自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~ 作:パラレル・ゲーマー
アメリカ合衆国バージニア州アーリントン郡。
世界最強の軍事機構の中枢である国防総省本庁舎――通称「ペンタゴン」。その巨大な五角形の建物の、さらに地下深部へと向かう専用エレベーターの中で、国家地理空間情報局(NGA)の軌道解析官アーサー・ペンドルトンは、じっとりと手のひらに滲む冷や汗をスーツのズボンで拭っていた。
昨夜から一睡もしていない。急遽用意されたであろう借り物のダークスーツは、彼の痩せ型の肩幅に合っておらず、袖口も微妙に短い。首を絞めつけるネクタイの結び目ばかりが気になり、何度も指で直そうとしては諦めるという動作を繰り返していた。
彼が現在直面しているのは、学術会議の壇上に立つ緊張とは全く異質の、生存本能を脅かされるような強烈なプレッシャーであった。
一方で、彼の隣に立つドクター・ロックウェルは、この異常な空間にあっても全く空気を読んでいなかった。
シワだらけの白衣をだらしなく羽織り、寝癖のついた頭を掻きむしりながら、手元のタブレットで何やら数式を追い続けている。その姿は、ペンタゴンの地下というよりは、大学の地下研究室からそのままワープしてきたかのようだ。
「……博士。我々は、本当にこれから『そこ』へ行くのですか?」
アーサーが震える声で尋ねると、ロックウェルはタブレットから目を離さずに、ニヤリと片方の口角を上げた。
「おめでとう、ペンドルトン君。君はついに、“正しい観測結果を出したせいで偉い人間に嫌われる世界”へ来たのだよ」
「……ちっとも嬉しくありません」
エレベーターが地下の最深層で停止し、重厚な金属扉がスライドして開いた。
そこから先は、アーサーがこれまで経験したことのない、狂気じみたセキュリティチェックの連続だった。
廊下には等間隔で、完全武装の海兵隊員が無言で立ち並んでいる。彼らの目は、アーサーたちを「招かれざる不審者」として冷酷に値踏みしていた。
IDバッジの照合は二重、三重に行われ、網膜スキャンと静脈認証をパスする。スマートフォンはおろか、金属製のボールペン、さらにはアナログの腕時計すらも没収された。
アーサーはようやく、自分の見つけた『重力異常のデータ』が、単なる「研究の成果」や「システムのバグ報告」ではなく、この国の屋台骨を揺るがす「不都合な真実」なのだと、骨の髄まで実感し始めていた。
案内されたのは、通常の将官用会議室ではなく、さらに奥に隠された窓のない特別ブリーフィング・ルームだった。
分厚い防音扉が開かれ、アーサーが足を踏み入れた瞬間、部屋の空気に押し潰されそうになった。
円卓を囲む顔ぶれが、明らかに異常だったからだ。
制服の胸に星を輝かせた宇宙軍大将。
国家偵察局(NRO)の最高幹部。
アーサーの遥か上司にあたるNGAの上級分析官。
国家安全保障局(NSA)の長官。
そして、氷のような碧眼でこちらを値踏みするCIA長官、エレノア・バーンズ。
国防次官級の文官たちが渋い顔で手元の資料に目を通している。
だが、アーサーが最も異質に感じたのは、部屋の端――メインの照明から少し外れた光の届かない位置に、深くソファに腰を下ろしている一人の青年の存在だった。
公式の軍服も着ておらず、政府高官のバッジも下げていない。ただの民間人のように見えるその若者は、タイタン・グループのノア・マクドウェルであった。
彼は公式な肩書きのない「オブザーバー」扱いに過ぎないはずだが、この部屋にいる誰一人として、彼の存在に異議を唱える者はいない。それどころか、将官たちでさえ、無意識のうちに彼へ視線を向け、その顔色を窺っているように見えた。
アーサーはそこで初めて、この会議が単なる軍の作戦会議などではなく、もっとドロドロとした、世界を裏から操る“汚いもの”の領域なのだと察した。
部屋の空気は最悪だった。
早朝、あるいは深夜に叩き起こされた権力者たちの苛立ちが、目に見えるほどの濃度で充満している。
「……それで? 衛星の軌道残差(ノイズ)ごときで、我々を叩き起こしたのかね」
宇宙軍の大将が、不機嫌さを隠そうともせずに吐き捨てた。
「我々は学者遊びに付き合っているほど暇ではない。テロの兆候か、中露の軍事衛星の異常軌道ならともかく、ただのデータのバグ報告なら、NGAの内部で処理したまえ。五分で終わらせろ」
威圧的な視線が一斉にアーサーに突き刺さる。
この部屋において、彼は完全に格下の、取るに足らない末端の分析官でしかなかった。
「は、はい……。あの、私が発見したのは、その……」
アーサーは極度の緊張から声が上ずり、手元の資料を落としそうになった。だが、ロックウェル博士が横から無言で彼の背中をドンと強く叩いた。
その物理的な痛みが、アーサーの思考を「恐怖」から「科学者としての執念」へと強制的に切り替えさせた。
「……失礼しました。ご説明いたします」
アーサーは息を深く吸い込み、コンソールを操作して、壁面のメインスクリーンにデータを投影した。
表示されたのは、極めて複雑な軌道残差のグラフと、衛星の姿勢制御ログ、そしてNOAA(海洋大気庁)の高層気象データだ。
数字の海。彼が最も愛し、最も信頼する領域。それに触れた瞬間、アーサーの口調から吃りは消え、流暢で精密な機械のようなトーンへと変わった。
「これは、過去数日間にわたり、日本近海上空を通過した複数の偵察衛星および環境観測衛星から取得されたテレメトリ・データです。ご覧の通り、特定の空域を通過する際、衛星の軌道にミリ秒単位の『滑り』……すなわち、説明のつかない重力異常による軌道残差が連続して発生しています」
「太陽放射圧の計算ミスだろう」
即座に、NROの幹部が冷ややかに割り込んだ。
「低軌道衛星の微細なズレなど、太陽フレアの影響や大気の膨張でいくらでも起こり得る。それをいちいち拾い上げていてはキリがない」
「太陽活動のパラメータは最新の観測データで補正済みです」
アーサーは、間髪容れずに別のグラフをオーバーレイさせた。
「同時刻にヨーロッパ上空および南米上空を通過していた同型の衛星群のログです。こちらには一切の軌道異常は見られません。太陽放射圧の影響であれば、地球規模の大気層に相関関係が現れるはずですが、それは棄却されます」
「ならば潮汐誤差だ。日本近海特有の、海底地形や黒潮の影響が重力モデルにノイズを与えているに過ぎん」
NGAの上級分析官が、部下の暴走をたしなめるように言った。
「それも検証済みです。潮汐モデルの季節差を考慮したシミュレーションでも、この波形は再現しません。異常の中心は海面(地殻)に固定されておらず、明らかに『上空』に存在しています」
「……単なるソフトウェアの更新の差分ではないのか?」
「異なる製造ロット、異なる観測系の衛星群――光学偵察衛星から海洋観測衛星に至るまで、全く別系統のシステムにおいて、同時刻、同座標で完全に一致した残差が検出されています。ソフトウェアのバグで片付けることは数学的に不可能です」
アーサーは、投げかけられる軍人たちの「常識的な反論」を、手持ちのデータと圧倒的な検証結果によって、一つ、また一つと確実に潰していった。
彼は派手な天才ではない。だが、「誰もが誤差としてゴミ箱に捨てた数字を、決して捨てられなかった男」としての病的なまでの執念が、この場にいる権力者たちの逃げ道を塞いでいく。
「日本の民間衛星や、地上施設の強力な電磁ノイズが干渉した可能性は?」
「姿勢制御ジャイロの磁気センサーには異常は記録されていません。純粋な『重力勾配の歪み』による物理的な軌道変化です」
一歩も引かないアーサーの防戦に、会議室の空気が徐々に変わり始めた。
ロックウェル博士は横でほとんど何も喋らない。ただ、薄汚れた白衣のポケットに両手を突っ込んだまま、時折、アーサーが提示したグラフの特異点をレーザーポインターで無言で丸く囲んでみせる。
そのわずかなアシストが、アーサーの説明が「若手分析官の妄想」ではなく、DARPAの異端の天才によって「検証され、裏付けられた事実」であることを、将官たちに強烈に意識させていた。
「……それで?」
CIA長官エレノア・バーンズが、初めて口を開いた。その声は氷のように冷たく、しかし事態の核心をえぐる鋭さを持っていた。
「その『誤差』が、何を意味しているのか。結論を聞かせなさい」
アーサーは一つ頷き、スクリーンに映し出されたデータを、三次元の立体マップへと変換した。
日本列島を中心とした極東の空。
そこに、周囲の空間から浮き上がるように、ぽっかりと空いた「見えない異常の中心」が、赤いワイヤーフレームの球体としてプロットされた。
「……この異常な重力ノイズは、最初は東京都の新宿上空、高度約五千メートル付近に数日間にわたって停滞していました。そしてその後、太平洋沖へと猛烈な速度で移動し、現在は洋上で静止、あるいは微速で巡航しています」
会議室のざわめきが、完全に止んだ。
「レーダーには、何も映っていません。赤外線センサーも、完全に沈黙しています」
アーサーは、言葉を区切りながら、静かに、しかし絶対的な確信を持って断言した。
「ですが、衛星の軌道だけは嘘をつけない」
彼はスクリーンを指差し、さらに一拍置いて、とどめの言葉を放った。
「これは、単純な質量異常ではありません。局所的な重力勾配そのものが、移動しながら動的に再構成されているのです。
……問題は、そこに“巨大な物体”がいることではありません。
問題は、そこに“重力をいじっている何か”がいるということです」
シン、と。
防音室の空気が、真空になったかのように凍りついた。
それまで腕を組み、不機嫌そうにしていた将官たちの顔色が、一瞬にして青ざめ、あるいは驚愕に引き攣った。
「……ば、馬鹿な。重力を操作するだと?」
「中国の新型ステルス機か? いや、それにしては質量が大きすぎる」
「ロシアが極秘裏に開発したプラズマ・ステルス技術の実験機ではないのか?」
「日本の上空だぞ! 我が軍の早期警戒網や、横田基地のレーダーが完全に見落とすはずがないだろう!」
軍人たちは、パニックを抑え込むように、自らの知る「現代兵器」の枠組みの中で、必死にこの現象を説明しようと議論を始めた。
だが、その中で一人だけ、全く別の次元からこの事態を理解し、戦慄している者がいた。
エレノア・バーンズである。
彼女は、将官たちのように「どこの国の新兵器か」などという低レベルな推論は行っていなかった。
彼女の脳裏には、これまでに日本からもたらされた、常軌を逸したオーバーテクノロジーの数々が、猛烈な勢いでフラッシュバックしていた。
ガン細胞だけを物理的に切除する『消しゴム君』。
血液を完全に浄化する『ザルすくい君』。
戦車の砲弾を弾き返し、歩兵を無敵の要塞に変える『26式装甲戦闘服』。
アメリカ全土の密室の会話を拾い上げ、ロシアの工作網を無力化した広域監視網『グラス・アイ』。
そして、深海から無尽蔵に湧き出すレアメタルと、高効率なウラン濃縮プロセス。
これら全てを産み出している、極東の地下に潜むという「魔法使い(アンノウン)」。
その存在を前提とすれば、今回の「見えない重力異常」が、他国の実験機などであるはずがない。
点と点が、一本の太く、恐ろしい線へと繋がった。
(……まさか。彼らは今度は、『空』にまで手を伸ばしたというの……?)
エレノアの背筋を、氷の刃がなぞるような悪寒が走り抜けた。
彼女だけが、この事態が単なる新兵器の発見ではなく、アメリカが根本的に後れを取っていることの絶対的な証明であることに気づいていた。
だが、彼女はすぐには口を開かなかった。その沈黙が、逆に部屋の緊張感を異常なまでに高めていく。
喧騒と混乱が渦巻く中、部屋の片隅、光の届かない場所から、静かな、しかしひどく優雅な声が響いた。
「……素晴らしい」
ノア・マクドウェルだった。
彼はソファに深く寄りかかったまま、スクリーンに映し出された重力残差の航跡を、まるでルーヴル美術館で世紀の名画を鑑賞するかのような、うっとりとした恍惚の表情で見つめていた。
その場違いな一言に、会議室の空気が一瞬ピタリと止まった。
「……何が素晴らしいと言うのだ、マクドウェル氏」
宇宙軍の大将が、苛立ちを隠せずに凄んだ。
「我々の防空網が完全に無力化され、得体の知れない巨大質量が同盟国の首都上空を我が物顔で飛び回っているのだぞ。これが脅威でなくて何だと言うのだ!」
ノアは、怒れる大将を冷ややかな青白い瞳で見つめ返し、ゆっくりと首を横に振った。
「いえ。ただ、あの方がまた、我々の陳腐な想像力と期待を裏切らなかったという事実が……たまらなく美しく思えただけです」
その言葉の意味を、アーサーには理解できなかった。
この部屋にいる全員が「国家の危機」や「失態」として青ざめている中で、ノアという若き怪物だけが、そのオーバーテクノロジーの産物を「完成した芸術」として讃え、純粋に歓喜しているのだ。
「ふざけるな!」
NSAの長官が机を叩いた。
「直ちに太平洋艦隊を展開し、当該空域の徹底的な追尾監視を行え! 高高度偵察機(U-2)と無人機(グローバルホーク)を飛ばし、何らかの反応を引き出すための電波照射(挑発)も辞すな!」
「必要とあれば、友軍IFF(敵味方識別装置)の照会を行い、応じなければサイバー空間からの侵入を試みろ。日本政府に対しても、公式な外交ルートで事実確認の照会を急がせろ!」
「場合によっては、電子戦機によるシステムダウンを狙い、海上で『捕獲』するための選択肢(オプション)も直ちに検討に入るべきだ!」
軍のトップたちは、まだ自分たちが「世界最強の軍隊」であり、いかなる未確認の脅威に対しても主導権を握っているという前提(プライド)にすがって、次々と強硬策を口にし始めた。
だが、その勇ましい言葉の連なりを、ノアの氷のような冷笑が一刀両断にした。
「……捕獲?
本気でそうお考えですか、将軍方」
ノアは笑っていた。だが、その目は全く笑っていない。
獲物を哀れむ捕食者のような、絶対的な温度の低さがあった。
「あの『消しゴム』と『ザル』で世界の権力者の寿命を握り、パワードスーツで現代戦の常識を泥に塗れさせ、監視網で我々を含む大国の影を全て暴き出した相手ですよ?
そして今度は、重力を操作して空を支配した。……そんな相手に対して、貴方たちはまだ『捕獲』などという、傲慢で旧世代的な単語を使えるのですね」
ノアの言葉に、軍人たちの一部がハッとして口を噤んだ。
彼らもまた、日本の「神の薬」や「監視システム」の恩恵にあずかっている(あるいは、その恐怖を知っている)者たちだ。その技術の源泉が、もしあの空の上の『見えない何か』と同じものであるならば。
「あれは『兵器』ではない」
ノアは、スクリーンを見上げながら、どこか敬虔な響きすら帯びた声で言った。
「兵器という言葉は、まだ我々の文明の延長線上にあるものへ使う語です。
あれは……『到達点』ですよ。我々人類が数百年かけてたどり着くべき未来の姿が、すでに完成してそこにあるのです」
その言葉は、軍人たちのプライドを完全に粉砕するのに十分だった。
場が完全に崩壊し、パニックに陥りそうになったその時、エレノア・バーンズがスッと立ち上がり、場を仕切った。
彼女は一切のロマンや感情を排し、極めて実務的に、そして冷酷に現状を整理し始めた。
「……皆様、冷静になってください。マクドウェル氏の言う通りです。現状における強硬策は、自殺行為に他なりません」
彼女の声が、会議室の温度をさらに下げる。
「現時点で、当該目標は我々に対するいかなる敵対行動も取っていません。我々には、それを視認することも、追尾することも、迎撃することすら不可能です。
……もし下手に触れて、彼らの逆鱗に触れればどうなるか。我々の無力さと、軍事的優位性の喪失が、世界中に露呈するだけです」
エレノアは、円卓を囲む政府高官と将官たちを一人一人、鋭く見据えた。
「それに我々はすでに、医療、情報、安全保障のあらゆる面において、日本という国に深く依存してしまっています。今更彼らを敵に回すという選択肢は、アメリカ合衆国の崩壊を意味します」
彼女は最後に、この会議における最も重く、最も絶望的な結論を口にした。
「我々は今、未知の敵に直面しているのではありません。
我々は、同盟国が我々より遥か先の時代へ進んでしまった……という、絶対的な『事実』に直面しているのです」
その宣告により、会議室の空気は完全に変わった。
中国の秘密兵器だ、ロシアの実験機だと言い張って現実逃避をしようとしていた軍人たちも、「日本」という明確な答えを突きつけられ、圧倒的なテクノロジー格差という現実の重圧に押し潰された。
誰も、反論できなかった。
アーサー・ペンドルトンは、その重苦しい沈黙の中で、ようやく自分が何をしでかしたのかを理解し始めていた。
彼は「未知の現象を発見した功績」を立てたのではなかった。
彼は、世界最強を自負するアメリカ合衆国の軍事トップたちに、「誰も認めたくなかった絶対的な敗北の証拠」を、わざわざお盆に乗せて持ち込んでしまったのだ。
この部屋にいる人間の中で、純粋に「科学的な真理」を追求していたのは、彼一人だけだった。
他のすべての人間は、このデータを権力、支配、従属、そして依存という「政治の文脈」でしか見ていない。
真実が明らかになることが、必ずしも歓迎されるわけではない。国家の威信を傷つける真実は、闇に葬られるべき厄災なのだ。
「……だから言っただろう、ペンドルトン君」
隣に立つロックウェル博士が、誰にも聞こえないような小さな声で囁いた。
「正しいデータは、時々、国家よりも危険なんだよ」
会議の最終的な結論は、驚くほど地味で、そしてそれゆえに恐ろしく重いものだった。
「本案件は、『EYES ONLY(閲覧者限定)』の最上位機密に格上げとする」
国防次官が、鉛のような声で決定事項を読み上げる。
「日本政府への公式照会は当面見送り。
目標に対する航空機や艦船による接近、および一切の電波照射(挑発)を厳禁する。
追加の観測は、NGAおよびNROの衛星軌道データのパッシブ解析のみに限定し、『観測していると悟られない範囲』でのみ実施すること。
……本件に関するいかなる情報の漏洩も、国家安全保障上の重大違反(反逆罪)として処理する」
それは、アメリカ合衆国という超大国が、「動けない」「手を出せない」ということを公式に認めた、事実上の降伏宣言であった。
軍人にとって、これほど屈辱的な決定はない。彼らは皆、奥歯を噛み締め、俯いたままその決定を受け入れた。
ただ一人、ノア・マクドウェルだけが、どこか満足げに微笑んでいた。
「……賢明です」
彼は優雅に立ち上がり、ジャケットのボタンを留めた。
「下手に触れれば、我々はただ“格の違い”を思い知らされるだけでしょうから。我々は大人しく、極東の魔法使いが次に見せてくれる手品を、特等席で待つとしましょう」
会議は散会となった。
重苦しい空気の中、将官たちが足早に部屋を後にしていく。
廊下へと出たエレノアは、少し離れた場所を歩くノアに追いつき、声を潜めて語りかけた。
「……嬉しそうね、ノア」
「ええ。少し」
ノアは、歩みを止めずに青白い瞳を細めた。
「日本が、我々の制御を完全に離れたことが? それとも、あの兵器の圧倒的な力の前に、アメリカの軍部が完全に膝を屈したことが?」
エレノアの探るような問いに対し、ノアは少しだけ笑って答えた。
「最初から、あの方が我々の制御下にあったことなどありませんよ、長官」
彼の声には、絶対者への狂信にも似た響きが含まれていた。
「我々はただ、あの方の気まぐれな善意の近くに座ることを許されていただけです。……そして私は、その特等席を誰にも譲るつもりはありません」
エレノアは小さく息を吐き、足早に去っていく怪物の背中を見送った。
アメリカの対日戦略は、根底から再構築しなければならない。もはや「管理する」のではなく、「いかにして見捨てられないようにするか」というフェーズに入ったのだ。
一方。
誰もいなくなったブリーフィング・ルームで、アーサー・ペンドルトンは、セキュリティ部隊によって、首から下げていた仮バッジを無言で回収されていた。
端末へのアクセス権限も、先ほどの大統領令に近い指示によって、極めて限定的な「パッシブ観測要員」としてのものにダウングレードされた。
彼が徹夜で組み上げたデータは、誰かの論文に引用されることも、新聞のトップを飾ることも永遠にない。歴史の闇に葬られるのだ。
だが、帰り際。
彼はメインスクリーンにまだ微かに残像として残されている、一枚の重力残差マップを振り返って見つめた。
東京上空から太平洋の彼方へと移動していった、見えない異常の航跡。
それはもはや、アーサーにとって単なるノイズの集合体ではなかった。
空という巨大なキャンバスに、圧倒的な力を持つ者が書き殴った、鮮烈な「署名(シグネチャー)」に見えた。
(……そこに何が浮いているのか、私には分からない)
アーサーは心の中で静かに呟いた。
(ただ一つだけ、確かなことがある。
アメリカ合衆国は今日、初めて……『見えないもの』に完全に敗北したのだ)
彼は深く一礼し、自らの科学者としての敗北と、新たな時代の幕開けを受け入れながら、ペンタゴンの暗い地下廊下へと歩み去っていった。
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