自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~   作:パラレル・ゲーマー

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第98話 漫画からの刺客と5億円の消しゴム

 惑星テラ・ノヴァ。

 紫がかった空に二つの巨大な月が浮かび、荒野を青白く照らし出している。前線基地(FOB)の奥深くにそびえ立つ巨大なロケットサイロでは、今日もまた新たな宇宙プラットフォーム拡張用のモジュールが組み上げられ、轟音と共に夜空へと打ち上げられていた。

 基地の敷地内には無数のベルトコンベアが走り、インサータの機械アームが休むことなく物資を運び続けている。だが、その工場の心臓部たる司令室の中は、外界の喧騒が分厚い防音ガラスによって完全に遮断され、嘘のような静寂に包まれていた。

 

 司令室の中央に置かれた高級なレザーソファに深く体を沈め、工藤創一はリラックスした姿勢をとっていた。

 彼の周囲には、半透明のホログラムウィンドウが十数個も展開され、それぞれが異なる生産ラインの稼働状況や、新たな設備の設計図、そして軌道上のプラットフォームのステータスをリアルタイムで表示している。

 だが、創一の視線はそれらの複雑なデータ群には向けられていなかった。

 彼の目の前にあるメインウィンドウに大写しにされていたのは、地球のネットワークからダウンロードした「電子コミック」のページだった。

 

 『医療用キットMK2』を自らに投与し、脳の処理能力を極限まで加速させている今の彼にとって、工場の管理や複雑なアルゴリズムの構築などは、脳のメモリのほんの数パーセントを使えばバックグラウンドで自動処理できてしまう程度の単純作業に過ぎない。

 余りある思考の余白を埋めるため、彼は猛烈な勢いで地球の娯楽コンテンツを消費していた。

 

「……なるほど。ここでヒロインの父親が倒れるのか」

 

 創一は、一瞬で数ページをスキャンするように読み進めながら、独りごちた。

 読んでいたのは、現代日本を舞台にした医療ドラマ系の漫画だった。物語の中で、重要なキャラクターが突如として「ガン」を宣告され、家族が悲嘆に暮れるという、ドラマとしては王道の展開である。

 かつての彼なら、「まあ、よくあるお涙頂戴の展開だな」と適当に読み飛ばしていただろう。だが、今の彼の異常に発達した知性——あらゆる事象を「課題」と「解決策」に結びつけてしまうエンジニアとしての本能が、その漫画のワンシーンに強烈に反応してしまった。

 

「ガン細胞の増殖……か。

 要するに、遺伝子のコピーエラーを起こした細胞が、無限に増殖して正常な組織を破壊していくバグみたいなもんだよな。

 ……これ、俺のナノマシン技術でデバッグ(削除)できるんじゃないか?」

 

 創一は、漫画のウィンドウを画面の端にスワイプし、代わりに真っ黒なコンソール画面を呼び出した。

 彼の指が、何もない空間に投影された仮想キーボードの上で、目にも止まらぬ速さで踊り始める。

 タタタタタタタタッ!

 凄まじい打鍵音が司令室に響き渡る。

 

「オリジナルの『医療用キット』みたいに、DNAのテロメアをいじって全身の細胞を若い頃の初期状態にリセットするような、神様レベルのオーバーテクノロジーは俺には作れない。あれはブラックボックスが多すぎる。

 ……でも、前に作った外傷用の『バンドエイド』。あれのアルゴリズムを書き換えて、傷を塞ぐんじゃなくて、『特定の細胞を物理的に削り取って分解する』ことに特化させれば……」

 

 創一の脳内で、分子レベルのシミュレーションが高速で組み上がっていく。

 ガン細胞特有のタンパク質や代謝の異常をマーカーとして認識させ、そこにナノマシンを集中させる。そして、外科医のメスよりも精密に、ガン細胞だけを周囲の正常な細胞から切り離し、分解し、老廃物として体外へ排出するプロセス。

 

「……いける。理論上は完全にいけるぞ」

 

 彼は夢中になってコードを書き連ねていった。

 そして数時間の没頭の後、彼の手によって一つの新たな「プログラム」が完成し、司令室の奥にあるナノ工作機械へと送信された。

 

 ちょうどその時、司令室の重厚な扉が開き、一人の男が入ってきた。

 内閣官房参事官、日下部である。

 彼はいつものように革鞄を抱え、日々の激務と世界中の謀略の調整によって刻まれた深い疲労の隈を目の下に浮かべながら、テラ・ノヴァの冷たい空気を吸い込んだ。

 

「よし、出来た! 出来ましたよ! 日下部さん!」

 

 部屋に入るなり、創一が満面の笑みでソファから飛び起き、バンザイのポーズで日下部を出迎えた。

 そのあまりのテンションの高さに、日下部はビクッと肩を震わせ、無意識にポケットの胃薬に手を伸ばした。

 

「……工藤さん。主語が抜けてますよ」

 

 日下部は努めて冷静なトーンで、深い溜め息と共に尋ねた。

 この男が「出来た」と無邪気に笑う時、それは決まって地球の常識を根底から破壊するようなオーパーツが誕生した瞬間である。

 

「それで……。今度は、何が出来たんですか?」

 

「いやー、さっきまで暇つぶしに漫画を読んでたんですよ」

 

 創一は、空中に浮かぶタブレットの画面を日下部に見せた。

 そこには、病室で涙を流すキャラクターの絵が映っている。

 

「その漫画でね、ヒロインの親がガンになって倒れるっていう展開が出てきたんですよ。

 それを見てたら、ふと閃きまして。俺が前に作った外傷治療用の『バンドエイド』……あれを、ガン治療が出来るように改造してみようって思ったんです」

 

「ガン……ですか」

 

 日下部の顔から、スッと血の気が引いた。

 

「ええ!

 結構アルゴリズムの調整が難しかったんですけどね。正常な細胞を傷つけずに、ガン細胞だけをピンポイントで見つけ出して処理するっていうのが。

 でも、俺の超天才頭脳をフル回転させたら、それがやっと出来たんですよ!」

 

 創一は、自慢げに胸を張った。

 日下部は、持っていた革鞄を落としそうになるのを必死に堪え、目を見開いて創一を凝視した。

 

「……ガン治療が出来るバンドエイド、ですか?」

 

「ええ。まあ、傷に貼るバンドエイドとは用途が違うんで、名前は変えないとですね。

 そうだなぁ……ガン細胞を消し去るんだから、『消しゴム君』とでもしましょうか!」

 

「け、消しゴム君……」

 

 人類が有史以来、どれほどの予算と時間を費やし、どれほどの血の涙を流して克服しようと挑んできた「不治の病」。

 その特効薬に名付けられた名前が、あまりにも気の抜けた、文房具のようなネーミングであることに、日下部は眩暈を覚えた。

 

「とりあえず、理論上はガンを治療出来るナノマシンですね。

 ……ただし、日下部さん。これには明確な『制限』があります」

 

 創一は、少しだけ真面目な顔になって人差し指を立てた。

 何でもできる魔法の薬ではない、ということを説明するためだ。

 

「制限として、このナノマシンが有効なのは『固形で、場所が比較的はっきりしているガン』に限られます。

 さらに、事前にMRIやPET検査なんかで、ガンの場所をある程度『特定』してから、そこにナノマシンを誘導する形で治療を行う必要があります」

 

 創一は空中に人体の3Dモデルを表示し、胃のあたりに赤いマーカーを点滅させた。

 

「オリジナルの『医療用キット』みたいに、適当に注射したら勝手に全身をスキャンして、病気も老化も全部治して若返る……なんていうチートみたいな真似はできません。あれと比べたら、俺が作ったこいつは不便でポンコツな『ゴミ』みたいなもんですけどね。

 まあ、今の俺の技術力で1から作るとなると、これが限界ですね」

 

 自分の作品を「ゴミ」と卑下する創一に対し、日下部は呆然としたまま首を横に振った。

 

「……なるほど。オリジナルほどは万能ではないが……という感じですね」

 

 日下部は、その「制限」の意味を即座に脳内で咀嚼し、そして震える声で結論を口にした。

 

「それでも……現代医療から見れば、それは紛れもない『奇跡』と言っていいでしょうね」

 

 副作用のない、確実なガン細胞の除去。

 抗がん剤による凄惨な苦しみも、外科手術による肉体的な欠損も、放射線治療のリスクも、全てを過去の遺物にする技術だ。

 たとえ部位が限定されようとも、それが人類にもたらす恩恵と、社会に与えるインパクトは計り知れない。

 

「でもね、日下部さん。これ、大きな問題が一つあるんです」

 

 創一は頭を掻きながら、困ったような顔をした。

 

「このナノマシン、患者の体格やガンの位置、進行度合いに合わせて、俺が毎回『個別にプログラミング』してパラメータを調整してやらないと、安全に動かないんですよ。

 俺がマニュアルで制御する手間があるんで……正直、そんなに大量生産して世界中に『ばら撒ける』ような代物じゃないと思うんですよね」

 

「……個別プログラミングが必要、ですか」

 

「ええ。まあ、言ってみれば実験的な『消しゴム君MK1』です。

 後々は学習AIとかを組み込んで、地球の医者でも簡単に設定して制御出来るようにバージョンアップするつもりですけど……。今はまだ、俺が毎回手作業で制御してやらないとダメな感じです」

 

 創一の言葉を聞き、日下部の脳裏に猛烈な速度で政治的な計算が走り始めた。

 

「工藤さんが制御する必要がある手間がある、と。

 ……なるほど。それは、ばら撒けませんね」

 

 日下部の口元に、微かな、しかし確かな「安堵」の笑みが浮かんだ。

 もしこのガン治療薬が、工場で無限に量産され、誰でも簡単に使えるものであったなら、それはそれで世界経済と医療システムを完全に破壊するパンドラの箱になっていただろう。

 だが、「工藤創一の手間がかかる」という物理的なボトルネックがあるのなら、話は別だ。

 供給量を絞ることができる。

 希少価値を維持できる。

 それはつまり、「新たな外交カード」として、日本政府の完全なコントロール下に置くことができるということを意味していた。

 

「……工藤さん。その『消しゴム君』のサンプル。

 とりあえず、日本政府で持ち帰りさせて下さい!」

 

 日下部は、革鞄をしっかりと握り直し、強い口調で言った。

 

「了解です!

 じゃあ、よろしくお願いします! 俺は次のロケットの準備があるんで!」

 

 創一はケースに入った数本のインジェクターを日下部に手渡すと、再び軽快な足取りでコンソールの前へと戻っていった。

 日下部は、その銀色のケースを胸に抱きかかえるようにして、一刻も早く地球へ戻るべく、ゲートへと踵を返した。

 

          ◇

 

 数時間後。

 東京都千代田区永田町、首相官邸。

 その地下五階に設けられた『特別情報分析室』の分厚い扉が閉ざされ、電子ロックが掛かる。

 

「『位相干渉装置(ジャマー)』、オン!」

 

 日下部が手元のスイッチを入れると、部屋全体が重低音に包まれ、外部からのあらゆる盗聴やスキャンが完全に遮断された絶対の密室が完成した。

 円卓を囲むのは、副島内閣総理大臣をはじめとする主要閣僚と、各情報機関のトップたちだ。

 突然の深夜の緊急招集に、彼らの表情には疲労と緊張が浮かんでいる。

 

「ジャミング、正常に作動中。

 ……というわけで皆様、緊急ですが会議を始めます」

 

 日下部は、テーブルの中央に銀色のケースを置き、ゆっくりと蓋を開けた。

 中に収められているのは、無機質なデザインのインジェクターだ。

 

「先程、テラ・ノヴァから帰還したのですが……。

 工藤創一氏が、新たなナノマシン製剤を開発いたしました。

 ……がん治療用ナノマシン、通称『消しゴム君』です」

 

「おっ……!」

 

 その言葉が落ちた瞬間、会議室に抑えきれないどよめきが走った。

 

「ガン治療だと……?」

「いずれあの男ならやるだろうとは思っていたが、それにしても早かったな……!」

「ガン細胞だけを破壊するナノマシン……! ついにその領域に踏み込んだか!」

 

 防衛大臣や経済産業大臣が、身を乗り出してケースの中のインジェクターを凝視する。

 現代人にとって、ガンは依然として死の恐怖を象徴する最大の病魔である。それを治療できるという事実が持つ重みは、彼ら権力者であっても例外ではない。

 

「ええ。ただし、これは魔法の薬ではありません。明確なスペックと限界が存在します」

 

 日下部はタブレットを操作し、スクリーンに詳細なデータを表示した。

 

「工藤氏からの報告によれば、適応対象の基本は以下の通りです。

 『ある程度の固形がんが主対象』。

 『初期〜中期、もしくは局所性が比較的明確な腫瘍に強い』。

 代表的なものとしては、肺がん、胃がん、大腸がん、肝がん、乳がん、腎がん、前立腺がん、皮膚系の腫瘍……などが扱いやすいとのことです」

 

「なるほど。塊になっているガンなら、削り取れるということだな」

 

 厚生労働大臣が、専門的な視点で頷いた。

 

「逆に、工藤氏が『多分駄目だ』と言っていた非主対象、あるいは制限対象のガンの一覧がこちらです」

 

 スクリーンに新たなリストが表示される。

 

「『白血病などの血液系がん』。

 『全身転移が進んだ症例』。

 『脳深部・神経密集部位の腫瘍』。

 『骨髄浸潤を伴うケース』。

 『全身状態が極端に悪い患者』。

 そして、『がん種の境界が曖昧で、正常組織との識別が難しいケース』」

 

 日下部はリストを読み上げた後、総括するように言った。

 

「……要するに、『固形で、場所が比較的はっきりしているものに強い』というのが、このナノマシンの特性です。全身に散らばったものや、複雑に入り組んだものまでは、今のアルゴリズムでは安全に処理しきれないということです」

 

「いや、それでも革命的だな……」

 

 副島総理が、深く息を吐き出しながら呟いた。

 

「確かに万能ではないかもしれない。

 だが、早期発見された固形ガンを、手術も抗がん剤の副作用もなしに、ナノマシンで確実に消去できる。

 ……これは人類の医療史において、間違いなく素晴らしい偉業なんじゃないか?」

 

「ええ、技術としては文句のつけようがないほど素晴らしいものです」

 

 日下部は総理の言葉を肯定しつつも、眼鏡の奥の瞳を冷たく光らせた。

 

「ですが、皆様。

 結論から申し上げますと……これは量産して、世界中、あるいは国内に広く『ばら撒く』ことはできません」

 

「なぜだ?」

 

 財務大臣が眉をひそめて尋ねた。

 これほどの特効薬であれば、国家プロジェクトとして大々的に売り出せば、莫大な国益を生むはずだ。

 

「理由は二つあります」

 

 日下部は指を二本立てた。

 

「一つ目は、先ほども触れましたが、このナノマシンは患者一人ひとりのガンの状態に合わせて、工藤氏自身がマニュアルでプログラミングしてやる必要があるからです。

 つまり、患者が千人いれば、工藤氏が千回作業をしなければならない。

 宇宙開発に忙しい彼に、地球のガン患者の治療にかかりきりにさせるわけにはいきません。物理的に対応可能な人数には、極めて厳しい上限があります」

 

「ふむ……。属人性が高すぎるというわけか。それは仕方がないな」

 

「そして、二つ目の理由。こちらの方が、政治的には重要です」

 

 日下部の声が、一段と重みを増した。

 

「もしこの薬が市場に広く出回れば、既存のガン治療に関する医療インフラ、製薬業界、そして研究機関が……壊滅的な影響を受けるためです」

 

「ああー……」

 

 厚生労働大臣が、頭を抱えるようにして天を仰いだ。

 

「言われる『ガン利権』というヤツだな?」

 

「まあ、ガン利権という言葉は陰謀論めいていて品がないので言い過ぎだと思いますが、訂正したいですが……まあ、概ねその通りです」

 

 日下部は自嘲気味に笑った。

 

「抗がん剤の開発に投じられた数兆円という莫大な研究費。世界中の製薬会社の収益構造。高度な放射線治療機器のメーカー。そして何より、ガン治療に携わる無数の医師や医療従事者たちの雇用。

 ……それらが、この『消しゴム君』という一本の注射器によって、一夜にして無価値になるのです。

 社会的なハレーション(摩擦)は、アメリカのメドベッド騒動の比ではありません。医療経済が崩壊し、大規模なパニックと失業を引き起こします」

 

「……なるほど。良い薬だからといって、無計画にばら撒くわけにはいかないということか」

 

 総理が渋い顔で頷いた。

 技術の進歩が早すぎると、社会のシステムがそれに適応できずに自壊してしまう。政治家として、そのリスクは絶対に避けなければならない。

 

「ばら撒くにばら撒けない、か。

 だが、手元にあるこの奇跡を、ただ金庫に眠らせておくのも惜しい」

 

 官房長官が、テーブルの上のケースを見つめながら言った。

 

「さて、どう運用するかだが……。

 とりあえず、本当に工藤氏の言う通りの効果があるのか、実験台(テストケース)が必要だな……!」

 

「工藤氏曰く、とりあえず実際のガン患者でテストしたいとのことですが……」

 

 日下部が提案すると、副島総理が即座に決断を下した。

 

「まあ、工藤氏の作ったものだ。安全性は大丈夫だろう。

 日本政府の関係者、あるいはその身内で、適応条件に合う固形ガンの患者を極秘裏に探せ。

 そして、全てを説明した上で、本人の承諾のもとで実験しよう。

 ……それで問題がなさそうなら、あくまで『極めて特殊な自由診療』という名目で、超富裕層向けに販売する形としたいが……」

 

 総理は円卓の閣僚たちを見回した。

 

「これ、いくらにする?」

 

 価格設定。

 それは、この薬の社会的な位置づけを決定する最も重要な要素であった。

 

「あまり安くして大衆の手の届く価格にすれば、希望者が殺到してしまい、既存のガン治療の現場にパニックと影響が出ても困る。

 先ほど日下部くんが言った通り、医療経済を急激に破壊するわけにはいかん」

 

 総理は腕を組み、思案した。

 

「それに加えて、だ。

 安くし過ぎて患者が殺到し、工藤氏の稼働時間……つまりプログラミングの手間が日本向けの治療で増えてしまっても困る。

 彼には、テラ・ノヴァの工場拡張と宇宙開発に専念してもらわなければならないのだからな」

 

「つまり、希望者を物理的に『ふるいにかける(スクリーニングする)』ための、高すぎるハードルが必要ということですね」

 

 財務大臣が、冷徹な計算に基づいて口を開いた。

 

「一部の超富裕層、あるいは国家の重要人物しか手が出せない価格。

 それでいて、命を金で買えるギリギリのライン……」

 

「とりあえず、そうだな」

 

 副島総理が、静かに、しかし決定的な数字を口にした。

 

「5億円にするか」

 

「……5億円、ですか」

 

「ああ。治療費として、1回5億円だ。

 これなら、一般市民は到底手が出せない。既存の医療インフラを脅かすこともない。

 そして、この金額をポンと出せるような人間は、社会的な影響力や資産を持つ『我々にとって利用価値のある人間』に限られる」

 

 総理の口元に、政治家特有の冷酷な笑みが浮かんだ。

 

「5億円払ってでも命を助けてほしいというVIPをリストアップし、審査する。

 金だけでなく、その人間を救うことが国益にかなうかどうかを我々が判断するのだ。

 ……これは単なる医療ではない。日本政府が世界の有力者たちに恩を売り、コントロールするための『新たな首輪』だ」

 

「なるほど……。

 あの『不老不死のオリジナルキット』ほど劇的ではありませんが、ガンという恐怖を取り除けるのであれば、5億円でも安いと感じる富裕層は山ほどいるでしょう」

 

 日下部が深く頷いた。

 

「少数限定の超高級医療サービス。

 これなら、工藤氏の手間も最小限に抑えられ、我々も莫大な裏金(プロジェクト資金)と外交的なコネクションを手に入れることができます」

 

「了解しました。では、とりあえず実験からですね!」

 

 日下部は、銀色のケースの蓋をパタンと閉じた。

 漫画のワンシーンから生まれた、一人の天才の暇つぶし。

 それが今、「5億円の消しゴム」として、世界の権力者たちの命を値踏みする究極のアイテムへと変貌を遂げた瞬間であった。

 

 地下の密室に、ジャミング装置の低い駆動音だけが響き続けている。

 日本の官僚たちは、また一つ、世界を裏から支配するための強力なカードを手札に加えたのだ。




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