かわいいホームズの親友ちゃんは、相棒の座を奪われて焦心苦慮 作:くぁwせdrftgyふじこlp
覚醒前夜
【みのるSide】
夕暮れ時。
西の空が茜色に染まり始めた頃、私は夕食の買い出しを済ませ、キュアット探偵事務所へと戻る途中。
昼間の賑わいも少しずつ落ち着き始め、道行く人々の姿もまばらになっている。
買い物袋を片手に歩きながら、私は今日の夕食のことを考えていた。
しかし、そんな何気ない帰り道で、思いがけない人物と出会うことになった。
「………るるかさん」
私の声に気づいた彼女が、こちらへと視線を向ける。
怪盗団ファントムに所属し、キュアアルカナ・シャドウとして活動している少女。
これまで何度も顔を合わせてきた相手だが、こうして街中で偶然出会うとは思っていなかった。
「奇遇ね」
るるかさんはいつもと変わらない、落ち着いた声でそう答えた。
驚いている様子も警戒している様子もない。
知り合いと偶然すれ違っただけのような自然な態度だった。
「……………」
以前から気になっていたことを頭の中で整理するうちに、一つの可能性が浮かび上がっていた。
まだ本人から直接確認していない。
けれどこれまでの状況を考えれば、私の推理はおそらく間違っていない。
「単刀直入に聞きますが、あなたが言うキュアエクレール。帆羽くれあさんですよね」
「!!?」
るるかさんの表情が一変した。
先ほどまでの落ち着きが嘘のように消え、目を大きく見開いている。
明らかに予想していなかった質問だったのだろう。
その反応を見ただけで、私の中にあった疑念はほとんど確信へと変わった。
「やはりそうだったんですか」
「あなた、一体なんなの…!?前だって私のことをアルカナと呼んでたし、本当に何者?」
今度は彼女の方が私に問いかけてきた。
その声には驚きだけでなく、警戒心が含まれている。
すると、るるかさんの側にいたマシュタンも口を開いた。
「アルカナの名前を知っている以上、普通の人間じゃないのは確かね。あなたとは面識どころか、プリキュアの存在は一般人には一部を除いてほとんど知られていない。そしてアルカナという名前を知っているのもほんの僅か。最近になって探偵事務所に入ったあなたならなおさら」
確かにプリキュアの存在は一般の人々に広く知られているわけではない。
最近になってキュアット探偵事務所に加わった私がその名前を知っていること自体、不自然に思われても仕方がなかった。
けれど、今の私が確かめたいのは、自分自身の正体についてではない。
るるかさんとくれあさんの関係についてだ。
「どうしてくれあがキュアエクレールってわかったの?」
「あなたの予告状を渡すという不自然な行動と、あなた自身のくれあさんに対する反応が何よりの証拠です」
「………」
るるかさんは何も答えなかった。
私はその沈黙を確認し、推理の根拠を一つずつ説明していくことにした。
「当事、店内には店長は出張で不在。くれあさんが一人で担当する状況で盗み出す隙はいくらでもあるにも関わらず、わざわざ予告状を渡してキュアット探偵事務所に連絡するように誘導した。プリキュアであるみくるとあんなは事務所にいる状態だから仮にマコトジュエルを盗んでポチタンが気づいても、到着するには相当な時間がかかる。マコトジュエルを奪うよりも、まるでお店の安全を優先しているかのような行動。いえ、くれあさんに負担をかけたくない……が正解ですね」
「…!」
るるかさんの表情がわずかに揺れる。
私はその変化を見逃さなかった。
あの日、彼女はくれあさんの店に現れ、写真を盗むという予告状を渡した。
けれど、冷静に考えればその行動には大きな矛盾があった。
店長が出張で不在だった以上、店内にいたのはくれあさん一人。
怪盗としてマコトジュエルを奪うことだけが目的なら、わざわざ予告状を出す必要などなかったはずだ。
むしろ予告状を渡すことで相手に警戒する時間を与えてしまう。
しかもその連絡先として誘導したのは、プリキュアであるみくるとあんなが所属するキュアット探偵事務所。
怪盗団ファントムの一員として考えれば、あまりにも不合理な行動だ。
しかし、別の目的があったとすれば話は変わる。
彼女は写真を盗むこと以上に、くれあさんのことを気にかけていたのではないか。
そう考えれば、あの不可解な行動にも辻褄が合う。
そして、もう一つ。
私が彼女とくれあさんの関係を疑った、決定的な理由があった。
「そしてあなたのくれあさんへの反応。今まで感情を出すことが少なかったあなたがくれあさんに名前を聞かれたことでかなり動揺して表情が歪んでいた。その反応で何かしら関係があるのは間違いない。そして一般人は自動的に追い出されるはずの結界内にくれあさんは入れた。つまり、普通の一般人ではないことは確か。可能性を考えるなら、くれあさんがあなたの相棒である、キュアエクレール。違いますか?」
あの時の彼女の表情は、今でもはっきりと覚えている。
普段は感情を表に出さず、何を考えているのかわかりにくい少女。
そんな彼女が、くれあさんに名前を尋ねられただけで大きく動揺していた。
それは単なる知り合いに向ける反応ではない。
何かを隠している。
そしてその何かが彼女にとって非常に大切なものであることは容易に想像できた。
さらに、あの結界で起きた出来事。
怪盗団ファントムが展開する結界には、一般人が自由に立ち入ることはできない。
本来なら自動的に外へ追い出されるはずだ。
それなのにくれあさんは結界の中へ入ることができた。
私自身も同じように結界へ入れてしまうため、その仕組みについて完全に理解しているわけではない。
けれど、少なくともくれあさんが普通の一般人とは異なる何かを持っている可能性は高い。
そこにるるかさんの不自然な行動と、くれあさんに対する特別な反応を重ね合わせる。
すると、一つの答えが導き出される。
帆羽くれあ
彼女こそが、るるかさんのかつての相棒であり、キュアエクレールなのではないか。
私はそう考えた。
夕暮れの街に、短い沈黙が流れる。
るるかさんはしばらく何も言わなかった。
私も、それ以上言葉を重ねることはしなかった。
すでに推理はすべて伝えた。
あとは、彼女自身の答えを待つだけだった。
「………ええ、正解よ」
その言葉を聞いた瞬間、私は心の中で小さく息を吐いた。
やはり間違っていなかった。
帆羽くれあさんこそが、キュアエクレール。
そして、るるかさんが探し続けていた相棒だったのだ。
夕日に照らされた彼女の表情を見つめながら、私はその事実を静かに受け止めた。
これまで点と点だった出来事が、ようやく一本の線で繋がる。
けれど、それと同時に私の中にはまだ解き明かされていない疑問が残っていた。
なぜ、くれあさんはキュアエクレールだった頃の記憶を失っているのか。
そしてなぜるるかさんはかつての相棒がすぐ近くにいるにもかかわらず、自分の正体を明かそうとしないのか。
「あなたとくれあさんの身に何があったんですか?くれあさんが記憶を失くした理由は…」
キュアエクレールの正体が帆羽くれあさんであることを認めたるるかさんに、私は続けて問いかけた。
なぜ、くれあさんはキュアエクレールだった頃の記憶を失ってしまったのか。
かつて探偵だったはずのるるかさんが、どうして怪盗団ファントムに所属しているのか。
その二つには、何か深い関係があるように思えてならない。
しかし、るるかさんの表情は険しいものへと変わっていく。
「敵であるあなたに教えると思う?私とくれあのことを何も知らないくせに、勝手に話を進めようとしないで」
冷たく突き放すような言葉だった。
私は二人の過去を知らない。どんな出来事があって、どんな思いを抱えてきたのかもわからない。
それでもこれまでに得た情報から、一つだけ考えられる可能性があった。
「マコトジュエルですよね」
「!!」
「あなた、どこでそれを!?」
私は二人の反応を見つめながら、頭の中で整理していた考えを説明することにした。
「なんとなくですけど、予想くらいはできますよ。人に宿っているマコトジュエルは言わば『想いがこもった結晶』であり、その人の心そのもの。だからそれがなくなったら確実に悪影響が出るくらいはわかる。もし悪影響が記憶を消失してしまうことだったら、今のくれあさんにはマコトジュエルが宿っていない」
人の想いが結晶となったものであり、人に宿っている結晶ならば自身の心とも呼べる存在だ。
そんな大切なものを失ってしまったら何の影響もないとは考えにくい。
もし、くれあさんが記憶を失った原因がマコトジュエルの喪失にあるとしたら。
そのマコトジュエルが今も彼女の元に戻っていないとしたら、これまでの不可解な出来事にも説明がつく。
「…やめて」
るるかさんの声はどこか苦しそうで、何かを必死に押し殺しているようにも聞こえた。
けれど、私はまだ推理の途中だ。
「そして元探偵であるあなたが怪盗団ファントムにいる理由。それはファントムがくれあさんのマコトジュエルを持っているから、それを取り返すために…」
「もうやめて!!」
突然、鋭い声が響いた。
るるかさんは今にも感情が溢れ出しそうな表情で私を睨んでいた。
これまで何度も彼女と顔を合わせてきたけれど、ここまで激しく感情を表に出す姿を見るのは初めてだ。
「……………」
これ以上は何も言えなかった。
推理を続けることが、彼女にとってどれほど苦しいことなのか。
その表情を見れば嫌でも伝わってくる。
「くれあのマコトジュエルをファントムが持っているのは事実よ。だからもうそれ以上探索しようとしないで!!」
やはり、そうだった。
くれあさんのマコトジュエルは、怪盗団ファントムが持っている。
私の推理は、少なくともその部分については間違っていなかった。
けれど、正解に辿り着いたという達成感など少しも湧いてこない。
目の前にいるるるかさんは、私のせいで追い詰められている。
それでも私は、彼女をこのまま放っておくことができなかった。
「私たちはあなたの力になりたい。きっとみくるたちも思ってます。記憶に関しては私自身もそうだから……」
私にも失われた記憶がある。
小学校に入学する前のことを私はほとんど覚えていない。
時折、今の自分には存在しないはずの記憶が夢に現れることもある。
自分が何者なのか、どうして記憶がないのか。
そんな疑問を抱えながら過ごす苦しさなら、少しは理解できるつもりだった。
だからくれあさんの記憶を取り戻すために何かできることがあるなら、力になりたかった。
けれど、私の言葉は最後まで届かなかった。
「余計なお世話よ!!勝手に手を出してきて、もしくれあの身に何かあったらどうしてくれるの!?あなたたちだけで怪盗団ファントムに勝てるって…そんな不可能なこと考えてるわけじゃないでしょうね!?」
彼女が何よりも恐れているのは、くれあさんに危険が及ぶことなのだろう。
自分たちの問題に他人が関わることで、せっかく守ろうとしているものが失われてしまうかもしれない。
そんな不安が、彼女の言葉から伝わってきた。
怪盗団ファントムは強大な敵だ。
プリキュアはこれまで何度も戦ってきたけれど、その力を完全に上回れたわけではない。
それでも諦めることが正しいとは思えない。
「不可能とか可能とかの問題じゃないです。いずれファントムに勝たないと世界は嘘に覆われてしまいます。どんなに不可能だとしても、きっとあの二人は諦めたりしないでしょう」
プリキュアの二人はどれほど困難な状況でも諦めようとはしなかった。
どんなに強い敵が現れても、誰かを助けたいという想いを捨てることはなかった。
だから、今回もきっと同じだ。
くれあさんのことを知れば、二人は迷わず力になろうとするだろう。
たとえ相手が怪盗団ファントムであっても。
たとえ勝てる保証がなかったとしても。
それが、私の知っている二人だから。
「だからそれが余計だって……!!」
るるかさんがさらに声を荒らげている。
その表情には、もう怒りだけではない何かが浮かんでいた。
「るるか、もうやめましょう」
「っ………」
それを制止したのはマシュタン。
るるかさんはそれ以上何も言わず、唇を噛みしめるようにして黙り込んだ。
マシュタンはそんな彼女の様子を確認すると、今度は私へと向き直った。
「あなた、みのると言ったかしら。アタシたちには事情があるの。だからこれ以上はアタシたちの問題に手を出さないでほしい。あなたも大変な思いをしているみたいだけど、それとこれとは別問題。るるかとくれあの関係に言及するのはやめて」
「……………」
返す言葉が見つからない。
マシュタンの言葉は、るるかさんのように感情的なものではない。
けれど、そこには明確な拒絶の意思があった。
私たちには関わってほしくない。
これ以上、二人の問題に踏み込まないでほしい。
そう告げられているのだと、嫌でも理解できた。
力になりたかっただけだった。
くれあさんの失われた記憶を取り戻すために。
るるかさんが一人で抱えているものを、少しでも軽くするために。
けれど、私が善意だと思っていることが、相手にとっても同じとは限らない。
その当たり前のことを、私は改めて突きつけられた気がした。
「行きましょう」
「………うん」
るるかさんは小さく頷いた。
先ほどまでの激しい怒りは、もう表情には出ていない。
ただ、どこか疲れ切ったような顔をしている。
私はそんな彼女を見つめながら、買い物袋を握る手にわずかに力を込めた。
二人は私に背を向け、その場から立ち去っていく。
私は………。
何をすればよかったのだろう。
ただ、力になりたいと伝えたかった。
でも、その言葉すら彼女にとっては余計なお世話だったのかもしれない。
自分の記憶さえまともに思い出せない私が、他人の失われた記憶について偉そうに口を出すなんて。
「……一つだけいいかしら」
立ち去ろうとしていたるるかさんが、不意に足を止めた。
「なんでしょうか」
るるかさんは振り返り、私をじっと見つめていた。
さっきまでとは違う。
先ほどまでの怒りや苛立ちではなく、純粋に何かを疑問に思っているような目だった。
「ずっと気になっていたのだけれど、一般人が入れないのなら、なぜあなたがフィールドに当たり前のように入れてるの?」
るるかさんの突然の問いかけに、私は言葉を詰まらせた。
その質問は、私自身も最近になって考えるようになったことだ。
怪盗団ファントムが展開する結界。
本来一般人はその内部へ立ち入ることができず、仮に入り込んだとしても自動的に外へ追い出される。
しかし、私は初めて結界を目にした時から、まるで何の制限も存在しないかのようにその中へ入ることができている。
「その疑問はごもっとも。私自身も最近になってその異常性に気がついたんです。でもわかりません、どうして私は最初から結界の中に入れているのか……」
自分で口にしながら、その違和感が改めて胸の中で膨らんでいく。
今までそれを当たり前のこととして受け入れていた。
みくるやあんなと一緒に行動し、怪盗団ファントムが現れれば、二人と同じように結界の中へ足を踏み入れる。
そこに疑問を抱いたことなど、ほとんどなかった。
けれど、考えてみれば明らかにおかしい。
私はプリキュアではない。
ただの中学生………のはず。
少なくとも、私はずっとそう思って生きてきた。
それなのに、どうして私だけが例外なのだろう。
本来なら一般人が立ち入れないはずの場所に、なぜ私は当たり前のように存在できているのか。
結界に拒絶されることもなく、追い出されることもなく、最初からそこにいることを許されているかのように。
どうして。
何が違う?
私と、他の一般人では?
その答えを探そうとしても、何一つ思い浮かばなかった。
「……それもあなたの失った記憶の内容に関係があるかもしれないわね」
失った記憶。
その一言が、私の心に深く引っかかった。
自分がどこで生まれ、どんな幼少期を過ごしていたのか。
本当なら覚えていてもおかしくないはずの出来事が、私の中ではすっぽりと抜け落ちている。
それだけではなく、時折見るようになった奇妙な夢。
自分自身の記憶であるはずなのに、今の私には存在しない出来事。
見覚えがあるようで、思い出そうとすると曖昧になってしまう光景。
目が覚めるたびに、何か大切なことを忘れているような感覚だけが残っていた。
私が失った記憶の中に、この不可解な現象の理由が隠されているとしたら、私は一体何を忘れているのだろう。
いや、そもそも……
私は本当に、自分が思っているような普通の人間なのだろうか。
背筋に冷たいものが走った。
自分のことなのに、自分が一番わかっていない。
その事実が、今になって恐ろしく感じられた。
るるかさんは私の反応を確かめることもなく、今度こそ静かに背を向ける。
そのままマシュタンと共に、夕暮れの道を歩き始めた。
聞きたいことは、まだいくつもあった。
けれど、これ以上彼女たちを引き止めたところで答えが得られるとは思えない。
買い物袋を握ったままただ一人、その場に立ち尽くす。
遠ざかっていくるるかさんの背中を、私は黙って見送っていた。
夕日が街並みを赤く染め、私の足元には長い影が伸びている。
周囲では人々が何事もなかったかのように行き交い、それぞれの帰る場所へと向かっていた。
けれど、私だけがその場から動けなかった。
失われた幼少期の記憶。
最近になって見るようになった奇妙な夢。
そして、結界に入ることができるという不可解な体質。
これまで別々の問題だと思っていたものが、るるかさんの一言によって一つに繋がり始めたような気がした。
もしすべてに共通する理由があるのなら。
もし、私の知らない過去にその答えが隠されているのなら。
私は、その真実を知りたい。
けれど同時に、知ってしまうことが怖いとも感じていた。
自分が何者なのか。
その答えが、今まで信じてきた自分自身を覆してしまうかもしれないから。
「……………私って一体、何?」
思わず口からこぼれた問いは、夕暮れの空気に溶けて消えていく。
答えてくれる人は、誰もいない。
ただ、胸の奥に広がる得体の知れない不安だけが、いつまでも消えずに残っていた。
_______________
「みのる!おかえり!」
玄関の扉を開けると、いつもの明るい声が飛んできた。
真っ先に出迎えてくれたのは、みくるだ。
その後ろからあんなも顔を覗かせる。
「おかえりみのる。買い出しありがとう」
「ポチポチー!」
ポチタンが嬉しそうに飛び跳ね、その隣ではジェット先輩が作業台から顔を上げていた。
「おう、おかえり!ずいぶん時間がかかったな。何かあったのか?」
「ただいま。どんな材料を買えばいいか迷ってただけだよ」
私はできるだけ普段通りの声で答えた。
買う物を迷っていたのはもちろん嘘である。
「わあ!いっぱい買ってきたね!今日の夕ご飯、何かな?」
「みくる、さっきおやつ食べたばかりでしょ?」
「えへへ。でも夕ご飯は別だよ!」
いつも通りの光景だ。
明るくて、賑やかで、どこか安心できる。
けれど明日のことを考えると、少し油断しすぎなんじゃないかとも思ってしまう。
「……ねえみんな、明日が予言の日だってこと忘れてないよね?」
「も、もちろん覚えてるよ!」
「本当に?」
「本当だってば!明日は七の月の大王が現れるっていう、あの予言の日でしょ?」
「そうだよ。だから今夜はしっかり準備しておかないと」
あんなは真剣な表情で警戒はしているらしい。
ジェット先輩は腕を組み、机の上に広げられた資料へと目を向けている。
「予言の内容がどこまで現実になるかはわからないが、怪盗団ファントムが何か仕掛けてくる可能性は高い。油断は禁物だな」
「ポチ!」
「……そっか。それならよかった」
よかった、みんな明日のことを忘れているわけではない。
ただ、必要以上に暗い雰囲気にならないよう、いつも通りに振る舞っているのだろう。
それが、この事務所の良いところでもあった。
私は買い物袋をキッチンへ運び、食材を一つずつ取り出していく。
けれど手を動かしていても、あの言葉が頭の中から消えない。
『これ以上はアタシたちの問題に手を出さないでほしい。』
私は二人の力になりたいと思っていた。
くれあさんが記憶を失っている理由を突き止め、るるかさんが抱えている問題を解決する手助けができればと。
けれど、それは本当に二人が望んでいることなのか?
助けたいと思う気持ちだけで、相手の事情に踏み込んでしまってもいいのだろうか。
……やっぱり、そうだよね。
本人たちが関わらないでほしいと言っているのなら、今はそっとしておくべきなのかもしれない。
るるかさんは私たちの介入を拒んでいた。
くれあさんのマコトジュエルが怪盗団ファントムにあることまで認めたのに、それ以上は調べないでほしいと。
それほど強く拒絶するのには、きっと理由がある。
私が知らない事情が。
私たちには想像もできないような、何かが。
……しかし、くれあさんは今も記憶を失ったままだ。
自分がキュアエクレールだったことも、るるかさんと相棒だったことも覚えていない。
その状態を放っておいて、本当にいいのだろうか。
いや、そもそもくれあさん本人は記憶を取り戻すことを望んでいるのだろうか。
そして、るるかさんは……。
「……………」
気づけば、私は冷蔵庫の扉を開けたまま、しばらく動きを止めていた。
「……みのる?さっきからぼーっとしてるけど、大丈夫?」
背後から声が聞こえた。
振り返ると、あんなが心配そうにこちらを見ていた。
「あ……うん。大丈夫だよ」
「本当に?」
「うん。ちょっと考え事してただけ」
あんなは嘘が嫌いだから露骨な誤魔化しはやめておこう。
あくまで考え事と答えたものの、あんなの表情から心配の色は消えなかった。
そのやり取りを見ていたみくるまでキッチンへやってきた。
「みのる、何か悩んでるの?」
「え?」
「だって、帰ってきてからずっと元気ないもん」
……やっぱり気づかれていたか。
できればみんなに余計な心配をかけたくなかったけど、嘘を隠すのはこの二人の前じゃ無理だ。
明日は予言の日。
世界がどうなるかわからない、そんな大事な日を目前にしている。
今は自分の悩みよりも、明日のことを優先するべきだ。
けれど、どうしても気持ちの整理がつかなかった。
「……ねえ、みくる。あんな」
「なに?」
「ちょっと、聞いてもいい?」
どう話すべきか……二人の努力を水の泡にしたくないし、るるかさんの負担を考えるとあまり話さない方がいいかもしれない。
「例えばの話なんだけど……」
「うん」
「誰かを助けたいって思っていても、その人自身が助けを望んでいなかったら……どうする?」
「助けを望んでない?」
「うん。こっちは力になりたいと思ってる。でも、相手は関わらないでほしいって言ってる。そういう時って、やっぱり何もしない方がいいのかなって」
私はできるだけ具体的な名前を出さずに話した。
るるかさんとの会話をそのまま伝えるつもりはない。
ただ、みんなならどう考えるのか。
それを聞いてみたかった。
「うーん……難しいね」
「そうだね」
「助けたいって気持ちがあっても、相手が嫌がってるなら無理に踏み込むのは違うと思う」
「……やっぱり、そうだよね」
その答えはある程度予想していた。
二人の性格を考えれば、相手が傷つくようなことはしない。
みくるやあんなが私と同じ立場だったらきっと悩む。
けれど、あんなはこう続けた。
「でも、だからって何もできないとは限らないんじゃないかな」
「え?」
「今すぐ何かをするんじゃなくて、相手が助けを求めた時に手を差し伸べられるようにしておくとか」
なるほど、それも一つの考え方だ。
相手の意思を尊重することと完全に見放すことは違う。
その違いを、私はうまく整理できていなかったのかもしれない。
「でもみのる、どうして急にそんなこと聞くの?」
「……ちょっと気になっただけ」
「ふーん……」
みくるは何かを考えるように私を見つめたから思わず視線を逸らしてしまった。
すると今度はジェット先輩が口を開く。
「相手の事情を知らないまま、勝手に解決しようとするのは確かに危険だな。善意が必ずしも良い結果に繋がるとは限らない」
「……うん」
「だが、困っている相手を放っておくことが正しいとも限らない。大事なのは、何を望んでいるのかをちゃんと理解することじゃないか?」
何を望んでいるのか。
……そうだ。
私は、るるかさんの本当の望みを知っているのだろうか。
彼女がくれあさんのマコトジュエルを取り戻そうとしていることはほぼ間違いない。
けれど、それがキュアエクレールとしての復活を望んでいることと、必ずしも同じとは限らない。
もし、彼女が望んでいるのは、ただくれあさんが無事に暮らせることだけだったとしたら。
もし、キュアエクレールとして再び戦うことを望んでいなかったとしたら。
私たちが勝手に復活させようとするのは、本当に正しいのだろうか。
「……じゃあ、もう一つ聞いてもいい?」
「もちろん!」
「例えば……昔、一緒に何かをしていた大切な人がいて、その人が何かの理由で記憶を失ってしまったとするよね」
「うん」
「でも、その人のことをよく知っている相棒が、記憶を取り戻すことや、昔みたいに一緒に活動することを望んでいなかったら……どう思う?」
みくるとあんなの表情が真剣になる。
「周りから見れば、記憶を取り戻して、また一緒にいられるようになった方が幸せに見えるかもしれない。でも、本人たちがそれを望んでいないなら……」
そこで一度、言葉を止めた。
胸の奥に引っかかっていた疑問を、ようやく口にできた気がした。
「……それでも、元に戻そうとするべきなのかな」
しばらく誰も答えなかった。
みくるは真剣な表情で考え込んでいる。
あんなも、何かを思案するように視線を落としていた。
やがて、みくるがゆっくりと口を開いた。
「……私は、まずその人たちの気持ちを聞きたいな」
「気持ち?」
「うん。だって、昔みたいに戻ることが、その人たちにとって絶対に幸せとは限らないでしょ?でもね、もし本当は戻りたいのに、何か理由があって諦めてるんだったら……私は、その理由をちゃんと知りたい」
「……みくる」
「だって、助けてって言えない人もいると思うから。だからって勝手に何でも決めていいわけじゃないけど……私は、その人が本当はどうしたいのかを知ってから考えたいな」
みくるらしい答えだと思った。
誰かを助けたい。
けれど、自分の考えを押しつけるのではなく、その人自身の気持ちを大切にしたい。
そんな彼女の優しさが、言葉の端々から伝わってきた。
「私もみくると同じかな。記憶を取り戻すことと、昔と同じように活動することは別の問題だと思う」
「……別の問題?」
「うん。記憶を取り戻したからって、必ず昔と同じ道を選ばなきゃいけないわけじゃないでしょ?」
記憶を取り戻すこと。
昔と同じ道を選ぶこと。
確かに、その二つは同じではない。
くれあさんが記憶を取り戻したとしても、再びキュアエクレールとして戦うかどうかは、彼女自身が決めることだ。
るるかさんがどう思っているのかも、今の私にはわからない。
だからこそ、勝手に結論を出してはいけないのだろう。
「ポチ……ポチポチ!」
ポチタンも何かを伝えようとするように、私の周りを飛び回っている。
「……ありがとう、みんな」
「えへへ!どういたしまして!」
みくるが嬉しそうに笑い、心の中の異物が少し取れたような気がした。
「……でも、その話ってもしかして……るるかさんとキュアエクレールのこと?」
「うっ……!?」
唐突な見破りに肩が跳ねた。
やはり名探偵は侮れない。
二人とも私の反応を見て、何かを察したようだった。
「みのる、もしかして何か知ってるの?」
私はすぐには答えられなかった。
るるかさんのこと。
くれあさんのこと。
そして、マシュタンから告げられた言葉。
すべてを話してしまえば、みくるたちはきっと力になろうとする。
けれど、それはるるかさんたちが望んでいないこと。
私は買い物袋から最後の食材を取り出し、静かに冷蔵庫へしまった。
「……ごめん。今はまだ、うまく話せない」
みくるとあんなは何も言わなかった。
「ただ……誰かを助けたいって思うことが、必ずしもその人のためになるとは限らないんだなって、ちょっと考えてた」
私は小さく笑う。
けれど、その笑顔がどこかぎこちないことは、自分でもわかっていた。
「……そっか」
みくるはそれ以上は何も聞かなかった。
あんなも静かに頷き、ジェット先輩は再び作業台へと向き直る。
ポチタンは私の胸元に寄り添ったまま、小さく鳴いている。
私はそんなみんなの様子を見ながら、胸の中でそっと息を吐いた。
……やっぱり、今はそっとしておくべきなのかもしれない。
るるかさんが望んでいない以上、私が勝手に調査を進めるのは違う。
けれど、もし彼女が本当に困っているのなら。
もし、いつか助けを求めてくれる時が来たのなら。
その時は、迷わず手を差し伸べたい。
それだけは今も変わらない。
窓の外では、夕焼けが少しずつ夜の闇へと変わり始めていた。
明日は、予言の日。
世界が嘘に覆われるかもしれない、運命の一日。
そんな大きな出来事を目前にしているというのに、私の心にはもう一つの問題が重く残っていた。
私自身の失われた記憶。
まだ答えは見つかっていない。
それでも今は、目の前にいるみんなと明日を迎えることを考えよう。
私はそう自分に言い聞かせ、夕食の準備を始めた。
『これ以上はアタシたちの問題に手を出さないでほしい。』
……本当に、それでいいのかな。
その問いに答えを出せないまま、私は静かに包丁を手に取った。
_______________
【るるかSide】
予言の日まで、あと一日。
夜の静寂に包まれた部屋で、私は一人、窓の外に浮かぶ月を眺めていた。
明日、いよいよ未来自由の書に記された約束の日が訪れる。
怪盗団ファントムにとって、そしてこの世界にとっても大きな意味を持つ一日になるのだろう。
けれど、今の私の頭の中を占めているのは、明日の予言でもウソノワールでもなかった。
くれかつて私と共に戦った唯一無二の相棒、帆羽くれあ。
今は自分がプリキュアだったことすら覚えていない、大切な仲間。
今日もきっとあの小さなお店でお菓子を作っていたのだろう。
お客さんの笑顔を思い浮かべながら丁寧に材料を量り、生地を混ぜ、焼き上がったお菓子を綺麗に飾りつける。
そんな彼女の姿が自然と頭に浮かんだ。
初めてあのお店を訪れた時、私は驚いた。
くれあがあんなにも穏やかな表情で笑っていたから。
かつての彼女も、もちろん笑顔の似合う少女だった。
けれど今のくれあの笑顔には、以前とは違う安らぎがあった。
怪盗団との戦いも、マコトジュエルを巡る争いも、プリキュアとして背負っていた使命も。
そのすべてから離れ、一人のパティシエとして生きている。
私はそんな彼女を見ているのが好きだった。
お客さんに喜んでもらうために、一生懸命お菓子を作る姿。
自分の作ったものを美味しそうに食べてもらえた時の、心から嬉しそうな表情。
何気ない日常の中で、小さな幸せを見つけている姿。
それこそが、今のくれあにとって大切なものなのだと思う。
だから、私は願っている。
これからもずっと、パティシエのくれあでいてほしい。
もう二度と、プリキュアになんてならないでほしい。
誰かを守るために、自分の身を危険にさらす必要なんてない。
強大な敵と戦い、傷つき、苦しみながら、それでも立ち上がらなければならない日々に戻る必要なんてない。
くれあには、ただ普通の女の子として生きていてほしかった。
好きなお菓子を作って、好きなものを食べて、好きな場所へ出かけて。
そんな当たり前の毎日を、何の心配もなく過ごしてほしい。
それが、私の望みだった。
けれど……くれあのマコトジュエルは、今も怪盗団ファントムの手にある。
人の想いが結晶となったもの。
その人自身の心とも呼べる、大切な存在。
それを失ったことで、くれあは過去の記憶を失ってしまった。
私と共に探偵として活動していたことも。
キュアエクレールとして戦っていたことも。
そして、私たちが積み重ねてきたかけがえのない思い出さえも。
今の彼女は覚えていない。
かつての相棒が私を知らない。
私にとっては忘れられない思い出でも、彼女にとっては存在しない過去になっている。
それがどれほど寂しいことなのか。
きっと誰にも理解できない。
それでも私は、今のくれあを守りたかった。
たとえ、彼女が私を思い出さなくても。
たとえ、二度と昔のような関係に戻れなくても。
今の彼女が幸せに暮らせるのなら、それでいい。
そう思っているはずなのに。
もしくれあが再びキュアエクレールとして覚醒してしまったら。
もし失われたマコトジュエルが戻り、過去の記憶をすべて取り戻してしまったら。
その時、私は……
考えかけて、思考を止めた。
その先を想像することが、どうしてもできなかった。
くれあが記憶を取り戻す。
それは本来、喜ぶべきことなのかもしれない。
失われた思い出が戻り、かつての自分を取り戻すのだから。
けれど、それは同時に、彼女が再びプリキュアとして戦う可能性を意味していた。
かつて同じ目的のために戦っていた相棒が、今は敵側にいる。
そんな現実を、くれあはどう受け止めるのだろう。
私を責めるのだろうか。
それとも、理由を聞こうとするのだろうか。
あるいは、昔と同じように私の手を取ろうとするのだろうか。
どの答えも、今の私には怖かった。
私はもう、昔の私ではない。
探偵として、くれあと共に事件を追いかけていた頃には戻れない。
戻るつもりもない。
私には今、果たさなければならないことがある。
そのために、怪盗団ファントムに身を置いている。
くれあには関わってほしくない。
彼女が再び戦いの世界へ足を踏み入れることだけは、どうしても避けたかった。
たとえ、それが私の身勝手な願いだったとしても。
ただ、それだけなのに。
さっきの出来事が、不意に脳裏をよぎった。
花崎みのる
キュアット探偵事務所に所属する、あの少女。
私とくれあの関係を見抜き、マコトジュエルのことまで推理してみせた。
正直驚いた。
あれほど冷静に状況を分析し、私の行動の裏に隠された意図まで読み取るなんて。
プリキュアではないはずの彼女の推理力は、決して侮れるものではなかった。
けれど、それ以上に気になったことがある。
『花崎』
その名字、どこかで聞き覚えがあると思っていた。
そしてようやく思い出した。
私がまだ探偵として活動していた頃。
あの時、お世話になった人物。
私たちのことを気にかけ、何かと力になってくれた、あの人。
その人も、確か同じ名字だった。
花崎………偶然にしては、少し引っかかる。
みのるという少女には、小学校に入学する前の記憶がないという。
さらに、一般人であるはずなのに、怪盗団ファントムのフィールドへ当たり前のように入ることができている。
普通では考えられないことが、彼女の身にはいくつも起きていた。
もし、あの子が私の知っている人物と何らかの関係を持っているのだとしたら。
そこまで考えて、私は小さく首を横に振った。
……いえ、そんな話は一度も聞かされていない。
あの人から、みのるという少女について聞いた覚えはなかった。
そもそも、名字が同じというだけで関係があると考えるのは早計だ。
花崎という名字の人間が、世界に一人しかいないわけではない。
偶然かもしれない。
それに、今はみのるのことを考えている場合ではない。
明日はいよいよ予言の日。
怪盗団ファントムにとって、重要な一日になる。
余計なことに気を取られている余裕などない。
私は窓から離れ、静かに部屋の奥へと歩き出した。
けれど、どれだけ考えないようにしても、くれあのことだけは頭から離れなかった。
あのお店で見せてくれた笑顔。
何も知らずに、私を一人のお客さんとして迎えてくれた時の表情。
そして、かつて私と共に過ごした日々。
そのすべてが、胸の奥に残っている。
私は、くれあに幸せでいてほしい。
もう危険な戦いに巻き込まれることなく、パティシエとして穏やかな人生を歩んでほしい。
だから、もうキュアエクレールには戻らないで。
私のことなんて、思い出さなくてもいい。
……そう願っているはずなのに。
心のどこかでは、もう一度だけ、昔のように私の名前を呼んでほしいと思っている自分がいた。
その矛盾した感情が、何よりも苦しかった。
私は目を閉じ、胸の奥に浮かび上がる懐かしい記憶を押し込めた。
明日になれば、何かが変わる。
けれど、その変化がくれあの平穏な日常を壊すものであってはならない。
それだけは、絶対に。
窓の外では、雲がゆっくりと月を覆い隠していた。
予言の日を目前にした夜。
私はただ一人、誰にも届かない願いを胸に抱えながら、静かな時間を過ごしていた。
〖運命の七の月。1999年7月19日まで、あと1日〗