かわいいホームズの親友ちゃんは、相棒の座を奪われて焦心苦慮 作:くぁwせdrftgyふじこlp
【みのるSide】
気を取り直して、私たちは次の調査場所へと向かった。
次に調べるのはまだ調べていない美術室だ。
美術室も他の教室と同じように、普段から清潔に保たれているはず。
けれど、実際に中へ入ってみると床には絵の具が飛び散ったような跡が残されていた。
私はその跡を目で追いながら教室の中を見渡す。
すると飛び散った絵の具のすぐ上に、一人の少女が描かれた絵画が飾られていることに気づいた。
「噂によると、絵の中の少女が涙を流したらしいけど…」
「涙って言うか…」
「水色の絵の具がついてるだけだね」
絵画の少女の目元には水色の絵の具が付着している。
遠くから見れば少女が涙を流しているように見えるかもしれないけれど、近くで確認すればそれがただの絵の具であることがわかる。
どうやらこの噂についても怪奇現象とは言えなさそうだ。
ただそんな中で一人だけ、別のことに気を取られている人物がいた。
れいだ。
彼女は教室の中をじっくりと確認して何かを考え込んでいる。
「おかしい…」
「おかし、どこ?」
その言葉を聞きつけたポチタンがすかさずれいの近くへと寄っていく。
れいの言った「おかしい」を食べ物の「お菓子」と勘違いしたらしい。
「お菓子じゃなくて、教室がいつもと違うってことだよ」
「何が違うの?」
美術室は普段から頻繁に利用する場所ではない。
そのため、どこに何が置かれているのか細かい配置までは覚えていなかった。
それでもなんとなく教室全体が散らかっているような印象を受ける。
普段の美術室がどんな状態なのか、はっきりと思い出せるわけではないけれど、何かが違うような気がするのだ。
「例えばこの石膏像、いつもは棚に並べて置かれている。それにこのキャンバスは、立てかけられて保管されている」
「つまり誰かが動かしたってこと?」
石膏像は棚から離れた場所に置かれていて、キャンバスも本来の保管場所とは違う位置にあるらしい。
どちらも誰かが使った後に元の場所へ戻し忘れたように見える。
幽霊や動物が物を動かしたというのでなければ、当然ながら人間が動かしたことになる。
何のために移動させたのかまではわからないけれど、誰かが何らかの理由で物を動かし、そのまま放置してしまったと考えるのが自然だろう。
それに、こうした光景には少し覚えがあった。
「私もなんとなくおかしいなって感じてた。理科室のビーカーも置きっぱなしだったし」
何気なく口にしたその言葉にれいが突然反応する。
「そっか!それが違和感の正体!」
「違和感?」
「理科室でも音楽室でも、いつもと何かが違う気がしてた。理科室では実験器具の置き場所が違った。音楽室では飾られた絵の順番が違ってた」
その説明を聞いて、私はようやく理解した。
つまり、物の配置が変わっていたのはこの美術室だけではなかったということだ。
理科室では実験器具の置き場所が変わり、音楽室では飾られている絵の順番が入れ替わっていた。
そして、この美術室でも石膏像やキャンバスが普段とは違う場所に置かれている。
調査してきた教室の全てで、何かしらの配置の変化が起きていたのだ。
ただ、それ以上に私が驚いたのはれいの観察力。
理科室の実験器具や美術室の石膏像なら、まだ違和感を覚えることはできるかもしれない。
けれど、音楽室に飾られている絵の順番が入れ替わっているなんて普通は気づかないと思う。
少なくとも私にはわからなかった。
それなのに、れいは全ての教室で起きていた小さな変化を見逃さず、きちんと覚えていたのだ。
「そんな些細な違いに気づくなんて!」
「音楽室の絵は私でもわからなかったよ…。こういう分野は学校のことをなんでも覚えているれいが一番得意だね」
私は素直な気持ちを口にした。
れいは生徒会長として、普段から学校の様子を細かく見ている。
ほんの些細なことでも決して見逃さず、改善できるところがあれば改善して、より良い学校を目指そうとしている。
そんな彼女だからこそ、教室の物がいつもと違う場所に置かれていることにも気づけたのだろう。
学校のことを誰よりもよく見ているれいにしかできない、立派な観察だと思う。
「さすが生徒会長!」
「すご~い!」
みんなから次々と褒められたれいは、少し困ったような表情を浮かべた。
よく見ると、その頬がほんのりと赤くなっている。
……あれ?
もしかして、照れてる?
いつもは厳格で、何事にも真剣に取り組んでいるれい。
そんな彼女がみんなから褒められて恥ずかしそうにしているなんて。
普段はなかなか見られないであろう一面を目の当たりにして、私は思わず小さく笑みを浮かべた。
ちょっと得した気分かもしれない。
「大したことない……でもどうして移動させたんだろう?」
みんなから褒められて少し照れくさそうにしていたれいだったけれど、すぐに真剣な表情へと戻る。
美術室の石膏像やキャンバス、理科室の実験器具、そして音楽室に飾られていた絵画。
これらが普段とは違う場所に置かれていたのには、何か理由があるはず。
そもそも人が物を動かす時には、必ず何かしらの理由や目的がある。
ただ意味もなく動かすなんてことはあまり考えられない。
「物を動かすといえば掃除とか?」
「模様替えや引っ越しも…あとは…」
みんなで考えられる理由を挙げていく。
掃除、模様替え、引っ越し。
確かにどれも物を動かす理由としては自然なものだ。
けれど、ここは学校。
掃除は毎日、生徒たちが当番制で行っている。
だから教室は常に清潔な状態が保たれているし、わざわざ大量の物を動かしてまで掃除をする必要があるほど汚れているわけでもない。
模様替えについても、特にそんな話は聞いていない。
特に引っ越しなんてここは学校なのだから考えにくい。
改装工事や閉校の予定があるという情報もないのだ。
となると、他に考えられる理由は……。
「大切な物を失くした時とか?」
ふと、そんな可能性が頭をよぎった。
大切な物を失くしてしまった時、人はどうするだろう。
机の下を覗き込んだり、棚の中を調べたり、邪魔な物を別の場所へ動かしたり。
そうやって、見つかるまであちこち探し回るはずだ。
そして、その行動は今まで調査してきた教室の状況とも一致する。
「「何かを探していた!?」」
みくるとあんなの声が綺麗に重なった。
そう考えれば、教室の物が普段とは違う場所に置かれていた理由にも説明がつく。
誰かが何かを探すために物を動かし、そのまま元の場所へ戻さずに立ち去った。
それなら、複数の教室で同じような違和感があったことにも納得できる。
「それって…」
プリキットミラールーペを取り出した二人は、そのまま床へと向けて覗き込むと、何もないように見えていた床の上に複数の足跡が浮かび上がってきた。
その形はどれも特徴的だ。
「一本の線?あ、これゴウエモンの下駄の跡だ!」
最初に目についたのは、一本の線のような形をした足跡。
確かに、これはゴウエモンが履いている下駄の跡と考えれば納得できる。
そして、それ以外にも見覚えのある形が次々と見つかった。
「てことは、こっちはアゲセーヌ!?」
「じゃあこれはニジー!?」
「ならこの少し小さいのはジャック!?」
床に残されていたのは、怪盗団ファントムの幹部たちが侵入した痕跡。
一人や二人じゃない。
ゴウエモン、アゲセーヌ、ニジー、そしてジャック。
四人もの幹部が、この学校の中を歩き回っていたということになる。
そう考えた瞬間、背筋に冷たいものが走った。
私たちが何も知らずに学校生活を送っている間に、ファントムの幹部たちが校内を徘徊していたなんて。
もし、一般の生徒や先生が偶然鉢合わせていたらどうなっていただろう。
相手は、これまで何度も私たちを危険な目に遭わせてきた怪盗団だ。
そんな相手と何の力も持たない生徒が遭遇していたら、無事では済まなかったかもしれない。
考えただけでも恐ろしい話だ。
「つまり今回の怪事件もファントムの仕業だったんだ!」
「ファントムは学校で何かを探していた。その最中に骸骨を動かしたり、ピアノに触れたり、怪事件に間違われることをした!」
「うん、きっとそう!」
理科室で動いた骸骨も、音楽室で聞こえたピアノの音も、そして美術室で涙を流したと噂されていた少女の絵も。
全てファントムが何かを探している最中に起こした行動が原因だったと考えれば辻褄が合う。
幽霊や怪奇現象なんかじゃなく、人間の目には不可解に映る出来事の裏に、ファントムの存在があったということだ。
ただ、一つだけ気になることがある。
それは、調査した教室同士にほとんど関連性がないということ。
理科室、音楽室、美術室、どれも授業で使う教室ではあるけれど、置かれている物も用途も全く違う。
特定の何かを探しているにしては、調査する場所があまりにもバラバラだ。
もしかすると、ファントム自身も目的の物がどこにあるのかわからず、手当たり次第に探し回っているのかもしれない。
「ファントムは何を探しているの?」
「あちこち探しているあたり、相当わかりにくい場所にあるのかな?それか……」
「この学校が大事にしている物…」
ファントムが狙っている物。
それはマコトジュエルが宿った物だ。
マコトジュエルは、人々の想いが結晶となったもの。
つまり、ファントムがこの学校で探しているのも、誰かの強い想いが宿った大切な物である可能性が高い。
まことみらい学園にとって、大切な物……。
私はこれまでの出来事を思い返した。
校内にあるツバメの像や桜の木にはマコトジュエルが宿っていた。
けれどそれらは既にファントムが狙っていたし、ポチタンが回収している。
だから、今回の捜索対象からは除外していいはずだ。
となると、他に何があるだろう。
ファントムがこれほど学校中を探し回っているにもかかわらず、まだ見つけられていない物。
それはきっと、普段から生徒たちが自由に触れるような場所には置かれていないのだと思う。
なら候補となる場所はかなり限られてくる。
例えば、職員室。
あるいは、理事長室。
職員室には先生たちが仕事で使う書類や備品がたくさん置かれている。
もちろん大切な物もあるだろうけれど、その多くは学校の業務に必要な物だ。
一方で理事長室はどうだろう。
学校を運営する理事長がいる場所。
そこにはまことみらい学園そのものに関わる大切な物が保管されていても不思議ではない。
消去法で考えても、理事長室が最も可能性の高い場所に思えた。
そして、みくるが言っていた理事長が掲げている学校の理念を思い出す。
『誰でも迎い入れる学校』
それがまことみらい学園の目指す姿だ。
誰であっても受け入れ、安心して過ごせる場所にする。
理事長は、そんな想いを大切にしている。
もし、その理念に深く関わる物があるのなら。
もし、理事長の強い想いが込められた物が、この学校のどこかに存在しているのなら。
そこにマコトジュエルが宿っていても、何もおかしくない。
そして、それが理事長室に保管されているとしたら……。
……あっ。
私の頭の中で、バラバラだった情報が一つに繋がった。
「「きっとあれだ!」」
みくるとあんなも何かを確信したような表情を浮かべている。
二人も私と同じ答えにたどり着いたらしい。
学校中を探し回っていたファントム。
理事長が大切にしている、まことみらい学園の理念。
そして、その想いが宿っているかもしれない物。
ようやく、ファントムが探している物の正体に近づけた気がした。
_______________
【るるかSide】
ファントムの拠点へ戻ってきたと思ったら、休む間もなく学校へ連れてこられてしまった。
しかも私を連れてきたのはファントムの幹部全員。
一体何事かと思ったけれど、結局のところ、いつもとやることは変わらなかった。
マコトジュエルの捜索。
それだけ。
今回はウソノワールの命令によって、幹部全員が出動することになっているらしい。
それだけ重要なマコトジュエルなのか、それとも単純に捜索を急がせたいだけなのか。
どちらにしても、私に拒否権なんてない。
そして現在、私たちは学校の屋上にいた。
校内を散々探し回ったものの、肝心のマコトジュエルは一向に見つからない。
そのため、今度は屋上から学校全体を見渡し、それらしい物がないか探しているというわけ。
……ここから眺めているだけで見つかるとは思えないけれど。
「ったく、マコトジュエルは一体どこなんだ?」
「学校にあるのは間違いないさ。未来自由の書がそう示したんだ!」
「でもどこにもなかったし!」
「境界を統べる一つの銀だから、それっぽい色をした物を片っ端から探してるけど……」
四人の不満げな声が響く。
教室という教室を探し回り、物を動かしてまで調べたというのに、手がかりらしい手がかりすら見つかっていないのだから。
確かに未来自由の書が示した場所は、この学校で間違いないはず。
問題は、その予言があまりにも抽象的だということ。
私は頭の中で、今回の予言をもう一度思い返した。
『真実の輝きは、学舎の境界を統べる一つの銀へと至る。それは往き来の赦しを司る、小さき器なり』
……学舎の境界を統べる一つの銀。
この部分が、マコトジュエルの宿っている物を示しているのだと思う。
銀色の物なんて学校の中にはいくらでもある。
理科室の実験器具、教室の備品、金属製の装飾品。
一つ一つ調べていたら、どれだけ時間があっても足りない。
そんなことを考えていると、ゴウエモンが突然何かを閃いたように声を上げた。
「はっ!もしや、学校そのものに宿ってる!?」
「デカっ!?盗むの無理じゃね!?」
「予言は『小さき器』だからその可能性はないんじゃない?」
ゴウエモンの推理も完全に的外れというわけではない。
マコトジュエルは、人々の大切な想いが込められた物に宿る。
もしこの学校に通う生徒や働いている教員たち全員が、学校そのものを心から大切に思っているのなら。
その想いが一つになり、校舎そのものにマコトジュエルが宿る可能性だって考えられる。
ただし、今回の予言には明確に『小さき器』と記されている。
学校そのものを小さな器と呼ぶには無理がある。
つまり、マコトジュエルが宿っているのは校舎ではなく、もっと小さな物だと考えるべきだろう。
「冗談はやめだ。ベイビー!時間が無いよ!」
……そんなこと、言われなくてもわかってる。
私たちに残された時間は、決して多くない。
約束の時が訪れるまでに、少しでも多くのマコトジュエルを集めなければならない。
それがウソノワールの命令。
そして、その目的を達成するためなら、あの妖精はどんな手段だって使う。
(……………)
私は手元に視線を落とした。
そこには先ほどから持っていたソーダ味のアイスがある。
淡く透き通った水色。
その色を見た瞬間、脳裏に一つの結晶が浮かび上がった。
……キュアエクレールのマコトジュエル。
あの輝きを、私は忘れられない。
忘れられるはずがない。
もし今回の機会を逃してしまったら。
もし、必要なマコトジュエルを集めきれなかったら。
ウソノワールは、間違いなくキュアエクレールのマコトジュエルを利用するだろう。
あのつにとって、それがどれほど大切な物なのかなんて関係ない。
目的のために必要なら、容赦なく利用する。
……それだけは避けたい、絶対に。
私は無意識のうちに、アイスを持つ手に力を込めていた。
「るるかはどこにあると思う?」
マシュタンに不意に問いかけられ、私は顔を上げた。
「学校の中になかったのは確か。そして予言の内容から推理すると、考えられるのは……」
私はもう一度、予言の言葉を頭の中で整理した。
学舎の境界、それは学校の内側と外側を隔てる場所を意味しているのではないだろうか。
なら最も可能性が高いのは校門。
そして、『往き来の赦しを司る』という言葉。
学校への出入りを許可する物。
門を開けたり、閉めたりするために必要な物。
さらに、それは銀色をした小さな器である。
……もしかして
私は屋上の縁へと視線を向け、校門の方を見下ろした。
ちょうど下校時間になったのだろう。
校内には帰宅する生徒たちの姿が見える。
その中で、正門へと向かって歩いている一人の人物が目に留まった。
……あれは、理事長?
遠目だからはっきりとはわからないけれど、理事長らしき人物が何かを手に持っている。
よく目を凝らしてみると、それは小さな鍵のようだった。
銀色の鍵、学校の正門を開け閉めするための物。
学舎の境界を統べる一つの銀。
往き来の赦しを司る、小さき器。
全ての言葉が、一つの答えへと繋がった。
「……そういうこと」
今回のマコトジュエルが宿っているのはあの鍵。
理事長が持っている、学校の正門の鍵。
予言が示していたのは、きっとあれに違いない。
……さて、答えがわかった以上、後は奪うだけ。
未だに周囲を見渡して探し続けている四人に、このことを伝えればいい。
全員で理事長のところへ向かい、鍵を奪ってしまえば任務は完了する。
本来なら、それで終わる。
けれど、そう簡単にいかないことくらい、私にもわかっている。
なぜなら、この学校には名探偵がいるのだから。
「理事長~!!」
聞き覚えのある声が、下の方から響いてきた。
理事長のもとへ駆け寄っていく生徒たちの姿。
みくるとあんな。
そして彼女たちと一緒にいる生徒。
あの子たちも答えにたどり着いたらしい。
何かを話しているようだけれど、ここからでは会話の内容までは聞き取れない。
ただ、理事長が手にしていた鍵を、彼女たちに渡したことだけははっきりと確認できた。
先手を打たれたというわけね。
マコトジュエルの宿る鍵は、既にプリキュアたちの手に渡ってしまった。
こうなれば争いは避けられない。
向こうだって私たちがマコトジュエルを狙っていると知れば、黙って渡すはずがないのだから。
ただ、今回はいつもとは状況が違う。
ゴウエモン、アゲセーヌ、ニジー、ジャック、そして私。
ファントムの幹部が全員揃っている。
これだけの戦力があれば、いくらプリキュアといえども簡単には対抗できないはず。
もしかしたら、今回は圧倒的な力の差で押し切れるかもしれない。
……なんて甘い考えは捨てた方がいい。
あの子たちにはこれまで何度も戦況をひっくり返されてきた。
どれだけ追い詰めても、どれだけ不利な状況に陥っても、最後まで諦めようとしない。
そして、こちらの予想を超える力を発揮してくる。
それがプリキュア。
だから油断は禁物。
私は食べ終わったアイスの棒にもう一度視線を落とした。
あのキュアエクレールのマコトジュエルだけは、ウソノワールの好きにはさせない。
そのためにも、今回のマコトジュエルは必ず手に入れる。
相手が誰であろうと関係ない。
私は顔を上げ、鍵を受け取ったみくるたちを見据えた。
……油断はしない。
最初から本気で行く。
_______________
【みくるSide】
「この鍵をファントムが探してるの?」
理事長から受け取った小さな鍵を見つめながら、私はそう尋ねた。
手のひらに収まるほどの大きさで、銀色に輝くその鍵。
一見すると、どこにでもありそうな普通の鍵にしか見えない。
けれど、私たちがこれまで調査してきた怪事件の真相と、ファントムが学校中を探し回っていた理由を考えれば、この鍵こそが目的の物である可能性は高い。
「門を開き、誰でも迎い入れる。この鍵は学校の象徴」
「うん、きっとマコトジュエルが宿ってる」
まことみらい学園が掲げている理念。
この鍵は、そんな理事長の想いを象徴する大切な物なんだ。
普段は理事長自身が大切に管理していて、私たち生徒が使う機会はほとんどない。
だからファントムは学校中を探し回っても見つけられなかった。
あちこちの教室を調べても見つからなかったのは、そもそも普段から生徒たちが触れる場所に置かれていなかったから。
そして、これまでファントムに狙われたツバメの像や桜の木を除けば、この学校で特に大切にされている物として、この鍵が最も有力だと思う。
これをファントムに気づかれる前に何とかしないと……って思った時だった。
「思ったとおりね」
「「「「!?」」」」
突然聞こえてきた声に、私たちは一斉に振り向いた。
まるで私たちが鍵を手に入れる瞬間を待ち構えていたかのように、静かにこちらを見つめている少女。
「るるかさん!?」
森亜るるかさん。
怪盗団ファントムに所属する、キュアアルカナ・シャドウ。
彼女がここに現れたということは、やっぱりファントムもこの鍵が目的だと気づいたんだ。
「鍵を渡して」
るるかさんは、まっすぐ私たちを見据えながら告げた。
その声には迷いがない。
「キミたちに勝ち目はないよ!」
……そこにいたのはるるかさんだけじゃなかった。
ニジー、アゲセーヌ、ゴウエモン、ジャック、怪盗団ファントムの幹部が全員いる。
さっきプリキットミラールーペで調べた足跡から、みんな学校に侵入していたことはわかっていた。
でも、こうして目の前に勢揃いしている姿を見ると、話は別だった。
一人一人が、これまで私たちを苦しめてきた強敵。
その全員が、今は同じ目的のために私たちの前に立ちはだかっている。
無意識に身体が強張る。
心の奥で、危険を知らせる警鐘が鳴り響いているようだった。
「まさかの幹部全員参戦って……」
「どうしよう…」
「このままじゃ!」
みんなの声にも、明らかな焦りが滲んでいた。
私とあんながプリキュアに変身したとしても、戦えるのは二人だけ。
それに対して相手は五人。
人数だけでも圧倒的に不利なのに、その中にはジャックまでいる。
正面から戦って勝てるのか。
それとも、何とかして鍵を守りながら逃げるべきなのか。
頭の中で必死に考えるけれど、簡単には答えが出てこない。
すると突然ポチタンが私の手元へと近づき、私が持っていた鍵を自身の中へ取り込んでしまった。
驚く間もなくポチタンは勢いよく校舎の方へ飛び出していく。
「~~~~!ポチ~~!!」
「え!?」
突然の行動に呆然としてしまうが、れいだけは違った。
ポチタンが飛び出してすぐにその後を追って走り始めたんだ。
「ポチタン!」
そしてそれを見たファントムも黙ってはいなかった。
「待ちやがれ!」
ゴウエモンがポチタンたちを追おうとする。
その瞬間、私はポチタンが何を考えていたのか理解した。
ポチタンは、鍵を守ろうとしてくれているんだ。
このまま私たちがファントム全員と戦えば、近くにいるポチタンやれい、みのるや理事長まで危険な目に遭ってしまうかもしれない。
それに戦いの最中に隙を突かれて鍵を奪われる可能性だってある。
だからポチタンは自分の中に鍵を取り込んで、私たちから距離を取った。
私とあんなが、少しでも戦いやすくなるように。
……だったら。
私たちが今やるべきことは、一つしかない!
「ダメ!!」
「行かせない!」
ポチタンとれいが向かった場所へ、絶対に行かせるわけにはいかない。
鍵を守るために、ポチタンは自分から危険を引き受けてくれたんだ。
私たちだって負けていられない。
相手が五人だからって、諦めるわけにはいかない。
ここで退いたら理事長が大切にしてきた学校の象徴を奪われてしまう。
ポチタンやれいまで、ファントムに狙われることになる。
そんなこと、絶対にさせたくない。
私たちは名探偵を目指している。
困っている人がいたら助けたい。
誰かの大切な想いを守りたい。
その気持ちは、相手がどれだけ強くても変わらない。
多勢に無勢だとしても、名探偵の意地で乗り越えてみせる!
「たった二人で何ができるの?まさかこの人数の私たちと戦うつもり?」
ジャックの表情からは、私たちを脅威だと思っている様子が感じられない。
実際、ジャック一人を相手にするだけでも今の私たちには厳しい。
それなのに、他の幹部たちまで相手にしようとしているんだから無謀だと思われても仕方がないのかもしれない。
「これ以上、邪魔しないで」
るるかさんも静かな声でそう告げた。
そして、最初に前へ出てきたのはその二人だ。
どちらも決して油断できない相手。
二人の姿を見つめながら、私は拳を握りしめた。
……怖くないと言えば、嘘になる。
ジャックの強さは身をもって知っているし、るるかさんだって簡単に勝てる相手じゃない。
それでも、ここで逃げるわけにはいかない。
私たちの後ろには、守らなきゃいけない人たちがいる。
理事長の大切な想いが込められた鍵も、絶対に奪わせたくない。
私は隣にいるあんなを見た。
あんなも覚悟を決めたような表情で前を向いている。
……うん、大丈夫。
どんなに厳しい戦いになったとしても、私たちは二人で乗り越えてきた。
「………私も行ってくる!」
「ちょっとみのるまで!?」
みのるも何かを決意したような表情を浮かべると、ポチタンとれいが向かった校舎の方へ走り出してしまった。
何か考えがあるのかもしれないけれど、今はその理由を確かめている余裕なんてない。
私は隣にいるあんなへ視線を向けた。
「あんな、行くよ!」
「うん!」
あんなが力強く頷く。
私たちは最初から全力で戦うだけ!
「オープン、ティアアルカナロッド」
るるかさんが静かに言葉を紡ぎ、変身の準備を始める。
私とあんなも、同時にペンダントへ手を伸ばした。
「「オープン!ジュエルキュアウォッチ!」」
二人の声が重なり、眩い光が私たちの身体を包み込んだ。
ペンダントから溢れ出した輝きが全身へと広がり、着ていた制服が色鮮やかなプリキュアの衣装へと変わっていく。
それと同時に、るるかさんの身体も神秘的な光に包まれていた。
互いの変身が進み、やがて光が収まる。
私たちはそれぞれの姿となり、地面へと降り立った。
「どんな謎でもはなまる解決!名探偵、キュアアンサー!」
「重ねた推理で笑顔にジャンプ!名探偵、キュアミスティック!」
「神秘と秘密で包み込む、キュアアルカナ・シャドウ」
色とりどりの衣装をまとった三人が向かい合う。
「「名探偵プリキュア!」」
「さあ、迷宮へ誘いましょう」
……ここからが本番だ。
私たちの目の前に立つアルカナ・シャドウ。
そして、その後ろで様子を窺っているファントムの幹部たち。
真っ先に動いたのは、アルカナ・シャドウ。
「アルカナスターレイン」
その言葉と同時に、複数の光が放たれた。
鋭いレーザーとなった光が、私たち目掛けて一斉に降り注いでくる。
咄嗟に地面を蹴り、攻撃の軌道から飛び退いた。
直後、私たちが立っていた場所へ光が次々と突き刺さった。
激しい衝撃が地面を揺らし、砂埃が勢いよく舞い上がる。
周囲が茶色い煙幕に覆われ、視界が遮られてしまった。
私はすぐに周囲の気配を探ろうとした。
けれど、その時にはもうアルカナ・シャドウは動き出している。
砂埃を利用して姿を隠し、一直線にアンサーへと接近していた。
「うわっ!?」
突然砂埃の向こうからアンサーの声が聞こえ、鈍い衝撃音が響く。
「アンサー!!」
視界が少し開けた先で、アンサーの身体が後方へ蹴り飛ばされていた。
アルカナ・シャドウの蹴りを受けたんだ。
幸い、アンサーは咄嗟に腕を構えて防御している。
そのおかげで直撃は避けられ、受けたダメージも最小限に抑えられたみたい。
けれど、安心している暇なんてなかった。
私たちがアルカナ・シャドウに気を取られている間に、残りの幹部たちが動き出す。
「今のうちっしょ!」
その声を合図にしたかのように、ニジーたちが一斉に校舎の方へ向かった。
……まずい、あっちにはポチタンたちがいる!
鍵を取り込んだポチタンを追って、れいとみのるも校舎へ向かったばかりだ。
ファントムの幹部たちが追いついてしまったら、三人が危険な目に遭ってしまう。
私は慌てて追いかけようとした。
でも、目の前にはアルカナ・シャドウがいる。
彼女を無視して走り出せば、背後から攻撃されるかもしれない。
それにアンサーを一人にするわけにもいかない。
……どうしよう。
やっぱり、二人だけでファントム全員を止めるなんて無理なのかな。
一瞬、そんな弱気な考えが浮かんだ。
だけど……そんな悩みを吹き飛ばしたのはアンサー。
「ミスティック!ポチタンとれいとみのるを!」
アンサーはアルカナ・シャドウを見据えたまま、私にそう告げていた。
その言葉の意味は、すぐにわかった。
アンサーがここに残ってアルカナ・シャドウを引き受ける。
その間に、私が他の幹部たちを追いかける。
そうすれば、少なくともポチタンたちを守るために動くことはできる。
でも、それはアンサーが一人でアルカナ・シャドウと戦うことを意味していた。
相手は、これまで何度も私たちと戦ってきた強敵。
一人で足止めするなんて、簡単なことじゃない。
それでも、アンサーは私に任せてくれた。
だったら、私もその想いに応えなきゃ!
「うん!」
私は力強く頷いた。
無理だなんて、最初から決めつけちゃいけない。
どれだけ不利な状況でも、できることは必ずある。
私たちは名探偵プリキュアなんだから。
アンサーがアルカナ・シャドウを止めてくれている間に、私はポチタンたちを守る。
れいも、みのるも、絶対に危険な目には遭わせない。
今はそれだけを考えればいい。
「一人で私を止めるつもり?」
「アルカナ・シャドウ、行くよ!」
アルカナ・シャドウが、アンサーへ冷静に問いかける。
その声には、少しも動揺が感じられなかった。
二人でさえ苦戦する相手なのに、一人で立ち向かおうとしている。
それがどれほど無謀なことなのか、彼女もわかっているんだと思う。
けれど、アンサーは一歩も退かなかった。
力強い声と共にアンサーが突撃。
……アンサー、ここは任せたよ。
私も、絶対にみんなを守ってみせるから!
アンサーがアルカナ・シャドウに立ち向かう姿を目に焼きつけながら、私は地面を強く蹴った。
目指すのは、ファントムの幹部たちが向かった校舎。
みんなが無事でいてくれることを願いながら、私は全速力で駆け出した。
_______________
【みのるSide】
「ポチタン!れい!」
校舎へ向かって走りながら、私は二人の名前を呼んだ。
ファントムの幹部たちが勢揃いしている以上、あの場所に留まっているのは危険だ。
「みのる!」
れいが私に気づき、こちらへ振り向く。
よかった。まだ無事みたいだ。
けれど安心してはいられない。
「外は危ないから中に入ろう。少しでも隠れられる場所が多い方がいいよ」
「わ、わかった!」
校庭のような開けた場所では、ファントムに発見される危険性が高い。
一方、校舎の中なら教室や廊下、階段など、身を隠せる場所がいくつもある。
外を走り回るよりは安全なはず。
けれど校舎内に移動するだけでも危険だ。
「待って、アゲセーヌが来てる!」
私は咄嗟に足を止め、二人を制止した。
少し離れた場所を、アゲセーヌが走っている。
急いで二人を校舎の陰へ誘導した。
建物の死角に身を潜め、できる限り物音を立てないようにする。
……お願い、気づかないで。
全員息を潜めながら、アゲセーヌの動きを窺った。
幸い彼女はこちらに気づくことなく、そのまま走り去っていった。
「……行こう」
アゲセーヌが離れた今なら、移動できる。
私たちは再び校舎に沿って歩き始めた。
ただ、いつどこからファントムが現れるかわからない。
周囲を警戒しながら慎重に進む。
しかし、しばらく移動したところでまたしても前方に人影が現れた。
「前からゴウエモンが…」
今度はゴウエモンだ。
しかも、こちらへ向かって近づいてきている。
このまま進めば、確実に鉢合わせてしまう。
かといって、引き返せば先ほどのアゲセーヌと遭遇する可能性もある。
どうする……?
「みのる!こっち!」
れいが私の腕を引き、近くにある木の方へ誘導してくれた。
私はすぐにその意図を理解し、ポチタンと一緒に木の陰へ身を隠す。
直後、ゴウエモンが近くを通り過ぎていく。
……危なかった。
あと少し遅れていたら、見つかっていたかもしれない。
私はゴウエモンの姿が見えなくなったことを確認し、ようやく小さく息を吐いた。
「危なかった……ありがとう」
「礼はいいよ。この非常口から中に入れる」
れいが示した先には、校舎の非常口があった。
ここからなら、正面玄関まで移動しなくても校舎の中へ入れる。
「わかった」
まだ下校時間になってからそれほど経っていない。
そのため、非常口には鍵がかかっておらず、問題なく扉を開けることができた。
これでようやく校舎の中へ避難できる。
……と思ったところで、れいが不意に足を止めた。
「………靴は脱ぎましょう」
「………そうだね」
いくら緊急事態とはいえ、土足のまま校舎に入るわけにはいかない。
私はれいと一緒に靴を脱ぎ、中へ入った。
非常口の扉を閉めると、外の騒がしさが少し遠ざかったように感じられる。
でもこれで安全が確保されたわけじゃない。
ファントムが本気で探し始めれば、校舎の中まで安全ではなくなる。
今のうちに見つからない場所へ移動しなければならない。
「ポチ……」
いつも元気なポチタンも、さすがに今の状況が怖いのだろう。
そんなポチタンを見て、れいが優しく声をかけた。
「心配いらないよ、私たちがついてる。ポチタンのことは、私が絶対に守る!」
「れい…!」
彼女の表情には、確かな決意が浮かんでいた。
ついさっきまでファントムの姿に戸惑っていたのに、今はポチタンを守ろうとしている。
生徒会長として、誰かを守ることにも真剣なんだ。
そんなれいの姿を見て、私も心強く感じた。
「怪盗団ファントムってテレビのニュースでよく聞くけど、何を狙ってるの?正門の鍵は希少な金属で作られてるわけでもないのに…」
れいの視点からすれば不思議な話だと思う。
怪盗団といえば、高価な宝石や美術品、金銭的な価値のある物を盗むイメージが強い。
けれどファントムが狙っているのは、単純に価値のある物ではない。
「ファントムは金目の物を狙ってるわけじゃない。詳しく話すと長くなるけど、人々が大切にしている物…想いがこもった物を盗むんだ」
「想いがこもった……」
れいは私の言葉を繰り返し、考え込むような表情を浮かべた。
マコトジュエルのことまで詳しく説明すると、さすがにれいでも混乱するかもしれない。
ファントムがいつ校舎へ入ってくるかわからない以上、できるだけ簡潔に伝える必要がある。
「正門の鍵もきっと理事長が大事に扱っていたから、それをファントムは狙ってるんだ」
理事長が掲げる『誰でも迎い入れる学校』という理念を象徴する大切な物を、ファントムは奪おうとしている。
「そんな……盗まれた側の人の気持ちを考えないで、大切にしている物を盗るなんて許せない!」
れいの声に強い怒りが滲んでいる。
誰かが大切にしている物を、その人の想いも考えずに奪い去る。
そんな行為が許されるはずがない。
けれど感情に任せて立ち向かえば、こちらが危険な目に遭ってしまう。
「許せない気持ちはわかるけど、私たちじゃファントムに対抗できない。今は隠れてやり過ごすのが一番」
私にはファントムと正面から戦う力なんてない。
相手が普通の人間ならともかく、あの幹部たちに立ち向かうなんて無謀だ。
だから今は逃げることを優先するべきだ。
「でも、待ち伏せとかされたら…」
校舎の中には隠れられる場所が多いけれど、逆に言えば逃げ道を塞がれる可能性もある。
もし曲がり角で待ち伏せされていたら、私たちだけではどうすることもできないかもしれない。
それでも、私は不思議と絶望していなかった。
だって、私たちには頼れる人たちがいるから。
「大丈夫」
「え?」
「名探偵がきっと助けてくれるから!ね、ポチタン!」
「ポチポチ!」
ポチタンも元気よく返事をしてくれた。
みくるとあんながいる。
あの二人なら、きっと私たちを助けに来てくれる。
これまでだってどんなに困難な状況でも諦めず、最後まで戦ってきた。
だから、今回も信じている。
あの二人が、必ず助けてくれるって。
「なんだかよくわからないけど、助けてくれる人たちがいるなら安心ね」
れいは少し戸惑った様子を見せながらも、私の言葉を受け入れてくれた。
詳しい事情を知らない彼女にとっては、名探偵が助けてくれるという説明だけでは理解しきれないのだろう。
それでも、今は私を信じてくれている。
そのことが嬉しかった。
「ありがとう、とりあえず急ご……!!」
私は再び移動しようとして、言葉を詰まらせた。
……目の前に、誰かがいる。
さっきまで誰もいなかったはずの廊下。
その先に、小柄な少女が立っていた。
「あ!?」
「ポチ!?」
二人ともその存在に気づいたらしい。
けれど、私の驚きは二人とは全く違うものだった。
なぜなら、私はその少女が何者なのか知っているから。
そして、彼女がどれほど恐ろしい存在なのかも。
「待ってたよ。まさか私から逃げられるなんて馬鹿なことは考えていないよね?」
少女の口元に、不敵な笑みが浮かぶ。
一瞬で背筋が凍りついた。
……どうして。
どうして、ここに?
「ジャックだ……」
私は震えそうになる声で、その名前を口にした。
私たちの前に立ちはだかっているのは、他の幹部たちとは比べものにならないほどの力を持つ少女。
みくるとあんなが二人がかりで戦っても、まともに太刀打ちできない相手。
その圧倒的な強さは何度も目の当たりにしている。
よりにもよって、ジャックに見つかるなんて。
「何……あの子?」
れいはジャックのことを知らない。
それでも目の前にいる少女がただ者ではないことくらいは感じ取ったのだろう。
れいの顔から血の気が引いていく。
そして、ゆっくりと後退りを始めた。
……うん、それでいい。
その判断は正しい。
ジャックを相手にするなら、少しでも距離を取らなければならない。
あの子は見た目こそ私たちと大して変わらない少女だけれど、その内側に秘めた力は桁違いだ。
一瞬で間合いを詰め、相手が反応するよりも早く攻撃を叩き込み、蹂躙する。
そんなことが平然とできる相手なのだから。
下手に近づけば、抵抗する暇さえ与えられない。
……獲物を狙う猛獣のように、一瞬で食われる。
私はジャックから目を離さないまま、れいとポチタンの位置を確認した。
二人を守らなければならない。
でも、どうやって?
「ちょっと、学校の中なのに土足は!」
「今そんなこと言ってる場合じゃないから!!」
「どうして!?」
どうしてって……!
目の前にいるのがどれほど危険な存在なのかわかっていないからそう言えるんだよ。
「怪盗団ファントムで一番危険な幹部だよ!当然太刀打ちできるわけがない。すぐに逃げよう!」
「うん!」
れいもようやく状況の深刻さを理解したのか、すぐに頷いた。
今の私たちにできることは、逃げることだけ。
ジャックと戦おうなんて論外だ。
とにかく一刻も早く距離を取らなければ。
「ポチ!!」
「「うわ!?」」
ポチタンの身体からポーチの紐が伸び、その紐は私とれいの身体に素早くかかってものすごい勢いで引っ張られた。
速い速い速い!!
ポチタンは私たちを引っ張りながら、廊下を全速力で進んでいく。
身体がのけ反りそうになり、何度も転びそうになった。ここで足を止めればそのまま引きずられてしまう。
私は必死に足を動かし、何とかポチタンの速度についていこうとした。
後ろのれいも同じように、転ばないよう懸命に走っている。
「どうするの!?」
どうするか。
そんなの、決まっている。
「中にジャックがいたらもう近づけない!外に出よう!ポチタン、お願い!」
「ポチ~!!」
校舎の中へ逃げ込む方が安全。
教室や階段、廊下など、身を隠せる場所がたくさんあるから。
でも、それはあくまで普通の相手ならという話。
ジャックが校舎の中にいるとわかった以上、状況は完全に変わってしまった。
あの子のことを考えれば、狭い廊下で遭遇する方がよほど危険だ。
さっきまで安全だと思っていた校舎が、ジャック一人の存在によって危険地帯へと変わる。
……本当に厄介な相手だ。
外に出た後、どうするかなんてまだ考えていない。
それでも、今はジャックから少しでも離れることが最優先。
とにかく走る。
走って、逃げる。
体力なんてないけど走るしかない。
ちなみに、私もれいも靴を履いていない。
非常口から入る時に脱いだままだ。
本来なら上履きに履き替えるところだけれど、そんな余裕もなかった。
今は靴より命の方が大事なんだから。
ポチタンに引っ張られながら、私たちは生徒玄関を通り抜けた。
そして、ようやく校舎の外へ飛び出す。
……よし!
これで少しは距離を取れたはず!
そう思っていた……。
「ポチ!?」
「……っ!?」
突然、ポチタンが急停止した。
勢いよく引っ張られていた私の身体が、前方へ大きく傾く。
危うくそのまま吹っ飛びそうになり、私は必死に足を踏ん張った。
どうして急に止まったのか?
私はポチタンの視線の先へ目を向けた。
そして、そこに立っている人物を見た瞬間、全身の血の気が引いた。
「なっ!!」
「見つけたよベイビー!」
そこには、私たちを待ち構えるように立っているファントムの幹部がいた。
「ニジー!?」
せっかくジャックから逃げられたと思ったのに。
目の前に立ちはだかっている以上、このまま真っすぐ逃げることはできない。
私は慌てて別の逃げ道を探そうとした。
けれど、背後から来ている。
「ナイスだよニジー、これで終わりだね」
そこにいたのは、ついさっき校舎の中で遭遇したばかりのジャック。
「後ろからも!」
「まずい、挟まれた!」
前にはニジー。
後ろにはジャック。
完全に退路を塞がれてしまった。
……最悪だ。
ただでさえジャック一人から逃げるのも難しいというのに、今度はニジーまでいる。
これでは、どちらへ逃げようとしても捕まってしまう。
私は無意識にポチタンとれいの前へ出ようとした。
けれど、そんな私たちを見て、ニジーは余裕たっぷりに口を開いた。
「さあ、鍵を渡してもらおう」
その言葉に、ポチタンは怯えたように首を左右へ振っている。
……怖いよね。
相手は、何度も私たちを苦しめてきたファントムの幹部たち。
そんなポチタンを見て、れいが一歩前へ出た。
「学校の大切な鍵、あなたたちに渡すわけにはいかない!!」
れいは生徒会長として、この学校を大切に思っている。
理事長の想いが込められた正門の鍵を、簡単に渡すわけにはいかないのだろう。
「呆れた。こんな状況でまだ抵抗しようとするんだ」
今の私たちが置かれている状況を考えれば、抵抗すること自体が無謀。
何の戦闘能力も持たない私とれい、そしてポチタンだけ。
勝ち目なんてない。
そんなことは十分に理解している。
でも、大切な物を簡単に差し出せるわけじゃない。
「それでも……渡したくない」
私は小さく、けれどはっきりと答えた。
たとえ今の私たちに戦う力がなくても、その気持ちだけは譲れなかった。
「それは残念だよ。手荒な真似はしたくないが、なにせ時間がない。渡さないなら奪うまでさ!」
彼はどこからともなく一輪の薔薇を取り出した。
……薔薇?
そう思ったのも束の間。
ニジーが薔薇をこちらへ向けた瞬間、花弁が勢いよく飛び出してきた。
飛んできた花弁と同時に、凄まじい強風が私たちへ襲いかかってくる。
「……っ!!」
まるで突風に真正面から叩きつけられたような衝撃。
足元が一瞬で不安定になり、身体が後方へ持ち上げられる。
風の勢いはあまりにも強く、もがくことすらできなかった。
身体が宙へ浮き、そのまま地面へ向かって吹き飛ばされる。
「うっ!」
「きゃっ!」
「ポチ!」
私たちは地面へ叩きつけられた。
……痛っ!
背中に鋭い痛みが走り、一瞬だけ息が詰まる。
私は顔をしかめながら、何とか身体を起こそうとした。
その時にポチタンの身体から何かが飛び出した。
ニジーの攻撃を受けた反動で、ポチタンが自身の中に取り込んでいた鍵が外へ放り出されてしまったのだ。
銀色の鍵は地面に落ち、小さな音を立てながら転がっていく。
ファントムが探し求めていた、マコトジュエルの宿る可能性が高い物が無防備な状態で地面に転がっている。
「れい!みのる!」
地面に叩きつけられた私たちのもとへ、ポチタンの悲痛な声が響いた。
ニジーの攻撃によって吹き飛ばされた身体は、まだ思うように動かない。
背中には鈍い痛みが残り、全身が重く感じられる。
私のすぐ近くでは、れいがゆっくりと身体を起こしていた。
「……大丈夫?ポチタン?」
「れい、いたい?ポチタンいや!」
れいは自分の身体よりも先に、ポチタンの無事を確かめようとした。
その声は少し震えていたけれど、ポチタンを見つめる眼差しはどこまでも優しかった。
ポチタンの目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
自分のせいで私たちが傷ついてしまったと思っているのだろうか。
ポチタンが、こんなにも悲しそうに泣いている。
そんなポチタンに、れいは安心させるように微笑みかけた。
「私は平気。ポチタンが無事でよかった」
自分だって地面に叩きつけられたのに。
それでも、れいはポチタンのことを一番に心配していた。
……本当に、優しい人だ。
私はそんな二人の様子を見ながら、何とか身体を起こそうとした。
「……うぅ」
けれど、身体を動かした瞬間、全身に鈍い痛みが走った。
「みのる?大丈夫みのる!?」
「……なんとか、ね」
そう答えながら、私はゆっくりと上半身を起こした。
手足は動くし、立ち上がることもできそうだ。
ただ、身体のあちこちが痛むのは仕方がない。
あれだけの勢いで吹き飛ばされたのだから、無傷で済むはずがないだろう。
「でも……血が!!」
しかしれいの表情が青ざめている。
……血?
何のことだろう。
そう思った直後、額に妙な違和感があることに気づいた。
何かが肌を伝っているような不快な感覚。
私は何気なくその場所へ手を伸ばした。
「あ……痛っ!?」
指先が額に触れた瞬間、鋭い痛みが走った。
恐る恐る指先を確認すると、そこには赤い液体が付着していた。
……血だ。
どうやら、地面に叩きつけられた時に額を切ってしまったらしい。
幸い傷そのものはそれほど深くなさそうだった。
触らなければ強い痛みも感じないし、意識もはっきりしている。
(なんか前にも頭を怪我した記憶が……)
美術館の時にも、こんなふうに頭を怪我したことがあった。
ただ、今回の傷はその時と比べれば浅い方だという感覚だけがあった。
「みのる!みのる!!」
突然、ポチタンが私の胸元へ飛び込んできた。
小さな身体でぎゅっと抱きつきながら、何度も私の名前を呼んでいる。
……ポチタン。
私はその小さな身体を受け止めた。
「ごめん、私……!!」
……れい?
どうして謝るの?
あなたが悪いわけじゃない。
私たちを傷つけたのは、目の前にいるファントムなのだから。
「へぇ~身を挺して妖精を庇うなんて大したものだ。でもキミには守れないよ。プリキュアじゃないんだから」
ニジーのその口調には、私たちを心配するような気持ちは微塵も感じられない。
抵抗する私たちの姿を面白がっているようにさえ見えた。
……本当に、腹が立つ。
「プリキュア……?」
れいはプリキュアの存在を知らない。
私たちがこれまでファントムと何度も戦ってきたことだって知らないのだから。
けれど、そんなれいの疑問に答える余裕はなかった。
ニジーが、地面に落ちていた銀色の鍵へ手を伸ばしたからだ。
「あ!!」
「これは頂くよ」
鍵がとうとうファントムの手に渡ってしまった。
「っ!」
れいが動いた。
鍵を取り返そうと、ニジーに向かって駆け出したのだ。
「ダメだれい!!私たちが敵う相手じゃ!!」
私は必死に叫んだ。
けれど、れいは止まらなかった。
目の前で学校の大切な物を奪われたことが、どうしても許せなかったのだろう。
その気持ちはわかる。
でも普通の人間が正面から立ち向かってどうにかなる相手じゃない。
「おっと」
「うわっ!?ああぁぁっ!」
ニジーは余裕の表情を崩さないまま、近づいてきたれいの足を引っかけた。
れいの身体が大きく前のめりになる。
そしてそのまま地面へ倒れ込んでしまった。
「「れい!!」」
「あーあ。最初から素直に渡せば、痛い思いをしなかったのにね」
……何、それ。
私たちが怪我をしても、まるで何でもないことのように。
……どうして。
どうして、そんな顔ができるの?
「いい加減にしてよ……!どうしてそんなに笑いながら人を傷つけられるの!」
気づけば、私は声を荒らげていた。
怖くないわけじゃない。
今すぐ逃げ出したいくらい怖い。
けれどそれ以上に怒りが込み上げてきた。
誰かが大切にしている物を奪って、容赦なく傷つけて。
それなのに、どうしてそんなに楽しそうに笑っていられるのか私には理解できなかった。
「いい加減にしてほしいのはこっちのセリフだよ」
……っ!
突然すぐ近くから冷たい声が聞こえ、制服の胸元に強い力が加わる。
ジャックが私のリボンを掴み、そのまま自分の方へ引き寄せたのだ。
「……!」
身体が前へ引っ張られ、顔を上げるとすぐ目の前にジャックの顔があった。
その表情には、先ほどまでの余裕とは違う、冷たい苛立ちが浮かんでいる。
「何度も何度も私たちの邪魔をして、あなたたちの方がよっぽど迷惑なんだよ。私たちには時間がないって言ったよね?」
……時間がない。
確かに、ファントムは何度もそう口にしていた。
でも時間がないから人を傷つけてもいいなんて、そんな理屈が通るはずがない。
「そうそう。プリキュアもキミたちも、無駄に正義感が強いから勘弁してほしいものだね」
ニジーまでそんなことを言い始めた。
……正義感が強いから迷惑?
大切な物を守ろうとすることが、そんなにいけないことなの?
私たちはただ、誰かが傷つくのを見過ごしたくないだけなのに。
「力があれば……私に、そのプリキュアの力があれば、ポチタンを!みのるを!!学校を守れるのにっ!!!」
れいは地面に倒れたまま、悔しそうに拳を握りしめていた。
その目には涙が浮かんでいる。
……ありがとう、れい。
でも、あなたが自分を責める必要なんてない。
あなたは十分頑張ってくれた。
危険だとわかっていても、ポチタンを守ろうとしてくれた。
学校の大切な鍵を取り返そうとしてくれた。
それだけで、十分あなたは強い。
ただ、そんな想いを伝えようにも、ジャックに掴まれたままでは身動きが取れない。
……どうすればいい。
このままじゃ、鍵を奪われたまま逃げられてしまう。
それどころか、私たちまで何をされるかわからない。
そう諦めかけた時。
「れい!みのる!」
……上の方から声が聞こえた。
「!!」
学校の屋根の上。
そこには鮮やかな衣装を身にまとった一人のプリキュアが立っていた。
……キュアミスティック!
……来てくれた。
本当に、来てくれたんだ。
胸の奥に張り詰めていたものが少しだけ緩んだ気がした。
大ピンチの時に救世主が駆けつけてくれる。
助けを待つ側の人間が感じる安心感って、きっとこういうものなんだろう。
今まで何度もミスティックたちの戦いを見てきたけれど、こうして自分が助けられる立場になると、その存在がどれほど心強いものなのか改めて実感する。
ただ、そこにいるのはミスティック一人だけだった。
アンサーの姿は見当たらない。
……きっと、アルカナ・シャドウと戦っているんだ。
だからミスティックが、私たちを助けるために駆けつけてくれたのだろう。
「来たか、プリキュア!」
ニジーが屋根の上を見上げた。
その声には、驚きよりも待ち構えていたかのような余裕が感じられる。
「あなたが……プリキュア?」
れいは呆然とした様子でミスティックを見上げていた。
彼女はまだ、キュアミスティックの正体がみくるだということを知らない。
「ミスティック……」
私は小さく、その名前を呼んだ。
……みくる。
助けに来てくれたんだね。
ミスティックは私たちの姿を確認すると、すぐに表情を険しくした。
特に、ジャックに制服のリボンを掴まれている私を見た瞬間、その目に強い怒りが宿ったのがわかる。
私の額には傷があり、血が流れている。
れいもニジーに転ばされ、ポチタンは泣いている。
そんな私たちの姿を見て、ミスティックが黙っていられるはずがなかった。
「三人を傷つけるなんて、絶対に許さない!!」
彼女の言葉には、迷いなんて一切感じられない。
どれだけ強い相手が目の前にいようと、傷つけられた人を見過ごすことはしない。
……やっぱり、みくるはすごい。
「仕方がないねぇベイビー」
相手はニジーとジャック。
それでもさっきまで感じていた絶望的な恐怖は、少しずつ薄れていた。
屋根の上に立つミスティックの姿が、今の私には何よりも頼もしく見えたから。
……お願い、ミスティック。
れいとポチタンを。
そして、この学校の大切な想いを。
どうか、守って。
私はそう願いながら、彼女の姿を見つめ続けた。
「ウソよ覆え!出でよ、ハンニンダー!」
ニジーが高らかに声を上げる。
その手には、先ほど私たちから奪い取った正門の鍵が握られている。
ニジーの投げた薔薇が鍵に刺さり、宿っていたマコトジュエルが不気味な光に包まれた。
マコトジュエルが、嘘によって覆い隠されていく。
そして正門の鍵を模した巨大な怪物が姿を現した。
「ハァァァァ~ンニンダー!」
……ハンニンダー。
また一つ、大切な想いが怪物に変えられてしまった。
それと同時に見慣れた校舎や空が薄い膜に包まれるように歪んでいく。
……フィールドだ。
ファントムが戦闘の際に展開する、特殊な結界。
一般人は認識することも、立ち入ることもできない空間。
私はこれまで何度も経験しているから、特に驚くことはなかった。
ただ、ふと隣に視線を向けると、いるはずの人がいない。
「れいが消えた……」
ついさっきまで、すぐ近くにいたはずのれい。
今はその姿がどこにも見当たらない。
どうやらフィールドが展開されたことで結界の外へ追い出されてしまったらしい。
……そうか。
れいは普通の人間だから、結界の中には入れないんだ。
でもそれなら……。
私は以前の出来事を思い返した。
くれあさんはファントムが展開した結界の中へ入ることができた。
本来なら一般人は立ち入れないはずなのに、くれあさんは私たちと同じように、当たり前のようにフィールドの中にいた。
そして、今回のれいは入れなかった。
……やっぱり何かが違う。
くれあさんには普通の人とは違う何かがあるのかもしれない。
それが彼女の失われた記憶と関係しているのだとしたら……。
そして、もう一つ。
私自身もどうして結界の中に入れているんだろう。
れいが消えたというのに、私はこうして何事もなく立っている。
……本当に、私は何なんだろう。
「ハンニンダー!」
ハンニンダーが大きな声を上げたかと思うと、地面を蹴って跳び上がった。
その巨体が向かった先は、ミスティックが立っている校舎の屋根。
怪物は勢いよく屋根へ飛び乗り、ミスティックの前に立ち塞がった。
それに続くようにニジーとジャックも屋根の上へ移動していく。
「ポチ!」
「うわっ、ちょっと!?」
ポチタンがまた私の身体に紐を引っかけ、身体が勢いよく引っ張られる。
足が地面から離れ、私はポチタンに引かれるまま宙へ浮き上がった。
そのまま近くにある大きな木へ向かい、高い枝の上まで私を運んでくれた。
そして足場になりそうな枝へそっと下ろしてくれる。
恐る恐る足元を確認した。
かなり高い場所だけれど、枝は思った以上に太く、意外と安定している。
これなら落ちる心配はなさそうだ。
それにここからは校舎の屋根がよく見える。
ミスティックの戦いを見守るには、ちょうどいい位置だった。
「手を貸してもいいよ?」
ちょうどジャックがニジーに向かって声をかけていた。
もしジャックまで戦闘に加わったら、ミスティック一人ではかなり厳しい。
けれど、ニジーは余裕たっぷりの態度で答えた。
「必要ない。ミスティックだけならボク一人で十分さ」
「はーい」
ジャックはあっさりと引き下がった。
……よかった。
少なくとも、今すぐジャックが参戦することはなさそうだ。
(でもそうやっていつもプリキュアを過小評価してるから負けるんでしょう?)
ファントムの幹部たちは、どうしていつもプリキュアを甘く見るんだろう。
これまで何度も戦って、その度に想定外の反撃を受けているはずなのに。
今はミスティックは一人。
でも簡単に勝てる相手だと思うのは間違いだ。
……まあ、油断してくれるなら、こちらとしてはありがたいけれど。
「ハンニン……ダダンダダ~ン!」
突然、ハンニンダーが奇妙な声を上げた。
その直後、怪物の身体からリング状の衝撃波が二発放たれる。
……来た!
二つの衝撃波は、一直線にミスティックへ向かって飛んでいった。
けれど、ミスティックは慌てなかった。
素早く地面を蹴り、軽やかな身のこなしで一発目を回避する。
続けて身体をひねり、二発目の衝撃波も華麗に躱した。
……さすが。
あの動きなら、簡単には攻撃を受けないはず。
ミスティックは着地すると、すぐに次の攻撃へ備えて身構えた。
ただ、その時だった。
「ポチ?ポチー!」
ポチタンが突然、慌てたような声を上げた。
……え?
私はポチタンの視線を追った。
すると、さっきミスティックが躱したはずの衝撃波が、空中で向きを変えていることに気づいた。
……嘘!?
あれ、戻ってくるの!?
二つのリング状の衝撃波が弧を描き、ミスティックの背後へ迫っていた。
「ミスティック!後ろ!!」
私は反射的に叫んだ。
「!!」
ミスティックが私たちの声に反応し、素早く振り返る。
けれど、衝撃波はもうすぐそこまで迫っていた。
……間に合って!
「ミスティックリフレクション!」
その声と同時に、ミスティックの前方へ光のバリアが展開された。
直後、戻ってきた衝撃波がバリアへ激突する。
激しい衝撃音が響き、光が大きく揺らめいた。
……よし!
何とか防いだ!
私は思わず胸を撫で下ろした。
けれど、安心したのも束の間だった。
「ハンニンダー!!」
ハンニンダーが、今度は自らミスティックへ接近していた。
しかも、狙っているのは彼女の背後。
衝撃波を防いだ直後の、無防備になった瞬間だった。
怪物が大きく腕を振り上げ、強烈なパンチを繰り出す。
……まずい!
「くっ!」
ミスティックは咄嗟に身体をひねり、展開していたバリアを正面へ向けた。
次の瞬間、ハンニンダーの拳がバリアへ激突する。
凄まじい衝撃が走り、ミスティックの身体が押し込まれた。
それでも、バリアは破られていない。
何とか攻撃を防ぎ切っている。
……危なかった。
私は枝の上で思わず息を吐いた。
見ているだけなのに、心臓が激しく鼓動している。
一瞬でも判断が遅れていたら、今の攻撃をまともに受けていたかもしれない。
本当に、ヒヤヒヤする。
ただ、相手がジャックではないというだけでも、まだ救いがある。
……いや。
ジャックが屋根の上にいるだけで、十分すぎるほど緊張するんだけど。
あの子が気まぐれで戦闘に加わってきたら、一体どうなることか。
今はニジーに任せているみたいだけれど、いつ気が変わるかわからない。
……考えたくもない。
私は余計な想像を振り払い、再びミスティックへ意識を集中させた。
「ううぅぅぅ!」
ミスティックが苦しそうな声を漏らしている。
ハンニンダーは拳をバリアに押しつけたまま、さらに力を込めていた。
ミスティックも必死に踏ん張っているけれど、押し返すのは簡単じゃなさそうだ。
そんな彼女を見て、ニジーが余裕たっぷりに口を開いた。
「身を守るだけじゃ、マコトジュエルも鍵も守れないよ」
……っ。
確かに、防御しているだけでは相手を倒せない。
けれど、ミスティックだって好きで防御に徹しているわけじゃない。
みんなを守るために、必死に攻撃を受け止めているんだ。
そんなこともわからないの?
私は悔しさを感じながら、ミスティックを見つめた。
すると、彼女はバリアを支えたまま、ニジーに向かって声を上げた。
「あなたにはわからないでしょうね。この学校がどれほど愛されているか。理事長も、れいも、ここに通う生徒みんなも!それにアンサーとみのると私だって、この学校が大好きなの!!」
私にとって、この学校は決して楽しい思い出ばかりの場所ではない。
学校に通うことが嫌になった時もあった。
誰とも関わりたくないと思ったことだってある。
それでも今は、みくるとあんながいる。
れいとも、少しずつわかり合えるようになった。
そして、理事長は私たちのことを見守り、応援してくれている。
……そうだね。
私も、きっとこの学校が好きになる。
だからこそ、ファントムなんかに大切な想いを奪わせたくない。
そしてミスティックがバリアの角度を変えた。
正面から受け止めていたハンニンダーの拳が、斜めになったバリアの表面を滑るように横へ流される。
押し込む方向を失った怪物は、その勢いのまま大きく体勢を崩した。
力で押し返すんじゃなくて、攻撃の方向を変えた。
ハンニンダーの拳が空を切り、身体が横へ傾く。
その結果、ハンニンダーに大きな隙が生まれた。
「鍵は渡さない!私たちの学校を守る!!」
守りたいものがあるからこそ、絶対に負けられない。
ハンニンダーは体勢を崩している。
攻撃を仕掛けるなら、今しかない。
彼女はすぐにプリキットミラールーペを取り出した。
「オープン!プリキットミラールーペ!」
ポチタンから受け取ったマコトジュエルの輝きが、ミラールーペへと流れ込んでいく。
ミラールーペの先端から光が伸び、細長い剣身を形成していく。
その輝きは徐々に輪郭を明確にし、やがて一本の美しいレイピアへと姿を変えた。
ミスティックは完成したレイピアを握り直すと、体勢を崩したハンニンダーへ鋭い視線を向けた。
「プリキュア!ミスティックストライク!」
その言葉と同時に、ミスティックが地面を強く蹴った。
光り輝くレイピアを構え、ハンニンダーへ向かって一直線に突き進んでいく。
狙いを定めた剣先が、まっすぐ怪物へと向けられていた。
「はあああぁぁぁぁぁぁ!!」
レイピアの鋭い一撃がハンニンダーを貫いた。
眩しい光が一気に広がり、ハンニンダーの巨体を包み込んでいく。
怪物は抵抗する間もなく、その輝きの中で崩れ始めた。
「キュアット解決!」
「ハァァァン……ニン……ダアアァァ……」
ハンニンダーの声が徐々に弱まっていく。
そして、その身体は光の粒となって消えていった。
これで正門の鍵を怪物に変えられたままにせずに済んだ。
ミスティックは、たった一人でハンニンダーを倒してみせたんだ。
……本当にすごい。
ニジーはジャックが手を貸してもいいと言っていたのに、それを断ってミスティック一人なら自分だけで十分だと豪語した結果がこれだ。
……だから、プリキュアを甘く見すぎなんだよ。
「やれやれ、バッドエンドだね」
「やっぱり私が戦えば良かったじゃん…。この失態、ウソノワール様が見てたらどうするの?」
……うわ。
ジャックの声には明らかな呆れが混じっていた。
最初から彼女が戦っていたら、こんなに簡単には終わらなかっただろう。
「う……ぐ……まぁ、今回のところは仕方ないさ!」
「あ、逃げた」
ニジーは一瞬言葉に詰まったものの、すぐに取り繕うように声を上げ、そのまま撤退してしまった。
「はぁ……結局こうなるなんて。それじゃあ……」
ジャックは小さくため息をついた。
どうやら、彼女も撤退するつもりらしい。
……よかった。
これ以上戦いが続くのは避けたい。
ハンニンダーは倒したけれど、ジャックがどう出るか不安だったから。
もしここでミスティックに襲いかかったら、どうなるかわからない。
だから、このまま帰ってくれるなら、それが一番いい。
でもその望みを砕いたのはミスティックだった。
「ジャック!!!」
突然、ミスティックが大声を上げた。
そして撤退しようとしていたジャックへ向かって駆け出したのだ。
(ちょっとミスティック!?)
ミスティックは勢いよく拳を握り、ジャックへ向かってパンチを繰り出す。
けれど、ジャックは慌てる様子すら見せなかった。
片手を上げると、飛んできた拳をあっさりと受け止めてしまった。
……やっぱりあの子に正面から攻撃しても、簡単には通用しない。
「何?私たち忙しいんだけど。もう戦いは終わったでしょ?」
ジャックは面倒そうに問いかけた。
ハンニンダーとの戦いは終わっている。
でも、ミスティックが彼女を呼び止めた理由は、そんなことじゃなかった。
「謝りなさい!みのるを……ポチタンとれいを傷つけたことを!!」
みくるは、まだ怒っているんだ。
私たちが傷つけられたことを。
私のことは大丈夫なのに。
額の傷だって、触らなければそれほど痛くない。
それでもみくるにとっては許せないことなんだろう。
誰かが傷つけられたことを、見過ごすことができないから。
「ポチタンとれいは私のせいじゃないんだけど……はぁ、どうでもいいか。それがどうしたの?」
「これ以上みんなを傷つけるつもりなら、私だって容赦しないから!!」
ミスティックが強い口調で言い放つ。
普段のみくるからは想像できないほどの怒りが込められていた。
「……………」
ジャックは何も答えなかった。
ただ、ミスティックの顔をじっと見つめている。
その表情からは、何を考えているのか読み取れない。
「あなたは前に、人を傷つけても何も感じないって言ったよね?だから私ももう、あなたのことを説得するつもりはない。あなたを倒すまで……あなたが傷つけた全ての人に本気で謝るまで……許さないから」
私はミスティックの言葉に、胸が締めつけられるような感覚を覚えた。
説得するつもりはない。
それはみくるにとって簡単に口にできる言葉じゃないはずだ。
相手の気持ちを知ろうとすること。
困っている人を助けようとすること。
それが名探偵の大切にしている信念なのだから。
そんな彼女が、ジャックにはもう説得しないと告げた。
それほどまでに、ジャックが人を傷つけることを許せなかったのだろう。
……みくる。
私は屋根の上で向かい合う二人を、ただ見つめることしかできなかった。
「うるさい」
ジャックは短く言い放った瞬間、掴んでいたミスティックの拳を強引に振り払った。
そしてそのまま鋭い蹴りを繰り出す。
「ああっ!!?」
ミスティックの身体が勢いよく吹き飛ばされた。
やっぱり、強い。
ジャックは何を言い返すのか。
しかし続いた言葉は私の予想とは全く違うものだった。
「ならこっちだって教えてあげる。私たちは『あなたたち人間を許すつもりはない』」
……え?
人間を、許さない?
どういうこと?
ジャックたちは怪盗団ファントムの幹部で、マコトジュエルを集めている。
それは知っている。
けれど、どうしてそこで人間を許さないという話になるんだろう。
まるで人間そのものに恨みを抱いているかのような言い方だった。
「……どういうこと?」
吹き飛ばされた身体を起こしながら、ミスティックもジャックに尋ねる。
「私、前までは記憶が一部抜けていてね。不明瞭な部分があったけど、あなたが浄化技をぶつけてくれたおかげで記憶が戻ったんだよ」
……記憶!
彼女には、ファントムに入る前の記憶がない。
そのことは、私とジェット先輩が直接聞いていた。
でもまさか、ミスティックの浄化技を受けたことでその記憶が戻っていたなんて。
……そんなことがあるの?
あの時、ミスティックの浄化技はジャックに届いた。
けれど彼女はほとんどダメージを受けていなかった。
浄化技を受け止めた時も、その後も、目立った変化は見られなかったはずだ。
だから私たちは攻撃が通用しなかったのだと思っていた。
でも、実際には違った。
身体に大きなダメージはなくても、失われていた記憶を取り戻すという変化が起きていたんだ。
……どうして?
プリキュアの浄化技には、そんな作用まであるの?
それとも、ジャック自身に何か特別な事情があるのだろうか。
そして何より、戻った記憶の内容がどうして人間を許さないという言葉に繋がるんだろう。
……わからない。
考えれば考えるほど、疑問ばかりが増えていく。
「?」
ミスティックも困惑している。
突然そんなことを言われても、意味がわからない。
そもそもジャックは自分の過去について何も話していないのだから。
「今話せるのはこのくらい。次に合う時は、きっとあなたたちの最期かもね」
次に会う時が、私たちの最期。
ジャックは当然のことのように口にした。
冗談を言っているようには見えない。
むしろ、以前よりも明確な敵意を感じる。
……記憶が戻ったことで、何かが変わったの?
私はジャックの姿を見つめながら、そう考えた。
けれど、答えが出るはずもなかった。
「待ちなさい!!」
ミスティックが叫ぶも、ジャックはそれ以上何も答えなかった。
そのまま私たちの前から姿を消してしまった。
……行ってしまった。
私は木の枝の上で、しばらく動くことができなかった。
ハンニンダーは倒された。
ニジーも撤退した。
ジャックも去っていった。
これで今回の事件は解決したはずだ。
……なのに少しも安心できなかった。
頭の中には、ジャックが残していった言葉が何度も繰り返されていた。
人間を許すつもりはない。
失われていた記憶が戻った。
……一体何があったんだろう。
ファントムに入る前のジャックは、何を経験していたの?
そして、彼女が取り戻した記憶には、どんな真実が隠されているんだろう。
私は答えの出ない疑問を抱えたまま、ファントムが消えた場所を見つめていた。
※(2026年10月15日)
70話「信じる力、諦めない心」の最後にジャックの描写を追加しました。