かわいいホームズの親友ちゃんは、相棒の座を奪われて焦心苦慮   作:くぁwせdrftgyふじこlp

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名探偵の共演【後編】

【ジャックSide】

 

私の前に立つ制服姿の女性は、ゆっくりと構えを取っていた。

 

重心が安定している。

無駄な力みもない。

 

見ればわかる、素人ではない。

それどころか、かなり鍛え込まれている。 

 

私は自然と口元が緩んだ。

恐らくこの人がニジーを倒したのでしょう……面白い。

 

私を警戒しているのか、鋭い眼差しでこちらを睨んでいた。

 

なるほど、戦う人間の目だ。

戦闘に入る前に相手を分析しようとしている。

 

「おい!事務所のドアちゃんと元に戻せよ!」

 

向こうで発明家の妖精が騒いでいるけれど、無視。

 

「この構え、空手だね。しかも相当な実力者」

 

私が言うと、女性の眉がわずかに動いた。

 

「……あなたも怪盗の仲間なのね?」

 

「その通り、だと言ったら?」

 

次の瞬間だった。

 

女性が地面を蹴る。

速い、一般人から見れば目で追えないかもしれない。

 

鋭い踏み込みから放たれた正拳突きが、私の顔面へ迫ってくる。

 

ただ――私は首を少し傾けるだけだった。

 

拳は側頭部ギリギリを通過する。

続けて裏拳、回し蹴り、前蹴り、肘打ち、流れるような連撃。

 

けれど私は後退しない。

身体を少し捻り、半歩ずらし、指先で軌道を逸らし、全て回避していく。

 

攻撃が当たる未来だけが、この世界から切り取られてしまったかのように。

 

蘭の蹴りが頬を掠めそうになる。

私はその足首を軽く押し流した。

 

バランスを崩しかけた彼女が慌てて体勢を立て直す。

その隙に私は数歩後ろへ下がった。

 

もちろん、反撃はしない。

まだまだ楽しませてもらわないと。

 

女性の額にはもう汗が浮かんでいる。

私は一切反撃していないのに、攻撃している側の彼女の方が追い詰められているような表情をしていた。

 

「どうしたの?そんなもの?」

 

「っ……!」

 

女性が歯を食いしばり、再び飛び込んでくる。

 

だが結果は同じ。

拳も蹴りも、何一つ届かない。

私はただ受け流し続ける。

 

子どもの遊び相手をしているみたいに穏やかに。

 

「何なのこの子!?」

 

その声には隠しきれない驚愕が混じっていた。

無理もない、全力で攻撃しているのに一発も当たらないのだから。

 

普通ならここで恐怖を感じる。

実力差を理解してしまい、戦意が折れる。

 

やっぱり強い相手はいい。

弱い人間よりずっと面白い。

 

「ダメです!!」

 

みくるの声が聞こえてきた。

彼女は顔色を変えながら、前へ出ようとしている女性へ向かって叫んでいる。

 

「下がってください!!ジャックは相手が悪すぎます!!」

 

切迫した声だった。

それは単純な心配というより、この場の危険性を骨の髄まで理解している者の声だった。

 

女性は納得できないという表情を浮かべたまま足を止めていた。

 

全力で戦っているのに目の前の相手は汗一つかいていない。

攻撃もしてこないし、ただ避けているだけなのに圧倒されている。

 

その異常さに、女性はようやく気付き始めたようだった。

 

「名探偵の言う通りだよ。あなたは強い。でも――人間じゃどう頑張っても、私には届かない」

 

今までは遊んでいただけ。

その事実を、その場にいる全員が本能的に理解していた。

 

そろそろ私もちょっとだけ攻めようかと思ったが――

 

「や……やるね……ベイビー!」

 

「「「「「わぁ!?」」」」」

 

ニジーが起きた瞬間、煙幕が炸裂して周囲が白い霧に包まれる。

 

起きたのなら仕方ない。

さっさとマコトジュエルを奪って撤収しよう。

 

「げほっ、げほっ……」

 

「今度こそ頂くよ」

 

「あ!!」

 

みくるが煙を吸い込んで咳き込んでいるその隙に、ニジーがガラスの靴をこっそりと奪い取った。

あれだけ大事そうに抱えていたのに、案外呆気なかった。

 

「ポ~~チ~~!!」

 

「みくる!」

 

「みくる~おなかいっぱいだね~……ムニャムニャ……」

 

「大分ぐっすりしちゃってるよ……どんな麻酔使ったの?」

 

向こうではなぜかぐっすり眠っているあんなを、みくるたちが必死に起こそうとしている。

 

あの身体能力の高い女性は煙に怯んで動きが止まっていた。

 

これはチャンスだ。

 

「ずらかるよ、ニジー」

 

「言われなくとも!」

 

二人で一直線に階段を駆け上がり、事務所を飛び出す。

あとはひたすら劇場まで走り続ければこっちのものだ。

 

プリキュアの一人は眠ったままで戦力も半減している。

もし追いかけられても、返り討ちにしてしまえばいい。

 

「これでボクの活躍を認めてくれたかい?」

 

「人間に負けてる時点でそれ以前の問題だよ……」

 

もしプリキュアがハンニンダーじゃなくてニジーを狙ってきたらどうするつもりなの。

軽くつつかれただけで終わりでしょ。

 

「そんな心配をしなくてもウソノワール様が全て解決して――」

 

「いっけえええぇぇぇぇぇ!!!」

 

ニジーが話している途中で、突然背後から叫び声が響いた。

何事かと思って振り返った瞬間――

 

「は!?サッカーボール!?」

 

「え?」

 

とんでもない勢いのサッカーボールが私たちに向かって飛んできた。

 

あまりに想定外の出来事に、私は弾き返すことができずに思わず避けてしまった。

その判断がまずかった。

 

「うわっ!?ぐはっ……!!」

 

サッカーボールはそのままニジーの腰に直撃。

見たこともないような曲がり方をして、ニジーの腰からピキッという嫌な音が響き、そのまま吹き飛ばされた。

 

弾みで12時のわすれものがニジーの手から離れ、地面を転がっていく。

 

(あ……これは腰をやったね……)

 

それにしてもサッカーボールなんてどこから。

疑問に思って事務所の方を振り返ると、そこには一人の小学生くらいの男の子が立っていた。

 

え、まさか、あの子が蹴ったの?

 

私はしばらくその子を見つめたまま動けなかった。

 

……最近の人間って、私たちが思っている以上に異常かもしれない。

 

「何?今の……」

 

「すごい!すごい!」

 

ニジーが吹き飛ばされた間に、みくるはあんなを背負ったまま追いついてきた。

 

「今日は当たりが強い……」

 

死にそうな声を上げながら腰をさすって、ニジーがよろよろと起き上がる。

 

今日のニジーは厄日なのだろうか。

プリキュアと本格的に戦ったわけでもないのに、ボロボロだ。

 

「あった!」

 

「そいつは渡さないよ!」

 

みくるが追いつき、ニジーは慌てて地面に転がっていた12時のわすれものを拾い上げ、高らかに叫んだ。

 

「ウソよ覆え!出でよ、ハンニンダー!」

 

投げられた薔薇がガラスの靴に深々と突き刺さる。

宿っていたマコトジュエルが、じわりと黒く染まっていった。

 

「ハン……ニン……ダー!」

 

シンデレラのようなドレスを纏ったハンニンダーが、ガラスの靴を素体として誕生する。

 

ハンニンダーを呼び出すのはいいけど、ほとんど時間稼ぎにしかならないんじゃないかな。

 

そしてハンニンダーの誕生と同時に結界が展開され、外の世界と完全に隔離。

 

背景と似て非なる閉じた空間へと変わった。

これで外部から邪魔される心配はなくなった。

 

「起きて~!あんな~!」

 

「ポチ~~!!」

 

「はっ……え?え?えっ!?」

 

みくるがあんなを激しく揺さぶると、ようやく反応が返ってきた。

 

そもそも、あの緊迫した状況の中でなぜぐっすりと眠れていたのか私には理解できない。

 

「えええええぇぇぇぇぇ!?」

 

あんなは目の前にそびえ立つハンニンダーを見上げ、開いた口が塞がらない。

 

「どどどどどどうなってるの!?」

 

「早く変身しなよ~。待ちくたびれちゃうよ」

 

変な茶番はいいから戦うならさっさと変身してほしい。

 

それに――あなたたちにはまだたどり着けていない真実があるのだから。

 

「ジャ……ジャック!!?」

 

「とりあえず行くよ!」

 

「う、うん?」

 

混乱が収まらないあんなを強制的に変身へと引き込むというなかなかの鬼畜っぷり。

 

「「オープン!ジュエルキュアウォッチ!」」

 

二人が眩い光に包まれ、派手な衣装へと変わっていく。

 

中で何が起きているのかはほとんどわからないけれど、変身にかかる時間はかなり短い。

あっという間に終わった。

 

「どんな謎でも、はなまる解決!名探偵『キュアアンサー』!」

 

「重ねた推理で、笑顔にジャンプ!名探偵『キュアミスティック』!」

 

「「名探偵プリキュア!!」」

 

――と、名乗りが終わったところだけど、最初はハンニンダーだけに任せておこう。

 

あのハンニンダーを生み出したマコトジュエルは、いつものとは違う。

 

だからといってハンニンダー自体の強さが変わるわけでもないから、あまり意味はないかもしれないけれど。

 

まあ、見ていようか。

 

「ハンニン!ハンニン!ダー!」

 

ハンニンダーが地面を粉砕するほどの踏み込みで、踵落としを仕掛けた。

 

アンサーとミスティックに左右へ躱されるも、攻撃が直撃した地面はひび割れ、砂埃が大きく舞い上がるほどの威力だった。

 

「さすがアート作品、芸術的な攻撃だグッ!?イテテテテテ……!」

 

「……………」

 

またニジーの腰から嫌な音がした。

 

あれはしばらく安静にしていないと、いわゆる〝魔女の一撃〟が襲ってくるやつだよ。

 

「美佐子さんの大事な作品なの!」

 

「こんなことに使わないで!」

 

ニジーのことなど気にも留めず、プリキュアの二人はハンニンダーへと向かっていく。

 

「「はあああああああ!!」」

 

やれやれ。

ハンニンダーを指揮したことなんて一度もないのだけれど、ニジーが腰痛でダウンしている以上仕方がない。

 

「ハンニンダー、避けて」

 

「ハ~ンニ~ン」

 

「「あ!?」」

 

アンサーとミスティックの拳が直撃する寸前、ハンニンダーがすんでのところで躱した。

 

二人に隙が生まれる。

 

「反撃して」

 

「ハンニン!ハンニン!ダー!!」

 

回転しながら豪快な回し蹴りをプリキュアへ叩き込み、吹き飛ばす。

 

直前でガードは間に合ったものの、巨体を活かした威力そのものを殺すことはできなかった。

 

「舞踏会で華麗に踊るシンデレラのようなステップ。手も足も出まい、プリキュア!」

 

……ステップは踏んでも攻撃の手段は限られている。

 

上手く指示できたとはいえ、それも時間の問題でしょ。

これまでの流れからして、次は逆転される。

 

「足……」

 

「あ、ピンときた!」

 

アンサーが何かを思いついた顔でプリキットライトを取り出した。

 

「オープン!プリキットライト!」

 

「そういうことね!」

 

プリキットライトを使って空中に円を描く。

描かれた円が実体化して、大きなボールになった。

 

「一体何を?」

 

「……蹴るんでしょ」

 

「蹴る!?」

 

もうやることは大体わかっている。

離れた場所からボールを使うなら、蹴る以外に考えられない。

かなり大きいから投げることもできそうにないし。

 

「「足なら出せる!いっけえええぇぇぇぇぇ!!!」」

 

左右から思い切り蹴り飛ばされたボールが、凄まじい勢いでハンニンダーへと迫っていく。

 

「ハン!ニン!ニーン……!」

 

ハンニンダーは正面からボールを受け止めた。

 

しかし勢いは止まらない。

じりじりと、確実に押されていく。

 

「ダー!?」

 

結局受けきれずに、ハンニンダーがぶっ飛ばされた。

 

……まあ、こうなるよね。

 

「行くよ!」

 

「ええ!」

 

浄化技だ。

二人同時ということは、フライングスペクトル……。

 

こうなればもう、ハンニンダーに残された時間は少ない。

せめて安らかに眠りたまえ。

 

「「オープン!プリキットミラールーペ!」」

 

二人が同時にプリキットミラールーペを取り出し、ポチタンから受け取ったマコトジュエルを装着する。

 

真ん中の宝石を三回転させるという謎めいた動作を経て、二人の身体から力が溢れ出すのが伝わってきた。

 

「「これが私たちのアンサーだ!」」

 

高く掲げたミラールーペから、白い鳥が姿を現す。

 

「「プリキュア!フライング・スペクトル!」」

 

宙を舞った白い鳥は一気にハンニンダーへと接近し、豪快にその身を貫いた。

眩い光が弾け散る。

 

「「キュアット解決!」」

 

「ハンニンニン……ハンニンニン……ダー……」

 

浄化が完了し、ハンニンダーは静かに天へと召された。

 

残ったマコトジュエルとガラスの靴をアンサーが受け取り、ポチタンがマコトジュエルを回収する――それがいつもの一連の流れだ。

 

いつもの場合なら、ね。

 

「ポチポチ!キュアキュア!……ポチ!?」

 

マコトジュエルを回収できないことに気づいたポチタンが、慌てたように騒ぎ始めた。

 

「え!?」

 

「どうしたのポチタン?」

 

「マコトジュエルを回収できないみたい!」

 

「え、何で!?」

 

ふふふ……まだ真実に気づいていないみたいだね、名探偵プリキュア。

 

本当にどこまでもバカな二人。

さて、そろそろ最後の仕上げと行こうかな。

 

 

_______________

 

 

 

【あんなSide】

 

どうしてマコトジュエルを回収できないのか。

確かに12時のわすれものは私たちの手に戻ってきたはずなのに。

 

疑問が頭の中をぐるぐると巡る中、ジャックの口元がゆっくりと吊り上がった。

 

「ふふふふ……あははははは!!」

 

静まりかけていた場所に、甲高い笑い声が響き渡る。

私たちを心の底から嘲笑うような、不気味な笑いだった。

 

隣ではニジーまで笑い始める。

 

「あはははは!!」

 

「ポ……ポチ!?」

 

ポチタンが混乱したように飛び回る。

どうしていきなり笑いだしたの……?

 

「何がおかしいの!?」

 

問いかけても、ジャックはしばらく笑い続けた。

 

ようやく笑いが収まると、彼女は目尻の涙を拭うような仕草をしながら私たちを見る。

 

「全くもってバカだねあなたたちは!!この結晶が見えないのかなぁ?」

 

ジャックが掲げた手の中には、あるものが輝いていた。

 

「何でマコトジュエルが!?」

 

ミスティックが悲鳴のような声を上げる。

その輝きは見間違えるはずがない。

 

マコトジュエル――私たちが取り返したはずのものと、同じ輝きだ。

 

胸の奥で嫌な予感が膨らむ。

でも同時に、これまでずっと感じていた違和感が、一本の線として繋がった。

 

「やっぱりそうだったんだ……」

 

「えっ?」

 

「ジャック。あなたはマコトジュエルを、物を盗まずに取り出すことができる!」

 

ジェット先輩に話を聞いてからずっと不自然だと思っていた。

 

〝物は盗まない〟というジャックの言葉。

 

それが成立する理由は一つしかない。

中に宿るマコトジュエルだけを、抜き取っていたんだ。

 

「……そうだった!でも私たちが取り返したマコトジュエルは!?」

 

その瞬間、ニジーが待ってましたと言わんばかりに前へ出た。

 

「キミたちに教えてあげるよ!どうしてマコトジュエルが二つあるのか!」

 

嫌な予感がさらに強くなる。

まるで底の見えない穴を覗き込んでいるようだった。

 

「マコトジュエルを取り出すところは正解」

 

そして彼女は、手の中の結晶をくるりと回す。

淡い光がわずかに周囲を照らした。

 

「そして私はさらに、あなたたちが持つプリキットミラールーペの機能を学んで――マコトジュエルや『12時のわすれもの』の複製に成功した」

 

「なんですって!?」

 

まさか、そんなことまで。

 

ジャックはまるで最高の手品の種明かしをするかのように嘲笑う。

 

ミスティックは言葉を失っていた。

ポチタンは目をぐるぐる回している。

 

私たちは最初から踊らされていたのだ。

ジャックは私たちがルーペで痕跡を追うことも、マコトジュエルを取り返そうとすることも、全て見越していた。

 

そしてその対策まで、とっくに済ませていた。

 

私たちが苦労して取り返したもの。

それすら本物かどうかわからない。

 

その前提そのものが、今まさに崩れ去ろうとしていた。

 

「ミラールーペの機能を学習した……!?」

 

プリキットミラールーペは私たちにとって最大の武器の一つ。

事件の痕跡を見抜き、真実へと導いてくれる大切な道具。

 

その力をジャックが解析し、利用していたというの!?

 

「キミたちが追っていたマコトジュエルは最初から偽物。偽物ではあるけど嘘の力で覆われているからハンニンダー自体は呼び出し可能なのさ!」

 

その言葉を聞いた瞬間、胸の奥が冷たくなった。

 

今までの出来事が頭の中を一気に駆け巡る。

 

追跡、推理、回収、浄化。

 

その全てが、敵の掌の上だった。

 

「くっ……なんてやつ!!」

 

ミスティックが悔しそうに唇を噛む。

その気持ちは痛いほど分かる。

 

けれど私の頭の中では、それ以上に別の事実が重く、暗く響いていた。

 

ジャックはただの怪盗ではない。

この作戦を成立させるために、私たち以上に私たちを観察していた。

 

そして、その当人はどこまでも平然としている。

 

「ニジーだけだと思ってるみたいだけど、私もあの事件現場にスタッフとして紛れていた」

 

最高の種明かしを披露する奇術師のように、ジャックは楽しそうに語り続ける。

 

「パニックになった瞬間にマコトジュエルの気配を探して複製しながらマコトジュエルを抜き取った。自分で複製したものならどれが本物かわかるからね」

 

「………!!」

 

全身に衝撃が走った。

 

あの時――私たちが対応に追われていた時。

混乱の中心で散らばった靴を集めていたあの瞬間、そのすぐ近くにジャックがいた。

 

スタッフに変装して、誰にも気付かれず、誰にも怪しまれず。

そして堂々と本物のマコトジュエルを盗み、複製したマコトジュエルを仕込んでいた。

 

なんという用意周到さだろう。

なんという執念だろう。

 

ジャックは危険すぎる。

私たちがこれまで戦ってきたファントムとは、根本から違う。

 

ジャックは手の中のマコトジュエルを軽く持ち上げた。

 

「さて、答え合わせはここまでにしようか」

 

その笑顔を見た瞬間、嫌な悪寒が背中を走り抜けた。

 

「ニジー。このマコトジュエルを渡すから、先に劇場に戻ってウソノワール様に渡して。これならあなたの手柄にできるでしょ?」

 

そう言って本物のマコトジュエルを放り投げた。

ニジーはそれを軽々と受け取る。

 

「人使いが荒いね……。ま、良しとしよう」

 

軽い口調。

だけど私にはそのマコトジュエルが、世界の命運を左右する爆弾のように見えた。

 

渡してはいけない。絶対に。

 

「待ちなさい!!」

 

「逃がさない!!」

 

ミスティックと同時に、私も地面を蹴った。

 

ニジーへ向かって一直線に駆け出すも……

 

「行かせるとでも?」

 

声が聞こえた瞬間、目の前にジャックが割り込んだ。

 

「くっ!!」

 

私は咄嗟に足を止めた。

止まらなければ激突していた。

 

その一瞬でニジーは距離を取り、退路へ向かっていく。

 

最悪だ。

追うかジャックと戦うか、選択を迫られている。

 

そして目の前のジャックはそれを理解した上で笑っていた。

 

心の底から楽しそうに。

獲物を追い詰めた猛獣のように。

 

ジャックは両腕を広げ、まるで舞台の主役が観客を歓迎するかのようだった。

 

「さあ――宴の時間だ!!」

 

その瞳が妖しく輝き、周囲の空気が張り詰めた。

 

ニジーを追わなければならない。

だが、そのためにはまずこの最強の壁を突破しなければならない。

 

ジャックが床を蹴った瞬間、その姿がぶれた。

いや、ぶれたように見えただけだ。

 

本当は見えている。

見えているはずなのに、身体が追いつかない。

 

「っ!!」

 

反射的に身を捻った直後、頬のすぐ横を鋭い風が通り過ぎた。

 

振り返ると、私の背後にあった木が真っ二つになっていた。

もし直撃していたらどうなっていたかは、考えるまでもない。

 

だけど、以前とは違う。

少なくとも今は、辛うじて動きが見えている。

 

前のように一方的に翻弄されているわけではない。

 

私はジャックの動きを目で追った。

 

足の運びと重心移動。

攻撃の癖。

 

戦う度に少しずつ蓄積してきた情報が、頭の中で繋がっていく。

 

ジャックが右へ踏み込んだ瞬間、私は先読みして拳を放った。

 

「はあああっ!!」

 

空気を裂く渾身のストレート。

しかし――

 

「おっと」

 

紙一重、本当に数センチ。

ジャックは首を傾けるだけで回避した。

 

「前よりは良くなったね」

 

後輩の成長を褒める先輩のような言い方だった。

 

「でも――まだ甘い」

 

視界から消えたと思った次の瞬間、背後から気配を感じた。

振り返るより先に、衝撃が脇腹へ叩き込まれる。

 

「ぐっ……!」

 

身体が吹き飛び、地面を転がり、木に激突した。

肺の空気が強制的に吐き出される。

 

「アンサー!!」

 

遠くでミスティックの声が聞こえた。私は乱暴に息を吸い込む。

こんな攻撃で倒れる私じゃない。

 

「そうこなくちゃ面白くないね!」

 

二つの影が激突し、互いの攻撃が嵐のように飛び交う。

 

ジャックのパンチを腕で受け、痺れるような衝撃が走るが、私も反撃した。

 

避けられる。

さらに追撃、また避けられる。

それでも食らいつく。

 

崖に爪を立てるように。

一瞬でも気を抜けば振り落とされる、そんな戦いだった。

 

「はぁっ!!」

 

ミスティックが間に入り、低い姿勢から足払いを放つ。

 

ジャックが跳ぶのは予想通り。

今度は私がミスティックの前に入り、すぐに上段蹴りへ繋げた。

 

今度こそ――

 

「へぇ」

 

ジャックの目が、少しだけ見開かれた。

私の蹴りがジャックの頬を掠め、髪が数本、宙を舞う。

 

手応えはない。

それでも確実に近付いている、そう思った。

 

でも――

 

「前よりは強くなってる。だけどそれではまだまだウソノワール様の足元にも及ばないよ」

 

そう言って、ジャックはさらにギアを上げてきた。

 

今までと同じ速さではない。

同じ動きでもない。

 

次の瞬間、私は吹き飛ばされていた。

 

「がっ……!?」

 

「!?」

 

何をされたのかわからない。

気付けば空が見えていた。

背中から地面へ叩き付けられる。

 

そして理解した。

私は勘違いをしていた。

 

少し追いつけるようになり、対応もできるようになった。

 

私たちは確かに強くなった。

それでもジャックはまだ底を見せていない。

 

どこまでが本気なのか、それすらわからない。

 

まるで底なし沼だ。

一歩近付いたと思ったら、その先にさらに深い闇が広がっている。

 

正直なところ、まともな勝算なんて見えない。

分析も推理もしている。

 

戦略も考えている。

だけど結局は意地だ。

 

ファントムを止めるため。

世界を守るため。

ここで倒れるわけにはいかない。

 

私は拳を構えた。

ジャックはそんな私を見て、少しだけ嬉しそうに笑う。

 

「いい顔になったね、アンサー」

 

その笑みは、敵としては最悪だった。

この極限の戦いすら楽しんでいるようだったから。

 

限界が見えなくても構わない。

なら私は、その見えない限界に辿り着くまで何度でも挑み続けるだけ。

 

「アンサー!大丈夫!?」

 

「大丈夫!」

 

ミスティックが駆けつけ、手を掴んで引き上げてくれた。

 

問題ない。

どんな敵が相手でも、絶対に諦めない。

 

「そこまで必死になって何になるの?」

 

ジャックの声は、退屈な授業にでも付き合わされているかのように軽かった。

 

「私はさ、ニジーたちと違って――マコトジュエルが宿っていた〝物〟自体は盗んでないんだよね」

 

戦いの最中だというのに、その表情には焦りも罪悪感も見当たらない。

 

「そうすればマコトジュエルが宿ってた持ち主は、困らないし、悲しまない。今回もガラスの靴はもう戻ってきたんだから、マコトジュエルまで取り返す必要なんてないでしょ?」

 

まるで自分は正しいことをしているとでも言いたげだった。

 

その言葉を聞いた瞬間、胸の奥で何かが強く軋んだ。

 

怒りだ。

人の想いを軽く扱われたことへの怒り。

 

そして――人の心を何も理解していないことへの、悲しみに近い感情だ。

 

「……あくまで〝中身〟だけ取るだけなのにさ、どうして、そんなにしつこいのかな?」

 

「……当たり前でしょ!!」

 

普段の優しいみくるからは想像できないほどの強い声だった。

紫色の瞳には、はっきりと怒りが宿っている。

 

「確かに傘は残ってるかもしれない!でも――その中にあった〝想い〟はどうなるの!!」

 

風が吹き、ミスティックの髪が揺れる。

その叫びは、奪われた人たち全員の代弁のようだった。

 

私はその隣へ並ぶ。

ジャックから視線を逸らさない。

 

「持ち主が気づいてないからいいなんて、そんなの勝手すぎる!」

 

これまで集めてきたマコトジュエル。

そこに宿っていた数え切れない想い。

 

私たちは、それらを何度も見てきた。

だからわかる、マコトジュエルはただの不思議な石なんかじゃない。

 

「マコトジュエルは、ただの〝中身〟じゃない!人の大切な気持ちそのものなの!」

 

「それを奪うってことは、その人の大事なものを奪ってるのと同じだよ!」

 

たとえ本人が気づいていなくても関係ない。

誰かの想いには価値がある。

それを勝手に奪う権利なんて、誰にもない。

 

ましてや、それを利用して世界を嘘で染めようとしている怪盗団ファントムになど。

 

しかし――私たちの必死の言葉を聞いても、ジャックの表情は何一つ変わらなかった。

心底どうでもよさそうに頭をかき、

 

「はぁ、めんどくさ」

 

とだけ呟いた。

 

その一言に、場の空気が凍りつく。

私の拳がぎゅっと握られた。

 

伝わらない。

どれだけ言葉を重ねても、どれだけ想いをぶつけても、目の前の少女は、人の心の重みを理解しようとすらしない。

 

それが私には、何より許せなかった。

だからこそ、私は決意を固める。

 

言葉で届かないなら、戦ってでも止める。

マコトジュエルに込められた無数の想いを守るために。

 

そして――この少女にも、いつかその重さを知ってもらうために。

 

「アンサー、もう一回行こう!」

 

ミスティックの声が響く。

その言葉を聞いた瞬間、私の脳裏に先ほどの光景が蘇った。

 

ハンニンダーを吹き飛ばした合体攻撃。

あの一撃なら――

 

「わかった!」

 

迷う時間はない。

即座に返事をして、両手に力を込めた。

 

「プリキットライト!!」

 

眩い光が私の掌から溢れ出す。

無数の光の粒が集まり、空中で巨大な球体を形成していく。

 

光のボール、それは人間一人など軽く飲み込めるほどの大きさへと膨れ上がった。

 

周囲を照らすほどの強烈な輝き。

圧縮されたエネルギーが唸りを上げている。

 

ジャックもその様子を眺めていた。

しかし逃げる気配はない。

むしろ興味深そうに、余裕の表情で眺めている。

 

そのいつまでも崩れない余裕が、悔しかった。

 

ミスティックが反対側へ駆け、私もボールの横へ回り込む。

お互いに視線を合わせた。

 

言葉はいらない、何度も一緒に戦ってきた。

今なら息を合わせられる。

 

私たちは同時に駆け出した。

 

「「いっけえええええええぇぇぇぇぇ!!!!!」」

 

二人の叫びが重なり、全身の力を脚へ込める。

そして――

 

――ドォォォォォンッ!!!

 

二人の蹴りが同時に光のボールへ炸裂した。

 

凄まじい衝撃。

空気が爆発したかのような轟音。

 

巨大なボールは弾丸となって射出される。

ハンニンダーを吹き飛ばした時とは比較にならない威力。

二人の力が完璧に噛み合った結果だった。

 

光が一直線に駆け抜け、地面が震え、空気が裂ける。

避ける暇も与えない。

 

それでもジャックは笑っていた。

 

迫り来る巨大な光のボール。

周囲を揺るがす威力。

それらを前にしても表情一つ変えない。

 

そのまま右腕を持ち上げる。

その動作はあまりにも自然だった。

 

力を込める様子もない。

ただ鬱陶しい虫を払うかのように、軽く右腕を振った。

 

――バァァァァァァァンッ!!!!

 

「えっ――!?」

 

信じられなかった。

 

光のボールが、私たちの全力が。

ジャックの右腕に触れた瞬間――軌道を変えられていた。

 

野球のボールを打ち返すように、巨大なエネルギーの塊が弾き飛ばされ、そのまま向こうの木へ激突した。

 

轟音、爆発、衝撃波。

木が粉々に砕け散り、煙が巻き上がる。

 

それくらいの威力だったはずなのに、ジャックは右腕を軽く払っただけで無効化してしまった。

 

私は言葉を失った。

隣を見ると、ミスティックも同じ表情をしている。

 

驚愕、そして困惑。

いろんな感情が入り混じった顔だった。

 

ジャックには傷一つついていない。

呼吸も乱れていない。

 

ジャックはまだ遥か上にいる。

手が届きそうだと思う度に、さらにその先へ行ってしまう。

 

底が見えない。

どれだけ強くなれば届くのか、どれだけ努力すれば追いつけるのか、それすらわからない。

 

「来ないのなら、今度は私から行くよ!」

 

しまった。

そう思った時にはもう遅かった。

 

ジャックがいつの間にか距離を詰めている。

さっきみたいに目で追えない。

 

「っ!!」

 

反射的に腕を構えた直後、衝撃が腕に叩き込まれた。

 

骨が軋み、身体が吹き飛ぶ。

私は地面を滑りながら何とか体勢を維持した。

 

「まだまだ!」

 

また目の前にいる。

速すぎる。

 

拳、蹴り、肘打ち。

連続攻撃の嵐だ。

 

ジャックの攻撃は予測を許さない。

右だと思えば左。

上だと思えば下。

 

フェイントと本命が混ざり合い、常に判断を狂わせてくる。

 

「はああっ!!」

 

私は反撃する。

 

しかし、また空振り。

もう掠りもしない。

 

「はぁぁ!!」

 

鋭い気合いと共に、ミスティックが死角から飛び出した。

 

タイミングは完璧だった。

ジャックの意識は完全に私へ向いている。

 

背後からの奇襲。

今までなら、決まっていてもおかしくない一撃だった。

 

しかし――ジャックは振り返りもしない。

最初から分かっていたかのように、伸びてきたミスティックの蹴りを、軽く手を伸ばして掴む。

 

「っ!?」

 

ミスティックの表情が固まる。

ジャックはそのまま腕を振った。

 

空気が唸り、ミスティックの身体が投げ飛ばされて空中を大きく回転しながら吹き飛んでいく。

 

「ミスティック!!」

 

だけどミスティックもただでは終わらない。

空中で身体を捻り、見事に着地する。

 

地面を滑りながらも体勢を立て直した。

その瞳の闘志は消えていない。

 

「嘘だらけのあなたなんかに、私たちは絶対に負けない!!」

 

力強い声。

それは自分自身を奮い立たせる叫びにも聞こえた。

 

そしてミスティックは腰へ手を伸ばす。

まさか――ミスティックの手に握られていたのは。

 

「オープン!プリキットミラールーペ!」

 

眩い光が溢れる。

ポチタンが慌てて飛び上がった。

 

「ポチ!」

 

小さな身体から飛び出したマコトジュエル。

ミスティックはそれを受け取り、迷いなくミラールーペへ装着した。

 

宝石が嵌まる音が響く。

これまで数々の敵を浄化してきた私たちの切り札。

 

ミラールーペが光を放ち始める。

 

「キュアミスティックが解決!」

 

中央の宝石を回転させると、ミラールーペの上部から光が伸び始めた。

 

細長い剣身、鋭く美しい光のレイピア。

 

神秘的な輝きがミスティックを照らし、周囲の空間そのものが光に染まっていく。

 

今度こそ……今度こそ届いて。

そう願わずにはいられなかった。

 

「プリキュア!ミスティックストライク!」

 

宣言と同時にミスティックが一直線に、レイピアを構えたままジャックへ突撃。

 

「はああああぁぁぁぁぁ!!」

 

渾身の叫び。

全力、覚悟、怒り、希望――全てを乗せた一閃。

 

光の軌跡が空気を貫いた。

次の瞬間、轟音が響く。

 

――ドォォォォォンッ!!

 

激しい衝撃波。

爆風

砕け散る瓦礫

舞い上がる粉塵

 

当たった、そう思った。

いや、当たっていてほしかった。

 

これだけの力を込めたんだ。

届いていてほしい。

 

そう願いながら煙の向こうを見つめた。

 

そして、その光景を目にした瞬間――

 

全身から血の気が引いた。

 

「………!!」

 

言葉が出なかった。

息すら止まりそうになる。

 

そこにはジャックが立っていた。

無傷で平然と、何事もなかったかのように。

 

ミスティックのレイピアは、ジャックの身体へ届いていなかった。

 

届く直前で止められている。

ジャックの右手によって。

 

光の剣身が、必殺技が、浄化の力そのものが、握り潰されるように掴まれていた。

 

浄化技を正面から受け止めた敵なんて、これまで一度もいない。

 

「綺麗な力だね。なかなかの威力だよ」

 

その声は穏やかすぎた。

だから恐ろしい。

 

ミスティックの額に汗が浮かぶ。

両腕に力を込めるも、剣は一ミリたりとも進まない。

ジャックの腕は微動だにしない。

 

ミスティックの必殺技。

その輝きは確かに本物だった。

 

誰かを救いたいという想い。

真実を守りたいという願い。

嘘に立ち向かう覚悟。

 

その全てが込められた一撃だった。

 

しかし現実は残酷だった。

 

「キュアット解決!……だったっけ?そんな簡単に解決するほど、世の中は甘くないんだよ」

 

ギギギギギッ――

 

嫌な音が響き、ジャックの指がゆっくりと閉じていく。

そして――

 

――パリンッ

 

軽い音だった。

まるでガラス細工が壊れるような、そんな音。

 

ミスティックストライクの剣身が、浄化の力が、粉々に砕け散った。

光の破片が無数の粒子となって宙へ舞う。

 

「……え……」

 

理解が追いつかない。

浄化技が壊された。

 

受け止められたり防がれただけじゃない。

文字通り、破壊された。

そんな光景、誰が想像できるだろう。

 

もし今ここで私がアンサーはなまるソードを使ったとしても、結果は同じだと思う。

 

きっとジャックは受け止め、簡単に打ち砕く。

 

そんな未来が容易に想像できてしまった。

それほどまでに圧倒的だった。

 

「ぐっ!?」

 

ミスティックの苦しそうな声で、私はハッと我に返る。

 

「うっ!」

 

鈍い衝撃音と共にミスティックの身体が吹き飛んできた。

 

腹部への鋭い足蹴りで勢いよく後退したミスティックは地面を滑り、私のすぐ横まで弾き飛ばされている。

 

「ミスティック!!大丈夫!?」

 

私は慌てて駆け寄る。

 

ミスティックは片膝をつきながら息を荒げていた。

それでも彼女の瞳から光は消えていない。

 

だけど、私の心は微かに揺れていた。

 

一体どうすれば勝てるの。

その考えが脳裏をよぎる。

 

攻撃は通じないし連携も通じない。

浄化技すら通じない。

 

私たちが持てる手札を次々と潰されている。

そんな絶望が心の隅から這い上がってくる。

 

そして気づいた。

その時点で、勝てる方法を探すより先に諦めかけている。

 

それは――負けだ。

戦いに負ける前に、心が負けることだ。

 

私は強く歯を食いしばった。

違う、違う違う違う。

そんなはずない。

 

私はキュアアンサーだ。

真実を探し続けるプリキュアだ。

 

目の前に答えがなくても探す。

どんな難事件だって諦めない。

 

ジャックは相変わらず余裕そうに立っている。

私たちがどう足掻くのか観察しているみたいに。

 

なら見せてやる。

何度でも立ち上がる姿を。

 

私はミスティックの前へ出た。

拳を構える。

 

胸の奥にある恐怖も不安も絶望も、全部まとめて押し込める。

どれだけ強くても、どれだけ底知れなくても、絶対に諦めない。

 

その想いだけは、誰にも砕かせない。

 

私はジャックから目を逸らさない。

逸らした瞬間にやられる。

 

誰もが次の一手を警戒していた、その時だった。

 

「あの……」

 

場違いなほど遠慮がちな声が聞こえる。

 

一瞬、誰も反応できなかった。

それほど今の空気に似つかわしくない声だったから。

 

「みのる!?」

 

振り返ると、そこに立っていたのはみのるだった。

いつの間に私たちのところへ。

 

危ないから下がってと言おうとしたが――みのるの掌には、見覚えのある輝きがあった。

 

淡く光る結晶。

それは間違いなく――マコトジュエルだ。

 

「え!?何でみのるがマコトジュエルを持ってるの!?」

 

ミスティックが叫ぶ。

なんで、どうして、どうやって。

突然の展開に疑問が次々と浮かぶ。

 

「は?どうして!?」

 

ジャックですら、心の底から困惑していた。

 

いつも余裕を崩さず、どんな状況でも笑っている彼女の顔に、はっきりと動揺が浮かんでいる。

 

みのるは少し気まずそうに頭を掻いた。

 

「いや……あそこでニジーが倒れてて無防備だったから……」

 

「「え!?」」

 

私とミスティックの声が見事に重なった。

 

倒れてる?

無防備?

私はジャックの背後へ視線を向ける。

 

「……あ」

 

本当にいた。

道路の向こう側でニジーが完全に倒れていた。

 

戦闘不能になったボクサーみたいに、微動だにしていない。

 

状況を理解するまで数秒はかかった。

あれほど必死に守られていたマコトジュエル。

 

私たちが必死に追いかけていたマコトジュエルを、みのるが拾ってきた。

ただそれだけ。

 

あまりにも予想外すぎた。

 

ジャックは額を押さえ、そして深いため息を吐いた。

 

「ニジー……やっぱり腰のダメージがダメだったか……」

 

どこか呆れたような声だった。

思い返せば、ずっと腰をさすっていた気がする。

 

でも、こんな形で決着がつくなんて誰が予想できただろう。

 

ジャックは再びため息を吐き、そして戦闘態勢を解いた。

 

「今日はニジーも限界みたいだし、今回はあなたたちの勝ちってことにしてあげる」

 

ジャックはそう言いながら歩き出した。

倒れているニジーへ向かって。

 

勝ち

そんな実感は全くない。

 

だってジャックは無傷で、まだまだ余裕すらある。

本気を出したようにも見えない。

 

それなのに、

 

「ポチタンに回収されたマコトジュエルも、また奪えばいいだけだし」

 

ジャックはしゃがみ込み、ニジーを軽々と抱え上げ、こちらを振り返った。

 

「じゃあね」

 

次の瞬間には、ジャックとニジーの姿が消えていた。

 

「待て!!」

 

ミスティックが叫ぶも、そこにはもう誰もいない。

 

残っていた戦闘の傷跡は綺麗に元通りになり、閉ざされていた結界も消えた。

 

あんなに激戦だったのに戦いはあっさりと終わってしまう。

 

勝った。

確かに結果だけ見ればそうだ。

 

マコトジュエルは取り返した。

敵も撤退して、目的は達成した。

 

でも――胸の奥に残る感情は、勝利の喜びじゃなかった。

 

ジャックは最後まで余裕だった。

私たちの攻撃はほとんど通じなかった。

 

それでも撤退したのは、単にニジーが限界だったから。

もしニジーがマコトジュエルを持ち帰っていたら、結果はどうなっていたんだろう。

考えたくもない。

 

悔しかった。

でも、最後の最後で流れを変えたのは、ファントムでも探偵でもない。

 

ただの一人の少女。

 

私はマコトジュエルを持っているみのるを見た。

本人は状況を理解しきれていないのか、少し困ったように立っている。

 

今日の最大の功労者は、間違いなくみのるだった。

 

 

_______________

 

 

 

【みのるSide】

 

「おーい!」

 

「あんなちゃん!みくるちゃん!みのるちゃん!」

 

マコトジュエルを回収して、殺伐とした空気がようやく晴れた。

何事もなかったように事務所へ戻ると、みんながみくるたちのことを待っていた。

 

「一体どこに行ってたの?」

 

あまり言えることじゃないから、二人は苦笑いするしかない。

それよりもまずは、取り返した作品を新堂さんに返さないと。

 

「美佐子さん、はい!」

 

「ありがとうございます!」

 

満面の笑顔のあんなから渡された12時のわすれものには、ニジーが結構雑に扱っていたのにほとんど傷がついていない。

これなら特に修理することなく展示できそうだ。

 

すると道路の方からクラクションが鳴り、いかにも高級そうな赤い車から宝生さんが降りてきた。

 

「皆さま!」

 

「また怪盗か!」

 

「本物の宝生さんです」

 

毛利さんが警戒するも、その心配はもうない。

この人は宝生さん本人だ。

 

「12時のわすれものは!?」

 

「探偵さんのおかげで無事戻ってきました!」

 

12時のわすれものが無事だったことを確認して、宝生さんはホッと一息ついた。

 

また不祥事を起こしてしまわないか不安だったのだろう。

大事にならなくて良かったと思う。

 

「しっかしすごかったな!あんなが屈折率とか!」

 

「ちゃんと予習してきたんだね~」

 

ジェット先輩はあんなの名推理が印象に残っているみたいだ。

 

確かにいつものあんなじゃなかったことはわかる。

まあ、どうしてなのか私はなんとなく予想できるけど、一番状況を飲み込めないのはあんな本人だろう。

 

「え?予習?屈折率?」

 

「ほんとほんと!あんなじゃないみたいだった!」

 

わけがわからない表情で混乱するあんなを置いて、周りはどんどん話を進めていく。

 

みくるがついていけなかったり、あんながついていけなかったり、今回の事件はいろいろと複雑だった。

 

「こっちの事件も解決したし、オレたちも帰るか」

 

「うん!」

 

「ええ」

 

毛利さんたちも事件は既に解決済みなので、そろそろお別れの時間がやってきた。

 

コナンくんの正体は結局わからなかったけど、彼の推理が事件の結末を大きく変えたのは事実だ。

 

「よ……よくわからないけど、事件が解決できたのはコナンくんのおかげだよ」

 

「確かに、あの観察力凄かった!」

 

人並み外れた能力は、明らかに小学生のものではない。

あんなとみくるすら凌ぐ実力を持っている可能性もある。

 

「コナンくん!」

 

「あなた一体、何者なの?」

 

二人の呼びかけにコナンくんは立ち止まり、振り返った。

 

「江戸川コナン、探偵さ」

 

探偵……本当に探偵だった。

 

薄々気づいてはいたけど、実際に聞かされると実感が湧かない。

それもそうだ、見た目は小学生なのだから。

 

「「またね!コナンくん!」」

 

あんなとみくるはコナンくんが探偵だとわかって笑顔になり、大きく手を振って三人を見送った。

 

今後彼らと会うことがなかったとしても、今日のことは二人の記憶に深く刻まれることになるだろう。

 

夕焼けの光は、いつまでも私たちを照らしていた。

 

 

_______________

 

 

 

【るるかSide】

 

ずっと遠巻きに様子を見ていたけれど、結局任務は失敗に終わった。

 

ジャックがあれだけ好き放題暴れ回り、名探偵たちを翻弄していたというのに、最後はニジーの負傷が原因で撤退。

なんとも締まらない結末に。

 

もっとも、私は最初からこうなる可能性を考えてた。

だから驚きはない。

 

私はお店で買ったお気に入りのアイスを片手に、のんびりと劇場への帰路についていた。

 

夕方の風が心地よく頬を撫でる。

アイスの甘さが口の中に広がって、気分が良くなる。

 

任務の成否なんて私には関係ない。

失敗する時は失敗するし、成功する時は成功する。

 

そんなことを考えながら歩いていると、不意に背後から声がかかった。

 

「ねえ……」

 

聞き覚えのある声だった。

振り返ると、先ほど見かけた小さな男の子が立っていた。

 

江戸川コナン、見た目は小学生。

けれど、それを本気で信じる人間は少ないだろう。

 

少なくとも私は信じていない。

 

あの観察眼。

あの判断速度。

あの推理力。

 

どれを取っても、普通の子供の域を遥かに超えている。

 

「さっきボクのことをつけてたよね?何か気になったの?」

 

穏やかな口調でも、その瞳は鋭い。

人を観察する探偵の目だ。

 

やっぱり尾行に気づいていたみたい。

それだけでこの子が普通じゃないという証明になる。

 

「あなたのことが気になってね」

 

私は立ち止まり、真正面から彼を見た。

 

「単刀直入に聞くけど、あなた、小学生じゃないでしょ?」

 

「――――!?」

 

彼の表情がわずかに固まった。

普通の人なら見逃してしまう程度の変化だったけれど、私には十分。

 

当たり、どうやら図星らしい。

 

「そんなに驚かなくてもいいじゃない」

 

この世界には妖精がいて、時空を超える存在がいて、未来から来た人間までいる。

 

だったら見た目以上に頭脳が人間離れしていることくらい、そこまで非現実的でもない。

 

「姿に見合わない推理力、観察力、判断力、全部あの名探偵の二人より上」

 

みくるとあんな、あの二人も十分優秀。

だけど目の前の少年は、さらにその先を行っている。

 

「実力からして恐らく高校生くらい。薬か何かの影響で小さくなったりして?」

 

「お前……何者なんだ?」

 

先ほどまでの子供らしい雰囲気が消えた。

 

声も低くなって明らかに警戒している。

それはつまり、私の推理がかなり核心を突いているということ。

 

私は少しだけ懐かしい気持ちになった。

昔の私も、こんな顔をしていたかもしれない。

 

「元探偵。言えるのはそれくらい」

 

「元……?」

 

コナンは怪訝そうに眉をひそめた。

 

「探偵を辞めたのか?」

 

「諸事情があってね。今はあの二人が探偵を受け継いでるようなもの」

 

私は視線を空へ向ける。

茜色に染まり始めた雲が、ゆっくりと流れていく。

 

それ以上は語らない。

語る必要もない。

 

過去は過去だ。

今さら戻れるものでもない。

 

「ふーん」

 

コナンはしばらく私を見つめていたが、やがて肩の力を抜いた。

 

「見た感じ、そこまで怪しい奴じゃなさそうだし、俺はそろそろ行くよ」

 

意外だった。

もっと根掘り葉掘り聞いてくると思っていたのに。

 

「あまり驚かないね」

 

「生憎、俺の正体に気づいてる人は結構いるからな。慣れちまっただけさ」

 

なるほど。

秘密というのは、案外隠し通せないものらしい。

 

「頭が良い人、多いんだね」

 

「まあな」

 

短い返事。

けれどその表情には、どこか親しみやすさがあった。

きっと彼も、色々な人に助けられてきたのだろう。

 

「おーい!置いてくぞー!」

 

遠くから男性の声が響き、コナンが振り返った。

 

「あ、はーい!」

 

そして再びこちらを見る。

ほんの一瞬だけ、探偵同士が交わすような視線だった。

 

「じゃあな、名探偵」

 

そう言い残して、彼は駆けていく。

小さな背中が遠ざかる。

 

私は何も言わなかった。

ただ、その姿を見送った。

 

やがて彼が人混みに紛れて見えなくなった頃、私は静かに視線を落とす。

溶けかけたアイスが少しだけ指についた。

 

「……………」

 

懐かしいような、寂しいような、そんな感覚。

 

(もう探偵じゃないのに……)

 

誰にも聞こえない独り言は、そのまま夕暮れの街へ溶けていった。

 

私は小さく息を吐き、残りのアイスを口に運ぶ。

 

甘いはずの味が、なぜか少しだけ苦く感じられた。

 

 

_______________

 

 

 

劇場へ戻ると、いつもの騒ぎ声が響いてくる。

 

私はアイスの棒をゴミ箱へ捨てながら、声のする方へ向かうと案の定、怪盗団ファントムの面々が集まっていた。

 

その中心には――

 

「イデデデデデデ……!!」

 

ソファの上で変な姿勢のまま固まっているニジー。

 

顔色は悪いし、額には脂汗まで浮かんでいる。

そしてその背後ではジャックが湿布を片手に悪戦苦闘していた。

 

「じっとしててよ!湿布貼れないから!」

 

「く……クソ……どうしてボクがこんな目に……」

 

今にも泣きそうな顔をしているニジーに、ジャックは呆れたようにため息を吐く。

 

「あんなボールをまともに食らったんだから仕方ないでしょ」

 

ぺちん、と湿布を腰へ貼りつけた。

 

「妖精だったからぎっくり腰で済んだものの、人間だったら腰椎逝ってるからね」

 

確かに、あの威力は普通ではなかった。

 

名探偵たちと一緒にいたあの小さな探偵。

ボールを蹴った靴に何か仕掛けがありそうな感じだったけど、とんでもなく重い一撃に思える。

妖精にも通用するのだから相当でしょう。

 

「アハハハハ!!」

 

大爆笑しているのはアゲセーヌだ。

 

「ニジー、何その格好!!ウケるんだけど!」

 

人の不幸で爆笑してて全く容赦がない。

そしてその隣では事情を知らないゴウエモンが目を丸くしていた。

 

「どうしたんだ!?プリキュアにやられたのか!?」

 

「一般人よ」

 

マシュタンが即答する。

一瞬、空気が止まった。

 

「「え?」」

 

アゲセーヌとゴウエモンの声が重なる。

ジャックは面倒そうな顔で補足した。

 

「なんかめっちゃ強い女子高生にボコボコにされた後に、小学生が蹴ったサッカーボールを背中から食らってこうなった」

 

「「?????」」

 

まあ無理もない。

私も現場を見ていなければ似たような反応をしていただろう。

 

「こんな痛み……どうってこと……」

 

強がろうとしたニジーだったが、

 

「イダダダダダ……!!」

 

「これは相当重傷ね」

 

マシュタンが冷静に診断する。

 

「ぎっくり腰だから少なくとも48時間は安静にしてないと悪化する。しばらく出撃は控えた方がいいかも」

 

出撃を控えるように言われた途端、ニジーの表情がさらに曇った。

任務第一の彼にとって、それはかなり痛い宣告だろう。

 

「まあ、ウソノワール様には私から伝えておくから安心して」

 

「全然安心できない……」

 

ジャックなりの優しさのつもりらしいけれど、ニジーの表情は曇ったまま。

 

その気持ちは少しわかる。

ジャックが報告すると、余計なことまで話しそうだから。

 

そんな時、ゴウエモンが突然胸を叩いた。

 

「すぐに出撃したいのならオレに任せろ!マッサージでぎっくり腰なんて一発で治してやる!」

 

「え゙っ゙」

 

恐ろしい宣告にニジーの表情は絶望に染まり、アゲセーヌはニジーの心情を察して静かに合掌している。

 

「あちゃー。ニジー、御愁傷様」

 

「おい、何する気だ!よせ!やめろ!!」

 

ニジーが必死に逃げようとする。

しかしぎっくり腰の状態で俊敏な動きなどできるはずもない。

 

ゴウエモンの指がゆっくりとニジーの腰へ近づいていった。

 

「痛い場所はここだな?」

 

そして――ぐっと、親指が腰へ沈んだ。

 

「ギャア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!!!!」

 

劇場全体を揺らすような絶叫が響き渡った。

 

天井のステンドグラスが震えた気がする。

あまりの絶叫に私は思わず耳を塞いだ。

 

マシュタンも少し顔をしかめている。

アゲセーヌは腹を抱えて笑い転げていた。

 

「うわぁ、痛そう」

 

ジャックは他人事みたいに言いながら、呑気にお茶を飲んでいる。

 

なんというか、ニジーには悪いけれど――今日の小さな名探偵よりも、今の光景の方がよほど印象に残りそうだった。

 

この後、ニジーが変な体勢のままウソノワールに怒られたのはまた別の話。




次回のアニメ19話の小説化以降、オリジナルストーリーとして「決意の修学旅行編」を制作予定です。そのため、しばらくアニメ本編から離れるのでご理解いただけたら幸いです。
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