自宅に届いた『惑星開発キット』で、社畜SEは異世界工場の管理者になる ~運用保守はもう終わり。現代の物資と無限の資源で、銀河規模の自動化帝国を築き上げます~ 作:パラレル・ゲーマー
東京都千代田区、首相官邸。
地下五階に存在する『特別情報分析室』は、外界の喧騒も季節の移ろいも完全に遮断された、無機質で冷徹な空間である。分厚い鉛と電磁シールドに覆われた壁面は、いかなる最新鋭の盗聴技術をも跳ね返し、この部屋で交わされる言葉を国家の最高機密として守り抜いている。
円卓を囲むのは、副島内閣総理大臣をはじめ、官房長官、外務大臣、防衛大臣、財務大臣、厚生労働大臣といった、日本国の舵取りを担う主要閣僚たちだ。さらに、今日は内閣法制局長官と国家安全保障局(NSS)の幹部も同席しており、この会議が単なる情報共有の場ではなく、国家の長期戦略を決定づける極めて重い意味を持っていることを示していた。
部屋の隅に設置された『位相干渉装置(ジャマー)』が、ブゥン……という内臓を微かに震わせるような極低周波の駆動音を立てている。テラ・ノヴァの技術を応用したこの装置が稼働している間、この空間は物理的にも位相空間的にも世界から完全に切り離される。
スクリーンの傍らに立つ内閣官房参事官の日下部が、手元のタブレットを開き、淡々とした、しかしよく通る声で口火を切った。
「……それでは始めます。
アメリカ政府から、先日こちらが投げた『照会』に対する公式な返答が届きました」
日下部がコンソールを操作すると、巨大なモニターにアメリカ側の回答の要約が箇条書きで映し出された。
・英国への『フェーズグレイ(バンドエイドMK3)』の試験運用を、条件付きで容認する。
・運用はアメリカ軍軍医の厳格な監視下においてのみ許可する。
・薬剤の所有権移転は行わず、成分分析、および英国内での常備在庫の保持を一切禁止する。
・あくまで一時的な試験運用であり、自動継続は保証しない。
・なお、フランスについては今回の試験運用の対象外とする。
その内容を読み終え、会議室の空気はまず「静か」だった。
誰も驚きの声を上げない。怒りも、焦りもない。
むしろ、円卓を囲む閣僚たちの顔には、「まあ、そう来るだろうな」という、極めて妥当な予測の範囲内に収まったことへの静かな納得感が漂っていた。
「……概ね、想定通りです」
日下部が、確認するように言った。
「うむ。概ね良いのではないか」
副島総理も、腕を組みながら大きく頷いた。
アメリカが自分たちの「特権」をそう簡単に手放すはずがない。イギリスに恩を売りつつも、決して技術の核心には触れさせず、徹底的な管理下に置く。そして、少しでもコントロールが難しいと判断したフランスは容赦なく切り捨てる。いかにもワシントンのディープステート……ノア・マクドウェルやエレノア・バーンズが考えそうな、冷酷で合理的な判断だ。
会議室に、少しだけ緩んだ空気が流れた。
日下部は、手元のタブレットを置き、眼鏡のブリッジを押し上げながら、少しだけ皮肉っぽい笑みを浮かべて口を開いた。
「正直に申し上げますと……」
日下部の声が、静かな部屋に響く。
「もしアメリカが、『同盟国である以上、英国もフランスも同格に扱うべきだ』のような、綺麗事を並べた返答をしてきたら……。
こちらは、アメリカの提案そのものを蹴るつもりでした」
その言葉に、会議室が少しざわついた。
何人かの閣僚がハッとして顔を上げる。
副島総理が、半ば冗談っぽく笑い声を立てた。
「おいおい、日下部くん。
戦後初の“アメリカにNO”でもやる気だったのか?」
円卓のあちこちから、軽い笑いが起きた。
今や日本は、技術と資源においてアメリカを凌駕しつつあるとはいえ、表向きの同盟関係において真っ向からアメリカの要求を跳ね除けるというのは、外交的にかなりの劇薬だ。
だが、日下部は一切笑わなかった。
彼の瞳は、極めて冷徹な官僚の光を宿したままだった。
「いえ。そこまで大それたことを言うつもりはありません」
日下部は一拍置き、淡々と、しかし絶対的な確信を持って続けた。
「……ですが、英国とフランスを『同列に扱う』という案だけは、どうしても飲めませんでした」
その一言で、会議室の空気が再びキュッと締まり始めた。
日下部の表情には、微塵の冗談も含まれていない。彼がそう断言するからには、そこには国家の安全保障と長期戦略に関わる「冗談では済まない理由」が確実に存在しているのだと、ここにいる全員が理解した。
「……どういうことだ、日下部くん。説明してくれ」
外務大臣が、居住まいを正して先を促した。
「はい」
日下部は再びコンソールを操作し、モニターの表示を切り替えた。
画面には、二列の表が表示される。
左側には『イギリス』、右側には『フランス』という文字が大写しになった。
「同じヨーロッパの主要国、同じ核保有国、そして同じ国連安保理の常任理事国。
一般的に見れば、彼らは並び立つ大国です。……ですが、我が国の対外戦略上の価値という観点から見れば、この二カ国の意味合いは明確に異なります」
日下部は、まず左側の『イギリス』の列をレーザーポインターで指し示した。
「まず英国についてです。
彼らは現在、日本の『消しゴム君』の恩恵に与り、我が国の技術に強く惹かれています。彼らは『日本の列に並びたい国』です」
日下部は、そこで一息つき、さらに重要なポイントを強調した。
「しかし同時に、彼らは『アメリカの横に立っている窓口』でもあります。
ファイブ・アイズ(米英加豪NZの機密情報共有協定)のコアメンバーであり、ワシントンと最も深いインテリジェンスの繋がりを持つ国。……つまり、英国を我々の管理下で先行して『試験運用』という名の飼い殺し状態に置くことは、単にイギリスに恩を売るだけでなく、アメリカの裏の動きや、欧州におけるアメリカの意図を間接的に読み取るための『窓』として、極めて高い価値があるのです」
「……なるほど。アメリカの『横顔』を見るためのフィルターとして、イギリスを使うわけか」
国家安全保障局の幹部が、深く頷いた。
イギリスという国は、アメリカと一体化しているようでいて、独自の国益も追求する老獪な国家だ。彼らに「アメリカの監視下で」日本の技術を使わせることで、英米間に微妙なパワーバランスと情報の非対称性を生み出し、そこから漏れ出るインテリジェンスを日本が吸い上げる。実に理にかなった戦略だ。
「では、フランスはどうなんだ?」
防衛大臣が問う。
「つまり、英国は管理しやすい実務窓口であり、フランスは少し面倒だが、大陸側の格を動かすための梃子(てこ)……といったところか?」
「概ね、そのご理解で結構です」
日下部は頷き、右側の『フランス』の列を指し示した。
「フランスは、英国とは根本的に異なります。
英国は、欲しいものを『欲しい』と素直に言い、その代わりに自分たちが何を差し出せるか(情報や金融ネットワークなど)を現実的に計算できる国です。そして何より、彼らは『アメリカ経由』という屈辱を、国益のためならまだ我慢できる実利主義を持っています」
「だが、フランスは違うと?」
「ええ。全く違います」
日下部は、少しだけ顔をしかめた。
「フランスは、自国の『偉大さ(グランデュール)』と独立性に異常なまでのプライドを持っています。
彼らは、アメリカの風下に立つことを極度に嫌う。もし今回、英国と同列にフランスを『アメリカの監視下での試験運用』に組み込んでいれば、彼らは絶対に反発し、必ず『共同研究』や『欧州の独自規格化』、あるいは『対等な技術交換』へと話を広げようとしてきたはずです」
日下部は、胃薬のパッケージを指で弾きながら続けた。
「それ自体が悪いわけではありません。彼らのプライドは理解できます。
しかし……我々が現在運用しているのは、完全にブラックボックス化されたオーパーツです。それを『対等に研究しよう』などと踏み込んでこられるのは、我々にとって最も避けたい事態なのです。
最初の入口の顧客として、フランスはあまりにも『管理コスト』が高すぎるのです」
副島総理が、日下部の説明を聞いて少しだけ笑い声を漏らした。
「要するに、英国は『借りる顔』ができるが、フランスは借りる時も『対等な顔』を崩さんということだな」
「ええ。そして、そこが彼らの強さでもあり、面倒さでもあります」
日下部は、全く笑わずに答えた。
外交において「プライド」ほど扱いづらいものはない。特に、日本の底知れぬ技術力をまだ完全に理解していない相手に、対等な顔をされるのはリスクでしかないのだ。
「だからこそ、フランスは『今回は入れない』方が良いのです」
日下部は、スクリーン上の『フランス』の文字を赤くハイライトした。
「彼らを意図的に後回しにする。……これが、我々の対欧州戦略の肝です」
「後回しにすることで、フランスを怒らせるだけではないのか?」
外務大臣が懸念を示すが、日下部は即座に首を横に振った。
「怒るでしょう。ですが、それ以上に『焦り』ます」
日下部は、冷酷な心理戦のロジックを展開し始めた。
「英国だけが先に『神の薬』の実証運用に入り、アメリカと共に次世代の戦術ドクトリンを構築し始める。……その事実を目の当たりにすれば、欧州大陸の盟主を自負するフランスは、絶対に『遅れたくない』という国家自尊心を強烈に刺激されます。
焦ったフランスは、アメリカを経由するルートに見切りをつけ、何としてでも日本へ『直接』接近する理由を強化するはずです」
日下部のレンズの奥の瞳が、獲物を罠に誘い込む蜘蛛のように細められた。
「彼らが自ら、頭を下げて我々のテーブルに着こうとするその瞬間。
……その時点で、我々から彼らに対して要求できる『対価』のハードルは、飛躍的に跳ね上がります。
だからこそ、今は彼らに『席を作らない』こと自体が、我々の最大の交渉力(レバレッジ)になるのです」
会議室の空気が、息を呑むような静けさに包まれた。
ただ単に意地悪で外したのではない。相手のプライドと焦燥感を完璧に計算し尽くし、最も高く売りつけるための「飢餓感」を醸成する。それが、日下部が描いた欧州分割統治のシナリオだった。
「……なるほど」
防衛大臣が、ポツリと漏らした。
「英国は先に座らせて恩を売り、実務の窓口にする。
フランスは立たせて焦らせ、向こうから近づかせる、か」
「そうなります」
日下部は淡々と肯定した。
そのあまりにも冷たい、血の通っていない官僚としての言葉に、円卓の面々は改めてこの男の恐ろしさを実感していた。
「では、日下部くん」
副島総理が、腕を組みながら身を乗り出した。
「そのようにして英仏をコントロールし、彼らから具体的に『何』を引き出すつもりだ?
我々は今、テラ・ノヴァの資源と技術によって、物理的な富や兵器に関しては何も困っていない。彼らからわざわざもらうべきものなど、あるのか?」
総理の問いはもっともであった。
今の日本は、金も資源も武力も、異次元のレベルで自己完結しつつある。欧州の古い大国から、今更何をもらうというのか。
「……ええ。物理的なモノは、何も必要ありません」
日下部はスクリーンを切り替え、今度はより具体的な『要求リスト』の想定案を表示した。
それは、単なる外交交渉の域を超えた、日本が世界秩序を再編するための「精算書」のようなものだった。
「我々が彼らから引き出したいのは、我々の作り出す『奇跡』を、既存の地球のシステムに適合させるための『枠組み(ルール)』の改変です」
日下部は、まず英国側のリストを提示した。
「英国から欲しいもの。
・ファイブ・アイズが持つ、我々にはアクセスできない一部の『限定深層情報(ディープ・インテリジェンス)』へのアクセス権。
・対ロシアにおける、海運保険や国際金融ネットワークを通じた、実務的で陰湿な制裁維持の支援。
・王室ルートを通じた、欧州の旧貴族や上流階級の『静かな対日傾斜』の促進。
・中東および旧英連邦諸国(コモンウェルス)との、歴史的パイプを利用した仲介と利権の調整。
・そして何より、英語圏全体における『日本は信頼できる、ルールの守護者である』という強力な世論の保証(ギャランティ)です」
「……なるほど。イギリスが何百年もかけて築き上げた『裏のインフラとブランド』を、丸ごと日本のために使わせるわけか」
財務大臣が唸った。
確かに、これらはテラ・ノヴァの工場では決して作り出せない、歴史という時間だけが醸成できる無形の資産だ。
「次に、フランスから引き出したいものです」
日下部は画面をスワイプした。
「・EUという巨大な制度圏における、対日便宜の恒久化。
・特に、我々が今後展開していくであろう『先進微細医療技術』や『未知の資源』に対する、EUの厳しい競争法、国家補助規制、医療規制の大幅な緩和、あるいは『対日特例』の承認。
・フランスが強い影響力を持つ、アフリカおよび地中海圏での、日本の資源戦略に対する協力とパイプの提供。
・欧州大陸側における、『アメリカの従属国ではない、自立した超大国・日本』としての政治的・文化的正統性の確立」
リストが読み上げられるたびに、閣僚たちは深く頷いた。
EUの官僚的で強固なルールは、日本のオーバーテクノロジーを世界に展開する上で最大の障壁となり得る。フランスを味方につけ、そのルールを内側から破壊……いや、日本に都合よく書き換えさせることができれば、日本の覇権は法的な意味でも盤石となる。
「……そして、最後の一つです」
日下部は一瞬だけ言葉を切り、最も重要で、最も重い項目を口にした。
「フランスが持つ最大の特権……。
国際連合総会における、『日本の常任理事国入り』への絶対的な支持と、批准拒否による実質的な拒否権行使の抑制です」
シン……と、会議室の空気が完全に止まった。
「……常任理事国入りか」
外務大臣が、低く、押し殺したような声で呟いた。
「日本の、戦後外交における最大の悲願だな……」
その言葉の通り、日本は国連創設以来、経済大国として多大な分担金を払い続けながらも、常に「敗戦国」という十字架を背負わされ、意思決定のコアである常任理事国の座からは遠ざけられてきた。
歴代の総理が、何度となく国連改革を訴え、その扉を叩いては跳ね返されてきた、途方もなく厚く、冷たい壁。
さきほどまでの、技術の貸与やルール緩和といった「実務的」な話から、一気に国家百年の計、いや、世界の歴史そのものを書き換えるレベルの議題へと、会議のスケールが跳ね上がったのだ。
日下部は、一瞬だけ沈黙し、円卓の面々の反応を確かめてから、静かに答えた。
「……ええ」
だが、その声には「悲願達成」に向けた熱狂や理想主義は微塵も含まれていなかった。
むしろ、氷のように冷たく、極めてシニカルな響きがあった。
「はっきり言えば……」
日下部は、眼鏡の奥の瞳を細め、冷酷に言い放った。
「今の我々にとって、国連など『どうでもいい』のです」
「……何?」
外務大臣が、思わず眉をひそめた。
言い過ぎではないか。いくら日本の国力が増しているとはいえ、世界の枠組みである国連を「どうでもいい」と切り捨てるのは、外交のトップを前にしてはあまりにも傲慢な発言だ。
だが、日下部は少しも怯むことなく続けた。
「現実を見てください。
我々にはヤタガラスがあり、無尽蔵の資源を持つテラ・ノヴァがあり、そして何より、工藤創一氏がいます。
彼の作り出すテクノロジーの奔流の前では……国連安保理の椅子など、正直に言えば、時代遅れの『古びた家具』にすぎません」
その強烈な比喩に、何人かの閣僚が息を呑んだ。
だが、誰もそれを「妄言だ」と笑うことはできなかった。
事実として、今の日本は国連の決議など待たずとも、その気になればヤタガラス一隻で世界の軍事バランスを単独で制圧できる力を持っている。国連の承認など、もはや「絶対に必要なもの」ではなくなっているのだ。
「……だが、日下部くん」
副島総理が、静かに、しかし深い凄みを込めた声で問うた。
「どうでもいい古びた家具を、なぜわざわざフランスを焦らせてまで手に入れようとするのだ?
必要ないのなら、放置しておけばいいだろう」
その問いこそが、この会議の、いや、日下部という官僚が描く国家戦略の「本当の芯」であった。
日下部は、姿勢を正し、円卓の全員を真っ直ぐに見据えた。
「……総理。皆様。
もし……テラ・ノヴァが、突然なくなったら?
もし、ゲートが何らかの理由で永遠に閉じてしまったら?」
会議室が、完全に静まり返った。
「……あるいは。
もし、工藤創一氏が……不慮の事故や寿命で、死んでしまったら?」
誰も、それを言葉にしたがらなかった。
だが、全員の頭の片隅に、常にこびりついて離れない「最悪のシナリオ」。
今の日本の異常なまでの繁栄と強さは、たった一つの異次元の星と、たった一人の予測不能な天才の上に、危ういバランスで成り立っている砂上の楼閣なのだ。
日下部は、逃げずにその恐怖を言語化した。
「そうなれば、日本は以前の国に戻ります。
……いえ」
日下部は一拍置き、自らの言葉を冷徹に修正した。
「『戻る』という表現は、正しくありません。
……ここまで世界中を振り回し、他国の情報網を破壊し、権力者の命を握って脅迫し、秩序を勝手に書き換えようとしておいて……。
すべてを失った後に、『元の善良な中堅国に戻れました、めでたしめでたし』などと、そんな都合のいい話があるはずがないのです」
その言葉の重みに、防衛大臣がごくりと生唾を飲み込んだ。
世界を欺き、圧倒的な力で大国をひざまずかせてきた。その力が突然消滅した時、世界が日本にどう牙を剥くか。想像するだけでも背筋が凍る。
「もし我々の『魔法』が消え、真実がバレた時は……我々は世界中から、秩序を破壊した『悪魔』として、徹底的な報復と処罰を受けることも覚悟しています。
……それが、我々が選んだ道の代償です」
会議参加者は、誰も笑わなかった。
日下部の言葉が、冗談でも悲観論でもなく、極めて現実的な「リスクアセスメント」であると全員が理解していたからだ。
「それでも、です」
日下部は、さらに踏み込んだ。
「それでも、日本の今後を思うなら。
この『奇跡が消えた後』にも残る、国際的な『既得権』を、一つでも多くもぎ取っておかなければならないのです。
魔法が解けた後に、丸裸で世界の復讐に晒されるのを防ぐための、分厚い防弾チョッキとして」
日下部は、スクリーン上の『常任理事国』の文字を指差した。
「その意味で、第一目標として、常任理事国入りは『本音』です。
……武力や技術という裏付けがなくなった時、最後に我々を守ってくれるのは、国際法という名の『書類』と、拒否権という名の『古い椅子』だけなのですから」
かなり強い、そして生々しい言葉だった。
月や火星にすら行ける超弩級の宇宙船(ヤタガラス)を持ち、無尽蔵のエネルギーと不老不死の薬を操る国が。
それでもなお、最後は国連の「ただの椅子」を最も切実に欲しがっている。
この圧倒的なスケールの矛盾と、官僚としての地に足のついた冷徹な計算。
副島総理が、低く唸るように言った。
「……月や火星さえ、ヤタガラスで手のひらの上の国が。
いまだに、国連の椅子を欲しがる。……滑稽な話だな」
自嘲気味な総理の言葉に、日下部は即答した。
「ええ。
ですが、滑稽だからこそ、必要なのです。
奇跡の時代が終わったあと、残酷な書類と条約の世界で我が国が生き残るためには、そういう『古い椅子』にしがみつくしかないのです」
その一切の幻想を排除した結論に、円卓の閣僚たちは深く沈黙し、そして同意した。
今の日本は無敵だ。だが、永遠の無敵など存在しない。
国家を運営する者として、常に「最悪の終わり方」を想定し、そのための保険をかけておく。それこそが彼らの仕事なのだ。
「……では、対欧州戦略の再整理をしよう」
官房長官が、重い空気を振り払うようにして議題を実務へと戻した。
常任理事国入りの話が、単なる夢物語ではなく、目の前のフランスへの対応という具体的な戦略に直結していることを確認するために。
「つまり、英国とフランスは、我々にとっての役割が明確に違うということだな」
「はい」
日下部が、モニターの表示を切り替えながら整理する。
「英国は、先行して試験運用させることで恩を売り、情報・軍事・金融の実務的な『窓口』として使う。アメリカの横から欧州へと介入するための、今すぐ使えて、管理しやすい『入口』です。
対してフランスは、今はあえて取り残して焦らせる。そして、将来的に我々が欧州大陸へ本格進出する際の『保証人』として機能させ、EUの制度の扉を開けさせると同時に、常任理事国入りへの『政治的踏み台』として使う。
……彼らは、我々の『奇跡』を、欧州の古い正統な秩序へと翻訳し、認めさせるための重要な役回りを担うことになります」
日下部の言い換えは、極めてクリアで、そして残酷なまでに戦略的だった。
「英国は『入口』です。
フランスは、いずれ必要になる『保証人』です」
会議参加者たちが、次々と深く頷いていく。
英仏の差別化が、単なるアメリカの意向への追従や、日下部の個人的な好みなどではなく、日本の生き残りを懸けた緻密な国家戦略として、彼らの中にストンと落ちた瞬間だった。
「……では、アメリカの提案に戻ろう」
副島総理が、最終的な確認に入った。
「アメリカが提示してきた『英国への条件付き試験運用の容認』という案。我々としては、これをどう評価する?」
「概ね良いと思います」
日下部が、即座に結論を述べる。
「英国優先、フランス後回し。
アメリカ軍の監視下における一時運用。
……こちらとしても、非常に使いやすい案です」
日下部は、その理由をテンポ良く列挙していく。
「第一に、英国に『席』を与えることで、彼らに強烈な恩を売ることができます。
第二に、あくまで『アメリカの管理下』という条件がついているため、技術が野放図に拡散するリスクをアメリカ側に背負わせることができます。
第三に、フランスが取り残されて焦燥感を募らせるため、英仏の温度差(分断)を我々が自由にコントロールできるようになります。
第四に、日本が単独で欧州の国々を『選別』したように見えないため、表向きの外交的な恨みはアメリカに向かわせることができます。
……そして最後に、アメリカ自身にも『英国の面倒を見る』という管理責任を負わせることで、彼らをこの共犯関係のシステムにさらに深く縛り付けることができます」
その見事なまでの「一石六鳥」の計算を聞いて、外務大臣が思わず苦笑した。
「つまり、アメリカも我々の思惑に巻き込めるということだな」
日下部は、眼鏡の奥で少しだけ口元を緩めた。
「……そういうことです」
全ては日本の手のひらの上。
アメリカの陰の政府が「自分たちがルールを管理している」と得意げに決断を下しているその裏で、日本はさらにその一段上から、彼らごと盤面をコントロールしているのだ。
「よし。
アメリカ案は、飲もう」
副島総理が、力強く円卓を叩いて最終判断を下した。
「だが、諸君」
総理の視線が、円卓の全員を鋭く見据える。
「英国に一回薬を打たせて終わり、ではないぞ。
この先に、国家として『何を残すか』までを見据えて動け」
その言葉は、今日の会議の主題を、総理自身の言葉で明確に定義づけたものであった。
「英国の試験運用は、巨大なチェス盤のただの一手に過ぎない。
我々が本当に欲しいのは、一時の優越感ではなく、将来にわたる確固たる『既得権』だ。
……奇跡が消え失せた後でも、この国が世界で生き残れるだけの国益(保険)を、どんな手を使ってでも取りに行くのだ」
「はっ!」
日下部が、そして全閣僚が一斉に深く頷いた。
会議が終わりに近づき、日下部が『位相干渉装置』のスイッチに手を伸ばそうとした、その時。
ずっと黙って議論を聞いていた防衛大臣が、ぽつりと、どこか恐れるような声で尋ねた。
「……日下部くん。
本当に、そこまで考えているのか?
工藤氏が……いなくなる未来まで」
防衛大臣の言葉に、部屋の空気が一瞬だけ凍りついた。
今の日本の無敵の防衛力も、無限の資源も、すべてはあの男一人に依存している。彼がいなくなる未来を想像することは、すなわち日本の終わりを想像することに他ならない。
だが日下部は、決して目を逸らさなかった。
彼は、一切の感傷を交えない、氷のように冷たい声で答えた。
「……国家の仕事ですから」
短く、しかし圧倒的な重みを持つ一言。
「神を信じて国家運営をしてはなりません。
たとえ今の日本が、その神に近い天才の上に立っているのだとしても」
その言葉は、円卓の全員の胸に深く、鋭く突き刺さった。
工藤創一を信じていないのではない。
一個人の存在を「永遠の前提」として国家を設計してはならないという、官僚としての、為政者としての冷酷なまでのリアリズム。
彼らは、自分たちが歩いているのが、いつ崩れるとも知れない細い糸の上であることを、決して忘れてはいけないのだ。
「……本日の会議は、これで終了とします」
日下部がコンソールのスイッチを切ると、部屋を満たしていた重低音がスッと消え、元の無機質な静寂が戻ってきた。
閣僚たちが、それぞれに重い思索を抱えながら、無言で地下の会議室を後にしていく。
誰もいなくなった部屋で、日下部だけが一人、円卓に残された資料の束を整理していた。
そこには、『英国試験運用』『フランス接近待ち』『欧州戦略』『常任理事国入り』『テラ・ノヴァ後の国家保険』といった、生々しいキーワードが並んでいる。
彼は、資料を閉じて鞄に仕舞い込みながら、小さく息を吐いた。
「……奇跡は、いつか終わる」
誰もいない密室に、彼自身の独白が静かに落ちる。
「終わったあとにも残るものを……一つでも多く、積み上げておかなければならない」
日下部は、胃薬のパッケージを指で撫でながら、重い足取りで扉へと向かった。
アメリカの思惑、欧州の焦燥、そして日本の冷徹な生存戦略。
世界を欺き続ける「奇跡の保険」は、こうして静かに、しかし確実に形作られていくのだった。
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