由が、じんわりと胸に染み込んできた。

 

「世界に一つだけの宝物だね!」

 

「うん!」

 

世界に一つしかない——口に出してみると、良い響きなのに、なぜか少し胸の奥がきゅっとなる。

 

なんでだろう。

うまく言葉にできないのだけど、不思議な感覚だった。

 

「なみちゃーん!」

 

遠くから声がして、こちらに向かって小走りで近づいてくる女性の姿が見えた。

女の子のお母さんらしい。

 

「ありがとうございました」

 

「探偵さん、バイバ~イ!」

 

お母さんが深々と頭を下げ、女の子が元気よく手を振った。

 

「バイバ~イ!」

 

「気をつけてー!」

 

みくると一緒に腕を大きく振って見送る。

だけど、——私とみくる以外の声が、やや低い位置から聞こえてきた。

 

「ばいば~い!」

 

「……?」

 

視線を下に向けると、ポチタンが腕を振りながら見送っていた。

 

何度注意しても、まだ幼いから人前で動いてしまうことが多い。

 

頭が痛い話だと思いながらも、その小さな腕を振る姿がどこか愛らしくて、私は小さくため息をついた。

 

「ぁぁ!!……ばいば~い!」

 

ポチタンの声に気づいた女の子が、不思議そうな顔でぬいぐるみを見つめた。

 

まずいと思ったが、みくるがさっと動いてポチタンの腕を掴み、ぶんぶんと振ってみせた。

 

まるで自分がぬいぐるみを操っているかのように、自然な仕草で。

 

「……」

 

どうにか誤魔化せたらしい。

みくるの機転の速さには、毎回頭が下がる思いだ。

 

「お母さん、私持つ!」

 

お母さんが手にしていた買い物袋に、女の子が手を伸ばしている。

 

「ありがとう。ちょっと重いよ?」

 

「大丈夫、任せて!」

 

お母さんは微笑みながら袋を一つ手渡した。

 

女の子はその重さに少しよろけながらも、誇らしそうな笑顔を浮かべて歩き始めた。

 

「あっ……」

 

その光景に、どこか見覚えがあった。

いや、見覚えどころではない——忘れるはずがない。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

あれは私が1999年にタイムスリップした日。

私の誕生日に、お母さんがたくさんの食べ物とケーキを抱えて家へと帰る途中の、あの日の光景だった。

 

マコトミライタウン。

それは本来私が生きている世界であり、今の1999年からちょうど28年後の未来にある街だ。

 

まことみらい市は大規模な再開発を受け、すっかり巨大な都市へと生まれ変わっていた。

 

観覧車、レンガ倉庫、空へと突き刺さるような超高層ビル——今この遊歩道から見渡せる街並みとは、比べ物にならないほどの規模になっている。

 

あの頃の私にとって、それは夢のような景色だ。

 

『私持つ!』

 

『えっ?』

 

『誕生日パーティー、間に合わないよ!』

 

荷物を抱えて重そうに歩くお母さんの前に回り込んで、半ば強引に袋を受け取り、私は帰路を急いだ。

 

1月の冷たい空気が頬に刺さっても、心の中は不思議なくらい温かかった。

 

あの頃はいつだってそうだった。

お母さんといる時間は、真冬でも春みたいに明るくて温かい。

 

『そんなに急ぐと崩れるって!あんな!』

 

『わかってるって!』

 

吐く息が白く、空へと溶けていく。

早く帰りたくて、早くケーキを食べたくてそわそわしていた。

 

でも——横を向いた時、泣いている女の子が目に入った。

 

その瞬間、足が自然と止まった。

あの時、私の「困っている人を助けたい」という気持ちが、初めてはっきりとした形になった気がする。

 

『ねえ、どうしたの?』

 

『迷子かな?』

 

迷子かとも思ったが、よく見ると女の子のおさげの片方のリボンがなくなっていた。

きっとこれだ、と直感した。

 

『すぐ見つけてあげる!』

 

女の子がはっと顔を上げた。

泣きながらも、その目の中に一筋の光が宿ったような気がする。

 

『私、嘘つかないから!だから安心して!』

 

昔から嘘が大嫌いだった。

他の人が嘘をついているのを見ると、どうしても許せないし、悲しくなる。

 

嘘は人を傷つけるのだと教えてくれたのも、お母さんだった。

 

近くの茂みを覗き込むと、枝にリボンが引っかかっていた。

 

『あったよ!』

 

女の子の顔が、みるみる明るくなる。

 

その笑顔を見た瞬間、もっとたくさんの人を助けたいと思った。

あの気持ちが、今の私の出発点だ。

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

女の子の失くし物を探したこと。

そして、お母さんと並んで帰り道を歩いたこと。

 

今日起きたことと、あの日の記憶が、まるで重なり合うように私の中でゆっくりと溶け合っていく。

 

二つとも、私が確かに体験した出来事だ。

 

お母さんと笑い合った毎日。

お母さんと肩を並べて歩いた道。

 

その温度も、声も、絶対に忘れることなんてできない。

 

……お母さんに、会いたい。

 

「あんな?どうかした?」

 

みくるの声で、我に返った。

 

「ううん!何でもない!」

 

私は笑顔を作った。

 

——嘘をついた。

 

さっきあの親子の姿を見ていた時から、胸の奥がずっとじんじんしている。

 

幸せそうな家族の光景を目にすると、やっぱり寂しくなる。

今なら、みのるの気持ちが痛いほどわかる気がした。

 

何でもないわけがない。

みくると仲直りして、みのるとも少しずつ距離が縮まってから、しばらくは寂しいという感情を感じなくなったと思っていた。

 

でもそれは、感じなくなったんじゃなくて、ただ気づかないふりをしていただけだったのかもしれない。

 

記憶というのは、思い出せない時があるだけで決して消えることはない。

 

そしてそれはきっと——忘れたくないと思っているからこそ、消えずにいてくれるのだと、今さらながらそう思った。

 

 

_______________

 

 

 

【みくるSide】

 

探偵事務所に戻ると、それぞれがそれぞれのペースで時間を過ごしていた。

 

ポチタンは窓際の日だまりの中で丸くなってお昼寝中。

 

みのるは棚や机の周りをせっせと片づけている。

 

ジェット先輩は椅子にゆったりと腰を落ち着けて、のんびりくつろいでいた。

 

私はテーブルの上に商品を広げ、ラッピングの研究を始めた。

今考えているのは、プリティホリックに出品する商品の包み方だ。

 

ジェット先輩が考案した人気商品、「プリティアップフレグランス」を透明な包みにそっと入れて、蓋の部分をリボンでふんわりと結んでみる。

 

うん、これなら見た目もかわいらしくなるし、手に取ってもらいやすくなるんじゃないかな。

 

もっとたくさんのお客さんに届けられたらいいな、なんて思いながら、私はあんなに声をかけた。

 

「こういうラッピングはどうかな?」

 

「うん……………」

 

あれ?

いつものあんなだったら、もっとぱっと明るい声で反応してくれるはずなのに。

 

良くなかったのかな。

それとも、何か別のことを考えてる?

 

そういえばさっき、依頼を解決した後も同じだった。

あの時もどこかぼんやりとして、あんならしくない表情をしていた。

 

ずっと元気だったのに、どうしてだろう。

 

「あんな?」

 

「え?な、何?」

 

呼びかけると、あんなはびっくりしたように顔を上げた。

 

さっきとは打って変わって、今度は強い反応だ。

やっぱり何かおかしい。

 

「何か考え事?」

 

「えっ。あぁ、うん、ちょっとね……あはははは……」

 

笑っているけど、笑えていない。

そんな印象を受けた。

 

「……………」

 

私は何も言えなかった。

 

あんなが何かを抱えているのは伝わってくる。

 

でも疑っているわけじゃない——ただ、1999年から一人でこの時代に来たあんなに、晴れない気持ちがあるのは当然のことだと思う。

 

私にはわからない重さが、あんなの中にはきっとある。

それを無理して誤魔化そうとしているあんなに、深く踏み込む言葉が見つからなかった。

 

「あれ!?キャンディーがない!!何故だ!?」

 

突然、ジェット先輩が大きな声を上げた。

机の引き出しをがらがらと開けて、中を覗き込んでいる。

 

どうやらいつも食べているキャンディーがなくなってしまったらしい。

 

「ジェット先輩が食べたからでしょ?」

 

「たくさん買い置きしておいたはずなのに……」

 

あんなに買い置きしてたのに、もう全部食べちゃったんだ……。

 

寿命とか身体能力とか特殊能力とか、妖精と人間の違いはよくわからないけれど、そんなに甘いものばかり食べていて体は大丈夫なんだろうかと少し心配になる。

 

「妖精だからといって甘い物の食べ過ぎは良くないよ~。糖尿病になったらどうするの?経費も無限じゃないんだから、少しは控え……」

 

「うるさーい!!天才は糖分を消費するんだよ!!」

 

みのるの説教にジェット先輩が言い返した瞬間、みのるが棚から一枚の紙を取り出して、ジェット先輩の目の前にずいっと差し出した。

請求書だ。

 

「そうだけど流石に食べ過ぎ!!見た!?この請求額!!」

 

「うぐっ……!!」

 

一体いくら書いてあるんだろう……。

その紙を目にしたジェット先輩は、みるみるうちに言葉を失って口をつぐんだ。

 

「たくさんあるとたくさん食べちゃうよね。私買ってくるよ!」

 

あんなが立ち上がった。

 

声は明るかった。

表情もいつものあんなのままだ。

 

でも私にはやっぱり、その明るさの奥に何かが見える気がしてならない。

 

「うん?いいのか!」

 

ジェット先輩の表情がぱっと晴れる。

横でみのるが呆れたような顔でその様子を眺めていた。

 

「うん。ちょっと気分転換に行ってきまーす!」

 

あんなは早足で部屋を出ていった。

ドアが閉まる音がして、事務所の中が少し静かになる。

 

「……………」

 

私はただ、その後ろ姿を見送ることしかできなかった。

 

気になっている。

でも、何か言いたいのに言葉が出てこない。

 

追いかけていく勇気もうまく出てこなかった。

 

 

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【あんなSide】

 

気づけば空はずっと青いままだ。

 

さっきまで4月だと思っていたのに、もう5月に入ってからしばらく経つ。

 

そう考えると、一年というのは本当にあっという間だな、と少しぼんやりした気持ちで思った。

 

ジェット先輩のキャンディーを買ってくる、なんてつい勢いで言って事務所を飛び出してきたけれど、本当にこれで良かったんだろうか。

 

困っていることは、みんなに打ち明けて助けてもらった方が、心がずっと軽くなるんじゃないか——そんなことはわかってる。

 

わかってるのに、つらいことがあっても声に出せないのが人間というものなのかもしれない。

 

口を開こうとすると、言葉が喉の奥で止まってしまう。

 

「あ……」

 

ふと顔を上げると、少し離れたところに親子の姿が見えた。

 

「ママ!それでね!」

 

「うん!」

 

「えへへ!」

 

楽しそうに話している。

 

当たり前の光景のはずなのに、手すりを握る自分の拳に力が入っていくのがわかった。

 

寂しい。

羨ましい。

会いたい。

 

そんな感情が一気に込み上げてきて、表情が歪む。

 

今までこんなことはなかったのに、どうして急にこんなに強い感情に曝されてしまうんだろう。

 

自分でも戸惑うくらい、胸の中がぐらぐらと揺れていた。

 

その時、一瞬だけ強い風が吹いた。

周囲の木の枝や葉がざわざわと大きく揺れる。

 

まるで今の私の心の中みたいだ、と思った。

 

「ふぅ……」

 

目を閉じて、深呼吸する。

 

大丈夫。

私は元の時代に帰れば、家族がいる。

 

家族に捨てられたみのるの方が、ずっとつらいはずなんだ。

みのるはあれだけのことがあっても我慢して、それでも前を向いている。

 

そんなみのるがいるのに、私が悲しむ資格なんて——

 

「あんなちゃん!」

 

背後から声をかけられた。

 

どこかで何度か聞いたことのある落ち着いた声。

聞くだけで不思議と少し心がほぐれるような声だった。

 

「あっ!くれあさん!」

 

振り返ると、パティスリーチュチュのパティシエ、帆羽くれあさんが立っていた。

 

両手に荷物を持って、買い出しの帰りらしい。

 

小説家の来栖エリザさんもそうだけど、この街には若いのにたくさんの人を笑顔にするために一生懸命働いている人が多い。

 

昔から本当に素敵な街なんだな、とくれあさんの顔を見るたびに思う。

 

「こんにちは!お仕事ですか?」

 

「うん、買い出しに。あんなちゃんは?」

 

「私もジェット先輩のキャンディーを買いに」

 

にこっと答えながら大事なことに気づいてしまった。

 

——お金、持ってきてない。

 

勢いで飛び出してきたせいで、財布をそのまま事務所に置いてきてしまった。

 

我ながらどうしようもない。

内心でひっそり頭を抱えていると、くれあさんが微笑みながら言った。

 

「そう。良かったら、うちのお店に寄っていかない?」

 

私のピンチにはまったく気づいていないだろうけれど、そんなことよりも、くれあさんのお店——パティスリーチュチュのスイーツを見てみたいという気持ちが、胸の中でぱっと広がった。

 

さっきまでの重たい気持ちが、少しだけ遠のいた気がした。

 

 

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【みくるSide】

 

「ポチ~」

 

窓際でうとうとしていたポチタンがゆっくりと目を覚ました。

 

ちょうど良い時間だったのでミルクを準備して飲ませてあげると、ポチタンは満足そうに小さな口元をほころばせた。

 

その愛らしい様子に頬が緩む。

 

でも、頭から離れないのはあんなのこと。

さっきからずっと気になっている。

 

「ジェット先輩、あんなちょっと変じゃなかった?」

 

「どこが?」

 

「どこっていうわけじゃないんだけど……何か悩んでるみたいな……」

 

うまく言葉にできないけれど、何かがあった。

多分、鈍感な人が見ても違和感を感じるくらいには、あんなの様子はいつもと違った。

 

でも何に悩んでいるのかは、私にはまったく見当がつかない。

 

「う~ん、何か悩んでるにしてもだ。言わないってことは、言いたくないってことじゃないか?」

 

みのるが静かに口を開いた。

 

「大切なのは、側に居てあげることだよ。私の時もそうだったでしょ?」

 

「まあ、確かに……」

 

みのるの表情を見ていると、私の心の中を全部お見通しにされているような感覚になった。

 

ずっと親友だったはずなのに、あんなことになってしまって——今でも反省している。

 

すれ違いがなくなってから、みのるは昔よりずいぶん変わった。

 

でもそのみのるだって、あんなと同じように何かを抱えていないか心配になる。

 

「私、頼りないのかな……」

 

口からそんな言葉がこぼれた。

 

みのるといい、あんなといい、私はなんて不器用なんだろう。

 

ピアノが弾けるとか、編み物が得意とか、そういう話じゃない。

 

一番大切なところで、いつもつまずいてしまう。

だから二人を泣かせてしまうんだ、私は……。

 

「みくる、よしよし」

 

「ポチタン……」

 

ポチタンが私の頭にそっと手を当てて、優しく撫でてくれていた。

 

小さな体なのに、その温もりがじんわりと伝わってくる。

 

それだけで胸の奥にあった重たい気持ちが、少しずつほどけていく気がした。

 

そうだよね。

私まで落ち込んでどうするの。

 

あんなが今すぐ心を開いてくれなくてもいい。

それなら、開いてくれるまでずっと側にいてあげればいい。

それだけのことじゃん。

 

「ありがとう。考えてばかりじゃなく、行動しなきゃ!私が頼りがいのあるパートナーになればいいんだよね!」

 

「ポチ~!」

 

「フッ……」

 

ぱっと顔を上げた私を見て、ポチタンが嬉しそうに声を上げた。

 

ジェット先輩とみのるも、静かに微笑んでいた。

 

頼りになるためには何が必要か。

 

答えは単純だ。

強くなること。

 

あんなたちが危なくなった時に、すぐそばで守れるようになること。

 

だったら、今すぐ始めるしかない。

 

「ということで、みのるもつき合って!」

 

「え、何に?」

 

「私があんなにとって頼れるパートナーになれる特訓に!」

 

「別に良いけど、何をするの?」

 

みのるは運動が苦手だ。

 

そして正直に言えば、私だって身体能力が特別高いわけじゃない。

プリキュアに変身している時は話が別だけれど、普段の私はただ運動が嫌いじゃないというだけで、できるかどうかはまた別の話。

 

だから今日は徹底的に鍛える。

あんなが安心して隣に立っていられるような、そんなパートナーになるために。

 

それ以外に道はない。

 

 

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【あんなSide】

 

何回か前を通り過ぎたことはあったけれど、パティスリーチュチュの中に入るのは今日が初めてだった。

 

ドアを開けた瞬間、甘くて温かい香りがふわりと漂ってくる。

ショーケースの中には色とりどりのスイーツが所狭しと並んでいて、見たことのないような形のケーキまで鎮座していた。

 

思わず目を丸くしながら、ケースに顔を近づける。

 

「わぁ~!ピアノだ!これ本当にケーキなんですか?」

 

「うん。店長がオーダーメイドで作ったの」

 

「すっご~い!」

 

グランドピアノをそのまま小さくしたような形のケーキ。

 

たいらさんが一から手がけたものらしく、鍵盤も、楽譜も、細かい部分まで全部チョコレートで丁寧に再現されている。

じっと見ていると、本物と見間違えそうになるほどだ。

 

改めてパティシエって、すごい職業だと思う。

 

「オリジナルのケーキは腕の見せ所だからね。帆羽さんが作るケーキもすごく評判が良いんだよね」

 

私たちのやり取りを聞いていたたいらさんが、くれあさんの方に目を向けながら教えてくれた。

 

くれあさんもプロなんだ。

当たり前のことなのに、改めて実感した気がした。

 

——私ももっと探偵を頑張らないとね。

 

「えっ、くれあさんもこういうの作るんですか!」

 

「うん。誕生日のケーキ、よく頼まれるの。今までに作ったのは、サッカーボールケーキ、ドレスケーキ、パンダケーキやライオンケーキも作ったわ」

 

くれあさんが取り出したチラシには、これまでに手がけたユニークなケーキがずらりと並んでいる。

 

どれもたいらさんのケーキに負けないくらいの完成度で、実際に目の前に出されたら食べるのがもったいないと感じてしまいそうなものばかりだ。

 

「わぁ……いいなぁ……」

 

「オリジナルケーキはね、お客さんとお話してどんなケーキにするか考えるの。食べる人がどんな人で、今どんな気持ちなのか……考えて想像して、その人が一番喜ぶケーキを導き出すの」

 

相手の気持ちを考えて、最適な答えを導き出す。

 

その言葉を聞いた瞬間、ぴんときた。

まるで探偵の推理みたいだと思った。

 

ただ見た目が綺麗なケーキを作るだけじゃない。

その人が特別な想いを感じながら笑顔になれるように、一つひとつ丁寧に考えている。

 

簡単そうに聞こえるけれど、相手の気持ちを読み取るなんて、本当はすごく難しいことだ。

 

「へぇ、それって探偵が推理するのに似てますね!」

 

「そうかもしれないわね」

 

くれあさんは少し微笑んだ。

 

「良かったら、あんなちゃんのケーキを作らせてもらえないかな?」

 

「……え?」

 

思いがけない言葉に驚く間もなかった。

 

特別な日でもない。

注文したわけでもない。

 

なのにどうして急に——?

 

「で、でも私、誕生日1月ですよ?」

 

しかもとっくに過ぎている。

 

今は5月の下旬で、もうすぐ6月になろうとしているくらいだ。

 

誕生日の1月とはほぼ真逆の時期で、何か祝うような理由なんて一つも思い浮かばない。

 

「誕生日じゃなくてもいいじゃない」

 

くれあさんの声は穏やかだった。

 

「あんなちゃんに笑顔になってほしいの」

 

「………」

 

全部、見透かされていた気がした。

 

私が笑顔じゃなかったこと。

何かを抱えていること。

 

くれあさんはちゃんとわかっていたんだ。

だから——私のために、ケーキを作ると言ってくれている。

 

ありがたい気持ちはある。

でもそれと同時に、申し訳ない気持ちもじわりと滲んできた。

 

ただそれだけのために、わざわざ時間をかけてケーキを作ってくれようとしているくれあさんに、私はどんな顔をすればいいのかわからなかった。

 

 

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【みのるSide】

 

「私に足りないのは体力!」

 

「どうしてこうなったの」

 

みくるにつき合ってほしいと頼まれたのでとりあえずついていったら、事務所の外に出るなりいきなり準備運動を始めた。

 

流れに乗って私も一緒にやっているけれど、何か根本的なところで勘違いしていないだろうか。

 

「みのる、手伝って!」

 

「え?うん」

 

準備運動が終わると、みくるは地面に仰向けになり、膝を立てて両腕を頭の後ろに回した。

 

何をしようとしているか察した私は、みくるの爪先の上に座って足をしっかりと固定する。

 

「い~ち!」

 

「いち!」

 

「い~ちポチ!」

 

上体起こし——つまり腹筋運動だ。

 

ただ、みくるは上半身を起こすたびに身体がぶるぶると震えていて、腰も大きく反っている。

 

ペースも遅い。

これでは腹筋に効かないどころか、逆に腰を痛めてしまうんじゃないかと思ったけれど、人のことは言えないので口には出せなかった。

 

「に~い!!」

 

「にい!」

 

「に~いポチ!」

 

みくるってこんなに身体能力が低かったっけ。

まるでもう一人の私を見ているみたいだ。

 

プリキュアに変身した時のみくるしか見ていなかったから、感覚がおかしくなっていたのかもしれない。

 

「うわっ!?」

 

「ぎゃっ!?」

 

「ポチ~!?」

 

三回目に入ったところで、みくるがバランスを崩した。

 

私もポチタンを巻き込みながら一緒に転倒する。

なんて意味のない運動なんだ。

 

「ごめん!次はみのるの番ね!」

 

「まだ2回しかやってないよ!?」

 

せめて最低でも10回はやらないと意味がない。

いや、そもそもやり方が間違っているからやってもやらなくても大差ないかもしれないけれど。

 

それは私にも言えることだが。

 

「うぅ……なんで私まで」

 

渋々仰向けになって同じ体勢を取ると、みくるが足の上に乗っかった。

 

やり方はわかっている。

わかってはいるけれど、自分の身体がついていかないのだからどうにもならない。

 

「い~ち!」

 

「い~ちポチ!」

 

ええい、動け私の身体!!

 

「ぐおおおおぉぉぉ……」

 

「女の子が出しちゃいけない声出ちゃってるよ……」

 

うるさい!

声を出さないとまともに上体を起こすことすらできないんだ。

 

「に~い!」

 

「に~いポチ!」

 

二回目は勢いをつけて、一気に身体を起こす!!

 

「っ……/////」

 

「ち……近……/////」

 

勢いをつけすぎてみくるの顔面に激突するところだった。

 

至近距離にみくるの顔が迫ってきて、いろんな意味で危ない。

 

——私たちは一体何をやっているんだろうか。

 

「「さ~ん……」」

 

次はみくると並んで腕立て伏せ、と言いたいところだけれど、これも酷すぎた。

 

みくるの体勢は腕が曲がって背中が大きく反り、下半身は完全に地面に密着している。

悪く言えば、もはやゾンビにしか見えない。

 

「おうまさんポチ~!」

 

その様子を見て、ポチタンが無邪気にはしゃぎ出した。

ポチタン、今は本当に止めた方がいい。

 

「ポチー!」

 

「ゔ……ぐっ!?」

 

目で訴えても気づくはずもなく、ポチタンはみくるの背中に思い切り跳び乗った。

渾身の一撃でも食らったかのような声とともに、みくるの腕立て伏せは完全に崩壊。

 

「ポチ~!!」

 

何もかもがグダグダだ。

 

そもそも運動が苦手な人間は、いざやろうと思い立っても基礎的な動きからしてこんな調子になる。

 

身体能力を上げるなど、絶望的としか言いようがない。

 

くっ……運動できる人が心の底から羨ましい。

 

 

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【あんなSide】

 

ケーキを作る前に準備があると聞いて、私とくれあさんはいつもの屋外の場所に向かい合って座った。

 

「じゃあよろしくお願いします」

 

「お願いします!」

 

これから何が始まるんだろう。

少しどきどきしながら待っていると、くれあさんが静かに口を開いた。

 

「まずは深呼吸」

 

「すぅ……………」

 

言われるままに、ゆっくりと深く息を吸う。

 

「力を抜いて、リラックス」

 

「ほぇ~リラックス~」

 

張り詰めていた気持ちがふっとほどけていく。

くれあさんの手が、私の両手にそっと触れた。

 

温かかった。

 

「目を閉じて」

 

ゆっくりと、まぶたを閉じる。

 

「今、心に思い浮かぶ色は何色?」

 

その問いを聞いた瞬間、ぱっと浮かんだのは——あの日のことだった。

 

私が誕生日の日。

1999年にタイムスリップしたあの日。

 

本来雪の降らない地域なのに、記録的な寒気でマコトミライタウンにかなりの雪が積もったあの日のことだ。

 

目を閉じたまま、その景色を思い浮かべる。

 

「白……雪の、白」

 

「じゃあ寒いのかな?」

 

寒い。

確かに、寒気が去ったばかりだったから、骨の芯まで凍えるような寒さだったことは確かだ。

 

でも——

 

「ううん。寒いんだけど、あったかい。雪みたいに積もってるけど、あったかい……」

 

お母さんと並んで歩いたあの日。

学校のことや、最近楽しかったこと、他愛もないことを話すたびに、お母さんはいつも笑いながら聞いてくれた。

 

ずっと隣にいてくれたその温もり。

どんなに寒い冬でも、家族との時間が冷えることなんて、きっとないんだ。

 

「……………うん、OK。ありがとう」

 

「えっ、これで終わりですか?」

 

これだけの会話でケーキのアイデアが浮かぶなんて、どういうことだろう。

 

私が思い浮かべたのは、雪の中でも温かかったお母さんとの思い出。

それだけで、くれあさんには何かが見えているらしい。

 

「どんなケーキが出来上がるかお楽しみに!」

 

くれあさんが作るケーキ……実際に見てみたい。

でも邪魔しちゃいけないし、おとなしく待っていようと思っていたら、くれあさんがにこっと微笑んでさらに続けた。

 

「そうだ。あんなちゃんも一緒に作ってみる?」

 

「え?」

 

作る……?

ケーキなんて作ったことのない私が、プロのくれあさんと一緒に?

 

「待ってるだけじゃ退屈でしょ?」

 

断るタイミングを考える間もなく、くれあさんはすっと立ち上がり、私を再びお店の中へと促した。

 

驚きはある。

でも、こんな体験は滅多にできないはずだ。

 

断るのはなんだかもったいない気がして、私はこっそりと小さく拳を握った。

 

——よし、頑張ってみよう。

 

 

_______________

 

 

 

「昨日お菓子作り体験する人が大勢来てね、パティシエ服はほとんど洗濯しちゃったんだよ」

 

くれあさんの言葉に視線を向けると、カウンターの後ろにある小さな黒板に、お菓子作り体験の宣伝が丸っこい文字で書かれていた。

 

このお店、体験教室もやっているんだ。

そりゃ人気が出るわけだ、と納得した。

 

でも今の問題は、服もエプロンもないということだ。

 

エプロンは元の時代に置いてきてしまっているし、何も着けないままだと衛生的にも良くない。

 

これではケーキが作れない。

 

「うーん、どうしようかな?」

 

くれあさんとたいらさんが悩んでいるのを横目に、私は閃いた。

 

「あっ!ピンときた!」

 

そうだ。

私にはとっておきの道具があるじゃないか。

 

自分の姿を自由に変えることができる、あのプリキットグロスが!

 

まさかこんな場面でも役に立つ日が来るなんて。

 

「ちょっと待っててください!」

 

「「??」」

 

二人を残してお店の裏口へと飛び出した。

外に出ると、そこは木々の陰になっていて日の光も届かず、人の気配も全くない。

 

よし、ここなら大丈夫だ。

 

「オープン!プリキットグロス!」

 

このプリキットを使うのは、みくるとすれ違いがあった日以来で、二回目になる。

 

久しぶりに出番が来たからか、プリキットグロスはいつもより一層存在感が増しているような気がした。

 

「パティシエ!」

 

グロスを唇にそっと塗ると、私の服がたちまち変わり始めた。

 

光に包まれながら変身が完了すると——かわいらしいパティシエの服が、私の身体をすっぽりと包んでいた。

 

わざわざお店に行かなくても、気軽にファッションを楽しめそうだな、なんてことを考えながら急いで裏口から中に戻る。

 

いつまでも二人を待たせるわけにはいかない。

 

「わぁ、かわいい~!」

 

「うん、似合ってる」

 

「えへへへ……」

 

二人の反応に顔がにやけた。

 

スカートは短めで露出もそこそこあり、派手かなと自分では少し気になっていたけれど、高評価をもらえると単純に嬉しい。

 

お母さんの料理を少しだけ手伝ったことはある。

 

でもケーキ作りはほぼ未経験だ。

正直、不安がないといえば嘘になる。

 

でも、最高のケーキを作りたいという気持ちに迷いはなかった。

 

「じゃあケーキ作り、始めましょ」

 

「はい!」

 

何か忘れている気がするが、私は張り切ってくれあさんと一緒に厨房へと向かった。

 

 

_______________

 

 

 

作業台の上には、たくさんの道具と材料が整然と並んでいた。

 

絞り袋、ヘラ、ふるい、ボウル、型——一つのケーキを作るだけで、こんなにも多くのものが必要なんだ。

 

これをくれあさんたちは毎日当たり前のようにこなしているわけだから、本当にすごいと思う。

 

「材料の計量はきっちりしっかりね。お菓子作りは正確さが大事なの」

 

「はい!」

 

くれあさんはそう言いながら、秤の上に乗せたガラスのボウルに牛乳をすっと注いでいく。

 

まずはケーキの土台となるスポンジと、クリーム作りからだ。

 

クリームはくれあさんに任せて、私はスポンジを担当することになったけれど——正直、どうすればいいのかわからない。

 

グラニュー糖に薄力粉、聞いたことはあっても実際に扱うのは初めての材料ばかりで、頭が少しくらくらしてくる。

 

近くのトレーにはお湯が張ってあって「湯煎用」と書いてあるけれど、これは何に使うんだろう……?

 

「あの……」

 

「うん、最初はわからない材料もあるから難しいよね。一度に考えてもわからないと思うから、順番に材料を入れていこうか」

 

「は、はい!」

 

くれあさんの言葉に背中を押されながら、私も手を動かし始めた。

 

ボウルに全卵とグラニュー糖を入れて、湯煎に浸しながら混ぜ合わせ、40度くらいになるまで温める。

 

それから湯煎を外して、もったりとするまでひたすら混ぜ続ける。

 

ふるった薄力粉を加えて、粉っぽさがなくなるまでさらに混ぜる。

 

事前にくれあさんが用意してくれていたバターとはちみつを合わせたものもボウルに入れて、またひたすら混ぜる。

 

「た、大変ですね……ずっと混ぜるって……」

 

腕がじんじんしてくる。

これ、いつまで続くんだろう。

 

「かなり大変な作業なのよ。少しでもムラがあると上手く焼けないし、お客さんが喜んでくれるケーキにできなくなるから、しっかり気持ちを込めてね」

 

「気持ちを込めて……」

 

その言葉を胸の中で繰り返しながら、腕に力を入れた。

 

くれあさんは私に指示を出しながら、自分はクリームを仕込んで、ときどき私がつまずくとすっとフォローに入ってくれる。

 

どれだけ同時進行しているんだろう。

私がやっていることとは比べ物にならない量の作業を、くれあさんは淀みなくこなしていた。

 

さすがプロだ、と心の底から思う。

 

くれあさんの言葉通り、美味しくなるようにと気持ちを込めて、混ぜ続けること数分。

 

「うん、上出来!これなら型に入れて焼いても問題ないわ」

 

「や……やっと終わった……」

 

手首の感覚が少しなくなってきていた。

 

お菓子作りって、こんなに大変だったんだ。

これでもまだ完成じゃないというのが衝撃で、しかも本来はクリームも全部一人でこなさなくてはならない。

 

まだ中学生なのに、仕事の厳しさというものを全身で感じた気がした。

 

混ぜ合わせた生地を型に流し込んで、オーブンへ。

そこからしばらく待つ。

 

——チーン!

 

焼き上がりを告げる音がして、恐る恐るオーブンを覗き込む。

 

「焼けたー!」

 

ムラもなく、こんがりとした綺麗なスポンジが型の中に出来上がっていた。

 

なかなか上手くできたんじゃないかと思う。

もちろん、くれあさんがずっとフォローしてくれていたおかげだけれど。

 

「うん、いい感じ。デコレーションは私に任せて」

 

くれあさんは焼きたてのスポンジを前にして、慣れた手つきでホイップクリームを塗り始めた。

 

丁寧なのに早い。

私だったら絶対にこの5倍は時間がかかる。

 

あっという間にいつもお店のショーケースで見るようなケーキの形が出来上がっていく。

 

その作業を眺めているだけで、なんだか絵を見ているような気持ちになった。

 

ずっと見ていられる気がして、私はくれあさんの手元から目が離せない。

 

 

_______________

 

 

 

【るるかSide】

 

今日の劇場は、珍しいくらい静かだった。

 

ニジーとアゲセーヌは休暇で、ジャックは椅子に深く腰をかけて雑誌のページをめくっている。

 

ウソノワールも今日は姿が見えない。

こんなに穏やかな午後は、なかなかないものね。

 

「あぁ~いい~そこそこ」

 

私はマシュタンを膝の上に寝かせて、ゆっくりとマッサージをしてあげていた。

 

妖精でも身体が凝ることがあるらしい。

人間とは全く違う生き物のはずなのに、こういうところで人間と似た部分が出てくるのが妖精の不思議なところだと思う。

 

気持ち良さそうにしているマシュタンを眺めていると、それだけで心がほぐれていく。

 

ずっとこうしていたい——そう思ったが、劇場に声が響いた。

 

「おい、新たなマコトジュエルを盗りに行くぞ!」

 

ゴウエモンだ。

毎回こうして出撃のたびに私を誘ってくる。

 

怪盗としてのいろはを教えたいとか何とか言っていたけれど、最近はもう単なる世話焼きにしか感じない。

それでも不思議と、嫌な気持ちにはならないのよね。

 

「なんでアタシたちが!?」

 

ついていっても構わないけれど、今はタイミングが悪い。

 

せっかくマシュタンを堪能しているんだから、もう少しだけ待ってほしい。

 

「ついてきたらアイス奢ってやる」

 

——乗った。

 

「行く」

 

「るるかが行くなら私も!」

 

マシュタンを堪能したい気持ちはある。

あるんだけれど、残念ながら私はアイスに目がない。

 

奢ってもらえるとなれば話は変わってくる。

すぐに立ち上がってゴウエモンの方へと歩き出すと、さっきまであんなに断っていたマシュタンまで一瞬で手のひらを返してついてきた。

 

私とマシュタン揃ってチョロすぎる。

 

でも反省したところで、次もきっとアイスに釣られるのが私だ。

 

これだけが私の唯一の弱点……とでも言っておきましょうか。

 

今日も騒がしい一日になりそうね。

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