かわいいホームズの親友ちゃんは、相棒の座を奪われて焦心苦慮 作:くぁwせdrftgyふじこlp
【ジャックSide】
約束の日まで、あと1週間弱。
その事実が近づくにつれて、劇場の空気は少しずつ変わり始めていた。
いつもならアゲセーヌの笑い声が響き、ニジーが何かに文句を言い、ゴウエモンがそれを宥める。
そんな騒がしい私たちの拠点も、今だけは妙な緊張感に包まれている。
その中心となっているのは、劇場のエントランス。
かつては客を迎え入れるための広い空間だった場所に、今は私たち四人が立っていた。
アルカナ・シャドウはいない。
少し離れた場所にはウソノワール様がこちらを静かに見物している。
そして――
「三人同時でいいよ」
私は軽く手招きした。
向かい側に並んでいるニジー、アゲセーヌ、ゴウエモンの表情が一斉に険しくなる。
今日はマコトジュエルを奪うための戦いではない。
特殊な能力も、武器も、飛び道具もなし。
純粋な肉弾戦だけ。
約束の日が目前まで迫った今、三人がどれだけ戦えるのか、それを確認するための訓練だった。
ちなみに私は一切攻撃しない。
ただ避ける。
三人の攻撃を見て実力を測る。
それだけ。
「言っとくけどジャック!三人相手だからって後悔しても知らないかんね!」
「そうだ!いくら君が強くても3対1だ!いつまでも余裕でいられると思わないことだね!」
「……二人とも油断するなよ。ジャックが相手だ」
強気になるニジーとアゲセーヌとは違い、ゴウエモンだけは最初から私を警戒している。
三人の性格がそのまま出ていて面白い。
私は両腕を下ろしたまま、その場に立つ。
「いつでもどうぞ」
その言葉が合図になった。
最初に飛び出したのはニジーだった。
「もらったぁ!!」
一直線に床を蹴り、勢いを乗せた拳を私の顔へ振り抜く。
踏み込みが鋭くなっている。
でも――私は首を傾けただけで、その拳を避けた。
「なっ!?」
拳が頬のすぐ横を通過する。
そのままニジーの身体が前へ流れた。
反撃はしない。
ただ観察する。
体勢を崩した瞬間にニジーがどうするのか。
「まだだ!」
ニジーは無理に止まろうとせず、その勢いのまま身体を回転させた。
回し蹴り……なるほど。
一撃目が外れることを想定して、次の動きに繋げられるようになっている。
私は少しだけ上体を後ろへ倒した。
靴底が鼻先を通過する。
――悪くない。
「今!」
右側からアゲセーヌ。
ニジーに意識が向いた瞬間を狙ったらしい。
横から飛び込み、私の脇腹へ拳を放つ。
私は一歩後ろへ躱し、拳が空を切った。
「逃がさないっしょ!」
追撃
右、左、さらに右。
細かく踏み込みながら連続で拳を放ってくる。
私はそれに合わせて身体を傾け、首を振り、時には半歩だけ位置をずらす。
拳による連撃からスタイルの良さを活かした蹴り。
一発も当たらないけど、アゲセーヌの表情から余裕は消えなかった。
むしろ笑っていた。
「ゴウエモン!」
「おう!」
背後……気配に気づいた時には、ゴウエモンがすぐ後ろまで接近していた。
アゲセーヌの連撃は私を倒すためじゃない。
移動方向を制限するため、そこへゴウエモンを合わせた。
大きく振りかぶった拳が迫る。
私は身体を横へ滑らせる。
――ブォン!!
重い音を立てて拳が通り過ぎた。
直撃すればそれなりに痛そう。
「まだまだぁ!」
ゴウエモンは止まらない。
さらに踏み込んでくる。
私はひたすら回避を続ける。
ゴウエモンは三人の中では最も一撃が重い。
その代わり、動きは読みやすい。
一方でニジーは身軽。
アゲセーヌは相手の隙を見つけるのが上手い。
個々だけなら、それぞれ明確な弱点がある。
だけど――
「ニジー!」
「わかってるよ!」
私がゴウエモンの拳を避けた先に、既にニジーが回り込んでいた。
「そこだぁ!!」
足払い、私は床を蹴った。
身体が宙へ浮き、足元をニジーの脚が通過する。
「待ってた!」
さらに上。
跳び上がった私を追いかけるように、アゲセーヌが拳を振り上げていた。
空中では地上ほど自由に避けられない。
私が跳ぶところまで読んでいた?
いや、違う。
私の回避方法を何度も見て、三人で少しずつ追い込んでいる。
「へえ……」
思わず声が漏れた。
私は空中で身体を捻った。
アゲセーヌの拳が髪を掠め、そのまま着地。
「そこだ!」
さらに着地点にはゴウエモン。
大きな身体が視界いっぱいに迫る。
拳が一直線に飛んできた。
私は顔を横へ逸らした。
頬のすぐ横を拳が通過する。
風圧で髪が揺れ、私は数歩後ろへ下がった。
「…………」
まだ誰も私に攻撃を当てていない。
でも、実力は確かに上がっているのを感じた。
「ハァ……ハァ……どうよ!」
「さっきのはかなり惜しかっただろ!」
相変わらずゴウエモンだけは息を整えながら真剣な目で私を見ていた。
最初は三人とも、自分の攻撃を当てることしか考えていなかった。
ニジーが突っ込む。
アゲセーヌが突っ込む。
ゴウエモンが突っ込む。
それだけだった。
でも今は、誰かが攻撃する。
私が避けた逃げ道へ別の誰かが入る。
さらに避けた先を三人目が狙う。
攻撃を当てるためではなく、次の仲間へ繋げるための攻撃。
ちゃんと三人で戦えている。
もうハンニンダーを召還する必要がないくらいまでに仕上がっている。
「ジャックよ。どう見る?」
静かに見物していたウソノワール様の声が、広いエントランスに響いた。
「そうですね……」
すぐには答えず、頭の中で先ほどの戦いを振り返る。
約束の日に何が起こるのか。
何をしなければならないのか。
未来自由の書に従い続けてきた私たちにも、その全てが見えているわけじゃない。
だからこそ、戦える力は必要になる。
これまで私たちの前に何度も立ちはだかってきたプリキュアたち。
約束の日が訪れれば、必ず彼女たちとぶつかることになる。
その時、三人がどれだけ戦えるのか。
私は改めてニジー、アゲセーヌ、ゴウエモンを順番に見た。
「まだまだ粗いです」
「ちょっ!?」
「おい!」
ニジーとアゲセーヌが同時に声を上げる。
さっきまで三人がかりで私を追い詰めようと必死になっていたのだから、少しくらい良い評価を期待していたのかもしれない。
「ニジーは攻撃した後に前へ出すぎ。アゲセーヌは連続攻撃に夢中になると周りが見えなくなる。ゴウエモンは一撃が大きい分、避けられた後の隙も大きい。ただ……」
欠点だけならいくらでも挙げられる。
ニジーは勢いに任せすぎるところがあるし、アゲセーヌは一度攻撃に集中すると視野が狭くなる。
ゴウエモンの攻撃は三人の中でも特に重い反面、それだけ大きな動作を必要とする。
1対1ならそこを突けばいい。
けれど、今の三人は一人で戦っているわけじゃなかった。
「連携はかなり良くなったと思う。個人の弱点を、他の二人が補おうとしてる。さっき私が跳んだところをアゲセーヌが狙って、着地地点にゴウエモンが待ってたのも良かった。あと少し遅れてたら当たってたかもしれない」
私がニジーの攻撃を避け、その回避先をアゲセーヌが狙う。
さらに私が逃げる場所を予測して、ゴウエモンが先回りする。
最初はそれぞれが好き勝手に攻撃しているだけだった三人が、戦いの中で少しずつ互いの動きを意識し始めていた。
一人では届かなくても、三人なら追い詰められる。
少なくとも、そういう戦い方はできるようになっている。
「ほ、本当かい!?」
「マジ!?ジャックに褒められたんだけど!」
……少し評価しただけなのに。
まるで私から最高評価でも貰ったような反応だ。
「まだ褒めてはないよ。一回も私に触れてないでしょ?」
「ぐっ……!」
「それはそうだけどさぁ……!」
二人の喜びが一瞬で萎んだ。
実際、連携が良くなったのは事実。
だけど結果だけを見れば、三人の攻撃はまだ一度も私に当たっていない。
惜しいところまでは来た。
それでも、惜しいだけでは意味がない。
「というわけで続きやるよ」
今回の目的は三人と戦うことじゃない。
最後まで三人の攻撃を見て、その実力を確かめる。
私から手を出す必要はない。
「三人で私に一発当てられるまでやってみようか」
「上等だ!」
ニジーがすぐさま構える。
さっきまでの疲労が残っているはずなのに、その目から戦意は失われていない。
「今度こそ絶対当ててやるし!」
アゲセーヌも拳を握り、今度こそと言わんばかりに私を睨む。
「二人とも、今度はもっと連携するぞ!」
ゴウエモンが二人へ声をかける。
その言葉にニジーとアゲセーヌも頷き、それぞれが少しずつ位置を変えていく。
三人とも、さっき指摘したことをもう意識している。
私はその様子を黙って観察する。
向こうではウソノワール様が変わらず私たちの戦いを見物していた。
「――来て」
私の言葉と同時に、三人が一斉に床を蹴った。
「待て」
突然響いたウソノワール様の声に、今にも再び動き出そうとしていた私たちの身体が止まった。
「「「「!?」」」」
ニジーたちだけじゃない。
私も反射的にウソノワール様へ視線を向ける。
さっきまで私たちの訓練を見物していたウソノワール様。その様子が、明らかに変わっていた。
「どうされましたか?ウソノワール様」
ウソノワール様が見つめているのは、私たちではない。
未来自由の書。
これまで何度もマコトジュエルの在処を示し、私たち怪盗団ファントムを導いてきた書物だ。
「未来自由の書に新たな予言が記された」
「新たな予言…!」
予言という単語が出ただけで、それまでの訓練の雰囲気が一瞬で消え去った。
私も自然と未来自由の書へ意識を集中させる。
ウソノワール様は書に記された内容を確認すると、私たちにも聞こえるように読み上げた。
「『真実の輝きは、学舎の境界を統べる一つの銀へと至る。それは往き来の赦しを司る、小さき器なり』」
「どういうことだ……?」
真実の輝き、学舎の境界、一つの銀、往き来の赦し。
そして、小さき器。
今までの予言と同じように、マコトジュエルが宿る対象を直接示してはいない。
いくつもの言葉を組み合わせ、その正体を推理しなければならない内容になっている。
「学舎……ということは学校か?」
「この辺りの学舎なら、まことみらい学園一択なのはわかるけど…」
問題はその先だ。
学舎という言葉だけなら場所は絞れる。
私たちが何度か関わってきたまことみらい学園。
プリキュアたちが毎日のように通っている場所でもある。
だけど、「学舎の境界を統べる一つの銀」や「往き来の赦しを司る、小さき器」が何を意味しているのかまではすぐには思いつかなかった。
「でも予言の内容が難しすぎてわかんないし!」
全員がさっきまで私に一撃当てようと躍起になっていた姿とは違い、難解な文章を前に完全に困惑している。
「なかなかに難易度が高そうだな。しかもプリキュアが毎日通っている本拠地と来た」
ゴウエモンの言う通りだ。
予言を解かなければマコトジュエルには辿り着けない。
その上場所が本当にまことみらい学園なら、これまでとは条件が違う。
キュアミスティックとキュアアンサー。
そしてその関係者たち。
向こうにとっては日常的に過ごしている場所なのだから、こちらが何か行動を起こせば遭遇する可能性も非常に高い。
そもそもこっそりマコトジュエルを盗めても、あの妖精の察知能力が見逃さないから本当に鬱陶しい存在である。
「ニジー、アゲセーヌ、ゴウエモン、ジャック!アルカナ・シャドウが到着しだい、全員で出撃しろ」
一瞬聞き間違いかと思った。
これまで誰か一人が予言を追うことは何度もあったし、重要な場面で全員が出向くことはあった。
「ぜ、全員ですか!?」
しかし、今回はただの任務で全員が出撃。
アルカナ・シャドウまで含めれば、怪盗団ファントムの戦力を一度に送り込むことになる。
それほどまでに今回のマコトジュエルが重要なのか。
いや――
「時が迫っているというのに、まだ十分なマコトジュエルが手に入らぬ!早くせねば……」
ウソノワール様の声には、これまで以上の焦りが滲んでいた。
約束の日が迫っているからこそ、一つたりとも取り逃がすわけにはいかないということなのだろう。
「ジャックが集めたマコトジュエルは?」
確かに私はこれまでいくつものマコトジュエルを回収してきた。
それでも――
「まだ足りぬ。世界を嘘で覆うには、さらに多くのマコトジュエルが必要だ」
まだ、足りない。
その言葉が妙に耳に残った。
「さらに…多く」
世界を嘘で覆う。
その目的を果たすためには、今まで集めた分だけでは届かない。
約束の日はすぐそこまで迫っているのに。
まだ集めなければならない。
もっと、さらに多くのマコトジュエルを。
「なんとしてでもマコトジュエルを手に入れるのだ!行け!怪盗団ファントム!!」
ウソノワール様の命令で、さっきまで三人の実力を確かめるために戦っていた空気はもうどこにも残っていなかった。
訓練は終わり。
ここからは実戦だ。
アルカナ・シャドウが戻り次第、私たち全員でまことみらい学園へ向かう。
予言が示すものが何なのか。
そこに宿るマコトジュエルが誰のものなのか。
今はまだわからない。
それでも、命令はただ一つ。
マコトジュエルを手に入れる。
私たちは揃ってウソノワール様へ向き直った。
「「「「ライライサー!!」」」」
_______________
【みのるSide】
夏休みを目前に控えていても、やっぱり学校という環境は慣れないものである。
毎日決まった時間に登校して、授業を受けて、クラスメイトたちと同じ空間で過ごす。
仕事だったり、習い事だったり、学校だったり。
どんな場所だって、毎日ずっと楽しい時間だけが流れているわけじゃない。
今日は行きたくないなと思う日もあるし、休もうかなと思う日だってある。
私にとって学校は、今でもそういう場所だった。
それでも、行かないといけない。
二人を不安にさせたくないから。
学校が絶対に嫌というわけではない。
今の学校生活にも少しずつ慣れてきたし、以前よりは落ち着いて過ごせるようになっている。
ただ、小学生の頃に経験したことが完全に消えたわけじゃなかった。
あの頃のことを思い出せば、今でも胸の奥に嫌な感覚が残る。
だから今のクラスがあの頃とは違うことには心底安心していた。
今のクラスには、私に対して何か思うところがあったとしても、陰でこそこそ悪口を言うような子はほとんどいない。
むしろ、私のことを気にするくらいなら自分のことを優先する子が多い。
〈みのるに嫉妬する暇があるなら勉強してやる〉
そんな雰囲気の子ばかりだから、少なくとも陰口を気にしながら過ごす必要はなかった。
それだけでもかなり落ち着く。
本当に小学生みたいなことにならなくてよかった……。
そして最近、もう一つ変わってきたことがある。
学校から、早めに登校するようにと言われる回数がだんだん減ってきているのだ。
以前の私は授業をサボっていた。
その罰則として、早めに登校して奉仕活動をすることを義務付けられていたのだけど、ちゃんと授業に出席するようになってからはその頻度もかなり減った。
自分で招いたこととはいえ、毎回早く学校へ行かなくてもよくなったのはありがたい。
そんな学校へ登校する前、私はジェット先輩に声をかけておこうと思い、拠点の部屋へ入った。
「わぁ!」
「すごーい!」
すると中から楽しそうな声が聞こえてきた。
何をしているんだろう。
部屋の中を覗いてみると、ジェット先輩が理科室に置かれていそうな器具をいくつも使って、何かを作っているところだった。
「クンクン…あま~い!」
「こうやって花の成分を取り出して、香水を作るんだ」
どうやら作っているのは香水らしい。
私は近くまで歩いていき、並べられた器具を観察する。
片方のビーカーには、百合の花弁が入っている。
そしてもう片方には、そこから取り出したらしい抽出液の入ったビーカーが置かれていた。
ジェット先輩ならこういう作業をするために専用の発明品でも作ってしまいそうなイメージがあった。
天才のジェット先輩でも人間が生み出した既存の技術をそのまま使うことがあるのはちょっと意外だった。
でも、この方法なら知っている。
「水蒸気蒸留法か…」
「お前は本当になんでも知ってるんだな…」
「え、なんて方法?」
知らない言葉だったのか、疑問の声が返ってきた。
といっても、別に私自身が一生懸命勉強して身につけた知識というわけじゃない。
本を読んだり、いろいろな情報に触れたりしているうちに頭へ入っていただけ。
自分から机に向かって勉強して覚えたという感覚はあまりない。
知っているというより、勝手に情報が入ってきた、と言った方が近いのかもしれない。
「水蒸気蒸留法、高温の蒸気を利用して、熱に弱い成分や高沸点の化合物を分解させずに低温で気化、抽出する分離技術だよ。水に溶けにくく、揮発性のある高沸点化合物の抽出に最適なんだ」
知っている内容をそのまま説明するが。
「「?????」」
揃って返ってきたのは、見事なまでに理解できていない顔だった。
さすがに専門的な言葉を並べても理解できないか。
私の中では意味がわかっていても、知らない人からすれば「高沸点化合物」だの「揮発性」だの言われたところで余計にわからなくなるだけだ。
だったら、もっとわかりやすく説明しないと。
せっかく知っているのだから、相手にも理解してもらえるように教えなければ意味がない。
今度こそ誰にでもわかるように説明しよう。
「じゃあ今からわからない人たちのために教えてあげるね!『お水に溶けにくくて、いい香りがするけれど、熱すぎると壊れちゃう成分』を優しくきれいに取り出すための、魔法のようなお着替え作戦!」
「急になんか始まったぞ」
「ポチ?」
せっかくわかりやすく説明しようとしたのに妙な反応をされてしまった。
でも難しい言葉を知っているだけではいけない。
その知識を、知らない人にも伝わるように説明する。
それだって大切なことのはず。
ただ知識を持っているだけでは誰かの役には立てない。
ジェット先輩のそばでいろいろなことを学びながら、私自身も少しでも助手として役に立てるように頑張るべきだ。
そう思いながら、私はどうすればもっとわかりやすく説明できるのか頭の中で次の言葉を考え始めた。
「例えば、お花のいい香りを集めて香水を作りたいとします。でも、その香りの成分はとてもデリケート。フライパンでジュージュー直接炒めると、熱すぎて焦げたり、香りが壊れて消えたりしてしまう」
さっきは専門用語をそのまま並べてしまったせいで、二人を完全に置いていってしまった。
だから今度は、できるだけ難しい言葉を使わないように意識する。
頭の中にある知識をそのまま口にするのではなく、身近なものに置き換えながら説明していく。
「ふむふむ」
今度はちゃんと伝わっているらしい。
だったらこの調子で続けよう。
「そこで、『水蒸気』という温かい湯気の出番です!お花にフワフワの温かい湯気を通します。すると、香りの成分は焦げることなく、湯気におんぶされるようにして一緒に空へお散歩に出かけます!」
「ほうほう」
反応を見る限り、さっきよりずっと理解できている。
湯気におんぶされて空へお散歩、なんて実際の現象とはずいぶん可愛らしい表現になってしまったけれど、仕組みをイメージしてもらうにはこれくらいの方がいい。
「香りをのせた湯気を、今度は冷たいお部屋に通して冷やします。すると、湯気は『お水』に戻り、香りの成分は「油」に変わります。お水と油は、仲が悪いので絶対に混ざりません。スープに浮いた油のように、上に香りの油がプカプカ浮いてきます。この、上に浮いた『いい香りの油』だけをそーっとすくい取れば、お花の成分を壊さずに、きれいな香りのエキスだけを取り出すことができるんだよ!」
……自分で話しておいてなんだけど、かなり長い説明になってしまった。
でも、二人の表情を見る限り、今度はちゃんと内容を理解できているみたいなので良しとしよう。
…………ところで、私は登校前に一体何をこんなに熱心に解説しているんだろう。
本来ならそろそろ学校へ向かわないといけない時間なのに、気づけば完全に水蒸気蒸留法の説明役になっている。
「直接熱するのではなく、湯気の手を借りて優しく連れ出すから、熱に弱いものでも安全に取り出せる。これが水蒸気蒸留法の仕組み!これで理解できたかな?」
これなら大丈夫。
今度こそ完璧に伝わったはずだ。
「「最初からそう言ってよ!!」」
「ごめん!?」
怒鳴られた。
ちゃんと理解してもらえたのは良かったけど、まさか最後に二人揃って怒られるとは思わなかった。
解説役も楽じゃないんだね……。
「みのる、教師とか向いてるんじゃないか?難しい話だけじゃなくてちゃんとわかりやすく説明できたのはなかなかだぞ」
ジェット先輩から意外なことを言われた。
あんなにも言われたことがあるが、私が教師なんて考えたこともない。
「私がまことみらい学園に入る前にあった調査でもわかりやすく教えてくれたよね」
あんながまことみらい学園に入る前のこと。
確かあの時も、今みたいに私が時差について説明した覚えがある。
自分では普通に知っていることを教えただけのつもりだったけれど、あんなは覚えていたらしい。
でも教師になるなら知識さえ持っていればいいわけじゃない。
人に何かを教える能力だけじゃなく、いろいろな要素が必要になるはず。
多分、私には合わない。
「そうだったの?」
「結構前のことだけど確かにあったね」
懐かしい出来事ではあるけれど、そんな話をしている場合じゃなかった。
かなり話が脱線してしまった。
私は改めて、ジェット先輩が作っている香水へ目を向ける。
そもそも、どうして朝から香水を作っていたのか。
それはくれあさんが出した発想がきっかけだ。
この香水をエクレールの候補者たちに嗅いでもらう。
香りは記憶に繋がる可能性があるのなら、かつての記憶を失っているエクレールにも何らかの反応が起きるかもしれない。
「この香りを嗅げば…」
「エクレールの記憶がよみがえるかも!」
絶対とは言いきれない。
これだけで本当に記憶が戻るという保証なんてどこにもない。
それでも試してみる価値はあると思う。
問題は、エクレールの候補者をどうするか。
……ただ、一番有力な人物ならもうわかっている。
確定ではない。
まだ決めつけることはできないけれど、これまでの出来事を考えれば、どうしてもあの人が最も可能性の高い人物として浮かんでくる。
「あとはボクに任せとけ!フルスロットルで進めるからさ」
「さすがジェット先輩!」
「ま、天才だからな!」
その言葉通りだと思う。
ジェット先輩は本当の天才だ。
私とは全然違う。
自分自身で考え、作り、失敗したとしてもまた試して、そうやって努力してきたからこその才能。
本物の努力と、偽りの才能。
その二つには、天と地ほどの差がある。
だからこそ思う。
こんな私でも役に立てるように、努力しないといけない。
知っているだけで終わらせず、その知識を誰かのために使えるようにならなければ。
そうしているうちに、ふと時間が気になった。
水蒸気蒸留法の説明から話が広がりすぎた。
「それじゃあ行ってきまーす!」
長く話しすぎたせいで時間はかなり進んでいる。
最初から余裕を持って行動していたおかげでまだ遅刻寸前というわけではないが、のんびりしていたら本当に遅刻してしまう。
油断は禁物。
私は気持ちを学校へと切り替え、みんなと一緒に事務所を出る。
こうして私たちは、いつもより少し急ぎながら学校へ向かった。
_______________
「見た?昨日のテレビの特番?」
「見た見た!七の月の大王が現れて、世界を滅ぼすまで1週間ないんでしょ!?」
「てことは、テストなくなる?」
「テストどころじゃないよ!世界がなくなっちゃうんだよ!」
教室だけじゃない。
廊下を歩いていても、少し耳を澄ませればどこからでも似たような会話が聞こえてくる。
学校内では連日テレビで放送されている予言に関する話題のせいで、生徒たちの間はすっかり大王のことで持ちきりになっていた。
七の月に現れる大王。
世界を滅ぼす存在。
そして、その時まで一週間も残されていない。
テレビであれだけ大々的に取り上げられているのだから、学校中で話題になるのも無理はない。
「大王ってウソノワールのことだよね?」
「うん…なんか都市伝説みたいになってる…」
「あれだけテレビで放送されてたからこうなるよね…」
周囲を見れば、怖がっている人もいれば、どこか現実味がないのか面白半分に話している人もいる。
もちろん、生徒たちは大王の正体なんて知るはずもない。
みんなが知っているのは、テレビで報じられている予言だけ。
本当の大王が誰なのか。
世界を嘘で覆おうとしているウソノワールという存在がいることも。
そして、そのウソノワールが予言に記された大王であるということも。
それが判明するのは――あと一週間後……。
そう考えると、生徒たちの何気ない会話も笑って聞き流せなくなってしまう。
そんな周囲の様子を私たちが眺めていると、りえが話しかけてきた。
「そういえば、最近学校でも怪事件が起きてるんだって」
「怪事件?」
学校という場所は、昔から怪談の舞台になりやすい。
誰もいない教室から声が聞こえるとか、夜になると何かが動くとか、そういう話ならいくらでもありそうだから、そこまで驚くようなことでもない。
……まあ、みくるは嫌がりそうだけど。
「理科室の骸骨が動いたり、音楽室のピアノが鳴ったり、美術室の絵が涙を流したり…!」
「「「世紀末だあぁぁぁぁ!!?」」」
いやいやいやいや!!
学校の怪談でよく聞く内容ばっかり~!!
理科室の骸骨が動く。
誰もいない音楽室でピアノが鳴る。
美術室の絵が涙を流す。
一つ一つなら典型的な学校の怪談として聞き流せる内容なのに、よりにもよって今は七の月の大王が世界を滅ぼすなんて話題で学校中が盛り上がっている。
そんな時に畳み掛けるように怪事件まで起こり始めたら、もう世紀末としか言いようがない。
「それって幽霊~~!?」
みくるの声が震えていて、既に涙目になっている。
「まさか……」
「典型的な七不思議とかじゃなくて?」
あんなの肩を掴んだみくるがそのまま激しく揺さぶり始める。
みくるは、こと心霊に関してはめっぽう弱い。
探偵として事件に立ち向かう時はあれだけ勇敢なのに、相手が幽霊となると話は別。
お化け屋敷でさえ拒絶して絶対に入らないくらい、心霊現象には強い恐怖心を抱いている。
今回の話も、みくるにとっては大王の予言とは別の意味で大事件なのかもしれない。
「みくる、あんな、みのる」
「うわあああああっ!!?」
突然真横から聞こえた声に、みくるが盛大な悲鳴を上げた。
そこには――いつの間にか生徒会長のれいが立っていた。
ただでさえ幽霊の話をしていたところに何の前触れもなく真横から声をかけられたのだからそりゃ驚く。
けれど、れいは悲鳴を上げているみくるを特に気に留める様子もなく、そのまま話を続けた。
「話があるの、ちょっと良い?」
私たち三人に?
みくるとあんなだけならわかる。
二人は探偵として活動しているのだから、学校で起きている怪事件について何か相談したいという可能性もある。
でも――
「え、私も?」
れいは何も言わない。
ただ黙ったまま頷いた。
探偵じゃない私までわざわざ呼び出すなんて、いったい何の話なんだろう。
私、また何かやらかした?
真っ先にそんな不安が頭をよぎる。
最近はちゃんと授業にも出ている。
奉仕活動の回数だって減ってきた。
学校で問題になるようなことをした覚えも……多分ない。
それでも、生徒会長から直々に呼ばれるとなると嫌な予感しかしない。
何の話なのかはわからないけれど、ここで考えていても仕方ない。
今はとにかく、れいについて行こう。
_______________
れいに連れられてやって来た場所は理事長室。
扉の前に立った瞬間、私の身体が自然と強張る。
ここに入るのはあの時以来だ。
あれから一度も足を運ぶことのなかった理事長室に、まさか再び来ることになるなんて。
隣にいるみくるとあんなを見る。
二人も理事長から直々に呼び出されたからか、少し緊張しているようには見える。
でも、私とは比べものにならない。
私の心はガチガチに緊張していた。
何の話?
私、何かした?
頭の中でそんな疑問ばかりがぐるぐる回る。
れいはそんな私の心境など知る由もなく、いつも通りの落ち着いた様子で私たちを理事長室へ連れていった。
「3人をお連れしました」
「ありがとう。急に呼び出してごめんなさいね」
「いえ」
理事長はいつもと変わらない穏やかな様子だった。
少なくとも、今すぐ怒られるような雰囲気ではない。
みくるとあんなが呼ばれていることを考えれば、恐らく探偵への依頼だと思う。
だったら私は絶対に必要ないはず。
何度も言うけど、私はあくまで助手の立場だ。
探偵ではない。
依頼を受けて事件を推理するのは、みくるとあんなの役目。
私はその二人を支えたり、調査を手伝ったりするくらいの立場。
つまり、私だけ恐らく別件で呼ばれている。
……やっぱり何かした?
嫌な予感を抱えている私の前で、理事長はいつもの落ち着いた口調のまま話を始めた。
「話というのは、噂の怪事件のことなの。前に幽霊騒ぎを解決してくれた名探偵への二人に、怪事件の調査もお願いできないかと思って」
やっぱりその内容だった。
学校中で噂になっている怪事件。
以前にも二人は幽霊騒ぎを解決している。
その時の実績を、理事長は十分に理解しているのだろう。
だから今回も、学校で起きている不可解な出来事について探偵の二人に助けを求めたということか。
「私たちも気になっていたんです」
「キュアット探偵事務所が解決してみせます!」
「ありがとう、頼りにしてるわ」
さっきまで幽霊かもしれないと涙目になっていたみくるも、依頼を受けた途端にいつもの調子を取り戻していた。
はっきりと事件解決を約束する姿だけを見れば、ものすごく頼もしい。
さすが名探偵を目指しているだけのことはある。
……でも、いざ調査を始めて本当に幽霊だったらどうするつもりなんだろう。
さっきの反応を見ていると、そこだけはちょっと心配になる。
「それと今回は……」
理事長の言葉に続いて別の声が響く。
「私も探偵の調査を手伝う!」
「れいが?」
なんと、今回はれいも調査に加わるらしい。
確かにれいなら頼りになる。
成績優秀、真面目で細かいところまでよく見ている。
私たちでは見落としてしまうようなことにも気づけるかもしれない。
でも、どうしてれい自身が?
「生徒会長として、これ以上怯える生徒を見てられない。みんなが安心して過ごせるように、力になりたいの」
その言葉を聞いて理由がわかった。
「れいは一度聞いたら聞かないから」
生徒会長として、生徒たちを守りたい。
みんなが安心して学校で過ごせるようにしたい。
そのために自分から事件解決に名乗りを上げたのだ。
れいは本当に生徒のことを大切に思っているんだ。
真面目すぎるところがあるせいで、周囲から避けられがちな彼女。
でも、本当は誰よりも学校のことを考えていて、生徒のためなら自分から危険かもしれない場所にも踏み込もうとする。
そんなれいのことを、生徒たちも理解してあげられたらいいのに……。
「任せてください」
周囲からどう思われようと関係ない。
たとえ生徒に避けられても、自分が正しいと思ったことを貫く。
れいは本当に強い。
探偵の二人が依頼を受けて、れいも調査に参加する。
だったら私は、このままみんなと一緒に理事長室を出て――。
「それと花崎さんは、しばらく残っていてください」
「……………」
…………終わった。
やっぱり私にも別件があった。
しかも私だけ残される。
これはもう、私にとっては公開処刑に近い展開だ。
さっきから感じていた嫌な予感が、見事なくらい的中してしまった。
どうしてこういう予感だけは毎回当たるんだろう。
何を言われる?
最近はちゃんと授業にも出てるはずだけど……。
隣から、みくるとあんなの視線を感じる。
絶対こっちを見ている。
心配しているのか、それとも私が何を言われるのか気になっているのか。
……見ないようにしよう。
私は二人と目を合わせないようにしながら、これから始まるであろう理事長との話に、一人で身構えていた。
そして三人が理事長室からいなくなって扉が閉まる。
それだけで、さっきまでとは空気がまるで違うものになった。
静かすぎる。
みくるもあんなも、れいもいない。
広い理事長室にいるのは、私と理事長だけ。
時計の針が動く音すら聞こえてきそうな静寂に包まれ、なんだかおかしくなりそうだった。
目の前には、机を挟んで理事長が座っている。
別に怒っているようには見えない。
いつも通り落ち着いた表情をしている。
それなのに、私の身体は勝手に緊張してしまう。
思わず後退りしそうになるのを堪えながら、恐る恐る口を開いた。
「あの………私だけ………話……とは」
声が途切れ途切れになってしまった。
落ち着け。
まだ怒られると決まったわけじゃない。
でも、私だけ残されたということは、私個人に何か話があるのは間違いない。
(また授業態度とかの説教じゃないよね?今は授業はちゃんと受けてるから別の説教なんじゃ…!?)
悪い想像ばかりが膨らんでいく。
そんな私の心境とは対照的に、理事長は穏やかな口調で話し始めた。
「あなたに以前、早めに登校して学校の掃除をさせる罰則を下したことがありましね」
一瞬、心臓が跳ねた。
やっぱりその話!?
「え…あ、はい。ありました」
もちろん覚えている。
授業を何度もサボっていた私に下された罰則。
通常より早く学校へ来て、奉仕活動として掃除をすること。
最近は授業に出るようになったから頻度もかなり減っていたけれど、それでも罰則自体がなくなったわけではなかった。
今さら、その話をされるということは――。
「あなたの事情や学習態度の改善を考慮し、本日を持って、その罰則は撤回します」
「………え?」
思考が止まった。
今、なんて?
撤回?
怒られるどころか……罰則がなくなる?
予想していた言葉とあまりにも違いすぎて、すぐには意味を理解できなかった。
「あなたのことは昨日、れいから全て聞きました」
「れいが……?」
その名前を聞いて、ようやく話が繋がった。
もしかして、私が小学生の頃に頭が良いという理由でいじめられていた話?
そのせいで学校という場所そのものに苦手意識を持つようになったこと?
れいは、あの話を理事長に伝えたのだろうか。
「どうかれいのことは責めないであげて。彼女はあなたの話を聞いてからずっと私に報告して良いのか葛藤していたみたいだから」
「いえいえ、責めるなんてそんなこと…」
責めるなんて考えは全くなかった。
むしろそこまで悩ませてしまったことの方が申し訳なく感じる。
あの会話からかなり時間が経っている。
れいはその間ずっと迷っていたんだ。
理事長に事情を伝えて、私に対する誤解を解いてあげるべきなのか。
それとも、本人の許可なく私の事情を他人に話すべきではないのか。
きっと、どちらが私のためになるのかを考え続けていたのだろう。
生徒を大切に思っている彼女だからこそ、簡単には決められなかったのかもしれない。
「私も長い間、あなたのことをずっと誤解して、深く考えずに罰則を与えて傷つけてしまいました。今さらではありますが、この場で謝罪させてください」
「え?……えぇ!?」
予想もしなかったことが起きた。
理事長が、私に頭を下げた。
待って待って待って!
そこまでしてもらうつもりなんてない!
「あ、頭を上げてください!ずっと授業をサボってた私が悪いんですし、私の事情を知らなかったから不満に思うのは当然です!この件についてはもう怒ったりもしていないので、心配しなくても大丈夫です」
当時は納得できない気持ちもあった。
どうして私だけ。
どうしてわかってくれないの。
そんな不満を抱いたことだってある。
でも、理事長は私の過去を知らなかった。
何も知らない状態で見れば、授業を何度もサボる生徒にしか見えなかったはずだ。
それなら、学校側として何か対応するのは当然だと思う。
今さら責めるつもりなんてない。
「……あまり生徒の事情を探ることはしたくないですが、逆効果だったのは痛恨でした」
理事長の表情には後悔が滲んでいた。
でも、それだって間違った考え方ではないと思う。
「仕方ないですよ。プライベートに踏み込みたくないという考えは何もおかしくありませんから」
何でもかんでも生徒の事情を聞き出せばいいわけじゃない。
人には、他人に話したくないことだってある。
私だって、自分から小学生の頃のことを誰にでも話したいとは思わない。
だから、理事長の考えそのものがおかしかったとは思わなかった。
「そうですね……ありがとうございます。これからもれいと仲良くしてあげてくださいね」
今回のことだって、れいがずっと悩んで私のことを考えてくれた結果だった。
真面目すぎるくらい真面目で難しい性格に見えるが、本当は誰よりも生徒のことを大切にしている。
そんなれいとこれからも。
私は迷うことなく頷いた。
_______________
今日の分の授業は全て終わり、みくるたちと合流する。
罰則が撤回されたことへの驚きがまだ残っている中、れいは私の顔を見るなり、申し訳なさそうに表情を曇らせた。
「ごめんなさい」
やっぱり気にしていたんだ。
理事長から聞いてはいたけれど、れいは私の過去を本人の許可なく話してしまったことを、ずっと引っかかっていたらしい。
でも、私はそんなことでれいを責めるつもりなんてない。
「私のことは大丈夫だから!むしろ話してくれたおかげで誤解が解けたというか…」
実際、れいが話してくれなかったら、理事長は私が学校を避けていた本当の理由を知らないままだった。
過去のことを誰にでも知られたいわけじゃなくても、今回はれいが話してくれたことで私に対する誤解が解けた。
だから怒るどころか、むしろありがたいくらいだった。
「それでもみのるに確認するべきだった。生徒会長として生徒のことを考えずに話しても良かったのかずっと不安だったから…」
生徒会長だからこそ、生徒の事情を勝手に話してしまったことが気になっている。
あの時からずっと悩んでいたというのだから、本当にれいらしい。
「どうしたんだろうって思ったけど、悪い話じゃなくて良かったよ…」
「前までは一緒に登校もできなかったからね……」
あんなの言う通り、早く登校して奉仕活動をしていた頃は、みんなと同じ時間に事務所を出て学校へ向かうこともできなかった。
最近は回数が減っていたけれど、それも今日で終わった。
これからは毎日みんなと一緒に登校できる。
そう考えれば、私にとって悪い話なんて一つもなかった。
「私は気にしてないからこれ以上心配しないで。生徒のことを大事にしたいから、ずっと誤解したままではいけないと思ったから理事長に話した。そうでしょう?」
「………ええ」
やっぱりそうだ。
自分が楽になりたくて話したわけじゃない。
私のことを考えたからこそ、悩んだ末に理事長へ話してくれた。
だったら私が怒る理由なんてない。
それでも、れいの表情はまだ晴れなかった。
「こんな中途半端なタイミングで逆に迷惑をかけてしまったんじゃないかと…」
「迷惑なんかじゃないよ。むしろ感謝してる」
迷惑だなんて一度も思っていない。
ずっと悩んだ末に私のことを考えて行動してくれた。
その気持ちだけで十分だった。
「そうだよ。みのるはこのくらいで怒ったりしないから」
「だから元気出して!」
「ポチポチ!」
みくるとあんなだけじゃなく、ポチタンもれいを励ます。
その声に囲まれて、ようやくれいの表情から申し訳なさが薄れていった。
「みんな…ありがとう」
これ以上れいが気に病む必要なんてない。
それに、私たちには今やらなければならないことがある。
「かなり脱線しちゃったみたいだし、早速調査をしましょう」
ようやく話が戻った。
そもそも私たちは、学校で起きている怪事件を調査するために集まっていたんだ。
噂によれば、学校の七不思議にありそうな現象が次々と起きているらしい。
理科室の骸骨が動く。
音楽室のピアノが勝手に鳴る。
美術室の絵が涙を流す。
ただ、今の段階では噂を聞いただけ。
実際にその現象を目撃した人がいるのかどうかすら、まだわからない。
だから今は、何とも言えない。
「そういえば、前の幽霊騒ぎと今回の怪事件って関係あるのかな?」
この学校では以前にも幽霊騒ぎが起きていた。
今回も同じ学校で怪事件が起きている以上、全く無関係だと決めつけることもできない。
「うーん、でもピアノが鳴ったり絵が涙を流すのとファントムは結びつかないような…」
あの頃の事件なら、ファントムが関係していた理由もはっきりしていた。
「幽霊騒ぎの時はニジーが生徒に変装してたんだったね」
ニジーはロンドンへ留学中だった生徒、恵子さんに変装して学校へ潜り込んでいた。
目的はツバメの像。
幽霊騒ぎの裏側には、ちゃんとファントムの狙いが存在していた。
でも、今回は?
仮に今回の怪事件にもファントムが関係しているとしたら、理科室の骸骨を動かしたり、音楽室のピアノを鳴らしたり、美術室の絵に涙を流させたりすることに何の意味があるんだろう。
マコトジュエルを狙う行動とは、どうしても結びつかない。
「そうだよね…となるとやっぱり本物の幽霊!!?」
……どうしてそうなるの。
ファントムと関係なさそうだからって、すぐに本物の幽霊になるわけじゃないと思うけど。
「わかんないけど、とにかく調べてみよう!」
ここでいくら考えていても答えは出ない。
噂だけで推理したところで、実際に何が起きているのか確認しなければ始まらない。
そう思った瞬間に私の背中に力が加わった。
あんなが私たちの背中を強引に押している。
立ち止まって話している暇があるならさっさと調査しよう、ということらしい。
そのまま私たちは半ば連行されるような形で、最初の怪事件が起きたという理科室の方へ向かっていった。
_______________
理科室という場所は学校の怪談では定番の舞台だ。
薄暗い教室に並ぶ実験器具や薬品の瓶。
そして、隅に置かれた骸骨の人体模型。
夜中に一人で入れば、確かに不気味に感じるかもしれない。
でも、今はそんな雰囲気とは程遠かった。
理科室は毎日いろいろな生徒が使う教室だから、きちんと清潔に保たれている。
授業で使われていない今でも、窓から差し込む太陽の日差しが室内を明るく照らしていた。
少なくとも、幽霊が出そうな不気味さはそんなに感じない。
「まずは理科室!」
最初の調査場所に到着した私たちは、さっそく室内を見渡した。
「噂によると、真夜中に骸骨が一人で動いたと…」
れいの視線を追う。
その先にあったのは、いつもの場所に置かれている骸骨の人体模型。
理科室ではお馴染みの、人体の骨格を再現した模型。
もちろん本物の骸骨ではないし、当然ながら自分の意思で動くはずもない。
……でも、もし本当に動いたらどんな感じなんだろう?
私は試しに想像してみる。
夜中の誰もいない理科室。
暗闇の中で、突然カタカタと音を立て始める骸骨。
そしてゆっくりこちらへ顔を向けると、低い声を上げながら近づいてくる。
〈ホネホネホネ……〉
うん、シュールだ。
怖いというより、なんだか間の抜けた光景になってしまった。
「ひいぃぃぃぃぃぃぃ!!!」
「ポチィィィィィぃぃ!!!」
「…………!」
び、びっくりした……!
幽霊よりも今のみくるとポチタンの悲鳴の方がよっぽど怖かったんだけど!?
二人とも、ただ置いてあるだけの骸骨を見て完全に怯えている。
私は幽霊を見たこともないし、こういうことに関してはかなり鈍感な方だと思う。
でもみくるの怖がり方はそれとは正反対。
もしかして、何かトラウマでもあるんだろうか?
……まあ、わざわざ聞かないでおこう。
「大丈夫ポチタン?」
「ポチ~!!」
ポチタンはすっかり怯えてしまったらしく、れいにぎゅっとしがみついていた。
そういえば、あれからポチタンはれいのことをかなり気に入ったみたいだ。
最近では、こうしてよく懐いている姿を見かける。
「怖くないよ。私がついてる」
「れい~!」
れいが優しく頭を撫でると、ポチタンの表情がぱっと明るくなった。
その笑顔につられるように、れいも自然と微笑む。
……うん。
なんとも微笑ましい光景だ。
ただ、そのすぐ横でも似たようなことが起きていた。
「あんな~!!」
「怖くない怖くない。私がいるからね」
みくるがあんなに助けを求め、あんなが優しく宥めている。
「……………」
くっ……!
どうして私じゃなくてあんなに助けを求めるの!?
私だってここにいるのに!
親友のはずじゃん!
……なんて、ちょっとした嫉妬は置いておこう。
今はそんなことを考えている場合じゃない。
いつまでも怖がってばかりいたら、調査する時間があっという間になくなってしまう。
「気を取り直して…オープン!プリキットミラールーペ!」
痕跡を探すならプリキットミラールーペが一番。
あんなが取り出したプリキットミラールーペを使い、骸骨の人体模型を詳しく調べ始める。
私も近くから様子を観察するけれど、特に気になるところは見当たらなかった。
「勝手に動くってどういうことだろう?何か仕掛けがあるのかな?」
「床が斜めになってるとか?」
「それだと理科室に入った時に違和感を感じると思う」
床そのものが傾いているなら、普段からこの教室を使っている生徒や先生が気づくはずだ。
そもそも、あの骸骨の模型にはキャスターがついていないし、そこそこの重さがある。
地震などの災害による揺れや、人が直接動かすような外部からの力でも加わらない限り、勝手に移動するなんて普通では考えられない。
もし本当に動いたのなら、何かしらの原因があるはず。
だけど、その原因に繋がりそうなものが見つからない。
「うーん怪しいところはないみたい」
「次の場所に行こっか…」
二人は理科室での調査をいったん切り上げることにしたらしい。
これ以上同じ場所を調べても収穫は見込めそうにない。
他にも怪事件が起きた場所はあるのだから、まずはそちらを確認した方がいいだろう。
そう考えて、私も二人の後を追おうとした……が、ふと視界の端に気になるものが映った。
実験台の上。
そこに、いくつかのビーカーが置かれていた。
…………あれ?
ビーカーって、こんなところに置きっぱなしでいいんだっけ?
理科の授業では、実験が終わったら使った器具を必ず綺麗に洗って、元の場所へ片付けるのが普通だ。
もし生徒が片付けを忘れたとしても、最後には先生が確認するはず。
それなのに、実験台の上にはいくつものビーカーがそのまま残されている。
どうして?
単なる片付け忘れ?
でも、先生まで見落とすなんてことがあるんだろうか。
「……………」
隣を見ると、れいも同じ光景を見つめていた。
彼女もビーカーが放置されていることを不自然に思ったらしい。
真面目なれいのことだから、使った器具が片付けられていない状況は余計に気になるのかもしれない。
私たちはしばらく、その実験台を黙って見つめていた。
先に移動していった二人のことも、すっかり意識から抜けてしまっていた。
そんな私たちに、ポチタンが声をかける。
「いこう?」
「う、うん」
れいが少し戸惑ったように返事をした。
その表情は、どこかもどかしそうだった。
私も同じ気持ちだ。
何かが引っかかる。
でも、今の段階では何がおかしいのか、はっきりと説明できるほどの材料もない。
ただの片付け忘れかもしれないし、怪事件と関係があるとも限らない。
それでも、どうしてか気になってしまう。
私はもう一度だけ実験台の上に置かれたビーカーへ目を向けた。
そして、先に進んだ二人を追いかけるため、れいたちと一緒に理科室を出た。
次の調査場所へ向かいながらも、さっき見た光景が頭の片隅に残っていた。
_______________
理科室での調査を終えた私たちが次に向かったのは、音楽室。
ここでも真夜中に不可解な現象が起きたという噂が広まっている。
教室に入って周囲を見渡してみるけれど、理科室と同じように、特に怪しい部分は見当たらなかった。
楽器はそれぞれ指定された場所にきちんと置かれているし、何かが荒らされたような形跡もない。
一見すると、いつも通りの音楽室だ。
「噂によると、真夜中にピアノが鳴り響いたと…」
「電子ピアノじゃないし、誰かが弾かないと音は出ないよね?」
電子ピアノなら何らかの電気的な不具合という可能性も考えられるけれど、ここに置かれているのは普通のピアノ。
基本的には、誰かが鍵盤を押さなければ音は鳴らない。
真夜中の誰もいない学校で勝手に演奏が始まるなんて、普通に考えればありえない話だ。
「タヌキとかが迷い混んだのかな?」
そんな可能性を口にしながら、二人は推理を続けている。
もし動物が入り込んで鍵盤の上を歩き回ったのなら、音が鳴ること自体は不思議じゃない。
ただ、それが本当に起きたのかどうかは別問題だ。
何か痕跡が残っていればいいのだけど……。
そんなふうに考えていた時、ふと気づいたことがあった。
れいが、さっきからほとんど動いていない。
みくるとあんながピアノについて調べている一方で、れいだけは教室のある場所をじっと見つめていた。
その視線の先にあるのは、壁に飾られた肖像画。
歴史に名を残した、名だたる音楽家たちの肖像画だ。
何か気になることでもあるのかな?
「………」
「どした?」
そんな彼女の様子が気になったのか、ポチタンが肩にしがみつきながら声をかけた。
けれど、れいはすぐには答えなかった。
まるで何かを確かめようとしているかのように、肖像画を見つめ続けている。
「何か気になるんだけど…なんだろう?」
やがて、れいが小さく呟いた。
私は改めて肖像画へ目を向ける。
私では何もわからない。
音楽家たちの肖像画が、いつも通り壁に並んでいるようにしか見えなかった。
でも、それも当然なのかもしれない。
そもそも音楽室に飾られている肖像画を毎回じっくり観察する人なんて、ほとんどいないはずだ。
授業を受けるために音楽室へ来たとしても、注目するのは先生や教科書、楽器くらい。
壁に並んでいる肖像画なんて、あくまで教室の飾りの一部として認識しているだけだろう。
だから、仮に何か異変があったとしても、元の状態を覚えていなければ違和感を抱くことすらできない。
私も例外じゃない。
今見ている肖像画が以前と同じ状態なのかどうか、正確にはわからなかった。
でも、れいは違うのかもしれない。
真面目で観察力のある彼女なら、普段から何気なく見ていたものの変化にも気づける可能性がある。
もしかしたら、れいにしかわからない部分があるのだろうか。
そう考えながらも、私には何が気になっているのか判断できなかった。
「ピアノに不自然な場所はなさそう」
「動物の足跡もないみたい」
一方、ピアノを調べていた二人もこれといった手がかりを見つけられなかったらしい。
楽器そのものに不自然な部分はない。
動物が入り込んだような痕跡もない。
つまり、ここでも怪事件の原因に繋がるものは見つからなかったということだ。
……また空振りか。
理科室に続いて、音楽室でも収穫なし。
ただ、気になるのはれいの様子だった。
理科室では、実験台に置かれたままのビーカーを見つめていた。
そして今回は、壁に飾られた音楽家たちの肖像画。
どちらも、怪事件そのものとは直接関係がなさそうなものばかりだ。
でも、れいは確かに何かを気にしている。
それが単なる気のせいなのか、それとも本当に何かの異変に気づいているのか。
今の私にはわからない。
れい自身も、まだはっきりとした答えを出せていないようだ。
結局、そのことについて特に話すこともなく、私たちは調査を続けることになった。
窓の外へ目を向ける。
いつの間にか太陽は少しずつ傾き始めていた。
昼間は明るかった校舎にも、ゆっくりと夕方の気配が近づいている。
日没まで、もうそれほど時間は残されていない。
それなのに怪事件の手がかりはまだ見つからないままだった。
_______________
「はぁ…手がかりゼロか…見間違いや聞き間違いってこともあるのかな?」
「可能性はあるかもね」
結局理科室でも音楽室でも、怪事件の原因に繋がるような決定的な手がかりは見つからなかった。
あれだけ調べたのに、収穫はほとんどなし。
本当に骸骨が動いたのか。
本当に誰もいない音楽室でピアノが鳴ったのか。
そもそも、その噂がどこまで正確なのかすらわかっていない。
私たちはひとまず校舎の外へ出ると、目の前には昼間とはすっかり違う景色が広がっていた。
空は少しずつオレンジ色に染まり始め、傾いた太陽が校舎や地面を柔らかく照らしている。
もうすぐ一日が終わる。
あと一時間もすれば、よい子の子供たちは家に帰らないといけないくらい、辺りも薄暗くなってしまうだろう。
そんな夕暮れの学園を歩きながら、私は先ほどまでの調査を振り返った。
「怪談話もほとんどが思い込みや単なる噂で実際には何もないというのが多いから。一部を除いて」
「い、一部って……」
脅かすつもりで言ったわけじゃないんだけど……。
私はそんな怯えるみくるの様子を横目に見ながら、広場の方へ歩き続けた。
世の中には、幽霊を見たと証言する人もいる。
誰もいない場所から物音が聞こえたり、物が勝手に動くポルターガイストのような現象が起きたりするという話もある。
ただ、そうした超常的な現象については、科学的に実証されていないものが多い。
それを信じるか信じないかは個人の自由だと思う。
実際に体験したと感じている人にとっては、紛れもない事実なのかもしれない。
でも、第三者が同じ現象を確認できなければ、それが本当に幽霊によるものなのかどうかを判断するのは難しい。
今回の怪事件だって同じだ。
本当に幽霊が原因だったとしても、科学的に証明できなければ、どうやって事件を解決すればいいのかもわからない。
……というか、本当に幽霊だった場合は私たちに何ができるんだろう。
考えても答えは出ない。
だからまずは現実的に調べられる部分から確認するべきだと思う。
見落としているものはないか。
不自然な痕跡は残されていないか。
噂の内容と実際の状況に食い違いはないか。
そうした細かな部分を一つずつ調べていくことが、今の私たちにできることのはず。
そんなことを考えながら歩いていると、前方から何人かの生徒が歩いて来るのが見えた。
演劇部の生徒たちだ。
……あれ?
まだ部活動の時間は残っているはずなのに、みんなの様子がどこかおかしい。
普段ならもっと活気があってもよさそうなのに、今はそんな雰囲気がまるで感じられなかった。
その様子を見ただけでも、何か事情があるのは明らかだった。
「あれ、大森さん?演劇部の稽古は?」
「しばらく自主練にしたんです。みんな怪事件を怖がって練習にならなくて…」
「そう……」
怪事件の噂が、ここまで影響しているなんて。
普段の学校生活だけじゃない。
放課後の部活動にまで影響が出始めている。
以前、しるくさんがこの学校を訪問した時のことを思い出す。
あの時は、学校全体がもっと活気に満ちていた。
生徒たちの表情も明るく、どこか楽しそうな雰囲気があった。
でも今は違う。
同じ学校のはずなのに、あの頃の活気をまるで感じられない。
怪事件だけが原因ではないのかもしれない。
「大王のことで、みんな敏感になっているんだわ」
七の月に現れる大王。
世界を滅ぼすという予言。
その日まで、もう一週間も残されていない。
テレビでは連日のように取り上げられ、学校でもその話題が絶えることはない。
そんな状況で、さらに学校の怪事件まで噂になっているのだから、生徒たちが不安になるのも無理はなかった。
普段なら単なる怪談話として笑って済ませられるような出来事でも、今はそう簡単には受け止められないのだろう。
授業や部活動に集中できなくなるのも、ある意味では当然なのかもしれない。
だって、もし本当に世界が終わってしまうのなら。
明日の授業も、次のテストも、部活動の練習も。
そんな日常のすべてが、意味を失ってしまうかもしれないのだから。
私はオレンジ色に染まっていく空を見上げた。
いつもと変わらない夕暮れ。
だけど、その空の下で過ごしている生徒たちの心は、決していつも通りではない。
予言の日が近づくにつれて、学校全体が少しずつ不安に包まれている。
そのことを、改めて実感させられた。
「私、みんなのために…そして、頼りにしてくれてる理事長のためにも、納得がいくまで調査したい!」
重く沈みかけていた空気を打ち破ったのは、みくるだ。
その声には、さっきまで幽霊の噂に怯えていた時のような弱々しさはない。
まっすぐ前を見つめる瞳には、強い決意が宿っている。
「理事長?」
みくるが学校の怪事件を解決したいと思うのは不思議なことじゃない。
ずっと名探偵に憧れてきた彼女だからこそ、困っている人たちを放っておくことなんてできないのだろう。
誰かが助けを求めているのなら、その声に応えたい。
それこそが、みくるの信じる名探偵プリキュアの在り方なのだから。
でも、理事長のためにも、という言葉が少し気になった。
「だって理事長は、私がキュアット探偵事務所に入るのを応援してくれたんだよ」
「うん。それに、みくると私が探偵として成長できるように見守ってくれてる」
あんなも頷く。
理事長は二人の探偵活動をずっと応援してくれていた。
学校生活だけでなく、二人が自分たちの夢に向かって努力していることもちゃんと見守ってくれている。
それは、今日の依頼からも十分に伝わってきた。
そして私自身も、理事長に対する考え方が大きく変わっていた。
「私も改めて理事長の話を聞いて、前まではあまり関わりたくないな…って思ってたけど、本当はれいと同じで生徒のことを考えていた優しい人だったから」
正直に言えば、以前の私は理事長とできるだけ関わりたくないと思っていた。
授業をサボっていたことで呼び出され、早朝の奉仕活動を罰則として課された。
あの時は、どうして私だけこんなことをしなければならないのかと不満に思ったこともあった。
でも、今なら少し違う見方ができる。
そもそも、ずっと授業をサボっていた私が悪かったのは事実だ。
場合によっては、退学処分になっていてもおかしくなかったかもしれない。
なのに理事長が私に与えた罰則は学校の清掃だけだった。
当時は成績が良いからその程度で済んだのかもしれないと思っていた。
でも、もしかしたら違ったのかもしれない。
理事長は、私がいつか授業に出席するようになることを期待していたのではないだろうか。
今は学校を避けていても、いつか自分から教室へ戻ってくる。
そう信じて、私を見守ってくれていたのかもしれない。
本当のところはわからない。
だけど今日の理事長の言葉を聞いた今なら、そう考えることもできた。
みくるとあんなの探偵活動も。
私の学校生活も。
そして、他の生徒たちのことも。
理事長はきっと、みんなを一人の人間として見つめ、それぞれの成長を見守っているのだろう。
「うん…この学校のシンボルはツバメ。渡り鳥のように一時的な滞在だとしても、拒むことなく門を開く。学び、成長しようとする者を誰でも迎い入れる。それが理事長の考えなの」
れいの言葉を聞いて、私は広場へ視線を向けた。
そこには、二羽のツバメの銅像が佇んでいる。
まことみらい学園の象徴。
以前、ニジーによってハンニンダーにされてしまったこともあったけれど、今でも変わらずこの学校のシンボルとして存在感を放っている。
ツバメは渡り鳥。
一つの場所に留まり続けるのではなく、季節とともに遠くへ飛び立っていく。
たとえ一時的にしかこの学校にいない生徒だったとしても、学びたいという意思があるのなら拒まない。
成長しようとする人を、誰でも迎え入れる。
それが理事長の考え。
……そうだったんだ。
私は改めて、目の前のツバメの銅像を見つめた。
これまで何度も目にしてきたはずなのに、その象徴に込められた想いを、私はちゃんと理解していなかった。
れいのことも。
理事長のことも。
私は二人の本心を何も知らないまま、自分の過去の経験だけで判断していたのかもしれない。
小学生の頃の出来事。
頭が良いというだけで周囲から嫉妬され、傷つけられた記憶。
あの頃の経験が、今でも私の中に残っている。
だから、学校という場所に対して素直に心を開けなかった。
先生や学校の関係者に対しても、どこかで距離を置こうとしていた。
でも、今の学校はあの頃とは違う。
私のことを考えてくれる人たちがいる。
私が変わることを信じて、見守ってくれる人たちがいる。
いつまでも過去に縛られたままではいけない。
……私も、少しずつ変わらないと。
「私はそんな理事長のことを心から尊敬しているし、この学校のことを大切に思っている」
れいはまっすぐな眼差しでそう言った。
その言葉に、迷いは感じられなかった。
生徒会長として学校を大切に思っているのはもちろんだけど、それだけじゃない。
理事長の考え方そのものを、心から尊敬しているのだろう。
「誰でも迎い入れる、か…」
「素敵な考えだね」
「ポチ!」
理事長からすれば、れいは自慢の孫娘。
そしてれいからすれば、理事長は尊敬する自慢の祖母。
お互いを大切に思い、相手の考え方を尊重している。
そんな二人の関係が、少し羨ましく感じられた。
……家族の絆って、いいな。
私もそうだったら良かったのに。
自分にもあんなふうに心から尊敬できる家族がいたのだろうか。
私のことを大切に思ってくれていた人がいたのだろうか。
……考えても、今の私にはわからない。
「あんな、みくる、みのる」
「うん!」
「調査の続き、だよね!」
みくるとあんながすぐに反応する。
その表情には、もう迷いなんて感じられなかった。
学校の怪事件を解決し、怯えている生徒たちが安心して過ごせる日常を取り戻す。
そして、信頼してくれている理事長の期待に応える。
二人の中では、もうやるべきことがはっきりしているのだろう。
諦める必要なんてない。
そもそも、二人には最初から諦めるつもりなんてないのだから。
そんな二人を見ていると、私の胸には不思議な感情が浮かんできた。
嬉しいような。
でも、少し不安なような。
うまく言葉にできない、微妙な感情だった。
みくるもあんなも、こうしている間にも少しずつ成長している。
探偵として、そしてプリキュアとして。
困っている人のために自分から行動し、どんな事件にも向き合おうとしている。
そんな二人を、私はこれからも支えていきたい。
「下校まではまだ時間があるし、私もできる限り頑張るよ」
「うん、必ず解決する!そして、平和な学校を取り戻しましょう!」
みくるの力強い言葉に、私も心の中で頷いた。
正直、私は二人ほど事件の解決に貢献できているわけじゃない。
たまに知識が役立つことはあっても、普段は二人の後ろについていくことの方が多い。
それでも、助手としてできることはあるはずだ。
小さな違和感を見逃さないこと。
二人が気づかなかったことに気づけるようになること。
そして、必要な時に頼ってもらえる存在になること。
まだまだ未熟な私だけど、いつか二人から心から信頼されるような助手になりたい。
そのためにも、今は自分にできることを精一杯頑張ろう。
私はそう心に決めながら、夕暮れの広場に佇む二羽のツバメをもう一度見つめた。