自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~   作:パラレル・ゲーマー

138 / 209
第114話 数日後の重力残差、あるいは笑えない現実確認

 アメリカ合衆国バージニア州スプリングフィールド。国家地理空間情報局(NGA)の地下深層に設けられた閉鎖区画は、何日も入れ替えられていない人工的な乾燥した空気と、焦げ付いたブラックコーヒーの臭いが重く沈殿していた。

 主電源が落とされ、必要最低限の非常灯だけが灯る薄暗い室内で、アーサー・ペンドルトン上級解析官は、充血して真っ赤に染まった両眼をコンソールモニターに釘付けにしていた。彼の眼下には、民間航空機のフライトログ、NOAAの海洋潮汐モデル、そして複数の軍事偵察衛星が弾き出した膨大なテレメトリの生データが、無数のグラフと数値の羅列となって展開されている。

 

「……消えない」

 

 アーサーは、震える指先でキーボードを叩きながら、ひび割れた唇から空虚な声を漏らした。

 数日前、彼が上司に「妄想狂」と罵倒されながらも抽出したあの異常な軌道残差のデータ。それはDARPAの介入により国家最高機密へと格上げされ、アーサーはこの地下室に軟禁状態のまま、別系統のデータを用いた徹底的な再検証作業を強いられていた。

 彼は自らの手で自らの仮説を「間違いであった」と証明(デバンキング)するために、あらゆる物理的アプローチを試みた。太陽放射圧の計算モデルを最新の量子アルゴリズムで再構築し、大気密度の揺らぎをミリ単位で補正し、センサーの熱雑音までをも極限までフィルタリングした。

 

 だが、ノイズを削ぎ落とせば削ぎ落とすほど、その「影」はより鮮明に、より暴力的なまでの輪郭を伴ってデータの大海の中から浮かび上がってきたのだ。

 

「……やはり、出るか」

 

 背後から、ヨレヨレの白衣を羽織ったロックウェル博士が、誰に言うともなく低く呟いた。彼の手には毒々しい色のエナジードリンクが握られているが、それを口に運ぶことすら忘れたように、アーサーのモニターを凝視している。

 

「過去の幽霊ではないということだ、ペンドルトン君。君が数日前に見つけたあの異常値は、ノイズの蓄積でも機器の故障でもない。……つい先日、突如として東京の上空に巨大な重力異常が出現し、その後、信じられない速度で太平洋へと移動して静止した。その厳然たる『物理的痕跡』だ」

 

 ロックウェル博士の言葉に、アーサーは力なく頷くことしかできなかった。

 同時に、ワシントンD.C.のCIA本部において、長官エレノア・バーンズの堅牢なデスクの上には、各情報機関からの短い報告書が次々と積み上げられていた。

 『追加否定項目検証完了。自然現象としての説明は依然として不能。……完全な新規の飛行物体(あるいは巨大質量)と推測』

 エレノアは、その簡潔すぎるがゆえに恐ろしい文字列を、氷のように冷たい碧眼で静かに見下ろしていた。

 

 ◇

 

 ホワイトハウス、西棟(ウエストウイング)。

 第48代アメリカ合衆国大統領キャサリン・ヘイズは、大統領執務室(オーバル・オフィス)のレゾリュート・デスクに肘を突き、両手でこめかみを強く揉みほぐしていた。

 

 新大統領に課せられた重圧は、彼女の想像を遥かに超えていた。公聴会後の熱狂的な世論の処理、タイタン・グループとの裏の折衝、中国に対する牽制と世論誘導、そして火薬庫と化した台湾海峡の情勢把握。

 次から次へと押し寄せる国家安全保障上の課題は、彼女の睡眠時間を無慈悲に削り取り、元連邦検事としての強靭な精神力をもってしても、疲労の色を隠しきれない状態にまで追い込んでいた。

 

 だが、そんな数多の難題すらも些事に思えるほど、今、彼女の目の前に伏せられたまま置かれている一部の「再検証サマリー」のファイルが、最も重く、最も彼女の精神をゴリゴリと蝕んでいた。

 

 キャサリンは深く息を吐き出し、意を決してそのファイルを表に返した。

 前政権のウォーレンから引き継いだ「ディープステートファイル」の最新の追加項目。整然と印字された報告書の要点に、視線を落とす。

 

 ・本異常は単独衛星の計測誤差ではない。

 ・数日前、東京上空に突如出現し、その後太平洋上へと高速移動した同系統の重力勾配痕跡を確認。

 ・発生タイミングと、現地の航空機の乱気流報告、および局地的な気象異常が断続的に対応。

 ・自然現象、潮汐、太陽活動、海底地形、大気密度変動、観測系統誤差のいずれの要因を用いても、本現象を説明することは不足。

 

 そして、そのサマリーの最後の一文。科学者たちが、ありとあらゆる可能性を排除した末に、絶望と共に書き記した結論。

 

『——以上の再検証結果より、本現象は「未知の超巨大質量(推定数キロメートル)の移動」、もしくは「何らかの重力制御的な効果」が人為的に運用されていると仮定する方が、もはや合理的である』

 

「……」

 

 キャサリンは、その冷徹なテキストを見つめたまま、微動だにしなかった。

 最初の一報を聞いた時は、「SF映画の見すぎだ」と一笑に付す余裕がまだあった。だが、国家の最高頭脳たちが数日をかけて導き出したこの「再検証結果」は、もはや笑って流せる性質のものではない。報告書が更新されるたびに、逃げ場のない敗北感がじわじわと彼女の首を絞め上げてくる。

 

「……合理的、という言葉がいちばん嫌いだわ」

 

 キャサリンは、誰に聞かせるわけでもなく、ただ薄暗い執務室の空気に溶かすように呟いた。

 

「合理的って書かれた瞬間、それはもう、冗談じゃなくなるもの」

 

 重力を操作する、見えない数キロメートルの巨大な質量。それが日本の空を、そして太平洋を悠然と飛び回っている。その異常な事実が「合理的」であると国家の情報機関が結論づけたのだ。大統領としての彼女の権限も、正義感も、世界最強の軍隊も、その圧倒的な物理的暴力の前では何の意味も持たない。

 

「おはようございます、マダム・プレジデント」

 

 不意に、ノックの音と共に執務室の扉が開き、この重苦しい空気には全くそぐわない、極めて軽快で弾むような声が響いた。

 入室してきたのは、タイタン・グループの若き総帥、ノア・マクドウェルであった。完璧に仕立てられたスリーピースのスーツに身を包み、その端正な顔には、まるで待ちに待ったクリスマスプレゼントを開ける前の子供のような、抑えきれない高揚感が満ち溢れている。

 彼は優雅な足取りでキャサリンのデスクへと近づき、向かいのソファに腰を下ろした。

 

「……貴方、数日前の会議の時も随分と浮かれていたけれど、まだその調子なの?」

 

 キャサリンは、心底呆れ果てたような、疲労困憊の声で言った。

 目の前に座る若き怪物は、アメリカという国家が直面している未曾有の安全保障上の悪夢を、完全に極上の「娯楽」として消費している。

 

 ノアは、本気で不思議そうに小首を傾げた。

 

「だって、嬉しいじゃないですか」

 

 彼の青白い瞳が、窓から差し込む冬の光を反射して妖しく輝く。

 

「こちらの想像を、また軽々と上回ってきたんですよ? 医療用ナノマシンで我々の寿命を握り、空間レーダーで世界の密室を暴き、次世代の核開発でエネルギーの概念を壊した。それだけでも十分に芸術的だったというのに……彼らは今度は、空に『見えない巨大質量』を浮かべてみせた。人間の創造力と狂気の極致です。これが喜ばずにいられますか」

 

「私は、国家安全保障上の悪夢を読まされてるんだけど」

 

 キャサリンが、机の上のサマリーファイルを指先で苛立たしげに弾きながら冷たく返した。

 

「私は芸術作品の新作発表を見ている気分ですよ」

 

 ノアは悪びれる様子もなく、ふふっと楽しげに喉を鳴らした。

 

「……無視してください、大統領」

 

 その時、開いたままの扉から、音もなくCIA長官のエレノア・バーンズが入室してきた。彼女の表情は、ノアの狂騒とは完全に対極にある、極北の氷河のように冷たく、そして硬く強張ったものだった。

 

「彼は、あの極東の『日本の魔法使い』が引き起こす事象に対しては、常にこの異常なテンションなのです。まともに付き合っていても疲れるだけです」

 

 エレノアの口調には、驚きや焦燥はすでになかった。あるのは、ただ重くのしかかる圧倒的な「諦念」である。

 キャサリンも小さくため息をつき、姿勢を正した。

 

「分かっているわ。……それでは、始めましょうか」

 

 ◇

 

 数十分後。

 ホワイトハウス地下のセキュア・ルームにて、数日ぶりの「再検証結果レビュー会議」が極秘裏に開催された。

 参加者は極限まで絞り込まれている。キャサリン・ヘイズ大統領、エレノアCIA長官、ノア・マクドウェル。そして、技術的見地からの最終報告を行うために呼び出されたDARPAのロックウェル博士と、NGAのアーサー・ペンドルトン解析官。さらに、事態の重大性を考慮し、統合参謀本部のトップ数名だけが厳しい顔つきで円卓を囲んでいる。

 

 部屋の空気は、数日前にアーサーが最初の一報をもたらした時のような「驚愕」や「大声での反論」は完全に消え失せていた。誰もが押し黙り、ただ静かに、この「確定した絶望」をどう受け止めるかという、極めて事務的で葬儀のような段階に移行していた。

 

 ロックウェル博士が、ヨレヨレの白衣のポケットから手を出し、まず結論から切り出した。

 

「大統領。この数日間、我々はNGAの別チーム、さらにはNROやNSAの別系統の監視システムを総動員し、あらゆるデータセットを洗い直しました。

 ……結論から申し上げますと、状況は『悪化』しました」

 

「“悪化”って、そういう時に使う言葉なのね」

 

 キャサリンが、自嘲気味に口角を上げた。

 

「はい」

 

 ロックウェルは、一切の感情を交えずに頷いた。

 

「我々が僅かに期待していたような、センサーの誤検知やアルゴリズムのバグであるという可能性は、完全に消滅しました。これは厳然たる物理的現実です」

 

 ここで、隣に座るアーサー・ペンドルトンが、タブレットを操作してメインスクリーンに時系列の立体マップを表示させ、補足説明に入った。彼の声には、科学者としての静かな確信が満ちていた。

 

「数日前、突如として東京上空に巨大な重力異常が出現しました。そしてその後、信じられない速度で太平洋上へと移動し、現在は洋上で静止、あるいは微速で巡航しています。……データの推移から見て、これは既存の何かの見間違いなどではなく、間違いなく『テストフライト』、あるいは全く新しい超巨大構造物の『ロールアウト(実戦配備)』が行われた瞬間を捉えたものです」

 

「……つまり、日本はまた新しい化け物を空に放ったということね」

 

 キャサリンの呟きに、円卓の全員が重々しく頷いた。

 

 キャサリンは、手元に置かれた前政権からの引き継ぎ資料――日本が「深海から無尽蔵の資源を掘り出している」や、謎のナノマシン技術に関するレポートを思い出し、自らの頭の中でバラバラだった情報を整理し始めた。

 

「……秘密兵器じゃないわね」

 

 彼女の鋭い声が、静かな会議室に響いた。

 

「兵器なら、どこかの紛争地帯で使うか、あるいは威嚇のためにチラつかせるはずよ。でも彼らはそれをしなかった。突如として現れ、そして誰の目にも触れない洋上へと隠れた。

 ……これは、基地だわ。

 隠れて動ける、『基地』そのものよ」

 

 キャサリンの言葉に、軍のトップたちがハッとして顔を上げた。

 

「資料を見たけど……。深海から資源を掘り出し、ナノマシンを作り、今度は空に全長数キロの質量を浮かべている? ……これ、もしかして南鳥島沖に浮かべているという『深海の採掘船』すらも、カバーストーリーの可能性があるんじゃない? 新木場周辺の不自然な物流の集中も、海上での資源ロンダリングも、全て我々の目を地表に向けさせるための『見せるための影(デコイ)』だったのよ。

 だから今まで、我々の情報機関がどれだけ地下を掘り起こしても、怪しい工場の尻尾すら掴めなかった。

 ……彼らの本当の『基地(工場)』は、どこにあるの?」

 

 キャサリンが導き出したその完璧な論理展開を聞き、ノア・マクドウェルがたまらないといった様子で、嬉しそうに横から口を挟んだ。

 

「深海に秘密基地があると思ったら、実は空にあった。あるいは次元の狭間か。……ふふっ、とてもあの方らしい見事な幻惑(イリュージョン)です。我々はまんまと、彼らが用意した書き割りの舞台を一生懸命に監視させられていたわけですね」

 

 あまりにも楽しそうなノアの態度に、キャサリンは半ば本気で、呆れ果てたような声を出した。

 

「あなた、本当にファンなのね」

 

「かなり」

 

「かなりです」

 

 ノアの即答に被せるように、エレノアが深い溜め息と共に同意した。

 この絶望的な会議の場において、ノアの狂気じみた崇拝と、軍や政治家たちの悲壮感との間の温度差は、あまりにも激しく、そしてシュールであった。

 

 だが、キャサリンはすぐに現実に引き戻る。彼女は大統領として、この得体の知れない「空飛ぶ何か」がもたらす、最も恐ろしい、そして直視しなければならない「現実的な脅威」について問いたださなければならなかった。数日間の時間をおいたことで、彼女の質問は初期のパニックを通り越し、極めて具体的で冷徹なものとなっていた。

 

「……それで、博士。長官」

 

 キャサリンの冷たい声が、部屋の空気を一段と重くする。

 

「この『見えない基地』の、移動能力について聞かせて頂戴。それは、日本近海などの特定のエリアに限定されたものなの?

 太平洋を横断して、アメリカ本土上空に来ることは可能なの? もし来た場合、我が国の本土防空網で拾えるの?」

 

 その直球の問いに、統合参謀本部の将官たちの顔面からサッと血の気が引いた。

 

 ロックウェル博士が、手元のタブレットを置き、重々しく口を開いた。

 

「移動速度のデータから見て、地球上のどこへでも数十分……遅くとも一時間以内で到達可能です。太平洋の横断など、彼らにとっては隣町へ散歩に行くようなものでしょう」

 

 続いて、エレノアが極めて事務的に、しかし残酷な事実を告げた。

 

「現時点での我々の実戦対処能力は、ゼロに等しいです。完全な光学ステルスと電波吸収、さらには重力波による音響キャンセラーまで作動していると推測されます。

 ……仮に今この瞬間、ホワイトハウスの真上にその巨大な質量が到達していたとしても、我々の防空システムは一切の警報を鳴らしません。我々にできることは、気圧の不自然な変化や風の乱れを感じて、“たぶん何か天気がおかしい”ということだけです」

 

 完璧なまでの、凍てつくような沈黙。

 世界最高の軍事力を誇るアメリカ合衆国が、自国の首都の制空権すら完全に喪失しているという事実の突きつけ。将官たちは額の汗を拭うことすら忘れ、ただ押し黙っている。キャサリンは、組んだ両手に顔を埋め、完全に無言となった。

 

「……観測衛星の軌道を直ちに再配置しろ」

 

 沈黙に耐えきれなくなった宇宙軍の大将が、悲鳴のような声を上げた。

 

「パッシブセンサーの感度を極限まで引き上げ、重力異常をリアルタイムで検知するアルゴリズムを構築するんだ! 高高度滞空型ドローンを気象観測機に偽装して飛ばし、太平洋の哨戒ルートを抜本的に見直せ! どんな手を使ってでも、あの『見えない質量』に対する早期警戒網を再構築しなければならん!」

 

 将軍は、必死になって「従来型の軍事的発想」による対応策を並べ立てた。だが、その勇ましい言葉を、エレノアの冷徹な一言が氷のように切り捨てた。

 

「大事なのは、“追う”ことではありません」

 

 エレノアは、鋭い視線で将軍を射抜いた。

 

「追っていると『悟られない』ことです。相手は我々の全ての通信を傍受し、密室の会話すら拾い上げる『監視レーダー(グラス・アイ)』を運用している国ですよ? 我々が不自然に衛星軌道を変更したり、ドローンを配備したりすれば、彼らは即座に『アメリカが我々の空中基地に気づいた』と察知します。

 そうなれば、彼らはさらなる偽装を施し、我々が今かろうじて掴んでいる『重力異常の僅かなノイズ』すらも完全に消し去ってしまうでしょう」

 

 アメリカの立場が、ここで明確になった。

 彼らはもはや、同盟国に対して「何をしているんだ」と堂々と問いただし、査察を要求できる絶対的上位の立場にはない。相手に気づかれないように、息を潜めて、こっそりと影を見つめ続けるしかない、「見つけることすら隠さなければならない」弱き観測者に転落したのだ。

 

 そして、その絶望に、ノア・マクドウェルが最悪の真理という名のトドメを刺した。

 

「将軍。それに長官。今回我々が理解した最大の教訓は、“見つけた”ということじゃありませんよ」

 

 ノアは、冷ややかな笑みを浮かべたまま、部屋の全員を見渡した。

 

「我々が学んだ真実とは……。“見つけても、我々には何もできない”という事実です」

 

 見つけても、撃ち落とせない。抗議をしても、医療用キットという命綱を握られている以上、強硬に出ることはできない。この会議の本当の敗北が、ここに完全に確定した。

 

「……私が、副島総理に直接聞くわ」

 

 長い沈黙の後、キャサリンが顔を上げ、絞り出すように言った。

 

「少なくとも、同盟国として、彼らが我々の頭上に何を飛ばしているのか、その説明を求める権利くらいはあるはずよ」

 

 大統領としての最後の矜持。だが、その細い希望の糸も、側近たちによって無情に切り捨てられた。

 

「聞くこと自体は可能でしょう。ホットラインを繋げばいいだけですから」

 

 エレノアが冷酷に答える。

 

「しかし、向こうには『そんなものは存在しない』と答える自由を持ちます。我々にはそれを否定する決定的な物理証拠がない。さらに、こちらが観測に成功したと悟られれば、先ほど申し上げた通り、今後の痕跡すら完全に消されるでしょう」

 

「そして何より、大統領」

 

 ノアが、決定的な一撃を放った。

 

「向こうに『説明しろ』と言って断られた瞬間、こちらがもう『上位』ではないと、公式に認めることになります」

 

 その言葉が、キャサリンの胸に深く突き刺さった。

 外交マナーの問題ではない。これは、国家間の「階層(ヒエラルキー)」の問題なのだ。説明責任があるかないかではない。アメリカはもはや、日本に対して「説明を要求できる側」にいるのかどうかすら怪しいのだ。

 キャサリンは、固く組んだ手を口元に当てたまま、深く、長い沈黙に陥った。彼女は、自分が座っている大統領という椅子の無力さを、これほどまでに痛感したことはなかった。彼女は自らの矜持を飲み込み、目を閉じた。

 

 ◇

 

 重苦しい会議の後半は、淡々とした事務処理へと移行した。

 アーサー・ペンドルトンに対する処遇も、その流れの中で事務的に通告された。

 

「ペンドルトン分析官。君は本日付で現在の部署を離れ、DARPAとNSAの合同極秘プロジェクトへと移籍することになる。

 日本近海における重力異常の追加解析と継続観測が君の新たな任務だ。それに伴い、最高機密アクセス権限(トップシークレット・クリアランス)が付与される。

 ……ただし、君のこの功績が公的な評価を受けることは永遠にない。また、今後は厳重な監視下に置かれ、行動には大幅な制限が加えられることになる。理解できるな?」

 

「……はい。承知いたしました」

 

 アーサーは、静かに頷いた。

 昇進と左遷が同時にやってきたようなものだ。会議が散会し、将官たちが逃げるように部屋を後にしていく中、ロックウェル博士がアーサーの肩をポンと叩いた。

 

「君は正しかった」

 

 博士は、誰にも聞こえないような小さな声で、しかし確かな敬意を込めて囁いた。

 

「だからこそ、ここからは静かに仕事をしろ。真理に近づきすぎた者の代償だよ」

 

 アーサーの胸中には、複雑な感情が渦巻いていた。自分の執念が認められ、正しいと証明された。科学者としての喜びは確かにある。だが、その対価として、彼は自由を失い、見えない恐怖に怯える国家の監視網の一部へと組み込まれてしまったのだ。これで十分だ、と自分に言い聞かせるしかなかった。

 

 ◇

 

 深夜。

 ホワイトハウス、オーバル・オフィス。

 全てのスタッフが退出し、広大な執務室にはキャサリン・ヘイズ大統領ただ一人が残されていた。

 

 デスクの上のスタンドランプだけが、薄暗い室内を照らしている。その光の輪の中に広げられているのは、アーサーが提出した、太平洋上に点々と散らばる重力残差の航跡マップだ。

 キャサリンは椅子から立ち上がり、ゆっくりと窓辺へと歩み寄った。

 雨はいつの間にか上がり、雲の切れ間から冷たい冬の星空が顔を覗かせている。ワシントンの空には、民間機の点滅するライト以外、何も見えない。

 

「見つけた。でも、だからって止められるわけじゃない」

 

 キャサリンは、冷たい窓ガラスに額を押し当てながら、独りごちた。

 

「防ぐことも、抗議することも、存在を認めることすら許されない。……最悪の引き継ぎ資料ね」

 

 彼女は自嘲気味に、力なく笑った。

 アメリカは、世界中の海を制圧する最強の空母打撃群を持っていると誇ってきた。だが、極東の島国は、その空母の十倍の大きさを持つ基地を、誰も干渉できない「空そのもの」の中に隠し持ってしまったのだ。

 

「アメリカは空母を持っている。日本は、空そのものに基地を隠した。笑えない冗談だわ」

 

 静寂に包まれたオーバル・オフィスに、大統領の重い溜め息だけが虚しく溶けていった。世界の覇権は、見えない大空の彼方で、すでに完全に移行していたのである。

 




ここまで読んでいただきありがとうございます! もし「面白い」「続きが気になる」と思っていただけましたら、ページ下部より【お気に入り登録】や【評価】、感想などをいただけると執筆の励みになります。 作者のモチベーション上昇に直結しますので、是非ともよろしくお願いします!
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。