自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~ 作:パラレル・ゲーマー
中華人民共和国北京。
紫禁城の西に広がる政治の最高中枢、中南海。
その地下深くに設けられた国家安全部(MSS)の極秘指令室『深淵の間』において、かつてないほど滑稽で、そして身の毛もよだつような異常な外交交渉が繰り広げられていた。
分厚い鉛とコンクリートに守られた密室の巨大スクリーンには、東京の首相官邸地下から通信を繋いでいる内閣官房参事官、日下部の顔が映し出されている。
画面の向こうの日下部は、右手に常備している胃薬のパッケージを握りしめ、顔面から脂汗を流しながら、必死の形相で「説得」を試みていた。
『……総理閣下。どうか、どうか今一度、冷静になっていただきたい』
日下部の声は、外交官としての冷静さを保とうと必死に努めてはいたが、その裏には明らかな動揺と焦燥が張り付いていた。
『我々日本政府としても、貴国が台湾海峡の平和と安定に向けた「新たなアプローチ」を模索されること自体は、歓迎すべき歴史的な第一歩であると認識しております。……ですが! いくらなんでも、「明日にでも台湾の独立を正式承認し、武力統一の完全放棄を世界に向けて宣言する」というのは、あまりにも急進的すぎます!』
「急進的だと? 何を言うか、日下部参事官!」
円卓の上座から身を乗り出し、血走った目で画面を睨みつけているのは、国務院総理の李(リー)であった。
普段の彼が纏っている一国の指導者としての冷徹な仮面は、すでに完全に崩れ去り、そこにあるのは、ただ一つの目的に向かって暴走を始めた獣の狂気だけであった。
「我々は最大の誠意を見せているのだぞ! 日本とアメリカが長年求め続けてきた『東アジアの最大の火種』を、我々自らの手で消し去ってやると言っているのだ!
台湾をくれてやる! 民主主義国家として認め、国連への加盟も支持してやる! これ以上の歴史的な譲歩がどこにある! だから……だから約束通り、追加の『医療用キット』を直ちに寄越せ!! 今すぐにだ!!」
李総理の口から飛沫が飛ぶ。
隣に座る人民解放軍の劉(リュウ)将軍も、国家安全部の張(チャン)部長も、誰一人として総理の狂気じみた発言を止めようとはしなかった。それどころか、彼らもまた総理と同じように、ギラギラと飢えた目を日下部に向けている。
『……お待ちください、皆様』
日下部は、胃の奥から込み上げてくる鈍い痛みを堪えながら、必死に言葉を紡いだ。
『貴国が台湾を手放す宣言を突如として行えば、国内はどうなりますか? 14億の人民は、「一つの中国」という建国以来の絶対的なイデオロギーを信じて生きてきたのです。それが一夜にして反故にされたとなれば、民衆は確実に暴動を起こします。
さらに、人民解放軍の内部でも強硬派が反旗を翻し、クーデターが発生する可能性が極めて高い。……貴国が内乱状態に陥ることは、我々にとっても、そして世界経済にとっても致命的なダメージとなります。国内の反乱が怖くはないのですか!?』
日下部の指摘は、政治家として、そして国家運営の基本中の基本である。
国民の感情を無視し、軍部のプライドをへし折るような政策を前触れもなく実行すれば、いかに強権的な独裁国家であっても、国家体制そのものが崩壊する。日本政府は、中国から薬の対価を引き出したいとは考えていたが、中国という巨大な国家が完全に自壊して無政府状態になることなど、微塵も望んではいないのだ。
「内乱だと? 暴動だと? そんなものは知ったことか!!」
だが、李総理の返答は、日下部の常識的な説得を根底から粉砕するものであった。
「暴動が起きれば武力で鎮圧するまでだ! 反乱を起こす軍の幹部がいれば、貴国から提供された『監視システム(グラス・アイ)』を使って事前に見つけ出し、片っ端から粛清してやる! 国家がどうなろうと、人民がどれだけ血を流そうと、そんなことは些末な問題だ!」
李総理は、自らの胸を激しく叩きながら絶叫した。
「いつ死ぬか分からないのだぞ!? 我々は!!
明日、心臓の鼓動が止まるかもしれない! 明日、脳の血管が破裂するかもしれない! 悠長に『国内の調整』だの『世論の形成』だのと、数ヶ月も数年も時間をかけている暇など、我々には一秒たりともないのだ!!
国を売ろうが、人民を売ろうが構わん! 私を……我々を、あの薬で救え!!!」
それは、権力者の究極のエゴイズムであった。
自分自身の命が尽きれば、国家が繁栄していようが滅んでいようが何の意味もない。死の恐怖という絶対的な暗闇の前では、共産党のイデオロギーも、祖国統一の悲願も、まるで価値のないチリ紙と同義であった。
『……総理、お気持ちは痛いほど分かりますが、いや、まだまだお元気ではありませんか』
日下部は、もはや宥めすかす幼稚園の保育士のような心境になりながら、必死に言葉を継いだ。
『顔色もよろしいですし、すぐにどうにかなるような状態ではないとお見受けします。……ですから、どうか手順を踏んでください。民衆の理解も必要です。まずは台湾との「経済的な交流の促進」や「平和的な対話の開始」といった、態度を軟化させるポーズから始めてはいかがでしょうか?
そうやって徐々に、数年かけて国民の意識を誘導していけば、内乱の危険も減ります。我々としても、そのような貴国の「平和へのプロセス」を高く評価し、その成果に応じて段階的に医療用キットの提供を検討させていただくという形で……』
「数年も待てるか!! 今すぐだと言っているだろうが!!」
劉将軍が机をバンバンと叩いて吠える。
日下部はモニター越しに深々と頭を下げ、冷や汗を拭った。
『……本件につきましては、我が国のみならず、アメリカ合衆国との綿密な連携と協議が必要不可欠な事案となります。大至急、日米間で検討を行い、改めてご回答申し上げます。……本日はこれにて失礼いたします』
日下部は半ば強引に通信を切断した。
スクリーンが暗転した瞬間、彼はその場に崩れ落ちるように椅子に座り込み、天井を仰いだ。
「……狂っている。完全に狂っている」
日下部は、手の中の胃薬の袋をビリリと破り、粉末を直接口の中に放り込んで水で流し込んだ。
敵対国が自国の最大のカード(台湾)を譲歩してくるという、本来であれば外交上の大勝利であるはずの事態が、ここまで胃を痛めつける悪夢に変わるとは思わなかった。
中国指導部は、医療用キットという劇薬を前にして完全に正気を失い、自らの国を物理的に破壊してでも薬を手に入れようとする「ジャンキー」に成り下がってしまったのだ。
◇
数時間後。
日下部は場所を移し、副島内閣総理大臣と共に、より強固な暗号化回線を通じてワシントンD.C.のホワイトハウス地下と繋がるモニターの前に立っていた。
画面の向こう側にいるのは、アメリカの「影の政府(ディープステート)」を実質的に統べる二人の人物——タイタン・グループの次期総帥ノア・マクドウェルと、CIA長官エレノア・バーンズであった。
アメリカは現在、キャサリン・ヘイズ次期大統領への政権移行期間の只中にあるが、このような「真の国家機密」に関する協議において、清廉潔白を信条とする彼女が表に出てくることはない。日本の交渉相手は、あくまでこの冷徹な「陰の管理者」たちである。
『……やれやれ。報告は受けましたよ、日下部参事官、ソエジマ総理』
ノア・マクドウェルが革張りのソファで優雅に足を組みながら、薄く冷ややかな笑みを浮かべた。
『完全に医療用キットに目が眩んでいますね。大国の威厳も建国のイデオロギーもすべてを放り出して、「薬をくれ」と駄々をこねる老人たちの姿……。滑稽を通り越して、哀れみすら覚えます』
『ええ。彼らも哀れなもの』
エレノアが氷のような碧眼を細めて同意した。
『台湾という、彼らにとって最も神聖で、かつ我々に対する最大の外交カードを、まるでバーゲンセールの在庫処分のように売り払おうとしている。……不老不死の魔力とは、ここまで人間の、そして国家の理性を破壊するものなのね』
「まあ、気持ちは分かりますよ」
副島総理が苦笑いを浮かべながら口を挟んだ。
「なにせ彼らの目の前には、我々が提供した『生きた見本』が存在しているのですからな。……しかも、その見本が定期的に彼らの神経を逆撫でするような『煽り』を入れてきているとなれば、焦るなと言う方が無理な話でしょう」
『ああ、あの「引退した最長老」のことですね』
ノアが楽しげに喉の奥で笑い声を立てた。
数週間前。
中国指導部内での凄惨な権力闘争を制し、日本から提供されたたった1個の『医療用キット(オリジナル)』をその身に打ち込んだ趙(チャオ)最長老。
彼は、薬の力で20代の全盛期の肉体と無限の活力を取り戻した後、日本との密約通り、一切の権力への未練を見せることなく、あっさりと全ての役職を辞して表舞台から姿を消した。
だが、彼はただ静かに隠居したわけではなかった。
死の恐怖から解放され、有り余るエネルギーと巨万の個人資産を手にした彼は、現在、文字通り「人生の絶頂」を謳歌していたのである。
「ええ」
日下部がタブレットを操作して、幾つかの画像データをスクリーンに表示した。
それは、CIAや日本の公安が捉えた趙最長老の現在の姿——世界中を飛び回る優雅なバカンスの記録であった。
「引退した趙氏は、今、全世界を渡り歩いて悠々自適の旅を楽しんでいるようです。
先週はスイスのアルプスで、プロ顔負けのフォームで急斜面をスキーで滑降していました。その前はカリブ海のプライベートビーチで、現地の若いモデルたちを何人もはべらせてサーフィンに興じています。さらに昨日はハリウッドの超高級クラブで、マフィアのボスのように葉巻をくゆらせながら、朝までシャンパンを浴びるように飲んでいたとのことです」
画面に映る趙氏は、頭髪こそ真っ白な老人のままだが、その肉体はシルクのシャツがはち切れんばかりの筋肉に覆われ、満面の笑みで人生を謳歌している。
かつて酸素マスクをつけて車椅子に乗っていた姿など、微塵も想像できない。
「それだけなら、ただの元気な金持ちの老人で済むのですが……」
日下部はさらに深い溜め息をついた。
「この趙氏、どうやら性格が非常に悪趣味なようでして。
旅先での豪華絢爛な体験や、有り余る活力を誇示するような映像やメッセージを、わざわざ中南海の高度に暗号化された専用回線を通じて、残された指導部たちに向けて『近況報告』と称して送りつけてきているのです」
『近況報告ですか』
エレノアが呆れたように眉を上げた。
「はい。例えばこんな具合です。
『今日のパリの三ツ星レストランのステーキは最高だった。新しい歯で噛みちぎる肉の味は格別だ。お前たちも、いつ死ぬか分からない恐怖に怯えながら、薄暗い会議室で精が出ることだな。せいぜい私の遺産(国)を上手く運営してくれよ、短命な後輩諸君』……と」
『……それは酷い煽りですね』
ノアが思わずといった様子で声を上げて笑った。
『自分だけが永遠の命を手に入れ、死の恐怖に怯えるかつての部下たちを見下ろして優越感に浸る。……彼にとって、これ以上の極上のエンターテインメントはないでしょうね』
「ええ。ですが、送られる側にとってはたまったものではありません」
日下部が胃薬の袋を弄りながら言う。
「あの報告(煽り)に目を通すたびに、李総理や劉将軍は血管が切れそうになるほど激怒し、嫉妬と羨望で狂いそうになっているそうです。
自分たちは国家の重圧に押し潰されそうになりながら、明日の命も知れぬ体で必死に働いているのに、あの老いぼれは神の肉体を手に入れて、自分たちをあざ笑いながら世界中で遊び呆けている。
……あんなものを見せられ続ければ、冷静な判断力など保てるはずがありません。彼らが『台湾を売ってでも、今すぐ自分もあの薬を手に入れたい』と暴走するのも、無理のない話なのです」
『同情はしませんが、メカニズムとしては理解できますね』
ノアがコーヒーカップを置き、冷徹な視線をモニターに向けた。
『さらに厄介な要素があります。……中国の「新たな長老たち」の存在です』
「新たな長老?」
副島総理が問い返す。
『はい。趙最長老をはじめとする「旧世代の長老組」が、先の権力闘争での粛清や引退によって一斉に退場したことで、中国の権力構造に空白が生まれました。
そしてその空白を埋めるように、それまでナンバー2、ナンバー3の地位で息を潜めていた「次の世代の長老たち」が一気に表舞台へと上がってきたのです』
エレノアがCIAの収集した最新の内部情報を引き継いだ。
『彼ら新長老たちは、前回の闘争の際にはまだ力がなく、蚊帳の外に置かれていました。しかし彼らは権力の座に就いたことで、国家の最高機密——すなわち「日本が不老不死の医療用キットを提供した」という事実を知ってしまったのです。
そして彼らもまた、自分自身の老いと死に直面している老人たちです』
エレノアの言葉に、日下部が深く頷く。
「おっしゃる通りです。秘密を知らされた新長老たちは、今、中南海で猛烈な突き上げを行っています。
『前任者だけが良い思いをして引退するなど許されない! 我々にもその薬を寄越せ!』と。
彼らは李総理たち現役指導部に対し、『一刻も早く台湾を材料にして日本から医療用キットを引き出せ! 手段は問わん!』とヒステリックに騒ぎ立てているのです」
会議室に再び重苦しい沈黙が落ちた。
中国という国家は今や、「内乱」のリスクを抱えているというよりも、指導部も長老も軍部も、すべての権力者が「一致団結して台湾を売り払い、薬を買ってこようとしている」という、ベクトルが完全に狂い切った暴走状態にあるのだ。
彼らにとって、国家の存亡よりも自分たちの細胞の初期化の方が優先順位が高いのである。
『……中国には本当に困ったものですね』
ノアが、まるで出来の悪いチェスの駒を眺めるような目で、微かに溜め息をついた。
『彼らの欲望が、我々のコントロールできる範囲を超えて暴走し始めている。
もし今、彼らが無理やりに台湾独立を宣言し、それに反発した一部の軍の強硬派が暴動やクーデターを起こせば、中国国内は大混乱に陥ります。
アメリカは今、政権移行期の真っ最中です。キャサリン・ヘイズ新大統領の就任式を控え、人事や引き継ぎで政府機能が最も脆弱になっているこのタイミングで、極東で大動乱が起きることは、我々ディープステートとしても非常に困る』
「ええ。それに、中国が自壊すれば、その隙を突いて沈黙しているロシアが再び力を付けかねません。
ウクライナから兵を引き、息を潜めている北の熊が、中国の混乱に乗じて新たな火種を撒き散らすリスクは、何としても避けなければならない」
副島総理が厳しい表情で結論を述べた。
「日米の国益を守るためにも、中国には自重してもらう必要があります。
薬欲しさに国を売り払うのは勝手ですが、タイミングが最悪すぎる」
『同意します、総理』
エレノアが静かに頷いた。
『日本政府から中国指導部に対しては、「徐々に台湾と仲良くするプロセスを踏むこと」を強く要求してください。一足飛びの独立承認は絶対に認めないと。
「平和的な対話の実績を積み重ねた上でなければ、薬の追加提供の協議には一切応じない」と冷水を浴びせて、時間を稼がせるのです。彼らを焦らし続ける必要があります』
「承知しました。彼らが暴発しないよう、首の皮一枚のところで『希望(餌)』をちらつかせながら、手綱を強く引くことにしましょう」
日下部が再び胃薬のパッケージに手を伸ばしながら答えた。
『では、引き続きよろしく頼みますよ、日本の皆様』
ノアが優雅に微笑み、通信を切断した。
スクリーンが暗転し、地下の特別情報分析室には日下部と副島総理だけが残された。
ジャミング装置の低い駆動音だけが、静寂の中で響き続けている。
「……やれやれ。世界を動かしているのは、もはやイデオロギーでも経済でもなく、老人たちの醜い『寿命への執着』ですか」
副島総理が自嘲するように呟いた。
かつては冷戦構造や大国間のパワーゲームが歴史を作ってきた。だが今、世界の中心にあるのは、たった数本の「注射器」と、それを巡る滑稽なまでの狂騒だ。
「ええ。ですが、それこそが最も根源的で抗いようのない力です」
日下部は胃薬を飲み下し、深く息を吐き出した。
「工藤創一という一人の男が作ったオーパーツが、世界の権力者たちの理性を完全に焼き切ってしまった。
我々は、その狂気から溢れ出る熱量をコントロールし、日本という国が焼け焦げないように、必死で防波堤を築き続けるしかないのです」
窓のない地下室で、日下部は遥か次元の彼方——テラ・ノヴァを思った。
そこでは今頃、工藤創一が地球の狂乱など知る由もなく、宇宙へ打ち上げるためのロケットの最終調整にウッキウキで取り組んでいることだろう。
あの無邪気な天才が、次に宇宙からどんな「劇薬」を持ち帰ってくるのか。
考えるだけで胃が痛くなるが、もはや後戻りはできない。
日本は世界のルールを書き換える「魔法使いの代理人」として、この狂ったチェス盤の最前線に立ち続けるしかないのだから。
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