かわいいホームズの親友ちゃんは、相棒の座を奪われて焦心苦慮   作:くぁwせdrftgyふじこlp

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始まりの修学旅行

【みくるSide】

 

「ついに来た~!東山動物園!」

 

あんなの弾んだ声が青空の下に響く。

 

列車で名古屋まで来て、そこから地下鉄に乗り換え、さらに移動を続けて――ようやく最初の目的地である東山動植物園へ到着したのだ。

 

駅を出た瞬間から、どこか空気が違う気がした修学旅行。

その言葉だけで胸が軽くなって、足取りまで自然と弾んでしまう。

 

「長かったねー。半日くらいかかったかも」

 

朝はまだ眠かったはずなのに、今は不思議なくらい元気だ。

移動時間もかなり長く、途中はゴウエモンの妨害もあったはずなのに、疲れよりも楽しみの方がずっと大きい。

 

「でもずっと景色を眺めてるだけであっという間に時間が経つから不思議だよね!」

 

確かに窓の外を流れていく景色を見ているだけで楽しかった。

 

知らない町や知らない駅、見慣れない建物。

普段の生活から少し離れただけなのに、世界が広がったような気がする。

 

「あんなに長い移動だったのに、もう着いたの?って感じだよね」

 

そう言うと、あんながうんうんと何度も頷いた。

 

「旅行って本当にワクワクする!これから三日間どう過ごそうかなぁ?」

 

その言葉に、私も自然と笑顔になる。

まだ始まったばかりなのに、これから先のことを考えるだけで胸がいっぱいになった。

 

「私、少しだけ夜更かししてみたい!」

 

「わかる! 特別ないつもと違うことをやると楽しいよね!」

 

その気持ちはすごくわかる。

修学旅行の夜って特別だ。

 

家じゃない場所で、友達と一緒に過ごす時間。

普段なら怒られそうなことも、少しくらいなら許されそうな気がしてしまう。

 

けれど、その会話に待ったをかける人がいた。

 

「はいはい、はしゃぎたいのはわかるけどまずは集合。みんな移動してるよ。あと消灯時間にはちゃんと寝ないとダメだよ?」

 

ゆみだった。

 

実行委員として頑張っているだけあって、こういう時は本当にしっかりしている。

私たちが浮かれている分、ちゃんと現実に引き戻してくれる。

 

「はーい……げ!? もう集まってる! 早く集まらないと怒られちゃう!」

 

りえの声に私たちは慌てて前を見た。

本当だ、気づけば周囲の生徒たちはすでに集合場所へ向かい始めている。

 

「あっ、本当だ!」

 

「急ごう急ごう!」

 

「あんな、置いてくよ!」

 

「待って~!」

 

私たちは慌てて駆け出した。

 

楽しさに夢中になっていると時間なんて本当にあっという間だ。

それでも不思議と焦る気持ちすら楽しく感じる。

修学旅行という特別な時間が始まったばかりだからだろう。

 

入口付近には、たくさんの生徒たちが集まっていた。

学園の制服を着た生徒たちがあちこちで談笑し、期待に満ちた声が飛び交っている。

 

「ライオン見たいなー!」

 

「お土産何買おうかな?」

 

「自由時間どこ回る?」

 

そんな会話が次々と耳に入る。

 

普段の学校では見られないような明るい表情。

少し浮き足立った空気。

 

みんなが同じように、この特別な三日間を心待ちにしていたことが伝わってくる。

 

私もその中の一人だった。

胸の奥で期待が膨らむ。

 

これからどんな景色を見るんだろう。

どんな思い出ができるんだろう。

 

そして――。

ふと、頭の片隅にみのるの顔が浮かんだ。

 

同じ修学旅行なのに、クラスが違うから今は別行動。

 

ちゃんと楽しめているかな?

一人で無理していないかな?

 

少しだけ気になったけれど、今はきっと大丈夫だと思うことにした。

 

せっかくの修学旅行なんだから、私もみのるも、それぞれ最高の思い出を作れたらいい。

 

そんなことを考えながら、私は仲間たちと一緒に東山動物園の入口へ向かって歩き出した。

 

三日間の特別な物語は、まだ始まったばかりなのだから。

 

 

_______________

 

 

 

【みのるSide】

 

「本日はついに修学旅行ということで、誰一人欠席者が出ずに無事迎えられたのは大変嬉しく思っています。さて……」

 

理事長の落ち着いた声が響く。

 

修学旅行……生徒たちが何か月も前から楽しみにしていた一大イベントだ。

 

私はぼんやりと視線を上げる。

上空にはどこまでも青い空が広がっている。

 

雲一つない快晴。

絶好の旅行日和だ。

 

けれど、その青空とは正反対に、私の心はどんよりと曇っていた。

 

理由は単純だ。

自分のクラスにまともに話せる相手がいない。

 

みくる、あんな、ゆみ、りえ。

私が普段一緒にいるみんなは揃って一組。

そして私は二組。

 

よりによって修学旅行まで別々だ。

 

今さらどうにもならないことだとわかっている。

それでもクラス替えを決めた先生たちに文句の一つでも言いたくなる。

 

まあ、そんな気力すら湧かないのだけれど。

私は小さく息を吐いた。

 

修学旅行

普通の生徒なら胸を躍らせるイベントだろう。

でも私にとっては少し違う。

 

友達が一人もいないクラスで二泊三日を過ごす。

知らない生徒たちと班を組み、観光地を回り、食事をして、同じ部屋で寝る。

 

考えれば考えるほど気が重かった。

 

正直な話、一人旅の方がよほど気楽だ。

誰にも気を遣わなくていい。

好きな場所へ行って、好きなものを見て、好きな時間に休める。

 

修学旅行にならないのだけれど、その方がずっと楽しい気がする。

 

ふと一人の顔が思い浮かぶ。

 

依田ゆみ

今回の修学旅行の実行委員長だ。

 

そういえば以前、みくるたちから聞いたことがある。

ゆみはこの修学旅行のために何度も話し合いを重ね、みんなが楽しめる内容を考えていたらしい。

 

それだけではない。

旅行会社へ自ら挨拶に行ったこともあるという。

 

学校行事のためにそこまで本気になれる人を私は知らなかった。

面倒だからと適当に済ませる人ならいくらでもいる。

 

けれど、ゆみは違う。

みんなのために動く。

 

誰かが楽しめるように考えるその姿勢は純粋にすごいと思う。

少なくとも私には真似できそうにない。

 

そんなことを考えていると、先生がマイクを持った。

 

「次に実行委員長の依田ゆみさんから一言お願いします」

 

「はい!」

 

元気の良い返事が響く。

ゆみが列から出て、みんなの前へと歩いていく。

 

いつも通り堂々としているように見えた。

けれど近くで見れば少しだけ肩に力が入っている。

 

緊張しているのかもしれない。

それでも逃げずに前へ立つところが、やっぱりゆみらしかった。

 

全員の前に立って一度だけ深呼吸する。

 

「ついに待ちに待った修学旅行です。ルールを守って元気よく――そしてみんなで最高の思い出を作りましょう!」

 

その声は驚くほどよく通った。

遠くまで届きそうな力強い声。

 

周囲を見渡すと、みんな期待に満ちた表情をしている。

 

笑顔の人もいる。

友達と顔を見合わせている人もいる。

 

友達と一緒に知らない土地を巡り、美味しいものを食べて、観光して、夜には部屋でくだらない話をして笑い合う。

 

きっとそれは、一生忘れられない思い出になる。

ゆみが目指しているのも、そういう修学旅行なのだと思う。

 

――みんなが楽しめる修学旅行。

 

その言葉は立派だ。

本当に立派だと思う。

 

修学旅行が嫌なわけじゃない。

行きたくないわけでもない。

東山動物園だって楽しみだし、見たことのない場所へ行けるのは素直に嬉しい。

 

それなのに心の底から楽しめる自信がない。

その理由は、自分でもよくわかっている。

 

私はそっと視線を横へ向けた。

周囲ではクラスメイトたちが思い思いにこっそりと会話を交わしている。

 

「お土産どうする?」

 

「絶対写真いっぱい撮ろうぜ!」

 

「夜は寝るなよ?」

 

「無理だって、先生に怒られる!」

 

あちこちから笑い声が聞こえる。

みんな本当に楽しそうだった。

 

仲の良い友達同士で集まり、これから始まる三日間への期待を隠そうともしていない。

 

その光景を見ていると、自分だけが少し遠い場所にいるような気分になる。

 

別に仲間外れにされているわけじゃない。

小学生の頃みたいにいじめられているわけでもない。

陰口を言われているわけでもないし、嫌われているわけでもない。

 

ただ――。

気軽に話しかけられる相手がいない。

 

それだけだ。

本当に、それだけのこと。

 

でも、その「それだけ」が思った以上に大きかった。

 

修学旅行という行事は、一人で楽しむためのものではない。

誰かと一緒に笑い、誰かと一緒に歩き、誰かと一緒に思い出を作る。

 

そういうことを前提に作られている。

 

だからこそ、自分だけ少し取り残されているような感覚が消えないのだ。

 

私はふと一組のことを思い浮かべた。

 

みくるたちのクラス。

あそこはいつも賑やかだ。

 

みくるがいて、あんながいて、ゆみがいて、りえがいて、誰かが笑えば周りも笑う。

教室全体が明るくて、活気に満ちている。

 

動物園では真っ先に走り出しそうだし、夜になれば消灯時間ぎりぎりまで話し続けるに違いない。

 

そんな光景が簡単に想像できた。

少しだけ羨ましい。

 

そんなことを考えながら前へ視線を戻す。

ゆみはまだ話を続けていた。

 

真剣な表情で。

一生懸命な声で。

その姿を見ていると、自然と背筋が伸びる。

 

今回の修学旅行のために、ゆみがどれだけ頑張ってきたか私は知っている。

 

実行委員として意見をまとめて。

先生たちと相談して。

旅行会社へ挨拶に行って。

みんなが楽しめるように何度も準備を重ねてきた。

 

きっと面倒なこともたくさんあったはずだ。

途中で投げ出したくなったことだってあったかもしれない。

 

それでもゆみは逃げなかった。

誰かのために動き続けた。

私はそんな彼女を尊敬している。

 

だから思う。

せめて、その努力を無駄にはしたくない。

 

ゆみが願った「みんなで楽しむ修学旅行」。

その「みんな」の中には、きっと私も含まれている。

 

そう思いたかった。

 

だけど――胸の中の不安は簡単には消えてくれない。

 

友達が少ないこと。

集団行動が苦手なこと。

人との距離感がうまく掴めないこと。

気づけば一人になってしまうこと。

 

そういう自分の弱さは、修学旅行に行ったからといって急に消えるものじゃない。

 

三日間で別人になれるわけでもない。

だから、「絶対に楽しめる」とは言えなかった。

 

期待に応えたいし、頑張りたいとも気持ちもある。

でも自信はない。

 

私は小さく息を吐いた。

すると前方で、ゆみの話が終わろうとしているのが見えた。

 

最後の言葉を言い終えた瞬間拍手が広がる。

大きな音の波が押し寄せるようだった。

 

私も自然と手を叩く。

ぱち、ぱち、と規則正しい音が響く。

その拍手に混ざりながら、私は静かに思った。

 

――楽しめるかどうかはわからない。

正直、今でも不安の方が大きい。

 

途中で気まずい思いをしたり、一人で落ち込むこともあるかもしれない。

 

それでも――せっかくの修学旅行なんだ。

最初から諦めるのは違う気がする。

 

ゆみが一生懸命作ってくれた三日間だ。

まだ何も始まっていないのに、「どうせ無理だ」と決めつけるのは失礼な気がした。

 

だから少しだけ頑張ってみよう。

無理に明るくなる必要はない。

無理に誰かと仲良くなる必要もない。

 

でも、せめて目の前にある三日間から逃げるのだけはやめよう。

 

私は拍手を続けながら、ほんの少しだけ顔を上げた。

 

期待と不安。

希望と緊張。

様々な感情が入り混じる中で、修学旅行の始まりはもうすぐそこまで迫っていた。

 

「はい、それでは次に修学旅行中の注意事項について説明します」

 

先生が再び前に立ち、あちこちから聞こえるか聞こえないかくらいの小さなため息が漏れる。

 

大事な話なのはわかる。

修学旅行は学校行事だし、自由に見えて実際は色々な決まりがある。

 

勝手な行動をする生徒が出れば先生たちも困るだろう。

 

だから必要な説明だ。

必要なのはわかるけれど――長い。

 

じんわりとお尻が痛い。

さっきからずっと同じ姿勢だ。

 

体重を右にかけたり左にかけたりしてみるけれど、焼け石に水だった。

 

むしろ変に動くせいで余計に落ち着かない。

先生は前で資料を読みながら説明を続けている。

 

「自由行動中でも必ず班行動を守ること」

 

「集合時間には余裕を持って行動すること」

 

「体調が悪くなった場合は――」

 

うん、大事な話だ。

でも早く終わってほしい。

 

目的地が目の前にある状態で待たされるというのは、思った以上にもどかしい。

周囲を見回すと、同じような気持ちの生徒が何人もいた。

 

足を小刻みに動かしている人。

体を揺らしている人。

時計を何度も確認している人。

落ち着かない様子でモジモジしている人。

 

普段は真面目そうな生徒ですら、そわそわしているのがわかる。

 

それも無理はない。

遠足や修学旅行の説明というのは、目的地へ行く直前が一番長く感じるものだ。

 

先生はそんな生徒たちの様子など気にも留めず、淡々と話を続ける。

 

「また、動物に食べ物を与えることは禁止です」

 

いや、誰もやらないと思うけど。

 

先生の説明は、まだまだ続くのではないかと思っていた。

 

何度目かわからないほど姿勢を変え、お尻の痛みをごまかしながら話を聞いていた私は、半ば諦めかけていた。

 

すると――

 

「はい、これで注意事項は終わりです」

 

その一言で周囲の空気が変わった。

 

「もう待ちきれない人が多いみたいなので、クラスごとに順番に中へ入りましょうか」

 

先生が苦笑しながらそう言った。

 

誰も騒いではいない。

勝手に立ち上がる生徒もいないし、大声を出す人もいない。

 

でも、全員の表情を見ればわかる。

「待ってました!」そんな言葉が顔に書いてあるようだった。

 

先生たちもそれを察しているのだろう。

厳しく注意する様子もなく、むしろ少し楽しそうに見えた。

 

前方では先生たちが誘導を始める。

 

「まずは一組から」

 

その言葉とともに、一組の生徒たちが立ち上がり、ガサガサと制服の擦れる音が広がった。

 

列を作りながら入口へ向かう生徒たち。

私は何となくその集団を眺めていた。

 

そして、すぐに見つけた。

 

みくる、あんな。

そして、ゆみとりえ。

 

四人が並んで歩いている。

何か楽しそうに話していて、時折笑い声も聞こえてくる。

 

みくるはいつものように明るく笑っていた。

 

あんなも楽しそうだ。

 

ゆみは先ほどまで実行委員として頑張っていた緊張感が解けたのか、どこか晴れやかな表情をしている。

 

りえも楽しそうに相槌を打っていた。

 

自然な光景だった。

仲の良い友達同士が修学旅行を楽しみにしている。

 

それだけのことなのに――胸の奥が少しだけ痛んだ。

 

楽しそうだな……私もあの輪の中にいたら、もっと修学旅行を楽しみに思えたのかな。

そんな考えが浮かんでしまう。

 

私はみくるたちと一緒にいると安心するし、楽しい。

だから別のクラスになってしまったことを時々残念に思う。

 

もちろん、クラスが違っても友達であることは変わらない。

それはわかっている。

 

でも、同じクラスだったら良かったのにな。

そんな小さな願いが心の中をよぎる。

 

もし同じクラスだったら、今頃あの輪の中で一緒に笑っていたかもしれない。

修学旅行への不安も、もう少し小さかったかもしれない。

 

そんなことを考えているうちに、一組の姿は少しずつ遠ざかっていった。

みくるたちの笑顔も見えなくなる。

 

私は静かに視線を落とした。

考えても仕方のないことだ。

クラス分けは変えられない。

今いる場所で過ごすしかない。

 

「次、二組」

 

先生の声が聞こえた。

私たちの番だ。

 

周囲の生徒たちが立ち上がり、私も少し遅れて腰を上げた。

 

長時間座っていたせいで足とお尻が重い。

制服のしわを軽く整えながら列へ加わる。

 

入口の向こうには東山動物園が待っている。

 

期待と不安。

楽しみと寂しさ。

いろいろな感情が胸の中で入り混じる。

 

それでも時間は進む。

私は前を歩くクラスメイトの背中を見ながら一歩ずつ歩き出した。

 

修学旅行の最初の一日が、いよいよ始まろうとしていた。

 

 

_______________

 

 

 

【みくるSide】

 

ライオン舎の前にたどり着いた瞬間、自然と足が止まった。

 

ガラス越しではない広々とした展示場。

その奥でゆったりと歩く一頭のライオンの姿が目に入った。

 

「すごい!!本物のライオンだ!!」

 

隣であんなが目を輝かせながら身を乗り出した。

 

「なんて迫力……さすが百獣の王……」

 

テレビや図鑑では何度も見たことがある。

けれど実際に目の前で見るのとはまるで違った。

 

大きな体に筋肉の盛り上がった四肢。

鋭い眼光。

 

ただ歩いているだけなのに、その存在感は圧倒的だった。

 

まるで「自分がこの場所の頂点だ」と何も言わずに示しているような風格がある。

 

肉食動物のコーナーはどこも人気だったが、その中でもライオンの前には特に多くの人が集まっていた。

 

やはり百獣の王、その呼び名にふさわしい威厳を持っている。

 

「ひぇ~、すっごく強そう!私たちなんか簡単に食べられちゃいそう!」

 

ゆみが少し後ずさりしながら言った。

安全な柵や設備で守られているけれど、もし何もなかったらと思うと少し怖い。

 

「メスのライオンは集団で狩りをしてるみたいだからね。もし狙われたら逃げられないよ」

 

「一匹だけでも強いのに、みんなで協力するからすごいよね!」

 

ライオンたちはそれぞれ思い思いに過ごしている。

日陰で寝そべるものもいれば、周囲を見回しているものもいる。

 

その中でひときわ目立つ大きなたてがみを持った個体を見て、あんなが口を開いた。

 

「たてがみがあるのがオスで、ないのがメスなんだよね?」

 

「うん。オスは群れの縄張りをパトロールして、他のライオンや外敵から家族を命がけで守るという非常に重要な役割を担ってるんだよ。メスは狩りや子育て、それから縄張りの防衛を行うことが多いの」

 

「へぇ~」

 

こういう話を聞いてくれるのは少し嬉しい。

私は探偵だし探偵が好きだから、何かを調べたり知識を集めたりするのも好きなのだ。

 

「さすがみくる。なんでも知ってるね!」

 

ゆみが尊敬するような目を向けてくる。

 

「テレビで見たことがあったからね。ある程度のことくらいしかわからないけど」

 

少し照れながら答えた。

本当に詳しい専門家から見れば、私はまだまだ知識不足だろう。

 

それでも、こうしてみんなと話せるくらいには覚えていてよかったと思う。

 

「テレビで見るような動物を実際に見ることができる動物園は凄いよね!」

 

目の前ではライオンがゆっくりと立ち上がり、大きな欠伸をした。

鋭い牙が見えただけで、思わず背筋が伸びる。

 

もし自然界で遭遇したら、きっと一瞬で足がすくんでしまうだろう。

それほどまでに圧倒的な強さを感じる。

 

だけど同時に、その姿はどこか美しかった。

 

力強さと気高さを兼ね備えた王者の風格。

私たちはしばらく言葉を忘れたように、その堂々たる姿を見つめ続けていた。

 

 

_______________

 

 

 

ライオンたちの迫力に圧倒されながらも、私たちは次の展示へ向かって歩き始めた。

 

園内はとても広く、歩いているだけでも様々な動物たちの鳴き声が聞こえてくる。

遠くでは鳥の声が響き、どこかの展示場からは子どもたちの歓声も聞こえていた。

 

そんな中、先頭を歩いていたゆみが得意げな表情で振り返る。

 

「ちなみにこの東山動物園は全国の動物園の中で一番飼育している動物の種類が多いんだよ!」

 

「そうなの!?」

 

あんなが驚いて目を丸くした。

 

「約450種類くらいかな?半日で見て回るのは厳しいくらいの動物が飼育されてるんだ」

 

450種類……数字を聞いただけでも想像が追いつかない。

確かに歩いているだけでも次から次へと展示が現れる。

 

「多すぎてどの動物を見て良いのかわかんないよ……」

 

「迷っちゃうよね……全部見てみたい気持ちはあるけど時間は有限だし……」

 

私は手に持っていたパンフレットを開く。

そこには園内マップが大きく掲載されていて、各エリアには動物たちの写真や可愛らしいイラストが描かれていた。

 

ゾウ、キリン、ゴリラ、コアラ、ペンギン、レッサーパンダ。

名前を見ているだけで気になってしまう。

 

候補が多すぎて選べない。

探偵として事件現場の情報整理には慣れているつもりだったけれど、これは別の意味で難しい問題だった。

 

「そういうときこそ、ちゃんと調べてきたんでしょ?ゆみ」

 

りえが落ち着いた口調で言うと、ゆみは胸を張った。

 

「もちろん!限られた時間でどんな動物を見るべきか、しっかりしおりにもオススメとして書いたから参考にしてね!」

 

私は修学旅行のしおりを開いてみる。

すると確かに、園内のおすすめスポットや見どころがわかりやすくまとめられていた。

動物ごとに簡単な解説まで書かれている。

 

「本当だ!わかりやすい!」

 

限られた時間で効率よく回るための工夫がしっかりされている。

さすが実行委員長だ。

 

「しおりに書いている動物でここから一番近いのは……コアラだね」

 

「コアラ!主にオーストラリアで生息している動物ね!」

 

木の上でのんびりしている姿が有名な動物だ。

 

テレビや写真で何度も見たことはあるけれど、本物を見る機会はなかなかない。

 

「その通り!そしてこの東山動物園は日本で初めてコアラが来園した動物園なんだよ!」

 

ゆみが嬉しそうに補足する。

 

「東山動物園ってすごい!」

 

実際、ここへ来てから驚くことばかりだった。

日本最大級の飼育種類数を誇るだけでなく、歴史的にも特別な動物園らしい。

 

そんな話をしながら歩いていると、人の流れが少しずつ増えてきた。

前方には家族連れや観光客の姿が多く見える。

 

「あ、そろそろコアラがいる場所だよ。人も多くなってきたし」

 

りえの言う通り、確かに周囲の賑わいが一段と大きくなっている。

 

人気動物だけあって、多くの人がお目当てにしているのだろう。

 

私たちは少しだけ足を速めた。

テレビでしか見たことのないコアラ、一体どんな姿をしているのだろう。

 

胸の中に小さな期待を抱きながら、私たちはコアラ舎へと向かっていった。

 

 

_______________

 

 

 

コアラ舎へ足を踏み入れた瞬間、周囲の空気がどこか柔らかくなったような気がした。

 

「かわいい~!」

 

「本当だね……癒される気分……」

 

自然と頬が緩むほどに癒される存在。

木の上で丸くなっているコアラは、まるでぬいぐるみのようだ。

 

小さく丸っこい体。

ふわふわした灰色の毛並み。

大きな丸い耳。

そして特徴的な黒くて大きな鼻。

 

どこを見ても愛らしく、見ているだけで心が和んでいく。

 

ライオンのような圧倒的な迫力とはまったく違う。

ただそこにいるだけで、人を幸せな気持ちにさせる不思議な魅力があった。

 

なるほど、人気があるわけだ。

実際、周囲には大勢の来園者が集まっている。

 

ライオン舎の前もかなり賑わっていたけれど、ここはそれ以上かもしれない。

 

あちこちでカメラが構えられ、誰もがコアラの姿を写真に収めようとしている。

人の流れも絶えず、少し場所を空けるとすぐに別の人が入ってきている。

 

「このコアラもほとんどテレビでしか見ないから、生で見ると全然印象が違うね」

 

どの動物もそうだが、映像越しでは伝わらない部分がたくさんある。

 

木の上でゆっくり体を動かす様子や、時折耳をぴくりと動かす仕草まで細かく見える。

その一つ一つが可愛らしい。

 

「でも人多すぎて見えにくいんですけど~!?」

 

後ろからりえの声が聞こえた。

確かに人垣ができていて、場所によってはなかなか見えない。

 

「こっちに来たらよく見えるよ!」

 

ゆみはそう言うと、りえの腕を引っ張って私たちの前まで連れてきた。

 

「本当だ!かわいい!」

 

りえの目が輝いた。

コアラの前では誰もが自然と笑顔になるらしい。

 

「ああ……まだ二ヵ所しか見てないのにずっと眺めていたい気分だよ……」

 

名残惜しそうに呟くあんなの気持ちはわかる。

見ているだけで癒されるし、時間を忘れてしまいそうになる。

 

「眺めていたいのはわかるけど、そろそろ移動しないとね。人も多いし」

 

私がそう言うと、あんなは少しだけ残念そうな顔をした。

 

でも修学旅行はまだ始まったばかりだ。

見たいものはたくさんある。

ここで立ち止まってばかりもいられない。

 

そんなときだった。

 

「えっと……私、お腹空いちゃった……」

 

りえが遠慮がちにお腹を押さえる。

言われてみれば、私も少し空腹を感じていた。

 

「そういえば朝から何も食べてないよね。時間はまだあるからお昼ご飯にしようよ」

 

「そうだね。もう午後だし、食べておかないと昼食を抜くことになっちゃうからね」

 

私は持ってきていた腕時計を確認しながら頷いた。

夢中になって動物を見ていたせいで、時間が経つのを忘れていたらしい。

 

「やったー!修学旅行最初のご飯は何にしようかな~!」

 

あんなは一瞬で元気を取り戻し、パンフレットを広げる。

さっきまでコアラに夢中だったのに、切り替えが早い。

 

パンフレットのマップには園内のレストランや売店がいくつも記載されている。

 

今回の昼食は各班ごとに自由行動。

好きな場所で食べていいというのも修学旅行ならではだ。

 

学校の食堂やホテルのバイキングとは違う特別感がある。

 

「周辺にいくつかあるけど、東山スカイタワー最上階にあるレストランとかどうかな?」

 

東山スカイタワー

東山公園内に建つ高さ134mの展望タワーだ。

 

展望台からは名古屋市街を一望できるらしく、レストランではその景色を見ながら食事もできるという。

 

「東山スカイタワーの最上階!?絶対ここがいいよ!景色を眺めながら食べれるんでしょ!? 最高だよ!」

 

あんなが勢いよく飛び跳ねた。

今にもタワーへ走り出しそうな勢いである。

 

「かなり興奮しちゃってるね」

 

「はいはい、レストランは逃げたりしないから落ち着いて」

 

それでもあんなの期待は止まらないらしく、パンフレットを握りしめたまま目を輝かせていた。

 

そんなあんなをなだめながら、私たちは東山スカイタワーへ向かって歩き始める。

 

遠くに見える高い塔は青空によく映えていた。

 

しかも中学生以下は利用料無料らしい。

修学旅行中の私たちにとってはありがたい話だ。

 

動物園を見下ろす景色はどんな風に見えるのだろう。

そして、その景色を眺めながら食べる昼食はどれほど美味しいのだろう。

 

 

_______________

 

 

 

【みのるSide】

 

私は今、東山動物園の園内を歩いている。

周囲にはたくさんの生徒たちがいて、みんな楽しそうに会話をしていた。

 

でも、その輪の中に私はいない。

そして、ようやく理解した。

 

修学旅行は、話せる相手が隣にいなければ何も楽しくない。

 

私の班にいるのは、ほとんど話したことのないクラスメイトたちだ。

 

別に嫌われたり無視されているわけでもない。

 

けれど居場所がない。

みんなは自然に会話をしている。

 

私だけがそこに入れない。

まるで透明人間になったような感覚だ。

 

「あ、ペンギンだよペンギン!」

 

「かわいいなぁ……エサやりっていつなのかな?」

 

「まだしばらくはやらないと思うよ」

 

そんな会話が耳に入る。

私は少し離れた場所からペンギン舎を眺めた。

 

フンボルトペンギンは南米の海岸沿いに生息する種類だったはずだ。

 

展示場所も本物の岩場を再現したような造りになっていて、なかなか凝っている。

 

水辺を歩く姿も可愛らしい。

きっと普通ならもっと楽しめたのだと思う。

 

でも今の私には、その光景を心から楽しむ余裕がなかった。

 

目の前に動物がいても心はどこか遠くにある。

楽しもうと努力してみても、結局は空回りするだけだった。

 

無理に笑おうとしても疲れるだけ。

無理に会話へ入ろうとしても勇気が出ない。

何もできないまま時間だけが過ぎていく。

 

修学旅行初日の昼前。

まだ始まったばかりなのに、もう帰りたいと思ってしまう。

 

先が思いやられた。

班行動だから勝手に離れることもできない。

かといって話しかけられるわけでもない。

 

終わりの見えない罰ゲームだ。

楽しいはずの場所にいるのに、心だけが置き去りになっている。

 

ゆみ、ごめん。

実行委員長として一生懸命準備してくれたことはわかってる。

みんなが楽しめるように頑張っていたことも知ってる。

 

でも私には無理だった。

あんなやみくるがいる一組なら違ったのかもしれない。

 

少なくとも、こんな気持ちにはならなかったはずだ。

 

クラスが違う。

たったそれだけのことなのに、その影響は想像していたよりずっと大きかった。

 

「ねえ、そろそろお腹空いたからご飯にしない?」

 

「そうだね!」

 

班の誰かがそう言った。

 

昼食か……そういえば朝から何も食べていない。

もしかすると、この沈んだ気分も空腹のせいなのだろうか。

 

いや、多分違う。

そんな単純な問題ではないことくらい、自分が一番よくわかっている。

 

「あ、そうだ。あの高いタワーにレストランがあるからそこで食べようよ!」

 

「いいね!そうしよう!」

 

「最上階にレストランがあるってすごいよね!」

 

三人は盛り上がりながら歩き始めた。

 

東山スカイタワー

遠くに見える大きな塔が青空へ向かって伸びている。

 

本来なら私も少しは興味を持ったのかもしれない。

景色だって綺麗だろうし、レストランも楽しそうだ。

 

でも今は何も感じなかった。

三人は楽しそうに話しながら歩き、私はその後ろを黙ってついていく。

 

誰も私に話しかけない。

私も話しかけない。

 

班員ではなく荷物の一つになったような気分だった。

 

小学生の頃の記憶がふと脳裏をよぎる。

 

教室の隅で感じていた孤独。

周りだけが楽しそうに見えていたあの日々。

 

あの頃ほど酷くはない。

それなのに――

 

胸の痛みだけは妙に似ていた。

 

楽しそうな笑い声が遠く聞こえる。

青空の下で、たくさんの人が笑っている。

 

その中にいるはずなのに、私はどこにもいなかった。

 

「はぁ……」

 

誰にも聞こえないように小さくため息をつく。

修学旅行はまだ始まったばかりなのに、もうずいぶん長い時間を過ごしたような気分になっていた。

 

 

_______________

 

 

 

東山スカイタワーの展望フロアに足を踏み入れた瞬間、私は足を止めた。

 

(すごい……)

 

ガラス張りの窓の向こうに広がる景色は、私の想像をはるかに超えていた。

 

眼下には名古屋の街並みがどこまでも続いている。

 

高層ビルやマンション、道路を走る無数の車、遠くまで広がる住宅街。

 

それらが一つの巨大な都市として繋がり、まるで地図をそのまま現実にしたような光景を作り出していた。

 

名古屋市は東京、大阪と並ぶ三大都市圏の一つ。

 

言葉では知っていたしテレビでも聞いている。

でも、こうして高い場所から実際に見下ろすと、その規模の大きさがまるで違う。

 

人が築き上げた巨大な街。

無数の人々が生活している場所。

 

その壮大さに、少しだけ心を奪われた。

 

もし今が夜だったらどうだろう。

無数の明かりが輝き、街全体が宝石箱のように見えるのかもしれない。

 

夜景もきっと綺麗なんだろうな。

そんなことを考えながら視線を横へ移した。

 

「わぁすごい!」

 

「ここって標高が高い場所にあるからもっと高く見えるんだよ!」

 

「へぇ!そうなんだ!」

 

班の三人は窓際に集まり、楽しそうにはしゃいでいる。

 

さっきまで動物園で見ていた時と同じだ。

純粋に景色を楽しみ、驚き、感動している。

 

まあ、修学旅行なんだからそれでいいのだろう。

私だって本来ならそうあるべきだと思う。

 

ただ――建物の中だから、少しは声を抑えた方がいいんじゃないかな。

 

「みくる!早く来て!すごい景色だよ!!」

 

「あんな、あんまり大声を出すと迷惑になっちゃうよ!」

 

ほら、違う子も注意されてる。

 

………ん?

 

聞こえてきた声に、心臓が一瞬だけ大きく跳ねた。

 

まさか、そんなはず――。

そう思いながら視線を向ける。

 

「確かに絶景だねー!調べた時は写真でしか見たことがないけど、やっぱり現実で見たら全然違うね」

 

「調べるだけじゃ気づけないことってたくさんあるんだね」

 

窓際で話している二人。

ポニーテールの少女とカチューシャをつけた少女。

 

見間違えるはずがない。

あんなとみくる、そしてゆみとりえだった。

 

なんでここに……いや、同じ修学旅行なんだからいてもおかしくない。

 

東山動物園に来ているのだから、スカイタワーに来る可能性だってある。

 

頭では理解できる。

でも、さっきまでずっと孤独を感じていたせいか、その姿は砂漠で見つけたオアシスみたいに見えた。

 

運なのか偶然なのか。

それとも神様が少しだけ気を利かせてくれたのか。

 

ただ一つだけ確かなことがあった。

さっきまで灰色だった景色が、少しだけ色を取り戻した気がしたのだ。

 

すると、あんながこちらを見た。

続いてみくるも。

その流れでゆみやりえも振り返る。

 

示し合わせたかのように、全員の視線が一点に集まった。

 

数秒にも満たない沈黙。

だけど、その時間は長く感じられた。

 

「「「「「……あ」」」」」

 

さっきまで賑やかだった空気が嘘みたいに止まっている。

私も何か言わなければと思うのに、頭が真っ白になってしまう。

 

こういうとき、何て言えばいいんだろう。

久しぶりに会ったわけでもないのになぜか緊張してしまう。

 

「は、ハロー……」

 

結局、口から出てきたのはそんな間抜けな挨拶だった。

 

「「「「……………」」」」

 

返事がない。

みんな固まっているだけなのはわかるんだけど――

 

(な、何この無言……)

 

ものすごく怖い。

せっかく偶然会えたのに、変な空気になってしまった。

 

もしかして班行動の途中だし、あまり話しかけない方が良かったのだろうか。

 

そんなことを考えながら、一歩だけ後ろへ下がろうとしたときだった。

 

「みのる~!会いたかった~!」

 

「え!?ちょっと何!?」

 

視界が突然埋まった。

みくるが勢いよく飛びついてきたのだ。

 

私は反射的によろめく。

柔らかな感触と同時に、周囲から集まる視線を嫌というほど感じた。

 

展望フロアには観光客もたくさんいる。

そんな場所で抱きつかれたら目立たないわけがない。

 

恥ずかしさで顔が熱くなる。

 

「一人で寂しくない?私たちがいなくて悲しい思いをしてない?」

 

みくるは心配そうな声で言った。

 

本当の気持ちを正直に言うなら、寂しかった。

修学旅行が始まってからずっと。

 

でも――

 

「寂しくないことはないけど、少し離れた方がいいかも。みんな見てるし」

 

私がそう言うと、みくるはようやく周囲の視線に気づいたらしい。

 

「あっ、そうだった……」

 

慌てて離れるみくる。

 

実際、会えて嬉しかった。

それは間違いない。

さっきまでの重苦しい気持ちが、少しだけ軽くなっているのだから。

 

「わーお。みくるが抱きついてるのって初めて見るからなんか新鮮」

 

「いつも私たちがみくるに抱きついてる側だからね」

 

その様子を見ていたあんなは頬を膨らませて嫉妬してる。

 

「みのるばっかりずるい!私も入れて!」

 

「えっ」

 

止める間もなくあんなまで飛び込んできた。

結果、私の周りだけ騒がしい空間が完成してしまった。

 

展望フロアの景色より目立っている気さえする。

 

嫌というわけじゃないんだけど、周囲の目が本当に痛い。

そんな私の気持ちを察したのか察していないのか、ゆみが苦笑しながら言った。

 

「これ以上は迷惑になるからレストラン行くよ。じゃないと残りの時間がなくなっちゃうよ?」

 

「「それは嫌!!」」

 

「元気良いね……」

 

あんなとみくるの声が綺麗に重なる。

息ぴったりだなこの二人。

 

それだけで少しだけ気持ちが和らいだ。

 

私にはない明るさだ、眩しいくらいに。

 

すると、ゆみが私の方を向いた。

 

「みのるも修学旅行楽しんでる?」

 

「えっ……うん。もちろん!」

 

反射的に答えていた。

笑顔も作ったと思う。

 

ちゃんと笑えていただろうか。

本当のことを言えば、楽しいとは言い切れない。

 

つまらないわけではない。

でも、ずっと一人でいるような感覚だった。

 

それを今ここで言うわけにはいかない。

ゆみは実行委員長として、この修学旅行のためにたくさん頑張ってきた。

 

そんな彼女の前で「楽しくない」なんて言えるはずがない。

 

少し顔が引きつった気もしたけれど、どうやら誤魔化せたらしい。

 

「ゆみの熱量は他の生徒とは比べ物にならないから、誰でも楽しめると思うよ!」

 

「……そうだね」

 

その言葉はきっと正しい。

ゆみは誰よりもこの修学旅行を成功させようとしていた。

 

しおりの内容だってそうだ。

事前調査だってそうだ。

みんなが楽しめるように、たくさん準備してきた。

 

だからこそ――私も少し考え方を変えなければいけないのかもしれない。

 

これから先、まだ二日以上ある。

今からずっと悲観的なままだったら、本当に何も楽しくなくなってしまう。

 

少しくらい前向きになってみよう。

 

無理にとは言わない。

でも、せめてマイナスな感情ばかり抱え込まないように。

 

そうすれば、もしかしたら何か楽しいことが起きるかもしれない。

 

――起きていてほしい。

 

タワーの窓の向こうに広がる名古屋の街並みを眺めながら、私はそんな小さな願いを胸の中でそっと呟いた。

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