自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~   作:パラレル・ゲーマー

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第118話 探らせる餌と、灰色の特効薬

 東京都千代田区永田町、首相官邸。

 その地下深く、有事の際の国家中枢として機能するよう設計された分厚い鉛とコンクリートに守られた『特別情報分析室』は、今日も外界から完全に隔絶された静謐の中にあった。

 円卓を囲むのは、副島内閣総理大臣を筆頭に、官房長官、外務大臣、防衛大臣、経済産業大臣、そして各情報機関のトップたち。彼らの表情は、かつての「大国に翻弄される島国」の首脳陣が持っていた悲壮感とは無縁のものだった。だが同時に、決して気を抜くことの許されない、薄氷の上で世界のパワーバランスを操り続ける者特有の、深く静かな疲労が刻み込まれている。

 

 スクリーンの傍らに立つ内閣官房参事官の日下部が、手元のコンソールに指を走らせた。

 

「――『位相干渉装置(ジャマー)』、起動」

 

 ブゥン……という、内臓の奥底を微かに震わせるような極低周波の駆動音が室内の空気を満たす。テラ・ノヴァ由来のこの装置が稼働した瞬間、この会議室は物理的・電子的・そして位相空間的にも世界から完全に切り離され、いかなる超大国の諜報網をもっても覗き見ることの不可能な「絶対の密室」へと変貌する。

 

「ジャミング、正常に作動中。完全な秘匿が担保されました」

 

 日下部は、どこか安堵したような響きを微かに含ませて宣言すると、手元のタブレットを操作して正面の巨大スクリーンに光を灯した。

 

「それでは、定例報告を開始します。……まずは、我が国が極秘裏に進めている国家存続計画、『ヤタガラス第二国土化構想』の進捗からです」

 

 これまでの血生臭い国際政治の報告とは異なり、日下部の声のトーンはどこか穏やかであった。

 スクリーンに映し出されたのは、太平洋上の高高度を、完全なステルス迷彩を纏って滞空している全長三キロメートルの超弩級・空中都市『ヤタガラス3号機』の精緻な内部断面図、そして各種の運用ログデータであった。

 

「計画は、予定通りプレスタートの段階へと移行しております。現在、太平洋上で運用中のヤタガラス3号機の内部において、厳重な身元調査と適性検査をパスした日本国民200名が、『初期生活モニター』として居住実験を開始しています」

 

 画面には、広大な人工農園で作物の手入れをする若者たちや、巨大なガラス張りのプールでくつろぐ参加者たちの姿が、監視カメラの映像として映し出されていた。

 

「彼らには、施設が空を飛んでいること自体は認識させていますが、テラ・ノヴァという異星の存在や、工藤創一氏という開発者の存在については完全に伏せています。あくまで『日本政府の極秘避難施設』という認識です。

 ……現在、彼らの心理状態、生活リズム、施設内での行動ログやコミュニティ形成の過程を、24時間体制で収集・分析しておりますが、評判は概ね大好評と言ってよいでしょう。施設のインフラがあまりにも完璧すぎるため、パニックや閉塞感によるストレスは皆無に等しい状態です」

 

「ほう。それは何よりだ」

 

 副島総理が、湯呑みに口をつけながら目を細めた。

 

「追加の第二便となる200名についても、現在選考が最終段階に入っております。このまま段階的に居住者を増やし、運用データの蓄積とインフラの負荷テストを繰り返しつつ、最終的には1万人規模の収容と完全な自給自足社会の構築を視野に入れています」

 

 日下部の報告に、閣僚たちの間からも安堵の息が漏れた。

 日本列島が万が一の未曾有の大災害、あるいは最悪の核攻撃に見舞われたとしても、国家の種(シード)を保存し、再起を図るための箱舟が、今まさに現実のものとして稼働し始めているのだ。政治家として、これほど心強い報告はない。

 

 会議室の空気が、少しだけ和らいだ。

 その時、手元の詳細な居住区画の設備リストに目を通していた防衛大臣が、半ば呆れたような、それでいてどこか面白がるような笑みを浮かべて顔を上げた。

 

「……日下部くん。この報告書、居住者のコメントがいくつか載っているが、『まるで街が一つ、丸ごと入っているみたいだ』と驚いている意見が目立つな。まだ全区画の三割しか開放していないというのに、そんなに広いのか?」

 

「ええ。全長三キロメートルですからね。内部の容積は我々の想像を絶します」

 

「そうだろうな。……それにしても」

 

 防衛大臣は、リストのある一項目を指差して、笑い混じりに言った。

 

「映画館が、四十個でしたっけ?」

 

 その言葉に、円卓のあちこちからクスクスという軽い笑い声が漏れた。

 国家の命運を懸けた極秘の避難施設に、シネマコンプレックスなどという娯楽の極みのような設備が、それも四十館も備わっているというのだ。あまりにも場違いで、シュールな響きだった。

 

 だが、日下部は顔色一つ変えず、極めて大真面目なトーンで答えた。

 

「ええ。しかも、全て最高音響設備のIMAX仕様です」

 

 ぶっ、と外務大臣が吹き出しそうになり、慌てて口元をハンカチで覆った。

 副島総理もまた、呆れ果てたように肩を揺らして笑った。

 

「……流石に、ふざけすぎではないか?」

 

「工藤氏のこだわりですね」

 

 日下部は、深い、深い溜め息を交えながら言った。

 

「本人は、地球にいた頃は仕事に追われて年に数回しか映画館に行かないような生活だったくせに、テラ・ノヴァの地下にも無駄に巨大な映画館をいくつも作っています。『どうせ空間も資材も余ってるんだし、選べる娯楽は多い方が、住民の精神衛生上絶対に良いですよ!』と譲りませんでした」

 

 日下部の苦労が忍ばれるその言葉に、会議室にはさらに柔らかな笑いが広がった。

 

「まあ、困りはしないさ」

 

 副島総理が、優しく肩をすくめた。

 

「空の箱舟に、映画館が四十個。……いかにも工藤氏らしいといえば、らしいか。彼のその無邪気なまでの過剰さ(オーバースペック)が、結果として我々の国家を救う強靭なインフラに繋がっているのだからな」

 

 会議室の空気は、一瞬だけ、本当に一瞬だけ、和やかで平和なものに包まれた。

 だが、日下部は知っている。この「緩み」こそが、次に突きつける現実の異常さを際立たせるための、極めて有効なコントラストになることを。

 

「……さて」

 

 日下部が、声のトーンを一段階低く、そして硬質に切り替えた。

 タブレットを操作すると、スクリーンに映し出されていた平和なヤタガラスの居住区画の映像が消え去り、代わりに世界地図が表示された。

 その地図上には、各国の情報機関の暗躍、非合法なアクセス試行、そして要注意人物の接触履歴を示す「赤い光点」が、まるで病魔のように無数にプロットされていた。

 特に、ヨーロッパ大陸――イギリスやフランスを中心とした西欧諸国が、異常なほどの密度で赤く染まっている。

 

 先ほどまでの和やかな笑いは、一瞬にして凍りつき、消え失せた。

 

「次の議題です」

 

 誰も笑わなくなった。円卓の閣僚たちは一様に背筋を伸ばし、冷徹な為政者の顔へと切り替わった。

 

「“日本が医療革命を起こした”という認識は、もはや世界の一部の特権階級の間で、完全に既成事実になりつつあります。

 1回5億円の『消しゴム君』。そして、血液を完全に浄化する『ザルすくい君』。

 これらの存在は、彼らにとってはもはや荒唐無稽な陰謀論などではなく、自分たちが喉から手が出るほど欲している“何らかの現実の一部”として、確固たる認識の下に置かれています」

 

 副島総理が、腕を組みながら低く唸った。

 

「つまり、当然その先を探る者が出る、ということだな」

 

「はい」

 

 日下部は鋭く頷いた。

 

「ここ数ヶ月で、世界各国の情報機関やエリート層の間に、一つの強烈な疑念が広がりつつあります。

 すなわち、『日本政府は、ガン治療や血液浄化以上の“何か”を、まだ奥底に隠しているのではないか』と」

 

 閣僚の一人が、小さく乾いた笑いを漏らした。

 

「まあ……実際、隠しているわけだがな」

 

「しかも、とんでもない爆弾(オリジナル)をな」

 

 別の閣僚が、胃を押さえるようにして皮肉げに付け加えた。

 細胞を完全に初期化し、失われた四肢をも再生し、若返りすら可能にする『医療用キット(オリジナル)』。それは、人類の歴史と社会構造そのものを根底から破壊しかねない、文字通りの爆弾である。その存在だけは、何があっても悟られるわけにはいかなかった。

 

「……特に活発なのが、イギリスとフランスです」

 

 日下部は、スクリーン上のヨーロッパの赤い光点をさらに拡大した。

 

「彼らはここ最近、かなりの数のスパイ、あるいはその周辺の協力者やエージェントを、民間人やビジネスマンに偽装して日本へと送り込んでいます」

 

「中国やロシアではなく?」

 

 防衛大臣が、意外そうに尋ねた。

 情報戦といえば、常にその二カ国が最前線で苛烈な工作を行なってくるのが常であったからだ。

 

「中国も動いてはいますが、彼らはすでに『消しゴム君』の取引等で一定のパイプを持っており、我々の逆鱗に触れることを極度に恐れて慎重になっています。ロシアは論外です。彼らの工作網は先日完全に物理的粉砕を受け、今は息を潜めることしかできません。アメリカは、我々と裏で手を結んでいるため、公然と嗅ぎ回るような真似は避けています」

 

 日下部は、イギリスとフランスが現在置かれている「焦燥感」の背景を解説した。

 

「しかし、英仏は事情が異なります。彼らは、表向きはアメリカの同盟国として歩調を合わせていますが、裏では常に『自国だけの独自ルート』を欲しがる癖があります。

 英国王室や、何百年も続く旧貴族、金融の最上層部。フランスの巨大多国籍資本や、エナルク(国立行政学院)出身の高級官僚、そして医療界のエリート層。

 彼らは、アメリカのディープステートを経由して『消しゴム君』の恩恵に与ったことで、日本の底知れぬ技術力の片鱗を直接肌で感じてしまった。だからこそ、『日本がその奥に隠している究極の秘密』に対し、異常なまでの関心と渇望を持ち始めているのです。列の先頭に、アメリカを出し抜いて割り込みたいというわけです」

 

 副島総理が、鼻でふっと笑った。

 

「なるほど。いつもの欧州のやり口だな。同盟の枠組みは利用するが、美味しい果実は誰よりも先に自分たちだけで独占したがる」

 

「その通りです」

 

 公安調査庁を統括する関係閣僚が、少し身を乗り出して尋ねた。

 

「で、彼らの具体的な手口は? 何か危険な破壊工作や、拉致の兆候はあるのか?」

 

 日下部は、タブレットをスクロールさせ、監視システム『グラス・アイ』が捉えた英仏スパイたちの行動ログを箇条書きで表示した。

 

 ・国内の最先端医療研究機関への不自然な接触および高額寄付の打診

 ・過去に『消しゴム君』等の治験に参加したとされる患者家族への非公式なヒアリング

 ・医療機器メーカーや製薬会社に対する、特殊な消耗品の調達記録の解析試行

 ・医学会周辺での、自衛隊医官や防衛省技術者に対する巧妙な人脈形成

 

 それらのリストを見た閣僚たちが、拍子抜けしたような顔を見合わせた。

 

「……妙に行儀がいいな」

 

 誰かが呟いた。

 中国やロシアのような、ハニートラップや脅迫、あるいは物理的な侵入といった荒っぽい手法が一切ない。あくまで「合法のギリギリのライン」を攻めるような、紳士的な情報収集に終始している。

 

「理由は単純です」

 

 日下部は、極めて冷徹な事実を告げた。

 

「彼らは、『欲しい』側だからです」

 

 会議室が、水を打ったように静まり返った。

 

「英仏の指導層は、我々の技術を力ずくで『奪いたい』わけではありません。彼らは最終的に、我々に頭を下げてでも、その新しい奇跡を『使わせてもらいたい』のです。

 列から外されたくない。自分たちだけが老いや死に取り残されたくない。だからこそ、日本政府を本気で怒らせ、恩恵を永遠に断たれるような野蛮な真似は絶対にしない。

 いま彼らが行なっているのは、銀行強盗ではなく、高級クリニックの診察室の前で、中の様子を必死に背伸びして盗み見ようとしている行為に近いのです」

 

 副島総理が、深い皺の刻まれた顔に皮肉な笑みを浮かべた。

 

「なるほどな。国家を挙げた諜報活動というよりは、人気レストランの順番待ちの列からの盗み見、というわけか。随分と可愛らしいスパイ活動だ」

 

 少しだけ、会議室に失笑が漏れた。

 だが、空気は冷たいままだ。相手が紳士的であろうと、国の最高機密を嗅ぎ回られている事実に変わりはない。

 

「なら、今のうちに一網打尽に摘発しますか? 証拠ならいくらでも捏造……いや、揃えられますが」

 

 防衛相が、容赦のない提案をする。

 だが、日下部は即座に、きっぱりと首を横に振った。

 

「それは、最悪の悪手です」

 

「なぜだ?」

 

 日下部は、三つの理由を理路整然と並べ立てた。

 

「第一に、ここで我々が過剰に反応し、彼らを摘発してしまえば、英仏は『やはり日本は、絶対に触れられたくない何かを隠している!』と逆に確信を深めてしまいます。

 第二に、いまの彼らの熱量は、あくまで『希望を持つ患者側』の温度感に留まっています。だが、ここで彼らの面子を公に潰し、外交問題に発展させれば、彼らの焦燥感は『敵対的な国家諜報』へと変質しかねない。窮鼠猫を噛む事態は避けるべきです。

 第三に、我が国は現在、圧倒的な医療的優位によって、欧州の指導層を『緩やかな支配下』に置きつつあります。ここでわざわざ摩擦を起こし、せっかく構築したコントロールの綱を切断する意味は全くありません」

 

 副島総理が、日下部の論理に深く頷く。

 

「こちらがムキになって騒ぐほど、『大当たりが隠してありますよ』と自ら答え合わせをしてしまうわけだな」

 

「はい。ですから、摘発はしません」

 

 日下部のレンズの奥の瞳が、獲物を狙う蜘蛛のように細められた。

 

「摘発ではなく、誘導します」

 

 ここで、会議室の空気が一段階、全く別の質のものへと変容した。

「守る」ための防衛的な議論から、相手の心理を操り、積極的に「使う」ための攻撃的な議論へのシフトである。

 

「……英仏が何かを探っているというのなら、存分に探らせてやればいいのです」

 

 日下部は、少しだけ間を置いて、最も悪辣な一言を放った。

 

「ただし、『彼らが何を見つけるか』は、こちらで決めます」

 

 会議室が静まり返った。

 副島総理もすぐには口を開かず、ただ日下部の言葉の真意を測るように見つめている。

 

「……何を見せるつもりだ?」

 

 総理が、低く静かな声で問うた。

 日下部は、手元のタブレットを操作し、スクリーンに一本のインジェクターの画像を表示させた。

 それは、エメラルドグリーンに輝くオリジナルでもなく、無機質な消しゴム君でもない。

 重厚なミリタリーグレーに塗装された、武骨なシリンダー。

 

「灰色の特効薬。

 ……『バンドエイドMK3』です」

 

 その言葉と画像が出た瞬間、一瞬にして会議室の空気が止まった。

 防衛大臣が、ハッとして身を乗り出す。

 

「ああ……。アメリカ軍の特殊作戦部隊(SOCOM)に極秘供与し、彼らの死亡率を文字通り『ゼロ』に近づけているという、あの外傷治療用のナノマシンか」

 

「ええ」

 

 日下部は静かに頷いた。

 

「なぜ、それを餌に選ぶのだ?」

 

「ちょうどいい深さの『真実』だからです」

 

 日下部は、極めて丁寧に、そして冷徹なロジックを積み上げていく。

 

「『消しゴム君』や『ザルすくい君』は、すでに世界の一部の上層部に、我々の技術の異常性を信じさせるに十分な証拠を与えすぎました。

 今さらそれを『次の秘密』として彼らに掴ませても、彼らは納得しません。浅すぎるのです。

 しかし、世界はまだ、その先を知りたがっている」

 

 スクリーンに、欧州の情報機関が現在抱いているであろう「疑念のリスト」が表示される。

 

 ・ガン治療の先にある技術は何か?

 ・大量の失血や多臓器の物理的損傷に対するアプローチは?

 ・戦場医療、あるいは救急医療において、日本はどこまで進んでいるのか?

 ・日本は『死という物理的現象そのもの』に、どこまで介入できる段階にあるのか?

 

「これらの疑念に対する『答え』として、MK3は完璧なピースとして機能します」

 

 日下部は、指を一本立てた。

 

「これは本物です。嘘偽りなく、圧倒的な力を持ったオーバーテクノロジーです。

 彼らがこれを見つければ、間違いなく『途方もない秘密を暴いた!』と歓喜し、満足するでしょう。

 ……しかし、これはあくまで外傷治療に特化したものであり、細胞の初期化(若返り)や不老不死をもたらす『本丸(オリジナル)』ではありません」

 

 副島総理の口元から、思わず小さく、しかし心底恐ろしいものを前にしたような笑いが漏れた。

 

「……本物を、本丸の一段手前で切り取って見せるわけか。

 真実の壁で、究極の真実を覆い隠すとはな」

 

「はい。半端な嘘や偽情報(ディスインフォメーション)は、彼らの一流の分析官には必ず見抜かれます。

 だからこそ、血の通った『本物』を、彼らが探り当てたと錯覚するような『ちょうどいい深さ』の場所に埋めておくのです」

 

 日下部の提案は、情報戦における究極の欺瞞であった。

 

「だが、待てよ」

 

 ここで、外務大臣が慎重な面持ちで口を挟んだ。

 

「その『バンドエイドMK3』は、現在アメリカ軍が独占的に運用しており、彼らにとっても最上級の軍事機密のはずだ。

 それを我々が勝手に英仏への『餌』として使えば、アメリカのディープステートが黙っていないのではないか?」

 

 当然のツッコミである。

 だが、日下部は一切慌てることなく、即座に切り返した。

 

「ご懸念には及びません。

 ……この計画はすでに、アメリカのディープステートと『完全調整済み』ですから」

 

 その言葉に、会議室の中に「なるほど」という安堵と納得の空気が流れた。

 

「タイタン・グループのノア・マクドウェル氏と、CIAのエレノア長官経由で、事前のすり合わせは終わっています。

 アメリカ側も、英仏が『日本の次の秘密』を血眼になって探している事実を把握しており、持て余していました。

 ならばいっそ、彼らに『MK3の影』を掴ませた方が、我々日米双方にとって遥かに都合が良い、という結論で一致したのです」

 

 日下部は、日米の裏連携がもたらすシナジー効果を説明する。

 

「英仏が『これが日本の隠していた次の奇跡(本命)だ!』と強く思い込めば思い込むほど、彼らの視線は『不老不死のオリジナルキット』という真の最深部から遠ざかります。

 と同時に、英仏の軍部や諜報機関は、そのMK3を試験運用している『アメリカ経由のアクセスルート』を、これまで以上に喉から手が出るほど欲しがるようになります。

 結果として、アメリカはヨーロッパに対する軍事的・政治的優位性をさらに強固なものにできる。……アメリカにとっても、利益しかないディールなのです」

 

 副島総理は、鼻でふっと笑い飛ばした。

 

「なるほどな。

 欧州を自分たちの後ろに綺麗に並ばせるための『極上の撒き餌』として、我々の技術を使うことにしたわけだ。アメリカにとっても悪くない取引だ」

 

「はい。しかもアメリカからすれば、自分たちだけが『本当の奥底(オリジナル)』を知っているという絶対的な優越感も保てますからね。彼らのプライドを満たすには十分すぎる策です」

 

 日下部の説明により、日米の影の同盟が、いかに盤石で、かつ世界をシニカルに弄んでいるかが、円卓の全員に完全に共有された。

 

「では、実務的な話に入ろう」

 

 官房長官が身を乗り出した。

 

「その『MK3の影』を、具体的にどうやって英仏の優秀な猟犬(スパイ)たちに、自然な形で『見つけさせる』つもりだ?」

 

 ここからが、日下部の官僚としての悪辣な手腕の真骨頂であった。

 

「はい。相手に『自分が大手柄を立てた』と錯覚させるには、いかにも本物らしい、泥臭い『手触り』が必要です。

 以下の四つのアプローチで、彼らに『発見』をデザインします」

 

 日下部はスクリーンに、緻密に構成されたフェイク・インテリジェンスの展開図を表示した。

 

「第一に、調達情報のわずかな『甘さ』の演出です。

 英仏のスパイが不正アクセスや協力者を通じて拾えるように、防衛省や関連医療機関のごく一部の末端の調達ログに、あえてセキュリティの『隙』を作ります。

 ただし、そこに直接『MK3』とは書きません。

 『特殊止血材』『高速細胞再建用の関連薬剤』『戦傷外科向け高機能消耗品』、そして『不自然な量の専用耐衝撃ケース・特殊輸液ユニット』……といった、想像力を掻き立てる隠語の断片を散りばめます」

 

「第二に、軍医や戦傷医療に携わる現場レベルの『会話の断片』です。

 監視されても問題ない、むしろ盗聴されることを前提とした『浅い会話』として、我々の息のかかったダミー要員たちに、特定の単語を意図的に漏らさせます。

 『フェーズグレイ(灰色の段階)』、『再生時間短縮プログラム』、『二時間以内帰還プロトコル』、『外傷即応パラメーター』、『失血後絶対回復率』……。

 意味深長で、かつMK3の機能を示唆するキーワードを、パズルのピースのように拾わせるのです」

 

「第三に、状況証拠との結びつけです。

 現在、中東や特定の紛争地域に展開している米軍特殊部隊において、致死率が『奇妙なほど、異常に低い』というデータが存在します。

 英仏の分析官に、その不自然な統計データへ辿り着くよう誘導し、『日本の影響圏(技術供与枠)に入った部隊だけが、なぜか絶対に死なない』という事実に、彼ら自身の力で気づかせます」

 

「そして第四に、これが最も重要ですが。

 あくまでこれが『日本の独自技術』であると確信させることです。アメリカが開発したものではなく、『日本が秘密裏に持ち込み、アメリカがそれを秘匿運用させてもらっている』というパワーバランスを、スパイたちに悟らせるのです」

 

 日下部の完璧なまでにデザインされた「情報漏洩計画」を聞き終え、防衛大臣が半ば呆れ、半ば感心したようにため息をついた。

 

「……かなり、本物寄りの精巧な罠だな。

 我々でも、これを断片的に拾わされたら『国家を揺るがす極秘プロジェクトを発見した!』と踊らされてしまうかもしれん」

 

「ええ。大手柄を立てたと思い込ませるには、それなりの極上のリアリティが必要です。彼らの優秀な頭脳を、我々の描いた迷路の中で全力で走らせてあげるのです」

 

「……その結果、英仏が『見つけた』と確信した後、彼らはどう動く?」

 

 副島総理が、最終的な着地点を問う。

 日下部は即答した。

 

「『我々にも協力させろ』と言ってきます」

 

 スクリーンに、今後の予測される外交展開のロードマップが表示される。

 

「英国王室筋が、非公式なルートを通じて『人道的な観点から』と称して接触してくるでしょう。

 フランスの国防・医療技術ルートからは、『最先端の共同研究』を名目に打診が来るはずです。

 欧州の軍医や特殊部隊のトップ層は、血眼になって『限定供与枠』の順番待ちリストに名を連ねようとする。

 ……その過程において、英仏は自分たちが『日本の強固な防諜網を潜り抜け、自力で第二の奇跡の尻尾を掴んだのだ』と、誇らしげに信じ込みながら、自ら進んで我々の用意した枠組みへと組み込まれていくのです」

 

 副島総理が、可笑しくてたまらないというように、低く笑い声を立てた。

 

「……スパイのつもりが、いつの間にか我々の手のひらの上で『整理券』を握らされて並んでいる、というわけか」

 

「はい。しかも、『自らの力で勝ち取った貴重な整理券だ』と固く信じて並んでくれますから、これほど従順な顧客はいません」

 

 日下部の言葉は、どこまでも冷徹で、そして強者の傲慢さに満ちていた。

 会議室は、一瞬の静寂に包まれた。

 

 副島総理は、ゆっくりと腕を組み、目を細めて円卓の面々を見渡した。

 その瞳の奥には、一国の指導者としての重圧と、現在の日本が置かれているあまりにも異常な立場の輪郭が、ありありと浮かんでいた。

 

「……つまり我々は、世界を『どの奇跡まで見せるか』で、完全に階層化しているわけだな」

 

 総理の静かな言葉が、鉛の壁に吸い込まれるように響いた。

 

 日下部は、少しだけ沈黙し、それから深く頷いた。

 

「……そうなります」

 

 短い、しかし途方もなく重い沈黙が、会議室全体にのしかかった。

 

 かつて、日本は「秘密を隠すだけ」の、アメリカの庇護下にある一介の経済国家に過ぎなかった。

 だが今は違う。

 ガン治療の『消しゴム君』は、富裕層向けの表層の奇跡。

 血液を浄化する『ザルすくい君』は、半公開の切り札。

 戦場を無双する『バンドエイドMK3』は、大国を手玉に取るための「見せるための第二の秘密」。

 そして、そのさらに奥には、不老不死をもたらす『オリジナル・キット』という絶対的な本丸が存在し、さらに次元の彼方には、空間を透視するレーダーや、空飛ぶ都市、無尽蔵のエネルギーを生み出す工場が稼働している。

 

 日本はもう、ただの秘密主義国家ではない。

 『どの国に、どの階層までの現実(リアル)を見せるか』を、自らの意志で決定し、世界の認識そのものをデザインする、神のごとき設計者(アーキテクト)へと変貌してしまったのだ。

 

 その事実の途方もない重さに、閣僚たちは誰も言葉を発することができなかった。

 

「……よし」

 

 副島総理が、沈黙を破り、最終的な決断を下した。

 

「英仏のスパイは摘発しない。存分に泳がせろ。

 そして、彼らに『探り当てた』と思わせろ」

 

「はい」

 

 日下部は、淀みなく即答した。

 

「英仏には、『灰色の特効薬』こそが日本の隠していた次の本命であると、完全に思い込ませます。

 ……彼らの“達成感”ごと、我々が完璧に設計してご覧に入れます」

 

 会議は終わった。

 世界の運命を弄ぶ悪魔のシナリオは、この地下の密室から、静かに、そして確実に実行へと移されていく。

 

 ◇

 

 その数日後の夜。

 東京中心部、超高級ホテルのスイートルーム。

 厚い遮光カーテンが引かれた薄暗い部屋の片隅で、一人の男が最新鋭の量子暗号通信機に向かい、猛烈な勢いでキーボードを叩いていた。

 MI6(イギリス秘密情報部)のベテラン工作員である彼の額には、極度の緊張と、それ以上の凄まじい興奮による大粒の汗が浮かんでいる。

 

 彼の指先から、ロンドンの本部に向けて、一通の極秘通信が送信されようとしていた。

 その内容は、彼が数ヶ月にわたる日本での死と隣り合わせの潜入工作の末に、ついに掴み取ったと信じて疑わない『国家を揺るがす大発見』であった。

 

『……本国へ緊急報告。

 対象国(日本)は、ガン治療用ナノマシンの次に、戦場外傷用の革命的救命技術をすでに実用化し、隠匿している。

 コードネームは不明だが、「フェーズグレイ」と呼ばれる薬剤。外傷、大量失血、多臓器損傷に対する即時修復機能を確認。

 米軍上層部と日本政府の間でのみ共有されている、共同秘匿案件である可能性が極めて高い。

 ……間違いない。これが彼らの隠していた「第二の奇跡」だ。

 直ちに本作戦の予算を倍増し、日本側の防衛・医療ルートへの非公式な接触ルートを構築されたい。これは我が国の安全保障に関わる、最優先案件へ格上げすべきである。至急対応を乞う!』

 

 送信ボタンを叩き(ターン!)、暗号化されたデータが光の速度でロンドンへと飛んでいくのを見届けた男は、深く背もたれに寄りかかり、震える手で顔を覆った。

 

「やった……。ついに、掴んだぞ……!」

 

 彼の心は、国家を救う大発見を成し遂げたという、圧倒的な達成感と誇りに満ち溢れていた。

 自分は歴史を変えたのだ。世界最高峰と謳われる日本の防諜網の僅かな隙を突き、アメリカですら隠し通そうとした真実の奥底に、自分の力でたどり着いたのだと。

 

 だが。

 

 彼が送信したその暗号通信の「全文」が。

 

 地球の裏側、東京の首相官邸地下5階のモニター上に、全く同じタイミングで、一言一句違わずリアルタイムで平文として表示され、流れていることなど、彼が知る由もなかった。

 

「……ええ」

 

 冷めきった緑茶の入った湯呑みを片手に、そのモニターの文字を無表情で眺めていた日下部参事官は、誰に聞かせるわけでもなく、ただ淡々と、虚空に向けて一言だけ呟いた。

 

「……正解です。

 そこまでは、ね」

 

 

 




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