かわいいホームズの親友ちゃんは、相棒の座を奪われて焦心苦慮   作:くぁwせdrftgyふじこlp

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花崎みのる、万事休す!?

【るるかSide】

 

「うーん、どこだどこだ~? 原稿の入ったバッグはどこだ~?」

 

間の抜けた声が、そよ風に乗って響いた。

 

再びビルの屋上。太陽の光を背に、ゴウエモンが両手を額にかざしていかにも“探している”というポーズで下界を見下ろしている。

 

……そんなところから見つかるわけがないでしょうに。

 

紫色のバッグを持っている人なんて、この街に何人いると思っているのか。しかもその中に“漫画の原稿”が入っているかどうかなんて、外から見ただけで分かるはずもない。

 

ほぼ不可能。

というより、完全に勘頼りだ。

 

「キュアアルカナ・シャドウ!探せよ!」

 

ゴウエモンがこちらを振り返って叫ぶ。

 

「必要ない」

 

私は短く答えた。

 

高い場所から目を凝らしても意味はない。重要なのは“中身”だ。

 

さっきすり替えられていたバッグ。その中に入っていた物。あれが何に使われる物なのか――用途さえ理解できれば、原稿が入っている本物のバッグの行き先は自然と絞られる。

 

物は嘘をつかない。

使い道は、必ず持ち主の行動を示す。

 

「そうよ!この子はもうどこにあるのかわかってるの。ね!」

 

マシュタンが、くるりとこちらを振り向く。目をきらきらと輝かせ、胸を張る姿は――

完全に“娘を自慢する母親”だ。

 

「うん」

 

小さく頷くと、マシュタンはさらに誇らしげにする。

 

「な……な、なんだと!!?」

 

ゴウエモンの声が裏返る。

大げさにのけぞり、屋上の縁を踏み外しそうになっているあたり相変わらず落ち着きがない。

 

私は静かに息を吐いた。

 

もう少し、よく考えれば分かることなのに。

 

 

_______________

 

 

 

【みくるSide】

 

「怪盗がなんで僕の原稿を!?」

 

純一さんの声が周囲の空気を震わせた。

 

原稿が狙われている――その事実を伝えた瞬間、彼の顔から血の気が引いていくのが分かった。無理もない。本来“怪盗”なんて、物語の中にしかいない存在だ。それが実在している上に、自分の大切な私物を狙っていると聞かされれば、誰だって混乱する。

 

「原稿は渡しません!」

 

「私たちが先に見つけます!」

 

あんなと私は力強く言い切る。

 

だからこそ、私たちがいる。怪盗団ファントムが企む“ウソで覆われた世界”になんて、させないために。名探偵プリキュアは、絶対に止まらない。

 

――そう、思っていたのに。

 

「もう……いいよ……」

 

ぽつりと落ちたその言葉に、私とあんなの声が重なる。

 

「「え……」」

 

顔を上げた純一さんの瞳は、どこか遠くを見ていた。

 

助けようとしても、歩みを止めてしまう人がいる。守りたいと願うほど、自分から離れようとする人がいる。

 

それは、きっとどこにでもある現実だ。私たちの知らない場所でも、今日この瞬間にも、夢を諦めてしまった誰かがいるのかもしれない。

 

「僕は、みんなを笑顔にしたくて漫画を書いてるんだ。なのに……僕の漫画のせいで探偵さんが危ない目に遭うなんて嫌だよ!!」

 

叫び声が、胸を打つ。

 

「……………」

 

その言葉と同時に、脳裏によみがえった記憶。

 

『私のせいでみくるちゃんがひどい目に遭うなんて嫌だよ!!』

 

あの時の、みのるの泣き顔。

 

私がいじめられているみのるを庇ったことで、今度は私が標的になるかもしれない――そう思った彼女が、涙を流しながら絞り出した言葉。

 

守りたいから、離れようとする。

 

巻き込みたくないから、諦めようとする。

 

――あの時のみのると、同じだ。

 

喉の奥が、きゅっと締まる。

私は知っている。その優しさが、どれだけ苦しくて、どれだけ寂しいものなのかを。

 

(……でも)

 

ゆっくりと、拳を握る。

 

(それでも私は――)

 

あの時、みのるを放っておくなんて、できなかった。

怖かった。後悔するかもしれないって、分かっていた。それでも。

 

困っている人を見捨てるなんて、私にはできない。

 

胸の奥で、静かに火が灯る。

 

「私たちも同じだよ!」

 

あんなの言葉に背中を押されるように、私は一歩前へ出た。

 

「……探偵も、困った人を笑顔にしたいの!」

 

自分でも驚くくらい、声はまっすぐだった。

純一さんの表情が、かすかに揺れる。

 

「だから、受けた依頼は必ず、はなまるに解決します!私たち名探偵に任せてください!」

 

あんなが胸を張って言い切る。

 

「探偵さん……!」

 

曇っていた純一さんの瞳に、光が戻る。その笑顔が、ゆっくりと広がっていく。

 

――そう。その笑顔を、守りたい。

 

「事務所で待っててください!あ、純一さんの漫画、後で読ませてくださいね!」

 

「うん!」

 

力強くうなずく彼を見て、私はあんなの背中を追いかける。

 

走りながら、思う。

名探偵になるって、きっと事件を解決することだけじゃない。

 

誰かの夢を守ること。

誰かの優しさを、諦めさせないこと。

 

そして――

 

あの時、みのるに何も言えなかった私の、小さな後悔と向き合うこと。

これは、そのための一歩。

 

名探偵プリキュアは、止まらない。

 

 

_______________

 

 

 

「その女の人はどこにいるの? こっちに来たんだよね」

 

「ええ……」

 

さっきのおじいさんが指さした方向へ私たちは足早に向かっていた。

 

けれど、通りは思ったより人通りが多い。似顔絵に似ている人がいないか目を凝らすけれど、それらしい姿はなかなか見つからない。

まだバッグの中身が何に使われているのかさえ分かっていないのに……。

 

「ところで、バッグの中身はりんご、じゃがいも、玉ねぎ、パン、それにエプロンだよね?」

 

「うん。つまり、レストランとか食べ物屋さんの人かな?」

 

食材とエプロンという組み合わせから連想できるのは“料理”くらいだ。

 

りんご、じゃがいも、玉ねぎ。

 

どれも家庭料理の定番食材。

これらを使うレストラン……。

 

「だとしたら……お店がたくさんありすぎる……」

 

道路沿いには、とんかつ屋、パン屋、たこ焼き屋、ラーメン屋……数えきれないほどの飲食店が並んでいる。ひとつひとつ当たるのは、骨が折れそうだ。

 

「あ、カレーだよ!りんごを入れると味がまろやかになるんだって!」

 

あんながぴたりと立ち止まり、指をさす。

そこには大きな看板。“カレーハウス”の文字が目立つ店だった。

 

「それあるかも!」

 

じゃがいもと玉ねぎはカレーの定番具材。それだとパンはナン代わりかもしれない。

 

そうと決まれば、聞き込み開始だ。

 

 

_______________

 

 

 

「うーん……知らないな……」

 

カレー屋の店長さんに似顔絵を見せたけれど、首を横に振られてしまった。

 

「カレー屋さんだと思ったのに……」

 

「だったら他のお店?……あっ、そうだ!」

 

似顔絵だけじゃ弱いのかもしれない。

私はバッグからエプロンを取り出し、ぱっと広げた。

 

「このエプロン、見覚えありませんか?」

 

触ってみると、普通のものより生地がしっかりしている気がする。業務用、だろうか。

 

その時、あんなが身を乗り出した。

 

「ちょっと待って!これ、ケチャップの染みじゃない?」

 

「ケチャップ!?」

 

エプロンの胸元に、茶色がかった赤い大きな染みがべったりと付いている。

料理中に跳ねたのだろうか。

 

もしかして、これが手がかりになるかもしれない。

 

私たちはバッグの中身をカウンターに並べた。

 

「えーと、ケチャップを使う料理はー?」

 

「パスタ!」

 

「オムライス!」

 

「ハンバーガー!」

 

「ポテト!」

 

思いつく限り次々と挙げていく。数撃ちゃ当たる、の精神だ。

 

けれど。

 

「どれも違うな」

 

店長さんが静かに言った。

 

「「え」」

 

声が重なる。

何がいけなかったのだろう。

 

「じゃがいもと玉ねぎは芽が出てるし、りんごも新鮮じゃない。こんな食材を使う店はないって……」

 

「「ええー……!?」」

 

思わず叫んでしまう。

 

よく見れば、確かにじゃがいもには小さな芽が伸び、玉ねぎの皮もくたびれている。りんごの表面もつやがない。

 

「そんな……」

 

料理に使う以前の問題だったなんて。

せっかく進展したと思ったのに、捜査は振り出しに戻ってしまった。

 

結局、女性の居場所は分からないまま。

人混みの中に消えた背中は、まだ見つからない。

 

でも――。

 

ただの失敗で終わらせるわけにはいかない。

 

バッグの中身が“料理用ではない”のだとしたら。

この食材は、いったい何のために――?

 

 

_______________

 

 

 

「行き詰まったら始めから考える。これ、探偵の鉄則」

 

私は小さく息を吐きながらそう言った。

 

というわけで、私とあんなは再び駅前へと戻ってきていた。人のざわめきは相変わらずで、改札から吐き出される人波が絶え間なく広場を満たしている。

 

状況が複雑になりすぎる前に、一度リセットする。

 

ゲームみたいに“最初のセーブ地点”まで戻る感覚だ。もちろん探偵を遊び半分でやるつもりはない。でも、手順を巻き戻して整理すれば、見落としていたピースが見えてくることもある。

 

「うん。純一さんはここでぶつかってバッグを落とした」

 

あんなが足元を指さす。

 

「……ん?落として汚れたのかと思ったけど、アスファルトだよ?」

 

言われて、私も地面を見下ろす。

 

駅前の舗装はきれいに整備されている。泥も水たまりもない。しかも、ここ最近は雨も降っていない。

 

「ほんとだ!」

 

バッグの隅にあった、あの大きな染み。

 

てっきり落とした拍子についた汚れだと思い込んでいた。でもこの場所で落としただけで、あんなふうにべったりと染みがつくなんておかしい。

 

だとしたら、あの汚れは――ここでついたものじゃない?

 

そう思っていたら。

 

「ポチいぃぃぃ……!!」

 

「あ、ポチタン!ペンキ塗り立てだって!」

 

広場の端で、おじいさんがさっきまで塗っていたベンチ。そこにポチタンがうっかり触れてしまい、手に青いペンキがべったりと付いている。

 

「ポチタン!」

 

「ポチ!ポチぃぃ……」

 

今にも泣き出しそうな声。

 

「もう……ちゃんと落ちるかな……」

 

あんなが慌ててポケットに手を入れ、ハンカチを取り出す。その拍子に、一枚の紙がひらりと地面に落ちた。

 

「ん、何か落ちたけど……」

 

「あ……」

 

それは、さっき絵画教室の前でもらったチラシだった。中には、デッサンをしている子どもたちの写真や、絵の具まみれのエプロン姿が載っている。

 

私はその紙を拾い上げた。

 

(……デッサン……)

 

エプロン。

 

染み。

 

絵の具。

 

――あっ!!

 

頭の中で、ばらばらだったピースが一気に噛み合う。

 

ケチャップだと思っていたあの染み。茶色がかった赤。

 

あれは食べ物じゃない。

 

絵の具だ。

 

そして、バッグの中に入っていたりんご、じゃがいも、玉ねぎ。

 

あれは“料理用の食材”じゃない。

 

デッサン用のモチーフだ。

 

芽が出ていても、新鮮じゃなくても構わない。むしろ、形がはっきりしていればいい。

 

曇り空が一瞬で晴れるみたいに視界が開けた。

 

「「見えた!これが、答えだ!」」

 

あんなと声が重なる。

 

「バッグはきっと……」

 

「あそこだ!」

 

同時に指さしたのは、さっき通り過ぎたあの建物。

 

私たちは顔を合わせると、すぐに来た道を引き返した。

怪盗団ファントムは純一さんの漫画原稿を狙っている。

 

でも、絶対に渡さない。

純一さんの笑顔を守るために。

 

今度こそ、間に合うように。

私たちは全力で駆け出した。

 

 

_______________

 

 

 

【みのるSide】

 

ピンポーン。

 

小さな電子音が静かな通りに響いた。

 

私は買い物帰りの足で立ち止まり、目の前の看板をもう一度見上げる。

 

――「アトリエプレンティ・絵画教室」

 

普段なら足を踏み入れることのない場所だ。今日は入会しに来たわけでもない。ただ、確認のために寄っただけ。

……少し、申し訳ない気もするけど。

 

手に持っていたレジ袋を、そのままリュックの中へ押し込む。パンや牛乳、ちょっとした食材が入っているせいで、ずしりと重みが肩にかかる。

 

でも、手で持ち続けるよりはずっと楽だ。

 

「はーい!」

 

中から明るい女性の声がして扉が開いた。

 

現れたのは、眼鏡をかけた紫色のウェーブヘアの女性。柔らかく笑う目元が印象的だ。そして――腰には、見覚えのあるエプロン。

 

バッグに入っていたものと同じ、しっかりした生地のエプロンだ。

 

「あら、かわいいお客さんですね!どうしたんですか?」

 

……かわいい、は余計だと思うけど。

 

さて、どう説明するべきか。

遠回しに言うより単刀直入のほうが早い。

 

「すみません。少し確認したいことがあるのですが、こちらに紫色のバッグはありませんか?」

 

そう言った瞬間、女性の表情がぱっと明るくなった。

 

「まあ!もしかして、ぶつかった人の娘さんなんですね!」

 

「え、いや、違います」

 

どうやら盛大に誤解されているらしい。

 

けれど女性はまったく悪びれた様子もなく、ニコニコとしたまま私を中へと招き入れた。

 

「どうぞどうぞ」

 

「あの……すみません。私はバッグを持ってないんですが……」

 

「気にしないでいいんです。いつでも返してもらえれば大丈夫ですし、予備もありますから」

 

「そうなんですか……」

 

なんというか、懐が深い。

私の周りも、こういう人ばかりだったらよかったのに――なんて、少しだけ心の中で愚痴をこぼしてしまう。

 

女性は軽やかな足取りで廊下を進み、教室の扉を開けた。

 

「バッグは窓際に置いてるから、お父さんの物なのか確認してね」

 

「だから娘じゃないです」

 

訂正しながら教室の中を見渡す。

 

数人の生徒がイーゼルを立て、静かにデッサンをしている。机の上にはバナナ――。

なるほど。

 

そして窓際には紫色のバッグがぽつんと置かれていた。

見た目は、純一さんのものとほとんど同じ。これでは入れ替わっても無理はない。

 

私はそっとバッグに近づき、ファスナーを開ける。

 

 ……勝手に中を見るのは気が引けるけど、念のためだ。

 

「あ、あった!原稿だ!」

 

封筒の中には、きちんとまとめられた漫画の原稿。端には名前のメモ。「小松崎純一」

 

そして、その横に小さく書かれたペンネームらしき文字。「ジュンジュン・コマッツ」

 

……間違いない。

 

「見つかってよかったです!よくここがわかりましたね!」

 

女性が目を丸くする。

 

「バッグに入っていた中身で、デッサン用に使われる物だってわかったんです。食材にしては状態が悪いから、料理以外に使われるものだってわかって」

 

私はバッグを軽く持ち上げながらできるだけ簡潔に説明した。

 

「エプロンは、普通のものより頑丈なデニム生地でした。汚れても裏側まで滲みにくい造りですし。それに、パン。このパンも、デッサンで消しゴム代わりに使われることがあります。バッグについていた汚れも、ペンキや絵の具によるものだと考えれば辻褄が合います。これらのことに関連する場所が、この絵画教室だってわかったんです」

 

「そうなんです!本当、よくわかりましたね!」

 

女性は感心したように両手を合わせ、目を輝かせた。

 

……とはいえ、単に知識があっただけだ。

 

もしこの近くに絵画教室がいくつもあったら、さすがにここまでスムーズにはいかなかっただろう。今回は偶然が重なっただけだ。

 

私はバッグのフラップをきちんと閉め、肩にかけ直した。

これ以上長居して生徒たちのデッサンの邪魔をするわけにはいかない。

 

「いえ、ただの一般人なので。大したことはありません。失礼しました」

 

軽く会釈をする。

 

「漫画の原稿って言っていたけれど、娘さんも漫画家を目指してるの?感心しちゃいます!」

 

「目指してないし娘じゃないです」

 

即答した。

 

……この人、ずっと私のことを純一さんの娘だと思い込んでいる。

 

胸の奥に、ほんの少しだけ棘のような違和感が刺さる。

 

私は両親がいない。娘でもなんでもない。

 

余計なことを考えないようにして教室を後にした。

 

「事件は無事に解決し……あ!!」

 

校舎を出て数歩歩いたところで私は立ち止まった。

重大なことに気づいたのだ。

 

「何やってるの私!?勝手に一人で事件解決しちゃったよ!!どうしよう!?」

 

本来、この“バッグ入れ替わり事件”はみくるとあんなの担当だ。

 

私はただの買い出し係。推理は名探偵である二人に任せて、事件とは直接関わらないはずだった。

 

なのに。

 

今、私の手元には――純一さんの原稿が入ったバッグがある。

つまりこれは。

 

「私が勝手に事件を解決した、ってこと……?」

 

連絡手段はない。

 

ということは、みくるとあんなは私が解決してしまったことを知らずに、今も必死で推理と聞き込みを続けているはずだ。

 

ちょっと確認するだけのつもりだったのに、とんでもないことをしてしまった。

 

(余計なことをしてしまった……どうする?)

 

一瞬、引き返して絵画教室に戻る案が頭をよぎる。

 

「別の人が取りに来るので、もう少しだけ保管させてください」と言うべきか。

 

でも、それはそれで迷惑だ。

せっかく見つかったのにまた預けるなんて本末転倒だろう。

 

「……こうなれば」

 

私はぎゅっとバッグの肩紐を握った。

 

「みくるとあんなを見つけて、ひたすら謝る」

 

これしかない。

 

せっかくの二人の手柄を、探偵でもないただの助手という設定の私が横取りしてしまったのだから。

 

胸がざわざわする。

怒られるだろうか。呆れられるだろうか。

 

それでも、黙っているわけにはいかない。

 

「早く……この漫画の原稿を二人に!」

 

バッグの肩紐を握りしめ、私は地面を蹴ろうとした――その瞬間。

 

「ほーう、漫画の原稿……か」

 

「!!?」

 

背後から低く笑うような声。

ただ呼び止められた、という感じではない。

 

ぞわり、と背筋を撫でる気配。

 

まるで獲物を見つけた獣みたいな声音。

 

反射的に振り返る。

 

そこに立っていたのは、見慣れない装束の男。和風の衣装に、手には大きな扇子。口元には余裕の笑み。

 

「紫の包み、そして今の発言……『漫画の原稿』。まさかお前が持っていたとはな、花崎みのる!」

 

「え……?」

 

初めて見る顔。

 

でも、分かる。

この雰囲気、この圧。

 

怪盗団ファントム――。

 

けれど、それ以上に引っかかったのは別のことだった。

 

「……なんで、私の名前を知ってるの!?」

 

私は怪盗団ファントムにフルネームを名乗ったことはない。

仮に盗み聞きされていたとしても、下の名前くらいのはずだ。

 

なのに、今この男は――はっきりと“花崎みのる”と言った。

 

「別に気にするな。お前のことは怪盗団ファントムの中でも割と有名だからな。なんたって、ウソノワール様が唯一興味を示している一般人だからな」

 

「いや気にするなって言っても私が気にするんですけど!!というかウソノワールって誰!?あなたも誰!?」

 

思わず声が裏返る。

 

怪盗団ファントムの中で有名?

 

プリキュアでも、妖精でもない。

ただの私が?

 

それに、ウソノワール?

前に事務所の研究室で見た“ノワール”という妖精の本を思い出す。でも、それとは明らかに別の響きだ。

 

「よくぞ聞いてくれた。オレの名はゴウエモン。そしてウソノワール様は……って、おい!?」

 

名乗りの途中。

私はもう走り出していた。

 

話を聞いている場合じゃない。

 

私はプリキュアじゃない。

戦えない。

 

しかも今、私の手には純一さんの原稿がある。

狙われているのは、これだ。

 

(逃げるしかない……!)

 

運動は得意じゃない。

でも、足がもつ限り走るしかない。

 

「オレから逃れられると思ったら大間違いだ!その原稿……頂いていくぞ!!」

 

「……!!」

 

背後で扇子が大きく振られる気配。

次の瞬間、どこからともなく舞い上がった桜吹雪が、私の背中に叩きつけられた。

 

「きゃああああ!!」

 

突風。花びらが刃のように肌を打つ。

身体がふわりと浮いた。

 

(転ぶな……!)

 

必死に足を踏み出す。

 

(逆に、この追い風を利用すれば……!)

 

前のめりになりながら、風に押されるまま走る。

 

すると――

 

「え……速……っ!?」

 

自分でも信じられないスピードが出た。

追い風に背中を押され、身体が軽い。

 

「しまった!やりすぎてしまったな……!」

 

遠くでゴウエモンの声が聞こえる。

 

……やりすぎ?

なら止めてほしい。

 

でも、桜吹雪は容赦なく背中を押し続ける。

 

(いつまで続くのこれ……!)

 

足が限界に近い。

肺が焼けるように熱い。

 

幸い、目の前の路地はまっすぐだ。

曲がり角がないぶん、転ぶ心配は少ない。

 

でも――逃げ切れる保証もない。

 

風に押されるまま、私は必死に走り続けた。

 

「おい、なんだあの女の子!?リュックとバッグ持ちながらとんでもない速さで走ってるぞ!!」

 

「100メートル10秒くらい出てるんじゃないか!?化け物だろアイツ!!」

 

すれ違いざまに、高校生くらいの男の人たちの驚愕の声が耳に飛び込んでくる。

 

そんなわけない。

私は運動が苦手だ。体力測定だっていつも平均以下。持久走なんて地獄そのもの。

 

――でも今は、背中を押す桜吹雪の暴風のおかげで無理やり前へ前へと進まされているだけ。

 

(もう無理……足が……!)

 

太ももが悲鳴を上げている。

路地を抜け、視界が一気に開けた。

 

街の中心部に出た瞬間――

 

「あっ!」

 

ぴたりと、風が止んだ。

 

そして前のめりになっていた身体は支えを失い、派手にバランスを崩す。

 

アスファルトが、目の前に迫った。

 

――ドンッ!!

 

「痛っっ……たああっ……!!」

 

膝に鋭い痛みが走る。

リュックの重みも加わり、衝撃が全身に広がった。

 

息が詰まる。

 

転倒の拍子に、肩から外れたバッグが少し先へ転がった。

 

(しまった……!)

 

中の原稿がくしゃくしゃになっていないことを祈る。

 

でも――

 

「ほほう。なかなか面白い漫画だ」

 

「なっ!?」

 

顔を上げた瞬間、凍りつく。

いつの間にか、目の前にゴウエモンが立っていた。

 

先回りしていたのだ。

 

彼は転がったバッグを拾い、中から取り出した原稿をぱらりとめくっている。

 

「返して……!痛いっ!?」

 

立ち上がろうとした途端、膝に激痛が走る。

視線を落とすと、擦りむいた膝から血がにじみ、じわりと広がっていた。

 

(でも、怪我なんて気にしてる場合じゃない……!)

 

「バッグの謎が解けて一番乗りのはずだったが、まさか先客がいたとはな。さすがだ」

 

「謎が解けた……?」

 

ゴウエモンの口ぶりからすると、彼らも自力でこのバッグの行き先を突き止めたらしい。

見た目は派手だけど、頭脳派……?

 

「なんで絵画教室に原稿があるってわかったの?」

 

「パンだよ」

 

「パン?」

 

「ああ。新人が気づいたんだ」

 

――新人。

 

胸がざわりとする。

 

まだ他にも怪盗団ファントムの仲間がいる?

しかも、その“新人”が気づいた?

 

ということは、探偵に匹敵する推理力を持った人物がいるということになる。

 

(どうやってバッグの中身まで……?)

 

でも考える時間はない。

 

「とにかく原稿を返して!!」

 

声を張り上げる。

ゴウエモンはにやりと笑った。

 

「このオレを相手に先回りできたご褒美をやろう!」

 

「ま……まさか!?」

 

嫌な予感しかしない。今すぐ逃げるべきだ。

でも、血が流れる膝が言うことをきかない。

 

ゴウエモンはそんな私を一瞥するだけで、興味を失ったように扇子を掲げた。

 

「ウソよ覆え!来やがれ……ハンニンダー!!」

 

原稿を包むように、桜の花びらが渦を巻く。

その中心で淡く輝いていたマコトジュエルが、じわじわと黒く染まっていく。

 

(やめて……!)

 

闇に飲まれた光が、弾けた。

 

「ハンニンダー!!」

 

現れたのは、表面に漫画のコマが描かれた異形の存在。

 

「……っ」

 

最悪だ。

みくるも、あんなもいない。

 

目の前でハンニンダーを召喚されるという非常事態。

 

私はプリキュアじゃない。

しかも膝は怪我をしていて、まともに走れない

 

(逃げても……すぐ追いつかれる)

 

ハンニンダーの影が、じわりと伸びる。

ゴウエモンは楽しげに扇子を閉じた。

 

――どうする?

 

誰もいない街の中心で、私は血のにじむ膝を押さえながら迫り来る闇を見上げるしかなかった。

 

「……そうか。お前……プリキュアになれないのか?」

 

ハンニンダーの帽子の上に立ち、ゴウエモンが私を見下ろす。

 

「それが……どうかしたの?」

 

強がってみせるけれど、声はわずかに震えていた。

 

目の前には、漫画のコマが全身に描かれた巨大なハンニンダー。その圧倒的な威圧感に、ただの人間である私は立ち尽くすことしかできない。

 

しかも膝は血まみれ。

正直に言えば――詰み、だ。

 

「ハンニンダー、捕まえろ!」

 

「ハンニン……ダー!」

 

「うっ!!」

 

巨大な手が影を落とした次の瞬間、私の身体はすっぽりと包み込まれていた。

 

握り潰されるわけではないが、逃げられない強さ。

もがいても、びくともしない。

 

そのとき――

 

〈GRAB!〉

 

「……何これ」

 

頭の上に、突然漫画みたいな吹き出しが現れて、ぱっと消えた。

ご丁寧に効果音付き。

 

どうやらこれが今回のハンニンダーの能力らしい。漫画の演出を現実にする、ということだろうか。

 

「とにかく離して!!」

 

早くみくるたちのところへ行かなきゃいけないのに。

何もできない。

 

プリキュアじゃなければこんなにも無力なんだと、嫌というほど思い知らされる。

 

「捕まえたは良いが……この子をどうするか……。とりあえず劇場に連れていくか……」

 

「劇場って!?」

 

嫌な予感が全身を駆け巡る。

劇場って何?敵の拠点?見世物にでもするつもり?

 

「よし、ハンニンダー。この子を連れて帰るぞ!」

 

「ハンニンダー!」

 

冗談じゃない。

そんな場所に連れていかれたら、絶対ろくなことにならない。

 

でも、膝は痛くて力が入らない。

 

抵抗しても意味がない。

 

(終わった……)

 

「助けて!!誰かあああ!!誰かあああっ!!!」

 

情けない。

でも、叫ぶことしかできなかった。

 

本当に今日は不幸すぎる。

 

事務所から出なければよかったのかもしれない。でも買い出しは必要だったし……。

 

(なんで私ばっかり……)

 

そう目を伏せたときだった。

 

「「はああああああああっ!!!」」

 

鋭い声が、空気を切り裂いた。

 

〈BLOW!〉

 

「ハンニン……ダー!?」

 

「むむっ!」

 

衝撃。

 

ハンニンダーの巨体が横へ吹き飛ばされる。

同時に私の身体も宙へ投げ出された。

 

「きゃあああああああっ!!?」

 

「みのるっ!!」

 

地面に叩きつけられる――

その直前、ふわりとした感触に包まれた。

 

恐る恐る目を開ける。

 

「みくる……キュアミスティック……」

 

そこにいたのは、すでに変身したみくる――キュアミスティック。

彼女は私をしっかり抱きとめたまま、ほっとしたように息をついた。

 

けれど、私の膝を見て表情が歪む。

 

「………っ」

 

しまった。

怪我しているのを見られた。

 

「……ここで待ってて」

 

低く、それだけを言うと、ミスティックは私をそっと地面に下ろした。

 

そして、すでに隣に立っていたキュアアンサーと並び、前へ出る。

その背中。

 

まっすぐで、強くて、迷いがない。

 

何度も見てきたはずなのに、今日ほど遠く感じたことはなかった。

 

守られる側の私。

戦う側の二人。

 

頼もしいはずなのに――

胸の奥に、ちくりとした劣等感が広がる。

 

届かない。

どれだけ手を伸ばしても、あの場所には立てない。

 

それでも。

 

それでも私は、二人の背中から目を離せなかった。

 

「来たか……名探偵プリキュア!」

 

ハンニンダーの帽子に立つゴウエモンが、愉快そうに扇子を鳴らす。

 

「ハンニンダー!!」

 

本命の登場に、怪物は歓喜するように腕を振り上げた。

 

けれど――

 

キュアミスティックの瞳には、静かに燃える怒りが宿っていた。

 

「よくも……みのるに、あんなひどいことを!!」

 

低く、震える声。

隣に立つキュアアンサーも、何も言わずにゴウエモンとハンニンダーを強く睨みつけている。

 

……でも。

 

(膝の怪我は、私が勝手に転んだだけで……)

 

本当は、ゴウエモンに直接やられたわけじゃない。

そう言いたかった。

 

でも、ミスティックのあの怒りを見たら口を挟むことなんてできなかった。

 

「いいね~その怒り!ならば、こちらも本気で行かせてもらうぞ!」

 

「ハン、ニン、ダーあああ!!」

 

ハンニンダーが高く跳び上がる。

巨大な拳を突き出したまま、急降下。

 

――ドゴォン!!

 

拳が地面にめり込み、激しい衝撃波が広がった。

アスファルトがひび割れ、空気が震える。

 

プリキュアの二人は間一髪で飛び退き、直撃を避けた。

 

〈THUMP!〉

 

衝撃と同時に、また漫画のような吹き出しが出現した。

場違いな効果音。

 

しかし、その吹き出しが突然弾丸のようにプリキュアへ突進する。

 

不意打ち。

それでも二人は素早く後退し、回避した。

 

「「はああ!!」」

 

今度はミスティックとアンサーが同時に踏み込み、ハンニンダーへ突撃する。

だが、怪物は両手を振り上げ――

 

――ブンッ!

 

「「きゃあっ!?」」

 

軽々と二人を弾き飛ばした。

 

〈POW!〉

〈POW!〉

 

効果音が虚しく浮かぶ。

けれど二人はすぐに宙で体勢を立て直し、着地した。

 

「天晴れだ!これがハンニンダーか。さすがはウソノワール様から授かった力!」

 

「……ウソノワール?」

 

またその名前。

さっき私にも言っていた。

 

「ああ、そうだ。我が怪盗団ファントムの偉大なるボス、『ウソノワール』様だ!」

 

やっぱりトップの名前。

 

研究室で見た“ノワール”という妖精の資料と関係があるのかは分からない。

 

でも――

 

(どうして、そんなボスが私に興味を……?)

 

背筋が冷たくなる。

 

「マコトジュエルはウソノワール様のために持ち帰る!だから、お前たちには消えてもらう!!」

 

「ハンニ~ンダー!!」

 

〈BAM!〉

 

再び振り下ろされる巨大な拳。

プリキュアは再び跳んで回避。

 

すると、地面から転がるように出現した吹き出しが再び迫る。

 

ミスティックとアンサーが同時にまた跳び上がる。

 

――ドガァン!!

 

吹き出しはそのまま向こうのビルに激突し、壁を大きくへこませた。

コンクリートの破片が舞う。

 

「人を楽しませたいっていう純一さんの漫画を、こんなことに使うなんて!!」

 

アンサーの怒りが響く。

けれどゴウエモンは肩をすくめるだけだった。

 

「知ったことか!! ウソノワール様がお喜びになれば、それでいい!」

 

「ハンニン………ダー!!!」

 

〈ZAAP〉

 

ハンニンダーの全身がぎらりと光ったかと思うと、胸元から“ZAAP”と文字をまとったレーザーが放たれた。

 

空気を焼き裂くような高熱の奔流。

 

さっきまでの拳とは明らかに威力が違う。あんなもの、直撃すれば――プリキュアだって無事じゃ済まない。

 

しかし、キュアミスティックが一歩前へ出た。

 

ジュエルキュアウォッチの針を滑らかに動かし、指先で大きく四角を描く。

 

宙に赤い光の軌跡が走り――

赤い宝石で構成された透明な壁が出現した。

 

「ミスティックリフレクション!」

 

(バリア!?)

 

展開された宝石のバリアが、真正面からレーザーを受け止める。

 

轟音と閃光。

 

けれど光は壁に吸い込まれるように霧散し、完全に相殺された。

 

「な、なにいいいい!?」

 

ゴウエモンが目を剥く。

それも無理はない。これまで肉弾戦中心だったプリキュアが、防御技まで持っているなんて。

 

……私も今、初めて知った。

 

そして次に動いたのはキュアアンサー。

 

同じくウォッチの針を動かし、拳に光を集中させる。

空気が震えるほどのエネルギー。

 

「アンサーアタック!!」

 

地面を強く踏み込み、一瞬でハンニンダーの懐へ。

 

そして――

 

〈WHAM!!!〉

 

全力の一撃が、怪物の腹部に叩き込まれた。

 

「ハンニンダーああっ!!?」

 

〈CRASH!!〉

 

巨体が宙を舞い、遠くの地面へ激突する。

地響きが走り、瓦礫が跳ね上がった。

 

(ば……馬鹿力だ……)

 

あれほどの大きさの怪物が、たった一人の女の子の拳で派手に吹き飛ばされるという信じられない光景。

 

ミスティックの鉄壁の防御と、アンサーの圧倒的な火力。

その連携で、戦況は一気にプリキュア優勢へと傾いた。

 

……アンサーアタックって、全然推理してないし力技だし名前そのまんまじゃん、というツッコミは今は胸にしまっておく。

 

「ハンニンダー……!ハンニンダー!!」

 

目を回していたハンニンダー。

だが、意外としぶとい。

 

すぐに立ち上がり、再びプリキュアへ向かっていく。

 

「漫画の原稿と……」

 

「純一さんの笑顔を……」

 

「「取り戻すんだ!!」」

 

それはプリキュアも同じ。二人の声が重なる。

 

ジュエルキュアウォッチの針が同時に回り、全身がまばゆい光に包まれた。

名探偵プリキュアの、キメ技。

 

「「これが私たちの、アンサーだあああああっ!!!」」

 

眩い閃光が一直線に放たれ、ハンニンダーを貫いた。

 

天へ伸びる光の柱。

 

「「キュアット解決!」」

 

「ハン……ニン……ダー………」

 

断末魔とともにハンニンダーは完全に浄化され、光の粒となって消滅した。

 

後に残ったのは、黒く染まっていたマコトジュエル。

 

それをアンサーが受け止め、ポチタンが吸収する。

ほんのわずかに、光が強まった。

 

そして――

 

壊れたビルは元に戻り、散らばっていた漫画の原稿も傷ひとつない状態へと戻る。

 

ページはきちんと揃い、あの優しいタッチの絵が再び姿を現した。

これで、今回の事件は本当に解決だ。

 

「オレも楽しませてもらったぞ、プリキュア!また相見えよう!」

 

ゴウエモンは悔しがるどころか、満足そうに笑った。

桜吹雪が舞い上がってその姿を包み込む。

 

花びらが散ったあとには、もう何も残っていなかった。

 

静寂が戻る街。

私はその場に座ったまま、遠ざかる花びらを見つめる。

 

守られた原稿。

 

守られた笑顔。

 

そして――

 

守られた、私。

 

胸の奥に、安堵と、少しだけ苦い感情が同時に広がっていた。

 

やっぱり、名探偵プリキュアは凄い。

 

いろんな道具を使いこなして事件を解決して、あんな巨大なハンニンダーを真正面から制圧してしまう。防御も攻撃も完璧で、迷いがない。

 

さっきまで絶体絶命だったのに、二人が来て全部ひっくり返った。

 

……すごいなあ。

心の底から、そう思う。

 

同時に、胸の奥が少しだけちくりとした。

 

今日はもう帰ろう。

一日でいろんなことに巻き込まれすぎて、正直くたくただ。膝から流れる血はまだ止まりきっていない。派手に転んだんだから当然だ。

 

早く帰って、ちゃんと消毒しないと。

 

「……平気」

 

近づいてくる気配に気づき、私は先に口を開いた。

 

「これくらいはかすり傷だから」

 

本当は、かすりなんかじゃない。

歩くだけでずきずきする。

 

でも――余計な心配は、かけたくない。

 

そのはずだったのに。

 

「……え?」

 

突然、身体がふわりと浮いた。

視界が一気に高くなる。

 

「ちょ、ちょっと待って!?」

 

何が起きたのか理解して、慌てて声を上げる。

 

「降ろして!自分で歩ける!」

 

「……黙ってて」

 

低い声。

空気がぴん、と張り詰める。

 

――怒ってる。

 

その一言で、背筋がひやりと冷えた。

 

(……やっぱり)

 

胸の奥が、じわっと重くなる。

みくるは怒っている。

 

当たり前だ。私が余計なことをしたから。

勝手に動いて、勝手に事件を解決して、勝手に怪我までして。

 

歩きながら、みくる――ミスティックが短く言う。

 

「なんで無茶したの?」

 

心臓が、どくんと跳ねた。

その声音は鋭いけれど、どこか震えている。

 

(無断で動いたこと。余計なことをしたこと。二人の手柄を横取りしたこと)

 

全部、含まれている気がした。

胸がきゅっと縮む。

やっぱり私は、出過ぎたんだ。

 

「……関係ないでしょ」

 

無意識に言葉が出る。

これは私の問題だ。私が勝手にやったこと。

 

助手のくせに踏み込みすぎた、ただそれだけ。

 

「関係あるよ」

 

即答だった。

 

「みのるが怪我するのは嫌だから」

 

強い声。

迷いのない言葉。

 

一瞬、意味がうまく飲み込めなかった。

 

これは優しさじゃない。

きっと、これ以上勝手なことをするなっていう警告だ。

 

危ない橋を渡るなって。

迷惑をかけるなって。

 

――そう思おうとしたのに。

 

胸の奥が、妙に熱くなる。

気づけば、私はミスティックの服を、ほんの少しだけ掴んでいた。

 

無意識だった。

離れないように。

 

……これ以上、嫌われないように。

 

ぎゅっと強く握る勇気はない。

でも、指先は確かに、そこに縋っていた。

 

みくるは何も言わない。

ただ、抱える腕の力がほんの少しだけ強くなった気がした。

 

そのぬくもりが、胸の奥の不安を、少しだけ溶かしていった。

 

 

_______________

 

 

 

【みくるSide】

 

「ありがとう!!探偵さ~ん!!」

 

事務所いっぱいに響く声と、止まらない涙。

無事に原稿は戻り、純一さんは封筒を胸に抱きしめながら何度も頭を下げていた。

 

その姿を見て、胸の奥がじんわり温かくなる。

本当はバッグを見つけたのはみのるだ。

 

でも本人は「偶然、絵画教室の側を通ったら見つけただけ」と言って、それ以上は何も語らなかった。

 

……本当かどうかは、正直わからない。

けれど、原稿は戻った。事件は解決した。

 

それが一番大事だ。

 

「「えへへ!」」

 

私とあんなは顔を合わせてハイタッチ。

 

ぱちん、と軽やかな音が弾ける。

 

そのとき、あんながふと封筒の表面を覗き込んだ。

 

「……ん?ジュンジュン・コマッツ?」

 

「あ、うん!僕のペンネーム!」

 

純一さんが照れくさそうに笑う。

 

すると――

 

「あ、ああ……あの!あのジュンジュン・コマッツ先生!?」

 

あんなが勢いよく立ち上がった。

頬がみるみる赤くなっていく。

 

「知ってるの?」

 

「うん!先生の漫画、大好きなの!純一さん、有名な漫画家さんになるよ!」

 

未来から来たあんなは、すでに“その先”を知っている。

未来の純一さんは、一流の漫画家。

 

そして、あんなはそのファン。

 

目を輝かせて語る姿は、いつもの冷静な名探偵というより、ただの熱心な読者みたいだった。

 

「え、本当!?それって名探偵さんの推理?」

 

「推理じゃなくて、わかってるの!なんて説明していいのか……うーん」

 

未来の話は簡単にはできない。

あんなが言葉を濁す横で、私はわくわくが止まらなかった。

 

「そんなすごい漫画家さんの作品なら、私も読みたい!」

 

「ボクも読む!読みたい!」

 

「待って!私が先だって!」

 

いつも落ち着いているジェット先輩まで、身を乗り出してくる。

結局、読む順番はじゃんけんで決めることになった。

 

「最初はグー!」

 

「じゃんけん――」

 

わいわいと騒ぐ私たちを、純一さんは嬉しそうに眺めている。

その笑顔を見て、改めて思う。

 

今回の事件も、無事に解決できた。

 

マコトジュエルも取り戻せたし、誰も大きな怪我はなかった。

 

……誰も。

 

そのはずなのに。

 

胸の奥に、小さな棘が残っている。

 

事務所に戻って、傷の手当てを終えたあと。

みのるは「先に部屋戻るね」とだけ言って、すぐに引っ込んでしまった。

 

いつもなら、もう少し騒ぎに混ざるのに。

笑顔も、どこか無理をしていた気がする。

 

(怒りすぎたかな……)

 

抱き上げたときの、あの軽さ。

 

血のにじんだ膝。

 

「関係ないでしょ」と言ったときの、少しだけ突き放すような声。

思い出すと、胸がきゅっとする。

 

助けられてよかった。

無事でよかった。

 

でも――

 

それだけじゃ、足りない気がした。

賑やかな事務所の中で、私は一瞬だけ、みのるの閉じた部屋の扉を思い浮かべる。

 

今回の事件は解決した。

 

けれど。

 

あの子の心の中までは、何も解決できていない。

 

 

_______________

 

 

 

【みのるSide】

 

原稿は無事に純一さんの手元へ戻り、絵画教室にいた女性のバッグも返したらしい。

 

純一さんは事務所で涙を流して感謝していたと、みくるが教えてくれた。

 

私はただ、「偶然、絵画教室の側を通ったら、ちょうど紫のバッグを持っていた女性がいて」とだけ説明した。

 

自分が推理して、場所まで突き止めたなんて言わなかった。

 

言えるわけがない。

そんなことを言ったら、名探偵プリキュアの面子は丸潰れだ。

 

純一さんはきっと、全部プリキュアが解決したと思っているだろう。

 

それでいい。

そのほうが、きっと丸く収まる。

 

「はぁ……」

 

誰もいない自分の部屋で、ため息だけが落ちる。

 

膝には大きめの絆創膏。じんじんとした痛みが、まだ消えない。

その疼きが、心の奥まで染み込んでくるみたいだった。

 

机の横のカレンダー。

 

四月のページに、赤い丸がついている。

特別な意味なんてない。ただ、新学期の始まりの日というだけ。

 

それなのに、その丸だけがやけに目立つ。

 

部屋は静かだ。

時計の秒針が、やけに大きく響く。

 

……また、始まる。

 

中学二年。

数字が一つ増えるだけ。

 

それだけなのに、どうしてこんなに重たいんだろう。

 

ふと、小学生の頃の教室が脳裏に浮かぶ。

 

笑い声。

 

机に書かれた落書き。

 

消しても消しても残る、鉛筆の跡。

 

『うざい』

 

『調子に乗るな』

 

『消えろ』

 

別に殴られたわけじゃない。

でも、居場所はなかった。

 

中学に入っても、劇的に何かが変わったわけじゃない。

 

勉強は、ある程度できる。

 

でも――

 

「一緒に帰ろう」

 

その一言を、私はみくる以外で一度も言われたことがない。

放課後、誰かと寄り道することもない。

 

携帯も持っていないから、誰かと連絡を取り合うこともない。

 

みくるたちはいる。

 

……いる、けど。

 

最近、あんなが来てから、本当に私はみくるの“親友”なんだろうかと、不安になる瞬間が増えた。

 

あんなは明るくて、頼れて、未来のことも知っていて。

みくると並んで立つ姿は、まるで最初からそこにいたみたいに自然だ。

 

もし、あんながみくるの“本当の親友”になったら。

 

私は――

 

ただの、浮いてるやつ。

 

布団に倒れ込む。

天井が、やけに遠い。

 

「……行きたくない」

 

ぽつりと漏れた声は、思ったよりも弱かった。

 

私は強い。

 

泣かない。

 

気にしない。

 

そう決めたはずなのに。

 

カーテンの隙間から差し込む月明かりが、やけに眩しい。

 

目を閉じる。

胸の奥が、静かに痛む。

 

春なんて。

 

来なければいいのに。

 

胸の中にある何かが…少しだけ闇に染まったような気がした。




※今後のアニメの展開によって加筆や修正を行う可能性あり。
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